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黒の魔王  作者: 菱影代理
第36章:最果ての欲望都市
702/1048

第701話 記憶喪失(2)

「あー、これは絶対、記憶喪失だわ……」

 俺が編み出した黒魔法には、影を起点として魔力で満たした空間を作り、物の出し入れや保管ができる、いわば空間魔法と呼ぶような効果のものがある。とりあえず『影空間シャドウゲート』と名付けた。

 俺の記憶が確かならば、人体実験生活では一切の物品が与えられないので、『影空間シャドウゲート』に入れられる物は何もなかった。せいぜい機動実験の最中に、武器を使う人型モンスターを相手にした時、それを奪って利用するのに使ったくらい。

 勿論、戦闘終了後は奴らに全て没収されたが。

 ともかく、そんな実験施設を脱走して着の身着のまま船に忍び込んだ俺には、自分の所持品と言うべき物はない。

 だがしかし、今、何気なく『影空間シャドウゲート』を開いてみたら……出るわ、出るわ、見覚えのない品々が。

 テントや寝袋にランプなど、ほどほどに使い込んだ形跡のあるアウトドア用品一式や雑貨など。飲めば体力が回復する魔法のポーションみたいな、青白く発光する液体が満ちた瓶や、光り輝く白い粉、などの薬品類が結構な種類と量がある。

 薬品類は中々に高価そうなものばかりだが、それを買い支える資金力を証明するように、輝く金貨や銀貨がジャラジャラと沢山詰まった革袋が、一つ、二つ、三つ……これ、全部合わせると、一体幾らになるのだろうか。この異世界での通貨単位すら知らないのだが、多分、これはかなりの大金ではあるだろう。

 この辺までは、純粋に俺としても見知らぬ品々と貨幣、と言い逃れることもできるが、決定的に俺自身のモノであることを示す物品が、他に三つもある。

 まず一つは、武器。

 普通の人間では持ち上げることすら難しそうな重量を誇る、無骨な大剣。予備のつもりなのか、全く同じモノで、五本もある。

 他には、機動実験でも見かけたような、オーソドックスな長剣が百本近く。

 そして、この大剣と長剣の全てが、黒一色に染まっている。

 間違いなく、俺が手ずから黒色魔力を通して『黒化』させた状態である。

 二つ目は、眼鏡。

「ああーっ、コレはクロエ司祭の時にかけていた眼鏡デスよ!」

「瞳の色を変える変装用の魔法具マジックアイテム、『カラーリングアイズ』に間違いないの」

 やはり俺には見覚えのない眼鏡だが、この二人にとっては違った。件の開拓村で司祭のフリをしていた頃に、俺はこの眼鏡をかけて目の色を誤魔化す変装をしていたという。

 そして最後は、白銀に輝く一枚のカード。

 ギルドカードと呼ばれる、この世界における身分証明書の一種らしい。職業としての冒険者を示すギルドカードなのだが、これが影の中に入っていた。


名前・クロノ

ランク・5

クラス・『黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカー

パーティ・『エレメントマスター』


 その他、細々とした詳細情報なども小さく記されているが、このギルドカードにはハッキリと『クロノ』と俺の名前が明記されている。

「オゥ、グレートッ! ランク5冒険者のギルドカードなんて、初めて見たデス!」

「クロノ様の実力なら当然なの」

 ウルスラの説明によれば、冒険者は傭兵と狩人とトレジャーハンターの合いの子みたいな職業で、ランク5は最高位を示す、一国でもそう何十人もいない英雄的な地位なのだそうだ。

 レキとウルスラも、自分の腕を頼りに冒険者をやっている。だからこそ、憧れの地位である最高位ランク5のギルドカードを見て、大いに盛り上がっていた。

「ウル、これ、クラス名が二つ名デスよっ!」

「『黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカー』、素晴らしい。正にクロノ様に相応しい二つ名なの」

 頼む、お願いだから、そこに関して言及するのはやめてくれないか。

 このギルドカードの情報を真実とするならば、俺は自らを『黒き悪夢の狂戦士ナイトメア・バーサーカー』などという大仰な名前を自称して、冒険者活動をしていたということになる。

 マジかよ、何考えてんだよ俺は。そういうのは、文芸部で書いてたライトノベルの中でのみ許されるネーミングであって、まかり間違ってもリアルで名乗るような名前じゃないだろ。というか、二つ名って……

