第632話 モノリス(2)
リリィと合体することで、俺は無事に白く染まった『歴史の始まり』を元通りにすることができた。
俺が強引に黒化しても良さそうなモノだが、コイツはただの石版じゃない精密機器みたいなもんだ。機能に異常をきたさず安全確実に元に戻すには、リリィの案内が必要だった。
もう何回かやってみれば、俺一人でもできそうだとリリィは言っていたが、あんまり自信はない。そろそろ俺も、真面目に古代語の勉強した方がいいだろうか。
ともかく、『歴史の始まり』を元に戻して、全ての仕事は終わった。
神殿を出ると、いつの間にか夜は明けていて、ハイラムの町に戻る頃にはすっかり明るくなっていた。うん、今日もいい天気だ。
「――此度のお働き、真に感謝いたします、冒険者クロノ様」
領主の館にて、まずは報告。
『雷電撃団』の壊滅に、修道会の機甲騎士を全滅させたという結果に、ハイラム領主ケルヌンノスさんは満足してくれたようだ。町の危機が去り、安堵しているのだろう。そんなに泣かなくても……
「是非とも、この町を救っていただいた大恩に報いたく思うのだが、いかがか」
「クエストの報酬以上は望みません、と言いたいところですが、一つだけ頼みごとがあります」
今回は、幸運にも俺達が居合わせたから良かった。けど、大事なのはこれからだ。
ハイラムの町には、奴らが再び『歴史の始まり』に手出しできないよう、監視と警備をしておいて欲しい。
俺が黒化で戻せたように、奴らもまた何らかの方法で再び白く染めることもできるはずだ。
だが十字軍にとって、このパルティア含めパンドラ全土はいまだに敵地。ひっそりと手先を送り込むことはできても、大軍を繰りだしてくるのは難しい。
奴らの狙いがあらかじめ分かっていれば、各地域だけで注意するには十分だ。
普通なら、遠いスパーダの戦争相手がパルティアでも暗躍しているんだ、などと言ってもまともに取り合ってくれないだろうし、遺跡を見張ってくれと頼んでも鼻で笑われるに決まっている。
けど、今回ばかりは俺の訴えに正当性は保証され、さらには町を治める領主に直接頼めるのだ。これ以上ないほど、状況は整っている。
「まさか、『歴史の始まり』が狙われるとは……ただの古代の遺物だと思っていたが……」
パンドラではどこにでもあるお馴染みの石碑が、実は凄い魔法装置で、なんてのは俄かには信じがたいだろうが、事実として、町を襲った奴らが狙っているのだから、真偽はどうあれ注意を払うより他はない。
俺が話す十字軍の陰謀じみた行動を、どこまで領主が信じるかは分からないが、それでもこれくらいの頼みは聞いてもらえるだろう。
「あい分かった、私はこの話を信じよう。遺跡の警備は約束する。他に大きな『歴史の始まり』のある町と、王都にも今回の件について報告しよう。この平原にはあの暴走賊のような連中はごまんといる。再び、修道会が現れ、同じことを繰り返さないとも限らない。我々は最初の被害者として、強く危険を訴えていくつもりだ」
「それでは、後のことはよろしくお願いします」
話は済んだ。クエストも無事に完了。
スパーダへ帰ろう――と、その前に、いい加減、朝食を食べたい。
リリィにも持って行ってやらないといけないから、適当に屋台で何か買うか。
「あーい、ありしゃっしたー、またおなしゃーす」
よく聞き取れないけど、何を言っているのか大体わかってしまう発音を聞きながら、シシケバブみたいな料理を受け取る。朝から肉かよと思うが、起き抜けではなく、戦いの後だからいいだろう。
他にも幾つか買いあさってから、俺はリリィが待つ神殿へと向かった。
何故、リリィだけ神殿にいるのか。
