第634話 アヴァロン王宮の招待状
チュン、チュン、とスズメ的な小鳥たちがさえずり、朝の訪れをこれ以上ないほど分かりやすく演出してくれている。
カーテンのかかった小窓は朝日を受けて明るくなっており、とっくに夜が明けたことを教えてくれた。
リリィとある意味で初めての夜を越えたワケだが、俺の胸中は満ち足りた愛ではなく、もっと別な複雑なナニカでイッパイだった。
「……またこのパターンか」
リリィは、俺のモノを受け入れた瞬間に気絶した。白目を剥いて気絶した。完全に、フィオナの二の舞である。
俺の隣には、ぐったりと仰向けになって寝息を立てるリリィが転がっていて、あまり素敵な一夜を過ごしました、という風情は感じられない。ただ、破瓜の証だけが白いシーツに残っていて……なんだよコレ、傍から見たら俺が強引に妖精少女を弄びました、みたいな雰囲気じゃないかよ。
「くそ、もっと慎重になるべきだった」
この結末を予想していないワケではなかった。不安はあったさ。
でも、昨晩はリリィのお膳立てによって、雰囲気バッチリだし、これは行けるだろうと勢いのままにやらかしたら、このザマである。
いや、決して無茶なことや変態的なことをしたワケではない。リリィは初めてだし、俺は経験あるしで、一般的には滞りなく事は進んだと思う。
だがしかし、因縁深き第四の加護『愛の魔王』を持つが故に、どうにも女性相手だと、何か色々と影響が強くでるらしい。発動させていなくても、こんな感じだ。
だから、普通にやっても普通以上の性的な刺激や快楽があるのだろう。フィオナとの恋人生活で、その辺のことは分かっていたはずなのだが……リリィなら大丈夫だろうという、淡い希望も抱いてしまったのかもしれない。
しかし、今回の結果を見る限り、俺はいい加減に戦闘能力とエロについては比例関係にはないということを学ぶべきだろう。リリィは使徒に並ぶほどの強さを見せつけたが、こういうコトに関してはただの乙女に過ぎないと、そういうことなのだ。
「なんか、こう、もっとソフトなことから始めれば良かったんだろうか」
マッサージとか? とりあえず愛の魔王』によって困った体質になりつつある俺と、エロい意味で触れ合うことに慣れていかなければ、こういう初体験の悲劇は避けられないというワケだ。
かといって、昨晩のあの雰囲気で添い寝だけで終わったら、リリィはショックだろうし、俺も色々と苦しいだろう。
「はぁ……」
リリィが目を覚ましたら、やっぱり泣くのだろうか。女性として醜態を晒してしまったと、ワンワン泣かれたりしたら、果たして俺は上手くフォローできるのか。
いやー、ちょっと厳しいっす……そんなトーク力を持っているなら、俺はこんなに女性関係で苦労もしていないだろう。
けど、リリィなら俺の気持ちもテレパシー込みで分かってくれるはず。彼女が泣くというのなら、俺は男らしく黙って抱きしめてやればそれでいい。いいことにしよう。
そんなことを考えながら、ひとまず先にベッドから抜け出したその時、リリィの体が突如として発光を始めた。
「うおっ、なんだ!?」
いきなり光るとビビる。恐らく、オフにしていた妖精結界が通常状態に戻っているのだろうと思うが――チカチカと明滅する発光現象が収まると、そこには幼い姿に戻ったリリィがいた。
ああ、そうか、もう満月の夜も終わったから、朝になれば自然と子供の体に戻るのか。
「いや、この姿は絶対ヤバいだろ……」
ただでさえ、美少女襲いました、雰囲気漂うベッドだったのに、今はリリィの姿はガチ幼女である。傍から見た場合の犯罪の気配は、より深まり、訴えられたらより重罪になること請け合いだろう。
まぁ、ここには誰もいないから、変な心配をする必要はないのだが。
でも俺の心情的に、この光景は非常によろしくないので、とりあえずさっさとリリィを起こして、身だしなみと乱れたベッドを整えたいところ――
「おはようございます、クロノさん。起きてますか?」
「っ!?」
