第703話 三度目の別離
カーラマーラ中心部。天を衝くほどの巨大なタワー『テメンニグル』を中心として、この街で財を成した富裕層が己の富を誇るかのごとく建てた、光魔法で彩られた煌びやかな高層建築が乱立する。
どこの国でも、王侯貴族が住む場所と、貧しき民が寄り集まった場所とで、貧富の差が見た目でハッキリ分かるものだが、この古代遺跡の光で照らされるカーラマーラは、より一層に両者の差を際立たせているように見えた。
事実、中心部と外周部は巨大な堀によって物理的に隔たれている。
幅約100メートル。深さは不明。水で満たされた巨大な堀は、川のように常に水が流れ続けている。
砂漠のど真ん中でありながら、莫大な水量が存在するのは勿論、古代遺跡の機能によるものだ。
この堀の内側、つまり現在の中心部には、数多くの生きた遺跡が残っている。星空さえも霞ませるほどの眩い地上の光、その大半は元から遺跡に設置されていた光源を利用していた。
そんな中心部の中でも特に光り輝く明るい地区にある、地上30階建ての高層ホテル。選ばれた上客しか利用できないホテルの一室に、ランク5冒険者パーティ『エレメントマスター』は宿泊していた。
「……」
値段相応の広々として上品なリビングスペースには、重苦しい沈黙で満たされている。
ソファに座るのは、フィオナ。その傍らに、メイドらしくサリエルが控えている。
二人の間に、会話はない。
行方不明となったクロノの捜索に、進展ナシ。
第十一使徒ミサと、第十二使徒マリアベル。二人の使徒の奇襲を辛くも凌ぎきったが、ラムデインによって砂漠の彼方へと連れ去られたクロノの行方は、依然として知れない。
あの時、ペガサスのシロに跨り、リリィを連れて即座に捜索へとサリエルは向かったが……ついに、痕跡一つ見つけることはできなかった。
アトラス大砂漠は、人一人を探し出すにはあまりに広大。おおよそ飛び去って行った方向が分かる程度では、どうしようもなかった。
乗船していた大アトラス三世号は、結果的には無事にカーラマーラへと辿り着いた。クロノがいまだに砂漠を彷徨っているにしろ、自力でここへ辿り着いているにしろ、滞在する拠点は必要だ。
ひとまず、予定していた通りのホテルへと三人はチェックインを果たした。
ジャファルのラヴィアン商会からオススメされたホテルであり、数多あるカーラマーラの宿泊施設でも大きな人気を誇る。
ここに泊まるのをロックウェルにいた頃から楽しみにしていたクロノだったが、その本人がいない広い客室は、どこまでも静かで寂しい、いや、虚しいものであった。
「はぁ……」
沈黙を破るのは、何度目になるか分からないフィオナの重い溜息。
明日から、どのようにクロノを捜索するべきか。
多額の褒賞金でギルドに依頼を出すか、それとも、直接人を雇って探させるか。あるいは、広大な砂漠を行き来するために、砂漠船を買ってもいいだろう。
金はあるが、この初めて訪れた街で何かをするには、相応に時間もかかる。クロノの安否すら判然としていない今、とにかく時間が惜しい。
けれど、とっくに陽が暮れた今となっては、できることは何もない。それに、休息も必要である。特に、使徒との戦いでは魔力を大きく消耗しているので、三人とも普段よりもずっと疲労している。
現に、リリィは最初の捜索から戻るなり、すぐに眠りこけてしまった。
恐らく、明日の朝まで目覚めることはないだろう。
リリィが眠り続けているならば、せめて自分が今の内に明日からの捜索プランを立てておくべき――
「嫌だわ、随分と暗い雰囲気ね」
「リリィさん。起きたのですか」
見れば、リビングに光り輝く裸身を晒すリリィが、とことこ歩いて現れた。
はっきりとした口調に、真っ直ぐフィオナを見つめるその姿から、たまたまトイレで目が覚めたワケではなさそうだ。
「随分と、余裕のある口ぶりですね」
「ええ、お蔭さまで、落ち着いたわ」
あの時、自分が取り乱していた自覚はあったのか。リリィはさして悪びれた様子はみせずに、ピョンと跳ねてフィオナの隣へ腰かけた。
「フィオナ、貴女も落ち着きなさい。大丈夫、クロノは生きているわ」
「証拠はあるのですか」
「――『炎の女王』」
俄かに、燃えるような赤いオーラがリリィの体を包み込む。
爆発的な膂力を与える魔王の腕力は、しかし、それで何かを壊すわけでもなく、直後に解除された。
「私がまだ魔王の加護を使えるということは、クロノが生きている証拠」
リリィはあくまで、魔王の加護を授かったクロノから、その力を分けてもらっているに過ぎない。リリィ自身には一切、古の魔王ミア・エルロードとの繋がりはないのだ。
