第649話 虫の巣
黒き森の神殿へ到着すると、先発隊として一番乗りしていたモリガン神殿の神官軍団がすでに前線基地として設営を完了させていた。
昨晩来た時は、寂れた遺跡の様な風情が漂っていたが、今は数々の物資が積み上げられ、各所に警戒の兵が立ち、最前線の砦のような緊迫した気配に包まれている。この空気は、何となくガラハド戦争を思い出すね。
「――まぁ、クロノ様。随分とお早い到着ですね」
さて、誰に話を聞けばいいかと思ってキョロキョロしている内に、実に聞き覚えのある声をかけられた。
無論、声の主はブリギットである。
すでに『暴君の鎧』装備でフルフェイスの兜も被った状態なのに、よく俺だと分かったな。
「悪いが、近道を使わせてもらった」
「うふふ、他の方には、秘密になさってくださいね」
艶やかなブリギットの笑みは変わらないが、彼女の装いは随分と違っていた。
ゆったりとした法衣は、モリガン神殿の神官と似たような形で、当然、露出度も抑えられている。でも、両肩が出ているノースリーブ型なので、ちょっとエロさは残ってたり。
最も印象が異なるのは、その法衣が黒一色であること。要所に施された金色の糸の装飾が、彼女の金髪と相まって、よく似合っている。
この衣装が、巫女としての戦闘用の装備なのだろう。彼女の腰には、一振りの長剣が差されている。武器を携えてこの場に来ている以上は、そういうことなのだ。
「とりあえず、作戦があるなら従うし、自由に動けるなら、セントラルハイヴまで行きたいんだが」
「ちょうど、私も巣に向けて出発するところでしたので、ご一緒しましょう。道すがら、簡単に状況と作戦もお伝えします」
「そうか、助かるよ」
渡りに船、とばかりに俺達はブリギットについて神殿を出る。他にも彼女の配下なのか、それとも単に一緒に行く別の部隊なのか、神官の一団も同行している。
「巣の位置は、神殿から西へ2キロほどの地点にあります」
かなり近い、目と鼻の先である。とんでもない場所に巣を構えられたものだが、幸いなのは、近くまで道が伸びており、まだ兵の移動が楽というくらい。道なき道の森のど真ん中だったら、辿り着くだけでも大変だ。
「黒き森の神殿は、今の時期は一ヶ月に一度の頻度で手入れに人が入りますが、先月には特に異常はみられませんでした」
「ということは、ちょうどその後に女王が来て、巣を作ったということか」
「ええ、僅か一ヶ月で、大型の巣を建設したことから、女王もかなり強力な個体だと予想されます」
巣の大きさに応じて、奴らの兵力も充実している。莫大な数の軍団と、強力な変異種を繰り出してくるだろう。
「それで、どういう作戦でいくんだ?」
「基本的には、通常の対処と変わりはありません。まずは、巣の周辺を全て大結界で封鎖」
ハイヴ攻略の基本は、攻城戦と微妙に異なる。まずは相手の逃げ道を塞ぐように、完全に包囲、というところまでは似たようなもんだが。
包囲の仕方は国や騎士団によってまちまちだが、ここではダークエルフのドルイドの能力を活かして、巨大な結界を展開させる方式でいくらしい。
「次は、攻撃魔法を巣に打ち込んで、できるだけ多くの敵を炙りだします」
「で、大騒ぎしている間に、女王討伐のために別働隊が巣に突入すると」
相手は人ではなく、モンスターだ。こちらから攻撃をしかければ、必ず反応してくる。これで人が立て籠もる城だったなら、多少の攻撃や挑発には乗らず、じっと動かないという判断もできる。相手の動きが簡単に予測、誘導できる、という点ではやりやすい。
その代り、虫の軍団は一兵卒に至るまで、死を恐れない戦闘マシーンだ。どんな劣勢におかれても、パニックを起こすことなく100%の力で戦いきる、恐るべき兵士。
奴らを殲滅するためには、結局はそれなり以上の戦力が必要となってくる。
「はい、敵の規模は強大ですが、何とか作戦を実行するに足る戦力があると見越して、思い切って攻略に踏み切ったようです」
