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黒の魔王  作者: 菱影代理
第31章:嫉妬の女王
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第618話 試練の果て

 次に目覚めた時、俺は忌むべき黒き玉座の間にいた。

「待っていたよ、君が来るのを」

「ミア……」

 呼び出したのはそっちだろうに。俺が自分の意思で来たかのような言い方だが……俺はすでに、魔王の加護を諦める覚悟はついている。もう二度と、会えなくとも構わない。

 だが、ミアはそうは思わなかったようだ。

 奴は最後にあった時と同じように、感情の色が窺えない人形めいた無表情で、相対する俺を玉座から見下ろしていた。

「おめでとう。最後の試練を、見事に乗り越えてみせたね」

「俺にそんなつもりはなかった。お前が勝手に、リリィの心臓を奪っていったんだろうが」

「あれは両者共に、合意の上だよ」

「お前とリリィが?」

「いいや、僕とイリスさ」

 俺は例のポッドの中で再び眠りにつくまで、幼い姿に戻ったリリィと色々と話した。正しく、積もる話というヤツだ。

 その中で、俺が魔王の試練に挑むのと同じように、リリィもまた、妖精女王イリスの与えた試練に臨んでいたと聞いた。もし俺を捕まえることができたなら、リリィはさらなる加護を授かり、人の身から半分は神になれるほどの絶大な力を得たという。

 妖精少女が妖精姫となり、神域というべき自分だけの世界を持つことになる。俺が敗北していれば、ディスティニーランドは未来永劫、俺とリリィが二人だけで過ごすことになる閉じた世界となり、やがてこの異世界の現世と隔絶した彼女だけの神域と化すのだ。そうして、リリィが望んだ『楽園』が完成する。

 だから、リリィにとってこの戦いは、愛する人を手に入れるかどうかだけでなく、神になれるかどうかの分水嶺でもあったのだ。

 正直なところ、永遠なる神の世界なんてあまりに荒唐無稽すぎて、現実感が湧かない。好きな男と同棲するかどうかで、人となるか神となるか、みたいな壮大な話に発展するとは、妖精の生態はマジでファンタジーすぎるだろ。

「俺もリリィも、どっちも生き残った。それは俺自身が望んで、そして勝ち取った結末だ。お前ら神の思惑なんざ、関係ない」

「……もし、君がただ彼女を殺して終わっていたら、最後の試練は果たされたと思うかな」

「さぁな、リリィの心臓を捧げるという条件さえ嘘だったかもしれないだろ。愛する人も守れないようでは、加護を得る資格はないとか云々、ケチをつけるつもりだったんじゃあないのか?」

「いいや、本当に君が彼女を殺していれば、それだけで最後の試練は果たされたよ。だから、君の言う通り、試練を越えて、彼女の命も救ってみせたのは、純粋に君が勝ち取った成果さ」

「お前が心臓を奪わなければ、もっと楽に終われたんだ。試練をクリアする気なんかないってのに、余計なことをしやがって」

 悪態の一つもついてしまうってものだ。アレで二人とも死んでたら、本気で呪ったに違いない。俺が呪いの武器になったら、きっと相当ヤバいモノになるぞ。っていうか、絶対になってやる。

「たとえ君にどれだけ恨まれようとも、第七の加護と、そして……僕の、魔王の真の力は絶対に必要になる」

「ふん、もしリリィを死なせてしまったら、俺はもう、パンドラを守るという意思さえ挫けてしまったかもしれないぞ」

「いいや、君は折れない。決して逃げはしない、敵がいる限り、必ず戦い続ける」

「今更、俺を狂戦士とでも呼ぶのか」

「そういう男だから、僕は君を選んだんだよ」

 どうだかな。リリィを失えば、俺は女々しく悲しみに泣き暮れて、剣を握るどころじゃなくなる腑抜けになりそうな気がする。俺は大切な人を失う恐怖に負けて、今度こそ十字軍との戦いから逃げることを選ぶだろう。