「では、左目で見ればクロノさんの居場所も分かるのではないですか」
「残念ながら、視界は映らないの」
けれど、クロノの存在は明確に感じることができる。
リリィにとっては、この感覚こそが何よりも嬉しく、希望を持つには十分すぎるものだった。
クロノは強い。生きてさえいるのなら、砂漠のど真ん中だろうが、地獄の果てだろうが、必ず無事に帰還する。
「そうですか……けれど、ひとまずは安心できました」
フィオナもクロノの力は信じている。そうでなくとも、ランク5冒険者が遭難程度で簡単に死ぬことはありえない。
それにクロノは『影空間』にしばらくの間、サバイバル生活を送るのには不足しないだけの物資も詰め込まれている。
ミサとの戦いの結果、クロノは呪いの武器をほぼ全て手離した状態となっている。
使った武器そのものは、ヒツギが大切な同僚として全て回収してはいるのだが、クロノの元になければ片手落ちである。
現在のクロノの装備は、『魔剣』用の剣に、グリードゴアの素材をつぎ込んで作った大剣、その半分の5本。
もう半分は、『暴君の鎧』に装着させた『無限抱影』に分割して収納していた。
他にも、回復用に各種ポーションを金に物を言わせて取り揃えているため、重傷や猛毒などに陥っていても、治療は可能である。
そして何より希望が持てるのは、彼が最も愛用する呪いの武器『絶怨鉈「首断」』だけは、手元に残っていることだ。
ミサとの戦闘中に手離したはずなのだが、何故かいつの間にかクロノの影空間へと戻っていた。
ヒツギ曰く、
「流石は鉈先輩!」
とのことなので、どうやら自らの意思で所有者の下へ戻る能力を獲得したらしいことが判明した。
ともあれ、『絶怨鉈「首断」』さえあれば、武器に困ることはない。
万全ではないものの、十分な装備をクロノは持っている。アトラス大砂漠を一人で彷徨うにしても、それほど問題はないだろう。
「リリィ様、何故、マスターの左目が見えないのでしょうか」
勝手に口は挟まない、従者としての基本を忠実に守るサリエルであるが、事が事であるせいか、気になることをリリィへと迷わず問うた。
「クロノの視界が私に見えない場合は、目を閉じているか、視界そのものを失っているか、のどちらかよ」
無論、リリィとて真っ先に考えた疑問である。
クロノは無事に生きている。魔王の加護をリリィが使える以上、その繋がりも途切れてはいない。
ならば、リリィの左目が持つクロノとの視界共有の効果もまた、失われてはいないはず。
だが、どれだけ見ようと目を凝らしても、リリィの目には瞼を閉じたような暗闇しか映らない。
「けれど、クロノが左目を負傷した様子はなかったし、この状況下で、あえて眼帯をつけて視界を閉ざす理由もない」
「リリィさん、もったいぶらずに早く言ってください」
「恐らく、今のクロノは記憶を失っているのよ」
「……はい?」
「クロノは視界を塞いでいるのではなくて、『見える』ということを忘れているから、私には『見えない』のよ」
「……はぁ」
フィオナの芳しくない表情に、リリィはやれやれと言った様子で溜息をつく。
「サリエル、第十一使徒ミサの能力の説明」
「ミサの『特化能力』は、精神魔法です」
使徒は、ただ無限の魔力を与えられることだけが、その力の全てではない。
その真の力は、白き神がその個人に与える専用の『特化能力』と呼ばれる能力である。
元々、使徒であったサリエルは、他の使徒の『特化能力』も把握している。
ただ、神話で語られるのみの第一使徒アダムから、その活躍が伝説の中にある第二使徒アベル、第三使徒ミカエル、第四使徒ユダ、第五使徒ヨハネス、の四人に関しても、詳しい能力は知れない。現状、伝説の勇者パーティと呼ばれた四人が、真の力を揮う機会は失われて久しい。
このパンドラ大陸遠征は第七使徒サリエルに。アーク大陸でも続けられている各地の紛争、内戦、戦争は、第六以降の使徒がそれぞれ任されている。
故に、サリエルが知っているのは、現役で活躍する第六使徒から、第十二使徒マリアベルまで。ただし、放浪癖のある第八使徒アイに関しては、『特化能力』を使用した記録が見当らなかったので、彼女に関しても能力は不明である。
使徒の真の力である『特化能力』は、サリエルが奴隷となった時点で、最重要情報としてクロノ達へ明かされている。もっとも、どの能力も強大に過ぎるため、分かっていても完封できるような対策を立てるのも難しいのだが。
