第663話 とある鍛冶師の凋落(2)
レギン・ストラトスは鍛冶の天才だった。超がつくほどの天才である。
そして、鍛冶師としての志は、誰よりも高かった。
「最強の武器を作りたい」
鍛冶に目覚めると同時に抱いた、唯一にして絶対の目標。金も名誉もいらない、ただ、この世で最も強い武器を一つだけ、自分自身の手で作りたい。シンプルにして、究極の目標である。
目標が定まれば、レギンはそれに向かってひたすら突き進む。
トール重工に弟子入りしたのは、最強の武器を作るための環境を得る、最善にして最短のルートだと思ったから。
レギンにとって、鍛冶師の修行も日々の仕事も、全ては単なる通過点。むしろ、最強の武器のためにならないような事柄は、積極的に避けた。そんなモノにかまけている暇はない。
十年かけてみっちり基礎を積む? 馬鹿馬鹿しい。時間の無駄も極まる。
だが、そういう姿勢が、周囲には不真面目に捉えられたのだろう。実際に槌を振るうより、考える時間の方が長いレギンの性格が、さらに拍車をかける。
短気なドワーフは、考えるよりも先に手が動く。失敗したら直せばいい。それが、基本的な考え方。一方、気長なエルフはよく考える。考えに考え抜いた思考の果てに、最適解を導き出す。失敗しても、後は微調整で済む。
どちらが優れた方法論かは意見が分かれるだろうが、少なくとも、お互いからすれば、お互いのことを「なんて愚かな」と思うに違いない。有名なドワーフとエルフの種族間対立が根深いのは、考え方の相違という面も大きいだろう。
ともかく、エルフ的な思考のレギンは、とにかく他のドワーフ達には嫌われた。何もしていない、遊んでいる時間の方が長い。確かに、酒は飲むし、女遊びもよくやった。だが、ソレに熱中した時は一瞬たりともない。
どんなに高い酒を飲んで酔っ払っても、どんなにいい女を抱いていても、頭の中には最強の武器のことしか思い浮かんでこない。気分転換のつもりでも、考えられずにはいられない。
そして、そんな風に考え付いたアイデアを、数少ない仕事の時間に試すのだ。
これでただのゴミができれば、単なる無能な怠け者として、レギンはとっくの昔にトール重工を叩き出されている。
しかし彼は、何かを作る度に、素晴らしい品質のものに仕上げた。それこそ、たったの15歳で依頼の指名が来るほどに。
「レギン、お前の作った戦斧、200万で売れたそうだな」
「あー、アレね。酔った勢いで一晩で仕上げたから、正直、どう作ったのか全然覚えてねーんだわ。いやぁ、あんな適当なモンでも200万ってんだから、ボロい商売だよな鍛冶師って」
お蔭で、金は稼げるようにはなった。
たかが、三つか四つほど魔法が付与された程度の武器が、あんな値段で売れるのだから、本当にボロ儲け。
だが、金で時間は買えないし、アイデアも、センスも、欲しいモノは何一つ手に入らない。焦燥感ばかりが募る。
いっそ、ライバルを自称する同期のデインのことが羨ましかった。
彼の夢は、父親のように立派な工房長になること。
トール重工の一番工房長になれば、それだけで夢が叶うのだ。たったそれだけのことで、満足できるのだ。何という幸せ者だろう。
そんな無為なことを考えてしまうほど、成人になったレギンは行き詰まっていた。
アダマントリアでできることは、おおよそ、考え尽くしたし、試した。これ以上、素材や設備を良くしても、到底、自分が求める最強の武器にはならないと確信していた。せいぜい、世界で一番品質の良い武器、程度にしからならない。
それではダメだ。今の時代で一番良い、というだけでは最強とは呼べない。
最強の称号を得るためには、古代を越えなければいけないのだ。現代よりも遥かに進んだ魔法技術を持つ時代。そして、古の魔王ミア・エルロードが生きた時代。
現在、最強の武器は何か? と問われれば、恐らくは、魔王ミアが使った武器だと答える者が大半だろう。
