第697話 旅路の果て
2019年 1月25日
本日は2話連続更新でお送りします。こちらは1話目となります。
アトラス大砂漠の玄関口、砂の港町ロックウェルへと、子供達はようやくたどり着いた。
「……」
しかし、誰一人として喜びの声を上げる者はいない。いつも元気にみんなを盛り上げるレキですら、どこか疲れた表情でぼんやりと砂塵が舞う街並みを眺めていた。
「ウル、この馬車はもうダメです」
「ここから先は船で行くから、ここで処分してもいいの」
遥か北にあるスパーダから、これまでずっと自分達を乗せてきた、元バクスター総会の荷馬車はとうとう稼働の限界を迎えていた。二頭立てだったが、今では一頭しかいない。それも、すでに疲労の限界に達し、今にも倒れそうなほど。
アダマントリアを出て、ヴァルナ森海を進む道行は、すでに自分達を追う者はいないため、これまでの旅よりも楽になると思っていた。事実、ジャングルを抜ける直前までは、順調に進んでいた。
しかし、レキとウルスラは思い出す。この世界で子供に牙を剥くのは、汚い大人達だけではない。
元より、人が最も恐れてきたのは、モンスターである。
ヴァルナ森海を抜ける寸前の地域で、馬車はワイルドラプターの群れに襲われた。
ワイルドラプターは危険度ランク2に分類される地竜種のモンスターであり、今や立派にランク3冒険者であるレキとウルスラにとっては、さほど脅威とする相手ではない。
だがしかし、子供達を乗せた馬車という、守らなければならないものを背負いながら、普通よりも大きな群れを形成して襲い掛かってくるラプターは最悪の敵となった。何より、群れを率いる角の生えた巨躯のリーダーは、あまりにも執念深く、かつ、狡猾に子供達を狙い続けた。
ラプターの群れは、無理に攻め続けることはしない。レキとウルスラが自分達を殺しうる強力な敵であることを理解しているようで、犠牲者が出る前にさっさと撤退してゆく。
そして、ある程度の間を置いて、再び襲い掛かってくるのだ。そう、ラプターがとったのは長期戦により相手の消耗を強いる作戦である。昼夜の区別なく襲撃を繰り返し、相手に休む暇を与えない。
これには、体力自慢のレキも相当に参った。魔術士クラスのウルスラは、しっかり休養をとらねばいざという時に魔法を使えない。夜間の警護はほぼレキ一人の負担となる。それでも、夜に襲撃が起きれば、ウルスラも起きて即座に戦わなければならない。二人とも、途轍もない疲労と、何より精神的なプレッシャーに晒され……
「あの時は、もうダメかと思ったデス」
「うん、助かったのは、ただ運が良かっただけ」
消耗しきったレキとウルスラは、自ずと敗北を悟った。
もう何度目になるか分からないラプターの襲撃を撃退したが、とうとう限界が見えてしまった。馬車を引く馬の一頭が殺され、車体のあちこちに残虐な爪痕が刻まれる。
今までは馬車に一頭たりとも寄せ付けることはなかったが、とうとう、そこまでの接近を許してしまった。下手をすれば、子供達の内の一人か二人は犠牲になってもおかしくない、それほど際どい戦いだった。
今回は辛くも凌いだ。けれど、もう次はない。もうこれ以上、馬車を守り切れる自信がなかった。それ以前に、自分達の命すら守れるかどうか怪しい。
それほどまでに弱り切ったその時、彼女達の前に現れたのは、カーラマーラへの帰路につく、大きな隊商であった。
多くの傭兵を護衛として雇い入れ、充実した防衛戦力を持つ集団である。彼らの列にくっついていくことで、ついにワイルドラプターの恐怖は去った。
安心感と共に、自分達の甘さもまた、思い知ることになる経験であった。
「ねぇ、ウル……レキ達は本当に、リリアンを助け出せるデスか」
「……分からない」
スパーダで自分達を捕まえた奴隷商人をぶちのめし、馬車を奪って自由への逃避行。あの頃は、どこまでだって逃げて行ける自信に満ちていた。