なるほど、リスクはあるが、賭ける価値はある戦いだ。防御に徹してモリガンに籠れば、奴らが押し寄せて、少なからず街に損害がでるのは確実。ここで叩いておけば、最小限の被害で事を治められる。
「俺達はどうすればいい? 炙りだしの陽動に徹した方がいいのか?」
「冒険者の方は、希望がなければ、ある程度自由に動いてもらって構いません。最低限、作戦の歩調を合わせてもらえれば、それで」
「いいのか、そんなので?」
「女王を討ち取り、手柄を挙げたい、という方は沢山いますので。無理に作戦行動を押し付けても、かえって反発を招くだけですから」
あのディランもその一人か。そりゃあ、冒険者は騎士でもなければ兵士でもないからな。上官の命令を順守するという意識は薄い。
なにより、一攫千金の大手柄を上げられる可能性もあるからこそ、緊急クエストに冒険者たちは参加するのだ。都合のいい手駒のように扱われたのでは、冒険者が協力することはなくなる。
「それじゃあ、俺達が突入しても文句はないってことだな」
「ファーレン騎士団とモリガン神殿から、それぞれ選出した精鋭を突入させると決まっていますが、その邪魔をしなければ、冒険者の方も、どうぞ、女王の討伐に向かってもらって構いません」
もっとも、陽動作戦で大量の虫軍団と大乱戦している最中に、巣へ近づいて突入を果たすというだけで、かなりの実力と運を要求されるだろう。
「けど、無理はしないよ。どうしても、ここで手柄を挙げなきゃいけないってワケじゃないからな」
「ふふ、でも、私は是非とも見てみたいですよ、クロノ様が女王を討ち果たすところを」
「チャンスがあったらな」
いや本当に、グラトニーオクトやカオシックリムの時のように、自分で倒さなきゃいけないという制約がないから、気楽なものだ。ボスなんて、誰かが倒してくれればそれでいい、という状況はいいね。いつも、これくらいの心の余裕をもって戦いに臨みたいものだ。
なんて、軽い気持ちは現地に到着するなり、吹き飛んだ。
「クロノ様、ここです。警戒の蟻や蜂がいますので、森からはくれぐれも、飛び出さないように願います」
ブリギットの注意を聞きながら、そっと木陰から覗きこめば、そこに奴らの巣はあった。
「な、なんてデカさだ……」
その巨大さに、思わず息を呑む。
周囲の木々は伐採したのだろう。巣のある周囲だけ、綺麗に丸く開けている。巨大樹の森であるここの木は、この辺りでは50メートル級の高さを誇る。そんな木々が周りにあっても尚、この空地のど真ん中に突き立つセントラルハイヴは、あまりに大きく、高かった。
緑の樹木が自然の象徴であるなら、コイツは文明の象徴たる高層ビルのように、圧倒的な高さと、そして人工的な造形をしている。
「これ、300メートル越えてるんじゃないのか」
「計測した結果、頂上まで、350メートルあるそうです」
東京タワーを越える高さだ。とんでもねぇな……しかし、デカさもそうだが、不気味な形をしている。
全体的な外観は、マッチ棒のような、といえばいいだろうか。棒の部分が、地面から空に向かって伸びる、ビルのような直方体。石膏の様な真っ白い色をしていて、かなり固そうな素材に見える。
そして、頂上付近には大きく膨らんだ、球形の形になっている。大きさは直径50メートル以上ありそう。
その見た目はスズメバチの巣によく似ている。まだら模様のような、貝殻のような、あの不思議な外観だ。しかし、模様が似ているだけで、色は白く、濃い部分でも灰色。
その周辺、地上350メートルの高さにある頂上部分には、ブンブンと無数のビショップビーが飛び回っており、本当に巨大な蜂の巣にしか思えない。
だが、蜂の巣ってのは木や軒先に釣り下がるように造られるものだが、コイツは白いビル状の構造体の上に形成されているから、何とも異質な見た目だ。
そして、この巨大な蜂の巣上の頂上部に、女王がいる。
