第672話 火山を越えて
アダマントリアの首都ダマスク。その郊外にある冒険者ギルド・ダマスク第四支部は、今日もむせ返るようなアルコールの臭気が漂う。
この国を代表する巨大にして深淵なダンジョンである『バルログ廃鉱』は、中へ入るための採掘場跡地は幾つも存在する。中でも、このギルド支部から最寄りの大型採掘場跡は、上質な鉱物資源の発見率が高い。それでいて、より危険なモンスターも出現しやすい、というハイリスクハイリターンな場所でもあった。
そんなダンジョンを狙っていく冒険者といえば、命知らずの荒くれ野郎か、命を賭けてでも高収入を狙うほど切羽詰まった者。ただでさえ穏やかではない気性の持ち主である上に、その人種がドワーフとくれば、それはもうギルド内の空気は常に一触即発といった危険な気配が漂う。
明日とも知れぬ命のために、よりアルコール度数の高い酒を煽る屈強なドワーフ冒険者達。そこらの酒場とは違い、異様に重く険しい雰囲気の第四支部の扉が、突如として開かれた。
バーン、とわざとらしいほどに両開きの扉が開け放たれた瞬間、荒くれドワーフ達のギラついた視線が一斉に入り口へと向けられる。
「ヘーイ!」
そこにいたのは、犬耳のように跳ねた金髪の少女。そして、その後ろに続く、ダークエルフのような褐色肌の少女。
殺伐としたギルドとは相反する、あまりに可憐な少女二人組は、最早場違いというレベルではないほど、この空間においては異質に過ぎる。だが、そんなことなどおかまいなしとばかりに、ズカズカと中へと踏み込んできた彼女達に対し、顔に大きな十字傷のあるベテランのドワーフ冒険者がついに口を開いた。
「よう、戻ったのか、嬢ちゃん達! 怪我はしてねぇか」
「見ての通りなの。カスリ傷一つない」
「今日はそんなに深く潜ってないから楽勝だったデース」
笑顔の帰還報告に、他のドワーフ達も次々と口を開き始めた。
「せやかて、レキの戦い方は危なっかしいからなぁ、見てるだけで心配になるで」
「お前よかレキの方がよっぽど強いやんか」
「なんやとコラぁ、お前よか上じゃボケ、白黒つけたろかぁ!」
「ウル、昨日3B区画に火山大ムカデのかなりデカいのが出よったで、気ぃ付けや」
「ガッハッハ、お前見つけるなり半べそで逃げ出したもんなぁ」
「なんやとコラぁ、表でろやぁ!」
「はぁ……今日もここはウルサイの」
「賑やかでいいじゃないデスかー」
レキとウルスラ、二人の冒険者が帰還したことで、殺気だったギルド内は、すっかりそこらの酒場と変わらぬ雰囲気へと早変わり。
二人がこの冒険者ギルドにやって来てから、早二週間。まだ日は浅いものの、今やすっかり二人はこのギルドに馴染み、ちょっとしたアイドルのような存在となっていた。
初めて来た時こそ、とんだ世間知らずのガキが来たものだ、と誰も相手にはしなかった。なにせ、見た目は可憐な少女でしかない。武器こそ携えているものの、全く鍛えた様子は見られない、無知にして無防備な、ただの子供だとしか思えなかった。
誰もちょっかいをかけることはなかった。そんなことをせずとも、バルログ廃鉱に入れば、嫌でも冒険者の現実を思い知るだろう――と、その日の内に二人がフレイムオークの首を持って帰って来たことで、評価は一変。
今やレキとウルスラの胸元には、銀色に輝くランク3のギルドカードが下げられている。
誰もが認めざるを得ない実力と、そして、その力に全く似つかわしくない愛らしい姿。彼女達が健気に戦う姿を見れば、一度でも言葉を交わせば、その魅力が分かってしまう。
そして、気が付けば二人はあっという間にギルドの冒険者達と打ち解けた。死の危険と隣り合わせ、ハイリスクハイリターンの危険な冒険者稼業に生きる彼らにとって、レキとウルスラの存在は輝いて見えたのかもしれない。