「リリィは無事に戻って来てくれたんだ。これでまた元通り、十字軍との戦いに集中できる。そこは安心しろ。俺には、戦いから逃げる理由はないからな」

「それは良かった。君には悩んでいる時間も、迷っている暇もないからね――黒乃真央、今日が何月何日だかわかるかい?」

「何だよ、急に。夜が明けてなければ、まだ初火の月13日のはずだが」

「そう、ちょうど一年前の今日、僕は初めて君と出会った」

 ああ、そういえば、そうかもしれない。アルザスの戦いの結末に絶望して彷徨っていた俺は、スパーダのスラムの路地裏で出会ったのだったな。

「そうか、ちょうど一年になるのか」

「君は僅か一年で、七つもの試練を越えてみせた。どれも劣らぬ過酷な試練、本当なら十年でも二十年でも、時間をかけてもよかったのだけれど――僕らには、時間がない」

 俄かに、ミアは玉座から立ち上がるなり、小さな指を指し示す。

「外を見て」

 そういえば、この玉座の間には窓がある。チラっと見た限りでは、真夜中のように真っ暗闇が広がっているだけで、何の景色も見えなかったから、今の今まで気にしたことはなかったが……

「何だ、光が差している。夜明け、なのか?」

 窓際によってみると、恐らくこのアヴァロン王城であろう、壮麗かつ堅牢な建物と城壁を誇る景色が見える。人の気配はなく、無人のよう。

 そして巨大な王城の外には、ただ荒野が広がるのみ。何もない広大な荒れ地の中で、この城だけがポツンと建っているような、実に寂しい光景。

 その景色を照らし出すのは、遥か地平線の彼方に、日の出の如く薄らと白い光が輝きを放っているからだ。

「いいや、アレは白き神の光だよ」

「なんだと?」

「すでに十字軍はダイダロスを完全に占領し、十字教の支配地と化した。それはつまり、白き神の勢力圏になることを意味する」

 神滅領域アヴァロンやアスベル山脈のように、今やダイダロスでは白き神の加護の影響が強まる地となったということだろう。

 十字教の勢力圏を広げるというのは、ただ教会を建て、人々を改宗するという現実の変化以上に、白き神の力が及ぶ地域の拡大にこそ意味がある。サリエルもフィオナも語っていたように、シンクレア共和国はジワジワと十字教の勢力圏を広げると共に、そこから得られる白き神の力をもって、さらに先の国々へと進んで行くのだ。

 使徒をいきなり敵国の中枢に送り込んで大暴れさせたりしないのは、十字教勢力圏内でなければ、力が弱まるし、相手の力が強まるから。勢力圏を離れて戦うのは、リスクが高すぎるのだ。

 無論、それはまた逆も然り。俺もいきなりアーク大陸の聖都エリシオンに転移したら、魔王の加護が発動せずに完封されてしまうかもしれない。

「ガラハド戦争で大敗しても、ダイダロスの支配は盤石ということか」

「いいや、ここまであの忌まわしい光が差しこむのは、それだけが理由じゃない」

 変化のなかったミアの表情に、僅かに、本当に僅かだが、感情の色が浮かぶ。それは怒りのような、焦りのような、あるいは不安、だろうか。

 そのせいか、一瞬だけ、俺はミアが見た目通りの幼い子供のように見えてしまった。

「このパンドラに、再び聖地エリシオンが復活しようとしている」

「……どういうことだ」

 ミアの生きていた遥か古代の時代には、パンドラ大陸も十字教が普及していて、エリシオンと呼ばれる都市があっただろう、という推測はフィオナから聞いたことがある。何でも、黒魔女エンディミオンの神域で、パンドラ大陸のエリシオン大聖堂があったからと。

 つまり、パンドラ大陸は古代では十字教が支配していて、聖地エリシオンもどこかにあって、大いに繁栄していた。それを、魔王ミア率いるエルロード帝国軍が完膚なきまでに叩き潰し、パンドラから十字教そのものを追いだしたと。