アダマントリアでの冒険者生活は、貧しいながらも安定して子供達を養うことができ始め、冒険者ランク3まで昇格して自分達の力の更なる自信につながった。
けれど今はとても、どんな困難でも乗り越えられると、自分を信じる気持ちは湧いてこない。ここまで順調にやって来れたのは、ただ、運が良かっただけに過ぎない。自分の力で乗り越えられる程度の障害しか、なかっただけの話である。
ヴァルナ森海に入ったばかりの頃に見た、幌馬車に積まれた獣人の子供の奴隷。彼らを見て、自分達ではどうあがいても助けることはできない人がいることを知った。
執拗につけ狙うワイルドラプターの群れに襲われ、他人どころか、自分の命すら、守ることで精一杯なことを悟った。
強くなれたと思っていた。今なら、クロエ司祭と肩を並べることだって。小さな子供達を世話し、守り続けた自分達は、もう立派な大人であると――そんな自信も自負も、今はどこにもない。
自分達が如何に無力な子供であるかを、思い知るには十分な経験であった。
「でも、もう後には退けないの」
「イエス、ここまで来たら、やるしかない」
地平線の彼方まで続く広大な砂の海を、レキとウルスラは覇気の無い曇った眼差しで眺めていた。
この砂漠を越えた先に、長い旅の終着点がある。
最果ての欲望都市カーラマーラ。
パンドラ大陸で最も奴隷が集まる街。そこはきっと、身寄りのない子供にとっては最悪の環境であるのだと、誰に教えられずとも、レキとウルスラはすでに察している。
二人の目には、もう希望の光はどこにもなく、ただ、漠然とした不安感だけが曇るのだった。
崩れた石造りの建物が並ぶ廃墟の街を、レキとウルスラは静かに歩く。
カーラマーラへ到着してから、ここ一ヶ月、ほぼ毎日通っているこのダンジョンは、すでに歩きなれて久しい。
大勢の冒険者で賑わう廃墟街のダンジョンだが、この辺のエリアを探索する者は少ない。最初のエリアとなるこの第一階層『廃墟街』では、収穫が期待できるポイントというのはずっと昔に確立されており、実りがない場所をウロつくのは素人と相場が決まっている。
カーラマーラへ来てまだ一ヶ月のレキとウルスラは、ランクこそ3ではあるが、このダンジョンにおいてはまだまだ攻略初心者と言えるだろう。しかし、アダマントリアで多少なりとも冒険者としてのイロハを知った二人は、すでに揃えられるだけの情報は入手済み。
つまり、明確な目的があって、この寂れた場所をわざわざ進んでいるのであった。
「ゾンビ3、ランナー1」
ウルスラの一歩先を歩いて先導するレキが、相方へ振り向かずに独り言のように口にする。
「斬って」
「オーライ」
確認を終えて、レキは愛剣たる『オブシダンソード』を抜いて、疾風のように駆け出した。
原型を保った家屋の角から飛び出すと、道路の真ん中を無意味にウロつくゾンビ達の姿が見える。
第一階層に出現する主なモンスターは、スケルトンと並んでアンデッドモンスターの代表格と呼ばれるゾンビだ。
ボロボロの衣服に腐りかけの体で、僅かに残っている視覚と聴覚を頼りに生者を喰らおうと襲い掛かる不浄の存在。だが、緩慢な動作に、人としての理性もなければ獣のような鋭い本能もない、ただ真っ直ぐ襲い掛かってくる単純な行動しかしないゾンビは、駆け出しの冒険者でも十分に相手ができる。
まして、ランク3の実力を持つレキの剣技を前に、ノロマなゾンビなど成す術もない。
「ォオオオオ……」
「ヴアアア!」
呻き声を上げて放浪するだけのゾンビは、その俊足で以って斬りかかるレキに対して反応するよりも前に、一刀両断に切り伏せられた。
レキは掛け声もなく、静かに、けれど豪快に、一撃でゾンビを殺し切る。三体のゾンビを斬り捨てるのに、2秒もかからない。
