第684話 密林を越えて
「ど、どうするデスか……」
「うーん……」
子供達が寝静まった夜中、レキとウルスラは切羽詰った表情で向かい合っていた。
二人を悩ませる問題は、世話をしている子供の一人である、ハーフエルフの幼女リリアンが、奴隷商人と思しき者に攫われた件である。
すでに、保護者役たるクルスによって通報済み。憲兵によって捜査はされているだろうが、所詮は身寄りのない余所者の子供一人。どこまで力を入れて捜索と救出に動いているかは分からない。
それでも一縷の望みを託しつつ、自分達も冒険者の仕事を中断し、リリアンの行方を追っていた。
そして今日、ついに憲兵から決定的な情報がもたらされた。
リリアンと思しき子供を連れた奴隷商人が、首都ダマスクを出て、カーラマーラへ向かって出発したと。
その情報提供者の証言からして、奴隷商人がダマスクを出たのはリリアンを攫った当日のこと。すでに一週間近く前のことであり、真っ直ぐ南へ向かったのなら、もうアダマントリアの国境を越えているだろう。
そして国を出てしまえば、もうアダマントリアの憲兵では手出しができなくなる。憲兵隊からは、捜査の打ち切りを通告させられていた。
「リリアンを探しに行かないと。放ってはおけないデス」
「うん、でも……」
生活が安定してきたここを捨てて、カーラマーラへ向かったらしい、というかすかな情報のみを頼りに、追いかけるのか。
また、子供達を連れて、いつ終わるとも分からない旅をするのか。
簡単に決められることではない。そんなことは、レキとウルスラは勿論、まだ小さな子供達にだって分かるだろう。今の生活を手に入れるために、どれだけの苦労を乗り越えて来たか。
「ようやく、平和に暮らせるようになったのに」
ウルスラのつぶやきには、安寧の地を捨てる苦渋に満ちている。
「そ、それじゃあ、リリアンのことは……」
諦めるのか。そう、レキは言葉にすることはできなかった。
見捨てることは簡単だ。運が悪かった、仕方がなかった、どうしようもなかった。
事実、その通りであり、誰一人として成人のいない集団の中で、責任など追及することもできないであろう。
不幸な事故だった。そう割り切って、認めるのが最善だというのは、考えるまでもなく明らかである。
最年少で、病弱で、それでも健気に、儚い笑みを向けてくれる小さな彼女の姿を、忘れることはとてもできない。
「ねぇ、レキ……こんな時、クロエ様だったら、どうしたのかな」
「そんなの、絶対、助け出してくれるに決まってるデス!」
恋い焦がれ、憧れた男の姿は、今は遥か遠く。思い出の中にしか、その頼れる大きな背中はない。
分かっている、今ここに、自分達を助けてくれるヒーローはいない。
ならば、諦めるのか。ただの非力な子供であることを認め、どうにもならないことだと、リリアンを見捨てて、自分達だけで平穏な生活を続けていくのか――
「ウル、リリアンを助けに行くデス!」
「で、でも……」
「ここで助けに行かなかったら、もう二度と、クロエ様とは会えないデスっ!!」
レキにとって、その思いはただの直感みたいなもの。あるいは、クロエへの憧れから抱く、無謀な使命感なのかもしれない。
「うん、そうかも……ここで見捨てたら、クロエ様に合わせる顔はないの」
最後は、彼に対する思いが、二人の決断を下す。
あまりに眩しい憧れがあるからが故に、レキとウルスラは、無謀な奴隷救出の旅に出ることを決意してしまったのだった。
リリアンを助けに行く。
その決定に異を唱える者は誰もいなかった。子供達も、最も年少だった彼女のことを心配しており、助けに行くのだと聞いて、みんなはもろ手を上げて喜んだ。
クルスとしては、再び子供達を連れた過酷な旅になることが目に見えていたので、素直に喜ぶことはなかったが、それでも反対はしなかった。リリアンを攫われたのは、わずかとはいえ目を離してしまった自分の落ち度であり、何より、仲間を見捨てない高潔な判断をしたレキとウルスラに、異を唱えるような無様を晒したくはなかった。
「よーっし、それじゃあ出発デーッス!」
「おおぉーっ!」
と、元気の良いレキの掛け声と一緒に、子供達は馬車へと乗り込む。
出来る限りの準備は整えた。カーラマーラへの地図に、砂漠を越えるための手段も調べた。それから、色々とお世話になった人への挨拶も済ませる。昨日は冒険者ギルドで、壮大な送別会なんかも開かれたほどだ。
そうして、うるさく小汚い、けれど、人情に溢れるダマスクを後に、子供達の旅が再び始まった。
まず、向かう先はアダマントリアの隣に位置する商業都市サラウィン。そこから、ヴァルナ森海という深い密林地帯を抜ける準備を整える。
