第617話 クロノとリリィ
ドクン、ドクン。
体の中から完全に分離されても、俺の心臓は鼓動を刻み続ける。普通は抉り出した時点でストップしそうなもんだが……今だけは、俺の体を人外レベルにまで改造してくれた奴らに感謝してやってもいい。
この体とこの力があるからこそ、俺はまだ、全てを諦めずに済む。僅かながら、けれど、確かに光り輝く希望を掴むことができるのだ。
「はぁ……はぁ……俺の心臓、お前にくれてやる……」
強靭な生命の鼓動を刻む俺の心臓を、リリィの空いた胸元へとぶち込む。
心臓を失い胸の中が空っぽになっている俺は、早くも意識が遠のきかけるが、まだだ、気合いと根性でこの世に踏みとどまる。
ただ、心臓を入れただけでは、蘇るはずがない。そんな簡単に人の臓器が交換できたら、医者も治癒術士もいらないだろう。本番はここからだ。
「……『肉体再生』」
疑似水属性を得ることで、昔から使っている唯一の治癒魔法『肉体補填』をついに強化させることができた。それがこの『肉体再生』だ。
ヒツギが勝手に力を使って少女の体を構築したことから、疑似水属性を利用することで、魔力で人の肉体に限りなく近いモノを作り出すことができるのだと俺は気付かされた。
これまでの『肉体補填』は、ただ傷口をゼリー状の黒色魔力で塞ぐだけの、治癒魔法とも呼べないような応急処置でしかなかった。一度塞げば、放っておけば自然治癒力に従って順当に傷は治っていくのだが、黒色魔力に適性のある俺自身にしか効果はない。
適性の無いものに『肉体補填』を施せば、かえって毒となる。だから、治癒魔法というよりは、自己再生専用のスキルと言った方が正しいのかもしれない。
それが『肉体再生』となったことで、より高度な再生を可能とした。要するに、ただ傷口を塞ぐだけだったのが、失った部位に応じたパーツを作って一時的な代替品とする、というものだ。
血管が切れれば、疑似水属性のスライム体で偽の血管を作り、肉と骨ごと抉られれば、その分だけ皮膚と筋繊維と骨格を再現して置き換える。ただの魔力の塊から、より人体に近いモノに置き換わっている分だけ、身体機能もある程度までは維持できるし、傷の治りも速くなる。
ただし、脳や臓器など複雑な機能を持つ器官までは、俺の知識も理解力もイメージも何もかもが足りないせいで、作ることはできない。
単純な部位だけといえども、失った部分のパーツをピンポイントで作り上げるために、魔法の術式は桁違いに複雑、高度になるから、戦闘中に即座に使用するには厳しいほどの集中力を要する。
さらに言えば、結局は黒色魔力の物質を利用しているため、ほぼ自分専用であることにも変わらない。
だがしかし、リリィだけは話は別だ。
黒色魔力の適性に関わらず、心臓移植なんて誰のモノでもいいというワケではない。拒絶反応、ってのはそりゃあ高校生の俺だって知っているし、心臓移植のドナーが見つからない、なんて話は有名だろう。
だから、どんなに上手に移植できたとしても、普通は成功しない。
それでも、リリィなら――そう、俺と一心同体となる『妖精合体』を持つリリィなら、この『肉体再生』にも俺の心臓にも、適応できるはずだ。何より、すでにリリィは左眼に俺の眼球をはめ込んで完全に適応している。心臓だって、やってやれないことはない。いや、必ずできる!
そう一心に信じて、ただリリィを蘇生させることだけに集中する。
俺は心臓を丸ごと失ったことで、刻一刻と近づいてくる死神の足音を聞きながら、リリィの胸を再生さていく。全ての血管を繋ぎ治し、傷口を塞いで……小さな体のリリィには、俺の心臓では大きすぎるのか。くそっ、『影空間』にちょっと沈めて、無理矢理にでも収める!
「はっ……はっ……」
所詮は素人の応急処置に過ぎない。ネルのように完璧に傷を癒す術も経験もない俺としては、最後にはポーションをつぎ込んで、回復を祈るより他はない。
ひとまず、リリィの胸元の傷は塞がり、心臓も繋ぎ直したが……再び鼓動を刻み始めるかどうか、もう俺には確認するだけの余裕も時間もなかった。
リリィの処置にどれだけ時間をかけたのか、自分でも分からない。それでも、心臓を失って、よく魔法を使い続けたと、自分で自分を褒めてやりたい気分だ。
だが、これで終わりではない。当然だろ、ここで俺が死んだら、何の意味もない。
「死んで、堪るか……」
こんなところで死ねるか。いいや、リリィに俺を殺させてはいけないんだ。
俺はまだ、諦めてはいない。俺もリリィも、無事に帰る。また、元の生活に、俺達の『エレメントマスター』に戻るんだ!