「フゥウウウ、グルル、キョォオア――ッ!」
そして、最後に残っていた『ランナー』と呼ばれるゾンビは、鋭い反応力で現れたレキに気づいたが、叫びながら駆け出そうとした一歩目を踏み出す最中に、あえなく切り捨てられ地に伏せる。
走るゾンビ。故にランナー。
まだ人間と同等の運動能力を保っているタイプのゾンビである。全力疾走に、多少の障害物なども平気で乗り越えてくる。ついでに、その狂ったような絶叫で、近くのゾンビが集まってくることもあり、初心者がまず気を付けるべき相手だ。
しかし、所詮は人間並みの身体能力に、相変わらず真っ直ぐ襲って来るだけの行動。これといった特殊能力もなく、ある程度の実力があるならば、さして問題にはならない雑魚に過ぎない。
「行くデス」
邪魔な障害の排除を終えて、レキとウルスラはさっさと歩みを進める。
「ホントにここであってるデスか?」
「この辺に、裏港に通じる抜け道があるはずなの」
二人は今、このカーラマーラへと来た目的を果たすための真っ最中。
ここへ到着してから一ヶ月。スラム街のような劣悪な区画でひっそりと暮らしながら、攫われたリリアンの行方を追っていた。
カーラマーラで子供の奴隷が使われる大半の目的は、ダンジョン内での労働だ。この第一階層では、強力な武具や魔法具、金銀財宝などは全くないが、飲食物や雑貨、資材など、持ち返れば商品となるようなモノが沢山ある。
そうしてダンジョンから拾い集めた物品は……ある程度の時間が経過すると、何故か再び元に戻っている。そう、畑で作物をとるように、再び収穫することが可能なのだ。
これはダンジョンの元となっている古代遺跡にかけられた魔法の影響、と言われているが、詳しいことは不明。何度でもとれる、古代の品々。ただ、その事実があれば十分で、この街に住む者達は目の前の儲け以外に対して興味を抱かない。
パンドラ各地に無数に存在する古代遺跡のダンジョンでは、このような再生現象はよく見られ、冒険者が過去に攻略済みのダンジョンに再び挑む大きな理由の一つとなっている。しかしカーラマーラのダンジョンは、他の古代遺跡の比ではない埋蔵量と再生サイクルの短さがある。
だから、とれるだけとる。それこそ、子供の手を使ってでも。
砂漠のど真ん中にあるカーラマーラの繁栄を支える一因を知った時、レキとウルスラは絶望した。
リリアンは、ただでさえ病弱な子だった。この薄汚い廃墟の街の中を、ゾンビに見つからないよう這いずり回って、物資を回収する仕事などできるとは思えない。
そして、十把一絡げでまとめ売りされる子供の奴隷に、拒否権などあるはずがない。リリアンがダンジョンでの物資回収の仕事に割り当てられていれば、その生存は絶望的である。あの子は一体、このゾンビが蔓延る廃墟の中で、何日生きていられるのか。
だが不幸続きの中で、ようやくツキが向いてきたかのように、朗報が入った。
さほどアテにはしていなかった、冒険者ギルドの酒場席で飲んだくれていた自称・情報通の酔っ払い男から、リリアンに良く似た子供のことを聞いたのだ。
迷うことなく銀貨を十数枚に叩きつけ、詳しいことを調べさせた。
「なぁ、お嬢ちゃんは、性病って知ってるかぁ?」
ふへへ、と下品な顔で下品なことを聞く男に、ウルスラは渋々といった顔で頷き、先を促す。これで、ただのセクハラ発言だったら、ブッ飛ばす。隣で、「セービョウ???」となっているレキが、真っ直ぐ行ってブッ飛ばす。
「砂漠船の船乗りの間じゃあ、昔っから、処女とヤったら治るって言われててよぉ」
何の話か本当にちゃんと分かっているのか、とやけにしつこく聞いてくる男にウルスラはうんざりした顔で頷きながらも……すでにして、凡その事情を察し始めた。
一方、レキはハテナマークを浮かべっぱなしである。
「要するに、お嬢ちゃんが探しているガキは、常備薬として選ばれたってワケだな」
