第642話 ファーレン王と王妃
「ここです、ここにしましょう、クロノさん」
というフィオナの鶴の一声によって、俺達は何の因果か蛇料理の店に入ることになった。
でてきたのは、コイツはランク3以上確定だろうというほど、巨大な蛇のかば焼き。1ポンドステーキがペラ肉に思えるほどの厚さとデカさ。これでも胴体の一部に過ぎないのだから、元になった蛇はかなりの大蛇ってことになる。
実は俺、冒険者というワイルドな職業に従事しているはずなのに、蛇の一匹も食ったことがなかった。野生の蛇を捕まえなければ生き残れない、過酷なサイバイバルという状況はこれまでなかったし、駆け出しのランク1冒険者だった頃でも、平和なイルズ村で最強妖精なリリィを相棒にスローライフを満喫していたから、食糧事情も恵まれていた。
そんなサバイバル面では温い冒険者生活しかしてこなかった俺は、いまだに蛇を食べることに、少なからぬ抵抗感ってものがあるのだ。そりゃあ、現代の日本人で平気で蛇食えます! って奴の方が少ないだろう。
そういうワケで、フィオナの判断を内心えらい疑ったものだが……いざ食べてみれば、彼女の決断が神がかっていたと瞬時に掌が返った。
「う、美味い……」
と、思わず唸る、その味。
蛇の味って鶏肉に近い、と聞いたことあるのだが、この大蛇肉はほとんど牛肉に近い。中学生の頃に一度だけ食ったことのある、お高いステーキを彷彿とさせる……いや、コイツはそれ以上か。
それから、フィオナと一緒になって俺も蛇肉を黙々と喰らった。
心行くまで味わってから、早々にデザートタイムへ移行していたリリィにファーレンの蛇料理について聞いたのだった。
「蛇料理はこの国の伝統みたいよ。特に、ここみたいな高級店は、牛を餌にしている大蛇なんかも扱っているんだって。お肉も凄いけど、ファーレンは香辛料の方が有名よ。胡椒といえばファーレンだし、深い森には他にはない珍しいスパイスとなる植物も沢山あって、私も初めてのものばかりだわ」
なるほど、美味い肉に潤沢な香辛料。これだけ揃って、美味い肉料理が誕生しないワケがない。
しかし、国土がほぼ森林で牧畜に向かないファーレンでは、食肉を得る事そのものが難しいため、自然、古来より肉料理は王侯貴族が嗜む嗜好品であり、一般的な食文化としては菜食が中心ということになっている。
「うん、だから、きっと物凄いお値段になると思うわよ?」
会計の際には、俺、マジでランク5冒険者で良かった、と心から思ったほどの値段であった。しかし、後悔はない。ぶっ飛んだ値段相応の味わいが、確かにあの大蛇にはあったのだ。
「たまには、贅沢するのもいいかもね」
涼しい顔でそう言うリリィに、激しく同意。やっぱり、贅沢ってのは、たまにするからいいもんだよな。
そんな素敵にセレブなランチタイムを終えて、ほどほどに王都ネヴァン観光も楽しんでから、俺達は再び王城へと戻ってきた。
無論、こういう時に備えて、準備も万端。アヴァロン王城にも着ていった、あの学ラン風の礼服でいかせてもらう。俺の一張羅である。
すでに話は通っているから、今度は顔パスで、堂々とお客様待遇で中へと通された。
「ようこそ黒薔薇城へ。玉座の間へとご案内いたします」
如何にもデキる執事、みたいな初老のダークエルフの騎士に導かれ、俺達はさっさと玉座の間へと通される。
「お付きの方は、こちらでお待ちを」
と、玉座の間の扉の前で、そんなことを言われた。
何のことだ、と質問するほど、流石に俺も常識知らずではない。
要するに、奴隷身分の者を玉座の間へと入れるわけにはいかないってことだ。つまり、表向きには俺の奴隷、ということになっているサリエルが、『お付きの方』ということになる。
そして、自他共に奴隷であることを認めるサリエルは、その扱いに対して何ら不満を述べることなく、黙って踵を返したが、
