第633話 おかえり
2017年11月3日
申し訳ありません、予約投稿忘れで、投稿時間が遅れてしまいました。『呪術師は勇者になれない』も合わせて、投稿いたします。
「……ここが『カーラマーラ』か」
ミアと別れ、神殿でリリィと合流し、ようやく朝食を終えたところで、俺は聞き覚え名の無い都市の名前を探して、パンドラ大陸の地図を広げた。
最果ての欲望都市、などと仰々しい肩書きだが、それに見合ってかなり有名な都市のようだ。カーラマーラの名前は、アヴァロンやスパーダと同じくらい大きな文字で記されていた。
「ほとんど大陸の南端だな」
「ここに行くにはねー、おっきい砂漠も越えないといけないんだよー」
リリィがつんつんと小さな指先でつつく先には、砂漠を示す茶色が結構な範囲で広がっている。アトラス大砂漠、と名付けられており、この砂漠のほぼ中央にカーラマーラがある。砂漠のど真ん中にあるのに大都市なのは、一体どういうカラクリなのだろうか。
「それにしても、遠いな……」
今いるパルティアのハイラムから出発したとしても、相当な道のりである。
まず、パルティアの大草原が広い。ここを南に抜けるだけでもかなりの距離だ。国境を越え、広大な平原を抜けた先には、南側へと向かうのを阻む壁のように、多くの活火山が連なるバルログ山脈が立ちはだかる。
高く険しい炎の山脈を抜けると、大陸最大のジャングル、ヴァルナ森海が広がる。
深いジャングルの海を越えれば、ついに不毛の地であるアトラス大砂漠へと辿り着く。
こんなルートを行くなら、とんだ大冒険である。
「だが、行かないわけにはいかないだろう」
「パンドラの端っこまで行くなんて、すごーい!」
ピクニック気分でキャッキャとリリィは喜んでいる。車も飛行機もないこの異世界で、大陸の端っこまで行くのは遥かなる旅路であるが、リリィと一緒なら、地の果てまでだって楽しく行けるだろう。
「とりあえず、一度スパーダに帰って計画を立てないとな」
ミアが直々に降臨して警告してくれたのだ。カーラマーラにあるという無防備なオリジナルを放置するという選択肢はない。このハイラムにあるモノリスをピンポイントで狙って、修道会の奴らが乗り込んできたということは、パンドラ大陸のモノリスについてある程度の情報はすでに掴んでいるとみていいだろう。
奴らはもう動き出していると見越して、早いところ具体的な遠征計画を立てて出発しないと。
というワケで、領主とケイに引き留められつつも、俺達は早々にハイラムの町を後にした。
来た時は割とのんびりだったが、帰り道はちょっと急ぎ気味で。こういう時に、魔力が続く限りは無限スタミナのメリーは頼もしい。無茶な強行軍でも平気で走ってくれる。
結果、行き道よりは一日ほど短く、パルティアの草原を抜けて、海の見えるレムリアの南沿岸にまで戻ってきた。
「ねぇ、クロノ……寄り道、したいんだけど」
来た時と同じ道である、トルキス方面へ曲がろうとした時、不意にリリィが言い出した。ちょっと真面目な口調だから、意識を戻しているようだ。
「別にいいけど、どこに行くんだ?」
まさか今更、美しいビーチで海水浴を体験したいとは言いだすまい。そんなに興味があるんだったら、来た時にやっている。
「アヴァロン。ここから船に乗れば、真っ直ぐセレーネに行けるわ。さほど遠回りにはならないルートよ」
「なんでまたアヴァロンに?」
「少し、ランドの様子を見に行きたくて」
なるほど。シャングリラの座すディスティニーランドには、アヴァロンの山林にある小さな『歴史の始まり』から転移できる。一度スパーダに戻ってからアヴァロンに向かうよりも、このまま帰り道から寄っていく方が無駄はない。