だが、その武器が剣だったのか、魔法の杖だったのか、あるいは古代にしか存在しなかった未知の形態のモノなのか、それすら明らかとなっていない。
越えるべきモノの正体すら判然とせず、レギンの目標はいまだ遥か遠く、霞んで見ることすら叶わなかった。
だが、そんな行き詰まりを見せたある時、転機が訪れる。
それは、たまたま工房に運び込まれた、一本の剣であった。
「うおおっ、なんやコレ! この剣、呪われとるやないかい!!」
先日、巷で発生した辻斬り事件の犯人が使った剣である。犯人の男はそれなりに裕福な商人で、古い武器のコレクターであったという。見事な装飾の儀礼剣、に見える剣が、実は呪いの武器であり、その呪いによって気が狂った末の犯行というワケだ。
「……コイツは、凄ぇ」
思えば、本物の呪いの武器を目にしたのは、初めてであった。
そして、盲点だったと悟る。
呪いの武器は、強い。普通の武器、高品質な武器とは、異質な強さを持つのだ。
呪いに狂った者の暴れぶりは、凄まじい。ただの素人でも、一度それを握れば、戦士を複数相手にしても抑えきれないほどの、大立ち回りをみせる。
実際、この事件の犯人を取り押さえるのに、酷く苦労したらしい。
「イケる、かもしれねぇ……呪いの武器なら……」
だが、呪いの武器の最も特異な点は、成長すること、である。
呪われた武器を使って戦い、殺し、さらに血を啜り、業を重ねてゆけば、呪いは『進化』するのだ。
最初は多少の怨念が染みついた程度の錆びた剣であっても、それを使って人を斬り続ければ、斬れ味は増し、強度が増し、さらには新たな獲物を狙うために五感を強化、あるいは特殊な能力が発現することだってある。錆びた剣が並みの名剣や魔剣と同等の業物と化すということだ。
ならば、最初から最高品質の呪いの武器を作り出すことができれば。どんな方向性にも能力を伸ばせるような、まっさらな凶器を宿した呪いの武器。それが、進化を果たしたなら……
新たな可能性を見つけたレギンは、すぐに行動を起こした。
「俺、トールやめるわ」
「なんだ、とうとう独立するのか?」
「っつーか、アダマントリアを出る」
「はぁ!?」
もう、トール重工で学ぶことは何もない。
むしろ、真っ当な武器の製造をてがけるトールにいては、呪いの武器の研究などできるはずもなかった。
「ここを出て、どこに行くってんだよ! 鍛冶師するなら、アダマントリアがパンドラ一だぞ」
「別に、どこだって鍛冶師なんてやっていけるだろ」
ひとまず、呪いの武器のコレクターとして有名な人の下を訪れる。呪いの武器について、まずは見て、触れて、詳しく知るところから始めなければ。
「馬鹿野郎! アダマントリアにいるから、世界一の武器が作れるんだろうが!!」
確かに、それは認める。だが、レギンの求めるものは、最強なのだ。
「なぁ、デイン……最強の武器、ってなんだと思う?」
この自称ライバルのデインともお別れか、と思えば、レギンとしても一抹の寂しさを感じたが故の、問いであった。
なんだかんだで、弟子入りしてから今日までずっと、自分と付き合い続けた者は、彼一人だけ。誰も彼も、レギンには関わらないように離れていく。普段の態度を思えば当然の結果で、気にするほどのことでもない。
だが、デインだけはずっと、自分の後ろを追いかけ続けた男だった。
「黒き神々の加護を受けた、聖剣だ」
デインの答えは、想定通りであった。
神の加護を受ければ、人智を越えた力を誇るだろう。
だがしかし、忘れてはいけない。魔王ミアは、元々は人間だったのだ。この世界で生きる、一人の人に過ぎなかった。
そして、人として生きた時代に、ミアが振るった武器が最強であると伝わるのならば――最強の武器は、人が作り、人が使わなければならない。
