第711話 切ない夜
「ふぅ……疲れた……」
騒々しいバーベキュー大会はようやくお開きとなり、俺は深々と溜息を零した。
子供ってのは元気の塊だ。彼らの相手をするのは、戦闘するよりも遥かに疲れる。レキとウルスラとクルスは、よく三人だけであの子達をまとめてやってきたものだ。
子供の世話の大変さの片鱗を味わったことで、三人に尊敬の念が湧く。
しかし、頼ってばかりはいられない。これからは俺が頼られる立場にならなければいけないのだから。
とりあえず、今日のところはみんな腹いっぱい食べられて満足してくれたので、概ね成功といってもいいだろう。俺のことも「なんかいきなり現れた怖そうな野郎」から「肉を焼いてくれる人」くらいには子供達の認識が変わってくれたように思える。串を渡すのに二の足を踏むのは、最初だけだったしな。
この調子で子供達との距離を縮めていこう。
「あー、シャワーだけでもあって良かった」
欲を言えば風呂に入りたいが、実験施設では洗濯物のように雑な丸洗いをされていた頃を思えば、こうして普通にシャワーを浴びられるだけでも遥かに上等だろう。
シャワー室があって良かった。
バーベキュー大会の後、三人は子供達を連れて先にここでシャワーを浴びてもらい、俺が後片付けをしていた。子供達が上がり、片付けを終えた後で、こうして俺が最後に一人で浴びにきている。
思えば、奴隷商船から飛び出してから、今日ようやくシャワーを浴びれた。熱い湯を頭から浴び、買い出ししてきた石鹸でしっかり体を洗うと、想像以上にすっきりした気持ちになれた。ああ、人間らしい生活が営めるって、素晴らしいことだな。
館からいただいてきたガウンを着て、俺は地下室へと戻る。
灯りは落ちていて、静かなものだ。食べて騒いで、子供達はすっかり疲れてきってぐっすり眠っているようだ。
静かに子供部屋の前を横切り、自室へと入る。
「うーん、やっぱりこのベッドはデカすぎる気がするな」
何と言っても、目立つのはドーンと圧倒的な存在感を放つキングサイズのベッドである。そう、あの危ない下着が散乱していた、組長のモノと思しきデカくて豪華なベッドだ。
ウルスラが俺には是非これを、とやけに強くオススメしてきたから、あまりその気はなかったが使うことにした。
「……寝心地はいいから、文句はないな」
柔らかいベッドに横になると、その気持ちよさにはぐぅの音もでなくなる。ウルスラの見立ては正解だった。いいベッドだよこれは。
その素晴らしい寝心地を感じながら、俺は疲労感のままに瞼を落とし、眠りの世界へと……
「――誰だ」
不意に感じた人の気配。それも、明らかに息と足音を殺して忍び込んできたとすれば、ささやかな疲労感と睡魔など一瞬で吹き飛び、俺の意識を臨戦態勢へと切り替えさせる。
「ウォウ、クロノ様、まだ起きてたデスか」
「だからもうちょっと待ったほうがいいって言ったの」
すでに聞きなれたその声と、暗がりでもよく見える俺の視覚が、二人の姿をはっきりと捉える。寝巻代わりのブカブカのガウンを着たレキとウルスラの二人を見て、高まりかけた緊張感が一気に抜ける。
てっきりギャングの暗殺者に忍び込まれたのかと思った。
「どうしたんだ、二人とも」
「そ、それは、そのー」
「レキ、覚悟を決めるの」
俺の質問に、要領の得た解答は返ってこなかった。二人は小声でなにやらゴニョゴニョと揉めていて、その内に黙ってしまう。
「本当にどうしたんだ、何か言いにくい悩み事でも――」
スルリ、と小さな衣擦れの音。暗闇の中、俺の見間違いでなければ、二人はガウンを脱いだように見えた。これから風呂でも入るのかというように。
しかし、ここには湯船もシャワーもなく、あるのはベッドだけで……二人がそのまま、布団の中へと潜りこんできた。
「お、おい、何を……」
あまりに想定外の突飛な行動に、俺は何かを言うことはできなかったし、何もできはしなかった。モゾモゾと二人の少女が布団の中を潜ってくる最中、ひたすらにくすぐったい。
「えへへ、これはその、アレなのデス」
布団から頭を飛び出したレキは、真っ赤な顔をしながら心底恥ずかしそうにはにかんでいる。
「クロノ様も、本当は分かっているでしょ」
レキとは反対側から顔を出したウルスラは、表情こそいつもの平静さを保っているが、その目はやけに色っぽく潤んでいる。
「レキ、ウルスラ、これは冗談でもやっちゃいけない類のことだぞ」
俺の左右を挟み込むように、添い寝する格好でレキとウルスラが寝そべっている。これでパジャマでも着ていればまだギリギリで言い訳もつくのだが……布団の中でぴったりと密着してくる感触からして、二人は裸だった。
「冗談なんかじゃないデス。レキは本気デス!」
「うん、私もレキも、これがどういう意味なのかちゃんと分かっている。その上で、こうしているの」
