第707話 スラッシャーの館
「邪魔するぞ」
「キィイエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」
正門から堂々と乗り込んだ俺達は、扉を潜るなり、頭上から奇声を上げて襲い掛かってくるスラッシャーと遭遇した。
即死トラップのような登場の仕方はなかなか脅威だが、コイツはずっと玄関からお客様が訪れるのを待ち続けていたのだろうかと思うと、若干、憐みを抱かないでもない。
「散弾、じゃなくて、『魔弾』って言うべきか」
情報通り、両腕が鋭い刃と化しているカマキリみたいなスラッシャーが、天井から逆さまになって襲ってくるところを、俺はすでに装填済みの弾丸で迎え撃つ。
小粒の弾をバラまく散弾型の面攻撃を、多少、素早さに優れる程度の機動力しか持たないスラッシャーに回避できる道理はない。刃は鋼鉄並みの強度でも、肉体の方は普通のゾンビとさほど変わりはなく、正面から大量の弾丸を受けたスラッシャーは、バラバラに引き千切れながら吹き飛んだ。
「ゾンビはあんまり美味しくないけど、我慢して食べて『白夜叉姫』」
そういえば、スラッシャーって複数体で群れるんだよな、と思っていたら、柱の影、それから壁に引っ付いてた奴の二体が、天井からの奇襲と同時に動き始めていた――のだが、ウルスラが放つ霧の渦、いや、腕のような形状となって、二体のスラッシャーを完全に抑え込んでいた。
「ンギギ……ギィイエエエ……」
数秒とせずに、二体は苦しげな呻き声を上げながら、急速に干からびていくようにやせ細ってゆき、そして、直後には皮も肉も残らない、単なる白骨死体と化して、バラバラと床に崩れ落ちる。
「こんな一瞬で骨にするレベルの『吸収』とか、恐ろしいな」
「大したことはないの。クロノ様くらい強ければ、普通に耐えられる」
耐えられるかぁ? ちょっと、試してみる気にはならないね。
しかし、本当に恐ろしい魔法だ。ちびちびと魔力を吸い取る悪霊みたいな奴はいたが、瞬時に骨になるほどの吸収力はなかった。
ウルスラの『白夜叉姫』が持つ吸収力は、その出力も吸収速度も桁違い。あの霧の腕をかざすだけで、それなりの攻撃魔法を容易くかき消すこともできるだろう。少なくとも、魔弾では通らない。
あれ、もしかして俺、ウルスラと戦ったら負けるのでは……??
「まずは館をざっと回って、邪魔な奴らを片付けよう。物資を漁るのはそれからで」
「了解なの」
入館早々に奇襲をかけてきたスラッシャーは、どうやらこの三体で打ち止めのようだった。シャンデリアの吊るされたエントランスには、俺が撃ち殺したスラッシャーの汚い死体と、ウルスラが綺麗に片付けた白骨死体が転がる。
エントランスは天井が三階まで吹き抜けとなっており、真正面に上へ続く大きな階段があり、左右には長い廊下が広がり、奥の方には扉も見える。外観から分かっていたが、なかなかに広い立派なお屋敷だ。
ここまで立派な洋館だと、石像をズラしたり、メダルをはめたりするギミックの一つや二つ、あってもおかしくないのでは。ちょっとワクワクしてきたのは、ウルスラには内緒である。
「ウボォオアアアア!」
とりあえず一階から順番に回って行こうと、ひとまず右側の廊下に入ると、複数のゾンビが叫び声を上げて襲い掛かって来た。
「うーん、館にいるくせに、随分とガラの悪そうな奴らだな」
「タトゥーの入った執事なんて嫌なの」
気になったのは、ゾンビ共が揃いも揃って、ついこの間に大挙してきたギャングと似たような風貌をしていたことだ。少なくとも、この洋館に務める執事や使用人には見えない出で立ちである。
この第一階層に湧くゾンビの大半は、現代とそれほど変わらない衣服を纏った一般市民といった姿をしている。だが、砦や憲兵所などと思われる軍事施設には、鎧兜に武器を持ったゾンビが、神殿のような建物には法衣を纏ったゾンビが、必ずいると有名。
つまり、その場所に応じたタイプのゾンビがいるというワケだ。
ならば、この如何にも貴族か金持ちが住んでいそうな洋館には、使用人のゾンビか、たまたま外から紛れ込んだ一般人ゾンビがいて然るべき。
