第659話 アダマントリアの三王子
パンドラ大陸の中南部にそびえ立つバルログ山脈は、大陸でも有数の標高を持つ険しい山として有名だ。そして、複数の活火山が連なり、マグマを湧き立たせる頂上には、ドラゴンの中でも飛び切り獰猛な気性を持つ炎龍が住まう、危険地帯としても名を馳せている。バルログ山脈の山頂部は、軒並み危険度ランク5のダンジョン指定されている。極寒のアスベル山脈に対し、灼熱のバルログ山脈と、その危険度合いは並び称されている。
荒れ狂う炎龍の如く危険なバルログ山脈だが、ミスリルをはじめ、様々な鉱物資源に恵まれた宝の山でもあった。その豊富な鉱脈に引き寄せられたのか、それとも、最初からここにいたのか、古来より、バルログ山脈にはドワーフが住まう。
幾度も国の名前は変わり、時には支配者の種族が変わろうとも、古代からドワーフはこのバルログ山脈から離れることはなかった。
そして現代では、アダマントリアというドワーフの国が興り、堂々とバルログ山脈の支配者として君臨している。
今代の王は、ドヴォル・バルログ・アダマントリア。
戦乱の世が過ぎて久しい平和な時代にあって、隣国のみならず、遠く南はカーラマーラ、北はオルテンシアまで、正に大陸の端から端まで、アダマントリアのドワーフ自慢の鉄製品を流通させるに至った、偉大な功績を持つ王である。
賢明なるドヴォル王は、すでに三人の王子が健やかに成長し、王位を継ぐ者の心配もなかった。
第一王子のブレダは、武勇に優れる男だ。
ドワーフらしいがっしりとした筋骨隆々の体、だが、その身長は飛びぬけて高い。ブレダの振るう大斧は岩をも切り裂き、魔剣を使わせれば巧みに魔法を引き出し放ってみせる。
天性の戦闘能力を持ちながらも、父親譲りの聡明さとカリスマ性を幼いころから発揮し、将来を有望視されている。彼が王位を継ぐことに異を唱える者は、アダマントリアには一人としていないだろう。
第二王子のダレスは、知略に優れる男だ。
アダマントリア製の様々な製品の販路拡大を果たした、ドヴォル王の才能を最も強く受け継いでいるのがダレスに違いない。兄を越える利発さを発揮し、学問に励み、それでいて人の心の機微にも聡い。
ダレスの頭脳があれば、アダマントリアをさらに豊かに発展させることができると、父親の期待も高かった。
第三王子のカールは、貧弱な男だ。
肌の色は青白く、自然と体幹が太くなるはずのドワーフ族にあっても、かなり線の細い体型。傍から見れば、ドワーフではなく人間の青年のように見えるだろう。もっさりとした特徴的な髭があるから、どうにかドワーフらしくは見えるものの……実は、あまりに髭が薄いため、付け髭で誤魔化しているだけであった。
体格に劣るカールが、武勇に優れるはずもない。
一縷の望みを魔法に託したこともあったが、どの属性との相性も芳しくない。元より、ドワーフは魔法の適性は低い種族。当然の結果でもある。
体力も魔力もなくても、勉強はできる。勉学に励むカールだったが、あまりに次男であるダレスが優秀すぎた。カールでは、どんなに頑張っても秀才、いや、せいぜいが成績優秀者止まりであった。
何をやらせても、芳しくない残念なカール。
しかし、末っ子の三男であり、才気に溢れる二人の兄は、決してカールを貶める様なことは言わず、いつも優しく励ました。父も母も、カールの懸命な努力の姿を応援した。
家族愛には恵まれた。
カールに残ったのは、ささやかな劣等感、そして、素晴らしい愛すべき家族に、何一つ返すことができない、己の無力さであった。
しかし、そんなカールが奮い立つ時が来た。
「ブレダ兄様! 待って、待ってください!」
「おう、なんやカール、どうしたそんなに急いで」
アダマントリア王城の一角、無骨な巨大石柱が立ち並ぶ灰色の回廊。そこで鎧兜を纏ったブレダを見つけ、カールは慌てて駆け寄った。
「フレイムオークが動いたって聞きました」
「なんでそれを、まだ報告は……ちいっ、ダレスのアホぅ」
第二王子ダレスの耳は早い。戦争も商売も、情報を征する者が勝つ、というのが彼の論理である。
カールに、このバルログ山脈で最も警戒すべき敵の行動を教えたのは、情報通のダレスに違いないと、すぐにブレダは察した。
「本当、なんですね……」
「なぁに時化た顔しとんねん、あんなヤツら、俺が出てチャチャっと片付けてきたるわ!」
フレイムオークは、バルログ山脈を挟んで、アダマントリアの反対側に住むモンスターである。ただでさえ凶悪なモンスターのオークだが、強力な火属性の力を宿した赤色のフレイムオークは、さらに輪をかけて凶暴だ。
