第694話 翻弄
正確無比に繰り出される、鋭い槍の穂先。少なからず、鍛錬を重ね続けた自負がある今となっても、その達人を越えた超人的な槍術には畏敬の念を隠せない。
純粋な技量だけで見れば、圧倒的な格上――それでも、反撃を封じられた上で、いまだ一つの有効打を許さぬ現状を維持できているのは、ひとえに使徒の並外れた能力があるからに他ならない。
「流石はサリエル卿。使徒の力を失っても尚、これほどの技量とは」
その強さが嬉しくもあり、同時に悲しくもある。
マリアベルは第七使徒サリエルと手合せをしたことは何度かあるが、一度も勝てたことはない。武器のみでの模擬戦ではまるで勝負にならなかった。あるいは、霊獣を全て行使したとしても、彼女に勝てたかどうか。
同じ使徒として、けれど遥か高みにあったサリエル。異教徒に占領された故郷を解放するために、共に肩を並べて戦った、あの時の彼女の姿は何よりも目に眩しく焼きついて離れない。
彼女が振るう槍を忘れるはずがない。
今、目の前で自分に向けて情け容赦なく嵐のような連撃を繰り出す彼女は、姿を似せただけの偽物ではなく、本物のサリエルなのだと認めてしまう。
だからこそ、どうしようもない悲しみが湧く。
あの聖なる白銀に輝く十字の穂先は、おぞましい漆黒に染まり切り、禍々しい黒き雷が迸る。それは紛うことなく、魔の力の発露。神を裏切った何よりの証に他ならない。
どうして、サリエルが死んだと聞かされたのか、自ずと悟った。
当然だ。使徒が裏切ったなど、とても公表できるはずがない。パンドラ遠征の総司令官まで務めた、あの第七使徒サリエルが、今や黒染めの逆十字を掲げた反逆者になるなど、とても認めることはできない。
「それでも僕は、貴女を助けたい! サリエル卿、ここで僕らが戦う意味なんかない、貴女は必ず僕が守る、だから、僕と一緒に、シンクレアに帰ろう!」
「私の全ては、マスターのモノ。もう、この血の一滴、髪の毛一本たりとも、神へ捧げる気はない」
冷たい拒絶の言葉と、痛烈な武技がマリアベルへの返答だった。
「違う、僕は――ぐうっ!?」
神のことなんて、どうだっていい。ただ、自分自身が貴女を救いたいのだと――最早、そんな愛の言葉で説得するほどの余裕すらない。
繰り出された武技は達人級の武技『一撃穿』。あまり力勝負には向かないレイピアの細身の刀身を、武技のパワーと黒雷とでもって弾き、その穂先はついにマリアベルの身に届く。
ほんの小さなカスリ傷。だが、それでもサリエルの武技は使徒のオーラを穿ち、この体に傷を負わせたのだ。
使徒である自分を殺傷しうるだけの力が、彼女にはある。
「くっ、まずい、このままでは……」
状況は明らかに劣勢だ。それも、加速度的に悪化している。
霊獣三体は妖精と魔人のたった二人を相手に苦戦を強いられている。苦戦どころか、あのまま戦い続ければ遠からず三体とも消滅させられてしまう。
召喚した霊獣は、あくまで召喚者の力によって顕現させている仮の姿に過ぎないので、戦いに敗れて消えたとしても、再び召喚することは可能だ。しかし、強ければ強いほど、再召喚には時間がかかる。あの三体ほど高位の霊獣ともなれば、再召喚にかかる時間がどれくらいになるのか、マリアベル自身でも想像がつかない。
そもそも三体もの霊獣が負ける、ということが想定の範囲外なのだが。
妖精と魔人の力は桁外れの高さ。正に想像を絶する戦闘能力だ。早々に自分も加勢しなければ、取り返しのつかないことになる。霊獣を失った状態で、あの二人を同時に相手して勝てる見込みは如何ほどか……勝算のつかない相手と実戦で相対するのは、マリアベルも使徒となってからは初めてのことであった。
