第674話 毛皮
現在、俺とサリエルは張り込みの定番であるアンパンと牛乳、の代わりに、餡子のようなクリームを挟んだパンと、牛ではないけど限りなく味わいが牛乳に近い草食動物のミルクを……もうアンパンと牛乳でいいか、ともかく、それを手にしてカルト宗教『審判の矢』が活動しているという建物の向かいに陣取っている。
サリエルが町中の会話を盗聴、もとい小耳に挟んだ結果、奴らが拠点としている建物はすぐに場所が割れた。
カルト宗教と呼んではいるものの、今のところ『審判の矢』は違法な組織であるとして手配されてはいない。堂々と布教活動をする一方で、後ろ暗い怪しい噂が立つ程度。
それも、最近になって勢力を伸ばしたことに対するやっかみなのか、果たして根も葉もある事実なのか。それを、これから確かめようと……おお、このアンパン、マジでほとんどアンパンみたいな味だ。
「美味いなコレ、どこで買ったんだ?」
「はす向かいの飲食店。このアンパンモドキは、サラウィンでは一般的で、どこでも購入できます」
なるほど、国民的菓子パンということか。だが、張り込みすると分かっていてコイツをチョイスしてくるとは、やはりサリエル、セオリーというのを分かっている。
「それにしても……見たところ異常はないというか、なんか普通に商売してるんだが」
奴らの建物は、最近建てられたばかりの綺麗な白い石造りの四階建て。周囲に比べると、大きく、高く、立派なビルといえる。無骨な箱型の石造建築はサラウィンではよく見かけるので、特別に目立つというほどではないが。
そのビルの一階部分は、開け放たれたオープンさで、行き交う人々がそれなりの頻度で立ち寄る店舗となっている。
「主に、毛皮を用いた服飾店の模様」
「ただの店にしか見えないが……」
しかし、堂々と『審判の矢』と看板を掲げている以上、ここが奴らの拠点であることに違いはない。
客を応対している店員も、他のようなエプロン姿ではなく、青色の法衣という信者の装いである。青い法衣はカジュアルなデザインなので、怪しい雰囲気はなく、統一された店の制服といっても誤魔化せそうだ。少なくとも、ビジュアル面で敬遠されるようなヘマは打っていない。
「とりあえず、ここは客のフリをして店まで入ってみた方がいいか」
「はい。店舗にまで入ることが出来れば、二階、あるいは三階までの声が拾えるかもしれません」
盗聴する気満々のサリエルだが、それが一番手っ取り早いだろう。
恐らく、二階以上の部屋では信者向けに説法やら何やら吹き込む宗教施設として機能しているはずだから、多少は奴らの本音を聞くことができそうだ。
「よし、それじゃあ……もうちょっとしたら、行くか」
今すぐ行こうかと思ったが、サリエルのアンパンがまだ半分くらい残ってる。行くぞ、と言った瞬間に、ハムスターみたいに口イッパイに詰め込みそうな気がしたので、大人しく食べ終わるまで待った方が良さそうだ。
サリエルは俺の地味な気遣いに気づいているのかいないのか、チョビチョビと小さな口でアンパンを齧っていた。何となくその姿を眺めていると、何故だろう、若干、恥ずかしくなってくる。
こうしていると、サリエルのことは素直に可愛い、と思ってしまうからか。可愛いと思っても、リリィのように好きなだけ撫でて愛でるような真似は、サリエル相手にはちょっと……一度手を出した手前、抵抗感というか罪悪感というか。
「マスター」
「ああ、行くか」
自爆みたいな気恥ずかしさを振り払いながら、俺達はいよいよ奴らの毛皮店へと潜入をはかる。
「いらっしゃいませー!」
実に愛想の良い店員、もとい、カジュアル青ローブの信者が出迎えてくれる。傍から見ていても分かっていたが、店内はなかなか賑わっているし、雰囲気も明るく、宗教関係という胡散臭さは感じられない。
表からは毛皮の服しか見えなかったが、靴や鞄などの皮革製品も充実している。色艶も手触りも良く、どれもなかなか高い品質に思える。それでいて、値段の方はそれなりに手頃だ。
サラウィンは暑いから、毛皮のコートは売れないだろうが、毛皮を用いた衣服というのは一種の贅沢品の地位を築いている。この街だけでも需要は見込めるし、アダマントリアまで北上すれば、普通に冬は寒いのでコートも売れる。
品質と値段が両立しているこの店は、なるほど人気が出るのも頷けるのだが、しかし……
「カップルですか? 凄い可愛いカノジョさんですね!? お人形さんみたい! よろしければ、お二人に似合うコーディネートなんかも、させていただきますけど」
店員が、奇襲を仕掛けてきた!