自分達と同じ死地に、こんなに可愛い子が立って、頑張っている。それも、聞けば悪い奴隷商人から一緒に逃げて来た小さな子供達を食わせるためと言うではないか。泣けるねぇ、こんなに泣ける話、今日び聞かねぇよ。二人の境遇は、図らずとも情に厚いドワーフにはクリティカルヒットなシチュエーションでもあった。
「ほら、チビ達が待っとるやろ、早う帰りや」
「コイツは土産だ、持って行け。あと、コレと、コレと、ソレも持ってけ」
「オマケにこれもつけたる!」
「サンキュー!」
出来立ての肉料理が詰まった袋を両脇に抱えて、レキは鼻歌混じりにギルドを出る。後ろに続くウルスラは、上品に一礼して去って行った。
外へ出ると、太陽はもう半分以上がバルログ山脈に没し、夕焼けの赤から急速に薄暗さを増しつつある。猥雑に立ち並ぶ石造りの家には、窓辺にポツポツと光が灯る。
ダマスクでもかなり外れの郊外となるこの辺は、ダンジョンとしての廃鉱と、現役で稼働中の採掘場の両方に近く、冒険者と鉱山労働者で賑わっている。どちらも、常に人手は募集中。五体満足であれば、誰でも構わない。それがたとえ、余所から流れてきた逃亡奴隷の子供達であっても。
何の身分も後ろ盾もないレキ達でも、この場所なら住居を構えることもそう難しくはなかった。幸い、道中の冒険者活動と撃退したならず者の追剥ぎによって、多少の金は持っている。
鉱山労働者向けの住居はいくらでもある。金さえあれば、十人の子供達が住める広さの家を手に入れるのはすぐだった。
築40年は越える、雨漏りスキマ風は当たり前のボロ屋が、今のレキとウルスラが帰るべき家である。
「ヘーイ! たっだいまデーッス!」
「ただいま、なの」
「おかえり、レキ、ウルスラ」
玄関を開ければ、甲斐甲斐しくクルスが出迎える。彼の後ろには、子供達がみんな集まり、元気いっぱいに声を上げた。
「レキ姉ちゃん、ウル姉ちゃん、おかえりなさい!」
クルスの教育の賜物か、全員、きちんとお辞儀をしている。それを、レキとウルスラは嬉しそうに微笑みながら、彼らの頭を撫で、抱きしめ、今日も無事の帰りを喜んだ。
「お土産あるデスよ、冷めない内に食べよ、ハリー!」
「やったぁー!」
「肉だ、肉ぅー!」
ドワーフ冒険者に貰った貢物、もとい、お土産の袋を高々と掲げて、レキは香ばしい肉の香りに興奮する子供達と一緒にバタバタとリビングへと駆けて行った。埃が立つから走らないで、というクルス少年のお小言は、誰の耳にも届いてないようだ。
「今日は少し早かったね」
「うん、あんまり深くは潜らなかったから。大したモンスターも出ないの」
玄関に取り残される形となったクルスとウルスラは、軽く今日の出来事を話し合う。
「それくらいの方が、安全でいいよ」
「もうちょっと稼ぎたいの」
「僕は今のままでも十分だと思うけど。あまり、危険なこともして欲しくないし」
曲がりなりにも、家を持ち、毎日食事が出来て、多少の貯蓄もできているのは、レキとウルスラの力があってこそ。一家を支える二本の大黒柱である。
もし、二人の身に何かが起きれば、全員共倒れとなるのは当然の結果。そして、冒険者稼業とは、いつ何が起こるか分からない危険な仕事でもある。
「クルスの方は、何かあった?」
「リリアンがちょっと風邪気味っぽいかな。ここはあんまり空気が良くないから、あの子の体には合わないのかもしれない」
リリアンは子供達の中でも最年少となる5歳の女の子だ。種族はハーフエルフ。クルスと同郷のオルテンシア王国の出身。
エルフの国であるオルテンシアでは、昔ほど酷い差別はないものの、今でもハーフエルフは一段低くみられる。ハーフエルフのリリアンが奴隷として売られたのは、珍しいことではない。
「そう、大丈夫なの?」
「今日のお手伝いは休んでもらったし、薬もちゃんと買ってあるから」
「ウルー、まだデスかー?」
「今、行くの」
待ちわびたレキからお呼びの声がかかり、やれやれという表情でウルスラとクルスは、みんなの待つ食卓へと向かった。
