第657話 人形たちのお仕事(2)
丸一日ほどかけて、目的地のガラハド山脈南部エリアへと到着しました。麓の辺りまでは危険度ランク1と、新人冒険者を含めそれなりに挑戦者の多いダンジョンなのですが、周囲には私達の他に人影は見当たりません。
今回の実戦試験は、人目は避けた方が望ましい。野営地も、あえて普通よりも逸れた位置に定めています。
「それじゃあ、行こうか」
この場における最高責任者であり、指揮権を持つのはシモン様。彼の号令の元、私達は武器を携え、ガラハド山脈へと踏み入ります。
クロノ様のために、この低スペックな『クロウライフル』で、私は見事にラプターを撃ち抜いてみせましょう――しかし、山に入って数時間。私の意気込みをよそに、ラプターどころか、他のモンスターは一体たりとも姿を見せません。
「この辺で、ちょっと休憩しようか」
戦闘がなくとも、山を歩くだけでも体力は消耗します。
もっとも、ホムンクルスである私達には、ただの行軍では消耗というほど体力の低下はありません。最低性能の私ですら、この程度で息が切れることもない。
現段階で休憩の必要性は皆無ですが、命令には従います。
「あのー」
座り込んだまま、それとなく周囲には警戒の意識を向けていた最中、声をかけられた。見れば、灰色の髪のエルフ、シモン様でした。
「はい」
「えーっと、君も一応、ホムンクルス、なんだよね?」
「はい、私はF-0081、リリィ様の手により、シャングリラで製造されたホムンクルスに違いありません」
「いや、別に疑ってたワケじゃないんだけど、君だけ、その、他の人と容姿がかなり違ってたから」
「私は、唯一のセクサロイドタイプ。リリィ様が求める性能には及ばない欠陥品のため、以後、同型が製造されることはありません」
「セッ……あ、そ、そうなんだ……ごめん」
「何故、謝罪するのですか」
「いや、その、無神経なことを聞いてしまったかなと」
彼の釈明の意味が、私にはよく分かりませんでした。ホムンクルスを相手には、礼を失する、という概念は当てはまりません。何を気にしているのか、理解不能です。
「シモン様、もし、私の姿が不快であるならば、そうおっしゃってください。私は速やかにメンバーから外され、シャングリラへと送還、場合によっては廃棄処分も――」
「えっ、ちょっと、なに言ってんの!?」
「私は特定の性癖を満たすようデザインされたセクサロイド。その容姿が歪で醜いものであると理解はしている。リリィ様は、誕生した私を一目見て廃棄処分の決定を下していますので」
「うわー、リリィさん、うわぁ……」
頭を抱えて、何か恐ろしいモノでも見たかのように、シモン様の顔が若干、青ざめています。
「でも、君がこうしているってこは……ああ、そっか、リリィさんがお兄さんの意図を汲んだってところかな」
「何故」
「え?」
「何故、分かるのですか」
リリィ様は私を処分するはずだった。しかし、クロノ様の意思によってリリィ様は考えを曲げた。
神の慈悲により私は生かされた。この奇跡の真実を理解しているのは、この世でただ一人、救われた私のみのはず。
「そりゃあ、分かるよ。お兄さんもリリィさんも、付き合いは長いから……といっても、まだ二年目くらいだけど」
リリィ様が、クロノ様のご意思を何よりも尊重するだろうことを、彼は知っている。
そして、クロノ様が私のような出来損ないの人形風情にも、お情けをかけていただけるほど慈悲深い方であるのだと、彼は知っている。
私が生まれるよりも、ずっと前から。
「君は確かにセク、その、そういう目的のために設計されたホムンクルスなのかもしれないけど、だからといって、簡単に自分を処分するとか、言わない方がいいよ」
「私は、ただの消耗品にすらなれない、欠陥品です。今、生かされている、これ以上の慈悲を賜る道理はありません」
「大丈夫だよ。お兄さんがいる限り、ホムンクルスはモノじゃなくて人として扱ってくれる」
「人、私が……」
「人は、性能だけで優劣を決めて、選別されるものじゃない」
いいえ、私は道具。
リリィ様の手によって、ただ、主の役に立つためだけに生み出された人形。人の形をした、人ならざるモノ。
けれど、もし、私が人であることを許されるなら……もしも、神が人であることをお望みなら、私は……
「リリィさんは厳しい人だけど、気分でホムンクルスを処分するようなことはしないと思うから。合理的な理由があったら容赦ないけど……とにかく、今は実戦試験を頑張ってよ。あ、そろそろ出発しようかな」
