第606話 リリィVSブレイドマスター(2)
「……神の子、ってああいう人のことを言うんだろうね」
呆れたように言うファルキウスだが、頬に流れる冷や汗は止まらなかった。
リリィは加護による攻撃を、加護によって防いだ。つまるところ、力技である。
セリスが放つ『重力結界』を、リリィは自らの加護をさらに強める『大妖精結界』を展開させることで、軽減させたのだ。
炎や雷が降って来るなら、壁を作って防げばいい。しかし、木になる林檎が落ちるように、ただ自然のあるがまま、大地に向かって引き寄せられる、という自然法則と呼ぶべき力が重力だ。この力の前では、どれだけ強固な盾も、分厚く巨大な城壁さえも、意味を成さない。
全く防ぎようがない、空間そのものにかかる力を、リリィは『大妖精結界』という神の次元魔法によって、空間そのものを支配領域とすることで防いだのだ。
「いざ目の前にすると、凄まじいものだな」
「とんでもねー加護の力だ。ありゃあ、神様とフツーにお喋りできてるレベルだろ」
加護の授かり方は様々であるが、基本的には、人が一方的に受け取るものだ。神の声が、一言だけでも聞こえれば奇跡。夢の中で、あるいは、過酷な試練を越えた瞬間、人は神の存在を何となく感じ取り……そして、加護の能力が発現して、初めて神から力を授かったことを確信する。中には、すでに加護を授かっていても、神殿で調べて初めて気づいた、という例もよくある。
そうして最初に、小さな加護の力を得て、さらなる精進を重ねることで、より強い力を与えられる。それに比例して、神との距離も縮まってゆく。
つまり、ただその気配を感じるだけに過ぎなかったのが、神の姿を目にするようになり、その声を耳で聞くことができるようになり……最高位の加護を持つパンドラ神殿の大神官ともなれば、神との対話さえできるという。
そんな常識と、何より、同じく神より加護を授かった者だからこそ、分かる。
今、目の前に咲き誇る花畑に立つ妖精少女は、この場にいる誰よりも、最も神に近い存在であると。
「はははっ、スゲー、マジでスゲーぜアイツ! この感覚は、ガラハドでサリエルとやりあった時と同じ、いいやっ、それ以上の力だぜ!」
「なるほど、あのクロノくんが本気で恐れる『使徒』って、こういうレベルの人のことなんだね」
「うむ、一対一で戦えばまず勝機はあるまい……だが、こちらも手練れが四人。引きさがるには、まだ早い」
先ほどよりも倍する強大な魔力の波動をビリビリと肌で感じつつも、三人の剣士は揃って構えを取る。
「セリスちゃんの重力は、まだ効いてるみたいだ」
「おう、アイツも立ってるだけで、まだ飛んだり跳ねたりはできねーだろ」
「『重力結界』と『大妖精結界』が重なり、力が拮抗している。今なら、そのまま踏み込んでも、我らがセリス嬢の力に押し潰されることもあるまい」
セリスの『重力結界』はリリィを押し潰すまでには至らなかったが、自由に空を舞い踊る妖精を、大地に縛り付けるだけの力はあった。空中機動というアドバンテージを封じたのは、大きい。
いかにリリィが強大な加護を誇ろうとも、身動きがとれないのであれば、勝機は十分すぎるほどにある。
セリスの加護があとどれだけ持つか、分からない。リリィに空を飛ぶ機動力が戻れば、最早、勝ち目はない。
「っしゃあ、行くぜ!」
三人の剣士は今こそ好機と、飛べないリリィに向かって襲い掛かった。
「うーん、これは困ったことになったわね」
スヴァルディアスの加護を全開にした、青く輝くカイを見つめながら、リリィは細い眉をしかめて困り顔。
三人が思った通り、動けないリリィはピンチである。光魔法で反撃することはできるが、それだけで、この三剣士の猛攻を防ぎきれるかどうか分からない。
負けはしない、だが、自分も無傷では済まないだろう。彼らなら、最後の一人となっても喰らいつき、必ずやその刃をこの体につき立てるだけの粘りを見せるはず。
