第687話 ロックウェルの休日(2)
「……なんでペアルックなんですか?」
昼過ぎ、宿を確保した二人と合流するなり、フィオナがそこはかとない威圧感を放ちながら言う。
「つい、店員に押されてしまって」
「そうですか」
それ以上、非難の台詞は飛んでこない。俺とサリエルが同じタイプの青い砂避けマントを着用することに、何の問題があるというのか。
いや、あるよね。これでフィオナとは恋人同士のままだし、彼女を差し置いて他の女の子とペアルックして喜んでたら、なにその男クズじゃん、って俺でも思う。
「ごめん」
「謝る必要などありません。ただ、思ったよりも戻るのが遅かったので、私を差し置いて楽しく遊んでいるのではいかと」
「それはないって。ちょっと砂浜で流砂の上を走る練習をしてて」
「え、砂浜で追いかけっこですか?」
「あっ」
言われてみれば、男女が砂浜で追いかけっこをするのは、爽やかにロマンチックなシチュエーションである。
確か、ウルスラが読んでいた娯楽小説にもそういうシーンがあったから、どうやらこの異世界でも海辺ではしゃぎ合うのは憧れの一種であるようだ。
「いや待て、海じゃなくて砂の海だから違うだろう。かなり全力疾走したし、色っぽいことは何もないって」
そう、言うなれば、あれは修行。純然たる修行なのである。決してサリエルと二人きりで遊びほうけていたワケではないのだ。あはは、待てよ、こいつぅー、みたいなことは一切ない。
「ペアルックで砂浜追いかけっこなんて、私もまだしたことないです」
「分かった、ごめん。あとで同じマントを買うから。それと、今度海にも遊びに行こう」
「いえ、気にしないでください」
「リリィもクロノと同じの欲しー!」
「リリィさんは妖精結界あるのでいらないでしょう」
「やだー!」
駄々をこねるリリィを、フィオナが弄って遊んでいる。
「すみません、ささやかな嫉妬心で余計な気を遣わせてしまったようです」
リリィの柔らかい小さなほっぺたをムニムニとしながら、フィオナは改まって言う。
俺にその気がなかったとはいえ、こういうシチュエーションになってしまったことは申し訳なく思う。何より、素直に嫉妬、などと彼女に言わせてしまうことが、男としての落ち度だろう。
「いや、俺の方こそ」
「ただ嫉むだけでは、意中の男性の心を射止めることはできないと、私はよく知っています」
「むー、やぁー」
当てつけのように、さらに激しくリリィの頬をこねまわすフィオナ。そろそろ放してやれ。あと、幼女リリィ相手に皮肉はよしてやれよ。
「というワケで、クロノさんのために素敵なランチを用意しておきました」
「そ、そうか」
なにが「というワケ」なのかは分からないが、ここは素直に喜んでおこう。
「ありがとな。でも、フィオナが料理するって珍しいよな」
クエストに出向いた時は、それぞれ持ち回りで調理することもあるが、サリエルが入ってからはそんな機会すらも失われている。メイドの立場があり、さらに抜きん出た料理の腕前を持つサリエルがいれば、つい、甘えて任せてしまう。
「私は料理ができないワケではありません。むしろ、得意な方です」
魔法学院に入る前の、魔女の先生の下で修業していた頃は、家事全般はフィオナの仕事だったという。料理含め、一通りのことはこなせるのは当然。
「料理の腕を疑ってはいないけど、それでも、どういう風の吹き回しなんだ」
「得意であることと、好きであることは、また別の問題ですからね。ですが、今回は是非ともクロノさんに食べて欲しい料理が作れそうだったので」
「おお、そう言われると、期待してしまうな。何の料理なんだ?」
「それは……ジャガー肉です」
「なにそれ?」
ジャガーって、ジャングルに住んでる豹みたいな奴だよな。ジャガーの肉ってそんなに美味いのか?
「えっ、どうして知らないんですか。ニホンの伝統的な料理だと聞いていたのですが」
「いや、日本人じゃなくてもジャガーはメインで食わないと思う」
「……あっ、肉ジャガーだったかもしれないです」
「それだよそれ! 肉じゃがだよ!!」
あんまりにも自信満々にジャガー肉って言うから、マジで全然分からなかった。異世界人のフィオナからすれば、肉とじゃがの前後関係が曖昧になっても仕方がないのかもしれない。
「ええ、その、肉ジャガーを作ってみました」
「そうか、ソイツは楽しみだ。肉じゃがなんて、食べるの凄い久しぶりだよ」
そういえばサリエルも肉じゃがはまだ作っていなかったからな。スパーダには寿司店があるほどだから、醤油は普通にあるし、きっとみりんだって探せば手に入りそうだ。
「肉じゃがのことは、サリエルから聞いたのか?」
「はい。なんでも、ニホンでは女性の料理の腕前を計る、試練の料理であるのだとか」
そうだっけ?
