第698話 リスタート
ゴウン、ゴウンという、酔いそうな揺れの中で、俺は目を覚ました。
「ぐっ、うぅ……」
寝覚めは最悪。酷い頭痛がする……けど、あのリングよりかは遥かにマシだ。耐えられないほどじゃない。未成年の俺に経験はないが、二日酔いってやつはこういう感覚なのだろうか。
ああ、クソ、頭がロクに回らない上に、視界もどこかボヤけていやがる。本当に、酔っ払っているワケじゃあないよな、俺は。
「はぁ……」
最低の寝起きで、うんうんと唸りながら、ようやく周囲の状況を確かめる。
薄暗く、カビ臭い、狭い部屋の中。断続的に感じる揺れは、ここが船の中であることを窺わせる。
深く霧がかかったような寝ぼけた頭で、少しずつ、自分の今の状況を思い出す。
「まだ、パンドラには着いてないのか――」
俺はあの悪夢の実験施設を逃げ出し、パンドラ大陸というらしい、別な大陸へ向かう船へと乗り込んだ。
とりあえず、こうして俺がまだ無事に船に乗っていられるということは、あの第七使徒サリエルとか名乗ったアルビノ美少女の超ヤバイ強さの奴に、追いつかれたワケではないので一安心できる。
奴らの人体実験のせいで、特撮ヒーローのように超人的な戦闘能力を俺は得たが、それでもアイツには全く歯が立たなかった。この異世界で、自分の力を過信するのは危険だ。まぁ、こうして脱走が成功した以上、あのサリエルと会うことは、もう二度とないだろうが。
などと、目に見える危機が去ったことを安心している場合じゃない。俺は、ふと気づいてしまった。
「――ん、どこだ、ここ」
気づかない方がおかしいと言うべきか。
俺が乗り込んだのは、確かに船で、薄暗くカビ臭い船倉へ潜り込み、船員に見つからないようリンゴみたいな果実の詰まった木箱の中に、黒魔法を駆使して隠れ潜んでいた……はずなのだが、目の前の光景が、俺の記憶にあるものと全く一致していない。
まず、俺は木箱の中で寝ていたはずだ。なのに、箱もリンゴもどこにもない。
周囲は小汚い板張りの小部屋で、とても倉庫には見えない狭さ。圧迫感すら覚えるここは、まるで牢屋のような……というか、ドアの代わりに鉄格子になってるんですけど。
もしかしなくても、ここは牢屋のようだ。
だが、感覚からして船に乗っていることには間違いなさそう。ならば、俺は寝込んでいる間に、船員に発見されて不審者として捕まったのか……
「いよう、起きたのかい、兄ちゃん」
ぶしつけにかけられた声に顔を上げれば、錆びた鉄格子の向こうに、一人の男が立っていた。
如何にも町のチンピラです、みたいな風体の奴だ。日に焼けた肌に、小汚いシャツから覗く腕には雷みたいなタトゥーが掘られ、耳にはギラギラとピアスが幾つもついている。だが、猿のような顔に、ヒョロイ体つき、身長もそれほど高くはない平均的。パっと見て、あまり強そうには見えない。
だが、サリエルの例もある、油断はするまい。
「誰だ、お前は」
「オイオイオイ、それはこっちの台詞だるぉー?」
どこまでも軽薄に言いながら、チンピラ男は牢屋へと近づいてくる。
「へへへっ、なぁ兄ちゃん、アンタ一体どんなヘマやらかして放り出されてたんだ?」
「なんだと」
「アトラスの大海原のど真ん中で、そのボロい格好で漂ってんだ。ツイてたなぁ、兄ちゃん、俺らが見つけるのがもうちょい遅かったら、とっくに溺れ死んでるぜ」
どうやら、俺は海に放り出されていたらしい。
不審者と見て、必ずしも拘束するとは限らない。怪しい奴は即処分という判断を下されても、この中世っぽい世界ではおかしなことではなさそうだ。
それにしても、そこまでされても目が覚めなかったとは、俺はどれだけ深く眠っていたんだ。あるいは、下手に抵抗されないよう、睡眠の魔法でもかけた上で海に捨てられたのか。
いや、しかし、その割には、服装も変わっている。俺は実験体に着せられる白い衣服と下着のみで、マスク共を殺しながら脱走したお蔭で返り血でドロドロになっていた。
けれど、今は多少汚れてはいるものの、シャツにズボンというシンプルな格好となっている。
無論、俺が自分で着替えた記憶はない。まして、あの船の船員が、これから海に捨てようという不審者を、わざわざ着替えさせるのもありえない。