普通のハイヴは、この白い巣がドーム型で、多くの兵は地下に待機している。セントラルハイヴだけが、天を突くような巨大なビル型となっている。だから、巣を一目見れば女王がいるかどうかは一発で分かるのだ。
「作戦開始は日没後となります。それまでは、できるだけ巣を刺激しないよう、周辺で待機していただきます」
「了解した」
さて、あの巨大な昆虫ビルをどう攻略するか。せいぜい、時間イッパイまで考えるとしよう。
臨時で設置されたツリーハウス、というか、足場の上で、俺達は作戦開始時刻まで待つ。地上にいると、普通に餌や資材を集めに走り回る働きアリどもとかち合う。木の上にいれば、ほとんど奴らをスルーすることができる。
長い下準備が必要な、大結界の発動を担当するドルイド部隊は、すでに四方に散って、俺達と同じように木の上で陣取っているらしい。恐らく、今一番時間に追われているのは彼らだろう。
一方、大集団となってやってくる、騎士団や冒険者の一団は、ここへ来る途中に何度も小競り合いを演じたようだ。流石にゾロゾロと列を成してやってくれば、アリ共もその存在に気づき、ちょっかいをかけてくる。
幸い、地上と道中での小規模な戦闘に影響されて、巣が動き出す気配はなかった。外へ行かせた働きアリが、帰ってこないのは日常茶飯事。仲間の救出に向かうなどといった選択は、無感情な虫モンスターには発想すらないのだろう。
ともかく、着々と日没までに戦力が結集し、セントラルハイヴを囲むような配置へとついていった。
「もう、陽が暮れるな……そろそろ、か」
「ちょっと緊張してます?」
「こっちの時間で攻撃開始、って今まであんまりなかったし」
確かに、とコックリと頷くフィオナ。
アルザスでもガラハドでも、攻め込んでくるのは十字軍の方だったし、イスキアでは自分から戦いの現場に飛び込んだ。ラースプンはほとんど遭遇戦のようなもんだし、カオシックリムに至っては、予想に反していきなり動き出したからな。
「まぁ、今回は大丈夫そうだな」
「あー、そういうコト言うとダメなんだよー」
おっと、リリィに油断フラグを指摘されるとは。
「でも、たまには作戦通りに勝利したっていいだろう」
「神と使徒が絡まなければ、大丈夫だと私も思いますが」
そうそう、大体この辺がらみでトラブルが起こるのだ。おい、ミア、聞いてるか、お前のことだぞ。
「マスター、時間です」
時計を持っているワケでもないが、サリエルは言い切る。そして、それをいちいち疑うほど、俺も彼女のことを侮ってはいない。
「始まったか」
サリエルが言った直後、俄かに濃密な魔力の気配が迸る。素人でも感じられるほどの、強烈な気配。すなわち、大結界の発動である。
すでに気配を隠す必要もなくなった段階に入り、四方に配置されているドルイド軍団から、はっきりと詠唱の声が森にこだましていく。相変わらず聞き取れない異世界言語の詠唱呪文だが、ソレが力のある言葉であることは、嫌というほど知っているし、肌にビリビリくるほどの気配で感じられる。
巣の虫共も、この異様な高まりをみせる魔力の気配に反応し、慌てて動き始めるが、遅い。すでに、この魔法は完成を迎えたのだから。
「――『四季精霊陣』っ!」
日没を迎えて、暗闇に満たされた黒き森に、眩しいほどの光が輝く。赤、青、黄色、緑――四色の光は、東西南北からそれぞれの色で発せられる。半透明の光のカーテン、オーロラのような層状の輝きとなって、気が付けば、巨大なセントラルハイヴを完全に覆い尽くすように、地上にも空にも、目いっぱいに広がっていた。
「おおっ、凄いな、これが大結界」
「凄まじい完成度ですね。まさか、これほどとは……伊達に、ダークエルフの神域ではないということですね」
思わずフィオナも素直に賞賛するほどの、立派な結界らしい。特に魔法に詳しくなくても、このド派手なイリュージョンみたいな光の結界を見せつけられれば、誰だって度肝を抜かれる。
しかし、この大結界『四季精霊陣』の威力は、ここから発揮される。
「――我らが神域を取り戻せ! 総員、攻撃開始っ!!」