子供達だけの慎ましやかな食卓。それは長い逃亡生活の末に、ようやく得られた小さな安息。ここを守るためならば……そう思って頑張れるレキとウルスラは、きっと、もう子供ではないのだろう。
ダマスク郊外での生活は安定しつつある。だが、いつまでもここで暮らすつもりは、レキとウルスラにはない。
クロエ司祭を探す……その目的は今やすっかり遠のいてしまったが、二人は片時も忘れることはなかった。そして、その目的に邁進するためには、保護する子供達が、自分達がいなくなっても暮らしていけるようにしなければならない。
具体的にどうするべきか、良いアイデアはまだ思い浮かばなかったが、少なくとも、この場所で彼ら全員が働くようになれば良いというワケにはいかない、というくらいは分かっている。冒険者稼業はもってのほか。しかし、鉱山労働をするのも難しい。
ただでさえ非力な子供、その上、ここで働くのはドワーフである。人間の成人男性でも、ドワーフと同じだけ鉱山で働くのは難しい。坑道を掘るのも、鉱石を採掘するのも、ドワーフには敵わない。純然たる種族の能力差だ。
今はお手伝いとして色々なところへお邪魔しているが、自立できるほど稼ぐとなれば、それだけでやっていくのは不可能である。
ともかく、子供達だけでまともに暮らしていける環境を求めるならば、最も栄えた首都ダマスクの中央にまで生活拠点は移したい。無論、どこへ行くにしても、お金はかかる。生活していくには十分な収入だが、環境を変えるには心許ない。
故に、レキとウルスラは多少の危険を冒してでも、バルログ廃鉱の下層にまで降りて、より高額なモンスター討伐を決意したのだった。
「よーっし、今日こそヤルデス!」
「出来る限りの準備はしたの」
少なからずの金額をかけて、今のレキとウルスラはランク3冒険者として相応しい装備を整えている。
二人の冒険者としての出で立ちは、修道服からそれぞれのクラスに見合った防具へと変わっている。パルティアを渡る道中で倒した一番の大物、飛竜『ワイバーン』の素材を生かして、レキは革鎧を、ウルスラはローブを仕立てた。ランク3冒険者の防具としては、上等な部類である。
レキの革鎧は、胸当てと手足のみで、軽戦士といった装い。ノースリーブの上着で肩が出て、下はホットパンツで白い太ももが露わとなっている。露出高めなのはファッションではなく、素肌が出ている方がより敏感に魔力も気配も察知できる、という感覚的な理由がある、ということにしている。 ウルスラとしては、自分の魅力を分かっていてやっているのでは、と密かに疑惑を抱いているが、あえて口にはしていない。
機動力重視な軽めの防具であるが、手にする武器は重量級。レキのメインウエポンは、剣と斧である。
黒い両刃の長剣『オブシダンソード』と赤い刃の戦斧『レッドウォーリア』。属性もなく、魔法の付加もないが、どちらもレキの怪力で振り回されるに足る頑丈さを誇る。壊れない武器、というのはただそれだけで信頼を置けることを、レキはすでに知っていた。
対するウルスラは、正統な魔術士スタイル。全身を覆うローブは灰色で、飾り気のない実用重視。ワイバーンの革と翼膜をふんだんに使ったローブは、若干、非力な少女のウルスラには重く感じるものの、各属性への耐性は勿論、純粋な物理防御も持つ。後衛の魔術士を守るには十分な性能の防具である。
武器の方は、王道の短杖と、やや珍しい魔道書の二つを持っている。
短杖『クリスタル・アルマ』はガラスのような透き通った結晶が核となっている。属性は持たず、単純な魔力制御と増幅のみを機能とする、武器というよりは魔法の練習用の杖である。だが、ウルスラにとっては炎や雷を放つよりも、原初魔法である『白夜叉姫』を行使する方がよほど強力。最大の武器を伸ばすには、自分自身の魔法を扱う能力を底上げするのがベストな選択だ。