どうにも辻褄の合わない状況に違和感が募るが……俺が海を漂っているところを、この船が拾ってくれたのは紛れもない事実であるようだ。
「俺を、助けてくれたのか」
「あぁー、いいって、礼はいらねーぜ。自分がこれからどうなるかは、まぁ、見りゃあ分かるだろ?」
いやぁ、困ったことに、それが全然分からないから困惑している最中なのだ。
「とりあえず、牢屋から出してくれないか? 俺は怪しい者じゃない……と言っても信じないだろうが、そちらに危害を加える意思はない。助けてくれたのなら、ちゃんとお礼もしたい」
「おい兄ちゃん、頭大丈夫か? マジで言ってるなら、あー、もしかして、実はすげーお坊ちゃんなのかぁ?」
どうやら、俺はとても見当違いな発言をしたらしい。
ということは、彼は、いや、俺を海から助けたというこの船の連中は、単なる善意で救助したワケではないのだろう。
「……俺をどうする気だ」
「そうだなぁ、ただの労働奴隷じゃあ二束三文だけど……兄ちゃんスゲー体してるからな。そんだけ強そうなら、適当に吹かせば剣闘奴隷でイイ値がつきそうだぜ」
なるほど、奴隷ときたか。
俺がこの魔法のある異世界について知っていることは、あまりに少ない。大半はあの白い研究所で過ごし、つい先日、そこを脱走してきたばかり。船の停泊していた港町を通って来た限りでは、少なくとも現代的な文明の気配は見られなかった。
夜の町を照らしていたのは電気ではなくランプの光だったし、車の代わりに馬車が走っている。
アレは正に、中世風ファンタジー、という使い古されたフレーズが似合う街並みだった。
もし、その見た目通りの文明度であるとすれば、奴隷制度が現役でも何らおかしくはない。海で拾った、ガタイのいい謎の男。いい値段で奴隷として売れるなら、気軽に拾ってもいいだろう。まして、人を閉じ込めておくのにうってつけな、牢屋まで備えた船に乗っているならば。
「お前らは、奴隷商人なのか」
「あったり前だろぉ? わざわざ牢屋のある船に乗ってるなんざ、それ以外に何があるってんだよ」
だから、お前もイイ値段で売れてくれよ、などと言いながら、チンピラ男は腰から下げた皮袋を手に、グイっとあおる。多分、酒でも入っているのだろう。
「この船はどこに向かっている」
「ちょうどカーラマーラに帰るところさ。もうすぐ港につく。その間の短い付き合いだが、よろしくな、兄ちゃん。もしアンタが剣闘奴隷として成功したら、俺ファンになってやるからよぉ――」
などと、何が楽しいのか、チンピラ男は皮袋の酒をチビチビ飲みながら、勝手に俺へと喋り続ける。
まだほとんど状況が分からない俺は、少しでも情報を得るため、チンピラ男の酒飲み話を、適当な相槌を打ちながら、大人しく聞くことにした。
だが、有益な情報はたいして得られなかった。どこそこの店の飯が美味いとか、酒が安いとか、ちょっとでもイイ女は値段が跳ね上がって手を出せないとか。それから、この奴隷商船の船員に対する愚痴。
どうやらチンピラ男は、船員の中でも下っ端のようである。
そして、コイツは先輩達の目を逃れて仕事をサボるために、見張りの名目でここへやって来ては、水で薄めた酒を飲んでいるのだとか。
おい、チンピラ男の事情に詳しくなってどうするよ。こんな奴のことより、俺はまず自分自身のことを心配しなければ。
「逃げ出した先で、また別の奴らに捕まるとは、間抜けな話だな……」
お喋りなチンピラ男が去って行った後、一人残された俺は、そんなことを呟いた。
「けど、あのマスク共よりはぬるくて助かった」
牢屋にいる、と気づいてから真っ先に俺が確認したのは、拘束具の存在だ。
手首には手錠のような鎖で繋がれた枷がかけられている。たったそれだけ。頭には人を洗脳操作するような悪魔的なリングはないし、他にも妙な魔法をかけられたりした形跡はない。
勿論、この手枷も単なる鉄製で、魔法を封じるとか、爆発するとか、電撃が流れるとか、そういう特殊機能は一切ない。ちょっと力を籠めれば、簡単に壊せる程度の安物だ。