大神官アグノアより、ついに総攻撃の命が下る。
巣に打ち込むための攻撃魔法や火矢が、一斉に放たれるより前に、輝くオーロラから強烈な光が撃ち出された。
赤い光の層からは、迸る火炎が幾本も渦を巻いて放たれる。青い層からは青白く輝く冷気が、そのまま猛吹雪と化して吹き荒れた。黄色い層からは雷が、緑の層からは嵐が。大結界の四方から、それぞれの属性に合わせた攻撃がかなりの規模で解き放たれている。
ただの防御用じゃなくて、攻撃能力もあるとは。
完全に異常を察した『バグズ・ブリゲード』は、タワーのセントラルハイヴと、周辺に幾つも開いた地面の巣穴の出入り口から、次々とポーンアントが怒涛のように湧き出していた。
そうして出てきたところを、炎が、吹雪が、雷が、嵐が、思う様に蹂躙していく。
「……どうする、行くか?」
「もうちょっと待ってからの方が、いいんじゃないですか」
ド派手な結界攻撃が展開されたお蔭で、ちょっと俺達の攻撃をぶっ放すタイミングを逸してしまった。フィオナの言う通り、少し待とう。
そうして、神域を汚された精霊の怒りが炸裂するような、怒涛の四属性魔法が吹き荒れるが、やはり、『バグズ・ブリゲード』が誇る数の暴力って奴も、相当なものだ。
湧き出す敵の数によって、結界からの攻撃が分散し始める。結果、火力制圧が衰え始め、そうとなれば、奴ら勢いに乗って強引に突っ切り始めた。早くも山となった仲間の死骸を乗り越えて、兵隊アリは巣の周囲に陣取った、俺達討伐隊に向かって一直線に向かっていく。
さらに、上空を舞うビショップビーの大群も動きだし、地上と空、両方から圧倒的な物量攻撃となって襲い来る。
「行くか?」
「まだいいんじゃないですか」
引っ張るなぁフィオナ、と思いつつも、今度は討伐隊から本格的な攻撃が開始された。事前に準備されていたであろう、大規模な複合魔法と思われる、巨大な火球や雷撃が、次々と発射される。
それに混じって、木の上に拵えた足場に陣取った、魔術士や射手からも攻撃が撃ち出される。無数の攻撃魔法と矢が、色とりどりの雨霰となって、真っ向から迫る虫軍団へと炸裂する。
地上の蟻だけなら、一匹も寄せ付けないほど苛烈な攻撃の嵐だが、やはり、空から迫るビショップビーが厄介だ。ブンブンと耳障りな羽音を響かせて、空いっぱいに散開して飛んでくる奴らは、まとめて始末するのが難しい。
このままでは、あっという間に頭上からたかられてしまう。
「そろそろ」
「まだ」
フィオナに止められる。俺、リーダーだよね?
「――有翼獣騎士団、出るぞっ!!」
精悍な雄たけびと、猛禽の甲高い咆哮が轟くと同時に、空へと一斉に羽ばたくのは、グリフォンに、跨った騎士の一団だ。
貴重な航空兵力を投入とは、流石は神域の一大事。急いでここへ駆けつけたのだろう。
ファーレンは、天馬でも飛竜でもなく、有翼獣を天駆ける騎馬としていると聞いた。森にグリフォンが多く生息しているから、古来より空を飛ぶための相棒なのだか。
歴史と伝統を感じさせる有翼獣騎士団は、数少ない空中戦力として例に漏れず、最精鋭でもって構成されている。
ブレスは吐けなくても、グリフォン自身が大きな獅子の肉体で、ワイバーンにだって当たり負けしない強靭さを持つ。それに跨る騎士は、槍にも魔法にも精通し、接近戦も、魔法での遠距離攻撃も可能。
ビショプビーとは数で劣るが、地上からの対空攻撃魔法の援護もあれば、彼らが負ける道理はない。地上部隊の目前まで迫った蜂の軍団に向かって、風の攻撃魔法を連発しながら、勇猛果敢に有翼獣騎士団が突撃し、激しい乱戦を繰り広げ始めた。
「そろそろ、よいのではないでしょうか」
「そうだな」
随分とフィオナに焦らされた感はあるものの、ともかく、モリガンの討伐隊と『バグズ・ブリゲード』の全面的な衝突が始まった。地上も空も、どこもかしこも敵だらけ。これなら、どこへ撃ち込んでも虫共を大量に掃除できるだろう。
「よし、それじゃあ――『エレメントマスター』、行くぞ!」