「分かった、それじゃあ行くか」
「うん、ありがとう、クロノ」
微笑むリリィはいつも通り、のはずなのだが……何故か、少しだけぎこちないように思えた。俺の気のせいか、それとも、何か心配事があるのか。
今のリリィなら、下手に抱え込むこともあるまい。時が来れば、自分から話してくれるだろう。まぁ、それでも心配なので、それとなく探りは入れてみるが。
そうして、急遽予定を変更し、トルキスではなく、その反対側になるレムリア沿岸南西側の港町になるウーシアへと向かった。
ウーシアはトルキスより大きな港を持っていたが、沿岸部には綺麗な砂浜はなく、あまり観光地的な趣はない。とにかく海上輸送の拠点として、無数の商船と大型の貨物船が行ったり来たりと忙しない。
この異世界にも娯楽としてクルージングってのはあるみたいだけど、俺達が乗り込んだのは、無骨な輸送船であった。値段はそこそこで、客室は狭苦しい。その代わり、真っ直ぐ最短でアヴァロンの港町セレーネへと直行してくれるし、メリーのような騎馬も丸ごと載せてくれる。
華やかな船旅といかないのは残念だが、そういうのはまたの機会にしよう。
「おお、かなり復興が進んでいるな」
随分と久しぶりに感じる、セレーネの町。カオシックリムと戦ったのは随分と前のように思えるが、実際はたった二ヶ月前のことだ。あまりにも、リリィと戦う期間の出来事が濃密すぎて、すっかり昔のように感じてしまう。
俺の主観的な感覚はさておき、セレーネはカオシックリムによってかなりの被害を受けていた。特にデカいのは、大灯台からぶっ放されたビーム砲。街の端から端まで一直線に通り抜けて行ったからな。
着弾点付近は瓦礫の山と化していたことははっきり覚えているが、今こうして歩いていると、すっかり街並みは元通りになっていた。街の人の復興努力と、モンスター災害ということで首都アヴァロンからの援助も厚かっただろう。ついでに港町だし、物資や資材を集めるのも楽だろうし。
しかしながら、カシックリムが一番大暴れした決戦場たるセレーネコロシアムだけは、いまだに工事中の看板が出ていた。
大きく崩れてはいないものの、元々が古代遺跡だから、復旧工事するのは普通の建物よりも大変なのだとか。古代遺跡そのままを再現するか、それとも現代に合わせた造りで済ませるか、専門家の意見も割れたりするという。というか、絶対に修復方針の議論で時間かかってるだろ。
とりあえず、コロシアム以外は無事に復旧を終えたセレーネを、今度こそゆっくり観光したい気もするが、やはりこれも今度の機会にせざるを得ないな。
こうして次々と遊ぶのを諦めていると、さっさと十字軍滅びねーかな、と思ってしまう。大体、俺だってまだ17歳……いや、この異世界に来てとっくに一年以上過ぎているから、18歳になるのか。どちらにせよ、まだまだ遊びたい盛りだし、こうして異世界の様々な街や景色を見ていると、じっくり観光したい気分も興味も湧いてくる。
それを抑えて、奴らとの戦いを続けなければならないのだから、より一層、恨みも深くなるってもんだ。酷く勝手な理屈だが。
そうして、紅炎の月21日。
セレーネも越えて、ようやくリリィの目的地である首都アヴァロンに到着した。
「石碑のある場所ってどこだっけ?」
「こっちだよ」
リリィの案内で、これといった目印の無い細い山道を歩く。
この辺は首都を囲む城壁の外にある山林だ。緑あふれる自然の山ではあるが、かなり人の手が入っており、モンスターもこの山には出てこない。
確か、この山に住んでいる樵だか猟師だかもいたはずだ。山道を歩く途中で、年季の入った木造の家をちらほらと見かけた。
「お、あそこの家は随分と真新しいな。それに、洒落たデザインのログハウスだ」
