第620話 和平
「……元に戻ってる」
備え付けの鏡を見れば、俺の左目は虚空でも魔眼でもなく、真紅の瞳の魔王の目へと戻っていた。
全く、素手をぶち込んで移植するとか止めて欲しい。どんな神経してれば、あんなマジでキチガイ染みた手術方法を実行することができるのか。
あ、俺もやったんだっけ……そこはほら、緊急事態だったしさ、仕方ないじゃん、みたいな。
「まぁ、目は見えるし、治っただけ感謝するべきか」
左目はすっかり元通りになっていて、視界にも全く違和感はない。すでに試練を終えた今となっては、ナビゲーターとしての役目もないから、ただの目玉みたいなものだな。その方がありがたい。
「流石はリリィというべきか、古代の装置というべきか……体の傷も治ってるな」
リリィとの戦いで負った俺の傷は、両手と膝が光の矢で蜂の巣にされて、腹がデカい一発で大穴が空いて、さらに自ら心臓を抉った胸と、かなりのモノだ。普通なら、カオシックリム戦後と同じように、退屈な入院生活になるところだったが、こんな短時間の内に全ての傷が治っているのだから凄い。ひょっとして、第六の加護『海の魔王』って、もういらない子なんじゃあ……
「けど、ここだけは傷痕が消えないのか」
俺が心臓を抉った胸元には、大きな傷跡が残っている。傷口こそ塞がっているものの、ズタズタに破れたような跡はそのまま。きっと、もうこれ以上、綺麗に塞がることはないのだろう。
思えば、一生残りそうな傷痕ができるのは、初めてだ。実験時代はどんな傷でも奴らは綺麗に治していたし、リリィもネルもパンドラ神殿でも、しっかり治癒魔法で治していけば、どんな傷も綺麗に癒すことができた。
それでも、こんなにハッキリと傷痕が残っているのは、何かしらの影響があると見るべきだろう。たとえば、呪い、のような。
「それも、いいかもな」
この傷はきっと、俺が自分自身に課す戒めだろう。
触れると、ドクドクと心臓の鼓動が感じる。すでに俺のモノとなった魔獣の心臓はしかし、どこか不気味な響きのように思えた。
なぁ、コレ、いきなり暴走して、俺をモンスター化させたりとか、しないよな?
一抹の不安を覚えつつ、俺はそそくさと服を着る。
ここは例の医療用エーテルポッドがある部屋だ。フィオナ達が捕まっていた城の地下室とは別になる。随分と狭苦しい印象を覚えるから、天空戦艦の中なのだろう。
俺が自分の姿を確認した大きな鏡のすぐ脇に、服は用意されていた。新品の下着と、元々、俺が着用していた上下。そして、激しい戦いを経たと思えないほど、綺麗になっている『悪魔の抱擁』だ。
コイツに袖を通すと、体も気持ちも引き締まる。
「それにしても……どうなったんだ」
ミアと手酷い別れ方をして、俺は目を覚ました。すでに治療完了ということなのか、ポッドの中にあの赤いエーテルとか呼ばれていた液体はなく、ただ俺の体は寝台の上で横になっていた。
リリィは隣におらず、とりあえず俺は目の前にあった鏡で体を確認して、服を着たのだが……
「おはよう、クロノ。体の具合はどうかしら?」
タイミングを見計らったように、部屋の扉が開いてリリィが現れた。
口調こそ大人のものだが、その姿は何度見ても落ち着く、幼女形態。久しぶりに見る、白プンプンのローブを着ている。
いつもの黒ワンピースは……そういえば、俺が木端微塵に散らせてしまったんだっけ。帰ったら、すぐに代わりを探してプレゼントしなければ。
「ああ、完全に治っているよ。ありがとな」
「ううん」
当然のことをしたまで、とリリィは皮肉もなく純粋な微笑みで答えた。
「リリィは大丈夫か?」
「さっき見せた通り、もう傷一つ残ってないわ……うふふ、もう一度、見たい?」
その幼い顔で誘うような表情をするのは止めて欲しい。何て言うか、心臓に悪い。
俺は笑って誤魔化しながら、次に聞くべきことを切り出した。