二の句が継げないとはこのことか。二人の言葉には、確かに覚悟のようなものが感じられる。
そしてソレは、直後にレキとウルスラの口から現実のものとなった。
「アイラヴユー」
「愛しているの」
聞き間違えようもなく、何よりもはっきりと耳に届いた愛の言葉。
女の子に告白される、なんて生まれて初めての経験だ。しかも二人同時とか、どう対処するのが正解なのか全く分からない……いや、違う、そうじゃない、そういうことじゃなくて……
「気持ちは嬉しいよ。俺も二人のことは好きだけど、こういうコトは――」
どこかで聞いたような、ありきたりの返答。けれど、確かに俺の偽りない本心でもある言葉だが、
「ノン! レキはもう、子供じゃないデス!」
「大丈夫、もうちゃんと子供を産める体なの」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
そういうことも大いに意味を含んではいるが。レキは13歳でウルスラは12歳。俺は17歳だから歳の差そのものは大したものではないかもしれないが、問題なのはそこじゃないのは明らかだ。
いくらなんでも、まだまだ子供としか言いようがない二人を相手に、性的なものはまずい。
それは大前提となるワケだが、他にも気にすべきことはある。
「なぁ、俺は……記憶を失う前の俺は、そういう関係だったのか」
俺と二人の事情は、最初に聞いたきり。おおまかに出会いから別れまでの流れは分かっているが、より具体的に俺達がどういう関係を築いていたのか、そこまでは知りえない。
ぶっちゃけて言うと、過去の俺がまだ幼い二人に一切手を出していない、という保証はどこにもないのだ。
ないのだが、俺は自分を信じる。
まさか、二人に手を出しているなんてこと、そこまでロリコンの気はない俺にはありえない。
「ええーっと、ソレは……」
「……一度だけあるの。レキも私も、一回だけ、クロノ様と寝た」
「えええっ、ウッソだろオイ!?」
思わず叫んでしまった。だって、ショックが大きすぎる。これは最悪のパターン、なんてっこった……自分で自分を見損なったぞ。
「い、いや、待て、そんな……嘘だよな?」
「嘘じゃない。私はグラトニーオクトが攻めてきた時に、レキが死んだと思って傷心のところをクロノ様に慰めてもらったの」
「レキだって! ヴァレンティヌスの夜にクロノ様とすっごいいい雰囲気になって! あっ、お酒、お酒も飲んでたデス!」
ダメだこれ、どうやらマジっぽい。二人とも、咄嗟に嘘をついたにしては、やけに具体的なシチュエーションを語っている。
俺だって、自分のことを信じたいよ……けれど、もうダメだ、過去の俺よ、テメーの信用はガタ落ちだ。マジでなにやってんのお前ぇ……
「そうか、そうだったのか」
サーっと血の気が引いていくというのは、こういう感覚のことか。脱出の時にサリエルと相対した時とは、また別の絶望感である。
いや、俺が落ち込んでいる場合じゃないし、そんな資格すらないだろう。当時の俺が何を考えていたのかは分からないが、こんな年端もいかない少女に手を出してしまったのだ。
責任、の二文字が脳裏にチラつく。
だが、この際、責任を取ること自体は大した問題じゃないだろう。俺は別に結婚してないし、子持ちのバツイチってワケでもない。彼女すらいたことのない、自由身分の男子高校生である。恋愛的なしがらみは一切ないのだ。むしろ、こんなに可愛い子と結ばれるというなら自らの幸運を感謝すべきではないのか。
だから問題といえば、やはり俺自身が彼女達へもうすでに手を出してしまったという取り返しのつかない過ちを犯したことに尽きる。
いくら覚えがないとはいえ、それでしらばっくれるほど、俺はクズになるつもりはない。
しかし、もし二人の証言が嘘だったならば……いや、別にそれはそれでもうよくね? ちゃんと健全なお付き合いを過去の俺が出来ていたというだけのことで。
「分かった、そういうことなら、責任はとる」
「お、オォウ!」
「その言葉が聞きたかったの」
安堵感と期待感とが入り混じった表情で、レキとウルスラの顔が左右からグっと接近してくれる。俺に経験の覚えはないが、それでもこれは、キスする体勢と見た。
「ま、待て、責任はとるが、それとこれとは話が別だ」
「むぅ、ぐぐぐ!」
「こ、ここでおあずけなんて酷いのクロノ様!」
「頼むからちょっと落ち着いてくれ」
勢いに流されているのか、グイグイ迫ってくる二人を布団の中で必死に押し留める。一度手を出したからと言って、二度目三度目が許されるワケがない。
許されないのだが、二人とも裸のままで、俺へと手足を絡みつかせてひっついてくるものだから、どうしようもなく意識してしまう。い、いかん、手を出してしまった自分の気持ちがちょっとだけ分かってしまう気が……いいやダメだ、自分を信じろ、俺はこんなことであっさり折れる男じゃないはずだ!