牢屋の鉄格子も、予算をケチったのか細い鉄骨で、試しに握ってみれば、楽にグニャリと曲げられる。捕まっているこっちが心配になるほどの脆さだ。
ともかく、逃げようと思えばいつでも逃げられるザルな拘束はありがたい。
船はまだ海の上を走っているようだから、今すぐ脱走して暴れても仕方がないだろう。ここは、港に着くまで大人しく待つべきだ。
そういうワケで、俺はこのまま小汚い牢屋の中でゴロ寝という現状維持を選んだのだが……
「何だ、何かおかしい……」
あのチンピラ男を疑っているワケではない。この状況が俺を騙すために仕掛けられたような、そういうおかしさ、違和感、とは違う。
おかしいと感じるのは、自分自身である。
「何か、物凄く大事なことを忘れている……ような、気がする」
言うなれば、夏休みの最終日に、宿題の一つをやり忘れていることに気づいたような、そんな絶望感と焦燥感が、薄らと俺の胸の内に燻っている。まるで、こうして大人しく捕まっている場合ではない、と俺の本能が叫んでいるかのように、妙な居心地の悪さを覚えてならない。
何なんだ、俺は一体、何を恐れているのだろうか。
うーん、とどれだけ頭を捻ってみても、何も思い浮かばない。俺の記憶は、確かにパンドラ行きの船に乗り込み、それから数日、木箱の中で息を潜めて過ごしていたところまで、正確に覚えている。どこにも記憶の齟齬はない。
ここで目覚める前も、俺は窮屈な船旅にうんざりしながら、眠りについたはずで……そして、目覚めればこの牢屋というわけだ。
「まさか、この眠っていた間に何かがあって、それを忘れている……のか?」
やはり、俺が船員に発見されて海に投げられたり、いつの間にか着替えていたり、という部分でまるっきり目覚めなかったというのはおかしい。いくら睡眠魔法にかかっていても、流石に海の中にザブンと放り込まれれば目を覚ます。それに、俺の体はそういった状態異常への耐性も強化されている。
「……ダメだ、何も思い出せない」
怪しいとは思うが、どう頑張っても俺は自分がぐっすり眠っていただけにしか感じられない。
「くそ、リングで頭を弄られた後遺症とかじゃないだろうな」
あのリングの針は、確実に脳まで届いていたからな。どういう症状が出たっておかしくない。こうして自我と記憶を保っているだけで、奇跡的といえよう。マジで自分が誰かも分からないレベルで廃人にならずに済んで良かった。
「思い出せないことよりも、この後の身の振り方を考える方が得策か」
何と言っても、俺は裸一貫で異世界に放り出されたも同然の状況である。幸い、サラマンダーとでも言うべき火を噴くドラゴンを、辛うじて素手で倒せるだけの戦闘能力は持ち合わせているので、身の安全はそれなりに確保できそうだ。
だが、どんなに強くても、腹は減る。俺の体は今では飲まず食わずでも一週間ぶっ通しで動き続けられるくらいのタフネスを宿しているが、だからといって永遠に平気なワケではない。
生きていくには、食わねばならない。食うためには金がいる。勿論、食べるだけではダメだ。
人間が生きていくのに必要不可欠な衣食住。まずはこれを確保しなければ、俺の異世界生活は始まらない。
「とりあえず、剣闘奴隷になるのは絶対に御免だな」
他人の都合で戦わされるなど、冗談じゃない。折角、幸運に恵まれてあの地獄から逃げ出せたのだ。
人も、モンスターも、もう散々殺した。戦いなど、俺はもうしたくはない。
「そうだ、平和に生きよう。戦いとは無縁な生活がいい」
まずは生活基盤の安定。それから、日本へ帰るための手段の模索。これが考えられる上でベターな選択だろう。
「しかし、異世界生活か……はぁ、地獄の人体実験がなければ、もうちょっとワクワクできたんだろうけどな」
文芸部員でラノベを書くのが趣味な俺は、当然、ファンタジー作品はそれなりに嗜んでいる。剣と魔法の異世界で、可愛いヒロインと、頼れる仲間達と共に大冒険……なんて、素直に夢見ることができる程度には、楽しんでいたものだ。
けれど、俺が経験した異世界は、すでに血肉と苦痛に塗れた凄惨極まる地獄だった。今更、この世界が夢と希望がイッパイに満ちた、童話のような優しい世界だとは思っていない。