サリエルがホラを吹いているとは思えないから、多分、フィオナが変な解釈をしているのだろう。恐らく、家庭料理の代表格、みたいな説明から発展したと思われる。
「ですので、ちょうど材料が揃ったこの機会に、私も挑んでみようかと」
「そ、そうか……でも、そんなに気負わなくても大丈夫だぞ」
「ご心配には及びません。私の肉ジャガーは完璧です」
料理名の発音からしてすでに完璧ではないものの、素直に楽しみにしているのは本当だ。フィオナがわざわざ手料理を振る舞ってくれるワケだしな。
「それじゃあ、ありがたくいただくよ」
「ええ、早く食べましょう」
というワケで、速やかに昼食の準備が整えられた。
宿の厨房から借りたのか、それとも自前の調理器具か、フィオナがやけに大きな寸胴鍋を持ってくる。
ワクワクしながら席につくと、フィオナが鍋の蓋を取る。濛々と煙る湯気と共に、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐる。うーん、いい匂い――けど、肉じゃがってこんな匂いだったっけ?
「話に聞いていた具材は入れておきました。牛肉に、じゃがいも、玉ねぎ、ニンジンです」
牛はロックウェル産で、じゃがいもはアダマントリア産。玉ねぎはカーラマーラからの輸入品で、ニンジンは野菜というより漢方薬みたいな薬として利用されているようで、地味に一番高価な材料になった、という話を聞いている内に、全員へフィオナの肉じゃががが行き渡る。
「……なんかビーフシチューみたいだな」
器に盛られたソレを見て、思わずボソっとつぶやいてしまった。
汁気が多いというより、完全にシチューと化しているとろみのある赤茶けたスープ。その中に、説明通りの肉や野菜がゴロゴロと浮かんでいる。
この見た目に、この香り、やはりビーフシチューだとしか思えない。
思えないのだが、一口も食べてもいない内に、勝手に「これビーフシチューだろ」とケチをつけるのは良くないだろう。彼女の説明と、実際に出された料理に少々の違いがあったとしても、まずは食べてみようじゃないか。
「いただきます」
意を決して、フィオナの自称肉じゃがを食べる。
「あ、やっぱビーフシチューだこれ……」
何ら見た目を裏切ることなく、完全無欠にビーフシチューの味だった。
醤油とみりんが織りなす日本の家庭料理の風味は欠片もなく、口いっぱいに広がるのはデミグラスソースの濃厚な味わいである。
牛肉とじゃがいもをメインにした煮込み料理ではあるのだが、これを食べて何の料理かと聞かれて、肉じゃがと答える日本人はいないだろう。
「……」
サリエルも察したようで、チラチラと俺へと視線を向けてくる。
いや、待て、ダメだ、この流れで「これ肉じゃがじゃなくてシチューじゃね?」とは言いだせない。
問題なのは、レシピの違いだけであって、味としては上々だ。流石、言うだけあってフィオナは料理上手である。
ビーフシチューとして食べれば、味もよく染みていて普通に美味しい。
美味しいのだが……これは本当に、指摘をしていいものなのだろうか。フィオナにとっては、これが肉じゃが、ということにしておいた方が良いのではないか。
「クロノさん、肉じゃが、美味しいですか?」
飛んできて当然の台詞。サリエルとの目配せも終えた俺は、覚悟をもって、答えよう。フィオナ、俺を思ってわざわざ作ってくれたのだ。その思いを、台無しになど誰が出来ようか!
肉じゃがだろうがビーフシチューだろうが、どっちだって構わない。真実が、必ずしも人を幸せにするとは限らないだろう。
だから、これは必要なことなんだ。恋人を思うが故の、優しい嘘なんだ。
「ああ、美味しいよ」
「そうですか。それは良かったです。レシピが完全ではなかったので、足りないところは想像で補ったのですが、どうやら、正解だったようですね」
ふふん、とどことなくドヤ顔なフィオナ。
そうだ、これでいい。これでいいんだよな。誰も不幸にならないなら、それが正解なのだ。やはり、俺の判断は間違ってな――
「フィオナ、このビーフシチュー美味しいね!」
カッコよく嘘を貫き通したと思った隣で、リリィが無邪気な残酷さを以って爆弾を投下した。
「クロノさん、もしかしてこれ、牛肉のシチューなのですか?」
「ま、まぁ、同じ煮込み料理みたいなもんだし、似ているっちゃあ、似ているっていうか……」
「サリエル」
「はい」
「嘘偽りなく答えてください。私が作ったこの料理は、本当に肉ジャガーなのですか?」
「ビーフシチューです」
サリエルぅ! 俺、アイコンタクト送っただろう!?
「そんなに、違うのですか」
「肉じゃがの味付けに、デミグラスソースは小さじ一杯たりとも使用しない」
容赦なく真実を並べ立てるサリエル。嘘を吐けないって、こんなに残酷なことなのか。
「クロノさんは、どう思っているのですか」
「うん……俺も、これはビーフシチューだと思う……」
悪くない、フィオナの料理は悪くないんだ。このジックリ煮込まれて味の染み込んだ柔らか牛肉、美味しゅうございました。
「そう、ですか……これは肉ジャガーではなかったのですね」
どこか、力なくフィオナが言う。
自信満々だっただけに、流石にショックだったのか……って、その目の光るものは、
「フィオナ、泣いてるのか?」
「えっ……」
そう問われて、気づいたかのような反応。そして、その瞬間には、一筋の涙が彼女の頬を伝い、
「いえ、そういうワケでは……すみません、失礼します」
止めどなくポロポロと涙が溢れる顔を隠すようにして、フィオナは足早に去っていく。
「あっ、フィオナ!」
呼ぶものの、止めることはできなかった。
くそ、何やってんだ俺は!
