第668話 炎龍(2)
炎龍。その正体は肉体を持つ生物としてのモンスターというよりも、純粋な魔力によって形成された、魔法生命という方が正確であろう。
精霊に悪霊、妖精族など、魔法生命には様々な種類が存在するが、中でも炎龍は頂点に位置する種の一つだ。魔法生命の強さは、単純にその肉体に宿る魔力量に比例する。
ならば、地脈という莫大な源から魔力がほぼ無限に供給される炎龍は、最強の存在足りえるのは至極当然の結果であった。
今、ここに現れた炎龍は、山頂の火口に住むものと比べれば、かなりの小型。炎龍の中では小さな子供のようなサイズであるが、それでも地脈と繋がりを持つ以上、その魔力量は最早、人智を超えている。
冒険者ギルドではモンスターとしてカテゴライズされているが、実質、その存在は自然災害なのだ。
「グハハハハッ!!」
揺らぐ炎龍の向こうで、高笑いを上げるオーク大将の姿が見えた。
バルログ山脈において最強の存在を呼び出したことで、勝利を確信しているのだろう。後ろに控えるフレイムオークの軍勢も、総大将の炎龍召喚に大盛り上がりである。
「あまり正確に操れるようではないようですが……」
当然のことながら、モンスターは強ければ強くなるほど、その制御は難しくなる。炎龍ほどになれば、その完全なる従属は不可能といっていいだろう。
恐らく、オーク大将が行ったのは、炎龍をこの場に呼び出すことと、敵側に向かってけしかける単純な誘導の二つだけ。完全に使い魔として使役できているわけではない。
だがしかし、火山噴火という自然現象を体現したような存在が、ただ向かって来る、というだけで人の軍隊が壊滅的な打撃を被ることに違いはない。この本陣を炎龍が横切って行くだけでも、どれだけの死傷者が出るか。
そして、そのタイミングを見計らってフレイムオーク軍は正面突撃を敢行するのだろう。そうなれば、瞬く間にアダマントリア軍が総崩れになるのは避けられない。
完璧な作戦。少なくとも、炎龍を止める術など、アダマントリアのドワーフ達には持ち合わせていない。
バルログ山脈において、炎龍に手出しをしない、というのは古代から続く絶対的な掟である。下手に刺激して怒らせれば、それは最早、人為的に自然災害を起こすも同然の大罪であり、甚大な被害をもたらすため。
だからこそ、炎龍が姿を現した瞬間、ドワーフ達の心は折れる。その強さと恐ろしさ、そして何より、手出し無用という常識によって。
「に、逃げろ!」
「炎龍相手じゃ、どうしようもあらへん!」
アダマントリア軍の本陣は、俄かに混乱状態に陥り、今にも戦士達がバラバラに逃げ出しそうな状態である。
そんな騒ぎに刺激されたのかどうか、炎龍はおよそ生物らしさを感じさせないマグマの肉体をくねらせて、いよいよこちらに向かって動き始めた。
ォオオオオオ――
不気味な唸り声が、灼熱の風と共に響きわたる。
圧倒的な熱量と炎の魔力の怪物は、今正に、アダマントリアの陣へと飛び込もうと迫る。
「完全に制御できていないならば、何とかなりそうですね――『ワルプルギス』解放」
フィオナが手にした黒いケースは、音もなく燃え上がり、瞬時に消え去る。一握の灰となって噴き散った、ケース型の封印機は消滅し、その内に収められた魔女の長杖が姿を現す。
それは、杖というよりも、長大なメイスのような外観だ。
重厚な黒一色のカラーリングは、外装が純正暗黒物質のため。クロノの『暴君の鎧』と同じ漆黒の色合い。
だが、そこに浮かんだ輝きは、禍々しい真紅ではなく、燦々と煌めく黄金。
握った柄から、幾何学的な模様を描きながら、金に輝く魔力のラインが瞬時に浮かび上がる。それが、杖の先端部、メイスのように見えてしまうほど、大きく、凶器的な形状をした魔法の杖の核たる構造部に届くと――ガキリ、と歯車が噛み合い、動き出すような音が鳴る。
「加護は使わないですし、五分咲きくらいでいきましょう」
機械的な作動音を響かせながら、眩い黄金の輝きと共に、先端部が開いた。花が咲くように、折り重なっていた装甲が稼働し、開いた隙間から灼熱の光が漏れ出る。
まだこの杖で魔法を放っていないにも関わらず、肌が焼け焦げそうなほどの高熱を発しているのは、それだけ、莫大な量の魔力が超密度で集約されているため。『アインズブルーム』とはケタ違いの出力だ。