ドンドン、と無遠慮にノックされる音と共に、実に聞き覚えのある声が響く。
「フィオナ! どうしてここに!?」
「起きているようですね。では、お邪魔します」
突然のフィオナの登場に、全く頭がついていかない。
というか、幼女リリィがベッドに転がるこのシチュエーションを見られるのはあまりにまずすぎる。浮気がどうとかじゃなくて、リリィが幼女だからヤバいのだ。
背筋が凍りつくが、俺にはどうすることもできない。だって、リリィの家を忠実に再現したこの小屋には、鍵がついていないのだから。
フィオナは全く遠慮なく、ギィと無抵抗の扉を開いた。
さて、ことここに及んで、俺ができることはもう、たった一つしか残されていない。せいぜい、説得力のある言葉で、身の潔白を主張しようじゃあないか。
だから、俺は力いっぱいに叫んだ。
「待て、フィオナ! 違う、これは誤解だ――」
何故、スパーダにいるはずのフィオナが、アヴァロンにある秘密のリリィの小屋へやってきたのか。
それは、恋人の浮気だとか性癖だとか色んなことに疑いを持たれていた、という事情は全くなく、単に、アヴァロンに用事があったから訪れていただけのことだった。
で、その用事というのが、
「アヴァロン王宮から招待状?」
「ええ、カオシックリム討伐の感謝を、国王直々に賜りたいとか、長々とスクロールいっぱいに書いてありましたよ」
そういえば、そういう話もあったかも、と記憶の片隅に引っかかっていた。リリィとの戦いがあまりに激しすぎて、すっかり過去のように思えるが、実際はまだまだ最近の話である。セレーネの復旧工事を見てきた通りだな。
その招待状はスパーダの俺の屋敷へと届けられ、サリエルが受け取り、フィオナが読んだと。それで、いつの間にかリリィが連絡していたのか、アヴァロンに寄る旨をフィオナには伝えており、招待に応じるなら手間を省くべく、フィオナの方からこっちに合流してくれたということらしい。
よくすれ違いにならなかったもんだ。
「でも、今更な感じはするな」
「向こうも、ネル姫がしばらく行方不明で、それどころではなかったのではないですか」
なるほど、大体全部リリィのせいだと……
「ともかく、無事にネルは戻ったし、俺とも連絡がついたから、あらためて、ってところか」
「そういうことでしょう。それで、どうします? 面倒くさければ、断りの返事も書きますよ、サリエルが」
いくらメイドとはいえ、何でもサリエルに押し付けるのはどうかと思う。けど、今回に限ればその心配もいらない。
「素直に招待に応じるさ」
「そうですか」
「ああ、偉い奴らは面子ってのが大事だから、ちゃんと立たせてやらないと、面倒なことになる」
つい最近、パルティアで幼女リリィに教えられたことだ。
確かにフィオナの言う通り、少々、面倒くさく感じるものの、アヴァロン王城に興味がないわけでもない。それに、カオシックリム討伐の件でなら、当事者たるネルとセリスとも、また会えるだろう。
もっとも一番の理由としては、これからのことを考えれば『エレメントマスター』が名声を得ることも必要になってくるはずだ。有名になればそれだけ影響力を持てるし、功績はそのまま信頼へと繋がる。
「では、早く準備をしなければいけませんね」
「準備?」
「神学校を卒業したので、もう制服を着ていくわけにもいかないでしょう」
そういえばそうだよな。いまだに学生気分の抜けない俺は、イマイチ公の場での正装、というのに疎い。
今や立派に王立スパーダ神学校を卒業し、一人前の大人というか、社会人として、TPOに応じてそれなりの格好ってのをしていかなければならないのだろう。
ええい、面倒くさい、やっぱり俺はローブか鎧でモンスター討伐でもしている冒険者生活の方が性に合っている。しかし、この期に及んでワガママも言うまい。
「分かった、それじゃあアヴァロンに行って買い物してくるか」
「はい。ところで、リリィさんはどうします?」
「リリィは置いていこう。今日はついてこれそうもない」