クロノを手に入れた今、もう、命がけの死闘など御免。スパーダが誇る剣士達の戦いに、馬鹿正直に付き合ってやる気など毛頭ない。
だが、彼らと真っ向勝負をしなければいけない土俵にまで引きずりおろされたのも、また事実。
光魔法だけでは、無傷で彼らを撃退するには足りない。
魔王の加護を使えば……すでに能力の手の内はバレている以上、絶対ではない。
クロノが試練の果てに獲得した加護の力は、いずれも強力だ。しかし、それぞれの加護を同時に発動させることはできない、という制約もある。
六つの加護がどんな能力で、必ずどれか一つしか使えない。それだけ分かっていれば、彼らにとっては十分だろう。
最悪、『鋼の魔王』で穴熊を決め込めば、何事もなくやり過ごせる。セリスの加護があまり長く持たないだろうことは、彼女の顔を見れば明らか。
「でも、いつもクロノに守ってもらってばかりじゃあ、よくないわよね」
いい女とは、男の手を煩わせないものだ。
「うん、決めた。それじゃあ、今回は貴女に守ってもらうことにしようかしら――」
ふふふ、と微笑みながら、小鳥がさえずるように、リリィの口から詠唱が、否、命令が下された。
「『女王鎧』・起動――ネル・ユリウス・エルロード」
唱えるリリィの目の前には、すでに、剣を振り上げたカイが迫っている。
「うぉおおおおおっ! 『大断撃破』っ!!」
振り下ろされた刃に込められた、青い衝撃が、リリィの脳天目がけて叩き込――
「――『二の型・返し』」
天地がひっくり返る。
それは、カイにとってあまりにも予想外の反撃であったがため、たとえ、見たことのある技であっても、反応できなかった。
ありえない。古流柔術の技を使いこなす者など、自分が知る限りではネロとネルの二人だけ。
ありえない。その手に輝く純白の装甲は、紛れもなく、騎士選抜の決勝戦で見た、アヴァロンの国宝『天空龍掌「蒼天」「紅夜」』。
なぜ、どうして。いや、どうやって。リリィは、『天空龍掌「蒼天」「紅夜」』を両腕に嵌め、ネルの古流柔術でもって、カイの武技を防ぎ、弾き、返したのか。
「ぐはぁっ!」
花々が咲き誇るタイルの地面へ、強烈に背中を叩きつけられ、カイの疑問は強制的に一時中断。一瞬、意識が飛ぶ。
「やっぱり、凄い技ね、これは――『一の型・流し』」
「くっ!?」
「むっ」
カイは再び戻った視界の中で、左右から斬りかかったファルキウスとルドラが、それぞれリリィの武技によって軽く弾き飛ばされているのを見た。
どちらも予想外の反撃に晒され吹き飛んだものの、『二の型・返し』ほど凶悪な威力はなかったようで、地面に叩きつけられる前に受け身をとり、そのまま勢いで体を起こして素早く体勢を立て直していた。
カイも頭を振りながら、鈍い痛みを振り払うように立ち上がる。
「う、おぉ……マジ、かよ、なんで、ネルの技を……」
「さぁ、どうしてでしょうね。彼女が私に協力してくれているからじゃあないかしら?」
ネル本人が助太刀に現れたワケじゃない。リリィだ、彼女自身が、ネルと同じ装備と力を身に着け、立っているのだ。
中断したとはいえ、カイは騎士選抜の決勝戦にてネルと本気の戦いを繰り広げた。だからこそ、一目で分かる。
国宝の白龍甲を纏い、ゆらり、と構えを古流柔術の構えをとるリリィは、ネル本人そのものの動きであると。
「これは、お姫様が憑依でもしてるってことなのかな――おっと!」
堂に入った構えのリリィへ、ファルキウスがもう一度仕掛けて見れば、やはり鋭い体捌きでもって、危うく、掴まれそうになった。すんでのところで体を引き、ファルキウスは冷や汗を流しながらも辛うじてリリィの間合いから離れた。
「あの格闘能力は、厄介だな」
「厄介なんてモンじゃねぇよ……ちっ、守りに徹すれば、古流柔術は最強かもな」
そう、リリィは古流柔術の力がどういうものであるか、ネルとの一戦で十分に理解したからこそ、この力を選んだ。