「いえ、結構です。あと、彼女ではな――」
「今日はどういったものをお探しでしょうか?」
「いえ、特には」
「こちらは今、凄く流行っているモノなんですよ。ちょっとお堅いフォーマルな感じですけど、着こなし次第でカジュアルにも全然使えるんで、かなりオススメですね。お客さんは凄く背も高いし、体格も良いので、うーん、こういったタイプのモノはとぉーっても良くお似合いですよ!」
「か、考えときます……」
いかん、こういうのは苦手だ。どうして服屋の店員というのは、こうもアクティブに攻めてくるのだろうか。
中学生の頃、姉貴に連れて行かれたちょっと値の張るショップで、猛攻撃に晒されて多大な精神疲労を強いられた苦い記憶が……彼女じゃねーよ姉貴だよ、見れば分かるだろ姉弟だよ、兄妹じゃねぇって言ってんだろ……
「あっ、お客さん、黒い髪ってなかなか珍しいですね!? それなら、こういう組み合わせなんかもイケますし、そうそう、こういった小物なんかのアイテムも重要でぇ――」
しまった、すっかり向こうのペースである。
サラウィンの住民であろう褐色肌のお姉さんは、ニコニコ笑顔のマシンガントークとコーディネートの合わせ技で、俺に防御も回避も許さない。よく見たらこの人、他の店員と青ローブの着こなしもデザインも違っていて、ちょっとオシャレだ。なんてこった、この装備は隊長機かエース専用機といったところ。新兵同然の俺では、とても太刀打ちできそうもない。
援軍求む。
「……」
サリエルは盗聴モードだった。
いいよ今は、そんなに真面目に仕事しなくても! お前のすぐ隣でマスターのピンチだぞ、助けてくれよサリエル!
「ほらほら、どうですか、黒一色からガラっとイメージが変わって、明るくオープンな感じに! 凄くお似合いですよ、彼女さんもそう思いますよね?」
「マスター、よく似合っている」
違う、そうじゃない。俺が求めているのは、盗聴を気取られないための適切な相槌じゃないんだ。お前の方から退路を断つような真似をするんじゃない!
「す、すみません……もう少し、一人で見て回ってみたいので……」
「そうですか、では、いつでもお声をかけてくださいねっ!」
そうして、俺は命からがら、ショップ店員という魔物から逃亡することに成功した。
「サリエル、俺はちょっと店の外を回ってくる。中のことはお前に任せた」
「了解」
周辺調査の名目で、俺は神滅領域アヴァロンよりも苦しかった毛皮ショップを脱して、ようやくホっと一息つく。
落ち着いたことで、真面目な方向に思考が再回転を始められる。
「しかし、本当にあの毛皮が、獣人から剥いだものなのか……」
それは、さながら都市伝説のような話である。
『審判の矢』は、獣人を攫っては、生きたまま皮を剥いで、それを商品としている――そんな噂が、サラウィンの街中で流れているのだ。
実に馬鹿馬鹿しい、くだらないデマか、さもなければライバル商店の妨害工作か、としか思えないが……純然たる事実として、ここ最近、獣人の行方不明者が多発していること、そして、『審判の矢』が掲げる教義が、獣人の根絶であるとすれば、どうだ。
これこそが『審判の矢』がカルトだと噂される最大の要因である。
表だって口にこそしていないが、獣人種というのは、人でも動物でもない欠陥生物であり、神が生み出した最大の失敗作で、今すぐにでも絶滅させるべき悪しき存在であるという、十字教並みの差別思想があるらしい。組織名である『審判の矢』とは、悪しき獣人を狩り殺すための矢であり、その矢が放たれるのは神の審判であり、絶対に覆せない真理である、とかなんとか。どこまでも獣人への殺意に溢れたこじつけである。
ともかく、よりによって獣人たちの一大勢力の目の前で、こんな獣人根絶などと言えば即日、戦争である。
だからこそ、今はまだ本性を隠し水面下で活動をしているという噂なのだが……本当に、そんな馬鹿げたことを大真面目に吹聴しているのだろうか。
商業都市サラウィンは、その成立の歴史的経緯として多少の衝突や軋轢はあったようだが、おおむね同盟圏の獣人達とは友好関係を続けてきた。そうでなければ、今日の発展はないし、街中でこんなにたくさんの獣人を見かけることもないだろう。