その秘密は勿論、魔法の杖の心臓部たるコアクリスタルにある。フィオナの心血と、トール重工第一工房の総力を挙げて生み出された、大魔法具級の魔力結晶。
五分咲きと言ったように、半分程度の封印装甲を開くことで、その隙間から漏れる輝きの向こうに、ソレがある。だが、太陽を直視するように強烈な輝きを放つが故に、その形状と輝きの全てを見ることは敵わない。
いや、人ではなく、モンスターの枠すら越えるような存在たる炎龍には、その苛烈にして激烈な黄金の光を真っ直ぐに、見つめていたのかもしれない。
「さて、こういう方法はリリィさん向き、ですけれど、やってやりましょう――『同調波動』」
野生のモンスターを使役する方法は、幾つかの種類に分類されている。
一つは調教。
対象のモンスターを鎖で繋ぎ、飴と鞭を与えながら共に行動することで、自然と主従関係を構築する方法。ペットの犬を躾けるのと本質的には同じであり、最も基礎的かつ普遍手的な方法である。
もう一つは、同調である。
調教が動物的本能を持つ生身のモンスターに対する使役法であるのに対し、同調は精霊などの魔法生命に対する使役法である。
その原理は、相手に自分の魔力を流し込み、同調させることで、こちらの意図を相手に伝え、従わせる、あるいは支配するというものだ。特に召喚術士クラスでなくとも、一流の魔術士であれば、自分の得意属性と同じ精霊を同調で従わせることは造作もない。
故に、フィオナもそれなりの心得というものを持っている。
『同調波動』は、魔法生物を相手に己の魔力を発してテレパシーのように直接干渉する、同調の基礎的な魔法である。
もっとも、魔力制御が苦手な彼女は、繊細なコントロールが重要な同調は不得手であり、また、『エレメントマスター』においても特に必要な場面は皆無だったので、そのスキルをお披露目する機会はこれまで一度もなかった。
だがしかし、今回だけは奇跡的な条件が揃った。
同調相手は、燃え盛るマグマの怪物、炎龍。
フィオナの高出力な同調によって、並みの精霊なら過負荷で爆散するところだが、無限の魔力で動く炎龍相手にその心配はない。
そして、炎龍は精密な高等魔法によって制御されているワケでもなく、ほぼ魔力と相性の力技による、呼び出しと誘導、という単純な術式で操られていること。外部からの干渉に対する防護も、一切とられていない。
さらに言えば、火の原色魔力が色濃く満ちるバルログ山脈において、フィオナの力は普段よりも高まる。行使できる魔力量に、自然の原色魔力によって補正が得られる。
これに加えて、フィオナの誇る莫大な魔力を全開で回しても耐えるだけでなく、増幅すらさせる新たな杖『ワルプルギス』が揃えば――
「止まれ」
つぶやくような、小さな一言。
だが、そのたった一言で、炎龍はピタリと動きを止めた。
「な、なんやて!?」
「止まった……炎龍が止まっとる……」
肝の図太いドワーフ達も、息を呑んで見上げている。炎龍は灼熱の大顎を開き、いよいよ本陣に飛び込む寸前の体勢であった。
超出力の『同調波動』の行使に集中力を割いていたフィオナは、自分のすぐ頭上で停止した炎龍の姿にようやく気付いて、一筋の冷や汗が頬を伝った。
「ふぅ、ギリギリでしたね」
正直、やってる最中で「あ、やっぱダメかも」とちょっと思ってしまったのは、誰にも内緒である。
ともかく、成功したので良しとする。普段は使わない苦手な魔法で、なおかつ時間もないという極限状況下でやってのけたのだから、十分すぎるほど、よくやった方だろう。
「あまり、留めておくのは良くないですね。私にとっても、貴方にとっても」
炎龍はフィオナの同調によって、ひとまず、動きだけは止めてくれた。だがしかし、それは炎龍にとってはほんの気まぐれ。人にたとえるならば、消え入りそうなほどの小さなささやき声を、とりあえず聞き届けてくれたにすぎない。
ふとした拍子で、いつ炎龍が動き出すか分からない。そして、本格的に暴れ回るようになれば、いくらフィオナでももう抑えることは不可能だ。
「さぁ、山へ帰りなさい」
小さな子供へ言い聞かせるような台詞と共に、フィオナは黄金に輝く『ワルプルギス』を高々と掲げる。