「それで、えーと、他のみんなは、どうしているんだ?」
「重症者はポッドで治療中よ。他の人も、ひとまずは休んでもらっているわ」
まぁ、ここはダンジョンのど真ん中だからな。戦いが終わったとはいえ、じゃあ帰ります、と勝手に解散できるような立地ではない。
「このディスティニーランドは、今も妖精女王の神殿になっているから、帝国騎士が襲ってくることはないわ」
「それは良かった。安全が保障されているのは、ありがたい」
今でも大丈夫ということは、きっと妖精女王はリリィが俺に負けてしまっても、見放すことはなかったということでもあるだろう。俺を永遠監禁するのを試練の条件に設定するような、過激思想の神様っぽいが……リリィに対しては優しいのだろう。
「急がなくても、大丈夫よ。それじゃあ、折角だし、移動がてらここを案内してあげる」
「ああ、頼む」
リリィは笑顔で駆け寄ると、俺の手をとった。
「ふふふ、ようこそ、天空戦艦シャングリラへ」
リリィと手を繋いで、軽くシャングリラの内部を回ることに。
俺が目覚めたポッドの部屋を出ると、あのホムンクルス兵がライフル抱えて立っていたので、いきなりビビってしまった。
「ここはポッドとか医療設備の集まる区画だから、一応、警備はしているの」
俺達からすると、コイツらがいる方が落ち着かないんだが。
「大丈夫、敵対設定はちゃんと解除してあるから。みんな、良い子よ?」
そう言ってほほ笑むリリィは、すでにして支配者の貫録である。伊達に百人以上のホムンクルス軍団を操ってはいない。
「ここのポッドには、まだ二人入っているわ」
すぐ近くにあった部屋へ通される。中には複数のポッドが並んでおり、その中には見知った人物が二人、それぞれ入っていた。
「カイ、ファルキウス……」
二人は眠ったように、瞼は閉じられたまま、プカプカとエーテルに満ちたポッドの中に沈んでいる。
「傷は塞がっているけど、まだ表面的にそう見えるだけ。完治するには、あと二日はかかるわ」
淡々とリリィが言う。
二人に瀕死の重傷を負わせたのは、他ならぬリリィ本人だが……そのことを責める権利は俺にはないし、二人もその気はないだろう。
「そうか、無事に治るんなら、良かった」
そして、治った後は感謝の言葉と共に、クエストの報酬を支払う。こんなことに巻き込んで悪かった、なんて謝るのは、彼らの戦いに対する侮辱のようなものだ。
一日でも早い回復を祈って、俺達はその場を後にする。
「さぁ、次に行きましょう」
気分を切り替えるように、リリィは思い切り俺の手を引いて、戦艦内の通路を駆けだした。
それからは、俺達が戦ったリリィの強大な戦力の種明かしのような感じになった。
シャングリラの心臓部であり、ポッドや転移魔法など様々な魔法設備を稼働させるための巨大な魔力エンジンのある機関部。
「これは『エーテルリアクター』よ」
その外観は、巨大な塔のようである。真っ黒い壁面に、赤く光るラインが縦横に走る。古代文字でも魔法陣でもなく、どこか機械的な模様を描き出していた。
実際、コイツの中にタービンとかが仕込まれていても、驚かない。古代魔法の極致である魔力エンジンの内部が、一体どんな構造になっているのか。気にはなるが、バラして調べるワケにもいかないだろう。
現在の稼働率は0,2%だが、それでも現代では驚くほど莫大な魔力が供給されるという。
というか、そもそも、このエンジンは一体、何を動力として動いているんだろうか。
「地脈から魔力を取り込んで、エーテルに転換しているの」
「エーテルって?」
「魔力をより使いやすく変化させたモノ、かしら。古代のモノは大抵、エーテルを動力として動くように造られているわ」
原油を石油に精製している、みたいな感じだろうか。
