第635話 政略結婚(1)
紅炎の月28日には、ようやくスパーダへと帰りついた。リリィとの戦いを終えてから、シャングリラに入り浸っていたシモンも、たまには帰った方がいいということで、一緒にスパーダへと戻っている。シモンと入れ替わるように、リリィはディスティニーランドへと残ることにした。ホムンクルスの面倒を見つつ、シャングリラの復旧具合も確かめたいとのこと。
遠くパルティアまでクエストに出向き、帰りはアヴァロンでの祝勝会という精神的に疲労するイベントもこなし、久しぶりに我が家へと戻ったのだから、しばらくゆっくりしたいところだ。けれど、すでにミア直々に発破をかけられている以上、あまりのんびりもしていられない。
早速、行動を起こすとしよう――と思った矢先に、俺の下へ新たな招待状が届いた。
「マスター、ウィルハルト・トリスタン・スパーダ様より、お手紙を預かっております」
長らく留守を任せていたサリエルから、手紙を受け取る。ウチに届いたのは、ちょうどアヴァロンの招待状が来た直後のようだ。俺がスパーダに戻るのを計ったようなタイミングである。
さて、ウィルの手紙の内容は……
「良かった、久しぶりに会えるみたいだな」
アヴァロンの招待状に負けず劣らず、長々ともったいぶった言い回しの文章だが、要するに、やっと暇が出来たから、久しぶりに会って酒でも飲まないか、という内容が記されていた。念のために、サリエルにも解読を確認してもらっても、間違いないとのこと。
俺の数少ない友人からのお誘いとあれば、断る理由などない。ちょうど俺もシモンもスパーダに戻ったことだし、本当に久しぶりに、魂の盟友三人組が一堂に会せるわけだ。
そんなワケで、二つ返事でお誘いにOKをした俺は、翌日、紅炎の月29日の夜に、シモンと連れだって手紙で指定されていた貴族街にある店へとやってきた。
流石は王族であるウィルが選んだ店である。当たり前のようにドレスコード。いやぁ、アヴァロンで正装を用意しておいて良かったよマジで。
しばらくは袖を通したくないと思っていた、精神的に窮屈な学ラン風の衣装を早くも引っ張り出し、サリエルに着付けを手伝ってもらいつつ、ヒツギが邪魔しつつ、準備万端で挑んだ俺は無事に入店を果たした。
一方、シモンは何か思ったよりもラフな格好だった。
「えっ? 別に舞踏会ってワケでもないし、これくらいの服装でちょうどいいよ。お兄さん、気合い入り過ぎじゃない?」
そういえば、シモンは貧乏錬金術師なイメージあるけど、スパーダ四大貴族のバルディエル家の養子でもあるのだ。貴族社会の常識は、真っ当に持ち合わせているようで……先に教えてくれよ。
ともかく、これで時間通りに全員集合と相成った。
「時は来たれり! 今こそ、袂を別った三つの黒き運命は、再び交差し、歓喜の産声を上げ――」
「はい、かんぱーい」
「乾杯」
久しぶりに会ったウィルは、いつも通りでどこか安心させてくれる。あるいは、あえてそう振る舞ってくれているのではないかと、今だからこそ思ったりもするが。
「すまぬな、クロノよ。汝が苦悩しているその時に、我は何も、助言の一つすらすることもできなかった」
まずは、完全に身内の争いであるリリィとのいざこざの時について、謝られてしまった。確かに、あの時はウィルにも話を聞いて欲しかったし、アドバイスの一つでも貰いたかったところだ。
しかしながら、現代日本ではスマホで電話でもメールでもSNSでも、いくらでも気軽に友達へ恋愛相談もできるが、この異世界では手紙以外にはロクな通信手段はないのだ。ちょっとお互いの都合が合わなければ、何か月も会えないなんてのはよくあること。
「いや、いいんだ。代わりに、シモンが頑張ってくれたからな、色々と」
「うん、まぁ、大変だったよね、あの時は……」
皮肉も謙遜もなく、マジで遠い目をするシモンには、本当に苦労をかけたと思っている。
感謝の念とともに、まずは俺の最近の事情、カオシックリム討伐からリリィ戦まで、そのあらましをざっとウィルに語った。
「ハーレム……うむ、実に良い響きだ。正に男の夢であるな」
「あらたまってそう言われると、恥ずかしいんだが」