これ以上、考えてはいけない。それ以上、考えることが怖い。その先に思い当たってしまったら、もう止まらなくなりそうで。
だから、シモン様が行軍の再開を命じたことで、危険な思考を打ち切ることができた。ただ歩くだけでも、体を動かせば、任務に集中できる。与えられた役目をこなす、人形のままでいられる。
「私は、F-0081……ただの人形、神の僕……」
何も考えない。今はただ、握った銃の重さが、心地よかった。
「……おかしい」
シモン様は、何度目かになる同じ内容のつぶやきをもらしていた。
おかしい、とは、恐らく、ここにいる誰もが思っていること。初めて外での任務に就いた、私でも何かがおかしい、と異常を察知できるほどの状況です。
モンスターが、現れない。
すでに山に入って半日。二度の休憩を挟みつつも、それなりの範囲を歩き回っている。にも関わらず、モンスターが襲い掛かってくるどころか、気配すら感じない。
「嫌な予感がする……っていうか、これもうすでにヤバい気がするよ」
「坊ちゃん、ダンジョンからモンスターが消えるってのは、ヤバい奴が現れる定番の徴候ですぜ」
「へへっ、いいじゃねぇか、ここで大物を狩れりゃあ、一気に名を上げて――」
「うん、今すぐ引き返そう」
シモン様が撤退を決断されました。
現在地は、山の中腹にも至らない低い標高にあります。このまま真っ直ぐ戻れば、日が暮れる前に野営地の馬車へと戻ることができる。道のりと時間を考えて、退くにはちょうどよいタイミングでしょう。
約一名、ヤバいモンスターとやりあうんだ、と主張する者がいましたが、全員無視して、帰路を辿ります。なるほど、あからさまに誤った意見を主張する者がいた場合、こういった対応が適切なのですね。
一つ、人と人との関わり合いについて学習しつつ、やや急ぎ足で山を降ります。
不気味なほどに周囲は静まり返っており、まるで、山中のモンスターと動物が、ここではないどこかへ逃げ出したかのような、息を潜めて必死に隠れているような、そんな印象を覚えます。
自然と、警戒心が高まる。
「よし、そろそろ野営地に着く――」
そして、ソレはゴール目前にさしかかった時、現れた。
キシャァアアアアアアアアアッ!!
と、甲高い耳障りな雑音のような鳴き声を上げて、茂みから飛び出してきたのは、大きな黒い、蟻でした。
「コイツはっ、ポーンアントだっ!!」
現れたモンスターの名前を叫んだのは、ザックという人間の男。
その叫びと同時に、トリガーを引いて銃声を上げていたのは、シモン様と、私を含めたホムンクルス全員。
六名からほぼ同時に銃弾を受けた大蟻『ポーンアント』は、あえなく甲殻を砕かれ、血飛沫を上げて倒れた。
「ポーンアントは群れる奴らだ、まだ他にもいるぞ!」
「全方位警戒して。ここは視界が悪すぎるから、少しずつ麓に向かって移動するよ」
あらかじめ、決めていた通りに前後左右を警戒する陣形を維持しつつ、ゆっくりと私達は動き出す。
ザックが叫んだ通り、確かにポーンアントは群れを構成するモンスターです。二匹目、三匹目、が次々と現れました。
幸い、この『クロウライフル』の弾丸でも蟻の甲殻は貫けるようで、出てきた端から銃撃を加えれば仕留めることができた。ただ、虫型のモンスターは痛覚が鈍く、耐久力も高い、さらに恐怖心もないので、完全に殺しきるには複数発を撃ち込まねばいけません。
ただし、そこは人数でカバー。一匹当たり、三人で撃てば即座に無力化できる。
「よし、抜けた!」
数匹のポーンアントを撃ちながら、私達は木々を抜けて、視界の開けた麓に出た。視界の向こうには、小さく私達の野営地も見える。
「おいおい、何だよ、出てきたのはこのアリンコだけじゃあねーかよ。こんな雑魚なら、ビビって逃げる必要はないんじゃあねーのかぁ?」
「馬鹿野郎、近くに巣ができてたら、ポーンアントはスゲー数で群れんだよ」
「巣が近くなけりゃあ、そんなに群れてねーってことじゃねーか」
「そりゃあ、まぁ、そうだが」
「うーん、ポーンアントは割とどこでも現れるっていうモンスターだし、ただのはぐれや、巣作りの場所を探し歩いているだけなら、そこまで警戒しなくてもいいけど……山の様子はおかしいし、本当に巣が近くに出来ているかどうかくらいは、確認した方がいいかもしれない」