冷たいことを言うようだが、リリィは昨晩の余韻が抜けてないのか、何だかデレデレで酔っぱらったように色々と上の空なのだ。いまだにベッドの上でゴロゴロしていて、起きてくる気配はない。
まぁ、ここには幼女リリィの世話を焼く忠実な僕が何人もいることだし、半日くらい放っておいても問題ないだろう。きっと、買い物から帰ってくる頃には、正気に戻っているはずだ。
「本当にいいんですか? 遠慮しなくてもいいですよ」
「遠慮ってなんだよ」
「まさか、クロノさんの本命が幼女の方のリリィさんだったとは思わなかったので。こんな小さな子供相手に本気でイチャつくクロノさんを見ても、私は別に幻滅したりはしませんので安心してください」
「いや、誤解だから。マジでいい加減に信じてくださいお願いします心から」
紅炎の月25日。
その日、俺はついにアヴァロン王城で、クロノ、奴の面を拝むことになった。
「ふん、随分と格好つけてきたもんだ」
俺はバルコニーから、正門を通って堂々とエントランスへと歩いてくるクロノと、奴が率いる『エレメントマスター』のメンバー達の姿を見下ろしている。
クロノはアヴァロンらしい学ラン風の正装に、デカい黒マントをなびかせている。俺が見かけたクロノの姿といえば、神学校の制服姿か、黒ローブで血みどろになっているか。
全く着慣れていないのが一目で分かる、ピカピカの新品の衣装を身に纏い、おまけに髪型までキッチリ決めてきている奴の姿は、どこか滑稽でもある。王城に呼ばれた田舎貴族を笑うのは趣味が悪いとは思うが、場違いな姿は嘲笑を誘うのも自然なことだ。
だが、ただの冒険者でしかない男が、精一杯着飾って来ましたというようなその格好を、素直に笑うことも俺にはできなかった。
今のアイツは、いわばドラゴンが人の姿に化けているようなモノだ。本来の強大で凶悪な姿を、無理矢理に押し隠して、人間らしく振る舞っているような……そんな違和感。
もっとも、表向きは国王以下、貴族や一般市民を救った英雄が今のクロノである。英雄の歓待に相応しく、大勢の人々が奴を出迎えている。その中を、アイツはいつものように睨みつけるようなしかめ面で、のしのしと歩いていく。
地獄の悪鬼も裸足で逃げ出すようなイカれた狂戦士が、ああして笑顔の人々に囲まれている姿は、どこかそら恐ろしいものを感じるね。一体、あの中の何人が、奴の本性を知っているのか……
「まぁいい、せいぜい今は、両手に花を楽しんでいればいいさ」
そもそもカオシックリム討伐を記念して行われるパーティだ。ならば、その主役はトドメを刺したクロノ本人だが、次点では肩を並べて戦ったネルとセリスの二人になる。
セレーネコロシアムのアリーナで、勇敢にカオシックリムに戦いを挑んだこの三人が、今回の主役ということになっている。
だから、クロノの隣ではニコニコ笑顔で愛想を振りまくネルと、爽やかな微笑みを浮かべるセリスが並んでいるのだ。
ネルは物凄く気合いの入った純白のドレスを身に纏い、煌びやかな宝飾品で惜しげもなく着飾っている。普段なら絶対にしないし、祝いの場でも進んでやりたがらない派手な格好だが、クロノの手前、見栄を張ったというところだろうか。
いかに王侯貴族といえども、ちょっと趣味が悪いんじゃないかというほど派手なドレス衣装だが……ネルの美貌に、何よりも目立つ純白の翼があれば、こんなに飾っても誂えたように似合うのだから、我が妹ながら凄いと思う。特に、小さい女の子達からは、これ以上ないほどお姫様らしいお姫様な姿のネルに、羨望と憧れの熱視線が注がれていた。
もう一方のセリスは、クロノと似たようなデザインの学ラン風の正装だが、着こなす者は恐ろしく限られると言う、白色の衣装、通称『白ラン』を着ていた。実は三人の中で一番気合いが入っているんじゃないのか。
あの白ランを完璧に着こなすとは、セリスの男装は神がかっている。正直、俺よりも王子様らしい姿だ。年頃の少女達は皆、軽やかにブルーのマントをなびかせる、純白の貴公子の姿に目が釘付けで、ここにいても黄色い声が聞こえてくる。