地脈に流れる魔力は、様々な原色魔力が地域によって異なる比率で混ざっているから、それをエーテルという均一な質にするということだ。
もっとも、現代ではエーテル技術は再現どころか発見もされていないから、古代の魔法技術に追いつくにはゼロから出発しなければいけない状況なのだが。
「というか、それって大発見なんじゃ……」
「大したことないわ。こういうのを使わないと、エーテルには転換できないし、今すぐ実用化するのは難しそうよ」
今すぐ使いこなしている人が、一体何をおっしゃる。
とりあえず、エーテルを動力源とした古代の魔法設備は、まだ機能が生きているこのシャングリラ内限定だから、現代のあらゆる魔法具に即座に応用が可能というワケではない。
「クロノも、慣れればすぐに使えるようになるわ」
「俺が? いまだに呪文詠唱も魔法陣も読めないぞ」
「エーテルは、黒色魔力のことでもあるから」
「そうなのか?」
「黒色魔力と白色魔力。この二つだけ、同じ魔力なのに、原色魔力と別な扱いになっているのは何故なのか……エーテルの意味を知って、ようやく理解できた」
つまり、エーテルと原色魔力は、似てはいるけど、質的には別物だから、自然と別なカテゴリーに分類されていったということ。
闇の原色魔力と黒色魔力、光の原色魔力と白色魔力。これらの違いを詳しく解明している魔術士は、現代ではいない。だが、何となく異なることだけは分かるから、分類そのものはされていたワケだ。生まれながらに魔法の素養を持つ妖精のリリィも、与えられた知識の中に、この違いを解明する情報はなかった。
そこで、エーテル技術の塊でもあるシャングリラに触れたことで、その一端を知ることとなったわけだ。
「エーテル技術はこれから研究するとして……次に行きましょ」
さらっと重大な決意を言ってから、リリィはまた俺の手を引っ張って、機関室を後にした。
「ここは、人造人間の製造施設よ」
見た目は医療用エーテルポッドと似ているが、そこには金属の太いパイプが幾つも繋がっており、より大型の機械的な印象を覚える。室内の各所には、設備の操作・制御を司るためか、ボンヤリと光を発するデバイスが設置されていた。下手に触ると、誤作動を起こしそうでちょっと心配だ。
見える範囲では、ポッドの中に完成したばかりなのだろう、完全な人間の姿となっている男女が、それぞれ黒い全身スーツ姿で入っていた。
男の方は、兵士として見た奴だけど、女の方は見たことない。
「女性型もいたのか?」
「うん、フィオナ達の世話をさせるのに、男ではまずいでしょう?」
殺したいほど憎い相手のはずなのに、その配慮は一体なんなんだろう。リリィの謎の優しさに疑問を覚えるが、あえて聞く勇気はなかった。
まぁ、リリィ自身も、プライベートな部分での召使いなら、男よりも女の方が使い勝手はいいだろう。もっとも、同じホムンクルスなら、男女という性別の違いはあっても、個性と戦闘能力に差はなさそうだが。
「ここでアイツらを量産してたんだな」
「艦内にある小さな設備だから、少しずつしか造れないけどね」
なるほど、毎日コツコツと製造を続けて、あそこまでの数を揃えたのか。そして、それを俺の『反魂歌の暗黒神殿』のせいで自爆させたと。
人工の命といえども、こうも簡単に作ったり壊したりと、弄んでいいのものかと倫理的な悩みが起こる。
ライフル装備の歩兵は、普通の僕よりちょっとマシな程度の自立性能だが、『生ける屍』の最初の九人は別だ。彼らだけは、本物の人間に近い言動が可能。リリィ曰く、自我が芽生えたワケではなく、あくまで高度な演技を習得しているだけ、らしいけど……俺には素なのか演技なのか、区別はつかない。
そして、ここで作られるホムンクルスの体は、九人のスペアボディとしても使っているらしい。ネルとの戦いで九人全員をけしかけたら、あっさり返り討ちで全滅したが、それはスペアの方を使っていたから、本体は無事なのだという。