「おいおい、坊ちゃん、大丈夫かよ? 一度戻って、ギルドに報告して別な奴らを調査に派遣した方が安全じゃねぇですかい」
「ニャーはもう帰りたいのニャ」
「万が一、女王のいるセントラルハイヴが出来ていたら、対処には一刻を争うから。今はリリィさんから借りてる『シルフィード』もいるし、巣の調査くらいはできるだけの戦力は揃ってる」
「へへっ、そうこなくっちゃよぉ! まぁ、俺様にかかりゃあ、アリンコの巣なんざ、一発でぶっ潰してやっけどな!」
「ニャー、嫌な予感しかしないのニャー」
どうやら、『ガンスリンガー』での話し合いを終えて、方針は決まったようです。
任務は更新され、ポーンアントが属する『バグズ・ブリゲード』がこのガラハド山脈南部に巣を構えたのかどうか、調査することとなる。
「とりあえず、山に戻って、行けるところまで行こ――」
そして、調査はたった今、完了しました。
ここに巣があるのかどうか。
答えは、ある。
何故ならば、山の方から、おびただしい数のポーンアントが黒い津波のように溢れ出してきたからです。
「な、な、なんて数だっ!?」
「おいおいおい、あんなに出て来るとは聞いてねぇぞ!」
「もう嫌な予感が当たったのニャー!」
「急いで馬車まで走って!」
全力疾走で、全員、馬車に飛び込む。何千、いえ、何万かもしれません。それほどの蟻の大軍を前にすれば、応戦したところでたかがしれます。たとえ、蟻一匹につき銃弾一発で仕留められたとしても、弾の数より向こうの方が多いことは明らか。
「おら、行けっ! 全力で突っ走れ!!」
御者役のザックが思い切り馬に鞭を入れ、ガタゴトと馬車は急発進。背後から大量のポーンアントが現れたことで、馬自身も生命の危機を感じ、必死に走っているようです。
この馬車は、相応に質の良い馬を二頭で引きますが、その分、荷台も大型で、積みこんだ荷物も多い。つまり、あまり速度は出ません。
「まずい、このままじゃ足の速い奴には追いつかれる」
幸い、このパーティの武装は剣ではなく、銃。疾走する馬車から、追撃を仕掛ける相手に対して、応戦するのは容易い。
シモン様を筆頭に、それぞれが銃を構えてトリガーを引くのに、数秒もかかりませんでした。
「がはは、ようやくぶっ放せるぜ!」
上機嫌でバリバリと大型の機関銃を撃つガルダン。以前よりは改良が進んだとされる機関銃は、動作不良を起こすこともなく、次々と鉛の弾丸を吐き出し続けている。
高速で連射された弾が、左右に薙ぎ払われる度に、ポーンアントの黒い甲殻の破片と体液の飛沫が上がる――けれど、焼け石に水、というのは、こういう状況のことを言うのでしょう。
倒れた蟻の死体は、あっという間に後続の蟻たちに飲み込まれ、倒しているのか、増えているのか、よく分からないです。
「総員、エーテル武装解禁。全力で応戦せよ」
馬車と並走している『シルフィード』のリーダーユニットであるF-0049より、エーテル武装の無制限使用の許可が出る。
無数の蟻の津波ですが、四人が持つ『EA・ストーム』ライフルと私の『EA・スコール』サブマシンガンを使えば、この馬車に迫る蟻を退けるくらいはできるでしょう。それだけの威力と連射性能、さらには装填数(エーテル量)を誇ります。
ちなみに、私だけサブマシンガンなのは、体の小ささから、ライフルの取り扱いがノーマルタイプよりも劣るからです。胸さえ小さければ、彼らと同等に扱う自信はあるのですが。
威力と射程距離にはストームライフルには劣りますが、この状況下では、さほど違いはありません。視界いっぱいに迫る敵を相手にするなら、連射性能があれば十分。
私達のEAが火を噴くと同時に、ジワジワと迫りつつあった蟻の勢いが弱まった。
「うわー、やっぱり古代の武器性能は圧倒的だなー」
形勢がやや有利に傾いたというのに、シモン様はどこか遠い目をしています。ここは、リリィ様が蘇らせた、古代の武器の力を誇り、褒め称えてよいのではないかと。
「でも、このEAフル装備してても、お兄さんにもリリィさんにも、多分、『エレメントマスター』の誰にも通用しないんだろうなー」
シモン様、割と余裕がおありのようです。流石は、クロノ様、リリィ様、と共に死線を潜り抜けてきた同盟者だけある、といったところでしょう。
ともかく、万一に備えてEA装備を持ってきて正解でした。ポーンアントの大量発生という不測の事態にも、対処できた私達の働きぶりは、必ずや評価していただけるものと――ヴゥウウウウウウウウン!
