第702話 残された逃げ場
ドン、ドンッ! と乱暴にアパートのドアが叩かれる。
「オイ、ここにいるんだろうがガキ共が! さっさと開けやがれ!!」
「自分らが何やったか、分かってんだろうなぁ! ガキだからって容赦しねぇぞコラァ!!」
防音性の欠片もない、薄い壁にボロい扉。情け容赦のないヤクザ染みた怒声が部屋いっぱいに響き渡る。
「う、うぅ……レキ姉ぇ……」
「ウル姉ちゃん、こ、怖いよぉ!」
突然の騒ぎに、子供達はほぼ一斉に泣き出す。最年長のクルスですら、あまりに分かりやすいギャング共の復讐に、オロオロとして涙目だ。
これなら、一番歳下のリリアンなんか恐怖のあまりに泣きわめき始めても、
「うー」
とか言いながら、リリアンは真っ先に俺の胸に飛び込んできては、ここが定位置だとばかりに首へとしがみつく。こうなれば仕方ない、抱っこせざるをえない。
俺が抱えて助け出したことで、ここが安全地帯だとリリアンは思っているのだろうか。まぁ、変に泣き叫んでパニックを起こされるよりは、よっぽどマシだろう。
「ウルスラ、こういう時の逃げ場に、心当たりはあるか?」
「ご、ごめんなさい……私が甘かったの。こんなに早く、奴らが来るとは思わなくて」
「ヘイ、どうしてレキには聞いてくれないデスか?」
ウルスラを責めることはできないだろう。子供だけで、ギャングに攫われた子を奪い返そう、なんていうそもそも無茶な作戦を決行したのだ。相手の対応を見越した、完璧な計画など立てられるはずもない。
「クロノ様ぁー、なんでウルにだけ聞くデスかー?」
「……レキは何か、いい案があるか?」
「イエス! ここで奴らを返り討ちしてやるデス!」
「それはダメだ。奴らは松明に油も持ってきている。中には魔術士らしき奴も混じっていた。ここで戦えば、火をかけられる」
火事になれば、部屋の中にいる子供達の命はない。籠城は、簡単に敵に破られない頑強な城があってこそ。こんな火を点ければあっという間に全焼しそうなボロアパートでは、どうしようもない。
「そ、それじゃあ、どうすれば……」
「ダンジョンに潜る。第一階層のセーフエリアに逃げ込もう」
「えええっ、だ、ダンジョンに行くんですかっ!?」
堪らず、と言った様子でクルスが叫ぶ。
あそこはゾンビがウロつく危険地帯。戦う力を持たない子供からすれば、地獄も同然である。
「今はゾンビよりも、奴らの方が厄介だ。襲撃を逃れるなら、ダンジョンに籠るしかない」
カーラマーラの大迷宮、第一階層『廃墟街』について、今日の帰りがけに色々とウルスラから説明は聞いている。
物資のリポップ現象により、大量の収穫が期待できる第一階層がダンジョンとしてそのままでいられるのは、完全に制圧するのは不可能だからだ。冒険者パーティ、と呼ばれる少人数の編成であの街を探索するなら、さほど問題はない。
しかし軍隊のような大人数でもって繰り出せば、それに反応したように、どこからともなく無数のゾンビ軍団が発生するようだ。つまり、ある程度以上の人数でダンジョンに踏み入るのは自殺行為である。
そうでなくても、普段からゾンビがそこら中を徘徊している。少なくとも、今このアパートを取り囲んでいるような、ギャングの下っ端共が群れを成してやって来ることは防げるはずだ。
「で、でも、危ないですよ……ダンジョンの中なんて、子供達だっているし」
「今だけ、一時的に避難できればいい。後でもっと安全な場所を探す」
「そんな、この街に安全な場所なんて、どこにも……」
「クルス、止めるの。クロノ様の言う通りにする」
「大丈夫デス、クロノ様なら、絶対にみんなを守ってくれるデスから!」
レキの素直なプレッシャーが重い。けど、乗りかかった船だ、やってやるしかないだろう。
「コラぁ! 出て来いやオラァ!!」
扉の前に来ているギャングは、今にも蹴破って部屋の中へ踏み込んできそうな雰囲気だ。これ以上、悠長に相談している時間は残されていない。
「レキ、ウルスラ、クルス、子供達をしっかり連れて、ついてきてくれ。道は俺が切り開く」
「オーライ! さぁ、みんな、行くデスよ!!」
こういう時の、レキのみんなを引っ張る力は凄い。恐怖に怯える子供達も、レキの自信満々な笑顔と言葉に、震えながらも立ち上がる。