怪我をしたからではない。その目的は、いうなれば一種の検死、だろうか。
俺が捕獲した機甲騎士達は、戻った時には全員が死んでいた。機密保持のために、自殺したのだ。
舌を噛み切っただとか、隠し持っていた毒を飲んだとか、そういう古典的な手段ではなく、自爆であった。装着者である騎士と、ソレそのものが最先端魔法技術の塊であろう機甲鎧を、丸ごと自爆させることで消したのだ。
まさか自爆機能が内蔵されているとは思わなかった。迂闊だった、とは思うが……奴らは全員気絶していたはずが、それでも自爆機能が作動したということは、鎧そのものに適切な状況を察知する機能もまた備わっているということ。
分かっていたとしても、奴らの自爆を防ぐのはかなり難しいだろう。
ともかく、貴重な情報源になるはずだった機甲騎士を失ったことで、リリィは少しでも回収できる情報がないかと、死体を調べて――正直に言おう、脳を弄っているのだ。
そんな死者に鞭打つような情報収集をするために、リリィは神殿にいる。いやだって、死体の脳みそを弄り回しているのを、その辺でやるわけにはいかないし。
あっ、血生臭い仕事の後で肉料理はなかっただろうか。いやでも、リリィはあんまりそういうの気にし無さそうだし。
まぁいいか、とリリィに対する謎の信頼を抱きながら、俺は町のはずれにある神殿に辿り着いた。
「おはよう、黒乃真央」
そこで待っていたのは、愛らしい妖精少女ではなく、古の魔王であった。
特に目立たない、どこにでもあるような黒いローブを身に纏っているが、それでも、その黒髪と赤い瞳の幼い容貌は、見違えようもない。
「ミア……俺を待っていたのか」
「うん、話すなら、早い方がいいと思って」
座りなよ、とミアは神殿の前にあるベンチへとちょこんと腰掛けた。周囲には不思議と人の気配は感じられない。元々、閑散としているだけなのか、それとも、人払いは済ませてあるのか。
なんでもいい。このタイミングで現れたというなら、用件は一つしかない。
「こっちの世界に現れるのは、久しぶりだな」
「そうかな?」
「そうだろ」
「そうかもね。うーん、神様になると時間にルーズになるって、本当だったのかな」
永遠を生きる存在だから、時間感覚が人間と異なるのは当然か。
と、そんな神と人との世間話などどうでもいい。
「それで、話ってのは」
「もう察しているとは思うけど――すんすん、ねぇ、何かいい匂いしない?」
「分かった、コイツはくれてやるから、早く話せ」
「わーい! ありがとー!」
食い意地の張った神様に、俺の朝食セットを供物に捧げる。
「美味しー」
「味の感想はいいから、本題に入ってくれ」
「もう、ご飯くらいゆっくり食べさせてよね。現世にいられる時間は限られているんだから、ちゃんと味あわないと」
「だったら尚更、早く話をしろよ」
俺に飯をタカりにきただけか。ごちそうさまと同時に、時間切れで帰って行ったら、マジで君何しに来たの状態だぞ。
「そう焦らなくてもいいよ。簡単な話さ。君のお蔭で、十字軍の目的が分かった」
「頬にソースついてるぞ」
しょうがない奴だな。子供の姿で本当に子供みたいな真似してたら、神格ってヤツが怪しくなってくる。
さっさと拭ってやって、続きを促す。うわ、めっちゃほっぺたプニプニしてる。リリィ並みだぞコイツは。
「……十字軍の、目的が分かった」
「そこから言い直すんだ」
恥ずかしそうに顔を逸らしながらも、ミアは話し始めた。
「彼らが『歴史の始まり』を狙っている、というのは察しがついているだろう?」
「あんな堂々と白塗りにされちゃあ、気づくなって方が無理な話だ」