「……ん、まだ何かあるな」

 ゴソゴソと自分の影の中を漁っていると、一番底、とでも言うべき深い部分に妙な気配を感じた。

 ここだけ黒色魔力の密度が尋常じゃないというか、それ以上に、妙に危険な気配を感じる。何なんだ、ここには何が入っているのだろうか。

 自分のモノのはずなのに、おっかなびっくり、俺はその部分を引き出すと――

「うおおおっ、なんだコレ!?」

 勢いよく飛び出してきたのは、巨大な鉈だった。

 身の丈ほどもある刀身は、大剣と言う方が正しい気もするが、俺は見た瞬間にコレが鉈だと思ってしまった。

 で、その大剣サイズの巨大鉈は、刃は漆黒に染まり、血管のように赤い光が走っては不気味に輝いている。そして何より、刀身から迸る目で見えるほどの濃密なオーラ。

 異世界素人の俺でも分かる。この鉈は普通じゃない。

「ウォーウ、なんデスかこのデンジャラスソード!?」

「こ、これは絶対に呪いの武器なの! クロノ様、とにかくコレは危ないから早く仕舞って!!」

「お、おう」

 魔力を振り絞って、ズブズブと影の中にヤバい鉈を再び沈める。

 コイツ、そんなに外へ出たいのか、凄い抵抗感だ。なかなか影の奥底へと引っ込んで行かない。

 だが、そこは力技。どうにかこうにか、鉈があった影の一番深い場所へと押し込むことに成功した。

「呪いの武器、か……なるほど、コイツには何か強烈な意思みたいなのを感じた」

「そう、呪いの武器には怨念が宿っているから、一度握ってしまうと呪いの意思に支配されてしまうの」

「如何にもソレらしい効果だな。呪いに操られたらどうなるんだ?」

「大抵の場合は、所有者が発狂して死ぬか、自我を失って人々を無差別に襲うようになる」

「触らなくて正解だった」

 見たところ、この鉈は呪いの武器の中でも相当に強力なヤツだと思われる。

 感じた力から、呪いの武器も黒色魔力をエネルギー源としているようだから、俺と相性は悪くなさそうな気もするが……ちょっとコイツを制御できる自信はないな。

「クロノ様、そんなのを影の中にインしてて大丈夫デスか?」

「とりあえず、今は大人しくしているようだ。けど、こんな危険物をずっと持ち歩き続けるのも不安だな」

「かなり強力な呪いの武器だった。多分、どこの武器屋でも買い取りは拒否される」

「マジかよ……じゃあ、どっかに捨てていくか?」

「別な誰かが拾えば、まず間違いなく死人が出る」

 果たして、それは拾った奴だけが発狂して死ぬか、それとも鉈にとり憑かれて他人を襲うか。どちらにせよ、ロクな結末にはなりそうもない。

 誰にも見つからないような場所に隠したり、埋めたりしても、意思を持つという呪いの武器なら、何かしらの方法で人を引き寄せかねない気もする。

 売却もできない。捨てることもできない。確かに、コイツは呪われていやがる。

「……仕方ない、処分法が分かるまでは俺が責任もって管理しておく」

「問題を避けるなら、それしかないの」

 今のところ、影の中に入れておけば大丈夫そうでもある。

 俺もいきなり人を殺したくなるような気持ちにもなってないしな。こうして所持しているだけなら、問題はないだろう。

「――まぁ、呪いの鉈は置いといても、俺が記憶喪失らしいという証拠はこうしてザクザク出てきてしまったワケだ」

 俺の名前が書かれた身分証明書に、俺が使ったことが明らかな武器の数々。

 どうやら、俺はパンドラ大陸行きの船に乗った後、そこからの記憶が完全に途絶えているようだ。

 どう頭を捻っても、俺には今日の昼間に奴隷商船で目覚めたとしか思えないのだが、この間には相当な期間の開きがある。それこそレキとウルスラが語ってくれた、クロエ司祭を名乗って開拓村で生活していた時期も、正にこの失われた記憶に含まれる。