 この古代の宗教戦争が、ミアをはじめとした数多の黒き神々を生み出す伝説の舞台である。

「その通り、聖地エリシオンは僕が滅ぼした――けれど、それで白き神が死んだワケじゃない」

「だから、アーク大陸で十字教が復活したんだろう」

「人と神とでは、住む世界が違うからね。人間だった頃の僕が戦って殺せたのは、同じ現世に存在する使徒が限界だよ」

 流石に、俺も白き神を殺せと言われれば、どうすればいいのか全く見当がつかない。そもそも、白き神ってのがどんな姿なのかすらも分からないし、確実に専用の神様時空に立て籠もっているのは明らかだ。

「それで、エリシオンの復活ってのは?」

「僕は十字教を追放したけれど……完全に消し去れたワケではなかった。あまりに長く、このパンドラの地は白き神の支配に染まり過ぎた。だから、全ての使徒を倒しても、聖地を潰しても、忌まわしい神の力は呪いのように残り、各地に染みついている」

「その神の呪い、ってヤツを十字軍が利用して――まさか、『アリア修道会』は、そのために!」

「そう、すでに十字軍の手はスパーダ以外にも伸び始めている」

「そのための布教活動なのか」

「真っ当に十字教の信者を増やせば、それだけ影響力を持てる……けれど、それ以外の方法で、もっと決定的に白き神の力を取り戻す何かがある」

「それは?」

「僕にも分からない。ただでさえ、神の視点は人の世を細かく見るのは難しいんだ。まして、十字教の手先を探るとなれば、彼らの動きは靄がかかったように見えなくなる」

 そういうのを含めて、白き神が守っている、と捉えるべきか。

 開拓村の貧しい生活は助けないくせに、こういう他人の邪魔をするようなところにだけ効果が及ぶあたりがムカつくな。

「それじゃあ、奴らが布教活動以外に何を企んでいるのか探るのは、俺達が自分でやるべき仕事ってワケだな」

「何を成すか、今を生きる君たちが決めればいい。敵を探るのも、戦いに備えるのも、己の力を磨くのも、自分で選ぶんだ」

 うーん、そう言われると、全部やらなきゃいけない気がしてくる。

 やれやれ、この戦いが終わったらしばらくのんびりしたいと思っていたのだが……どうやら、そういうワケにもいかないようだ。

「忙しくなるな」

「うん、頑張ってね」

 他人事だな。この神様時空から白き神の光が見え始めて、ヤバいんじゃないのかよ。

「信じているんだよ」

 モノは言い様だな。

「君は最後の試練も乗り越えたし、愛する人も救ってみせたんだ」

「……もしかして、期待していたのか?」

「というより、願っていた。神様になった僕は、誰に願えばいいのか分からないけれど」

「自分で課した試練のくせに」

「七つの試練は、全て僕の経験が元になっているから」

 黒き神々が与える試練や資格などは、その神の伝説になぞらえたモノが多い。疑似的にだが神が人間だった頃の経験を追体験することで、より自らの存在を神に近づけることができるから、という説だ。

 神様の伝説を真似しようというのだから、それをやろうと思えば当然、強い力や精神力が必要になる。結果的に、成功するには相応の実力が求められるってワケだ。

 そうでなければ、試練なんてシステムは成立しない。

 そして、古の魔王ミア・エルロードも、この試練システムの制約からは逃れられないと。これもいつか言っていた、神様のルールの一種なのだろう。

「だが、俺は……ミア、お前のことは信用できない」

 試練のためには、リリィを殺さなければならなかった。試練を越えなければ、真の加護は得られない。そして、その力がなければ使徒を相手に勝ち抜けない。

 合理的な理由だ。

 しかし、納得はできない。できるはずがない。

 どんな理由があろうと、俺にはリリィを殺すことなんてできない。できないまま、貫き通した。心臓を失えば死ぬ。その当たり前の道理を、無理で押して引っ込ませて、最後の試練を乗り越えたのだから。