スペアボディは幾らでも用意できるが、分身のように一人の意思で同時に動かせるワケではないらしい。だから、捨て駒前提の作戦の時だけ、スペアにやらせるといった使い方。
ちなみに、最後にフィオナを仕留めた時に使役した九人は、全員本体だったという。
「今でも、まだ作り続けているのか?」
「一応ね。これから、何かの役に立つかもしれないし。連れて帰らなくても、とりあえず、ここに置いておけば困らないしね」
どうやら、リリィはスパーダに帰っても、このシャングリラとディスティニーランドの拠点を手離す気はないらしい。どこまでも強かである。
というか、アヴァロンのダンジョン内を勝手に占有していてもいいのだろうか。まぁいいか、どうせ誰も来ないだろうし。
「こっちは武器庫。艦内には幾つか歩兵用装備の武器庫はあったけれど、中身が残っていたのはここだけだったわ」
ホムンクルス工場のすぐ近くに、他よりも明らかに分厚い扉でロックされた部屋が、この武器庫である。
「おお、す、凄ぇ……」
どうしてこう、武器庫という場所は男心をワクワクさせるものなのだろうか。
金属質なラックに綺麗に並べてビッシリと収納されている、ホムンクルス兵のレールガンライフル。それと、サブウエポンと思しき、ハンドガンとナイフが収まるラックもあった。あの手の平サイズの卵型のモノが箱詰めされているのは、グレネードだろうか。
他には、ホムンクルス兵の装備とは形も大きさも異なるタイプの銃器が幾つかと、オプションパーツらしきモノが収まる棚まである。
だが、この中で最も目立つのは、鎧とロボットの中間のような姿をした、パワードスーツと言うべきアーマーがあることだ。背中のブースターみたいなユニットを見る限り、恐らくは俺の『暴君の鎧』と似たような機能を持つ古代鎧なのだろう。
「ライフル、ハンドガン、グレネード……クロノの話を聞いていたから、大体の武器の使い方は分かったけれど、動かせないものも多かったの。その古代鎧も、起動させるには物凄い手間がかかりそうだったから、放置していたわ」
「それじゃあ、手間さえかければ、動くのか?」
「多分、動かせるわよ。使い物になるのか、あるいは、使い手がいるか、っていう問題はあるけれど」
果たして、ここにある武器が全て使えるとなれば、コツコツとイチから銃作成に勤しむシモンは喜ぶべきか、泣くべきか。
「もしかして、艦内で武器も製造できるのか?」
「修理はできるけど、作るのは無理ね。ざっと見た限り、そのテの設備はなかったから」
よかった、これでレールガンを量産できたら、いよいよシモンの銃工場が無意味になるところだった。
「今のシャングリラで使える生産設備は、さっきのホムンクルスと、あとは飲食関係と一部の魔法具くらいかしら」
「なるほど、それでずっとここに滞在できたのか」
「ううん、あんまり美味しくないから、食事はほとんどアイン達を買い出しに行かせていたわ」
「……買い出し?」
「転移って、本当に便利な魔法よね」
いつの間にか、幼女リリィの小さな手に握られていた『メテオストライカー』が光を放つ。
次の瞬間には、俺達の目の前に大きな鏡が現れる。
生で見るのは初めてだが、コイツは確かリリィが転移魔法で通ってくる鏡だ。ヴィヴィアンの記録の中では、シャングリラの甲板で待つフィオナの元に来る時に、リリィはこの鏡の中から出現していた。
「コイツも、古代魔法なのか?」
「半分正解。この『メテオストライカー』に組み込まれた高度な制御回路があって、はじめて使用できる加護の力でもあるの。『ミラーゲート』と名付けられたこの転移魔法は、妖精女王イリスの領域内なら自由に転移できる」
「それじゃあ、他の場所では使えないってことか?」