それこそ、再び後世で魔王と謳われるような人物が振るう武器。伝説となり、そして、いつか神話と化す、そんな武器である。
「そうか。俺は、呪いの武器だと思う」
少し、教えすぎたかな、などと思いながら、レギンは翌日、アダマントリアを旅立った。
それから二十年。
呪いの武器を求めてパンドラの各地を放浪しながら、最終的に居ついたのはスパーダである。
ガラハド山脈を挟んで、大陸中央への侵攻を目論むダイダロスと接する、パンドラ大陸で最も大きな戦争が起こりうる国だ。呪いの武器は、悲劇や惨劇の末に、あるいは狂気の果てに生まれる。大きな戦場は、そういったことが起こるのに最も相応しい環境だろう。
常にダイダロスへ備えるスパーダでは、他国に比べて武器の需要も高い。天才的な鍛冶師であるレギンは、喜んでこの国に受け入れられた。
さらに幸いだったのは、スパーダで中堅の武器商人であるモルドレット武器商会の会長が、熱烈な呪いの武器コレクターだったこと。
「うむ、驚きだな。その若さで、これほど呪いの武器に深い見識を持つとは。このモルドレット、素直に貴殿へ敬意を表しよう」
「いえ、会長こそ、素晴らしい鑑定眼をお持ちで。どれもこれも、逸品揃い。ここまで見事なコレクションは、他では見たことがありません」
誰よりも呪いの武器を愛するヴァイン・ヴェルツ・モルドレットと、誰よりも呪いの武器の探究を深めたレギン・ストラトス。二人はすぐに意気投合し、無二の親友となり、最良のビジネスパートナーとなったのは自然の成り行きであった。
モルドレットと組んだレギンは、これまで小出しにしかしていなかった実力を一気に解放。瞬く間に、その優れた武器はスパーダで爆発的な人気を博した。
特に、呪いの武器研究の過程で習得した、新機軸の付加魔法による魔法の剣は、絶大な威力を誇った。次々に強力な魔剣を作り出すレギンは、『魔刃打ち』の異名を持つ、スパーダ一の人気鍛冶師となった。
そして、レギンの名が売れると同時に、中堅どころでしかなかったモルドレットは、スパーダで最大手の武器商会へと急成長を果たしていったのだ。
しかし、レギンにとって鍛冶師としての成功は、これもまた通過点の一つに過ぎない。彼には、このスパーダで一番の鍛冶師になる、という地位が必要だったから、成り上がったにすぎないのだ。
その理由が、スパーダ国王だけが握ることを許される『王剣・クリムゾンスパーダ』である。
「レギン・ストラトス。汝をスパーダ一の鍛冶師と見込んで、我が王剣の修理を命ず」
この命令を、待っていた。
第52第スパーダ国王、レオンハルト・トリスタン・スパーダは、来るべき第四次ガラハド戦争に向けて、王剣の強化改造をするつもりとの情報を掴んでいた。初代国王ジークハルトより代々受け継がれた、スパーダ最古にして最強の王剣は、度々、修理や強化改造を経て、現在の姿に至っている。
そして、スパーダにとって伝説ともいえる王剣に手入れを許されるのは、その国で一番の鍛冶師と限られる。
「イケる、イケるぞ……この『クリムゾンスパーダ』なら、最強の呪いの剣ができる!」
長年の研究の果てに、辿り着いた答えが、この王剣であった。
理論上では、『クリムゾンスパーダ』を呪いの剣に変えることで、いまだかつてない絶大な力を得られるだろうこと。それは、この剣が建国以来、大きな戦で必ず使われてきたという、歴史的な経験があってこそ。伝説と謳われる王の剣は、伊達ではない。
それほどの剣が呪いを宿し、進化を果たすことに成功すれば……
「さぁて、やるかっ!!」
この時のために、全ての準備を整えてきた。
呪いの理論と、鍛えた技術、最先端の設備に、最高品質の素材。スパーダ一の鍛冶師となり、スパーダ一の武器商人と組んだからこそ用意できた、最高の環境である。
万が一にも、失敗はありえない。