 そんな無理を強いた相手を、全て上手くいったからといって、即座に笑って許せるほど、俺は大人になりきれない。

 ミアには俺に試練を課すべき理由があり、きっと、覚悟もあった。

 それでも俺は、ミアを恨んでいる。俺にリリィを殺させようとした、魔王のことを、怨んでいるのだ。

「いいさ、僕のことは信じなくて。君はただ、僕の力だけを、信じていればそれでいい」

 ああ、分かっているさ、魔王の加護は強い。

 きっと、俺がこの先どれだけ修行を重ねても、他の神様から加護を得たとしても……ミアから授かった魔王の力には決して敵わないだろう。

「ミア、たとえお前が冷酷無比な魔王で、俺のことを、ただ十字軍を倒すためだけの駒としか思っていなくとも――それでも、使徒を倒せる力が得られるのなら、俺は信じよう」

「ありがとう、黒乃真央」

 感情の読めない無表情のまま、ミアは礼の言葉と共に、そっと右手を差し出した。

 俺は黙って、玉座の前に立つ小さな魔王の下まで歩み寄り、その手をとった。

「僕の力は、全て託した。後は君がどこまで使いこなせるかにかかっている」

「せいぜい、精進するさ」

 何か、特別な力も大きな変化も感じなかった。

 握ったミアの手は、見た目通りに子供の掌で、ただ小さく、柔らかく、温かい。とても、伝説の魔王の手とは思えないが……これがミアなのだと、不思議と納得がいく。

「ああ、それと、最後に忠告しておくけど」

「何だ?」

「魔眼を自分の目に入れるのは、止めた方がいいよ――」

 その声が届いた時には、もうすでにミアの小さな右手が俺の左目に突き刺さっており――そこで、俺の意識はぶっつり途切れた。




 リリィが目を覚ますと、そこは色鮮やかな花々が咲き誇る、美しくも広大な花畑のど真ん中であった。

 驚く必要はない。ここに来るのは、すでに三度目。

 そう、自分は三度、妖精女王イリスによって神域に招かれたのだと悟る。

 そして、リリィは妖精の神に言うべきことを、すでに決めていた。

「……申し訳ありません、女王陛下。私は、試練を果たすことができませんでした」

 嘘偽りなく、一切の申し開きもなく、リリィはただ頭を下げて自らの敗北を詫びる。

「いいのよ、そんなことはいいの。さぁ、頭をあげなさい、リリィ」

 面を上げたリリィに、輝く三対の羽を持つ妖精女王はどこまでも深い慈しみの色を浮かべて笑いかけた。

 多くの言葉はいらない。彼女の眼差しは、精一杯努力をし尽くしても、尚、望みを叶えられずに泣き暮れる我が子を見る母親と同じ。

「確かに、貴女は私が課した愛の試練を越えることはできなかった」

 リリィは『楽園』の創造に失敗した。愛する人を、未来永劫、自分の下へと繋ぎ止めておくことができなかったから。

 自分ワタシ相手アナタ、二人揃わねば楽園は成立しない。楽園でなければ、神域足りえず、リリィが妖精姫として神の座に登るための条件は満たされない。

「けれど、貴女は愛された」

「はい、クロノは私のことを愛してくれました」

 自らの心臓を抉り出してまで、リリィを蘇らせてみせた。これを愛と言わずに何という。

 いいや、ソレがなくとも、クロノはずっとリリィのことを愛してくれていた。出会った頃から、イルズ村での生活も、アルザスの戦いでも、スパーダでの学園生活でも、魔王の試練でも、ガラハド戦争でも――そして、今でも。