重要なのは、『歴史の始まり』を白色魔力でコントロールすることによって、奴らにどんなメリットがあるのか。つまり、真の目的だ。
「十字軍の目的は、いつだって一つさ。白き神の信仰拡大。より多くの信者を求め、より遠くへ、どこまでも進んで行く。この星の全てを、神の白に塗りつぶすまで」
ガン細胞のような奴らだ。転移するっていうところも一致する。
「それで、『歴史の始まり』を支配したら、どう奴らの侵略に影響するんだ?」
「そのまま、イコールで結びつくのさ。特定の『歴史の始まり』、と言ったらややこしいかな。確か今の時代では……『モノリス』と呼ばれている」
「モノリス? 『歴史の始まり』と同じに見えるが、何が違うんだ?」
「現代では、一定量の黒色魔力を発しているモノだけを、特別にモノリスと呼んで神聖視している」
「聞いたことないんだが」
「モノリスの存在は機密ってほどじゃあないけど、公にして皆で拝むようなモノでもないからね。知っている人が知っていればいい、そういう類の扱いなのさ」
完全に隠蔽されるほどの重大な国家機密とかパンドラ神殿の秘密というほどではない、ということはつまり、モノリスがあるからといって、即座に古代遺跡の物凄い力を扱うことができる、ということもないのだろう。
「けれど、十字軍だけは違う。もし、彼らがモノリスを手に入れれば、それだけで、その土地を丸ごと浄化できる」
「浄化、ってどうなる?」
「白き神の加護を受けられる場所になるのは間違いない。オマケで、そこにいる人を洗脳できるのか、人間以外の種族を消せるのか、どこまで効果が及ぶのかは僕にも分からない。けれど、そこに使徒が一人でも乗り込んで来れば……後は分かるだろう?」
最強の力を誇る使徒が、どうして直接、敵国に乗り込んでこないのかといえば、十字教の勢力圏を離れれば離れるほど、その力が落ちるからだ。全く無策に敵国の奥まで突っ込んで行けば、せいぜい、超一流の冒険者とか騎士とか、そんな程度のレベルにまで落ちる、らしい。
それでも十分に強いのだが、倒せないほどではない。
だがしかし、奴らが十全な力を発揮できる環境が、敵国のど真ん中にできたとすれば……本当に、一人でその国を落としかねない。モノリスを手に入れることで、使徒を最強の力で戦える場所を確保できるなら、それだけでも戦略兵器級の価値が生まれる。
「使徒が本気で戦えるだけの強い勢力圏と化せば、自然と信者も生まれてくるだろう。もしかすれば、使徒の武力なんか使わなくても、そこの信者が勝手に十字教の勢力を拡大してくれるかもね」
「なん、だと……それじゃあ、奴らは戦争すらしないで、パンドラを支配できるってことなのか!」
「不可能じゃない。似たようなことは共和国が何度もやってきたはずだし、それに、パンドラのモノリスと白き神には、それができるだけの力がある」
冗談じゃない。大陸各地で、勝手に十字教勢力が起これば、手の打ち様がなくなる。俺の敵は、遥々アーク大陸から乗り込んできた侵略者だけでなく、元パンドラ住民の十字教徒ってことにもなりかねない。
「なら、どうしてそんな危険なモノを作ったんだよ」
そもそもパンドラから十字教を駆逐するために、ミアは魔王となって戦った。だというのに、奴らが数千年越しの逆襲ができるほどの装置、『モノリス』なんてモノが、どうして古代に作られたのか。その責任を問うのは当然だ。
「残念だけど、モノリスを作ったのは僕じゃないし、僕らの時代でもない」
「そうなのか?」
「だって、自分を讃える石碑を自分で作るなんて、そんな恥ずかしい真似できないよ!」
そんな恥ずかしい真似を平気でするのが支配者ってもんじゃないのか?