表向きは王剣をベースとした強化だが、『クリムゾンスパーダ』は完全に潰している。普通は、様々な素材を錬成によって融合・補完することで元の形状そのままに強化を果たす……だが、最強の武器にとって必要な部分は王剣の芯とでもいうべき、極一部分のみ。スパーダの王剣といえども、レギンにとっては不純物の方が多い、原石に過ぎない。
邪魔な部分は全て削ぎ落とし、残るのはほんの一握りの金属塊。だが、最強の剣の核となりうる、長い戦歴を刻んだ王の鋼である。
これで、最強の剣を作り上げるための、全ての材料が揃った。最早、強化ではなく完全な新造。レギンはゼロから、最強の剣を作り上げるのだ。
ついに、長年の夢を叶える目前まで来て、興奮は最高潮である。
いまだかつて、これほどまでに槌を振るうのが、楽しく感じたことはない。むしろ、このまま永遠に続けばいいとさえ思えた。
そうして、レギンは間違いなく人生最大の仕事を果たす。
「……できた」
最後の大詰め、七日七晩不眠不休での作業を乗り越え、精根尽き果てたように、呆然とつぶやく。
完成した、『魔刃打ち』レギンが仕上げた『最強の武器』は――漆黒の大剣であった。
煌めく真紅の刀身、故に『クリムゾンスパーダ』と命名された王剣だが、黒一色と化した今、それはもう全くの別物といっても良いだろう。燃え盛る火炎のオーラが迸るはずの刀身には、今はレギンが呼び覚ました長年の戦いの果てに刃へ染みついた怨念と、選りすぐりの呪いの武器から抽出してきた瘴気が、ドス黒いオーラとなって渦巻いている。
栄えあるスパーダ王に相応しい赤い王剣から、地獄を統べる悪魔の王が持つような、禍々しい剣である。
ならば、これはもう『クリムゾンスパーダ』ではない。
歴史に残る、最強の武器。その銘は――
「――『魔剣・ベルセルク』」
だが、その剣の本当の銘を知るのは、製作者にして命名者たるレギンただ一人。
受けた王命は、あくまで『クリムゾンスパーダ』の修理。ならば、王剣の修理は完了したのだと、そのまま還さなければならない。
故に、厳重な多重封印を施し、さらに完璧な擬装能力によって、見た目は完全に元通りに見せかけることができる。まさか、一度完全に潰しているとは、誰にも想像はできない。
再び真紅の大剣と化した『王剣・クリムゾンスパーダ』では、呪いの力は九割方の封印状態にある。しかし、完全に解放させれば、即座に『魔剣・ベルセルク』と化すだろう。
更なる力を求める者だけが、呪いの封を解けば良い。
「ふっ、まぁいい、陛下もこれを一振りすれば、すぐに分かる」
今代のレオンハルト王は、初代に勝るとも劣らない天才的な剣士として有名だ。そんなレオンハルト王ならば、これまでの王剣を遥かに凌駕する、最強の力を認めるだろう。
そして、この剣でダイダロスの竜王ガーヴィナルを討ったなら、強大な黒竜の力を取り込み、進化を果たせる。その時点で、世界で並ぶモノはない最強の魔剣と化すだろう。
遠からず、『魔剣・ベルセルク』の力はパンドラ中に広まる。そんな絶対の自信をもって、レギンは『王剣・クリムゾンスパーダ』を返還した。
そして、夢は、そこで終わった。
「――レギン・ストラトス、国王暗殺未遂の罪により、即刻、死罪を申し渡す」
修理を終えて返還された『王剣・クリムゾンスパーダ』を抜いた、レオンハルト王が倒れた。原因は、激烈な呪いの瘴気にあてられたため。
普通の人間なら、一瞬で発狂し、脳が沸き立ち死に至る。レオンハルト王は、類まれな剣士であり、鍛え上げられた肉体と膨大な魔力と、そして何より強靭な精神力を持つが故に、倒れただけで済んだのだ。
ただ、最強の武器を作りたかった、レギンの心を分かる者は、誰もいない。
傍から見れば、王剣に呪いという名の毒を仕込んで、国王暗殺を謀った大罪人だとしか捉えられない所業である。
代々伝わる王剣を呪いの武器に変えるなど、あってはならない重罪であると、この期に及んで初めてレギンは気付かされたのであった。