火属性の魔法を行使するのは勿論、体も通常のオークより一回り以上大きな巨躯を誇り、さらには鉱物を喰らって、肉体の一部を金属化させて強化する能力も持っている。
獰猛にして凶暴なフレイムオークは、その上、欲深い。大陸中に名を轟かせるドワーフの鍛冶技術によって生産される最高級の武器の数々は、モンスターであるフレイムオークからしても、目が眩むほどのお宝である。
奴らは、ドワーフがそんな宝を山ほど持っていることを知っている。
だから、襲う。人間よりも、獣人よりも、フレイムオークはドワーフを執拗につけ狙うのだ。
バルログ山脈に住むドワーフにとって、このフレイムオークは遥か古代の頃より因縁のある宿敵であった。
三十年前ほど前の大討伐があって以来、地下に逃れてしばらくはナリを潜めていたようだが、最近ついに勢力を盛り返したのか、久しぶりにフレイムークの集団が国境付近をウロついているとの目撃情報が多発した。
たとえ十体程度の小集団であったとしても、相手がフレイムオークとなれば、アダマントリアが討伐隊を派遣するのは当然の対応だ。
「ぼ、僕も……僕も、討伐隊に加えてください!」
「はぁ!? 何をアホなこと言うとる、カール、お前が討伐隊? 無理やろそんなの」
「僕が弱いことは、自分が一番分かってます。でも、だからといって、安全な王宮の中で待っているだけでは、僕は本当の臆病者になってしまう……だから、せめて戦士達と同じ戦場に立って、勇気を示したい! 僕は弱いけど、それでも、戦場から逃げ出すような臆病者じゃないんだと、証明したいのです!!」
「せやかて、カール……フレイムオークとの戦いは、あまりに危険やで。奴らは炎の狂戦士っちゅーくらいイカれた戦いぶりやが、狡猾さも備えとる」
フレイムオークは戦闘における凶暴さばかりが目立つが、奴らは有効となれば人質をとったり、罠を張って誘い込む、といった戦術的な行動をとることもできる。知能の高いリーダーがいる時のフレイムオークは、さらに油断のならない凶悪な軍隊と化すのだ。
「危ないことは分かってます。僕のような弱い奴がいると分かれば、狙ってくるかもしれないってのも、分かってます。でも、僕には今しかチャンスがないんです! お願いします、ブレダ兄様!」
カールが己の無力さに苦しんでいることは知っている。
だが、その苦しみを真に理解することは、生まれながらの強者であったブレダにはできなかったのかもしれない。
いつも弱気なカールが、今この時ばかりは喰らいつくような粘りを見せるのに、ブレダは内心、驚きでいっぱいだった。
「それに、もし、僕が死んだとしても……ブレダ兄様がいれば……」
「カール! このっ、ドアホゥ!!」
自棄のようなその発言に、ブレダの平手打ちが炸裂した。バシン、と盛大な音を立てて、細いカールは軽く三回転ほどしながら吹っ飛んで壁にぶち当たって倒れ込んだが、拳で殴らなかった時点で、女性を相手にする並みの手加減はされていた。
「うっ、ぐぅ……に、兄様……」
「二度とそんなアホなこと抜かすな! カール、お前は俺の、大事な弟や!」
アダマントリアの将来は、ブレダとダレスの王子二人がいれば十分。非才な第三王子は、いてもいなくても、どっちでもいい。
そんな論理を、ドワーフらしい義理人情に篤いブレダが許すはずがない。
苦しげにうめきながらも、立ち上がるカールをブレダは熱く抱きしめた。
「すまんな、カール……ここまでお前が深く思い悩んでいたことに、俺は気付いてやれんかった……お前の気持ちは、よーく分かった。俺に任せとき」
「兄様、それでは!」
「お前を討伐隊の戦士として、連れていく。親父は俺が説得したるさかい」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、何があっても、絶対に生きて帰ると、黒き神々に誓え。自分は死んでもええなんて、二度と思うんやないで」
「はい、兄様」
「よっしゃ、そんならさっさと戦支度をして来い。討伐隊の出発は近いで!」
かくして、フレイムオーク討伐隊は第三王子カールを加えて、結成されることとなった。
そして、この決断をブレダが悔やむことになるのは、すぐのことだった。
「かっ、カールが……行方不明やと……」
「……すまん」
「このっ、ドアホゥが! お前がついておきながら、なんちゅーことを! あああ、なんちゅーこった! カールーっ!!」
王宮の奥にある、王族のプライベートルームにて、父王ドヴォルは絶叫していた。一国の王にあるまじき取り乱しぶりだが、それを咎める者は誰もいない。
ドアホと罵られ、固い拳でぶん殴られたブレダは、精気が抜けたように暗い表情でひれ伏したままだった。
フレイムオーク討伐隊は勝利した。