リリィが倒した、フィオナ、サリエル、ネル、の三人はただ捕まっているだけではない。クロノが見た通り、彼女達は魔法の装置に入れられ、深い眠りについている。それが分かっているから、クロノは救出を前提として戦いを挑んできた。
しかし、クロノは知らない。そもそも、三人の状態を見ただけでは、理解できるはずもない。彼女達が今、どのような状態にあるのか。リリィは何故、わざわざ魔法装置を使って眠らせているのか。
その理由は、全てこの『女王鎧』と名付けた、新たな魔法のためである。
「さぁ、かかってらっしゃい。あまり、時間がないのでしょう?」
獰猛な白龍の爪を持つ籠手で、優雅に手招きのリリィ。安い挑発に乗るワケではない、ただ、事実として今しか攻撃を仕掛けられるチャンスがないからこそ、三人の剣士達は、さらなる警戒をもって、リリィへと斬りかかるより他はなかった。
「ふふ、あははは、そう、ネル、もっと私に力を貸しなさい。ほら、クロノも応援してくれるわよ――『雷の女王』」
あらゆる攻撃を受け流す古流柔術と、時が止まったように見えるほどに思考を加速させる『雷の女王』。二つの能力の相性は、抜群なんてものではない。
カイ、ファルキウス、ルドラ、三人の仕掛ける攻撃は、どれも速く、鋭い。一瞬でも気が抜けない、いや、万全の態勢で臨んだとしても、一歩も動かず直立したままの状態で凌ぎきれる実力者など、この世界に一体どれだけいることか。
だが、必殺の刃の嵐に晒されようとも、クロノの『目』とネルの『腕』があれば、こうも容易く捌き切る。
『雷の女王』があれば、瞬間的な判断、高度なフェイント、死角をついた攻撃、それら全てを読み違えることはない。
そして、虚を突かれることさえなければ、ネルの古流柔術に防げない刃はない。
リリィはあらゆる方向から斬りかかってくる剣士に対応するため、コマのように高速で回転しながら、迫りくる刃をその両手のみをもって弾き返す。無数の火花を散らして、刹那の攻防が繰り広げられる。
「うん、やっぱり格闘に関しては、天性の才能があるようね、ネル。もう、太刀筋を覚えたみたい」
変幻自在の超高速で振るわれる三つの刃。それに対する反応速度は一秒ごとに加速してゆく。
「くそっ、コイツは、マジでネルの魂でも宿ってるってのかよ!」
「そんなに大それたモノではないわ。私はただ、彼女の力を借りているだけ」
三人の連携攻撃に慣れ始めたネルは、ついに防御一辺倒だけでなく、反撃の手さえ加えるようになる。
刹那の隙をついて繰り出された突きを、カイは咄嗟に身を捩って回避。だが、そのせいで繰りだすはずだった一撃を中断してしまった。
「うふふふ、張り切っちゃって。いい夢を見せてあげている甲斐もあるわ」
『女王鎧』のカラクリは、『妖精合体』と『愛の魔王』である。
三人が保管されているポッドは、シャングリラ内にあった、恐らくは治療用の装置だと思われる。魔力を流せば稼働し、内部を満たす液体は人体を生きたまま保存するのに適した特殊な薬液であり、ただ牢屋に放り込んでおくよりも安全確実な上に便利だから、利用しているに過ぎない。
重要なのは、保管用ポッド内部に施した魔法陣。テレパシーを増幅し、精神干渉能力を高める、催眠特化型である。
そして、リリィは『愛の女王』を通して、閉じ込めた彼女達を夢の世界へと導く。決してクロノが自分のモノにならない、もどかしい、けれど、諦めて逃げ出すこともできないほど、絶妙な内容の悪夢である。
彼女達は、それぞれの夢の中で、どうにかクロノに振り向いてもらおうと努力し続ける。幻の思い人を追いかけ続ける限り、彼女達が目覚めることはない。
そして、その夢の内容をほんの少し操作してやるだけで、リリィは彼女達の意識を戦闘に向けさせることができる。
