第682話 砦の権利
「リリィ!」
「クロノーッ!」
と、胸に飛び込んできたリリィを固く抱きしめる。
絶対大丈夫だろうと思ってはいたが、やはり実際に無事な姿を見れば大きな安堵感を抱く。
「ごめんな、リリィ。来るのが遅れて、こんな夜中になっちまって」
「ううん、いいの……私、絶対にクロノが来てくれるって、信じてたから」
「えっ、何ですかこの茶番は」
「フィオナはちょっと黙ってて」
すぐ隣で、冷めた視線を送りながら茶々を入れてくるフィオナに、リリィは口を尖らせている。確かに、茶番といえば茶番かもしれないが、それでも俺がリリィを心配していたのは事実だし、リリィも俺がちゃんと助けに来てくれて嬉しく思ってくれているはずだ。
拍子抜けするほど弱小組織だった『審判の矢』の相手など、別にリリィ一人でも余裕だったとは思うが、かといって任せきりにしていれば、きっと拗ねるくらいには不満を覚えるはず。
「ともかく、無事に終わって良かった」
捕まっていた獣人は全て解放され、『審判の矢』の教祖も捕縛された。それに伴い、砦に籠って応戦していた信者達も降服し、戦いは終わった。
「後のことはライラ達に任せましょう」
ライオネルの依頼である、末娘のライラの無事も確認されている。リリィと一緒の牢屋に入っていた縁で、ちょっと仲良くなったのだとか。
見れば、ライオネルと同じ白毛の獅子獣人の女性が、戦士と思われる大の大人へと威勢よく指示を叫んでは、この場を仕切っている。捕らえられていた獣人達は、特に衰弱はしておらず、元気なものだ。近い内に生贄に捧げられるから、余計に傷つけられることもなく、長期間の拘束を受けることはない、という嫌な理由ではあるが。何にせよ一刻を争う重病人などがいないのは幸いであろう。
解放された彼らは、ライラの指揮の元で、砦にある装備を拝借して武装し、降服した信者達を牢に入れて見張っている。見事なまでの立場逆転だ。他にも、足の速い者を選んで、『大牙の氏族』の集落へ伝令も送ったりと、本当に事後処理では俺達の出る幕はなさそうだ。
「教祖の男はどこにいるんだ?」
「牢に入れてあるわ」
「大丈夫なのか。ソイツは砦の機能を操れるんだろう」
「私がロックをかけているから大丈夫よ。もし、できたとしても、戦うことも逃げることもできないわ。手足がなくなってるから」
四肢を失うとは、いつかのサリエルのように凄惨な状態だな。そうしなければ、生け捕りは難しいほどの強敵だったのだろう。リリィが進んで残酷な真似はしない……と思いたい。
「ああ、それと、『審判の矢』と十字教に関係はありそうだったか?」
「全く無関係ね」
それなら、それで良かった。
青き光の加護とか何とか言ってたから、本当に白き神から力を授かっている可能性も考えていた。
「教祖の言ってた青き光だか言うのは、ただのエーテルのことね。もし本当に白き神の加護を得ているなら、もっと強いはずだもの」
リリィ曰く、教祖のバトルスタイルは基本的にこの砦にある古代兵器を使うだけだったという。白き神の加護を得ているならば、使徒には及ばずとも、本人が白色魔力による魔法なり強化なりできるはずだ。
「ってことは、教祖はただ偶然、この古代遺跡を見つけただけってことか?」
「元々、古代遺跡について研究していたそうよ。苦労の果てに見つけて、おまけに家宝の大魔法具が反応して、遺跡が蘇ったものだから……可哀想に、勘違いしちゃったのね」
教祖は本人だけでなく、代々、古代遺跡を研究してきた一族だったらしい。そりゃあ自分の代でこんな大発見ができれば、舞い上がりもするか。それこそ、「私は神に選ばれし」とか何とか勝手に信じちゃったり。
「大人しく研究にだけ専念していれば、彼とはいいお友達になれたかもしれないのに。残念だわ」
古代遺跡を操作できる者は、そうそういない。現状では、リリィの他にはシモンのみ。確かに、協力できれば心強い仲間になれたかもしれないが、人それぞれに欲望なり野望なりってのはあるもんだ。古代遺跡という強力な力を手に入れてしまえば、こうなってしまうのは半ば当然の結果かもしれない。
「それで、この砦はどうなるんだ?」
「うふふ、それはこれからの話し合い次第かしら。大丈夫、悪いようにはしないから、安心して」
と、悪い顔で笑うリリィに、俺はこの辺のことは、彼女に丸投げしようと誓うのだった。
『審判の矢』壊滅は、サラウィンでもヴァルナ森海でも、大きな話題になっていた。そりゃあ、獣人を捕まえて生贄に捧げている、だなんて馬鹿げた噂と思われたことが、真実その通りだったのだから、騒ぎになるのも当然だ。下手すれば、サラウィンと百獣同盟とで戦争になってもおかしくない出来事だ。