そこを出れば、アトラス砂漠の入り口たる砂の港町ロックウェルへと至り、ここまで来れば、カーラマーラは目と鼻の先である。
せめて、気持ちだけは意気揚々と出発した子供達。今は元々の逃げ出した奴隷商人からの追手もないので、安全かつ最短となる、大きな街道を堂々と走ることができる。子供のみとはいえ、スパーダからアダマントリアまで走破してきた経験もあってか、道行は非常に順調に進んだ。
ほぼ予定通りの日数で、無事にサラウィンまで到着することができた。
「ふぅー、賑やかでいい町デスね!」
活気溢れるサラウィンは、好奇心旺盛な子供達の興味を引くモノでイッパイだ。目移りするほど多様な露店に、空腹を誘う屋台料理の匂いが漂う。
幸い、アダマントリアでの冒険者生活で稼いだお蔭で、路銀には多少の余裕がある。こういう時に、好きな物を飲み食いするのは、子供達に許されたささやかな贅沢であり、息抜きでもあった。
レキは御者席に腰を下ろして、欲張りにも両手に大きな肉の串焼きを握り、幸せそうに頬張っている。
「でも、注意はした方がいいよ。さっき、嫌な噂を聞いてね」
隣に座るクルスが、ちびちびとパンを齧りながらレキへと語る。
「最近、この辺では人攫いが多いらしい」
「むぅー、ヤな話デス」
「狙っているのは獣人ばかり、らしいんだけど……僕らのような子供は、何もなくても狙われやすいから」
特に、こういった人の多い場所ほど要注意である。
現状、ホームと化している馬車から子供達が離れなければいけない時は、必ずレキかウルスラのどちらかが同行するようにはしている。だがリリアンのように、いつ何時、不測の事態が起こるか分からない。
気を抜けない状況が続いている。
「大丈夫デスよ、すぐにこの町も出て、ヴァルナのジャングルにゴー、デスから」
「そうだね、早くカーラマーラまで行かないと。リリアンが待ってるよ」
そうして、休息と補給を終え、早々にサラウィンを出発する。
ヴァルナ森海はその名の通り、木々が生い茂る緑の海のように広大な熱帯雨林だ。ここを通り抜けるには、現地で暮らす獣人種族の協力が不可欠……というのは、今は昔の話。
有名な観光地と化しているメテオフォールを中心に、ヴァルナ森海を縦断する道は開拓されており、特に案内がなくても問題なく通り抜けることが可能だ。もっとも、その道はパンドラ最南部にあたるアトラス砂漠に通じ、その最果てにあるカーラマーラへと至る。
曰く、パンドラ大陸で最も奴隷の需要が高いと言われる、欲望の都。
この深い森を抜ける道がなければ、あるいは、リリアンが攫われることもなかったのだろうと、複雑な気持ちを抱きながら、深緑の道を進んでゆく。
「ウルー、そろそろ休憩したいデース」
「ん、もう少し進んだところに、休める場所があるみたいなの」
ヴァルナ森海を入った初日、最初の休憩地に辿り着いた時である。
先客がいた。
自分達と同じような、大きな荷馬車。それが二台、止まっている。
「レキ、あの青いローブ、多分、噂の『審判の矢』なの」
サラウィンで聞いた、獣人誘拐の犯人であると噂される怪しい宗教団体、それが『審判の矢』だ。
信者が身に着けるおそろいの青いローブは特徴的で、見れば一発でそれと分かる。
「ウル、どうするデス? このまま進んだ方がいいんじゃないデスか」
「怪しい、けど、あくまで噂。堂々と活動している以上、表だって襲ってくることはない……と、思いたい」
「ウルぅー」
「大丈夫、あそこの休憩地には、他の商人や、常駐している獣人部族の人もいる。争い事は起こせない」
幸いにも、他の人目があるということで、安全を確信し予定通りに休憩に入る。
ほどほどに開かれた密林の一角に、馬車を寄せて停車。ここには飲み水となる綺麗な水源もあるので、補給もしておく。
力自慢のレキと、お手伝いとして男子二人を連れて、湧水が出ているという小さな泉へと向かった。
水がいっぱいになった樽をレキが軽々と持ち上げ、小さな男子は両手に革袋を抱えて歩く。
そうして、馬車へと戻る途中、ふと、例の『審判の矢』とされる荷馬車の方を見た。
白い布のかかった大きな幌。風ではためいた隙間から、一瞬、大きな瞳が覗いた。
「っ!?」
気のせい、ではなかった。すでにして、俊敏なモンスターの攻撃も正確に見切るだけの動体視力を持つレキが、見紛うこともない。
猫のような目は、獣人の子供のものだった。
それも、一人ではない。何人もの獣人の子供達が、あの幌馬車に詰め込まれているのだとレキは気付いてしまった。
もしかして――そう勘付いた、次の瞬間。