「『魅了』がメインではないのですか?」
「ミサが好んで使うだけで、『魅了』の力しかないわけではありません」
「あの子、見るからに未熟な精神だったから。与えられた力を全く使いこなせていなかったわね」
もし、リリィがミサと同じ能力を授かったならば、魔王を名乗らずともパンドラ大陸全土を容易く支配できたかもしれない。人の心を惑わし、操る、精神魔法というものは、それほどまでに強力だ。
「では、ミサの不完全な精神魔法の力によって、クロノさんが記憶喪失になったということですか?」
「その可能性が最も高い。『特化能力』は強力ですが、それを使いこなせるようになるには習熟が必要となる。それが、どの程度のものなのかは……『特化能力』が発現しなかった私には、分かりません」
ジュダス司教の手によって『人工的に生み出された』と言われる第七使徒サリエルは、使徒として覚醒することには成功していたが、『特化能力』は与えられなかった。
サリエルと他の使徒との決定的な違いがここにあり、ジュダスがサリエルを「最弱の使徒」と呼ぶ理由もそれである。
ただし、過酷な人体改造と極限の戦闘経験を叩きこんだ上で、使徒として覚醒して後も激しい最前線で戦い続けたサリエルは、使徒の中でも一目置かれるほどの実力者として認められていた。
だからこそ、パンドラ遠征の総司令官という大役に抜擢された……が、他の理由として、機械的なまでに真面目な性格という部分も、地味に大きかったりもする。
力も未熟でワガママな性格のミサではあるが、彼女が可愛く見えるほど破綻した性格の使徒もいる。妙な個性を発揮して暴走しない、というだけで第七使徒サリエルは十字教会で重宝されていた。
「マスターとの戦いで追い詰められたミサは、武装聖典『比翼連理』の力で強引に『特化能力』を行使したと推測される。半ば暴走状態と呼べる力の行使であり、その場合に発揮される精神魔法の効果は、単純な自我の消滅だと思われる」
「そんなのを受けて、記憶喪失だけで済むとは思えないのですが」
「大丈夫よ、クロノには『愛の魔王』があるから」
クロノが心身ともに無事であると保障できるのが、この第四の加護があるお蔭だ。
「今、クロノが記憶喪失になっているのは、『愛の魔王』の精神防護の効果が強く働いた結果。完全に記憶を壊されたワケではなく、自ら封印状態にすることで守り切ったのよ」
この辺の効果は、同じ加護を扱えるリリィだからこそ分かるのだろう。
そもそも、クロノ自身はほとんど精神魔法に関する能力は最初から持っていなかった。その点、妖精のテレパシーを持つリリィは、その道の専門家といっても過言ではない。第四の加護『愛の魔王』を使う事に関しては、クロノよりもリリィの方が、遥かに適性がある。それは、かつてデスティニーランドでネルをラストローズ式の幻術で完封したり、『女王鎧』で捕らえたフィオナ達の能力を使ったりと、凄まじい応用をみせている。
ともかく、そんなリリィがここまで断言するならば、信じるに値するとフィオナは判断した。
「なるほど、よく分かりました。状況は、それほど絶望的ではなさそうですね」
「リリィ様、マスターが記憶の封印を解除するにはどの程度の時間がかかりますか」
「うーん、困ったことに、ソレが分からないのよ」
ミサとの戦いから、すでに半日以上は経過している。
クロノがラムデインを仕留めて、砂漠の真ん中に墜落したとしても、すでに目覚めて行動を始めているだろう。そうして、意識を取り戻して動き始めているにも関わらず、いまだに記憶が戻らないということは……
「クロノもまだ『愛の魔王』を完全に使いこなしているわけではないから。もしかすると、私達の方から働きかけないと、記憶を取り戻せないかもしれないわ」
「では、こちらからクロノさんを探し出さないとならないことに、変わりはないわけですね」
「ええ、私も、ただクロノが自分で戻ってくるまで、黙って待っているつもりはないわ」
そんなのは耐えられない、とリリィの表面上は微笑みを浮かべる顔から伝わってくる。クロノの身の安全は確かめられたものの、すぐ隣に彼がいない、その現実に不満を覚えるのは当然のこと。
もう二度と離れるまい――そう、リリィは強く思っていたところ、早々に訪れてしまった三度目の別離である。
一度目は、ガラハド戦争の最後に、サリエルと共に転移魔法で消えた時。二度目は、嫉妬にかられて自らクロノの元を去った時。
そして今、使徒との戦いを痛み分けで終わり、クロノと離ればなれになってしまった。
「でも大丈夫……クロノは、もうカーラマーラにいる」