そう固く願って、俺は二度目の心臓移植を開始する。
リリィの心臓は、すでに魔王の手により完全消滅している。俺の心臓はリリィにくれてやったから、今この場には、決定的に心臓が一つ足りない。そこらに転がるホムンクルス兵も、すでに死んでいるから心臓も機能を停止してしまっている。俺に移植すべき、生きた人の心臓なんて、あるはずもない――だが、人ではない魔物の心臓ならば、俺は持っている。
「カオシックリム……お前の命を、貰うぞ……」
影空間の奥底から、氷漬けにした封印を解いて、取り出す。
カオシックリムの心臓。第六の試練の証として、プライドジェムの『傲慢の核』こそ消え去っているものの、今も尚、鼓動を刻み続ける恐るべきモンスターの心臓である。
そう、コイツを俺の新たな心臓として、移植するのだ。
「頼む、これでダメだったら……あの世でもう一回、ぶっ殺してやる!」
そんな恨み節を叫んでから、俺は魔獣の心臓を胸の中へとぶち込んだ。
温かい光の中で、俺は目を覚ました。
「ここは……天国か」
ぼんやりとした白い光に包まれた空間。俺の体は妙な浮遊感と共に、プカプカと宙に浮いている。まるで無重力空間を漂う宇宙飛行士のようだ。
そんな摩訶不思議な景色の中で、地に足も突かず漂っていれば、天国だと思っても仕方ないだろう。
てっきり、行く先は地獄だとばかり思っていたのだが……
「おはよう、クロノ」
甘く優しい、彼女の声が耳に届く。
リリィは、俺のすぐ上にいた。仰向けに寝そべるような体勢の俺に、正面から抱き着いている格好だ。まるで重量を感じないせいで気づかなかったが、触れる彼女の体はどこまでも柔らかく、温かい。
「ああ、良かった、リリィ。お前が一緒にいてくれないと、天国に逝っても救われない」
「うふふ、まだ生きているわよ。クロノも私も、ね」
そう言って、俺の胸元へそっと耳を当てるリリィ。
一糸まとわぬ、妖精らしい光輝く裸で、っていうか、俺も全裸なんですけど。意識すると、急に恥ずかしくなってくる。
「ほら、クロノの鼓動、ちゃんと聞こえてくるわ」
ああ、確かに、俺も手を当ててみれば、自分の心臓がドクドクいってるのが分かる。どうやら、カオシックリムの心臓移植手術は成功したようだ。
人間どころかモンスターの心臓を移植するとは、思えばかなりの無茶というか、成功する要素が一欠けらも無さそうなものだが……果たして、改造されたこの肉体が持つ可能性なのか、それとも、魔王ミアが俺をまだ死なせようとしていないのか。
なんて、真面目な思考は一瞬で吹き飛ぶ。
気が付けば、実に自然な動作で、俺はリリィの小さな胸を触っていた。
「私も、ね。クロノの心臓が私のなかでちゃんと動いているの、感じるでしょう」
「あ、ああ……」
作戦通り、リリィも無事に俺の心臓が適応した、という喜びよりも、堂々と胸に触れている方が気になってしまって仕方がない。フィオナよりはずっと小さい、幼い少女らしい未成熟のつつましい膨らみだが、この手に感じる感触は――こ、これ以上はいかん!