というか、俺、今正に奴隷として売られようとしているワケだし。これで元々の単なる高校生のままだったら、悲惨な奴隷人生確定だった。
「だからといって、この力を与えてくれた、なんて感謝はしないけどな」
せめて、人並みに幸せな生活でも掴まなければ、やっていられない。
これからどうなるのか、全く予想はできないけれど、精々頑張って、楽しい異世界生活が送れればいいな――なんて、甘くも前向きなことを考えている内に、俄かに外が騒がしくなってきた。
「おーい、兄ちゃん、港についたぜー」
と、俺を迎えに来たのは、さっきお喋りしたばかりのチンピラ男であった。
「オイ、分かってるとは思うが、妙な真似はするんじゃねぇぞ?」
「へへへっ、奴隷に落ちるとしても、五体満足ではいたいだろ」
「うほっ、イイ体……」
チンピラ男の後ろには、如何にも荒くれ者とでもいうべき、厳つい男が三人立っている。それぞれ、剣やら斧やらこれ見よがしにぶら下げており、堅気の気配は微塵もない。
剣闘奴隷候補の俺を、牢から移動させるにあたっての監視役といったところだろう。だが、これといって大きな魔力や、強烈な気配といったものは感じない。これなら、機動実験で相手したオークみたいな野郎共の方が、よほど強そうだった。
いざという時は、コイツらを速やかに無力化する必要があるな。特に三人目、舐めるような目で俺の体を見るんじゃねぇ。
「頼むから、大人しくしててくれよ。暴れるなら、売り終わった後にしてくれよなー」
などと言いながら、チンピラ男が牢の扉を開き、俺を外へ出るように促す。
ひとまず、その言葉に大人しく従うフリをする。
逃げ出すならば、この船を降りて、港へ降り立った後がいい。見ず知らずの土地でいきなり逃亡を図るのは危険だが、このまま奴らのアジトへ連れて行かれる方がもっと危険だろう。
奴隷商人を名乗っている以上、商品を保管する設備は整っているはずだ。その中には、あのリングのように有無を言わさず服従させられる、危険なアイテムなどもあるかもしれない。
今なら俺を縛っているのは、このチャチな手錠一つと、ハリボテみたいな野郎共だけ。港の様子をざっと確認してから、黒魔法の煙幕を焚けば上手く逃げ出せるだろう。
簡単な脱走プランを立てながら、狭い船内を歩き、ついに外へと出る。
燦々と降り注ぐ日差しが眩しい。陽の光を見たのは、思えば久しぶりな気がする。実験施設は地下だったし、港町で船に忍び込んだのは夜だった。
けれど、いざこうして太陽が照らし出す青空を見ると、酷く当たり前に感じてこれといった感慨は湧いてこなかった。
「うっ……」
眩しさに目を細めていると、頬をザラついた砂混じりの風が撫でていく。
そこで、ようやく俺はここがどういう場所なのか気が付いた。
「なんだ、ここは……」
海じゃない。砂漠であった。
俺が立っている年季の入った大きな木造船は、水ではなく、サラサラと流れている砂の上に浮いているのだ。
振り向き見れば、地平線の彼方まで砂色一色。
あまりに予想外の光景……だが、現に砂の海を多数の船が行き交っているところを見れば、ここがそういうところなのだと認めざるを得ない。
「なに驚いてんだよ。裏港を見たのは初めてだったかい?」
チンピラ男が驚愕の表情を浮かべる俺を、ニヤニヤしながら言う。
裏港、が何の事かは知らないが、俺は単純に砂の海とそこを走る船があることに驚いているだけなのだが、恐らく、これはここの住人にとっては当たり前の光景なのだろう。ならば、そんな当たり前の自然な風景に驚く余所者アピールをする必要はない。
ああ、そうだ、などと適当なことを言いながら、俺は砂の港の衝撃もそこそこに、注意深く周辺を観察する。
さほど、大きな港ではない。小さな漁港といった規模である。
陸の方は赤茶けた岩山が連なっており、あまり遠くまでは見通せない。しかし、結構な人数の男達が、忙しく荷卸しする様子からして、ここが寂れた小さな島であるとは考え難い。
「ようこそ、最果ての欲望都市カーラマーラへ、ってか!」
「ここが、そうなのか」
「そうさぁ、奴隷スタートな兄ちゃんには同情するけどよ、まぁ、頑張ってくんな」