「クルス、持てるだけの荷物は持って」
「う、うん、夜逃げの準備はしていたから、そこにまとめているよ」
思いのほかスムーズに逃走準備を整えている子供達を尻目に、俺はリリアンを抱えたまま、ドンドンと叩かれまくる玄関の扉へと向かう。
「あー、すみません、部屋間違ってませんか?」
とりあえず、言うだけ言ってみる。
「ああ? バカかテメぇ、ここに船長を殺ったガキ共が住んでんのは知ってんだよ」
「ガキの声じゃねぇ……ってことは、テメーだな、船長を殺した奴隷野郎ってのは」
「さぁ、何のことか、全然分からないっすね」
うーん、やっぱり奴らは確信を持ってここに襲撃をかけている。今日の昼間にリリアン奪還が起こって、夜には襲って来るとは、レキとウルスラの計画は事前に向こうに漏れていたと考えるべきか。
俺が介入したせいで船長はあえなく死んだワケだが、それでも二人の身辺調査の情報を元に、この素早いお礼参りが可能となった、といったところか。何にせよ、口先でしらばっくれるのは、不可能だな。
「オイ、大人しく出て来れば、まぁ、ガキ共の命くらいは助けてやってもいいぜ」
そりゃあ、ただ腹いせに殺すより、奴隷として売り払った方が金になるだろうからな。船長を殺した犯人の俺だけブチ殺せば、ギャングとしてのメンツも保てるし。
「分かった、今、出て行く」
チラリと振り向き見れば、見事に荷物をまとめて子供達の整列が完了している。さぁ、行くか。
「へへっ、腰抜け野郎が、完全にビビってやがる」
「いいじゃねぇか、その方が仕事も楽に終わ――ぶげっ!?」
想いきり扉を蹴り飛ばし、向こうに立つ二人組のギャング野郎どもをブッ飛ばす。
蹴破った玄関を抜け、外に出て見れば……おお、いるわいるわ、お前らそんなに暇なのか、と思うほど、厳つい野郎共が集まっていた。
「退けよお前ら、楽しいピクニックの邪魔だろうが――『全弾発射』」
こんな子供を相手に、いい大人が殺意をみなぎらせて大挙してきているんだ。容赦をしてやる義理はない。
あらかじめ形成しておいた黒色魔力の弾丸を、群れるギャング共に向かって浴びせかけてやる。
頭上から降り注いだ弾丸の雨に、俄かに上がる血飛沫と悲鳴。バタバタと仲間が倒れてゆくのを、何が起こったのか分からず呆然とする者や、魔法による遠距離攻撃と察して、即座に物陰へ逃げてゆく奴、反応は様々だ。
これだけ頭数が揃っていて、誰も俺の弾丸を防げなかったことから、ここに集まっている奴らはほとんど素人みたいなものだろう。俺のような実験体と同程度に魔法を使いこなす者なら、こんな弾丸程度で勝負はつかない。
「命が惜しければ、道を開けろ――『ガトリングバースト』」
右手を掲げて、黒き弾丸を連射する。
恥ずかしながら、『全弾発射』は最初に弾丸を作っておかなければ行使できない、開幕ぶっぱ専用の魔法である。
マシンガンのような猛烈に連射する攻撃を行うと、他にストックできるほど弾丸を生成する余裕がなくなる――はずなのだが、妙に調子がいい。
全身にみなぎる黒色魔力に、右腕に集約してくる魔力の流れと密度。調子が、というより、明らかに俺の魔力と魔法を行使する能力が上がっている。
「記憶は忘れても、鍛えた体は裏切らないってか」
どうやら、レキとウルスラの語った話の他にも、俺はそれなり以上の戦闘経験を積んできたようだ。自分でも信じられないほど、力がみなぎる。これなら、今の俺が行使する黒魔法よりも、遥かに強く、多彩な能力を発揮できそうだ。
もっとも、数だけ集めたギャング連中には、この黒魔法の弾丸で十分そうだが。
「廊下と階段の敵は排除した。もう出て来ていいぞ」
すでに、アパートに乗り込んできた奴らは片付けた。狭い廊下と階段で、身を隠せる場所もない。そんなところに詰めかけた奴らなど、いい的でしかない。一方的に弾丸を浴びせて、大半は血の海に沈んでいる。
アパートの外に陣取っている奴らは、俺が途切れることなく弾丸を撃ち続けていることで、すっかり路地裏や建物影へと退避していった。よし、お前ら、そのまま顔を出すんじゃないぞ。
射撃を継続しながらギャング共を牽制し、子供達がアパートから出てくるのを待つ。
「さぁ、行くデス!」
「慌てなくていいの。転ばないように、ゆっくり歩いていい」