いや、それ以前にサリエル相手に防戦一方の状況すら危うくなってきている。
マリアベルは使徒の能力を最大限に生かして、サリエルの超人的な槍術を見切って対応しているが……サリエル自身が、その対応を上回るようになってきた。
こちらが反撃できない前提はあれど、使徒の守りを突き崩すなど尋常ではない。信じがたいことだが、サリエルはマリアベルの防御を学習し、少しずつ、だが着実に隙を見出し、あるいは作り出し、鉄壁のはずのガードを貫く。
今はカスリ傷で済んだが、次は直撃を許すかもしれない。このまま同じように防いでいるだけでは、いずれ追い詰められるのは明らかであった。
「貴女を傷つけたくはない。けど――」
ここで自分が負ければ、全てがお終いだ。悪の手に落ちたサリエルを救い出せるのは、自分しかいないのだと、マリアベルは己を奮い立たせ、覚悟を決めた。
「僕は負けるわけにはいかない――天より降り立て『天空庭園の守護者』」
レイピアを振り上げた瞬間、五つの光の柱が突き立つ。それは、光の精霊を呼び出すための召喚陣。
マリアベルが新たに召喚したガーディアンは、霊獣ほどではないが、それでも光精霊の系統としては最上位の存在である。
ガーディアンは、天使のように白い大きな翼を背中から生やした、騎士の姿をしている。大柄で屈強、だが壮麗な白銀の鎧兜に包まれ、芸術品のような美しい出で立ち。
右手には剣、左手に盾を備え、共に高密度の光の原色魔力が込められた魔法の武器と化している。さらに、飾りではない背中の翼によって、自由に空を飛ぶ機動力も併せ持つ。
使徒の莫大な魔力と神より授かった加護の力により、五体ものガーディアンの同時召喚が成され――
「――『黒天翔雷』」
黒き雷を纏う投槍が、召喚陣たる光の柱から出た直後のガーディアンを襲う。
剣も盾も構えることすらできず、胸のど真ん中に痛烈な投槍武技を喰らったガーディアンは、そのまま後方数十メートルを吹き飛び、転がり、トドメのように巨大な雷撃が炸裂し、白い鎧の破片と羽根を散らして消滅した。
マリアベルが召喚術を得意とする使徒であることは百も承知。故に、召喚陣の発生を見て、即座に攻撃を叩きこんで数を削るのは当然の行動だ。
「戻れ(コール)」
愛槍に元から組み込まれていた逆召喚の術式で、投げ放った槍を手元に戻し、サリエルは残り四体となったガーディアンに向けて構える。
一瞬、唖然とした表情を浮かべるマリアベルだったが、すぐに気を引き締め、叫ぶ。
「手加減の必要はない、全力で彼女を止めろ!」
サリエルの能力を見込んでこその命令。五体ものガーディアンをけしかければ、多少の負傷は免れえないかもしれないが、最早、無傷のまま彼女を抑えることは不可能と断じるが故の、苦渋の決断――だったのだが、まさか、召喚直後の隙を狙って投槍武技を叩きこんでくるとは予想外だった。
ガーディアン一体を瞬殺されたものの、それでも四体で足止めと時間稼ぎは可能。一分もつかどうかも分からないが、それでも、一時的にサリエルを抑えることができれば良い。
「ここで勝負を決める。僕は悪になど負けはしない、必ずサリエル卿を取り戻して見せる!」
愛の誓いを胸に、マリアベルは恐るべき妖精と魔人へと向かってゆく――
「いい加減しつこいのよ、このっ、駄犬がぁっ!」
灼熱の爪を振り上げて襲い来るエンガルドへ、リリィは真正面から流星剣を叩きつける。
「ガアアッ!」
カウンター気味に決まった巨大な光刃の一閃は火炎の毛皮を切り裂き、エンガルドに苦痛の声をあげさせた上に、その巨大な獅子の体を吹き飛ばす。
だが、いまだ致命傷には至らない。