「あそこだよ」
「えっ」
リリィが平然と、そのログハウスが目的地だと告げる。
どういうことなのか、疑問はすぐに解けた。
「おかえりなさいませ、マイロード、マイプリンセス」
ログハウスからは、見知ったアルビノカラーの男達がぞろぞろと出てきては、現れた俺とリリィの前に跪いてお出迎え。
揃いの黒コートに、全く同じ九つの顔。唯一の違いは、それぞれが持つ種類が違う無銘の呪いの武器。いや、今はもう名前付きに進化したのだったか。
見違えようもなく、彼らはリリィの忠実な僕たる、『生ける屍』のホムンクルス達であった。
「彼らには、この場所の管理を任せているの。ランドに繋がる唯一の転移場所だから、ちゃんと抑えておこうと思って」
「そうだったのか……けど、勝手にこんな家まで建てていいのか?」
「周囲一帯の土地はもうとっくに買ってるわ。一応、彼らはアヴァロンで冒険者をやらせているから、自分で稼いで、守り続けてくれるわよ」
土地購入とログハウス建設の設備投資だけリリィがポンと最初に出して、後は手がかからないよう彼らだけにお任せだという。
「我々は現在、首都アヴァロンにて『ピクシーズ』という名で冒険者活動をしております。この場所は、ただの我々の拠点ということになっています」
補足説明するように、『ダイアモンドの騎士剣』を持つホムンクルス一号ことアインズが話してくれた。彼の首元には、ブロンズのギルドカードが下げられている。
なるほど、中間層として数の多い、それでいて安定した収入を得られるランク3冒険者として、活動しているようだ。ディスティニー城で見た、古代の歩兵装備を使えばランク4にもすぐ上がれるだけの戦力だろうが……これぐらいの方が、目立たなくていいのだろう。
「ここは『ピクシーズ』の所有地ってことになっているから、ランドの出入りも人目を気にしなくて済むわ」
「何て言うか、流石だな、リリィは」
現状、神滅領域アヴァロン内にあるディスティニーランドと天空戦艦シャングリラをリリィ個人のモノとして自由にするには、このまま内密にしておくのが一番だ。
アヴァロン軍に存在が露見した場合、接収されるのか、それとも保有が認められるのか、どうにも判断がつかないが、面倒なことになるのは確実。所有に関して、どうするこうすると法的な議論に付き合っている暇は、正直、ない。
古代の遺産をほぼ使いこなしているリリィが、このまま使い続けてくれる方が、今後の戦力増強には期待が持てる。
そして、何より警戒すべきなのは、ランドの存在が公になることで、十字軍、ひいてはアリア修道会に目をつけられることだ。ハイラムの一件で、奴らがモノリスを狙っているのは明らかとなった今、尚更にこのテの遺跡の秘匿は重要度を増している。
「でも、私にとってそんなことは、どうでもいいの。私が一番ここに欲しかったのは、アレよ」
どこかソワソワした様子のリリィに手を引かれて、俺はログハウスを通り過ぎて裏手へと向かう。
小さな林を挟んだその先には、小さなボロい小屋が一つだけポツンと立っていた。
ただの物置、のようにも見えるかもしれないが、その小屋に俺は確かに見覚えがあった。
「もしかして……この小屋は、妖精の森の」
「そう、私のおうち」
どこか恥ずかしそうに、リリィが言った。
そこで過ごしたのは、時間にすれば僅か三ヶ月だが……俺にとってそこでの生活は、この異世界に来てから最も心が安らいだ唯一の時間ともいえるだろう。とうの昔に失った、平和の象徴のようなその小屋が、今、再び俺の前に建っていた。
「凄い、まさか、持ってきたのか?」
「ううん、ただ、似たように造り直しただけ」