フレイムオークは千に届くほどの軍勢を率いて、セオリー通りにダンジョン化しているバルログ山脈の旧坑道を通り、アダマントリア領へと侵攻。相手の数は予想以上だったが、想定された動きであり、討伐隊は十全な防備を敷いた上で、フレイムオーク軍を迎え撃った。
激戦の末、辛くも討伐隊はフレイムオークを撃退することに成功したが……戦いの騒乱の中で、第三王子カールは行方不明となってしまったのだ。
「父上、どうか落ちついて。兄さんも、いつまでも項垂れてないで、今はとにかく、カールの捜索と救出に力を集中すべき時です」
「うむ……すまんな、ダレスの言う通りや」
「せやな、カールを探してやらんと……」
ひとしきり怒鳴ってからのタイミングを見計らって、冷静に止めに入った次男ダレスの言葉に、ひとまずは落ち着きを取り戻す。
「もう一度、状況を整理しましょう。兄さん、カールは戦いの中で発生した崩落に巻き込まれたと」
「そうや、アレはかなり深い縦穴になっとった。ありゃあご先祖さんが掘ったもんやなかったな。ワームかモグラか、モンスターが勝手に掘ったもんに違いない」
「なるほど、想定外の地形になっていたワケですか。これだから、坑道内での戦いは危険ですね」
バルログ山脈には、地中を掘り進む能力を持ったモンスターも多数、生息している。古代の頃から掘られていたという、最古の坑道がある辺りは、今や多数の地中モンスターが行きかうことで、誰にも道が分からない複雑怪奇な大迷宮となっている。
「ああ、それに……信じがたいことやが、炎龍が現れよった」
「な、なんやて!?」
「炎龍……報告では聞きましたが、本当なのですか兄さん」
「アレを見間違うワケないやろ。乱入した炎龍が暴れよったせいで、崩落が発生したんや」
炎龍。古くからそう呼ばれているモンスターは、バルログ山脈の主、最強の存在である。万が一、炎龍が暴れようものなら、それはもう火山の噴火と同義。如何に勇敢と誉高きドワーフ戦士団も、決して炎龍を相手にすることはなく、速やかな避難を決めるだろう。
「その炎龍は、どうなったんや」
「崩落した後には、もういなくなってた。巣に戻ったんやろ。こっちまで出てくることはなさそうや」
ひとまず、炎龍災害の危険性はないと安堵する。
しかし、目下一番の問題は、崩落によって行方不明となったカールについてである。
「親父、捜索隊は」
「もう、とっくに出しとるわ」
三番目だろうと、一国の王子であることに変わりはない。捜索隊には多くの人員が割かれる……しかし、崩れた旧坑道から人を一人救出することが、どれだけ大変なことか。
「崩れた底は、どうなっとる」
「完全に埋まってた。運が良ければ、底に繋がる坑道から、出ていけるやろうが……」
そうなった場合、カールの捜索そのものが困難となる。
しかし、崩落した縦穴を即座に掘り返すのはドワーフの腕をもってしても不可能だ。カールが生存する唯一の可能性があるとすれば、落ちた先の坑道から、自力で戻ってくること。
「父さん、兄さん、諦めるにはまだ早いです」
「なんや、ダレス、何かええ方法でもあんのか?」
「万一の事態に備えて、カールにお守りを渡しておきました」
「お守り?」
「古の宝珠です」
古代の遺物である宝珠は、宝石のように価値はあるが、そこまで珍しいモノではない。大小様々、デザインも多様で、古代遺跡で発掘されるお宝としては典型的な品である。
「私がカールに渡した宝珠は、元々はただの装飾品に過ぎませんが、特定の魔力を微弱ながら放出する性質を持っています。この宝珠の魔力を探知することができれば」
「カールを見つけられる!!」
「うーむ、しかし、弱い魔力を察知するのは、ドワーフの戦士には無理やろ」
「宮廷魔術士でも不可能ではありませんが、人数が心もとない。こういったことに長けた者の手を、借りるべきかと」
「……ってことは、エルフに頭を下げて頼めっちゅーことか。ダレス、お前、親父にそんな真似をさせるんか!」
「よせや、ブレダ。家族の命がかかっとるんや、面子にこだわっとる場合やない」
「お、親父ぃ……すまねぇ、俺の、俺のせいで……」
「泣き言は後にせい。作戦は決まりや、ほな、行くで!」
かくして、アダマントリアより、第三王子捜索の大号令が発することとなった。
2018年5月4日
先日、ようやく滞っていた活動報告による解説とQ&Aを更新しました。元々長かったけど、今回は久しぶりなせいでいつもより余計に長くなってしまいましたが、一読していただければ幸いです。特に、『止マナイ雨に病ミナガラ』のタイトルをご存知の方には、尚更オススメします。
それでは、よろしくお願いします。