 本当は、分かっていたはずだった。

「おめでとう、リリィ。貴女はようやく、愛する人と結ばれたのよ」

「ありがとうございます」

 リリィはようやく、己の醜く激しい嫉妬心を乗り越えて、クロノの愛に応えることができたのだ。

「貴女は自分自身の愛の道を見つけた。それは私が用意したものとは違う方向だけれど……それが自分で選んだものなら、私は祝福しましょう」

「重ねて、お礼を申し上げます。試練を果たせなかった以上、妖精の固有魔法エクストラを失う覚悟も決めていました」

「リリィ、私の可愛い娘。一体、どこに愛しい我が子の才能を摘み取る母親がいるものですか。その力は、すでにして貴方自身のものよ。これまでも、これからも、己が力で愛を尽くしなさい」

 神の慈悲というものを、リリィは深く実感する。

 自身の後継者とまで語ったイリスの期待を裏切り、試練を果たせなかったのだ。本当に、もう妖精としての力の全てを失っても仕方がないと納得していた。

 しかし、彼女は敗北したリリィを責めるどころか、新しい愛の道を歩き始めることを祝福してくれた。当たり前のように、失望の欠片もなく、旅立つ我が子を見送る母の如く。

 これもまた、偉大なる愛の形の一つだろう。

「けれど、もう一度、貴女が『楽園』を望むのなら――いつでも、私の試練に挑むといいでしょう」

 そして、最後の最後にそんなことを微笑みと共に言うのだから、本当に神の愛というのは底知れずであった。




「うぉおおおおおおおおおおっ!?」

 と、左目を抑えて絶叫するクロノの姿が、幻であったかのように黒い靄となって消え去っていく。魔王ミアの神域たる玉座の間から、彼は現実世界へと帰還していったのだ。

「はふぅー」

 痛みに呻くクロノを見送った後、ミアは小さな口から何とも気の抜けた息をついて、だらしなく背後にある玉座へと寝そべった。その顔には、得体の知れない不気味な魔王の無表情はなく、細い眉をひそめた幼い憂い顔が浮かぶ。

「やっぱり、嫌われちゃったよね」

「そんなことありませんよ、マスター」

 玉座の脇の影から、音もなく現れたのは、ミア・エルロード第一の騎士、近衛騎士団長にして、騎士の女神となった『暗黒騎士・フリーシア』である。

「でもーあれ絶対怒ってるよー、すっごい怒ってるよー」

「今はまだ恨まれていても、きっと、分かってくれますよ――戦いの時は、近いのですから」

 うーん、と悩ましげな顔で頭を抱えたミアだったが、フリーシアの言葉で表情を引き締める。

「うん、そうだよね」

 クロノへ語った言葉は、全て真実だ。

 残酷な仕打ちと知りながらも、彼を愛する人を利用した試練を課さねばならなかった。最後の試練を越えられなければ……クロノはいつか、必ず力及ばず使徒の前に敗れ去る。そして、その時はパンドラが滅び、黒き神々もまた消え去る。

「賽は投げられた、と言うのでしたっけ?」

「そうかもね、すでに黒乃真央は僕の手から離れた」

 これ以上、彼に与えられるモノは何もない。後は、どこまで自らの力を高めていけるか。力を鍛えることは、神の奇跡ではなく、ただ本人の意思と努力によってのみ成されるのだから。

「……届くでしょうか」

「届かなければ、彼らも僕らも滅ぶだけさ」

 けれど、その道があまりに険しく過酷であることを、ミアはすでに知っている。

「白き神の『勇者』、彼の強さはすでに完成している」

 一度だけ、ミアは自ら『白の勇者』こと第二使徒アベルと対峙している。彼の力を理解するには、その一度だけで十分過ぎた。

「第三使徒ミカエル、第四使徒ユダ、第五使徒ヨハネス。彼らも同じ域にまで達しているようです」

「経験の差が、あまりに大きすぎる……もし、今すぐ彼らが伝説の勇者パーティを再結成してパンドラに来られたら、勝機はゼロだよ」

 クロノはまだ、己の力も、仲間の力も、そして何より、パンドラにある全ての力にまで手が及んでいない。

 何故、ミア・エルロードは史上初にして唯一のパンドラ統一を成し遂げることができたのか――それは、そうしなければ勝てなかったからだ。

『白き神』の名の下に、君臨する十二人の使徒と無数の十字軍。聖なる白き軍勢に勝利するには、パンドラ大陸の東西南北、端から端まで全ての者の力を結集しなければ対抗できなかった。