「……待て、余は無事である」
呆然自失としたまま、断頭台にかけられたその時、青ざめた顔のレオンハルト王が現れた。
「その者は、鍛冶師としての仕事を果たしたまで。王剣を扱えぬは、余の未熟に過ぎん」
国王陛下直々の差し止めによって、死罪は免れた。
「すまぬ、レギン・ストラトス。余では、この剣の真なる力を解き放つことはできぬ。願わくば、この最強の剣の使い手が、現れんことを」
レオンハルト王は、レギンの意思を全て汲んでくれた。
最強の剣を作り上げたと、認めてくれた。そして、自分では使いこなせなかったとも、認めた。
そう、最強の武器は、確かにここにある。だが、使い手は、誰一人としていなかったのであった。
「……」
レオンハルト王の恩赦によって、死罪を免れたレギンであったが、王剣の修理によって国王が倒れたというニュースは瞬く間に広がり、『魔刃打ち』の名の信用は失墜した。鍛冶師としての引退を宣言し、せめてもの罪滅ぼしとして、ドワーフの誇りでもある髭を全てそり落とした。以後、二度と髭を伸ばさないことも神殿で誓った。
だが、世間の評判よりも何よりも、レギン自身が鍛冶師としてすっかり抜け殻となってしまっていた。
最強の武器はできたはずだが、使い手が欠けるのは、果たして、夢が叶ったと言えるだろうか。
ある意味では、叶ったといってもいいだろう。
だがしかし、完成と同時に、レギンは抱いてしまった。この『魔剣・ベルセルク』が、本当に最強である証が見たい。この剣が、どんな敵をも切り裂き、貫く、最強の刃であると証明したい。
そして何より、数多の強敵を打ち倒し進化を重ねた果てに辿り着く、古今東西で『最強の武器』の姿を見たい――
夢の先に広がっていた、更なる欲望である。
「誰でもいい……誰か、俺の『魔剣・ベルセルク』を、使ってくれ……」
スパーダ最強の剣士であるレオンハルトでさえ、抜いただけであの有様だ。これでは、少しばかり呪いの武器への適性がある程度では、全く、相手にもならない。
『魔剣・ベルセルク』は、最強の剣などではなく、単なる握った者を狂い殺す、猛毒でしかなかった。
そんな最悪の剣の使い手など、現れるはずもない。
「レギン、またウチで働かんか? 工房は用意しよう。単なる鉄の剣だけでもいい、鍛冶師として、やっていくつもりはないかね?」
使い手、という自分ではどうにもならない壁にぶち当たり、自暴自棄となっていたレギンに声をかけたのは、モルドレットであった。
「そうか……そう、ですね……ははっ、私には、どうせこれしか能がありませんから、ねぇ」
こうして、アダマントリアで最強の武器を作り上げる鍛冶師を志してより、ギラギラと野望に燃える自分勝手な超天才が、ただの小さな鍛冶工房を営む凡百の鍛冶師へと落ちぶれたのだった。
一度、夢を諦めれば、思ったよりも平和で、穏やかな生活が始まった。
省みることすらなかったダメな父親と同じく、ストラトス鍛冶工房と何の捻りもない看板を掲げて、それなりの品質の武具を、それなりに収める日々。
そんな普通の生活を送り始めて、レギンは40歳を超えて初めて、人との関わりのありがたみを実感した。
死罪を撤回するために現れてくれたレオンハルト王をはじめ、落ちぶれた自分を今でも世話を焼いてくれるモルドレット会長。そして、夢を失ってぽっかりと穴のあいたような胸の中を埋めてくれたのは、酒場で知り合った同郷のドワーフの女性。気が付けば、彼女は自分の妻となって、当たり前のように隣にいてくれる。
野望に燃えた昔の自分を何一つ知らない彼女の存在が、何よりもありがたかった。
「これで良かった……良かったんだよなぁ、デイン」
一介の下請け鍛冶師となって、故郷を懐かしむ思いすら、抱くようになった。かつて見下した自称ライバルは、トール重工の第一工房長になるという夢を果たしていると知ったのは、気まぐれに出した手紙への返信によるものだ。