そんな、耳障りな羽音によって、一瞬、思考が固まってしまいました。
「うわっ、ちょっと、ソレは反則でしょ……」
絶望的なシモン様のつぶやきに、心の底から同意いたします。
無数の弾丸の嵐を叩きこんでもなお、食い下がり続ける蟻の大群の向こうから、ソレはやってきた。やはり、蟻と同じような大群でもって。
「クソっ、なんてこった、ビショップビーまで出てきやがった!」
「ニャー! こ、これはもうダメなのニャーっ!?」
「う、うるせぇぞお前ら、あんなの、ただ空飛んでるだけじゃねーか!」
その、空を飛ぶというだけで、絶望的な性能差です。
『ビショップビー』という蜂型のモンスターは、単体での強さはそれほどでもなく、飛行速度も鳥型モンスターと比べればずっと遅い……ですが、この馬車に追いつくには十分なスピードがあります。
なにより、あの数にたかられれば、私達の装備でも対応しきれないでしょう。空中を三次元機動する相手に対し、点でしかない射撃はあまり有効な攻撃方法ではない。
それでも、今の私達にできる最大の反撃は、とにかく持てる銃を撃つより他はありません。
「なぁ……これ、もう、ダメじゃねぇかな……」
「諦めんのが早ぇーぞザック! 泣き言叫んでねぇで、もっと馬を飛ばしやがれ!」
「うぅ、最期に、トロルサーモンの丸焼きが食べたかったのニャ……」
「ニャーコもアホなこと言ってねぇで、撃ちまくれ!」
すでに、馬車の頭上には耳障りな羽音を立てた、ビショップビーが差しかかっています。人としての感情を持つ『ガンスリンガー』のメンバー達は、絶望だったり鼓舞だったり、色々と騒いでいますが……私達、ホムンクルスも、冷静に現状を考えて敗北を悟っています。
敵の数が圧倒的にすぎる。現有戦力では、もうあと三分ももちそうにありません。
「クソッ、諦めんな! こんなところで、死んでたまるかよ!!」
ゴーレムのガルダンだけは、覆しようのない現実を直視できないのか、そんなことを叫んでいました。
諦めようが、諦めまいが、結果は変わらないというのに。
「……そうだ、諦めるには、まだ早いよ」
不意に、そうつぶやいたのは、シモン様。
なんとなく、彼と目が合いました。
「古代鎧を使う。君が乗ってくれ」
「了解」
元より、私に拒否権はありません。この場における最高の指揮権を持つのはシモン様ですから。
だから、動かない古代鎧を装着しろと命令されても、私はそれに従いましょう。
サブマシンガン『スコール』の射撃を中断し、一旦、馬車の奥へと向かう。
黒一色の大きな全身鎧は、シャングリラの武器庫で保管されていた時と、何ら変わらずに沈黙を保っている。リリィ様でも、手間がかかると起動を後回しにされた代物。それが、そう簡単に動くとは思えま――
ガキリ、という錠が外れるような音と共に、プシュウウ、と白い蒸気が噴き出す。
私の目の前で、古代鎧はその背中が扉のように開かれた。
「……動いた」
「ロックだけは外しておいて、良かった。さぁ、乗って」
「はい」
開かれた鎧の中へ、私は入る。鎧ではありますが、着るというよりも、狭い場所に入る、と言う方が正しい感覚。
全身を入れると、再び音を立てて、背中が閉じていきます。
同時に、胸元以外はかなり隙間が空いていた鎧の内部の空間が、ゆっくりと膨れ上がってゆき、私の全身にピッタリと密着する。息苦しさや、圧迫感はない、どこか不思議な感触に全身が包み込まれているよう。
確か、古代鎧は使用者の身長体型に応じて、ある程度は対応できる設計になってるはず。私のようなアンバランスな体型にも、フィットしてくれたのは幸いです。
「――どう、見える?」
「はい。視界良好」
「良かった、ちゃんと起動したみたい」
私の頭は、隙間のないフルフェイスの兜に入っているはずですが、視界はクリアに開けて見えます。全周囲モニター、という高度な光魔法技術の結晶だそうです。