 そこに野心も野望もない。

 ただ、必要に迫られたという一点でのみ、ミアはエルロード帝国皇帝となり、魔王となったのだ。

「彼らが動くまで、一体、どれだけの猶予があるでしょうか」

「さぁね、そればっかりは、もう祈るしかないよ」

「誰にです?」

「『白き神』にさ」

「――全く、笑えない冗談ね。貴方はやっぱり、センスがないわ」

 その声と共に、俄かに黒き玉座の間に光が満ちる。

 宿敵たる『白き神』の輝きにも似た神々しい白光だが、そこには異質な虹色の煌めきも混じっている。その美しくも、目を焼くほどに眩しい光の持ち主など、ミアは一人しか心当たりがない。

「やぁ、久しぶりだね、イリス」

「ええ、久しぶりね、ユリウス君」

 光り輝く六対の羽を広げ、その美しい姿を飾りたてるかのように、虹色の妖精結界オラクルフィールドを纏うのは、妖精女王イリスである。

 同じ黒き神々たるミアとイリス、両者は互いに親愛なる微笑みを浮かべているものの、その間に漂う不穏な気配はとても隠し切れない。

「珍しいこともあるんだね、君が外に出てくるなんて」

「あの日から、もう二度と貴方の顔を見ることはないと思っていたけれど……うふふ、娘がお世話になったから、母親としてお礼の一つは言わなければいけないでしょう」

「最後の試練のことは、僕自身の罪だと自覚しているよ。けれど――それを最悪の形で利用した君を、僕は恨んでいる」

「あら、どうして。お蔭であんなに盛り上がったじゃない。最後の試練に相応しい、実に美しく、気高く、愛に満ちた戦いだったでしょう?」

 正直に言えば、クロノはリリィと戦う必要は全くなかった。

 ミアの課した最後の試練、その本質は、愛する人の命を捧げるという残酷な覚悟を決めるか、あるいは、最後まで諦めずに命も救う奇跡の方法を模索することである。

 だから、クロノはただリリィを前に悩めば良かった。大人しく彼女の心臓を捧げるか、それとも、心臓を捧げても蘇生させる手段を見つけるか。それだけの話である。

 だがしかし、最後の試練の開始と共に、イリスはリリィに妖精女王としての試練を課した。クロノを手に入れろ、という愛の試練を。

「人の意思を弄ぶ、その悪趣味さは何千年経っても変わらないね、イリス」

「愛があればこそよ。それに、私の試練なんかなくても、あの子はきっと同じことをした。あまり、私の娘を甘く見ないで欲しいわね」

 確かに、クロノとリリィ、二人の関係が拗れてしまったのは彼ら自身の行動の結果に他ならない。そこに神の意思はなく、ただ自らの愛に従って動いただけのこと。

 それでも、ミアは思う。

 クロノに拒絶されて、寮を飛び出したリリィ。そのタイミングで、『紅水晶球クイーンベリル』からエンヴィーレイが孵化していなければ――きっと、クロノはすぐにでもリリィを見つけて、連れ戻すことができただろう。

 そうなれば、クロノが最後の試練を課される状況も全く変わったはず。

 リリィがフィオナ達を人質にとり、本当にクロノを永遠に閉じ込められる力と場所を確保してしまったが故に、ミアは最悪のタイミングで最後の試練を始めなければいけなくなった。