「305号室」
ぽつりとリリィが呟いた。
「そこがフィオナの部屋よ」
「ありがとう、助かるよ、リリィ」
ヘタレてる場合じゃねぇ。こういう時は追いかけるものだってのは、鈍感のそしりを欲しいままにする俺にだって分かっている。
フォローありがとう、リリィ。元凶だけど。
食堂を飛び出し、フィオナの後を追う。
通路を駆け抜け、階段を駆け上がる。
幸い、後先考えずに走り出したワケではないようで、フィオナは自分の部屋へと入ろうとしていたところで、追いつくことができた。
「クロノさん……どうして」
「彼女が泣いてるんだ、放っておけるわけないだろう」
また走って逃げだされても困るので、フィオナの肩を抱きながら、そのまま部屋へと入る。
ひとまずベッドに腰掛け――勢いのまま、押し倒された。
「ごめんなさい。泣くつもりなど、なかったのですが」
俺の胸元に顔を埋めながら、フィオナが言う。
まだ、涙は流れているのか。あえて顔は見ず、そのまま抱きしめる。
「いいんだ。残念とか悔しいとか、そういう気持ち、少しは分かっているつもりだから」
「それもあります。でも、私は多分……嫉妬したのです」
「嫉妬? 何に?」
誰に、どこに、と問うた方が正しいのだろうか。
今日の出来事を考えると、サリエル、ということになるのだろうけど……
「サリエルとのことは、いいんです。クロノさんはいつも、あんな感じで甘やかしていますし」
甘やかすとか言うな。普通に接していると言ってくれ。
でも確かに、奴隷として扱っているワケでもなければ、明確に一線を引いて距離を置いているワケでもない。
メイドとしての仕事こそ任せているが、リリィとフィオナとほとんど同じように接しているつもりだし、そう心がけているし、何より、俺にはそういう風にしかできない。
「肉じゃがが作れなかったことも、いいのです。伝聞だけのレシピを再現など、一度で上手くいくはずないですから」
「それなら、どうして」
「一つ一つは耐えられても、重ねるとダメ、だったようですね」
ペアルックで帰ってきた俺達を見て、ささやかな嫉妬心が芽生えた。砂浜で追いかけっこまでしてきたと聞けば、さらに妬ましい。
けれど、自信をもって彼のために作った故郷の料理をふるまえば、全然別物で。
「サリエルは、最初から知っているのですよね。肉じゃががどういうものであるのか」
「それは、まぁ、そうだよ。俺達、日本人からすれば知らない者はいないから」
「でも、私は知りません。きっと、私の知らないことを、彼女は沢山、知っているのでしょう」
けれど、それは仕方のないこと。いわば、生まれの問題である。
白崎百合子の記憶を持つサリエルは、俺と全く同じ日本の知識を持つ。魔法のない、純粋な物理法則のみが支配する、あの世界のことを知っている。
「そんなこと、気にするなよ。世界が違ったって、こうして俺達は結ばれたんだ」
「ええ、そう、その通りです……それでも私は、そんなどうしようもない、気にするべきではない些細なことで、この有様ですよ。自分はもっと、冷静だと思っていたのですけれど」
感情的に泣き出してしまったことを、恥じているようなニュアンス。どうやら、自分でも涙を流すほど心が乱れるとは思わなかったようだ。
「そういう風に言えるなら、フィオナは十分、冷静だろう。何も、恥ずべきことも、悔いることもないって」
「いえ、泣いて走って逃げ出すなど、面倒くさい女の典型みたいな真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいって。たまには俺も、泣いた彼女に胸を貸す、なんて彼氏らしい真似ができたから」
それに、ささやかなショックが重なったことで泣いてしまう、なんて珍しいフィオナの繊細な面を見れたし。面倒だなんて、思うわけがない。
「それでは、このまま傷心の彼女を慰めてもらえますか?」
「まだ昼間なんだけど」
「私は今すぐ、慰めて欲しいですし、甘えたくて仕方がないのです」
ギュっと抱きしめる力が強まり、このまま絶対に離しはしないという強い意思を感じさせる。
ここまでされて、断れる男はいない。
「分かった、好きなだけ甘やかしてやる」
これはもう、第四の加護も発動かも分からんね。と、俺も覚悟が決まる。
「ありがとうございます。明日は、必ず肉じゃがが出来るよう頑張りますので」
めちゃくちゃ前向きだな。この諦めないフィオナのバイタリティよ。
頑張れフィオナ。俺は、上手に肉じゃがができ上がる時を、いつまでだって待っていよう。
そんなエールと愛しさを込めて、俺はフィオナへ唇を重ねた――
ちなみに、翌日、フィオナは見事な完成度のクリームシチューを作り上げるのだった。