「オイ、なぁに見てんだ、このガキ」
幌馬車の影から、一人の男が姿を現す。
黒い髪の大男。だが、クロエとは似ても似つかない、獰猛な野獣のような雰囲気を纏う、見るからに恐ろしげな男であった。
「ガシュレーさん、ここで揉め事はちょっと。相手は子供ですよ」
「バーカ、ガキだと思って油断すんじゃねぇよ。この世にはなぁ、ガキでも強ぇ奴が何人もいるもんだぜ」
レキが何か言い返すよりも前に、仲間なのだろう、青ローブの『審判の矢』信者が大男の止めに入っていた。
ウルスラの言っていた通り、確かに向こうもこの場で騒ぎを起こしたくはないようだ。
助かった、と思うべきか。
だがしかし、レキはすでに気づいてしまっている。あの幌馬車には、沢山の獣人の子供が乗せられていて……
「へへっ、ガキのくせにいっちょ前に殺気を放ってやがる。いいぜ、お嬢ちゃん、相手んなるぜ、この中身が気になるんだろ、ああん?」
レキの心情などお見通しとばかりに、大男はあからさまな挑発をかけてくる。
拳をバキバキと鳴らす威嚇は、如何にもチンピラ染みた姿であるが、その鍛え上げられた巨躯と、その身から発する闘気とでも呼ぶべきオーラを感じ、非常に危険な相手であるとレキは本能で察した。
「ひっ、うぅ……」
「れ、レキ姉ぇ……」
大男の恐ろしい威嚇に、すっかりおびえた様子で、連れてきた男の子二人がレキへと身を寄せる。
馬鹿なことを考えるな。守らなければならない存在が、すぐ隣にいるのだ。
だから、考えてはいけない。あの幌馬車に乗っている者のことは、考えるべきではない。
「さぁ、早く戻るデスよ」
何でもないように、レキは二人に微笑みかけて、再び馬車へと戻る。男の子も涙目で頷いて、チョコチョコと後に続く。
「けっ、犬の耳みてぇな髪しやがって。テメーが獣人だったら、容赦なくとっ捕まえたんだがなぁ」
背中にかけられる、さらなる挑発の声を無視して、レキは奥歯を噛みしめながら馬車へと戻った。
「……レキ、どうしたの」
みんなを心配させまいと、普通に振る舞ったつもり……だったが、相棒であるウルスラにはお見通しだった。
休憩地から馬車を出発させてから、小一時間。ウルスラは御者として手綱を握るレキの隣に座り、そう声をかけてきた。
「さっきの馬車に、獣人の子供がいたデス……多分、捕まった子供、だと思う」
「誘拐した子供だというなら、幌馬車には乗せない。ちゃんと隠して運ぶはず」
違う、そういうことを言いたいのではない。
なんて、ウルスラには分かり切っている。
「アレに子供が乗っていたというなら、多分、普通に買い取った奴隷なの」
「うん……子供の奴隷デス」
一瞬だが、確かに目があった。
そして、その目を見ればすぐに分かる。怯えの色が浮かぶ、あの目。ここの子供達と初めて出会った時と、全く同じ目をしていた。
「レキが、無茶しなくて良かったの」
優しい慰めの言葉は、かえってレキの心に突き刺さる。
「良くない、全然、良くないデスよ……だって、レキは見捨てたんデス」
「違う、あの子たちを助けるのは、どうやっても今の私達では無理」
「分かってるデスよ!」
そんなことは、分かっている。だから、レキは何もできなかった。
あの恐ろしげな大男に、勝てないと思ったからではない。
レキ一人では分が悪いが、ウルスラと二人なら勝機はある。青ローブの信者も、武装はしていたが、大した腕前ではないのは、隙だらけの立ち姿で察せられた。
本気を出せば、彼らを叩きのめして、力づくで獣人の子供達を解放することができたはずである。
けれど、レキはそれをしなかった。しよう、と提案することすらなかったのだ。
「うん、そう……これ以上、子供が増えたら、どうにもならなくなるの」
十人の小さな子供達。それが限界だった。大きな不満も、問題もなく。レキとウルスラとクルス、三人で面倒を見られる限界の数がここなのだと、常日頃から思っていた。
もし、あともう一人でも人数が多かったら……きっと、アダマントリアに辿り着くまでに、脱落者を出してしまっていただろう。
子供達は気付いていないかもしれないが、彼らを保護する三人は、常に限界ギリギリだったのだ。
「ねぇ、ウル、この子達とあの子達の、何が違うの……」
ポロポロと赤い目から涙を零しながら、レキはつぶやくように親友へと問う。
「レキ……」
答えはない。
ウルスラは、ただ静かに涙を流すレキの肩を、抱くことしかできなかった。
2018年10月26日
第35章は今回で完結・・・じゃないです。あともうちょっとだけ続きます。
コミック版『黒の魔王』第2話、更新してます。まだ読んでない方はどうぞ!