そんなことを割と真面目に思ってしまうほど、熱烈に自分を求められるってのは凄まじい威力があった。
「とっくに分かっていることだが、俺には昔の記憶がない。かつての俺が、何を思って二人と接していたのか、今の俺には分からない」
「そんなの、関係ないデス!」
「今ここにクロノ様がいてくれる。私達はそれだけでいいの」
「ありがとう、そう言ってもらえるほど、俺は思われていたんだな」
それこそ、昔の自分にささやかな嫉妬心を抱くほど。一体何をどうすれば、こんなにも女の子に愛してもらえるのか。皆目見当もつかない。
「記憶のない俺は、昔の俺とは別人みたいなものかもしれない。一生、記憶が戻ることもないかもしれない……それでも、今の俺を愛してくれると言うのなら、俺はその気持ちにちゃんと答えたい」
だからこそ、二人のことは大切にしたい。
愛という言葉を免罪符にして、性欲に溺れるような真似はできない。そういうのに憧れる気持ちはあるものの、それだって相手が小中学生となれば倫理的なアレコレでどう考えても心にストップがかけられる。
「それじゃあ、クロノ様は私達のこと」
「フィアンセにしてくれるデスかっ!?」
「あ、ああ、そういうことになるな」
責任を取るために、結婚を前提にお付き合いします、という状態は正にレキの言う通り婚約者となるだろう。
恋人の段階を越えて、いきなり婚約者ができるとは。複雑な心境ではあるが、恋は突然にというし、結婚は勢いとも聞いたことがある。案外、結婚ってのも急に決まることの方が多いのかも。
それにしても、レキとウルスラと結婚か。今からでは想像もつかな――
「ちょっと待て、俺は二人と結婚するのか」
「イエーッス!」
「当たり前なの」
「……け、結婚って、一人とするものでは」
「そんなのココでは誰も気にしないの」
「レキはウルと一緒がいいデス!」
異世界万歳と言えばいいのかこういう時は。そして、レキとウルスラの間では話もついているようだ。
「クロノ様、細かいことは気にしていても幸せにはなれないの」
「三人一緒で、みんなハッピーなのデーッス!」
「そ、そうか……それでいいんだな……」
二人一緒でいい、とかラブコメ漫画でもなかなか聞けない都合のいい台詞をいざ現実に言われると、嬉しさよりも後ろめたさの方が勝ってしまう。
だがしかし、この二人を前に俺のワガママで結婚は一人だけにする、もう一人は諦めて別な男を探してくれ、良い縁に恵まれることをお祈りしています……なんて、言い出せるはずもない。そんなことをすれば、誰も幸せにならないのは目に見えている。
ならば、ひとまずはこれでいいじゃないか。いいことにしよう。
「それじゃあ、めでたくクロノ様との婚約も決まったし、そろそろ始めるの」
「う、うぅ……いよいよクロノ様と……レキ、ちょっと緊張してきたデス」
そして再接近をはじめる二人のキス顔。ついに唇が触れるか触れないか、というギリギリの間合いにまで侵入を許したあたりで、どうにか二人を押し留める。
「いやちょっと待て、どうしてそうなる」
「ホワッ、ここまで来て何を言うデスか!」
「レキ、早まるんじゃない。こういうコトをするのは、えーっと、そう、もっとお互いに時間が必要なんだよ」
「それってどれくらいなの」
「……二人が16歳になるまでは」
「シックスティーン!?」
「そ、そ、そんなに待てるわけないの……」
雷にでも打たれたかのようなショッキングな表情のレキと、目の前が真っ暗になってそうな絶望顔のウルスラ。俺はそんなに残酷なことを言っているだろうか。