「とにかく、モノリスは僕らの戦いがすっかり伝説になった、ずっと未来に作られたモノだよ。それでも、君たちから見れば、古代の歴史の一部に過ぎないけれど」
なるほど、大ざっぱに古代と呼んでいても、その時代は数千年単位の長さがある。ミアが生きた時代を古代初期だとすれば、古代後期はかなりの未来。地球でいうなら、ピラミッドのファラオがミアで、モノリスを作ったのがアインシュタインといった感覚か。
となると、そこまで未来の出来事をミアに責任とれと言うのは理不尽ってものだ。
「僕の時代じゃないから、モノリスがどういうものか、正確には分からない。でも、その構造と目的は分かるよ。原理そのものは、遥か昔から同じだからね」
「どういうことだ?」
「エーテル」
「なんだって?」
「精製した魔力のエネルギーだよ。大地に満ちる原色魔力が原油で、エーテルは石油みたいなモノ、といったら分かりやすいかな」
「そうか、エーテルってそういうモノだったのか」
リリィが言っていた、古代の遺物を動かすのに必要なエネルギー源が、このエーテルだ。天空戦艦シャングリラも、『暴君の鎧』も、ただの魔力ではなく、エーテルによって動いているらしい。
そういえば、フィオナ達が閉じ込められていたポッドの中に満たされていた液体もエーテルと呼んでいたが、多分、ソレをメインの成分にした薬液だから、そのまま呼び名になったってところか。
「でも、俺はエーテルなんて使った覚えはないが……」
「黒色魔力と白色魔力は、それぞれ対極の性質を持つエーテルなんだよ」
「そうなのか?」
「うん、だから、黒色魔力で原色魔力の力を再現する、疑似属性なんて真似ができるんだよ」
元は同じモノだから、ってことなのか。
「それじゃあ、モノリスはエーテルというエネルギー資源を得るための装置、なのか?」
「その通り。パンドラに残っている『歴史の始まり』は、本当に単なる石碑のモノも多いけれど、黒色魔力、つまりエーテルを検出するモノリスは、間違いなく、全てエーテルの精製機能を持っている。モノリスのサイズは精製量にも比例する。何十メートルもある巨大なやつは、オリジナルで間違いないだろうね」
オリジナルってのもあるのか。俺が見たことある最大のものは、スパーダの公園で見たのと同じサイズだ。それ以外は、小さなものばかり。
「オリジナルモノリスは、特に太い魔力ラインの大地脈が複数集まる、巨龍穴に建てられている。それ以外のモノも、必ずどこかしらの龍穴に建てられているから」
「それじゃあ、このハイラムにあるのは?」
「ここのは、普通の龍穴だね。古代から地脈の流れが変わらず、当時と同じ規模の龍穴がそのまま残っているから、十字軍も手始めに狙ったんじゃないかな」
「もし、あのまま奴らにモノリスを抑えられていたら、ハイラムはどうなっていた?」
「龍穴から汲んだ魔力を、白色魔力のエーテルに精製させる。そうして得た白色魔力を利用することで、十字教の浄化能力は機能し始める。それがどういう魔法儀式になるのかまでは、僕も分からないけど……ここの龍穴の規模なら、いきなり使徒が乗り込んでこれるほど劇的な効果はないはず。それでも、修道会を名乗る組織が、信者を増やして活動拠点にしていくには、やりやすい環境にはできるだろうね」
即効性はないが、それでも放っておくには危険すぎる影響だな。単純に、ワープで飛んでこれるというだけでも警戒するには十分すぎるのだが。
「なら、アリア修道会が蔓延ってるアヴァロンやスパーダは、その影響が出始めているってことなのか」
「可能性はある、けど、オリジナルに手出しできてはいないみたい。だから、一番危険なのは、フリーになってるオリジナルの方かな」
そうか、より大量のエーテルを精製できるオリジナルモノリスの方なら、一度稼働し始めたらそれだけで一発支配できるレベルの勢力圏を築ける。
逆にいえば、まだそこまで支配は進んでいない、地道な布教活動しか見られないアリア修道会の動きをみるに、アヴァロンとスパーダはオリジナルモノリスが抑えられてはいない証拠でもある。
「というか、そのデカいオリジナルってのは、どこにあるんだ?」
「巨龍穴に建てられてるし、それ自体が大きいから、物凄く目立つ。だから、ほとんど全て国の王城や大神殿や聖域なんかとして、厳重に守られている。アヴァロンとスパーダにも、王城の地下にあるはずだし、ここが守られている内は、まだ大丈夫なはずだよ」
一番欲しいところは、すでに守りが万全。だからこそ、ノーマルサイズのハイラムを狙ったってことだろうが……
「その言い方だと、あるんだろう。無防備なオリジナルが」
「うん」
神妙に頷くミアを見て、俺はちょっと嫌な予感が湧きあがる。
これはどうにも、簡単には解決できそうもない問題なのだと。
「今、最も危険な状態のオリジナルがある場所、そこは――」
ミアの小さな指先が、俺の赤い左目に突きつけられる。
「――最果ての欲望都市『カーラマーラ』」
それは、遥か遠く、南の彼方に小さな赤い光点となって、目的地が灯ったのだった。