「僕はあらためて考えると、こんなに恐ろしいことはないんじゃないかと思うけど」
なんだかんだで弄られる、俺のハーレム宣言。
表向きは、ウィルの言うように男の欲望を実現したことにしておきながら、実際のところは、どこまでリリィとフィオナを繋ぎ止めておけるのか不安も常に付きまとっている。
二人が結託して反旗を翻されたら、あらゆる意味で俺は終わる。魔王の加護を使っても、二人相手に真っ向勝負で勝てるビジョンがまるで見えないのだから。
「はっはっは! 汝は本当に、顔に似合わず繊細な心よな……まぁよい、強がって見栄を張るのは女の前だけで十分。友には弱音と愚痴を吐くのがちょうどよかろう」
「そうか、そうだよな……それじゃあちょっと聞いてくれよ」
「ねぇ、眼帯つけといた方がいいんじゃない? リリィさん見てるかもしれないよ」
シモン、何て失礼なことを。リリィはもう、俺の信頼に反するような真似は絶対にしない。俺は彼女を信じている……でも、一応つけておくか。
リリィの監視を防ぎつつ、俺は酒の勢いも借りて、普段は口が裂けても言えないようなことを色々とぶっちゃけていく。
「後悔、ってほどじゃあないけどさ……何でこんなことになったのかなぁって、思うよ……こう、さ、愛とか恋とか、俺、もっと綺麗なモンだと思ってたし、可愛い女の子に囲まれるハーレムだって普通に憧れてたし……」
「うむうむ、現実とはかくも残酷なものよ。夢を叶えたとて、思い描いた理想とは異なるのも、世の常であろう」
「はぁ、ホント、何でこんな血生臭い経験しなきゃいけなかったんだか……」
初体験は血塗れのサリエルと。フィオナは人質をとって告白してくるし、リリィに至っては心臓を捧げてようやく婚約だ。ロクな思い出がない。
「もっと甘酸っぱい経験とかしたかったな」
「それはリリィさん相手には無理な相談じゃあないかな。だって、最初から覚悟決まっちゃってたし。いつか血を見ることになると、僕はアルザスの頃から思ってたよ」
「マジか、その頃から?」
「うん」
シモン曰く、リリィと出会った時点で、恋愛小説みたいな素敵な恋は不可能だと。一度、恋心に火が点いた妖精少女は、もう誰にも止められない。一途で純粋な愛は、翻って手段を選ばぬ狂気にもなるのだ。
「――でも、やり直したいとは思わない。いや、もしやり直せたとしても、俺は必ず、この世界で最初に、リリィに会いに行く」
「ふふん、ノロケが始まりおったか」
「恥ずかしい台詞、真顔で言わないでよー」
最終的には、俺の彼女自慢みたいになってきたところで、話題転換。
今度は、ウィルの近況報告を聞くことに。
「何か、随分と忙しいとは聞いていたけど」
「うむ、実はな……我もスパーダ軍に入ることが決まってな」
「えっ、そうなのか? 神学校は?」
「一年早いが、卒業した」
飛び級なのか、それとも特別扱いなのか、この際、どうでもいいのだろう。重要なのは、多少の無理を押してでも、ウィルを軍属にした理由である。
「どうして、そんな急な話に?」
「第五次ガラハド戦争はスパーダの勝利に終わったが、十字軍の力に、我が父、レオンハルト王はダイダロス以上の脅威を抱いている。まだ市井には噂ほども広まってはおらぬが、王城では水面下で、次なる戦に備えて防衛体制の再編に大忙しなのだ」
スパーダはまだまだ戦勝気分で、新たな領土の獲得や、相手国からの賠償金もない防衛戦だったが、同盟都市国家からの厚い援助のお蔭で、兵士、騎士、冒険者に至るまで恩賞の支払いも滞りなく行われた。結果だけ見れば、実に上手く防衛戦争を遂行し、終わらせたように思えるが……あの戦いを経験すれば、次の戦に不安を覚えるのは当然だ。
数十万の歩兵に、キメラ兵、おまけに古代兵器に戦術級の原初魔法の使い手、挙句の果てに使徒まで出張って来た。ダイダロス相手との戦いとは、明らかに異なる。
「そういうワケで、こんな我でも王族の端くれとして次の戦には参戦できるよう、今から騎士団で修行の身、ということよ」
「まさか、ウィルが戦場に立つっていうのか!?」