二度三度、その太陽のような輝きを見つめた炎龍は……のっそりと身を翻して、元来た道を戻り始めたのだった。そう、炎龍を呼び出した張本人が座す、フレイムオークの本陣へと向かって。
「炎龍が帰っていく!」
「なんなんや、あの小娘の言うことを聞いたんか?」
「なんでもええ、ともかく助かったんや」
背を向けて去ってゆく炎龍の姿に、アダマントリアの陣中からは安堵の息と声が漏れる。素直に歓声をあげられないのは、まだすぐ傍に絶大な存在感を放つ炎龍がいるからだろう。どんな刺激で、機嫌を損ねてまた飛び掛かって来ないか、不安で仕方がない。
「もう変な魔力の流れにホイホイついて行ってはダメですよー」
フィオナだけは、去りゆく炎龍に向かって呑気な声をかけていた。
迫る火山の脅威を追い返して、すっかり気も抜けてくる。もう一仕事を終えた気分だ。
事実、すでに仕事は、受注した緊急クエスト『フレイムオーク軍討伐』は終わろうとしている。
山へと帰りゆく炎龍の向こう側に、フィオナは本来の術者たるフレイムオークの大将の顔を見た。
「ウゥ、ガ、……アガガ……」
モンスターなオークの顔色など、フィオナには分からない。
分からないが、なんとなく彼の顔が、最愛の女性を寝取られたのを目の当たりにしたかのような表情、だと思った。信じて送り出した炎龍が……
「モンスターを相手に、人が魔法で負けるワケにはいきませんからね」
三本角のフレイムオークは、その種において百年に一人生まれるかどうかの天才に違いなかった。
モンスターであるフレイムオークに、魔法の伝承も師匠も存在しない。彼は、生まれもったその才能のみを頼りに、自らバルログ山脈の主たる炎龍を操る術を編み出したのだろう。
その絶大な炎魔法と魔力量とをもって、炎龍を使ってダマスクを襲う。作戦は半ば成功しかけていた。
彼にとって最大の不幸は、敵にも炎魔法の天才がいたこと。
自分を上回る才能。そしてなにより、人が連綿と受け継いだ魔法技術とそれを伝える師匠のいた魔女に、所詮は一代限りの独学魔術士など、敵うはずがない。
「もし、貴方が人に生まれていれば、さぞ立派な召喚術士になれたでしょう」
残念です、とその才能を認める言葉をフィオナがつぶやくと同時に、フレイムオークの大将は帰って来た炎龍に飲み込まれた。
「グゥ、ガ……ウゥウウガァアアアアアアアアアアアア!」
バルログ山脈に響く大きな断末魔。
彼の神輿と、それを担ぐトロールごと、マグマの大口に消えゆく。炎龍に食われれば、灰すら残らず、消滅する運命。
「ムガァアアア!」
「オォオオアアアアアアアアアアアアア!?」
そして、後ろに控えていたフレイムオークの軍勢も、大将と同じ末路を辿る。
ドワーフほど強く炎龍に対する警告は身に染みていないのだろう。迫る炎龍を前に、愚かにも反撃を試みる者が続出していた。
黙っていれば、そのまま本陣を真っ直ぐ横切り、山頂方面に向かって帰るところだったのが、下手に刺激をしたせいで、炎龍の怒りを買ってしまう。
そこから先は、最早、戦いとも呼べない、虐殺。いや、それは自然災害に巻き込まれただけの、事故といった方が正確かもしれない。
動くマグマの塊である炎龍が、フレイムオークの陣中を縦横無尽に暴れ回る。鉄の刃も、魔法も、通じるはずがない。火山の噴火を、武器で止めることは不可能だ。
炎龍が地を這うように頭を振っただけで、何百、何千と、フレイムオークの兵士は飲み込まれ、消え去る。
堪らず、方々へと逃げ出す者達がすぐに出てくるが、すでに逃げ場はない。
炎龍は長大な体を活かして、蛇のようにとぐろを巻く。陣地の外周を全て囲む、巨大なとぐろ。
そして、それを締め上げて行けば――逃げ場など、あるはずもなかった。
グゥォオオオオオオオオオオオ――
炎龍は去ってゆく。
一体残らずフレイムオークを滅して。ただ、黒焦げとなった更地だけを残し、山へと帰って行った。
その圧倒的な暴威の様子を、アダマントリアのドワーフ達は、一言も発することなく、ただ見届けるのみであった。
「これ、勝ちでいいんですよね?」
誰もが黙りこくる中にあって、フィオナは隣で硬直しているドワーフ戦士へと気軽に話しかけていた。