例えばネル。彼女は今、クロノと共に、十字軍から差し向けられた凄腕の暗殺剣士三人組と戦っている、という内容の夢を見せられている。無論、その暗殺剣士三人組は、現実でリリィに襲い掛かってくる、カイ、ファルキウス、ルドラ、の三人であり、その動きは夢の中とリアルタイムでリンクしており、完全再現されている。
夢の中にありながら、ネルは現実と戦っているのだ。己が磨き上げた古流柔術でもって、三剣士が繰り出す恐るべき剣戟の嵐を防ぐ。
そして、ソレがリリィに力を与えてくれる。『妖精合体』によって、夢の中のネルの動作が、現実にいるリリィへと投影されるのだ。
二人を一つに合体させる。それが『妖精合体』の真の能力であるが……それが不完全な形でも、己の力として利用できると気が付いたのは、ガラハド戦争が終わってすぐの頃であった。
相手の全てを受け入れ、一つの肉体に二つの魂を宿す、クロノとの『妖精合体』は、使徒と真っ向勝負できるほどの強大な力をもたらす。しかし、完全な合体までいかなくとも、他人の力を自らに引き込み利用できるのではないかと、リリィはふと思いついた。
『妖精合体』の力は、究極的にはテレパシーである。相手の心を感知する、という通常のレベルを遥かに超えて、相手との一心同体を果たすのだ。
しかし、体が融合するほどの強いテレパシーの出力を落とし、自分と相手の心を強く繋げる程度にまで調整すれば、別な結果が見えてくる。
つまり、体は別々でも、相手が思った行動を、ダイレクトにリリィへと反映させる、あるいは逆のことができるのだ。
人の脳を弄ったリリィは、人体が動くメカニズムをすでに知っている。基本的に動物は、脳から発せられた電気信号が、神経を通って体の各部に伝達され、その命令が伝わって初めて動く。相手の心と繋がるということは、この肉体を動かす電気信号の行く先を、自分の体から相手の体へ進路変更ができるということでもある。
心だけを繋げた状態のリリィとネルであれば、リリィが歩こうとすれば、足を動かす電気信号はリリィの両足ではなく心を通ってネルの両足へ届く。結果、ネルだけが歩き始める。
無論、ただ心を繋げただけの状態であれば、肉体の制御は混線し、通常の運動以上の動きをもたらす魔力の流れさえも変わってしまう。思いのまま、適切に動かすには、精神と魔力の強い統制能力が必要だ。
そしてソレを持つのは、『妖精合体』の術者たるリリィに他ならない。
リリィはテレパシーの出力を落とした不完全な『妖精合体』で自分と相手の心を繋ぎ、繋がった相手から必要な分だけ行動を自分の体へと反映させている。
相手に思い通りの行動を起こさせるための仕掛けが『愛の女王』。
相手の行動を自分に反映させるための仕掛けが『妖精合体』。
両者を掛け合わせ、一つの魔法として完成させたのが、この、『女王鎧』
である。他人の能力を我が身に纏う、支配者の鎧。
フィオナ、サリエル、ネル、恋のライバルであり、いずれ劣らぬ強力な使い手の身柄を手に入れたことで、『女王鎧』は生まれたのだ。
「貴方達の攻撃は、もう見切ったわ――『一式・徹し』」
ついに、攻防が逆転。
リリィはカイの斬撃を左手の『蒼天』で受け流しながら、右手の『紅夜』で破壊の力が渦巻く掌底を放つ。
「うっ、ぐはぁ!」
完全にカウンターが決まり、カイの大柄な肉体が勢いよく吹き飛ぶ。リリィの『一式・徹し』は腹部にクリーンヒット。口から血と吐瀉物とを盛大にまき散らしながらぶっ飛んで行くカイだが、腹に大穴が空かずに済んでいるのは、スヴァルディアスに守られているからこそ。
もっとも、叩き込まれた破壊力は肉体の中で炸裂し、これまでのように、即座に起き上がって反撃してこれるだけの元気を奪うことだろう。
「疾っ!」
カイの犠牲を無駄にはしないというように、掌底を放った体勢のリリィ、その真後ろから、ルドラは刀を振り下ろす。
しかし、これも受け止められる。
気が付いた時には、交差した両手の甲で挟み込むように呪いの黒刀を受け止めていた。
「ふふ、貴方には光魔法の方が良さそうね」