つまり、このサラウィンには獣人を憎む動機が、これといって存在しないのだ。大きな戦争による、殺し合いの憎しみの連鎖、というものとは無縁な歴史を辿って来ている。この街の住人にとって、獣人とは良き隣人であり友人であり、最良の取引相手だ。
感情面でも経済面でも、彼らと対立することを是とする風潮が流れることはないはず。
だがしかし、獣人根絶を掲げると噂の『審判の矢』が、こうした大きな建物を表通りに堂々と建て、勢力を伸ばしているのもまた事実。最近では、街中でも彼らのトレードマークである青ローブの姿を、ちらほらと見かけるようになってきているという。
ならば『審判の矢』にまつわる怪しい噂は全て嘘であるならば……それなら、それでいい。ただの新興宗教が、なにか上手いことやって成功しつつあるというだけの話で終わりだ。
だが、万が一にでも、これらの噂が真実であったなら。狂った教えを布教する土壌がなくとも、それが広まるというならば……そこには、神の加護というべき特殊な力が利用されている可能性は非常に高い。
俺達の旅はそもそも、オリジナルモノリスを十字教に利用されれば、一気に人々を改宗させるだけの強大な力が発動する危険性があるからだ。ハイラムにあるような中型、小型のモノリスでも、その土地で布教するにあたってブーストがかかるような効果をもたらす、ともミアは大真面目に語っていた。
浄化、とか言っていたか。ふざけた呼び名だ。あくまで、自分達が正義であり綺麗であるという前提の呼び方に、反吐が出る。
「もし、『審判の矢』も『修道会』と同じ十字教の組織で、すでにこの辺のモノリスを掌握しているなら、最悪の展開だ」
今日のところの調査で、拠点内で奴らが秘密裏に掲げる教義を叫んだのをサリエルが聞き取り、もしもソレが本当に獣人根絶というおぞましいモノであったならば、一気に奴らの危険度は増す。逆に、なんかソレらしいだけの自己啓発セミナーみたいな内容だけが垂れ流されているなら、放置の方向で構わない。
「さて、どう転ぶか……」
などと、カッコつけてうそぶくものの、実質、サリエルに調査を任せきりという情けない現状である。ショップ店員に話しかけられるのに耐えられずに、一人で逃げてきたというポイントも加味すれば、俺ってば最高にダサい。まずい、アダマントリアからこっち、いいとこナシだぞ俺……
「んん?」
と、悩みつつも、中途半端な真面目さを発揮して、一応『審判の矢』店舗ビルの周辺を怪しいところがないか回っていた最中、不意に気配を察する。といっても、俺に対するものではない。
一本、いや、二本ほど奥に入った路地裏で、何やら騒ぎが起きている模様。複数人の気配と、多少の言い合い。ギャラリーが続々と集まっている、というほどの賑わいはないようで……ただの喧嘩か、それともカツアゲか。まかり間違っても、強盗殺人などが発生していれば、見て見ぬフリというのは非常に寝覚めが悪い。
正義感半分、野次馬根性半分で、俺は何かが起きているらしい路地裏へと、そっと向かうことにした。
「――フン、貴様らの正体なぞ、とうに知れておるわ!」
最初にはっきりと聞こえてきたのは、よく通る男の声。年配のような感じがするものの、その声音は覇気と威圧感とに満ちていて、ビリビリ響くようだ。
「な、なんのことだか、全く分かりませんな。妙な言いがかりは、やめていただきたい」
対して、もう一方は同じく男の声ではあるが、大声に圧されてかなりビビっている様子。
チラリと角から覗き込んでみれば……そこには、複数の獣人と、青ローブの信者であった。
威圧的な大声の持ち主は、獣人を率いるリーダー格であると一目で分かる。頭から全身を覆う大きなローブを羽織っているが、2メートルを越える長身と筋肉が膨れ上がった逞しい巨躯は明らか。
その大柄な彼の左右に、一人ずつ同じようなローブを纏った細身の獣人が控えている。恐らく、どちらも女性だろう。
全身を覆うローブ姿ではあるものの、口元と手足から覗く毛皮を見れば、獣人であることくらいは分かる。あの口の形と髭は、猫獣人だろうか。