その割には、完璧な再現度に見える。小屋の図面なんてあるはずもないし、一体どうすればここまで正確にあの小屋をゼロから建て直すことができるというのか。
「私は三十年、あそこに住んでいたわ。大きさ、汚れ、劣化の具合、全部、私は覚えているの」
そして、その記憶をテレパシーでアインズ達にアウトプットすることで、正確な再現が可能だという。
「でも、小屋を古くみせるのには、結構、苦労したみたいよ?」
慣れない大工仕事をさせられる、彼らの苦労が忍ばれる。
「そんなことより、さぁ、クロノ、私達の家に、帰りましょう」
弾ける様な笑顔と共に、リリィは小屋へと駆けだした。
「ああ、そうだな」
今日はもう、陽も落ちる。ランドに行ってあれこれするのは、明日でいいだろう。
だから今夜は、ここで在りし日の思い出に浸るのも、悪くない。
そうして、俺はゆっくりとリリィの小屋へと向かい、懐かしい軋みを感じる、ボロっちい木のドアを開けた。
「クロノ……おかえり」
「ただいま、リリィ」
茶番染みた、偽りの帰還だな。けれど、きっとここが、俺達の楽園だった。
再現されたリリィの小屋の中で、当時を思い出す夕食メニューを食べ、狭いベッドに身を寄せて寝転ぶと、まるで、あの頃にタイムスリップしたような気分になる。
けれど、もうあの頃には戻れないし、戻るつもりもない。俺とリリィ、あまりに二人の関係は変わりすぎてしまったから。
そのことに、どこか寂しさも覚えるのも否定できないが……きっと、これが俺達の望みだった。
俺はリリィを愛している。
リリィも俺を愛している。
思いは通じ、夢が叶う。今夜、俺とリリィは結ばれる。
「……ふふっ」
「な、なんで笑う」
夜も更けてきたベッドの上、意を決してリリィにキスをしたら、このリアクションである。
「だって、クロノの方からしてくれるなんて、思わなくて」
「いくらなんでも、俺だって気づく」
リリィがどうして、わざわざここへ俺を誘ったのか。それは、ただの寄り道なんかじゃない。
ここへ辿り着いた紅炎の月21日の今日は、満月の夜だった。それも、偶然なんかじゃない。
思い出の場所に、一晩中、少女の姿でいられる日。場所も日時も何もかも、リリィが自らお膳立てしたのだ。
「だから、せめて俺の方から、誘わせてくれ」
「うん……いいよ、クロノ」
陶然とした表情で微笑むリリィは、今度は自分から唇を寄せてくる。重なるだけ、触れるだけのフレンチキスは、どこまでも乙女らしさに溢れていた。
妖精リリィ、永遠の少女。
この世のものとは思えないほど、美しく光り輝く彼女の姿に、心から魅了されそうだ。
「綺麗だ、リリィ」
「ふふ、ちょっと恥ずかしいかも」
頬を朱に染めるリリィは、一糸まとわぬ裸体を晒している。裸でいるのは妖精なら当たり前の姿ではあるが、その肉体には白く輝く光のヴェールすら失われ、瑞々しい真っ白い玉の肌が露わとなった。
妖精が裸なのは『妖精結界』に包まれているから、恥ずかしくもなければ、生活に支障もなく、さらには戦闘さえ可能とする防御力まで備えている。しかし、今、リリィの体からは完全に妖精結界は消え去り、見た目通りに華奢な少女の肉体だけがそこにある。リリィにとっては、これが真の意味での裸ということだ。
そういえば、少女リリィの姿で完全な裸を見るのは初めてだ。そりゃあ、彼女も恥らうだろうし、俺もちょっと恥ずかしい。
見惚れるほどに美しい裸体、抱きしめただけで壊れそうなほど儚い姿、愛しさが故に触れる事すら躊躇を覚えるが……リリィが欲しいと本能が吠える。
「我慢、しなくていいよ。だって――」
愛と欲望が渦巻く混沌とした胸中を見透かすように、リリィは微笑みを浮かべながら、俺の胸元へと飛び込んでくる。
「――リリィはクロノのモノだから」