「なぁに、心配するな、誰も我に剣の腕など期待してはおらぬ。王城での後方勤務……まぁ、細々と輜重隊の指揮を任されるのがいいところか」
それなら安心だな。まさか、戦う力がなくても、王子様である以上は兵の先頭を切って戦場を駆けねばならない、とかそういう王家の家訓があったらヤバかった。
「王子といえども、所詮は神学校を出たばかりのヒヨっ子よ。これから、スパーダを守る騎士として、覚えることは山ほどあるのでな」
「なるほど、道理で神学校に戻ってこないワケだよ」
「すまんな、何分、急な上に内密な話だったもので、シモンには事情を伝えることもできなかった」
「いいよ別に、何となく察しはついていたから」
逆に気になったからといって、ウィルの身辺を嗅ぎまわるのも無理だろうしな。これで立派な王子様だし、一度、王城に入れば中の様子など分かるはずもない。
「今はもう話して大丈夫なのか?」
「この程度はな。それに、秘密にしたとて、おおよその事情というのは察しがつくであろう」
「ウィルの立場を考えると……やっぱり、結婚とか?」
「えっ、ウィル結婚すんの!?」
「次のガラハド戦争に向けて、同盟関係強化の必要性は増した。我が一番、スパーダのために役立てるといえば、政略結婚に尽きるであろう」
「だよねー」
「え、えっ? 何なの、ウィルもシモンも結婚の話なのに、どうしてそんなドライな反応なんだよ?」
「そりゃあ、ウィルは第二王子だし」
「うむ、我こそは栄えあるスパーダのー」
「うわ、このタイミングでその名乗りは虚しくなるからやめてくれ」
そうか、ウィルハルトは王族として、シモンも貴族の常識として、政略結婚はごく普通のモノとして受け止めているのだ。
好きとか嫌いとか、恋愛感情は二の次。王家に生まれた時点で、個人の自由よりも、一族の責任が強く圧し掛かる。
日本では一般家庭の生まれで、この異世界でも冒険者という、どこまでも自由身分だった俺からすると、真に理解することはできない部分だろう。
「相手は、もう決まっているのか?」
「我が生まれた時点で、候補は何人もおったのだが、今はより現実的に、かなり絞られてきているな」
「ファーレンはもう第一王女が嫁いでいるから……本命アヴァロン、対抗ルーン、大穴でパルティアってところかな?」
パルティア王家と結婚したら、ウィルの嫁はケンタウロスになるってこと? 差別するつもりは毛頭ないが、でも、それって、大丈夫なのか色々と……
「流石はシモン、良いところをついてくる」
ええっ、それじゃあマジで、嫁ケンタウロスの可能性はゼロじゃないのか。
「これ以上は、もう聞かないでおいてあげる」
「そうしてくれると助かる。精々、美人があてがわれるよう祈っておるわ」
はっはっは、と軽く笑っているウィルだが、俺としては何と言っていいやら、言葉を選ぶのに迷う。
「えーと、何て言うか、結婚してから始まる愛もあると思うから、頑張れよ」
「ふふん、クロノよ、我を気遣っている場合ではないぞ。このテの話は、汝とて最早、無関係とはいくまい」
「えっ?」
「汝に爵位を授与すべし、という意見も出ている」
「なんでまた、ガラハド戦争の恩賞はもう話がついているだろう」
俺はサリエルを奴隷とし、十億クランの褒賞金を貰った。どちらも過不足なく、果たされたことだ。
「スパーダの国防を思えば、クロノという冒険者を雇うより、貴族としていてくれた方が良いのだ。自由な冒険者は、いざとなれば逃げだすこともできる。いや、『黒き悪夢の狂戦士』に敵前逃亡などありえないが、そうさな……もし、アヴァロンとスパーダが同時に十字軍に襲われた場合、汝はどちらを守る?」
「それは……そうか、なるほど、選択肢が発生した時、確実にスパーダをとるようにするためか」
「貴族になるということは、相応の責任も負うこととなる。そんな意識がなくとも、もしクロノが領地を得たならば、その領民の安全を第一に考えるようになるであろう」
貴族の義務としても、人としての人情でも、守るべきものの優先順位というのは自然に決まってくる。俺だって、完全無欠に博愛主義者ってワケじゃない。
「しかし、たった一人の冒険者に、大袈裟な話だな」