魔道書の方は『ジェネラルセオリー』という、これもまた練習用のタイプである。様々な下級魔法が、魔力と簡単な詠唱のみで行使できるよう、魔法陣と呪文とがセットで記された書だ。
戦闘面では『白夜叉姫』のみで十分だが、ダンジョンを進むにあたっては、戦いだけでなくある程度のサバイバル能力なども求められる。火を起こす、灯りを灯す、飲み水の確保、さらには簡単な応急処置の治癒魔法などなど。ウルスラはクロエによって鍛えられて以降、魔力がグングンと伸び続けており、さらに持前の聡明さで、魔道書を利用するのが最も簡単な方法なのであった。
そうして、万端の準備を整えたレキとウルスラは、意気揚々とバルログ廃鉱へと突入していった。
ここ最近、毎日通っているダンジョンだ。上層は勿論、中層の半ばまではすっかり把握済み。
「クォオオ……」
坑道に入って十五分、重い呼吸音のような唸り声を上げるのは、ここではお馴染みのランク1モンスター『サンドレイス』である。反響してくるその声だけで、どの程度の数がいるのかが分かるようになっていた。
「大した数じゃない、一気に突破するの」
「オーライ!」
駆け出したレキは、右手に黒剣『オブシダンソード』、左手に赤斧『レッドウォーリア』を握りしめ、十数体の群れとなって立ちはだかるサンドレイスの群れに突っ込む。
砂で体が構成される人型のサンドレイスは、スケルトンやゾンビと比べればやや固いが、レキのパワーと頑丈な武器の前では、卵の殻も同然の脆さ。その真っ白い細腕からは信じられない膂力を発揮し、剣と斧が嵐のような連撃を繰り出す。
血の代わりに盛大な砂の飛沫を上げながら、サンドレイスは次々と切り飛ばされていく。胴や手足を断ち切られ、勢いのままに吹き飛ばされ、あっという間に道を塞ぐ砂の亡霊は排除される。
今日は大物狙いということで、道が開かれればさっさと通り抜ける。さして足の早くもないサンドレイス達を置き去りに、二人はさらに坑道の奥へと向かった。
それから、お馴染みの地底モンスター達を相手に、倒したり、隠れたりを繰り返しながら、いよいよ二人はこれまで踏み込んだことがないほどの深度にまで降りてきた。
「ここはまだ中層の半ば、だけど、ここから先はモンスターも強くなる、らしい」
「ふふん、一攫千金、ゴールドラーッシュ!」
小休止を挟んでから、気合いを入れて中層域後半の攻略に挑む。
情報通り、この辺からはただのサンドレイスでも、より強力な個体が出没するようになってくる。コウモリや蜘蛛、ワームなどのモンスターも、濃密な魔力の影響を受けているせいか、大型化しつつあった。
だが、多少の強化やサイズアップをした程度では、二人の相手にはまだ不足。戦い慣れたモンスターであることに変わりはなく、どれもレキの一撃で切り裂けるし、ウルスラのドレインの腕が一撫ですれば倒れる。
「フゥー、思ったよりも、大したことないデス」
「この調子なら、下層域まで降りられそうなの」
引き締めていた緊張感が、連戦連勝で若干、緩みかけてきた時である。
「……ここ、地図にはない場所なの」
「ファッ!? も、もしかして、迷ったデスか!?」
急に、開けた大きな空間に差し掛かり、ウルスラが地図を片手に言う。迷子、というパワーで解決できない問題に直面し、レキは縋るような目で相棒を見つめる。
ウルスラは黙って地図と周辺地形とを見比べて、再び口を開いた。
「地図はあってる。今まで通って来た道も、間違いない。ただ、この大きな所は、地図に書いていない」
「ホワイ? こんなに大きな場所、どうして書かれてないデスか」
見落とすはずなどあり得ない。手にする地図も、30000クランもしたガラハド廃鉱マップ最新版である。
それでも、これだけの巨大な空間が未掲載ということは……
「つい最近、できたばかりということ」
「えっ、そ、それじゃあ――」
ギ、ギ、ギ、ギィイイエエエッ!!