穏やかな鍛冶師生活に、細々と故郷で大成した友人と文通する。たったそれだけのことに、充実感を覚えるようになった頃、一人の少女が訪ねてきた。
「す、すみませーん、この設計図の通りに武器を作ってもらいたいんですけどー」
エルフの錬金術師であった。
自分で設計した武器を作りたくて、鍛冶工房を訪ねて回っていたが、どこも断られて困っていたらしい。神学校の学生でランク1冒険者で、払える金額はスズメの涙。さらに、相手がエルフとなれば、ドワーフの職人が快くOKを出すことはありえないだろう。
「ほう、見せてもらってもいいかな、エルフのお嬢ちゃん」
「はい、どうぞ。魔道具の銃とボウガンを参考にして作った、魔法を使わないで撃つ銃です。あと、僕は男です」
シモンという少年錬金術師に協力しようと思ったのは、かつての自分と重なる部分があったからか。姿勢は違えど、彼は錬金術師としての夢を追いかけているようだった。
「ふーむ、この『銃』を作って、どうするつもりなんだい?」
「僕、弱いんで。銃があれば、多少はクエストもこなせるかなと」
エルフが得意な魔法の力はなく、見た目通りの非力な力しかないというシモンは、そんな自分でもモンスターを狩れる武器を欲したようだ。
だが、そんな弱者向けの武器は存在しない。せいぜい、扱い易い、軽く短い剣や槍、駆け出しの魔術士が使う杖などが普及しているくらい。それにしたって、その後の使い手の成長を見込んだ武器であり、弱いまま使い続ける武器、などという発想はなかった。
当然だ、戦いの世界は弱肉強食。弱い者から順番に死んでいく。初心者はいても、初心者の能力のまま戦い続けられる者など存在するはずもない。
「なるほどぉ、構えて撃つ、というだけで一定の威力をもって弾が撃てるわけだ」
「実験では、ラプターの甲殻くらいならギリギリで貫けるくらいです」
だが、この成長性皆無な貧弱エルフ少年は、そのままで冒険者としてやっていくつもりらしい。弱いまま戦い続ける。それは、いつか強くなれる希望があるそこらの新人冒険者よりも、遥かに厳しい挑戦だろう。
「確かに、これなら女子供でもランク1モンスターくらいまでと戦える」
「でしょ? だから、お願いします!」
「はっはっは、いいですよ、ちょうど暇していたところですし」
「本当ですか! ありがとうございます!!」
前途ある若者の夢を、ちょっとだけ応援してやるつもりだった。
しかし、シモンが見せた銃の設計図と、その武器の概要を見た瞬間、レギンは気付いてしまった。
こんな武器が量産されて普及すれば、とんでもない数の死人が出る、と。
弱者は、弱者であるが故に戦わない。だが、もしも簡単に、安易に、トリガー一つで人を殺せるだけの力が手に入れば――かつて呪いの武器に傾倒した頃の、残虐な理論が脳裏を過る。人が死ねば、それだけ悲劇が起こる。より多くの人が死ねば、さらに大きな惨劇と化す。
この小さな少年の夢が、世界を地獄に変えるかもしれない。
そんな想像に恐れるどころか、ワクワクしてしまう自分がいることに、レギンは少なからず驚いてしまっていた。
どうやら、すっかり消え失せた夢の輝きは、今もまだ小さな種火として胸の中でくすぶっているのだと。
平穏な生活が続く中で、またすぐに埋もれてしまうような野望はしかし、すぐにまた火がつくことになる。
銃弾が飛び交う鉄と火の地獄を作るかもしれない少年が連れてきたのは、呪いに愛された男であった。
「――冒険者のクロノです、よろしくお願いします」
この男なら、封印されし最強の呪いの剣『魔剣・ベルセルク』を使いこなせるかもしれない。
アレはいまだ、王剣としてレオンハルト王の手の内にある。スパーダ国王の他に、あの剣を手に出来る者はいない――けれど、いつか、必ず。
レギンの夢は、再び、動き始めたのだった。