「うん、艦橋から、『歴史の終わり』の転移機能を使って、首都アヴァロンまで飛んでいるの」
なるほど、それなら帰り道は楽チンだな。また神滅領域を通って、帝国騎士と鬼ごっこする覚悟を決めていたところだ。
「ねぇ、クロノが望むなら、一度帰ってもいいのよ」
目の前の鏡、『ミラーゲート』の向こうには、アヴァロンへの帰り道であろう『歴史の終わり』がボンヤリと浮かび上がって見える。
この鏡を通り、石版を通れば、すぐに帰れる。その気になれば、スパーダの『歴史の終わり』にまで飛べるかもしれないのだ。
すでに戦いを終えた俺としては、自宅となった屋敷に帰ってゆっくり休みたいところではあるが……
「いいや、帰る前に、話はしなきゃいけないだろう」
「そう……覚悟は決まっているのね」
「むしろ、早く顔が見たいくらいだ」
そう言って、俺は笑う。苦笑ではない。本気で言っているからな。
「うん、分かった。それじゃあ、行きましょう、フィオナが待っているわ」
シャングリラの案内は、リリィの気遣いだったのだろう。きっと、俺が悩み苦しむだろうと思って。
全く平気かといえば、嘘にはなる。
だが、覚悟なんてとっくに決まっている。
「ああ、行こう」
確かに、リリィは力づくで手に入れたさ。
しかし、フィオナがそれに納得してくれるかどうかは――はぁ、黒焦げの瀕死になったら、すぐにまたエーテルポッドにいれてくよな、リリィ。
リリィと共にやって来たのは、激闘を繰り広げたディスティニーランドの白亜の城である。正式名称は『ディスティニーパレス』というらしい。確かに俺とリリィにとっては運命の城といったところだな。
戦闘の最中には全く気付かなかったが、かなり大きなこの城はただの見世物だけでなく、宿泊施設も兼ねているという。ランド内にはまた別に、幾つかホテルはあるのだが、リリィ曰く、パレスホテルは一番人気を誇っていたとか。まぁ、こんなお城に泊まれるなら、誰でも泊まりたいだろう。
そして、今は俺達の貸切だ。シャングリラの狭い艦内で過ごすのもアレだから、治療の必要がないメンバーは皆ここを利用している。
フィオナが待っているのは、玉座の間と同じ最上階フロアに設けられた、スイートルームであった。
「待たせたわね、フィオナ」
「いえ、それほどでも」
当たり前のように言葉を交わす二人を見て、俺の胸にどこか懐かしさにも似た感情が渦巻く。
けれど、もうガラハド戦争までにあった『エレメントマスター』の日常が戻ることはない。時間は決して巻戻らないし、人の気持ちも立場も変わる。
それでも、似たようなものにすることはできるはずだ。三人で、サリエルも含めれば四人になるか、みんなでまた平穏な生活を送る。それを俺は、リリィに力で押し通した以上、フィオナにもサリエルにも、同じようにしなくてはならない。
気合いを入れ直して、俺はようやく、フィオナと再会を果たした。
「フィオナ……怪我は、もういいのか?」
「はい。クロノさんの方こそ」
「俺も大丈夫だ。リリィのお陰でな」
怪我したのは、お互いリリィのせいでもあるが、あえては言うまい。
ひとまず、いつもの表情で、いつもの魔女ローブを身に纏った、フィオナの無事な姿に安心する。戦闘記録では最後にリリィに至近距離で撃たれまくっていたから、大丈夫なのかと心配していたが、やはりポッドに入っている間に完治したのだろう。
「クロノさん、私は……いえ、やはり、謝るのも筋が違うでしょうね」
「謝る必要はない。俺も、謝る気はない」
彼女に対して、よくも勝手な真似を、などと怒る段階はとっくに過ぎているだろう。
フィオナもそんなことは承知だろうが、それでも、彼女は言葉を続けた。
「私は、貴方を騙してスパーダへと帰しました」
「そうだな。あの時は、馬車の中で無様に泣き叫んだもんだよ」
全てが手遅れになる、というあの焦りと恐怖と絶望は、もう二度と味わいたくはないな。