二人が答え合わせをするよりも前に、解答が自ら現れた。つまり、この巨大な空間を作り出したモンスター。
おぞましい高音の奇声を岩の空間に目いっぱい反響させながら、ソレは地中より這い出でる。
何十メートルもの巨大なムカデだ。
気色の悪い茶褐色の甲殻に、赤々としたマグマのような模様が浮かび上がるその姿は、初見であっても、その正体には察しがついた。
「『ラヴァギガントピード』なの!」
「ええー、そ、ソレってここにはまだ出ないハズじゃあ!?」
そういえば、この間、ラヴァギガントピードが3B区画、すなわち、中層域のやや下側の辺りで目撃されたという情報を聞いた。普通、危険度ランク4モンスターのラヴァギガントピードが出現するのは下層域から。それも、通常よりもサイズが大きいとあって、多少の警戒がギルドでも呼びかけられていた。
しかし情報よりも、さらに上の方で遭遇するとは、不運というより他はない。
そして、駆け出しの冒険者がこういった不運に見舞われれば、奇跡でも起きない限り『死』より他に道はない。
「レキ……やるしかないの」
「イエス、ウル。こういう大物を探していたのデス」
レキとウルスラは、まだ成人に満たない子供であり、年齢を誤魔化して冒険者となった駆け出しであることに変わりはない。けれど、二人に奇跡は必要ない。
彼女達は、すでに自ら運命を切り開く力を持っているのだから。
「ゴー、ファイアーッ!!」
「行くの、『白夜叉姫』」
爆発的な戦意と共に、薄らと赤い靄を浮かび上がらせるレキと、冷気を感じさせる真っ白い濃霧を発するウルスラ。
大きな力を秘める少女を前に、ただのモンスターに過ぎない大ムカデは、侮ることも情け容赦もなく、全身全霊で二人の獲物へと牙を剥く――
地の底で響く、少女達の雄たけびと、モンスターの咆哮。レキとウルスラのコンビとラヴァギガンピードの戦いは、熾烈を極めていた。
「ウガァアアアアアアッ!」
獣じみた声を上げるのは、猛獣型のモンスターではなく、レキ。爛々と真紅の瞳を光らせながら、両手持ちで握った赤斧『レッドウォーリア』を足元の地面に、否、その背に乗ったラヴァギガントピードの甲殻へと叩きつける。
ギィイイガァアアアアアアッ!
金属質な甲殻が大きく砕け散り、灼熱の体液が噴き出す。新たに刻まれた傷に、大ムカデは絶叫を上げながらその長大な体をくねらせる。
「ウォウッ! こ、このくらいでは落ちてやらねーデス!」
暴れ回るムカデの上で、レキは甲殻の凹凸に手足をかけて、振り落とされないよう耐える。苦労して、ここまでよじ登って来たのだ。
体力の限界も近い。だが、相手も満身創痍である。
レキの攻撃によって、大ムカデの甲殻は何か所も叩き割れ、マグマのような体液で全身血塗れと化している。傷と出血を強いてはいるものの、まだ致命傷には至らない。
倒すためには、大技を当てる必要がある。
それだけの威力を持つのは、ウルスラの必殺技『白流砲』のみ。
「ウゥー、早く大人しくな――」
「レキ!」
ウルスラの叫びが耳に届くと同時に、レキも察した。肌がチリチリと焦げるような、熱い感覚。
来る、と思うよりも前に、レキは全力で真上に跳躍した。
ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
ラヴァギガントピードの全身から、真っ赤な熱風が吹き荒ぶ。接近した相手をまとめて焼き焦がす脅威の範囲攻撃だ。
開戦から幾度となく見てきた、厄介な灼熱ガス噴射だが、その発射の兆候をレキは獣じみた直感力で、ウルスラは鋭い魔力察知によって、何とか対処可能なギリギリのタイミングで感知することができる。
だが一歩間違えれば、容赦なく全身に熱風が叩きつけられ、生半可な刃や魔法をものともしない頑強な肉体になりつつあるレキであっても、致命的なダメージは避けられない。そんな、綱渡りのような回避を、レキは今回もどうにか成功させた。
「フォーリン、ダウンッ!!」
噴き出される高熱ガスを逃れるための大ジャンプを、そのまま空中からの落下攻撃に変える。大上段に『レッドウォーリア』を振り上げ、大ムカデの頭部に向かって――渾身の叩きつけ。
ギギッ!