引率の先生が如く、そしてボディガードのように、レキとウルスラが子供達を先導して出てくる。
子供の人数は10人。男児5人、女児5人の半々で、その内の最年少であるリリアンは俺の腕の中にある。
残り9人の子供達は、それぞれ二人組で手を繋ぎ、二列縦隊となっている。先頭には魔法が使えるウルスラが立ち、後ろに子供達が続く。リリアンの次に幼い男の子とクルス少年が手を繋いで列の一番後ろ、そして、その背後である最後尾に剣と斧を抜いたレキがつく。
ただでさえ、歩く速度の遅い子供だ。そこら辺に俺が射殺したギャング共の死体がゴロゴロ転がっているので、かなりおっかなびっくり、といった様子で廊下を進み、階段を降りてゆく。
それでも、誰も大声で泣き出したり、パニックにならないことを思えば、立派なものである。いや、ある程度こういう命の危機というのを、経験してきたからこそでもあるだろう。
そういう思いをしてきたこの子達のことを思うと、彼らの勇気ある行動を素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「さっき通ってきた道で行けばいいんだよな?」
「うん、それが最短経路なの」
幸い、ダンジョン入り口の施設とこのアパートまでの道順はそれほど複雑なものではない。一度歩けば、十分に覚えられる。
俺は黒魔法の射撃で、今にも建物の影から飛び出してきそうなギャング共を牽制しつつ、ゆっくりと歩き始めた。
小さな子供を連れて進む以上、慌てて走っていくワケにはいかない。じれったいが、落ち着いて、敵を近づけさせずに進むより他はないだろう。
ジリジリと牛歩の歩みでアパートから歩いてゆく俺達だが、流石に、こんな遅さで動いていれば、向こうも対応してくる。
「ちっ、射手に魔術士か」
俺達が歩く通りに面した建物の屋上や、上階の窓辺、あるいは非常階段らしき場所に陣取って、遠距離攻撃手段を持つ奴らが配置についているのを視界に捉える。
俺の立ち位置から、直接狙って撃てる奴もいるが、全員ではない。窓辺にいる奴が厄介だな。
「クロノ様、攻撃魔法なら私の『白夜叉姫』で防げるの。弓矢だけ何とかしてくれれば大丈夫!」
「了解だ――行け、『自動剣術』」
影の中に、剣は沢山ある。使いたい放題だ。おまけに、丁寧に黒化も済んでいる。
『自動剣術』は、黒化させた武器を念力のように手で触れずに操作する黒魔法だ。物ぐさな魔法と言うなかれ。手で握らなくても剣を操れるのは、死角への対処や、正確に追尾できる遠距離攻撃としても非常に有用だ。
機動実験で武器を持つ人型モンスターと戦う時は、多対一が基本だった。相手の武器を奪い、『自動剣術』で手数と攻撃範囲を補うのは、乱戦を生き残るのに大いに役立ってくれた。
だから、こういう時にもコイツは効果を発揮する。
俺の意思に従って、黒化を果たした長剣は鳥のように空へ飛び出し、それぞれの軌道をもって卑劣な狙撃者を貫きに行く。
こういう遮蔽物が邪魔で、弾の射線が通らない地形でも、ラジコンのように意のままに操って飛ばせる『自動剣術』は非常に便利だ。物陰に隠れる程度では、自在に宙を舞う黒化剣の刃からは逃れられない。
「おまけに、ちょうどいい盾もあるしな」
量産品といった大量の長剣の他に、異様な大きさを誇る肉厚の大剣が5本もある。コイツをかざせば、それだけで頑強な盾となる。
こんなにデカいと操作に支障が、という心配は瞬時に払拭される。
どうやら、シンプルに無骨な見た目に反して、驚くほどに俺の黒魔法で操るのに相性が良い。コイツは間違いなく、黒魔法で行使することを前提とした設計になっている。
巨大な刃に、それに見合った超重量を誇る5本の大剣でありながら、気持ちがいいほど軽やかな操作性。よくやった昔の俺、いい武器持ってるじゃあないか。
「守備は万全だ、このまま進むぞ」
「了解デーッス!」
立ち塞がる敵は弾で蹴散らし、隠れ潜んで狙う奴は剣で刺し、飛来する攻撃は全て五本の大剣が盾となって子供達を守る。
攻守を常に同時並行で行っているが、黒魔法の行使には余裕すら感じられる。俺の認識では、これだけ使用すればわりと精一杯だった気がするのだが……想像以上に、俺の体は強くなっているようだ。今の力がどれほどのものか、俺自身にも底が見えない。