刀が抜けない。手の甲で挟まれた刃は押しても引いてもビクともしない。
これはまずい。危機感のままにルドラは愛刀の柄を手離すが、遅きに失した。
「『流星剣』」
輝く光刃が、ルドラの右腕を肘から断ち切る。
「むうっ!」
クロノの力を使い、ネルの技を使い、その上さらに、自らの魔法さえ同時に使いこなす。普通なら、脳も神経も魔力回路もあまりの付加に焼き切れてショックで死んでしまう。
「なるほど、天才、か……」
「いいえ、これは、愛の力よ」
刀を握り絞めたままの右腕が、光の刃を受けて傷口から灰と化していく。その向こうに、いつの間にか、右手から白龍の籠手が消え、白銀の銃が握られていることに、ルドラはようやく気付いた。
「『メテオストライカー』――最大照射」
真っ白い光の奔流に、刀と利き腕を失ったルドラが飲み込まれる。濁流に押し流されるように吹き飛ばされたルドラは、背後に立つボロボロのお化け屋敷の洋館にまで突っ込んで行き、姿を消した。
防ぐことも避けることもできず、アンデッドに対して特攻的な威力を誇る光魔法が直撃したのだ。すでに、骨の一欠けらも残らず灰となって消え去っていてもおかしくない。
どちらにせよ、刀がなければサムライなど何もできはしない。勝負はついた。
「――まだだっ!」
鋭い、黄金の剣閃がリリィを襲う。
「あら、意外と諦めが悪いのね」
カイがダウンし、ルドラが消え、最後の一人となったファルキウス。勝ち目がないと悟って逃げてもおかしくないタイミングだったが、彼は躊躇なく突っ込んできた。
ファルキウスは、もっと現実的で、賢い男だと思っていた。しかしリリィの予想に反し、まるで友情に殉じるとでも言うかのような勢いで、猛攻を仕掛けてくる。
それなら、それで構わない。最早、ファルキウス一人では、リリィの攻撃を凌げるはずはないのだから。
「そこだ――『輝剣・ヴィクトリカ』」
振り下ろされたのは、ファルキウスが誇る必殺の武技。ガラハド戦争で、タウルスの隊長機を相手にしている時に見せた技である。
その眩いほどに輝く黄金のオーラを纏った刃は、凄まじい斬撃力をもたらす。だが、大技だけあって、発動には溜めが必要だった。そんな攻撃を、リリィが見切れないはずがない。
なのに、ソレが通った。
リリィは一瞬、自分の意識が飛んでしまったかのように感じた。気が付けば、ファルキウスの剣は激しい光を弾けさせながら、妖精結界を勢いよく切り裂き、その中にいる無防備な我が身へと切っ先を届かせ――
「『鋼の女王』っ!!」
すんでのところで、いや、ほんの僅かだが、間に合わなかった。ワンピースを着て剥き出しになっているリリィの真っ白い肩口に、薄らと、けれど確かに、赤い一筋の傷痕が引かれていた。
「――うわっ、固ったいなぁ、やっぱズルいよ、その技」
クロノが守ってくれなければ、死んでいた。
クロノがいたから、こんなかすり傷で済んだ。
『鋼の女王』が発する鈍色のオーラに弾かれて、ガギン! と重苦しい金属音が響く中で、リリィは自らの油断を悔いた。
いいや、今の一撃は、ただ油断が招いた隙をつかれただけではない。まして、単なるラッキーヒットではない。ファルキウスは間違いなく、隙を突く、以上の『何か』を見切った上で、リリィに攻撃を通したのだ。
だが、その原因を考えるよりも先に、リリィは攻撃に動いた。
「『一式・徹し』――『流星剣』」
出し惜しみはない。今、出せる全ての攻撃でもって、目の前で冷や汗を流しつつも笑みを絶やさぬ剣闘士を叩き潰す。
繰り出される、一撃必殺の掌底。翻る、長大な光刃。さらに、銃口からは何十何百と光魔法が連射。
「ふっ、くっ――」
だが、当たらない。
この至近距離、たった一人の敵を相手に、何故か、リリィの圧倒的な威力と手数を誇る多様な攻撃の数々は虚しく空を切るのみ。
何故。
どうして、この男に攻撃が当たらない。
まさか、自らの意識に干渉されている?