リリィを相手に、ほぼ一方的に攻撃を叩きこまれ続けるエンガルドは、それなりのダメージも蓄積されてはいる。これが野生のモンスターであったなら、敵わないと見てとっくに逃げ去っている頃だ。
しかし、霊獣たるエンガルドは主の命令に忠実に従い、自身の存在を危ぶませる強敵相手にも、一歩も退かずに戦い続ける。如何なる苦痛にも耐え、その身を構成する魔力が尽きる最後まで、炎の獅子は忠誠を尽くすだろう。
もう幾度目のダウンをとられたか分からないが、まだ戦う力を完全に失っていないエンガルドは、四肢を踏みしめ再び立ち上がる。
「――最大照射!」
そこへ飛んでくる、情け容赦のない二筋の光線。
古代兵器たる二丁拳銃『メテオストライカー』と『スターデストロイヤー』の二連射によって、立ち上がりかけたエンガルドへさらに追撃をリリィはかける。
向こうの体力、正確には存在に必要な魔力もあともう少しで底を尽く。リリィは今度こそトドメまで刺しきる覚悟でもって、極大光線の連射を浴びせながら肉薄してゆく――
「ルァアアアアアアアアア」
叫ぶような、歌うような、女の声と共に、飛翔するリリィに向かって殺到するのは、輝く光の、否、水の砲弾である。
水の霊獣、セイラムより放たれた援護射撃。
ただの水ではなく、聖水によって生成された水魔法の弾は、通常よりも遥かに威力が跳ねあがる。一発、二発、直撃したところでリリィの『妖精結界』は破れないが、邪魔にはなる。
そして動きが鈍れば、セイラムに囚われ封印される危険性に繋がるのだ。
セイラムは相手を殺傷させずに、捕らえて封じる能力に特化している。莫大な量の聖水を用い、相手をその中へと沈める……端的に言えばスライムの捕食と原理は同じである。マリアベルが愛しいサリエルを傷つけずに無力化するために、これを召喚したのは当然の選択だ。
向こうの油断をついて、その思惑を外すことはできたが、リリィかフィオナ、どちらかがセイラムに捕まって戦闘不能となっては本末転倒ではある。
少なくとも、セイラムの存在によって、エンガルドとラムデインが反撃の余地もなく一気に倒される、という状況は回避されていた。
「本当に邪魔くさいわね、スライムモドキの分際で――フィオナ! 早くあの水たまりを蒸発させてちょうだい!」
「すみませんリリィさん、こちらも鳥の相手に手間取って。あともう少しでできそうなので、援護の方お願いします」
と、冷めた返答をよこすフィオナは、『ワルプルギス』より荒れ狂う炎龍を放出しながら、空を舞う雷雲の化身たる霊獣ラムデインを拘束し続けていた。
空を飛ぶ相手の厄介さというのは、身に染みて理解しているフィオナは、このラムデインを自由に飛ばせるつもりはない。最初の『炎龍砲』をヒットさせてから、ずっと炎龍を維持し続け、その熱量と、暴れ回っては叩きつける物理ダメージによって、ラムデインの体力を削り続けている。
それと同時並行となったお蔭で、セイラムへ対応するための準備に時間がかかってしまった。
そもそも、この魔法は二重詠唱で発動させる前提ではない。魔人化していても、かなり無茶な術式演算だったが――フィオナはその才能とささやかな根性でどうにか果たし切る。
「仕方ないわね、外したら許さないわよ」
「リリィさんの方こそ、巻き込まれたりしないでくさいよ」
リリィは『炎の女王』で立ち上がりかけたエンガルドを蹴り飛ばしながら、両手の二丁拳銃をセイラムへ向けて、発砲。
放たれた二筋の光線を防ぐべく、セイラムが巨大な聖水の盾を構築する――だが、そうして足を止めてしまったのが、セイラムの敗因であった。
「――『火神塔』」
黒々とした不気味な門が、セイラムの目の前に突き立つ。