「この世界じゃどうだか知らないが、俺の国ではそれが結婚できる最低限の年齢だったんだ」
「えええっ、なんで、子供が産めるようになれば結婚できるハズでは!?」
「ま、まさか、こんな行き遅れを推奨する決まりを定める世界があるなんて、完全に想定外なの」
この辺は大いに文化・価値観の相違ってやつだろう。日本だって昔は十代で結婚は当たり前だったし、政略まで含めれば年齢など何の関係もなくなる。
そんな中世的な結婚観、恋愛観の人からすれば、現代日本のようにしっかりと大人になってから結婚するのが当たり前、というのは信じがたいことかもしれない。
「すまないが、俺は二人とそういうことをする気はない」
自分で自分を許せなくなる。すでに一度手を出した以上、尚更に。
これは二人との将来を真剣に考えた上での結論――
「うううぅ……レキ、そんなに魅力がないデスか?」
「私は今でも、子ども扱いのままなの?」
二人の今にも泣き出しそうな顔を見ると、つい心が揺れ動く。所詮、そんなのは俺の自己満足に過ぎないのでは。ここで二人を女性として扱うことが本当の正解なのではないのかと。
自分の選択に自信なんてもてない。所詮は恋愛素人、乙女心など欠片も分からない。
それでも……これが俺にとっての愛なのだと、言うより他はなかった。
「二人とも、凄く魅力的だよ。ドキっとさせられることも、何度もあった。でも、二人がまだ子供だというのも事実だ」
実は10歳で成人扱いの制度かもしれないが、この際どうでもいい。肉体的に成熟していないのは本当のことではある。
「だから、もう少しだけ待っててくれ。二人のことはちゃんと婚約者だと思っている。焦らなくていい、俺もちゃんと待っているから」
二人に我慢を強いるなら、俺もまた耐えよう。
奴隷商船のチンピラ男はカーラマーラには女の子と遊べるお店がピンからキリまで沢山あるのだと聞いて、実はちょっと興味もあったのだが、そういうのは一切禁止にすると心に誓おう。
「クロノ様、信じていいデスか」
「今度は、もう私を置いて行かないで」
「ああ、ずっと一緒にいる」
そんな言葉だけで、全て納得したわけでも、割り切れたわけでもないだろう。悲しげな表情は変わらない。それでも、二人は俺の肩に顔を埋めて、それ以上は何も言わなかった。
「ねぇ、クロノ様……このまま、一緒に寝るだけならいいデスよね」
「えっ」
いや、それはそれで俺が苦しいというか何というか……
「私達はまだ子供で、クロノ様は大人だから、一緒に寝てもエッチな気分にはならないから大丈夫に決まっているの」
ウルスラ、その言い方は、もしかして俺の心と反応を見透かしているのか。
「あ、当たり前だろ。添い寝くらい、いくらでもしてやる。存分に甘えてくれていいぞ」
全てを受け入れるより他はない。ここで「裸でくっつかれるとムラムラするから二人は自分の部屋で寝てくれ」と言ったら、さっきまで俺の語った言葉は丸っきり嘘となってしまう。
いいだろう、あの地獄の人体実験を耐えた鋼の精神力でもって、この程度の苦難乗り越えてみせようじゃあないか。
「えへへっ、じゃあじゃあ、レキいっぱい甘えちゃうデスよ!」
「今までの分を取り返してやるの」
「おい、嗅ぐな、舐めるな、撫でるな、それ以上はまずいからやめろっ――」
布団の中で繰り広げられる、二人のくすぐったい悪戯攻撃を前に、先行きの不安を感じずにいられなかった。
明日になったら、レキには「プラトニックラブ」と、ウルスラには「節度を持ったお付き合い」というのを説いて聞かせてやろう。だから、今夜一晩は、歯を食いしばって耐えるんだ、俺。