私の目の前には、シモン様のアップのお顔と、その横に、次々と流れてゆく、古代文字の羅列が映ります。
「どう、動ける?」
「はい。出力正常、搭載武装も全て、使用可能です」
「えっ、そこまで分かるの?」
「そう表示されています」
「古代語、読めるんだ……」
何故か、モニターに表記される古代文字による文章を読むことができます。恐らく、製造時にインプットされている言語情報に、古代文字が含まれているのでしょう。
普段、それらの読解力を要することはありませんが、今はこのお蔭で、古代鎧のステータスを全て読み解くことができる。
だから、どれだけ動けるか、パワー、スピード、駆動時間、ブースター出力、全部、分かる。勿論、この 古代鎧の、本当の名前も。
そして、理解する。
これなら、勝てる。
「よし、それじゃあ、頼んだよ!」
「はい、お任せください。F-0081、機甲鎧『ヘルハウンド』出撃します」
「――えっ、ガラハド山脈にも『バグズ・ブリゲード』が!?」
モリガンを経って数日後、再びファーレンの首都ネヴァンへと泊まったその日の夜、クロノはその情報をリリィから聞いた。
リリィはネヴァンで見つけた小型のモノリスを勝手に利用して、アヴァロンに残るホムンクルスと定期連絡を行っていた。事前にリリィが彼らに言い付けておいた任務は全て遂行中であり、そして、その中で唯一、イレギュラーといえる事態に直面したのが『シルフィード』であった。
まさか、自分達と同じく『バグズ・ブリゲード』と遭遇することになろうとは。
「今は、もう巣は完全に制圧されたわよ。女王はいない普通のハイヴだったから、スパーダ軍が駆けつければ、あっという間だったみたい」
大量のポーンアントとビショップビーに襲われたシモン達が、ハイヴ出現を通報すれば、速やかにスパーダ軍が動いた。勿論、冒険者に対して緊急クエストも発令されたが、今回は騎士団の到着の方が早かったというわけだ。
やってきたのは、スパーダ軍第二隊『テンペスト』。シモンの姉が将軍を務めている軍団である。可愛い弟の窮地を知って、飛ぶような勢いでやって来たという。
「ともかく、無事で良かった。怪我もしていないんだよな?」
「ええ、幸いね。けれど、古代鎧がなければ全滅だったわ」
リリィにとって最も重要な情報が、古代鎧、もとい、機甲鎧『ヘルハウンド』が動いたことである。
「そんなに強いのか」
「それほどでもないわ。『暴君の鎧』には遠く及ばないし。でも、そうね……奴らの機甲鎧に負けない程度の性能はありそうよ」
パルティアのハイラム領を襲った、『アリア修道会』の手先である機甲騎士は、従来の兵士とは隔絶する戦闘能力を有していた。クロノと戦えば一方的に叩き潰される程度の戦力ではあるものの、広く運用される一般的なユニットとなれば、その力は驚異的である。事実、僅か十二人の小隊が暴走賊『雷電撃団』に加勢しただけで、ハイラムは陥落寸前まで追い込まれたのだから。
将来的に十字軍との戦争を考えれば、次か、そのまた次には、数の揃った機甲騎士団が戦場に現れるかもしれない。あるいは、複数の機甲騎士団がパンドラ各地を同時多発的に襲い掛かることもありうる。
クロノは強いが、一人。『エレメントマスター』も、所詮は一つの冒険者パーティに過ぎない。戦える戦場は常に一つきりだ。
故に、『エレメントマスター』という最大戦力に頼らず、十字軍の機甲騎士に対抗する存在が必要になってくると、リリィはパルティアから帰還後に考え始めていた。
そして、その最も簡単な答えが、古代鎧である。つまり、敵と同じ装備を用意すれば良いということ。
「『ヘルハウンド』はシャングリラに保管されている分しかないけれど、解析すれば似たようなモノは作れるはず。実際に動いたなら、データ収取もはかどるし、それに、ハイラムで回収した修道会の機甲鎧もあるしね」
「あれって自爆して、使い物にならないんじゃなかったっけ?」