「貴方を守るため、というのはただの建前。私の本心はリリィさんが邪魔だから、殺したかっただけです」
「それはお互い様だろう。お前もリリィも……俺もな」
綺麗事なんて、いくらでも吐ける。
それでも結局、自分を動かす原動力ってのは己の欲望だ。今更、それだけのことを責めたりはしない。というより、できる資格が俺にはもうない。
「結局、私は負けました。リリィさんを止めることもできず、全ての始末をクロノさんに任せ、そして助けられただけです」
「こうして、お互い無事だったんだ。それでいいじゃないか。それに、フィオナが残してくれた情報は、しっかりと役に立ったぞ」
俺は何も、失わずに済んだ。
奇跡的にというべきか。それとも、リリィの意思が選んだ必然というべきか。
「クロノさんをただ悩み苦しませて、その挙句、何もできず、何も成せなかった私を、貴方は許してくれますか」
「許すさ。だって、俺はお前を、愛しているから」
自然にフィオナを抱きしめられたのは、曲がりなりにも恋人生活を続けたお蔭か。久しぶりにこの腕に抱きしめた彼女の体は、いつにもまして、折れてしまいそうなほど細く、儚く感じた。
「だから、離さない。許してくれ、と俺は聞かないぞ。俺はお前もリリィも手に入れるつもりで、ここに来たんだからな」
フィオナが自分の行いに非を認めているとしても、その対価にとは言いたくはない。俺も自分のエゴを貫くだけだから。
「……ぷふっ」
「な、何で笑う」
「クロノさんがこんなに強引なことを言うなんて、おかしいですよ」
無理しているのがバレたみたいで、急に恥ずかしくなってくる。
「笑わないでくれよ。俺がこの覚悟を決めるために、どれだけ悩んだと思っている」
「今でもまだ悩んでいるし、きっと、これから先もずっと、色々と気にして、悩み続けるでしょうね、クロノさんは」
グサリとくることを言う。
確かに、二人も三人も女の子を囲って、いつか開き直ってカッコつけられるのかと言われれば、俺には一生無理な気もする。
でも、ただでさえ気にしているんだ。揺らぐようなこと、あまり言わないでくれよ。
「そんなクロノさんだから、いいですよ。私は、貴方のモノです」
フィオナの細腕が、キツく抱き返してくる。
「……そう、アッサリと受け入れられると、逆に拍子抜けするんだが」
「泣いて怒って罵った方がよかったですか?」
「いや、やっぱ勘弁してくれ。ありがとう、フィオナ」
「いいんですよ。私は全力を尽くして戦いました。悔いは、ありません」
台詞の割には、清々しい笑みも悟ったような微笑みもなく、相変わらずの無表情で言うものだから、どこまでが本心なのか、俺には分からない。
けれど、今はその言葉を信じよう。たとえ嘘でも、俺にとってもフィオナにとっても、きっとそれが最善のはずだから。
「それで、私はまだクロノさんの恋人ということで、いいんですよね?」
「ああ、そうだな」
リリィは婚約者ってことになるけど、ここはフィオナにもプロポーズしといた方がいいんだろうか。いやでも、今の勢いで言うことでもない気が……やるならもっと、雰囲気とか、こう……
「私はいいですよ。しばらくは、恋人のままで。それ以上は、今は望みません」
俺のくだらない葛藤を読んだかのように、フィオナが言う。
「……いいのか?」
不意打ちのような言葉に、俺は情けなくもそんな風に返してしまった。
「ええ、これがいいんです――」
そうして、キスをされる。
ああ、しまった。こういうの、俺からやるべきだったのに。
なんて、悔いが真っ先に浮かぶ俺は女々しいだろうか。
「それで、クロノさんはもう、リリィさんとはいたしたのですか?」
「いや、あー、そういう話は、ちょっと今は……」
フィオナのストレートな質問にうろたえる俺は、うん、やはり一番女々しかった。