「とりあえず、俺もリリィも、ちゃんと生きているんだな」
「うん。ここは医療用エーテルポッド……フィオナ達が入っていた装置のことだけど、その中よ。クロノの手術は随分と荒っぽかったから、ここでちゃんと治しておかないと、傷痕は塞がり切らないわ」
「すまん、下手くそな治癒魔法で」
「うふふ、いいの――クロノの気持ちは、愛は、ちゃんと私に、伝わったから」
改めて、俺はリリィを抱きしめる。
「リリィ、愛してる。だから、もう二度と、自分から死のうとするな」
嫉妬するのはいい。また暴走して、迷惑をかけたっていい。何度でも戦って、連れ戻してやる。けれど、自分で自分の命を諦めてしまったら、次はもう、助けられるかどうか、間に合うかどうか、分からない。
「うん、大丈夫よ。だって、私の命はもう、私のモノじゃなくて、クロノのモノだから」
「そりゃあ、力づくで俺のモノにするとは言ったが」
「ふふふ、分かってる。ちゃんと分かるよ、こうしていれば、クロノの気持ちは全部」
「テレパシーってのは、本当に便利なものだな」
「それでも、言葉にしたい思いはある……ありがとう、クロノ。愛してる」
随分と回り道をした上に、険しい山のような障害も乗り越えるハメにもなったが、ようやく、ああ、本当にようやく、思いが通じあった。そんな気がした。
「リリィが助かるなら、俺の心臓なんていくらでもくれてやる」
大したことはしちゃいない。別に俺の命を犠牲にしたってワケでもないし。俺もリリィも、どっちも生き残れる可能性があるからこそ、何の迷いもなく賭けられたんだ。
そんなの、誰だってそうするだろう。
「ううん、クロノじゃなきゃできない。クロノが私を愛してくれたから、できたこと」
「それで結局、リリィに治してもらってるんだから、最後まで格好はつかなかったな」
「それはいいの、治療はついでみたいなものだから」
まるで、他に何か目的があるかのような口ぶりだ。
「ここには誰もいない、誰も見ていない。そして、愛し合う裸の男女が二人きり……後は、分かるでしょ?」
甘い声でリリィに囁かれると、途端に緊張が高まる。
オーケーハニー、この無重力空間でアクロバディックなプレイでオーバーエクスタシーだぜ、なんて冗談を飛ばす余裕などとてもない。
「ねぇ、いいでしょ、クロノ。だって私達はもう、婚約者なんだから」
ああ、そういえば、結婚の約束はしたから、今やリリィは婚約者ということになるのか。
間違ってない。この状況にその肩書き、何一つ間違っちゃいないが……
「そ、そうだ、そうだよな。でも、今はお互い、傷のこともあるし――」
「私の体も、全部クロノのモノだから、どんな無茶でも受け止めてみせるわ。でも……私、こういうのは初めてだから……その、優しくしてもらえたら……」
あんだけ甘く誘ったくせに、急に初心な乙女ぶられると、ちょっとついていけないです、リリィさん。
いかん、リリィは完全にその気だし、もうそういう雰囲気になりきっている。
勿論、俺だって嫌じゃない。嫌じゃないけれど、もっと、こう、あるだろ!?
「分かった、リリィ」
だがしかし、俺も男だ。しかも、覚悟を決めてきた男だ。女性に恥をかかせてなるものか。
俺だって、リリィで経験は三人目だ。自分がどうしようもないクズな気もしてくるが、そういう自己嫌悪は置いといて、とにかく、ここは俺がリードしてリリィには最高に素敵な初体験にしてあげたい。
どうか、白目向いて気絶したりしませんように。
「リリィ……」
「クロノ……」
意を決して、うるんだ瞳で見つめてくるリリィへ、俺は唇を重ね――ようとした、瞬間、眩い閃光が俺の視界を焼いた。
「うおおおっ!?」
何だ、罠か、ハニートラップだったのか。これもリリィの策略で、やっぱり俺はハーレムなど許されずに敗北する運命だったのかよ。
「んー、クロノー、ちゅー」
「リリィ……元に戻ったのか」
再び視界が戻ってくると、そこにいたのは唇を突き出すリリィと、変わりはない。強いて違いをあげるなら、そのリリィの姿が少女であるか、幼女であるかというだけ。
どうやら、エンヴィーレイが消滅したことで、永続的に真の姿である少女形態を維持することができなくなったのだろう。ある程度の時間が経てば、こうして幼女の姿に戻ってしまうのは当然の帰結。
どこかデジャビュを感じるタイミングに、残念な気もするが……それ以上に、俺の心は安堵感でいっぱいになった。
「ああ、やっぱりリリィは、こうでなくちゃ」
そうして、幼い彼女が望むように、その小さな唇へ心からのキスを捧げた。触れ合ったのは一瞬、けれど、伝わったはずだ。
「えへへ、クロノ、大好き!」
「俺も大好きだよ」
このあまりに小さな姿の彼女を強く抱きしめて、俺はようやく、戦いの終わりを悟った。
「おかえり、リリィ」
目の前で、太陽のように眩しい妖精幼女の笑顔が弾ける。
「うん、ただいま、クロノ!」