「しかし、どうしたもんか……」

 今後の身の振り方に、ますます悩まされる。

 俺はただ施設を脱出してきた自由の身ではなく、冒険者として相応の期間、このパンドラ大陸で活動していたようだ。アウトドア用品一式や、やけに充実した薬品類も、ダンジョンに出向いてモンスターと戦うことを基本とする冒険者なら、持っていて当然の装備である。

 この全く身に覚えのない品々が、どうしようもなく俺の冒険者活動を示す。

 そして何より、パーティ『エレメントマスター』と書かれているのは、俺には共に冒険者をしている仲間がいるようだ。

「まずは、この仲間を探してみるか……?」

 だが、こうして顔も名前も全くピンとこない、失われた記憶の闇に葬られてしまっただろう冒険者仲間と再会できたところで、俺は全てを思い出すことができるのだろうか。

 レキとウルスラ、かつての俺と出会ったという二人の少女と、こうして言葉を交わしても、俺は全く記憶の欠片も思い出せないというのに……

「クロノ様! まずはレキ達と一緒にいるデス!」

「忘れた記憶は、これから少しずつ取り戻していけばいいの」

「ああ、そうだな。それしかないか」

 ここで悩んでいても、仕方がない。むしろ、レキとウルスラ、俺を知る二人とこうして出会えたことは奇跡的な幸運といってもいい。

 まぁ、何とかなるだろう。ひとまず、そう楽観的に思うことにしよう。

「ともかく、今はあまりのんびりしているワケにも行かないんじゃないのか?」

「うん、まずは早く部屋に戻るの」

「みんなが帰りを待ってるデス!」

 家族か、他に仲間でもいるのだろう。ひとまず、俺もこのままレキとウルスラにくっついて行くしかない。

「それじゃあ、そろそろ出発しようか」

 俺は再びリリアンを抱っこして、セーフエリアを後にした。




「ふぅー、やっと戻ってきたデーッス!」

「まだ夕方……驚異的なペースなの」

 どれだけの広さがあるのか分からない広大な廃墟の街だったが、出てくるのはほとんどノロノロゾンビで、たまに走る奴とか、毒を吐く奴とか、ちょっとデカい奴とか、あと、爆発する奴とか。そんなのばかりで、遭遇しても処理するのに手間はほとんどかからないからな。

 とりあえず、何千何万と凄まじい数で押し寄せてこない限り、対処するのに問題はない。

「それで、ここが本当のカーラマーラなのか」

 第一階層『廃墟街アンデッドシティ』、と呼ばれるダンジョンのエリアから、やはり魔法陣を通ってワープするように抜けると、だだっ広いロビーのような広間へと出た。無骨な石造りの建物で、あのダンジョンに出入りするための施設なのだとか。

 冒険者と思しき武装した人々や、一杯に荷物を背負った者など、なかなかの賑わいを見せている。

 子供の姿もちらほら見かけられ、レキとウルスラに幼児のリリアンを抱えた俺達に、特に注目が集まることもない。誰に絡まれることもなく、真っ直ぐ外へ出ると、そこにカーラマーラの街並みが広がっていた。

「なんか、思ってたより近代的な街だな」

 まず目についたのは、暮れなずむ夕日を背景に、そびえ立つ一際巨大なビル……いや、塔というべきか。

 巨大な円筒形に、螺旋を描くような外観は、その高さも相まって『バベルの塔』を連想させる。

「アレは『テメンニグル』。カーラマーラにとって、王城の代わりみたいなもの。街で一番の金持ちが住む、富の象徴でもある」

 なるほど、流石にバベルではなかったか。

 しかし、凄まじい建築技術だ。あのテメンニグル、高さは何百メートルあるんだろう。ほぼ街の中心に位置しているようで、周辺には他にも背の高いビルが立ち並んでいるが、テメンニグルは圧倒的だ。あの大きさに高さ、現代の地球でもそうはないだろう。

 しかし、俺にとって馴染み深く感じるのは、大きなビルの数々よりも、煌々と輝く電飾のような派手な看板に、目立つところに大きく掲げられたディスプレイだ。

 本当に電気で動いているのか、それとも異世界特有の魔力というエネルギーを利用しているのか。ともかく、光り輝く文字や絵に、交差点に面した建物の壁にかけられた大画面には、アイドルらしき女の子が歌って踊る映像が流されてゆく。