 そこまで見越して、イリスはあの時、エンヴィーレイを卵から孵したのだ。

「彼らを余計に苦しめ、傷つける君の行いを、僕は認めない」

「そうしなければ、真実の愛には至れないのよ。うふふ、変わらないのは貴方も同じ。人の心が分からない、その鈍さ、神になっても変わらないなんて」

「それ以上、マスターへの侮辱は許しませんよ」

 バチリ、と紫電が弾ける槍の穂先が、イリスへと向けられる。

 戦意を隠そうともしないフリーシアに、ミアは片手を上げて制した。

「いいんだ、シア。彼女と戦う理由は、もうどこにもない」

「ええ、そうでしょう、ユリウス君、貴方との同盟は今もまだ保たれているわ」

「分かっている。だから、僕は君のやり方が気に入らなくても、止めなかっただろう」

 そして、それはイリスも同じであるから、彼女は愛の試練をリリィに課す、それ以上のことは何もしなかった。

 ミアとイリス。二人の契約に基づく同盟関係は、神となるよりもさらに前、まだ二人が世界に生きる人であった頃にまで遡る。

「……ハルト君は、元気かい?」

「ええ、彼は今日も、私のことを愛してくれているわ」

 満開に花が咲くようなイリスの笑顔が弾ける。それだけ見れば、なるほど、妖精の女王に相応しい可憐さ。

「そう、それは良かった」

 けれど、その麗しい女神の笑顔を、ミアはとても直視することはできない。

 見えるのだ。彼女の笑顔の向こう側に、ミアは見てしまう。

 ハルト。かつてそう呼ばれた、黒髪黒目の少年を。黒乃真央と同じ、この世界に呼び寄せられた、異邦人の姿を。

 ミアの目にチラリと映った彼の姿は、あの頃のまま。帝国学園の学ランに身を包んだ、細身の美少年。

 彼はイリスとの楽しいお茶会の最中だったのだろう。花畑の真ん中に備えられた白いテーブルに着き、手元には湯気のあがるティーカップと、好んでよく食べたエルロード帝国の定番のお茶菓子が広がっている。

 在りし日の再現のような光景はしかし、ミアの心に罪悪感と後悔しか抱かせてくれない。

 そこに座るハルトの顔は、誰もを魅了する爽やかな微笑みこそ浮かんでいるが……その黒い瞳には、致命的なまでに光がなかった。アンデッドのような、いや、いっそ精巧な人形であるかのように、生気が消えた虚ろな目は、彼の心がとっくの昔に死んだことを現していた。

「それじゃあ、ハルトが待っているから、私はそろそろ帰るわね。早く戻らないと、折角のお茶が冷めてしまうもの」

「うん、ハルト君のことは、任せるよ。これからも、ずっと、永遠に……」

 黒乃真央が、ああならなくて本当に良かった。

 かつてのライバルの、あまりに無残で空虚な姿を見て、ミアは心の底からそう思った。

 罪悪感も後悔もある。だが、決して謝罪はしない。

 これが、ミアがハルトに勝つ最善の方法だったから。

「ユリウス君、私は何も心配していないわ。だって、私は自分の娘を、リリィを信じているから」

「僕も、黒乃真央を信じるよ」

「ええ、どうせ、世界から隔絶された私達にできることなんて、今を生きる彼らを信じることしかできないのだから」

 狂っているくせに、たまに正論を言うから恐ろしい。

「それじゃあね、もう二度と会わないことを祈っているわ」

「うん、僕も君の顔を見ずに済むことを願っているよ」

 第31章は、これで最終回です。

 ようやく、七つもあった試練イベントを終え、さらに待望のヤンデレハーレムルート解禁ということで、ガラハド戦争に次いで、また一つ、物語の大きな山を越えた気がします。

 詳しいことは、近い内に活動報告にて書きたいと思います。

 それでは、これからも『黒の魔王』をよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] すでに黒乃真央は僕の手から離れた」  これ以上、彼に与えられるモノは何もない ⬆︎ 新しい加護って得られるってことかな? [一言] ミアちゃんが最後の加護で失ったのはアリアで蘇ってエ…
[一言] 面白かったけど、この章はかなり大変だったなぁ~... 十字軍とはまた違うストレスがヤバかったなぁ~... 次章も楽しみ
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