ただ、元々はサラウィンとは友好関係を築けていたことと、あくまで今回の事件は『審判の矢』というカルト教団が引き起こした惨事であるとして、その処罰だけで事は丸く収まるだろう。少なくとも、この辺に住まう者達は、人間と獣人との対立戦争など誰も望んではいないから。
ひとまず、捕まった教祖をはじめ、幹部クラスが軒並み処刑されたことで、『審判の矢』にまつわる事件の決着はついた。
そうえいば、ギリギリで幹部だったポジションである、俺が拉致ったキャスリン支部長は処刑を免れたらしい。それでも重罰を科せられることに違いはないのだが。
事件も一応の収まりをみせたことで、俺はようやくライオネルと個人クエスト達成の報酬をいただくことになった。
白金の月5日。俺達はライオネルに招待されて『大牙の氏族』の集落へとやって来ていた。入るなり、住民総出かっていうほどの人並みと、大歓声でもって迎え入れられて、ちょっと、いや、かなりビビった。
ライオネルが俺達の活躍を派手に宣伝して回ったらしい。ちょっとした凱旋パレードと化す中を、俺は固い笑顔で、リリィは余裕の笑みで手を振りながら、族長の館へ向かうのだった。
「……ライオネル、ああいうのがあるとは聞いてなかったんだが」
「ガッハッハ! 大手柄を上げた者は、皆が褒め称える。至極、当然のことではないか!」
「そうとも、リリィさんは私を、いや、囚われていた全ての獣人を救ってくれた。命を救われる、これ以上の恩などありはしない。胸を張って誇り、一身に賞賛を浴びるがいい、はっはっは!」
と、大声で笑うのは、依頼主である元族長ライオネルと、その娘ライラである。なるほど、こうして並ぶと、完全に親子だな。笑い方までソックリである。
さて、石造りの古代遺跡を流用したと思しき族長の館、その一室にて、『エレメントマスター』代表として、俺とリリィが、そして『大牙の氏族』を代表してライオネルとライラが、席について向かい合う。席といっても、椅子ではなく地べたに座る文化の獅子獣人なので、モッフモフした座布団のようなものを敷いて座り込んでいる形となるが。
まずは軽く雑談と、それから改まって事件解決の礼を述べられる。そうした前置きをほどほどに挟んでから、いよいよ本題に入る。
「メテオフォールにあるモノリスを調査させて欲しい」
「モノリス? ふーむ、要石のことか?」
どうやら、ヴァルナではモノリスのことを要石と呼んでいるらしい。操作方法などは解き明かされていないものの、ソレが古代遺跡の中核的な存在であることは理解しているのだろう。
これ見よがしにデカデカと設置してあるから、見た目的にもそうとしか思えないものではあるが。
「メテオフォールの中は、おいそれと立ち入れる場所ではないが……それがおぬしの頼みとあらば、引き受けよう」
ライオネルの一存だけで決められることではないが、彼ならば他の部族に働きかけてメテオフォール立ち入りの許可をとりつけることは可能だろう。ひとまず、これで堂々とモノリスに近づける。
今回の働きとしては、これだけで十分な報酬になるとは思うが……リリィはまだ、何も言わない。
あの砦のことは、いいのだろうか。てっきり、リリィは口八丁で砦の所有権を勝ち取るつもりなのかと思っていたが。
チラっと横目で彼女を見ると、ニコっとした微笑みを返される。そういうリアクションを求めていたワケじゃないんだが、まぁいい、もう少し話の流れを様子見だ。
「しかし、本当にそれだけで良いのか? 見ての通りワシらは森暮らしだが、金貨を持ってないワケではないのだぞ」
「いや、金銭よりも、こういう方がありがたいんだ。俺達はワケあって、各地の古代遺跡を調査しているんだが、重要な場所は大抵、厳重に管理されているから」
スパーダとアヴァロンの両王城に、ファーレンの黒き森、それからアダマントリアの鉄血塔。このメテオフォールの調査を終えれば、あとはカーラマーラまで一直線だ。思えば、この旅もすっかり終盤に差し掛かったことになるな。
「ほうほう、大陸を縦断する壮大な旅をしているようじゃな。しかし、納得がいった。古代遺跡を操るほどに詳しのは、これまでの経験の賜物ということか」
「俺はそれほどでも。一番詳しいのは、リリィだから」
「そうなのか、流石はリリィさんだな!」
何故かライラの方が嬉しそうである。しかも、どこか誇らしげ。
対するリリィは、穏やかにニコニコしているだけで、いまだ砦の処遇について切り出す様子はない。もしかして、あの砦って利用価値ないからスルーしようとしてるとか?