「彼女は『エレメントマスター』の正式なメンバーよ。紹介状に、不備はないはずだわ」
「……大変、失礼いたしました。全てこちらの手違いです。深く、お詫び申し上げます」
速攻で返されたリリィの一声で、驚くほどあっさりと許可が出た。
「私の立場に対する配慮、感謝します、リリィ様」
「いいのよ、私の右手を貫いてくれた、お礼みたいなもの」
「……」
「認めてるってこと」
「ありがとうございます。重ねて、感謝いたします」
リリィ、幼女の姿だけど、滅茶苦茶カッコよかった。
そして、リリィよりも早く言い返せなかった俺は、滅茶苦茶カッコ悪かった。
ごめん、だって、どうすれば穏便に許可が出るか、凄い考えてしまったんだよ。ちくしょう、後先考えずに、ズバっと「だが断る」と言えばよかった。
「ありがとう、リリィ」
「気にしないで、向こうも確認くらいのつもりだったから。良くも悪くも、ファーレンにはクロノがサリエルを奴隷にした経緯が詳しく伝わっているみたい」
なるほど、だから、主人である俺が本当にサリエルを奴隷扱いとしているのか、それとも紹介状にあるように、『エレメントマスター』の正式メンバーとして扱っているのか、さっきの「お付きの方は」で問うたワケだ。
それで、一言でもケチがつけられれば、仲間扱いだと断じて、すぐに折れたと。
果たして、その意図をリリィはテレパシーで読み取ったのか、あるいは、そんなモノを使うまでもなく瞬時に推測してみせたのか……どうにも後者っぽいのが、リリィの恐ろしい、もとい、頼もしいところだ。
「クロノさん」
「なんだ、フィオナ」
と、急に真面目な顔で、フィオナが呼ぶ。
なんだかんだで、サリエルのお世話になりまくっているフィオナお嬢様としても、奴隷扱いな発言に憤りを覚えたといったところだろう。
「今のやり取りって、なんだったんですか?」
おーい、ここに常識知らずな子が一人いるぞー。
「後で話してやるから、今は気にするな」
「はい」
そんな一悶着がありつつも、いよいよ、玉座の間へと入場だ。
これで三度目となるはずだが、いまだ慣れなずに、余計に緊張してしまう。ええい、魔獣の心臓のくせに、情けなくドキドキしてんじゃねーよ。
苦手意識を抱えつつも、表に出さないよう平気な顔で俺は玉座の間へと踏み入る。
全体的に黒を基調としているファーレン王城だが、玉座の間では眩しいほどの白で彩られていた。やはり森林をイメージしているのか、木々や花々を模した精緻な装飾が広間全体に及んでおり、これまで見てきたどの玉座の間とも全く異なる独特な雰囲気が漂う。
玉座も木製だが、輝く白さは塗装や装飾によるものではなく、元になった木そのものの色合いであるらしい。なんでも、黒き森の奥から切り出してきた、樹齢ウン千年級の神木とやらを使っているという。
なるほど、玉座の間に漂うこのどこか神聖な気配は、単なる雰囲気的なものだけでなく、いまだ残る神木の魔力も影響しているのだろう。
今回は割と個人的な用件での謁見だから、広い玉座の間にはほとんど同席する人の姿が見えない。明らかに警護役の鎧兜の騎士を除けば、ちらほら見える人影は、ファーレンの正装である白い法衣のような衣装を着ており、騎士なのか侍従なのか文官なのか、それとも実はお偉いさんなのか、よく分からない。何にせよ、ギャラリーは少ない方がありがたい。
「王様は、まだ来てないみたいだな」
「ファーレンでは、王様は最後に来るのが習わしみたいよ」
王は堂々と待ち構えているべきか、それとももったいぶって最後に登場するべきか、というのは国によってまちまちだ。スパーダもアヴァロンも、最初から玉座に座っていたし、そういえばミアも待ち構えるタイプだったな。
後で来ると分かっていても、さて、それまでの時間はどう過ごすのが正解なのだろうか。それらしく、緊張しているっぽくソワソワしてればいいのか?