ありえない。今や最強のテレパシー能力を誇るリリィに、精神系の魔法を仕掛けるなど逆に自滅するようなもの。
意識は正常。ファルキウスはただ、リリィの攻撃を紙一重で回避しているに過ぎない。
ならば、『雷の女王』のような、超反応を可能にする加護でも持っているのか。
いや、恐らく、それも違う。
自分が、すでにファルキウスはいない空間に、攻撃を撃たされている。
そう、彼は避けている。攻撃が飛んでくる前、まだ、全く何の予備動作も魔力の予兆もない段階から、リリィが攻撃を放つ空間から、その身を逃しているのだ。
「ああ、そう……貴方、未来が『視える』のね」
ファルキウスの輝く青い瞳を見て、ついにリリィは超回避の秘密を突きとめた。
「大したモノじゃない、これはただの……占いさ」
「『運命転輪・フィーネ』の加護に、ここまでの力があるなんて。ふふ、貴方も十分、神に愛されているわよ」
リリィは見た、ファルキウスの瞳の中に浮かぶ、車輪のような、歯車のような、クルクルと機械的に回る、不思議な幻影を。
占いの神、とも呼ばれるフィーネのことを、リリィは知っている。恋する乙女に、占いはつきもの。リリィでなくても、妖精族なら生まれながらにその存在を知っている。妖精達は満天の夜空を見上げては、フィーネの占星術を真似して遊ぶものだ。
妖精の遊びの中にある、よく見知った、実に身近な占いの神様。
だからこそ、驚く。フィーネの加護を極めれば、ここまでになるのか。
そう、ファルキウスは何秒か先までの未来を、その眼で見ることができるのだ。
未来を知っているから、攻撃など避けられる。飛んでくる前から逃げられる。相手は、決まった未来の通りに、そこに相手がいなくても、攻撃を放たずにはいられない。
意思や努力では、覆せない。この、ほんの数秒、僅かな瞬間の運命は、覆せるほどの隙がない。
道理で、当たらないはずだ。当たるワケがない。
未来を先読みするファルキウスには、どんな攻撃も当たりはしない――
「それなら、こんなのはどうかしら」
手の内が分かれば、対処の仕様はある。
リリィは当たるはずのない猛攻を仕掛けつつ、さらには未来の隙をついて飛んでくるファルキウスの斬撃を受けつつ、それでも尚、優雅に歌った。
「يمكنني إنشاء حرق(私を燃やして創り出す)」
リリィの右手から、銃が光の粒子となって消える。
「يتصاعد من الزنجفر الشرق(東より昇る朱色)」
次の瞬間、手にしているのは、一振りの長杖。
「فوة الغربية الموت(西へ没する茜色)」
杖を掲げる。
「فوة الغربية الموت(天地を遍く照らす恵みの金色)」
その瞬間、ファルキウスは見た。
「الشعلة الخالدة إلى الأصلي(それは原初にして永遠の焔)」
輝く光。灼熱の風。
「ان ملتهب، الشعلة الزرقاء، وعلى ضوء الأبيض، مع كل حريق كبير الذهبي(その赤熱を、蒼炎を、白光を、全てを黄金の火に篭めて)」
世界の全てが、炎に沈む、破滅の光景を。
「هنا، مع خلق الشمس في اسمي(ここに、私の名を持つ太陽を創り出す)――」
「ああ、参ったな……これは避けきれない」
ファルキウスにできたことは、盾を掲げて、全力でガードするだけ。
それしかできない。
フィーネが見せてくれた破滅の未来は、もう、今この瞬間に、やってきてしまったのだから。
『黄金太陽』」