それに対し、叩くべきか、退くべきか、悩む暇すら与えぬほどの速度で、門に連なる壁が建てられてゆく。
天を貫かんばかりの勢いで、その塔は築き上げられ……その内に聖なる水の精霊を閉じ込めたまま、陽の光を遮る天井、すなわち二度と開かれることのない重い蓋が閉じられた。
「ルォオオ、フォォオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
耳をつんざく絶叫はしかし、あまりに分厚く硬い壁に遮られ、耳を澄ませなければ聞こえないほどに小さく儚いものとなる。
煉獄に突き立つ『火神塔』、その内で何が起こったのかを知るのは、唯一の脱出者であるリリィしか知らないだろう。
「少しだけ、同情するわ」
莫大なマグマの奔流で押し込まれ、圧縮され続ける、熱と物理の恐怖を味わったが故の感想を漏らす。
リリィは『鋼の魔王』でもって、破滅の塔を脱することに成功したが、果たしてセイラムには、それほどの力があるかどうか……
「あ、終わりましたね」
塔に亀裂が走ると共に、限界を超えたかのようにマグマが溢れ出し、次の瞬間にはガラガラと崩壊を始める。
瓦礫が浮かぶマグマの泉を後に残し、あっという間に役目を終えた『火神塔』は崩れ去った。
そこにはもう、一滴たりとも聖水は混じることなく、ただ破滅的な熱を放つ溶岩が広がるのみだった。
「そ、そんな、セイラムが消滅した……」
『霊泉女侯セイラム』が消え去ったマグマの泉の向こうに、彼女の主が呆然と喪失の言葉を漏らす。
マリアベルがちょうど、駆けつけたタイミングであった。
「ちっ、抑えきれなかったのね、サリエル」
「新たな召喚獣をけしかけるとは、力技ですね」
ここで第十二使徒マリアベルがこちら側に参戦してきたことは、リリィをして焦りを覚えさせる。
まずい、非常にまずい。
あと一分、いや、三十秒でもいいからマリアベルを止めてくれていたら、残りの霊獣二体を、少なくとも一方は消せた。絶妙のタイミングで、攻略プランを崩された心境だ。
「フィオナ、あとどれくらい持ちそう」
「五分いけるかどうか、といったところですね」
テレパシーでお互いの残り時間を確認し合う。
かなりの手負いとはいえ、エンガルドとラムデイン、セイラムに変わり主たる第十二使徒が直々に相手となる。状況は一気に劣勢になったと言っていいだろう。
セイラムの援護射撃と封印のリスクは大きかったが、使徒本人の力は優にそれらを上回る。
このまま戦っても、即座に圧倒されることはないが……リリィとフィオナ、それぞれの変身時間が致命的に過ぎた。霊獣二体が残ったままでは、マリアベルを殺し切るのは難しい。決め手が欠けるまま戦えば、時間経過によって完全に勝機は潰える。
いくらマリアベルが第七使徒サリエルよりは楽な相手といえども、幼女リリィと煉獄を失ったフィオナのコンビでは、流石に戦うのは無理だ。
「あんまりやりたくはなかったのだけれど、仕方ないわね……作戦変更よ」
「リリィさんなら、きっと上手くやれますよ」
無責任なフィオナの言葉に若干イラ立ちながらも、リリィは覚悟を決めて飛ぶ。
「『流星剣アンタレス』――『嵐の女王』っ!」
自慢の業物たる真紅の光刃を携え、リリィは『嵐の女王』による超加速、超スピードでもってマリアベルへと迫る。
「なっ、速いっ!?」
この速さをもってしても、使徒は対応してみせる。
すれ違いざまに振り抜いた『アンタレス』に対し、マリアベルはレイピアでのガードを間に合わせた。
だが、神速の踏み込み、もとい飛び込みに対して十分な防御はとれなかったせいか、リリィの剣撃で弾かれるように体勢を崩す。