 うーん、あのアイドルの子、亜麻色のロングヘアで、ちょっと白崎さんと似ている感じの美少女だ。勝手に親近感が湧く……これがファン心理ってやつか。

 それにしても、剣と魔法の異世界まで来て、テレビ画面が見られるとは。

「クロノ様、思ったよりもリアクションが薄ぅーいデス?」

「こういう街並みは、俺の故郷でも似たようなところがあったから」

「やはり、異邦人の故国ニホンは、私達の世界よりも進んだ文明を持ってるの。とても興味深い」

 二人の話を聞く限り、この異世界での標準的な街といえば、俺が施設を脱出した後に通った、あの港町のような感じと一致する。いわゆる、中世ヨーロッパ風、という雰囲気がスタンダード。

「このカーラマーラが特別なのか」

「イエス、こんなにピカピカしてるところ、他の街では見たことないデスよ」

「この街は、まだ機能が生きている古代遺跡なの」

 あの電飾看板や屋外テレビは、現代の技術によるものではなく、古代遺跡の設備をそのまま利用しているらしい。

 というか、この異世界における古代遺跡って、現代よりも進んだ文明を誇った的な感じなんだな。それはまた随分、ロマンのある歴史である。

「そうか、便利なものだな」

「ノン、全然デス」

「古代遺跡の特殊な魔法設備を利用できるのは、中心街に住んでいる富裕層だけ。外周区、それもスラム同然の底辺地区にいるような私達には、ほとんど恩恵はない」

 レキとウルスラの表情が、割とシャレにならない感じで暗い。

 どうやら彼女達にとって、この煌びやかに輝くカーラマーラは、住みよい街ではないようだ。 

 ここには平気で子供を売り買いしている奴隷商人なんて奴らが跳梁跋扈しているのだから、当然といえば当然。

 治安の方もお察しだな。チンピラ男も、憲兵には金を渡さなければ働かないと言っていたし。警察機構が正常に機能しているとは、思うべきではないだろう。

「何だか、ダンジョンの中より街中の方が気が抜けない感じがするな」

 今の俺は、異世界生活を送った経験値が丸ごとリセット状態だ。つまり、俺には平和な現代日本での生活基準しかないわけで……まぁ、どんなところだろうと、あの実験施設よりはマシなはず。

 そう心を強く持って、俺はレキとウルスラに連れられて、繁栄とは無縁なスラム街を進んでゆく。

 歩を進めるごとに、スラム同然の底辺地区、とウルスラが言っていた意味を実感してくる。

 俺達が最初に出た、ダンジョンへの入り口となる施設周辺は、割と賑わいのある場所だったのだと実感する。少し奥へと進めば、薄暗い灰色の世界。

 ついさっき通って来た、廃墟の街と変わらない風情である。いや、こっちは生きた人間たちが住むだけあって、生々しい汚れと臭いが立ち込めている。

 浮浪者のような奴に、ヤクザみたいな連中もよく見かけた。人口自体は結構なものなのだろう。老若男女、それなりの人数が出歩いている。けれど、この辺にいる奴らで、小奇麗な身なりの者は誰一人としていない。

 嫌な雰囲気だ……なんて思うのは、現代日本で生まれ育った俺がお坊ちゃんみたいなもんだからだろう。

「クロノ様、ここなの。恥ずかしながら、狭くて汚いところだけど、我慢して欲しいの」

「大丈夫だ、文句は言わないよ」

「みんなーっ、ただいまデーッス!!」

 ウルスラの言う通り、築何十年か分からないボロボロの小さなアパートが彼女達の住処であった。レキは無事に戻ったことを大声で叫びながら、錆びついた鉄の階段をギシギシ言わせながら駆け上がり、3階の角部屋へと飛び込んで行った。