やれやれ、大盛り上がりだな。クロノ単独だったら、確実に微妙な雰囲気になっただろうが、やる気満々なネルとセリスがついていれば、今日の宴は盛況になること確実だ。
いよいよ王城へと入り、姿が見えなくなったところで、俺もバルコニーから部屋へと戻る。
「もう、よろしいのですか?」
「ああ、妹の晴れ姿は、十分に堪能した」
王城に幾つかある貴賓室、そこのソファにどっかりと腰を下ろし、対面の人物と目を合わせる。
そこにいるのは、下でキャーキャー言われているセリスの父親、ハイネ・アン・アークライト公爵である。
「公爵の方こそ、まだ行かなくていいのかい?」
「勲章授与式には、まだ時間がありますので」
「愛娘の晴れ舞台だってのに、浮かない顔だな」
「セリスの武勲は手放しで讃えられるべきものですが……隣に悪魔が並び立っていると思えば、私は一人の父親として、とても平静ではいられませんよ」
彼があからさまにクロノのことを忌み嫌っているのは、ただの冒険者風情が、という身分による意識からではない。
すでに俺は、ハイネ公爵が、アリア修道会と深い協力関係にあることを知っている。故に、俺の前では本心を隠す必要はない。無論、逆もまた然り。
「ですが、こうしてネロ王子殿下が、私と同じ危機感を抱いていると知り、一筋の希望を見出した心境です」
「いや、俺の方こそ、公爵と協力できるのは心強い」
王子とはいっても、まだ何の権力も握っていない俺では、出来ることに限りがある。その点、現役で公爵家当主であるハイネは違う。このアヴァロンでは、上から数えた方が早いほどの権力者である。
お互いの立場からすると、こうして王城内で会うのが最も自然な形となる。あまり、俺の方からアークライトの屋敷へ出入りするのも、怪しいからな。
だが、あまりゆっくりと話しこんでいる暇もない。挨拶もそこそこに、話の本題に入る。
「あの男の狙いは『モノリス』だそうです」
その名前を知っているのは、限られた一部の者だけだ。アヴァロンでは王族と十二貴族、それからパンドラ神殿のお偉いさん、あとは少数の関係者のみ。『モノリス』はスパーダにもあるし、恐らく、他の国にもあるだろうが、基本的にその存在は公にされてはいないはず。
「ああ、パルティアで小さいモノリスを弄っていた、と聞かされたが……なんだって、あんな石版を」
秘密扱いの『モノリス』とはいえ、そこら辺の広場や公園にある石碑『歴史の始まり』と大差はない。
強いて違いをあげるなら、『モノリス』には一定量の黒色魔力が常に漂っていることくらい。秘密にされているのは、ただパンドラ神殿が神聖視しているだけで、現在でも稼働する古代遺跡の兵器などとは違い、何の力も持たない骨董品だ。
「殿下は、モノリスに隠された機能の話について、聞いたことは?」
「古代遺跡の力を操るだとか、魔王の力を蘇らせるだとか、そんなくだらない言い伝えしか、聞いたことはねぇな」
モノリスについては何も分かっていない。分かっていないからこそ、好き勝手な憶測が飛び交うし、古代の遺物として神聖視されているせいで、尚更に特別な何かがあるんじゃないかという思いも増すのだ。
「ええ、モノリスの真実は我々にも分かりませんが……少なくとも、クロノ、あの男は何かがあると確信しているようですね」
「ああ、ただの遺跡オタク、ってことはなさそうだな」
まさか、ほとんど空想の言い伝えをどこかで聞いて、本当にモノリスを使って魔王の力が得られるとか信じているのだろうか。
いくらなんでも、そこまでアホだとは思えないが……しかし、もし奴に加護を与えている神が、そういうことを吹きこんだらどうか。
神の言葉となれば、人は信じざるを得ない。普通は神の声、つまり神託なんてもんは幻聴でもなければ聞くことはないのだが、どうにもアイツは相当に強力な加護を得ている。つまり、大神官並みに神との距離も近いと見るべきだ。
「奴が神に騙されているだけならいいが、もし、何かしらの秘密を知っているのだとすれば……」