しかし、さっきから現れるゾンビもランナーも、ついでに、物陰から飛び出してくるスラッシャーも、よく見れば堅気とは言えない風貌の奴らばかりである。ナイフや短剣などの、刃物を持っている奴も多いし、気合いの入った入れ墨も彫ってあるし……ひょっとしてこの館、ヤクザの事務所だったのだろうか。
「クロノ様」
「ん、どうした?」
すでに何体目になるか分からないヤクザゾンビ共を射殺していると、ウルスラが声をかけてくる。いよいよ、仕掛けのありそうな石像でも発見したか。
「欲しいモノがある部屋では、できるだけ汚さないようにゾンビを倒したいの」
非常に残念そうに言うウルスラの視線の先には、ヘッドショットで脳天が弾けたゾンビの死体がもたれかかる、派手めなデザインの化粧台があった。
これもリポップした際に真新しくなっているのか、やや埃が被っているだけで傷一つない綺麗な白地に、本物らしき輝きを持つ黄金で装飾されている。どこぞの奥様かお嬢様が使っていそうな一品だが、なるほど、女の子であるウルスラからすれば、こういうのが憧れだったりするのだろう。
そんな素敵な化粧台は、俺が放った弾丸のせいで、ヤクザゾンビの腐った脳と血肉がぶちまけられ、ちょっと掃除しても使いたくないレベルの汚れ具合である。
「うっ、そうだよな……スマン」
「ううん、いいの、我がままを言った。ごめんなさい」
「いや、俺の配慮が足りなかった。次は汚さずにゾンビ共を無力化してみせる。任せてくれ」
ウルスラよ、俺をただ弾丸をぶっ放しては、剣をヒュンヒュン飛ばすだけの男だと思ってくれるな。他にも、俺が使える魔法はあるんだ。
「ウォオオアアアアアッ!」
「この絶叫は、ランナーか」
ちょうどいい、コイツを相手に汚名返上と行こう。
化粧台の置いてあった女性の寝室と思しき部屋を出ると、どこからか俺達の存在を感じ取ったのか、廊下の向こうから全力疾走で走り込んでくるランナーの姿があった。薄汚れたベストに、ボロボロのズボンを穿き、手にはナイフを握っている。
ゾンビの中には、たまに手にした武器で攻撃してくる奴もいる。もっとも、ただ力任せに振り回す素人以下の太刀筋なので警戒するにも値しないが、こんなもんでも子供達にとっては十分に脅威だ。もっとも、ウルスラを単なる子供と呼ぶには、少々規格外の魔法の力を持っているが。
「見てろよ、ウルスラ。俺が奴を綺麗に生け捕ってやる――『アンカー』」
手元から放ったのは、一本の黒いワイヤー。
黒色魔力を固めて弾丸を形成できるのならば、他の形にすることも可能である。もっとも、精密機器のようなモノは俺自身が構造を理解できていないから無理なのだが、銃弾のような単純な形状ならば割と何でも再現できる。魔力を物質にして作り出す感触は、滅茶苦茶自由度の高い粘土をこねるようなものだろうか。
それで今回、作り上げたのは硬質なワイヤーである。弾丸にするのと同じような強度で細い紐を複数本造り、それを束ねて編み合わせるイメージ。その結果、出来上がるのは鋼線並みの強度を誇る黒一色のワイヤー、名付けて『アンカー』だ。
コイツが魔弾と違うところは、俺の体、または、影から繋がっているから、アンカーそのものを直接操作できること。つまり、西部劇に登場するカウボーイのように、特に投げ縄の経験などなくとも、華麗なワイヤー捌きで相手を捕らえることが可能なのだ。
自分の腕をそのまま伸ばすも同然の正確な操作性でもって、全力疾走して突っ込んでくるヤクザランナーの野郎をアンカーで絡め取る。
「ウギィイイイイッ!」
胴体と両足に素早くグルグルとアンカーが巻きつき、駆け込んだ勢いのまま顔面から床に倒れ込むランナー。しかし、顔面強打の痛みなどゾンビには関係ない。身動きがとれないながらも、絶叫を上げてアンカーが体に食い込むのもおかまいなしに暴れ続ける。
これでも鋼の強度を持つはずだから、走るゾンビ程度がどれだけ暴れようと、千切れることはないのだが……あんまり芋虫状態で転がられても邪魔くさい。
「もう少し絞めておいた方がいいか」
ギリギリ、と引き絞る様にアンカーを操作しながら、より体の自由を奪うために全身に這わせていくと――ブヂィイイイッ!!