全く身に覚えがない、まるでギフトのように授かった力にも感じるが、今はありがたく使わせてもらおう。自分の命に加えて、他にも沢山、命を背負ってしまったのだ。
そうして俺は油断なく、そして敵に対しては情けもかけず、全力で子供達を守りながら突き進んでゆく。立ち塞がる奴は、容赦なく殺す。
無関係の通行人が道を横切ることもない。こうした荒事は、スラムの住人には慣れたものなのか、みんな家の中で息を潜めているようだ。そりゃあ、こんな死者続出の抗争が起きれば、黙って過ぎ去るのを待つのが賢明。まして、憲兵という警察が役に立たないのであれば尚更。
だから、薄情とは言うまい。誤射の危険性がないって方が、俺にとってはありがたい。目の前の奴が全員敵ってのは、分かりやすくていい。
「――へへへっ、浅はかなガキ共だぜ。まさか、本当にダンジョンに逃げ込もうとするなんてなぁ」
辿り着いたダンジョンへの入り口となる施設、そこに待ち構えていた大男も、当然、敵であった。
何か喋っているが、とりあえず邪魔なので弾丸を浴びせかける。
「はっはぁ、効かねぇぜ! 俺はそこらの雑魚とは格が違ぇからよ」
なるほど、着こんだ全身鎧は伊達ではないってことか。
ブリキのバケツみたいなフルフェイスの兜をかぶり、重厚な鎧を身に纏う姿は、薄汚れた私服や皮鎧のような軽装だったギャング共と比べれば、明らかに気配は異なる。
巨大なハンマーで武装しており、彼が己の腕力を誇るパワーファイターであることを窺わせた。
「クロノ様、あの鎧兜はシルヴァリアン・ファミリア専属の用心棒なの」
俺の後ろにつくウルスラが、小声で教えてくれる。
「強いのか?」
「あの鎧は魔法防御も備えているし、ハンマーも魔法の武器。実力は冒険者ランク4相当のはず」
ランク5らしい俺が戦って負けることはないはずだが、少しでも手こずれば、子供達が危ない。
ケリをつけるならば、速攻が望ましい。
「かかってこいよ、この俺が直々に相手をしてやるぜ」
ハンマーを構え、堂々と俺の前に立ちふさがる鎧男。
後ろからは懲りずにギャング共が追いかけてきているし、奴の周囲にも取り巻きのように何人もギャング野郎が控えている。
一対一の勝負、みたいな雰囲気を醸し出しているが、子供達を逃す気はサラサラないのが嫌でも感じられる。
まぁいい、相手が少しばかり固くなっただけのことだ。叩き潰して排除することに、変わりはない。
「――ぶっ潰せ」
子供達の盾代わりに使っていた五本の大剣、それを全てハンマー野郎へと放つ。小細工ナシ、五本まとめて真正面から全力で叩きつける。
「なっ、速っ――」
ゴシャアアアアン!! と盛大に重い金属同士がぶつかり合うクラッシュ音が響き渡る。
よほど防御力に自信があったのだろう。ハンマー野郎は回避する素振りすら見せず、馬鹿正直に5本もの大剣を喰らい、そのまま吹き飛んで施設の石壁にめり込んだ。
トラックが突っ込んできたような音と振動をまき散らして、5本の大剣がハンマー野郎を壁に磔、いや、原型を留めぬスクラップと化した。
刃の殺到した上半身は黒き鋼鉄の質量に完全に叩き潰され、ひしゃげた鎧の隙間から真っ赤な血が漏れ出ている。一方の下半身は、ほぼそのまま。痙攣しているのか、ビクビクと足の先だけが僅かに跳ねていた。
それとなく、俺は胸の中に抱えたリリアンの顔を手で覆って視界を塞いだ。今更かもしれないが。
「行くぞ、ダンジョンはもう目の前だ」
「流石はクロノ様。その容赦の欠片もないところが素敵なの」
褒められているんだろうか。まぁ、悪い気はしないのでいいか。
ハンマー野郎が引き連れていたギャング共は、頼りにしていた用心棒が瞬殺されたせいか、明らかに俺へ挑むのに二の足を踏んでいる。そのままそこでブルっていればいい。手間が省けて楽だ。
そうして、沈黙するギャング共を尻目に、俺達は魔法陣を潜り抜け、ゾンビが徘徊するダンジョン第一階層へと無事に辿り着くのだった。
2019年2月22日
コミック版『黒の魔王』第一巻、本日発売です!
コミカライズの連載は最初の3話と最新話を除き、期間限定となっています。読み逃してしまった方は勿論、もう一度読みたい、あるいは本棚にコレクションしても良いぜという方は、是非ともお願いします。