「父は汝の力を高く評価しておる。自ら第八使徒と剣を交えたが故に、分かるのだろう」
「俺が、いや、俺達が第七使徒サリエルを倒したから、か」
使徒の存在は戦術兵器みたいなモノだ。使い方次第では、戦略級と呼べるほどの戦力にもなる。
戦争するなら、敵の持つ最大戦力に対する備えをするのは、当然のことだ。
「使徒への切り札として、汝は是非とも国に留めておきたいのだ。つい先日、アヴァロン王城にも招待されたのであろう? よもや獲られるのではないかと、我が父は割と本気で焦っておったぞ」
「うわ、あの話、そんなところまで伝わっていたのか」
カオシックリム討伐は、俺が冒険者として真っ当に上げた功績だ。たまたま、その場にアヴァロン王はじめ大勢の人々が居合わせたというだけで、決して俺自身がアヴァロンに取り入るために行動をしたワケではない。というか、狙っても無理だろそんなもん。
だがしかし、スパーダからすれば、堂々とアヴァロン王宮と接触を持った段階で、まさか、とは思うだろう。
「第一王女たるネル姫とも、汝は懇意であるからな。王侯貴族と一人でもプライベートでの付き合いがあれば、それを利用して幾らでも他の子女を紹介することもできる」
「それはスパーダでも同じことだけどね」
「……率直に言って、汝は我が妹、シャルロットをどう思う? 少々甘やかされたが故にワガママなところが目立つが、アレで素直なところもあるし、容姿も母に似て十二分に美しい」
「待て待て待て! 冗談でもやめてくれ、ようやく女性関係が落ちついたところなんだ、ここで新たな爆弾を放り込むのは本当に勘弁してくれ」
やめて、今度こそ本当に、俺は死ぬ。
「まぁ、今すぐにどうこうという話でもない……だが、貴族となってスパーダを守る、という選択について、汝にはよく考えておいて欲しいのだ」
「ウィルは、俺に貴族になれとは、言わないんだな」
「スパーダの第二王子としては、どんな手段を使ってでも汝を貴族として我が国に取り込んでみせよう……しかし、魂の盟友として、我はクロノの意思を尊重したい」
「そうか、ありがとな」
「ねぇ、この話って、本当はしちゃいけなかったんでしょ。でも、わざわざ話してくれたってことは、ウィルが考える時間をくれたってことだよ」
ある日突然、逃げ道を塞がれた状態で爵位授与からの政略結婚、ということもありえなくはない、とシモンは言う。王様が本気になれば、有力な冒険者の囲い込みも不可能ではない。より一層、話の現実味も帯びてくる。
「俺がどんな選択をしようとも、また十字軍が攻めて来れば、必ずスパーダは守る」
「うむ、我としては、そう約束してくれるだけで十分だ」
「ウィルこそ、話してくれてありがとう。実は、しばらくの間、スパーダを離れることになってな……カーラマーラ、って知ってるか?」
今度は、俺の事情を打ち明ける番だ。
ウィルが相手なら、十字軍とアリア修道会、そして狙われた『モノリス』に関して話しても問題ない。
「――なるほど、確かにスパーダ王城には巨大な『オリジナルモノリス』は存在するが、よもやそのような秘密が隠されていたとはな」
「実際にパルティアで、奴らが小型のモノリスを狙っていた以上、放置することはできない」
「かといって、パンドラの各国に注意ができるほどの証拠もないんだよね」
「ああ、だから、俺が直接出向くしかない」
ミアが教えてくれた、最も危険なオリジナルがあるカーラマーラ。まずはオリジナルを確保し、それから警備、あるいは監視体制を作ってこなければ、俺は安心してガラハドの守りに集中できなくなる。
「カーラマーラ。最果ての欲望都市、か……長い、旅になるであろう」
「帰りは転移できると思うから、普通よりはずっと短い時間で済む。今ならまだ、ダイダロスの十字軍が動き出すまでに、猶予も残っているはずだから」
第6次ガラハド戦争を見越すなら、出発は今しかない。
「そうか、しばしの別れとなるのだな」
「ああ、残念だが、やるしかない」
「で、あるな……」
少し寂しそうな表情で、ウィルはグラスを手に取り、掲げた。
「我が魂の盟友、クロノの旅立ちに――」
乾杯。
その日は結局、朝まで飲み明かすこととなった。