噴き上がる血飛沫。飛び散る肉片と臓物。千切れた手足。そして、足元にコロコロ転がってくる生首。
アンカーで縛っていたランナーが、いきなり爆発した、と思うような勢いでズタズタに引き千切れた。あまりにいきなり過ぎて、自分でも何でこうなったのか一瞬、分からなかった。
「クロノ様」
「あー、いや、これはその、ちょっと力加減を誤ってしまったというか」
「次からは、私がゾンビを片付けるの」
「ごめんなさい」
歳下の少女に対して、直角に頭を下げ誠心誠意の謝罪。
言い訳ではなく、本気で思ったよりもアンカーが締まる力が強すぎてゾンビの脆い肉体をぶっちぎってしまったのは事実であるが、そもそも綺麗にゾンビを無力化する、と約束した上でこのザマである。こういう時、俺は素直に謝る以外の術を知らない。
「とりあえず、俺はゾンビの動きを適当に止めるだけにしておくから、トドメはウルスラに全て任せるよ」
「うん、それが一番効率的に掃除できるの」
保護者として頼られるはずの俺が、こんな間抜けを晒すとは情けないことこの上ないが、何故かウルスラはちょっと機嫌がよさそうに、微笑みを浮かべていた。
「とりあえず、俺はゾンビの動きを適当に止めるだけにしておくから、トドメはウルスラに全て任せるよ」
「うん、それが一番効率的に掃除できるの」
明らかに落ち込んだような顔色で、ガックリと肩を落としながらも、ウルスラをその背に庇うようにして、先頭を歩き出すクロノ。
その、ちょっと情けない背中を見つめて、ウルスラはムズムズと口元が歪んでしまうのを抑えきれなかった。
「くふふ……」
あんな彼の姿は、初めて見た。
クロノが名前を偽り、開拓村の司祭として暮らしていた頃には、こういう姿は見られなかった。
曲がりなりにも、身分を偽り演技している、という強い意識がクロノにあったせいか、本心や生の感情を出すようなことは基本的に抑えていたように見えた。
けれど、今は違う。
記憶を失ったクロノは、自分の全てを明かしてくれた。ニホンという異世界から召喚された『異邦人』にして、十字教の秘密結社によって非人道的な人体実験を受けた凄惨な過去。
超人的な肉体と強力な黒魔法の力を持ちながら、優しい善良な青年の心を保ち続けたクロノは――本当についこの間、自由の身になったばかりで、まだ異世界に慣れていないといった様子を隠しきれていない。
その全てが新鮮だった。今のクロノには自分達に隠す秘密もなく、自分達の知らない仲間、友人、女……余計なしがらみは一切ない。クロノがこれまで異世界で歩んできた全ての記憶はリセットされ、ウルスラは、ゼロからクロノと付き合う望外の好機を得た。
笑わずにはいられない。彼の一挙一投に、ときめかずにはいられない。クロノは今、包み隠さぬ本心のまま、自分と接してくれている。
あの頃、私はただの子供だった。でも今は違う。彼の隣に立つ資格があり、力があり、そして何より、立場がある。今のクロノにとって、私こそが『最初の女』なのだから。
そう思うだけで、体が熱くなってくる。
「二階は物騒な奴らが増えたな。これはスラッシャーやハマー以上の奴がいるかもしれない。気を付けていこう」
一階のゾンビよりも屈強な体をして、より本格的な武装をしたゾンビを流れ作業のように倒して、クロノがそんなことを言う。
ウルスラは表情をキリリと引き締めて、真面目に臨戦態勢をとってますといった顔を瞬時に作った。
「うん。後ろは私が警戒しているから、任せて」
「ああ、頼む」
こんな何気ないやり取りが、堪らなく嬉しい。
期待と不安を胸にアルザス要塞を飛び出してから、こんな最果ての地にまで流れ着き、最早クロノを探すどころではないほど絶望的な状況になっていたというのに。無事に再会を果たす、という以上のシチュエーションがあるなど、夢にも思わなかった。
罪悪感は、ないわけではない。
クロノとて、心から守りたいモノがあっただろう。愛を誓った女性がいることも知っている。もしかすれば、もう子供だってできていたかもしれない。
その全てを忘れさせたまま、サリエルのことすら教えず嘘をつき、この状況を良しとするのは、人としては最低だろう。とても尊敬すべき恩人にするべき態度ではない。
だが、愛するならば、話は別だ。
「イヴラーム人は、恋と戦争に手段は選ばないの」
ウルスラは12歳にして、すでに現実の残酷さというものを、嫌と言うほど知っている。転がり込んできた千載一遇の、否、一生に一度だってありえないような奇跡を前にして、それを『人としての義理』などというモノだけで蹴飛ばせるほど、甘い生き方はしていない。
彼のためを思って身を引ける、という女は、そうしても生きていけるほど恵まれているからだ。
「クロノ様には、恨まれるかもしれない」