「中枢部分だけね。普通の鎧部分だけでも、量産するにあたって参考にできる部分は沢山あるわ。シャングリラでの解析が終わったら、まとめてスパーダのシモンに送りつける予定だから、きっと喜んで調べてくれるわよ」
「銃の次はパワードスーツの開発とか……シモン、過労で倒れるんじゃないのか」
「いいんじゃない、好きでやっているんだから」
にこやかな顔で言い放つリリィに、クロノはブラック企業の片鱗を見たとか、見なかったとか。
「そうそう、『ヘルハウンド』を起動してくれたシモンもそうだけど、ソレに乗ってピンチを切り抜けた子も、褒めてあげないとね」
「乗ったのは、ホムンクルスなのか」
「ええ。多分、他の人では動かなかったでしょう」
元々、天空戦艦シャングリラの武器庫に保管されていた『ヘルハウンド』は、当然、その乗組員が使用する前提となっていた。古代には、兵器どころか武器一つとっても、使用者個人を特定するパーソナルロックがかけられていることが珍しくない。発掘された古代兵器が新品同様であっても、そう簡単に使えないのはロックがかかっているというのが原因の大半を占める。だからこそ、使用可能な古代の遺物は、その価値は跳ね上がる。
そういう観点でみれば、シャングリラで製造されたホムンクルスは、乗組員の一員という肩書を得ており、艦内にある武器の使用許可を最初から有している。この権利を彼らが持つが故に、リリィはストームライフルをはじめとした、数々の歩兵装備をホムンクルスに使わせることができたのだった。
そして、それは『ヘルハウンド』も同様。無事に起動を果たすことさえできれば、ホムンクルスが乗り込めばパーソナルロックで弾かれることはないのだ。
「シモン達を助けてくれたなら、確かに恩人だな」
百万クランか一千万クランか、謝礼金の額を考え始めたクロノに、リリィは微笑みを浮かべて止める。
「名前を与えましょう」
「えっ、それでいいのか?」
「ホムンクルスにとっては、お金より名誉の方が嬉しいでしょう」
彼らにとっての本能は、己の快楽ではなく、主に仕え、その役に立つこと。ならば、如何に主の力となれたか、それを褒め称える名誉こそ、ホムンクルスという人形にとって最大の喜びであろう。
そう知識で分かってはいても、クロノは素直に割り切れないが。やはり、金一封は必要かなと。
「それにしても、名前か……」
屋敷に執事とメイドとしてやってきた男女二人組には、そのイメージがあったからパっと名付けられたが、今回はそう安易に名づけるのも失礼かと思い、クロノはうーんと思い悩む様子。
その様を、やはりニコニコと優美な笑顔でひとしきり眺めてから、リリィが口を開いた。
「プリム、でどうかしら」
「いいんじゃないか? 女の子らしくて、可愛い響きだ」
女性型ホムンクルスであることは、すでに聞いている。同じ顔で作られるため、その美貌も保障されている。これといって、他にアイデアの出ないクロノには、さして反対する理由は見つからなかった。
「でも、どっかで聞いたことあるような……」
「それじゃあ、決まりね。帰った時には、プリムのことを褒めてあげてちょうだい」
「ああ、そうだな」
ついに、クロノは思い出すことはなかった。
プリムという名が、淫魔の名前の代名詞であることを。
サキュバスの神は淫魔女王『プリムヴェール』。サリエルが着こんでいる鎧は『堕落宮の淫魔鎧』。サキュバスの名前には、よく「プリム」とつけられ、それそのものが淫魔の存在を示す意味も持つようになっている。
そして、リリィは知っていた。
『ヘルハウンド』に乗ったのがF-0081、あの幼い少女の体に、不釣り合いな大きな胸を持つ、お情けで廃棄処分を取り消したセクサロイドであることを。
「クロノを思って、残しはしたけれど……アレがこんな形で、目につくことになるなんてね」
彼女の存在の意味を分かっていて尚、淫魔の『プリム』と名付けたのは、リリィのささやかな嫉妬心の現れに違いなかった。