おどけた調子で言うチンピラ男の台詞で、俺は確信できた。
奴のお喋りの内容からして、カーラマーラという街はかなり大規模なようだ。コイツらのような連中が群れるだけでなく、小奇麗でお高い飲食店や夜の店も沢山ある。つまり、貧富の差がはっきり分かれるほどには、人口が多いということ。そして恵まれた者が多ければ、街の発展度合いもそれなり以上であろう。
砂漠の大都市、か。ラスベガスとかドバイとか、何だかそういうイメージが湧いてくる。
ともかく、俺が逃げ出すには十分な場所であることは確認できた。
後は、逃げ出すタイミング。タラップを降りて、港に降り立った瞬間に決行するか。
表向きは従順に、けれど心の中では脱走のカウントダウンをしながら、俺は一歩、また一歩と甲板を歩き、ついに――
「おい待てっ! なんだお前らは、どこから入ってきたぁ!!」
一際大きな男の声が響き渡る。その瞬間、港が急に剣呑な雰囲気に変わる。
「シィーット! 見つかったデス!」
「ここまで来れば、後は強行突破なの!」
見れば、騒動の中心と思しき侵入者の姿はすぐに明らかとなった。そこら中から武器を持った男達が飛び出しては、追いかけているのは二人の少女である。
一人は、犬耳みたいに跳ねたショートヘアが特徴的な、金髪に赤い目をした色白の子。もう一人は、ウェーブがかった銀髪に、エキゾチックな褐色肌を持つ、青い目の子。
あの二人がただここに迷い込んだ子供ではないというのは、それぞれ剣と杖で武装していることから分かる。
そして何より、離れたこの距離からでも、二人の少女から発せられる強い気配が感じられる。
サリエルほどではない、だが、彼女と同じく見た目に反して超人的な能力を持っていると確信できる。そんな俺の予想は、すぐに現実のものとなった。
殺到して来る男達を、金髪娘が軽く手にした大剣で薙ぎ払い、褐色娘が杖を掲げた瞬間に白い風のような魔法で行く手を阻む野郎共を沈黙させる。正に鎧袖一触。
大の大人が子供にいいようにやられて情けない、とは思うまい。彼女達が強いのだ。
「オイオイ、なんだよあのチビッ子、ヤバくね? っつーか、こっち来てね?」
野次馬根性丸出しで騒動を眺めていたチンピラ男が、どんどんこの船に向かって駆けてくる二人の様子に慌てだす。
あの二人の目線を見ていれば、この船が目的地であることははっきり分かるだろうに。
「うおっ、ヤベぇ、マジで来るって!!」
などと言っている内に、二人は船が停泊する目前までやってきた、次の瞬間に金髪娘が何かを投げ込んだ。
「伏せろっ!」
まさか爆発物か、と思って、何となく反射的にすぐ傍のチンピラ男を押し倒しながら、俺はその場で伏せった。
幸い、飛んできたボールのような物体は、爆炎の代わりに真っ白い煙を放った。どうやら、ただの煙幕のようだ。
手間が省けたとはこのことか。よし、このドサクサに紛れて、逃げ出すとするか――
「リリアン! どこにいるデスか、リリアーンッ!!」
「助けに来たの、返事をしてリリアン!」
煙幕に乗じて、甲板まで乗り込んできた、二人の少女の叫びは、紛れもなく、誰かを助けるための言葉であった。
奴隷商船に、女の子の名前を叫んで乗り込んでくる。それの意味するとこは、すぐに察せられるだろう。
「……俺には、関係ない」
くだらない正義感はやめろ。今の俺は、他人に構っていられるような状況じゃないだろ。
事情も何も知らない、全く無関係の俺が首を突っ込むようなことじゃない。感情的になるな、冷静に判断をしろ。
そう思うものの、俺の足はさっさと逃げ出すための一歩が、ついに出ることはなかった。
「す、少しだけ、様子見だ」
せめて、そう自分に言い聞かせないと、納得できない不合理な行動を、俺は選択してしまうのだった。
2019年1月25日
第36章スタートです。ようやくレキとウルスラと合流・・・ここまで長かった、自分で想定していた以上に・・・
それから、昨日24日にコミック5話が更新されています。いよいよ、満月の夜、大人リリィ登場です!
さらに、コミカライズ『黒の魔王』の第一巻、発売します! 2月22日金曜日発売ですので、どうぞよろしくお願いします!!