いつか、何かの拍子でクロノの記憶が戻ってしまった時。自分が嘘をついたことは、すぐに分かるだろう。再会してからの自分の行動が、全て、口八丁で自分の元に彼を縛り付けるためだけのものであったと、見破れるだろう。
愛している、という名の自らの欲望のために、彼の大切な全てのモノを遠ざけた。
優しいクロノは、だからこそ、きっと怒るだろう。
「その時は、私を殺して」
クロノの全てを、クロノの初めてを、独占できる夢のような世界はしかし、忘却の彼方にある偽りの楽園に過ぎない。
けれど、そんな綻びだらけの夢幻であろうとも――彼を愛せるなら、彼が愛してくれるなら、何もかも省みず溺れていたい。
「ウルスラ、どうやらここがボス部屋っぽい」
小声ながらも、鋭く呼びかけるクロノの声に、ウルスラは蕩けかけた脳内を急速冷却で思考能力を取り戻し、真面目な返答をする。
「分かるの?」
「ああ、スラッシャーとそれ以外の奴らが明らかに待ち伏せしている感じだ。部屋の真ん中に、そこそこの魔力の気配もある。ギガスほどではないが、ゾンビの上位種が居座ってるのは間違いない」
最上階にあたる洋館の三階。固く閉ざされた大きな扉の前で、クロノが断言する。
ウルスラには、それとなくアンデッド特有の気配が漂ってくるのは感じられるが、クロノほど詳しく察することはできなかった。
「待ち伏せしているスラッシャーまで察知できるなんて、やっぱりクロノ様は凄いの」
「こんだけ不意打ち喰らえば、流石に覚えるというか」
それで覚えられるだけの第六感を持つ冒険者が何人いるか。多少なりとも冒険者生活を経てきたウルスラには、一般的な冒険者がどの程度の実力かというのはおおよそ察している。
その上で、改めて分かるクロノの実力。
記憶を忘れ、黒魔法の使い方を忘れ、パンドラに渡ってからのあらゆる戦闘経験を失っても、尚、その力に陰りは見えない。もう少し魔法の練習をすれば、すぐにクロノはグラトニーオクト戦の頃の力まで追いつくだろう。
いや、それどころから、ウルスラが知っているあの頃よりも、クロノの力はさらに増大しているように感じてならない。スパーダに戻った後も、どれだけの戦闘を積んだのか想像もつかないし……自分の知らないクロノのことは、考えたくもなかった。
「今こそ私の必殺技の出番」
「いいな、必殺技とかあるのか」
「冒険者なら、必殺技の一つは必要なの」
「なるほど、確かにな」
思うところがあるのか、しみじみと頷くクロノ。その『必殺技』という響きだけで、少年のようにワクワクした気配を醸すクロノ様子に、また胸がキュンキュンしてくるが……ダメだ、まだ笑うな、ここでニヤけたら不審がられるの!
心を強く保って、ウルスラはクールな表情を貫き通す。
「けど、何があるか分からないから、俺が突入する。悪いけど、この部屋の中は汚すことになりそうだが」
「分かった、それじゃあ私は援護に徹するの」
「頼む。ギガスみたいな奴がいきなり飛び出てくる、って可能性もあるからな」
やはり、歳下の少女であるウルスラを前に立たせたくない、という気遣いをクロノからは感じられる。
開拓村の頃だったら、自分はもっと戦える、と意地を張ったかもしれないが、今は素直にクロノの気遣いを受け取ることができる。
彼がウルスラのことを守ろうと思う気持ちが分かる。自分も、誰かを守る、という経験をしたからこそ、ようやく分かったのだ。
「じゃあ、行くぞ」
そうして、さしたる躊躇も緊張もなく、平然と扉を蹴破り突入を敢行するクロノ。
四方から飛び掛かるスラッシャーを魔弾で叩き落とし、大斧を振りかぶるハマーを蹴飛ばし、中央にいる不気味なオーラを纏った大きなゾンビを拳一発で粉微塵に粉砕する。
相変わらず、狂戦士の如き派手な大立ち回り。血飛沫が舞い散り、一面の血の海を作り出すクロノの戦いぶりはしかし、その背に守られているのが自分だと思えば、聖人のように尊く見えた。
「ふぅ……大したことなくて、良かった」
広間で待ち伏せていた全てのゾンビを打ち倒し、ウルスラの方へ振り返ったクロノが微笑む。自分が知っているよりも、少しだけあどけない表情を浮かべるその姿に、下腹部が熱くなる。
「くふぅ」
ちょっと、だらしない笑顔で返事してしまった自分が恥ずかしい。
けれど、この抑えがたい熱い衝動の正体を、ウルスラは知っている。いつまでも、子供のままではいられないのだから。
「ごめんなさい、クロノ様……私、いつまで我慢できるか、分からないの」
ウルスラの湿っぽい熱い視線の意味を、クロノが気づけるはずもなかった。
2019年3月29日
書籍版『黒の魔王』第七巻、発売中です!(宣伝二度目)
近い内に、活動報告も更新したいなと思っています。色々と書きたいこと、書かねばならないことはあるのですが・・・なんとか頑張ります。