しまった。もし追撃が同じ速さで飛んで来れば、避けきれない――そう危険を察知して、マリアベルは可能な限り素早く自身の体勢を立て直すが、そこにはもうリリィはいない。
リリィの目的は、斬り合いではない。
現れたマリアベルを通り抜け、その背後に抜けることであった。
「奴はどこに!」
過ぎ去って行ったリリィを探し、マリアベルが振り向いた時には、全てが手遅れであった。
「武器を捨てて、全ての召喚獣を止めて、両手を上げなさい」
リリィの言葉に従う必要など、どこにもない。あるはずがない。
その言葉は、相手に対して絶対的な優位を確保していなければ、意味のない台詞である。
使徒であるマリアベルは、如何なる暴力の脅しにも屈しない。無数の刃を、矢を、魔法を、そして銃口を向けられようと、白き神の使徒は決して恐れない。
だがしかし……その銃口が、自分ではない別の誰かに向けられていれば。
リリィの銃口が、サリエルに突きつけられていれば、どうか。
「なっ、な……何の、真似だ」
「見て分からないの? 人質よ、人質」
リリィはサリエルを人質にとることで、第十二使徒マリアベルと戦うという劣勢を根底から覆したのだった。
「ば、馬鹿な、人質だと? 意味が分からない、お前らは仲間なんだろう、そんなこと、できるはずが――」
ダァンッ!
という銃声の響きが、やけに大きく耳に残った。
パっと広がる鮮血の華。
サリエルの手には、すでに槍はなく、綺麗な掌を広げるように見せている。そのど真ん中を、リリィの銃は無慈悲に貫いていた。
「やめろぉおおおおっ!!」
「やめるわよ、貴方が言う通りにしてくれたらね」
愛しい彼女の美しい真っ白い手に、痛々しい風穴をあけられたのを見て、正気を保てる男はどれだけいるだろう。
たとえ、それが悪手だと分かり切っていても――もう片方の手に、銃口が押し当てられるのを見て、叫ばずにはいられない。
「止まれ! 攻撃中止だ!!」
主の叫びに呼応して、エンガルドもラムデインも、そして、サリエルを人質にとるリリィを二人まとめて刺し殺そうと剣を振りかぶっていたガーディアン、その全てがピタリと動きを止める。
愚かしくも誠実な、恋する少年の決断に、リリィはニヤリと笑みを隠すことはできなかった。
「ほら、どうしたの、武器も捨てるのよ」
「ぐっ、く……くそ、この悪魔めっ!!」
レイピアを地面に突き刺し、手放さざるを得ない。
言う事に従わなければ、行動が遅れれば、サリエルの体は傷ついてしまう。
「何故、どうして……なんでこんな酷い真似ができる!?」
人里を襲うモンスターの脅威に、異教徒の侵略や反乱によって引き起こされる蛮行の数々。血生臭い現実というのは一通り知っているつもりだったマリアベルだが、今、目の前で起こっている状況に理解が追いつかない。
サリエルは今や、敵対勢力についている。それはつまり、彼女達にとってサリエルは味方であり、仲間であることに違いはない。
だというのに、自らの仲間を敵に対して人質にとる? 尋常な発想じゃない。それは正に、悪魔の知恵というべき、正義と人道に反する邪悪な罠。
神を裏切ったサリエルであっても、彼女に恋する少年にならば人質として通用すると踏んだ、リリィの精神攻撃であった。
「酷いって、何が? この女は元々、ただの敵よ。クロノの奴隷、使い捨ての道具、都合よく使い倒すのが、効率的だと思わない?」
「この外道がぁあああ!!」
愛する少女を弄ばれる憤怒の叫びはしかし、ただ虚しく響くのみ。
「サリエル卿、お願いだ、戻って来てくれ……そんな悪魔と共にいてはいけない、いちゃいけないんだ!」
「ああ、説得しようとしても無駄よ。クロノの洗脳は完璧だから、呼びかけだけで解呪できるなんて思わないことね」