とりあえず、指定の場所で立ち止まり、カッコつけて直立不動を維持しているが……早く来ないかな。
「すーみーまーせーん」
不意に、静かな気配の玉座の間に似つかわしくない、気が抜けるような間延びした子供の声が響いた。
流れるような白銀の長髪に、褐色の肌。サリエルと同じ程度の背丈の小柄な少女は、他の者と同じく白い正装に身を包んでいるから、ただの迷子ってことではないのだろう。
トコトコと歩み寄って来くる彼女の後ろには、赤い鎧兜に身を包んだ背の高い女騎士が控えている。
なんだこの子は、もしかしてお姫様か。
「バーサーカーさん、ですか」
リリィのようなキラキラしたエメラルドの瞳だが、フィオナのように茫洋とした眼つきで、真っ直ぐに俺を見上げてくる。
とりあえず、お姫様かどうかは置いておいて、この場にいるということはやんごとなき身分の子供であることには間違いない。子供の相手は苦手だが、出来る限り善処すべきだろう。
「ああ、俺がスパーダの『黒き悪夢の狂戦士』だ」
「おおー」
恥ずかしい二つ名を堂々と名乗った甲斐もあって、喜んでくれている様子。子供の夢は、裏切らないであげたいものだ。
「カースカーニバル、見ました」
「なるほど、それで」
俺のことを知っていたと。モロに顔出しだったからな。俺の凶悪面は一回見たら、そう忘れることもないだろうし、実に特定されやすい。
「はい、ファンです」
「そうか、ありがとう」
まさかのファン二号ちゃんである。
この子、可愛い顔して、過激な趣味のようだ。
「サインください、ここに」
「ああ、いいぞ」
差し出された手帳のような冊子に、セットで渡されたペンでサラサラと書きあげる。特にタンレトのサインみたいなデザインはしてないので、サインというより、署名みたいなもんなのだが。あまり、ありがたみのないサインだと自分でも思う。
今度、ファルキウスに相談してみるか。俺がサインする機会が、二度とあるかどうかは分からんが。
「ふわぁー、ありがとうございますー」
サインを受け取り、やんわり微笑む顔を見ると、ついウルスラを思い出す。ぼんやりした雰囲気とか、ちょっと似ているし。
「それでは」
と言って、そのまま去っていくのかと思いきや、その子は真っ直ぐ玉座の方へ歩き出し――そして、そのまま座った。
おいおいおい、いくらお姫様だったとしても、勝手に玉座に座るのはおいたが過ぎるんじゃないのか!?
驚く間もなく、直後には単なる護衛役であろう女騎士まで、隣の王妃の席にどっかりと腰をおろしたのだ。
え、なにこれ、どういう状況?