脳天、という表現が正確かどうかは置いといて、大ムカデの頭に深々と赤い斧の刃が食い込む。叩きこまれた破壊力は、バキバキと大きなヒビを頭部甲殻に走らせる。
だが、脳にまでダメージは通っていない。ラヴァギガントピードは、まだ動いている。
「これでっ――」
深く頭に食い込んだ斧を抜くよりも、背負った剣を抜く方が早い。
レキは『オブシダンソード』を流れるように抜刀し、再び感じるガス噴射の気配を感じながらも、追撃を決行した。
「ダァーイッ!!」
頭から飛び降り様に、顔を切り付ける。黒き刃は、大ムカデの顔面にある巨大な右眼に突きこまれた。
そのまま、下へと落ちながら、大きな目玉を縦一文字に深々と切り裂いていった。
ギッキィイイイイイイイイイイイイッ!!
目をやられたのは、甲殻を割られるよりも遥かに痛いのだろう。大ムカデはこれまでよりもさらに甲高い絶叫を上げて、大きくのけ反っていた。
「ウルゥーッ!」
言われずとも、ウルスラの準備は万端。
小さな彼女の背後に浮かび上がる白い女のヴィジョンは、四本の手を合わせ、照準を定めている。
「消し飛べ――『白流砲』っ!!」
ウルスラより放たれる、強烈な『吸収』の奔流。真っ白い竜巻のように渦巻いた一撃は、痛みにのけ反るラヴァギガントピードの体をなぞる様に叩きつけられた。
すでに、『白流砲』は三度放っている。一度目は避けられ、二度目、三度目は多少その身を削るに留まった。
四度目になるこの一撃が、ウルスラにとって最後の一発となる。
初めてコレを撃った時は、それだけで倒れそうなほど消耗したものだが、戦闘を継続しつつ四連発できるようになったのは、並みの魔術士を越える魔力量へと成長を果たしているが故。だが、それでも『白流砲』の燃費は悪い。
これを外せば、後はない。だから、残った魔力を振り絞り、大ムカデにその全てを叩きつける――
キィイイイ……キョォオアアアアアアアッ!!
果たして、ラヴァギガントピードは倒れなかった。
全身には、『白流砲』が直撃した跡が深く刻まれ、満身創痍というより他はないほどにボロボロとなっている。
だが、それでも倒れなかった。
絶叫を上げ、今にも全身が千切れそうな姿でも、ラヴァギガントピードは必死に蠢き――地中へと潜って行った。
「ファアアアアアアッ!? に、逃げるなぁーっ!!」
「ウソ……ここで逃げるとか……ファックなの……」
ラヴァギガントピードは逃げ出した。相手が小さな少女二人であったとしても、自身の生命を脅かす危険な存在であると認め、野生のモンスターである大ムカデは、恥も外聞もなく逃走を選んだのだった。プライドはない、しかし、だからこそ、生き残るという最も合理的な結果を獲得できる。
「ノォーっ! レキの苦労が水のバブリーじゃないデスかー! ヤダー!」
「ふはぁ……諦めるしかないの……せめて、はがれた甲殻だけでも拾って……」
大物を追い詰めた、二人の実力は本物。
だがしかし、手負いのモンスターを逃がさず倒し切る、そういった冒険者としての実力は、まだまだこれからのようであった。
そうして、非常に残念な結果に終わったラヴァギガントピード戦。しかし、二人にとっての不運は、帰るべき家で待ち構えているのだった。
「レキ! ウルスラ!」
いつもは玄関で待っているはずのクルスが、今日は外にいた。焦燥感を隠しきれない表情で、二人を呼ぶ姿に、嫌な予感が走る。
「クルス、どうしたデスか」
「何か……あったの?」
「ごめん……僕の、僕のミスなんだ……」
二人に駆け寄ったクルスは、かなり取り乱している様子。
「落ち着いて、話して。何があったの」
ウルスラが冷静に問い、クルスは大きく息を吐いてから、ようやく事情を語った。
「リリアンが攫われた……多分、奴隷商人に……」
保護していた子供の一人が、失われた。それは、ダマスクでようやく得た、安息の終りであった。
第34章はこれで完結です。
それでは、次回もお楽しみに。