その獣人三人組に絡まれている形となっている、『審判の矢』信者である青ローブは、うーん、よく見たら、ちょっと豪華な感じの装いである。ショップ店員や普通の信者よりも上等そうなローブを纏っているということは、お偉いさんなのだろうか。
ともかく、まだ刃傷沙汰には発展していないものの、いつどう転ぶか分からない緊迫感が満ちている。特に、デカい獣人男の方は隠しきれない怒気が全身からみなぎっているようだ。
筋骨隆々のデカい体は、見かけ倒しではなく、相当の実力を秘めていると察せられる。彼が本気で怒りだせば、文字通りに信者男を食い殺しそうな感じだ。
「事ここに及んでは、力ずくでも吐いてもらう。だが、その前に――おい! そこに隠れている奴、コソコソせんで、出てこんかっ!!」
鋭い一喝は、間違いなく俺に向けられたものであった。
一応、気配は隠していたつもりだったのだが、気づかれるとは。まぁ、別に俺はスニーキングスキルにこれといって自信があるワケでもないので、それなりの察知力があればここで盗み聞きしているくらいは勘付かれるか。
しかし、参ったな。面倒事に巻き込まれない範囲で、事の成り行きを見守ろうと思っていたのだが、向こうに気づかれた以上は、黙って逃げ出すのも悪手だろう。それに、獣人と信者が揉め事を起こしている以上、その事情は気になる。これも調査の一環と割り切り、思い切って介入するとしよう。
「すまない、盗み聞きするつもりはなかったんだが、争っているような声が聞こえたもので」
一応、通りすがりの無関係をアピールしながら、俺は彼らが争う路地裏へと足を進める。
「むっ、お前は……」
俺を呼んだ獣人男、そのローブの奥に輝く目が、より一層の鋭さを増した。顔が怖いと定評のある俺みたいな男が出て来れば、そりゃあ警戒もするか。
と思いきや、その一方で信者男の方は、明らかに表情に喜びの色が浮かんでいた。それは正に、ピンチの時に駆けつけてくれたヒーローを見るような眼差しで――
「おおお、ガシュレー殿!」
「は?」
突如として、全く知らない名前で、よく知った人であるかのような態度で呼ばれれば、思わず素で「は?」というより他はないだろう。
「流石はガシュレー殿、この窮地に駆けつけていただけるとは。助太刀、誠に感謝いたします! では、この場は貴方にお任せして、私は支部へ急ぎ戻り、救援を呼んできますので!」
「えっ、あっ――」
なんなんだ、俺はガシュレーじゃねぇし、そもそもガシュレーって誰なんだよ、と一切の疑問を差し挟む余地もなく、信者男はこれ幸いと路地裏を駆けてこの場を脱していった。どうやら、あの毛皮ショップの拠点に戻ったようだが……
「その黒い髪に、悪鬼の如き面構え。ふぅむ、なるほど、お前が悪名高き『紅魔拳』のガシュレーか」
「いえ、違います」
ヤバい、獣人男の方にも、思いっきり勘違いされてしまっている模様。
だから、マジでガシュレーって誰なんだよ。そんなに俺と似ているのかよ。
「しらばっくれるな。立ち姿にも隙はなく、そして何より、お前からは濃い血の臭いがする……そんな男が、ただの通りすがりなワケがなかろう」
本当にただの通りすがりのランク5冒険者なんです、信じてください。と言ったところで、もう獣人男は止められそうもない。
すでに、彼は臨戦態勢に入り、その身からは隠すことなく凄まじい戦意を発している。次の瞬間には、一足飛びに襲い掛かってきそうだ。
最早、戦いは避けられない。かといって、無抵抗で抑えられたら、ちょっとどころではないほど、痛い目を見そうな気もする。
「参ったな……そっちがその気なら、悪いが、取り押さえさせてもらうぞ」
「ふはは、随分と温いことを言いよる。だが、このワシを相手にその余裕は命取りと知れ」
獣人男は、そこで深く被っていたフードをめくりあげ、その素顔を露わにした。
それは、白い獅子だった。
鋭い目には鮮やかなブルーの瞳がギラギラと輝き、純白のたてがみが雄々しくなびく。どこからどう見ても、立派なホワイトライオンの頭であった。
猫かと思ったら、とんでもない……なるほど、コイツが噂には聞いていた、獅子獣人って奴なのか。
「我こそは、ヴァルナの百獣王、『大牙の氏族』が族長、ライオネル・レオガイガーであるっ!!」