「その知恵を見込んで、一つ相談があるのだが」
「何だ?」
「実はのう、恥ずかしながら、またしてもあの砦を見失ってしまったのじゃ。恐らく、まだ隠蔽結界とやらが機能しているせいだと思われる」
砦を解放した後、あの場は獣人代表としてライラが、その後は駆けつけたライオネルをはじめとした『大牙の氏族』の者達が、そして、陽が昇った頃にはサラウィンからも人員が派遣され、割と大がかりな現場検証と残党狩りとが行われたと聞いている。
事件解決後の今では、『審判の矢』という危険な組織が利用した古代遺跡は、サラウィンか、あるいは『大牙の氏族』が管理するなり封印するなり、処遇を決めるはず……だったが、なるほど、まだ隠蔽結界が働いているのなら、近づくことすら難しい。
「場所は割れているものの、アレは古代よりこの地に住まう我々でもその存在に気づけなかった遺跡じゃ。あの高度な結界が作用している限り、我らではどうすることもできん」
「それなら、そのまま放っておくほうが安全じゃないのか?」
「これまではな。すでに、『審判の矢』という前例がおる以上、隠蔽結界だけで隠し通せるものではないであろう」
言われてみれば、確かにその通り。普通なら絶対に見つけられない古代遺跡だが、それを見つけて悪用した奴がいる以上、今後そうならないよう措置をとることは必要だ。しかし、見張るにしても、遺跡そのものを見失ってしまってはどうにもならない。
隠蔽結界の効果が働く範囲を、全て監視するというのも現実的ではない。なんだかんだで、結構な広範囲まで広がっているからな。
「そこでもう一度、我らをあの砦へ案内して欲しい。できれば、隠蔽結界の解除も頼みたい。無論、これは別な依頼として、新たに相応の報酬を用意することを約束しよう」
「なるほど、そんな面倒なことになっていたとは。けど、うーん、どうするリリィ?」
「そうねぇ……あの砦を操る古代魔法は、なかなか高度なものだから、難しいかもしれないわ」
そうなのか。簡単お手軽に砦の機能を操作しているように思えたし、サリエルの報告でもそんな感じだったけど、実は難しいシステムだったのか。そういう風には思えなかったが、リリィが言うならそうなのだろう……いや、待て。
うーん、と難しい顔で唸るリリィだが、その口元は何故か、笑っているように俺には見えた。
も、もしかして、これって一種のマッチポンプってやつなのでは……?