ツッコミすべきか否か、本気で悩んでいると、玉座に座り込んだ姫君へと、傍に控えていた騎士が、その手に黒い王錫を、頭に黄金の王冠を被せた。
「余が、ファーレン国王、サンドラ・ニュクス・ファーレンである」
ドッキリ大成功、とでも言いたげな笑顔で、ファン二号の姫、もとい、本物のファーレン国王陛下は、名乗りを上げたのだった。
ダークエルフは長命な種であり、若い姿も長く保つので、外見と実年齢が伴わない場合も多々ある。しかし、まだ十代半ばの少女、もとい少年の年頃に見えるサンドラ王は、その姿に見合った年齢であるらしい。といっても、あくまでダークエルフの基準によるものだが。
御年33歳。リリィとタメである。
ダークエルフの王としては、驚くべき若さのようだ。寿命が長いから、当然、王様も長生きする。代替わりする時は、百歳を超えているのが普通。
つまり、サンドラ王が二十代で王位を継いだのは、それだけ早く父親である先代のファーレン王が崩御したからということだ。
不治の病にかかった不運な先代の王だが、若くして王位を継ぐサンドラ王子のために、出来る限りのことは尽くしたという。その内の一つが、スパーダとの強固な同盟関係を結ぶための、婚姻である。
玉座の隣に並ぶ王妃の席に座る、赤い鎧兜の女性が、ファーレンへ嫁いだスパーダの第一王女。
シャルディナ・トリスタン・スパーダ。
今は兜を外し、代わりにティアラを装着したことで露わになった素顔を見れば、なるほど……燃える様な赤い髪に、ギラギラした金色の瞳、そして美しくも威圧感のある鋭い顔つきは、レオンハルト国王にどこか似ている。
ただ、日に焼けているせいなのか、肌は色黒なので、普通にダークエルフに見えてしまうのだ。ちゃんと確認すれば、耳は長くないので、人間なのだと判別できるのだが。
年若い国王に、スパーダの王女という情報はあらかじめ知ってはいたのだが、完全に騙された形になってしまった。サンドラ王に声をかけられた時点で、実は試されていたのだろうか。
だとすれば、調子に乗ってサインとかしたせいで、「あ、コイツはダメだな」と判断されていたら、どうしよう。
「――ファーレン王サンドラの名において、『エレメントマスター』に黒き森のオリジナルモノリスの調査を許可する」
「ありがとうございます」
俺の不安をよそに、無事に調査の許可をいただくことができた。
事前に通告していた案件だからか、脇に控えていた騎士が、即座にファーレン王の勅書を差し出してくれる。
受け取って、えーと、こういう時のお礼ってファーレンではどうすんだ……ええい、スパーダ式でいいか。
ほどほどに誤魔化しながらも、どうにかこれで最大の難関はクリアだな。
「黒き森はミストレアの神官一族が管理している。現地では、神官の案内に従うように」
簡単な説明と注意だけを受けて、万事、滞りなくサンドラ王との謁見は終わった。
はぁー、良かった良かった、と内心ホっとしつつ、玉座の間を出ようとしたが、
「待て」
思わずビクンとするほど、鋭い制止の声は、サンドラ王のものではない。
これまでずっと押し黙っていて一言も口を挟むことの無かったシャルディナ妃が、俺を呼びとめていた。
「そなたらは、ガラハド戦争において多大な貢献を果たしたと聞いている。スパーダを守るために尽力してくれたこと、感謝する」
と、ここまでは良かったのだが、
「感謝の印に、この私と刃を交える栄誉を与えよう」
途端に雲行きが怪しくなってきた。
何だ、もしかして王妃様と模擬戦とかする流れ? それとも、とんでもございません、とか丁重にお断りするのが正解のパターン?
誰か教えてくれ。
「堂々と受けた方がいいわよ。冒険者として、力をアピールする機会をくれると言ってるの」
なるほど、サンキューリリィ。
「謹んでお受けいたします。この『黒き悪夢の狂戦士』の力、示してご覧にいれましょう」
「ふははははっ! 面白い、流石はウィルが入れ込むだけある! いいぞ、クロノ、さぁ、早く練兵場へ来るが良いっ!!」
王妃に相応しい静かな佇まいは一遍、猛り狂う魔獣のような気配を放ち、大笑いのシャルディナ妃。
「『剣王の娘』は、激しい気性の持ち主らしいわ。その剣の才も合わさって、止められるのはレオンハルト王だけだったと言われている。彼女も、狂戦士みたいなものね」
「そういう情報、先に言ってくれない?」
「てへへ、ごめんね」
どうやら、俺の自信満々なお返事によって、シャルディナ妃のヤル気はMAXな模様。自然に放たれる気配だけで、この人の実力がヤバいレベルにあることを感じてならない。肌がビリビリする。
「はぁ……無事に帰れるといいんだが」
すでに俺は、どうすれば無傷で切り抜けられるか、なんて後ろ向きなことしか考えられないのであった。
2018年1月5日
新年、あけましておめでとうございます。今年も、どうぞ『黒の魔王』をよろしくおねがいいたします。