「クスリ? リリアンが? なんで?」
レキは置いてきた。この話には、ついてこれそうもない。
数々の恋愛小説と、際どい描写や完全にアウトなシーンを含む本を読みふけっている耳年増なウルスラだけが、分かっていればいい事情である。
需要があるのは、処女の女。ならば、その年齢は小さければ小さいほど、可能性は高まる。だから、幼い5歳のリリアンが選ばれた。
「じゃあ、もうリリアンは使われたっていうの!」
「安心しろ、まだ手はつけられてねぇ。首に鎖をつけられて、しっかり保管されてるぜ」
一度使われれば、そのまま捨てられることは明らかだ。リリアンの姿が確認されただけで、その無事は保証されているといってもいい。
「……リリアンは、今どこにいるの」
「ここから先の情報は追加報酬だ」
有無を言わさず、金貨を出す。
「へへっ、ありがとよ。ガキでも金払いのいい奴は大歓迎だ」
「いいから、さっさと言うの」
「シルヴァリアン・ファミリアの奴隷商船。その内の一つ、名前はえーっと、ホワイトウィッシュ四号船、だったかな。そこの船長が買い主ってワケだ」
ガタリ、と席を立つレキとウルスラに、男はヘラヘラ笑いながら言い放つ。
「なぁ、これはオジさんからの忠告だが、取り戻そうなんて考えるのはやめときなよ。相手はシルヴァリアン・ファミリアだ。買い戻すにしても法外な値段をふっかけられるし、力づくで奪い返すってんなら……もう二度と、この辺は歩けなくなるぜ?」
どうでもいいことだった。リリアンさえ取り戻せれば、こんな汚く醜い欲望の街なんて、さっさと出て行くだけ。
「へへっ、まぁ落ち着けって。そのリリアンちゃんを乗せた船は、まだカーラマーラに戻ってきてねぇ」
今は、ちょうど出航したばかりであり、カーラマーラにはもういない。
「帰港は3週間後、冥暗の月1日の予定だ。ちなみに、この船はちょっとヤバめのルートで商品を仕入れているから、戻って来るのは裏港だな」
裏港は、ロックウェルから来る客船や貨物船が停泊するカーラマーラの表玄関たる大港とは、別の場所にひっそりと設けられた港である。
無論、それらは非合法な取引や密輸に利用されており、場所は秘匿されている。そして、そういった裏港は、カーラマーラの裏社会を支配する組織が、それぞれに所有しているという。
シルヴァリアン・ファミリアは、その内の一つ。このカーラマーラで最も古く、そして、最も大きなギャングである。
「シルヴァリアンの裏港は、どこにあるの」
「その情報は端金じゃあ売れねぇなぁ」
「金は必ず用意するの」
「そうかい、そりゃあ楽しみに待ってるぜぇ」
男は冗談だと思ったのか。けれど、ウルスラは後日、金貨10枚を彼の座るいつものテーブルへと叩きつけた。
そして、大金を支払って得た情報通りに、シルヴァリアン・ファミリアの裏港へと向かうことにしたのだ。
「――ウル! ここ、ここデスよっ!!」
「うん、間違いない」
ようやく、ダンジョンから裏港へと通じる抜け道を発見する。
ここから先は、ゾンビではなく、悪意を持つ人が敵となって立ち塞がるだろう。もしかすれば、今の自分達では敵わないような、凄腕の用心棒を雇っていたりするかもしれない。
けれど、ここまで来て、戻ることなどできはしない。失った者を、必ず取り戻す。
取り戻したなら、今度こそ、みんなで幸せになるのだ。
自分達は、可哀想な子供達の全てを守れるワケではない。だからせめて、この腕に抱えられるだけの分は、守りたい。
そして、それが叶ったならば、きっと胸を張ってクロエ司祭と再会できる。
危ないことをするのは、これで最後だ。
そう心に決めて、レキとウルスラは力強く、裏港へと踏み込んで行った。
2019年 1月25日
第35章はこれで完結です。それでは、引き続き第36章をお楽しみください。