「なんと、リリィさんでも難しいのか」
「私も古代魔法には人より多少詳しいというだけで、その全てを解き明かすにはほど遠いわ」
などと謙遜しながら、リリィは流れるように言葉を紡ぐ。
「隠蔽結界を通ることはできるけれど、上手く解除までできるかどうかは、試してみないと分からないわね。それに、もし解除できたとしても、再び結界が起動するということもありえるわ」
「ふむ、なるほど、確かにそういう事態も考えられるか。しかし、そうなると今後、遺跡の監視は難しいのう」
古代遺跡を操れるリリィが、ずっと常駐して面倒を見るわけにはいかないからな。唯一それができる人物がいなくなれば、何かトラブルが起これば誰も対処できない。
「けれど、このまま放置しておくのはとても危険だわ。『審判の矢』の教祖は、私よりも古代魔法に疎かったからあの程度で済んだけれど、もっと知識のある者が現れれば、さらに遺跡の力を引き出し、途轍もない災害を引き起こすかもしれないから」
「我らにも、古代遺跡は大いなる災いの元となる、という言い伝えもある。あながち、大袈裟とは言えんな」
「滅びの魔獣を封じているとか、大陸を焼き尽くす火の玉があるとか、そういうやつのことか。ただのおとぎ話だと思っていたが、今はあながち嘘とも言い切れん」
腕を組んで、ライオネルとライラは似たような感じで唸っている。
「最低限、砦の機能を操れる者と、監視ができる体勢は必要でしょうね。でも、私達には大事な旅の目的があるから、ずっとここにいるワケにはいかないし」
「なんとからならないだろうか、リリィさん!」
身を乗り出すようにして頼み込むライラに、リリィは幼女のはずなのにやけに包容力を感じさせる微笑みでもって応えた。
「そうね、それなら……私の代わりになる人員を派遣する、ということでどうかしら?」
それって、もしかしなくてもホムンクルスだろう。リリィ女王陛下に付き従う、絶対服従の人造人間。
「おお、そんな人がいるのか!」
「忠実な私の部下たちよ。いざという時は、私と連絡をとることもできるし」
「おおお、凄い、流石はリリィさんなのだ!」
「うむ、そうしてくれると非常に助かるが、良いのか? こんな場所に、古代遺跡に精通した者を派遣するなど」
「それはいいの。部下たちも、じっくりと本物の古代遺跡を研究したいでしょうから。あの砦を自由にさせてくれると保障してくれればね」
「あそこは立地上、我ら『大牙の氏族』の縄張りにある。すぐにでも許可は出せる……が、余所者だけを置いておくワケにもいかんのだ。おぬしらを信用していない、などと言いたくはないのだが、部族の者も置かねば安心はせぬだろう。そこのところは、了承してもらいたい」
「ええ、勿論よ。私達が古代遺跡を独占するつもりはないから。監視役はそちらにお任せするし、その気があれば、扱い方を教えてもいいわよ」
「ほう、それは真か! 願ってもない話だが、本当に良いのか? 古代魔法の一端といえば、魔術士にとっては秘中の秘であろう」
「扉の開け閉めくらいはできないと、貴方達も不便でしょう?」
ガッハッハ! とリリィの妖精ジョーク(?)がツボにはいったのか、ライオネルは大声で笑った後、その野太い腕を差し出した。
「よかろう。あの砦、全ておぬしらに預ける」
「ありがとう。契約成立ね」
大きな獅子獣人の手を、妖精の小さな手が握り返し、ここに契約は結ばれた。
「リリィさん、何かカッコいいのだ」
と、契約を取り付けたリリィの姿を尊敬の眼差しで見つめているライラだったが、俺は素直に喜べないんだよなぁ……
リリィは、間違いなくこの結論を最初から狙っていた。というか、隠蔽結界を再起動させたのは、どう考えてもリリィだ。
獣人達も、サラウィンの者も、誰も古代遺跡は操れない、と踏んだ上での大胆な犯行。彼らでは決して破れない隠蔽結界を発動させておくだけで、今後の管理について必ず自分を頼ってくると見越していたのだろう。事実、この話はライオネルの方から切り出されたワケだし。
たった一つの操作で、全てこちら側に都合の良いように話を転がした。リリィはあくまで、善意で獣人達の協力に応じただけ。向こうの頼みを受けた立場でありながら、あの砦を研究という名目で実効支配する権利を手に入れたのだ。
「ね、私に任せて良かったでしょ?」
「……ああ、流石はリリィだ」
全て彼女の掌の上。俺はライラと同じようにリリィを褒め称える台詞を口にして、その愛らしい頭を撫で回すことしかできなかった。
いや本当に、流石だよ……マジで彼女が味方で、良かったと思う。