「そうです、我々が知らない情報を邪神から授かっているのであれば、それは非常に危険なことです」
俺達はモノリスをただの石版だとしか思っていない。しかし、アイツだけはモノリスに秘められた真の機能とやらを扱う方法を知っているのだとすれば。そして、ソレが本当に絶大な力を持つものであるなら――
「冒険者として真っ当に成り上がりつつ、誰にも知られていない秘密の力を手にしようとしている。そういう、ことなのか……?」
「あぁー、疲れたぁ……」
朝焼けが目に沁みる、紅炎の月26日早朝。
俺は第二リリィ小屋へと戻るなり、正装のままベッドへと倒れ込んだ。
昨日、行われたアヴァロン王城での祝勝会は、ひとまず無事に終わった。玉座の間では、ミリアルド・ユリウス・エルロード国王陛下とご対面。お褒めの言葉と、ついでみたいに勲章授与もされた。
そういえば、ネルの父親であるアヴァロン国王を生で見たのは初めてだ。正直な感想を言えば……随分と普通のおじさんだな、というもの。
いや、決して貶しているワケでもないし、貶めるつもりもないのだが、思うに、スパーダのレオンハルト王のヴィジュアルが威圧感に溢れすぎているせいだろう。あの人と比べたら、大体の王侯貴族も普通のオッサンである。
実際、ミリアルド王は特別に武勇に優れるだとか、そういうことはないらしい。せいぜい、古の魔王ミアに倣って、闇属性魔法を少々、といった程度らしい。典型的な文官タイプだ。まぁ、それが普通だろう。多分、王様が最強なのはスパーダくらいだろうし。
外見としては、年齢相応に老けて見えるし、頭はやや薄くなった黒髪で、幅のある恰幅のいい体型。何となく、大河ドラマで見た徳川家康みたいな風貌だと思った。恐らく、顔立ちがやや日本人ぽい、彫りが浅いからかもしれない。ぶっちゃけ、ネルに全く似てないし、イケメンなネロにも似ていない。あの場にはいなかったが、きっと王妃が超絶美人なのだろう。
そんな普通な王様らしいミリアルド王と、なんだかんだで緊張しながらも、勲章授与の儀式も無事にクリア。この辺は、スパーダでの経験が生きたと思う。
まぁ、ここまでは良かったのだが、問題なのはその後に開かれた盛大な祝勝会。盛り上がるのはいい。とても顔と名前が覚えきれないほど、色んな貴族やら関係者やらが挨拶にくるのも、仕方がない。
だが、まさか朝までそんな流れが続くとは……てっきり、夜も更けて来れば自然とお開きになると思っていたのに、アヴァロン貴族はお喋り大好きなのか、全く、ワイングラス片手に歓談が終わる気配をみせない。
正直、果てしなくコミュ力の怪しい俺が、見ず知らずの大人達と一晩中、語り明かすというのは最早、一種の拷問に近い。それも、相手はただの酔っ払いではなく、アルコールが入りながらも腹の中では何を考えているか分からない、計算高い貴族階級の者ばかり。俺としても、あまり不用意な発言はしないよう常に注意もしなければいけない。
もし、ネルとセリスがずっと両脇を固めていてくれなかったら、俺は色々とダメだったかもしれない。素直な気持ちとしては、もう貴族の宴はこりごりなのん、トホホ、といった感じである。
「随分とお疲れですね、クロノさん」
精神疲労によってダウン状態にある俺に、フィオナがどこまでも他人事のように言う。
「そりゃあ疲れるさ……というか、フィオナはどこにいたんだよ」
最初は一緒にいたのだが、気が付けば、フィオナの姿はどこにもなかった。
「途中で寝たリリィさんを別室に送った以外は、ずっと会場にいましたけど」
「そうなのか?」
「はい、朝までしっかりと、アヴァロンの宮廷料理を楽しみましたよ」
おのれ、一人だけ堪能しおってからに……ずっと囲まれていた俺は、ロクに料理も食べられなかったぞ。
「悪い、少し寝かせてくれ」
「はい」
「起きたら、すぐにスパーダへ戻る」
カーラマーラへの旅に向けて、準備をしなければいけないが、今はちょっとでいいから、安らかに眠らせてくれよ……