「洗脳、だと……?」
「今更気づいたの? 第七使徒ともあろう女が、どうして奴隷にされて、言いなりになっていると思っていたのかしら」
そうだ、そもそも何故、サリエルは神を、十字軍を裏切った。
彼女はガラハド戦争で破れ、敵に捕らわれ、純潔を失った……確かに、それだけで加護は失われるかもしれない。けれど、彼女の心は、あんなにも神のために尽くし続けた第七使徒サリエルの信仰心は、どこへ消えてしまったというのか。
「クロノの加護は『淫魔女王プリムヴェール』。シンクレアから来た貴方は聞いたことのない名前かもしれないけれど、淫魔の神様、といえば分かるかしら」
「淫魔の、神……」
背筋に悪寒が走る、最悪の嫌悪感がマリアベルを襲う。
ダメだ、この可愛らしい妖精の皮を被った悪魔の言葉をこれ以上聞いてはいけない。
けれど、聞かずにはいられない。考えずにはいられない。淫魔の神の加護を宿す男に囚われたサリエルが、どんな辱めを受けることとなったかなど。
「神のために固く純潔を守る、貞淑、禁欲、清純――そういうお堅い女こそ、淫魔の力はキくものよ」
「嘘だっ! サリエル卿が、そんなことで屈するはずがない!」
「それじゃあ、本人に聞いてみれば?」
スルリ、と解けるように、サリエルが纏う修道服が落ちる。
そうして露わとなったのは、美しい華奢な少女の真っ白い肉体と、その柔肌に食い込む黒き衣装。
かろうじて局部だけを隠すだけの布地しか持ち得なくとも、鎧の名を冠する『堕落宮の淫魔鎧』。
すなわち、淫魔の鎧。
「あっ、あ……ああぁ……」
言葉にならない。頭の中が真っ白だった。
極限の戦闘状態にありながら、突如として晒された愛しい思い人の裸体。その清らかな乙女の体を蝕むような淫魔の衣装。
彼女のそんな姿は、見たくはなかった。見てはいけない。想像すらしてはいけないはずなのに――視線はピクリとも逸らせない。
穢れきった神聖な少女の体は、どうしてこうも美しく映るのか。
理解不能。
マリアベルは、もう自分の気持ちすら分からなくなっていた。
「さぁ、答えなさい、サリエル」
「……ろ」
「その子とクロノ、どっちがいいか」
「……めろ」
「どちらが好きか」
「やめろ……」
「どちらを、愛しているのか」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
悪魔の問いかけに、サリエルは一切の迷いなく、答えた。
「私はマスターを、心から愛している」
「やめろっ、やめてくれぇ……そんな言葉、聞きたくない……」
最も聞きたかった言葉が、別の男に捧げられるこの気持ち。吐き気を催すその嫌悪は、果たして邪悪に対するものか、己に対するものなのか。
「あ、ああ、神よ……どうして、こんなこと、あっていいはずがない……そうだ、こんなの間違っている! サリエル卿、貴女は操られているだけなんだ!」
「ええ、そう、その通りよ。可哀想なサリエル、この子を助けたいのでしょう?」
リリィの銃口が、固くサリエルの胸へと押し付けられる。
まかり間違って、トリガーが引かれればどうなるか。使徒の力を失ったサリエルが、果たして胸を貫かれてどこまで生きていられるか。試せるはずなどない。
「だったら、そのまま動かないことね」
マリアベルは動けない。
愛するサリエルが人質にとられているが故に、自分に向けられた、途轍もない殺気を感じ取ったとしても。
武器を捨てた無防備な使徒に向かって、太陽の如き極大魔法が襲い掛かる。
「――『黄金太陽』」
2019年1月4日
新年、あけましておめでとうございます。
今年も完結する気配が全くない『黒の魔王』ですが、どうぞよろしくお願いします!