 部屋の中からは、沢山の子供達の声が響き渡る。どうやら、結構な人数の子供を抱えているようだ。

 レキの帰還と、リリアンを無事に助け出したということを早くも伝えているようで、室内は大盛り上がり。早く俺も顔を出して、リリアンをみんなの元に帰してあげるとしよう。

「それじゃあ俺も、おじゃまします」

 と、ウルスラと連れ立って部屋の玄関へと俺が入った瞬間、

「ヒッ……」

 押し殺したような小さな悲鳴と、息を呑む音。訪れる静寂、沈黙。

 それが、俺が姿を現した瞬間の、子供達の反応であった。

「ごめんなさい、クロノ様。少し待ってて欲しいの」

「ああ、分かった……」

 全てを察したようなウルスラの申し訳なさそうな視線に見送られて、俺は回れ右をして玄関を出る。バタンと閉じられる扉。

 どうやら、俺にはここへ入る資格はないようだ。

「……あ、リリアンは、みんなのところに戻っていいんだぞ」

「んー」

 抱えっぱなしだったリリアンに言うが、セーフエリアの時と同じく、俺にしがみついて離れる素振りをみせない。

 ああ、いい子だな。俺にも懐いてくれるとか、もうそれだけで天使だよ。

 そうして、俺はリリアンを抱っこしたまま、入出許可が下りるまでの虚しい時間を過ごすのだった。




「ソーリー、クロノ様」

「躾がなってなくて、大変申し訳ないの」

「やめてくれ、頭を上げるんだ。このままだとマジで俺が悪人に見える」

 唐突に現れた凶悪フェイスの大男こと俺に、子供達がビビって硬直事件を、保護者たるレキとウルスラが事情説明という名の説得をした後、ひとまず招かれることに相成った。

 部屋の中は2DKのような間取りで、子供達はリリアン含めて、ひとまず隣の部屋に移動してもらっている。が、みんなして顔を覗かせて、こっちの話に興味津々と聞き耳を立てている。

 特別、子供に聞かせられない話をするつもりもないので問題は無いが、純粋な好奇の視線が突き刺さるのは、それはそれでむず痒いものだ。

「あの、それで……こ、この人が、レキとウルスラが前から言ってた、えーっと、恩人のクロエ司祭、なんですよね?」

 おっかなびっくり、という形容がこの上なくピッタリな怯えた様子で俺に声をかけるのは、クルスという少年だ。

 利発そうな顔立ちをした、なかなかの美少年ではある。体の線は細く、これといって強い魔力の気配は感じられない。特別な力は持たない、ごく普通の少年だ。

 歳は14で、ここにいる子供達の中では最年長らしい。レキ、ウルスラと共に、まだ小さい子供達の面倒を見ている保護者役である。

 しかし、14歳といえば中学二年生。こんなに沢山の子供の面倒を見ているとは、年齢に見合わぬ重責だ。立派だと思う反面、この世界の大人は何をやっているんだ、と憤りも覚えてしまう。