「そこまで分かるのですか?」
「うん、何となくだけど、そう感じられる」
「大嵐直前のアトラス大砂漠を捜索せずに済むのは、幸いですね」
口では冷静に言うものの、フィオナには、離れていてもこうして彼の存在を感じられる、リリィの能力がやはり羨ましくて仕方がない。
自分も、彼と目玉なり心臓なりを交換しようか――そんなことを、思わず考えてしまうほどには、羨んでしまう。
「それでは明日からの捜索はカーラマーラに限定して行うという方針でよろしいですね」
「私もクロノを探すことだけに集中したいのだけれど……」
「他にすべきことが、あると言うのですか?」
「ミサとマリアベル。あの二人の使徒が、再び襲ってこないとは限らないでしょう」
クロノが行方不明という一大事ばかりに気を取られがちだが、使徒二人の存在は決して無視して良いものではない。
「……確かに、クロノさんが欠けた今、二人同時に相手をするのは無理ですね」
「私達の方に来るならまだいいわ。一人の上に、記憶を失ったクロノを狙われれば、非常に危険よ」
いくら記憶喪失とはいえ、クロノの力があれば危機を察して逃げるくらいはできると思いたいが、絶対の保証はない。
「呪いの刃で負傷したミサと、三体の霊獣を失ったマリアベルは、即座に襲撃することはないと思われます。また、カーラマーラの都市部にまで立ち入ることは、加護により強い制限が加わる可能性もあるため、避けるはず」
「ええ、普通に考えればここまで攻めては来ないはずだけれど、怒りで我を失った者は、何をしでかすか分からないわよ」
恐らく、あのアトラス大砂漠で待ち伏せしているのが、使徒にとって安全に戦えるギリギリの立地だったであろう。何もない砂漠のど真ん中で船へ襲撃するだけなら、その地域の騎士団や軍隊が出張ってくることもない。
それでも、使徒に敗北の屈辱を味あわせた以上、どんなに無茶でも復讐にやって来る可能性は十分にある。特に、ミサは子供同然の精神性であるし、多少は冷静そうに見えたマリアベルにも、怒り狂わせるだけの動機を与えてしまっている。
「リリィさんが嘘までついて煽るから」
「理解不能。何故、リリィ様はマリアベルにマスターの加護は『淫魔女王プリムヴェール』であると語ったのか」
「だって、そう言った方が、サリエルの人質としての価値も上がるでしょ?」
惚れた女が敵の男についた。その事実を、一体どれだけの男が正面から受け入れることができるだろうか。
邪悪な力によって洗脳されている、彼女は何も悪くない――そういった都合の良い希望を、あえてリリィはマリアベルへと与えた。
助けたいサリエルに、攻撃することはできない。それはマリアベルを相手にするにあたって、大きなアドバンテージとなる。また、マリアベルにサリエル救出の意思がある以上、それを見越して備え……罠を張ることもできる。
「利用できればラッキーくらいの、保険みたいなものよ」
「流石はリリィさん。よくもそんな悪辣な精神攻撃を、あの土壇場でかませるものですね」
「流石はリリィ様。常人では思いつかない、見事なほどに卑劣な戦術です」
「うふふ、そんなに褒めないでちょうだい」
皮肉の応酬を華麗に交わしつつ、リリィは話を先に進める。
「ともかく、クロノの捜索と並行して、次の使徒襲来に備える必要があるということよ」
「装備とコンディションを整え、使徒の目撃情報なども集めるということですか」
「それだけじゃ不安だから、手っ取り早く戦力増強がしたいわ」
「傭兵でも雇いますか?」
「それもアリだけど、試してみたいことがあるの」
「リリィさん、何か策があるのですか」
「このカーラマーラは、古代遺跡よ。それも、まだ生きている」
カーラマーラが古代遺跡の機能を利用して成り立っている特殊な都市である、という情報はロックウェルに居た段階で仕入れることができていた。
リリィとしては、精々、灯りがついていたり、近場を転移魔法陣で行き来できる、程度の機能が使えるくらいだろうと思っていたし、話で聞いた限りでも、そういった内容しかなかった。
だが、実際にこの街に足を踏み入れた瞬間に、リリィは気付いた。リリィだからこそ、気付くことができた。
「上手くいけば、カーラマーラという都市が丸ごと手に入るかもしれない。だから、まずは最初の目的通り、オリジナルモノリスを確保するわ」
2019年3月1日
前回の告知しましたが、念のためにもう一度。
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