「俺の名はクロノだ。クロエは偽名で、司祭でも何でもない」

「そっ、そ、そうですか……」

「そんなに怯えないでくれ。確かに、俺の見た目がアレなのは認めるが、これでも、君達の力になりたいと思っている」

「ど、どうも、ありがとう、ございます」

 うーん、これはクルス少年と打ち解けるには、しばらくかかりそうだな。

「早速だが、本題に入ろう。俺というイレギュラーはあったワケだが、捕まっていたリリアンは無事に助け出せた。この後は、どうする予定だったんだ?」

「元より、シルヴァリアン・ファミリアに目を付けられるのは想定していた。だから、明後日の朝に出向する船に密航して、カーラマーラを出て行くつもりなの」

「密航って、大丈夫なのか?」

「みんなの分の船賃がノーマネー」

 資金不足、という致命的な理由があったか。

 こんな子供だけで生活しているのだから、資金的な余裕などあるはずもない。

「俺の手持ちに結構な金貨がある。それを使えばどうだ」

「残念だけど、もう船に乗れる席は一つも残ってないの。大嵐が来る最終便だから」

 ちょうど今の時期から一ヶ月以上、カーラマーラのあるアトラス大砂漠には大嵐が吹き荒れる季節に入るらしい。

 凄まじい勢いで吹き荒れる嵐を前に、砂漠を進む船は航行不能であり、この時期は絶対に船を出すことはできない。

「なるほど、これは貨物船に忍び込んで密航しか、ここを脱する手段はないな」

 また船に乗るのか……俺としてはウンザリしてくるが、背に腹は代えられない。

「カーラマーラを出たとして、その先はどうする?」

「アダマントリアに戻るのが一番デスよ」

「もう馬車はないから、長い旅になるけれど……あの国なら、また暮らしていけるの」

 そもそもカーラマーラへ来た発端は、アダマントリアという国で暮らしていたら、リリアンが奴隷商人に攫われたからである。

 大事件ではあるが、これさえなければ、アダマントリアでの生活は割と安定していて、レキとウルスラの冒険者生活も順調で少しずつ暮らしも上向いてきたという。

「流石にアダマントリアまで戻れば、カーラマーラのギャングも追ってはこれないから、そこまで行けば安心できると思います」

 レキ、ウルスラ、クルス、保護者三人ともアダマントリアへ向かう、という意見で固まっているようだ。

「分かった、特に反対する理由はないな。ひとまず、俺もアダマントリアまでは同行する。それから先は、どうするかその時になって決めるよ」

 俺の失われた記憶は大いに気になるが、今は、差し迫った危機があるのだ。

 シルヴァリアン・ファミリアとかいうのは、クルス少年の説明によると、カーラマーラでは最大手のギャングだという。

 これでただ裏社会で幅を利かせているだけの連中ならばいいのだが、問題は奴らが表社会でも強い力を持つことだ。

 シルヴァリアングループ、という名前のカーラマーラにおいて二番手の大手商会。それが奴らの表の顔だ。

 この国では表と裏、どちらにおいても力がなければやっていけない。だから、商会であるグループと、ギャングであるファミリア、二つの顔をシルヴァリアンは持っている。

 そんな奴らに俺は手を出してしまったのだから、チンピラ男が言うように、この街にいれば狙われ続けることになる。とても平穏な暮らしはできそうもない。

 まずは命の危険がない安全な国まで退避してから、今後の事を考えよう。最悪、俺一人だけなら、仲間を探しにカーラマーラまで戻ってきてもいい。

 重要なのは自分の身の安全よりも、リリアンのような子供達だ。この子達に手を出されるわけにはいかないからな。

 こうして関わった以上、せめて安全な場所に行くまでは見届けなくては寝覚めが悪い。かつての俺を慕ってくれている、レキとウルスラのことも心配だしな。

「それじゃあ話も決まったことだし、そろそろ夕飯にしない? レキとウルスラとリリアンの帰りを、みんな待っていて、まだ食べていないんだよ」

「そんなに、気を遣わなくても良かったの」

「でもでも、レキはお腹空いてるデース!」

 三人の無事と帰りを祈って、子供達が待っていたと思うと、なかなかにいじらしい。いや、彼らにとっては、仕事の帰りが遅い父親を待つ、というような意味よりも、もっと深刻だ。

 レキとウルスラがリリアン救出に出向いた時、子供達はさぞ心配しただろう。その小さな胸の内を思うと、実に悲痛なものだが……今はもう、全てが無事に終わった。

 クルスの言葉で、遅めの夕食が始まる。

 三人が無事に帰って来たことで、彼らは日常を取り戻した。隣の部屋で様子を見ていた子供達も、ようやく夕食にありつけると、はしゃいでこちらへ雪崩れ込んでくる。

 無邪気な子供達の笑顔と声を聞きながら――俺は、ゾワリと悪寒を感じ取った。

「レキ、ウルスラ、今すぐ逃げるぞ」

 俄かに立ち上がり、鋭く発した俺の声に怯えてか、子供達は一様に押し黙った。

 怯えさせて非常に申し訳ないが、しかしこの状況下においては「何でもない」と安心させてやることはできない。

 俺は部屋にある小さな窓から、すっかり日の落ちて暗くなった外を見る。

「クソッ、奴らを甘く見ていた……」

 どこからともなく、不自然なほどに集まってくる男達。

 建物の影から、路地裏から、ゾロゾロと現れては、このボロアパートを囲むように動いている。

 暗い夜道でランプを灯しているが、その光に照らされて、奴らが手にした凶器が闇夜の中でギラリと輝いた。全員、何かしらの武器で武装している。そして、隠すことなく殺意をこちらの方へと向けていた。

 まず間違いなく、シルヴァリアン・ファミリアの連中だろう。

 早すぎる。まさか、もうお礼参りにやって来るとは――

 2019年2月15日


 鉈先輩が影の中に入っているのは、私がミサ戦で武器が散乱したことを忘れたワケではありませんので、ご安心ください。


 コミカライズ『黒の魔王』単行本第1巻が2月22日、発売です。どうぞよろしくお願いします!


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