第604話 凍れる時
初火の月13日。
俺達はいよいよ地下鉄駅を出て、リリィの待ち構える遊園地へと向かう。隠れることなく、堂々と、真っ直ぐに。
「……これ、本当に大丈夫なのかな」
「例の大砲を撃ちこまれたら、全滅するだろうな」
ファルキウスもセリスも、流石に緊張の面持ち。ヴィヴィアンの情報でシャングリラの副砲がどれほどの威力があるか見ているから、こんな狙いたい放題に歩くのは気が気じゃないだろう。
リリィの元に辿り着くための、最初の難関がこの砲撃である。コイツの恐ろしいところは、その威力と攻撃範囲、そして正確無比な照準だ。
「大丈夫だ。リリィは絶対に、俺を撃たない」
で、その対策がこれだ。
俺を真ん中にして、通常の隊列よりもかなり詰めた一塊になっている。俺は自分自身を人質とすることで、リリィの砲撃を無効化しているのだ。
あの威力の大砲を撃てば、俺以外のメンバーだけを器用に撃ち殺すことはできない。正確に狙い撃つなら、通常の攻撃魔法を使うより他はないだろう。だが、普通の攻撃魔法を撃たれる程度なら、どうとでも対処ができる。
「――ほらな、大丈夫だっただろ」
不安を余所に、俺達は無事に遊園地の正門前に辿り着いた。砲撃どころか、攻撃魔法の一発も飛んでこなかった。まるで、リリィが俺達の接近に全く気付いていないような。
あるいは、すでにリリィはこの場所にいないような……そんな、不気味なほどの静けさは、次の瞬間に吹き飛んだ。
「――ようこそ! 夢と魔法の楽園、ディスティニーランドへ!!」
「うおっ、なんだっ!?」
突如として、やけに明るい大音声が轟いたかと思えば、暗い遊園地に色とりどりの照明が眩いほどに灯っていく。
この滅び去った廃墟の街に、唯一、完全な形を保っている遊園地だけが遥かな時を越えて蘇ったかのように、陽気なBGMとアナウンスを響かせた。
「本日のディスティニーランドは、クロノ様とリリィ様の結婚式で貸切となっております! 来場者の方は、案内に従って、どうぞランド正門よりご入場ください!」
ゴウンゴウンと白塗りの城門を模したような正門が重々しく開かれてゆく。
なるほど、俺達を迎え入れる準備は万端だったというワケか。
「ハッピーウェディング! ディスティニーランドへようこそーっ!」
開いた正門の向こうから、ミッキ……黒いネズミのようなキャラクターの着ぐるみを纏った何者かが現れ、妙に甲高い声で叫びながら、パタパタと駆け寄ってくる。ネズミキャラの後ろには、アヒルや犬を模したお仲間の着ぐるみの姿もあった。
「こんにちは、僕はディスティニーランドのマスコット、ミッキ――」
「魔弾榴弾砲撃」
正門が開いたなら、茶番に付き合っている暇はない。
『暴君の鎧』の右手で握った『デュアルイーグル』が、コミカルなポージングで自己紹介を叫ぶ怪しいネズミ野郎に向かって火を噴く。
爆炎に包まれてぶっ飛んで行くミッキ某に続き、さらに続けて撃ち続ける。
駆け寄ってくるマスコットキャラクター達を全てグレネードで始末してから、すかさず次の手を打つ。
「――黒煙」
正門から広い中庭にかけて、全てを覆い尽くすように、煙幕を撃ちまくる。濛々と漂う黒煙は色濃く、全く先を見通せない。それは、どこかから見ているリリィとて同じ。
「行くぞ、全員突入!」
リリィの歓迎を馬鹿正直に受けてやる道理はない。門が開かれたのだから、後は中に入り、人質を救出する。
煙幕を突っ切った後は、それぞれ別れて、人質が捉えられていると思しき魔力反応のある地点へと向かう。
そして、救出は仲間に任せて、俺はこのままリリィと対決する――
「待たせたな、リリィ」
風にさらわれて黒煙が晴れた、その先に、光を見た。
美しくも禍々しい、赤い光だ。
「ええ、待っていたわ……この時を、ずっと」
中庭の中央にある大きな噴水。その真上に、真紅の妖精結界を纏った妖精少女が浮かび上がっていた。
そよ風になびくプラチナブロンドの長髪。雪のように真っ白い肌が纏うのは、漆黒の色合いであるエンシェントビロードのワンピースだ。
それはきっと、俺がこの異世界で最も見慣れた姿であり……そして、初めて見る、変わり切った姿であった。
明滅する赤と黒の蝶の羽。円らな翡翠の瞳は右目だけで、左目は黒い。そうか、アレが俺の左目、『黒ノ眼玉』。
久しぶりに出会ったリリィは、そんな風に変わっていたとしても、それでも俺は、今すぐ抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
けれど、今はまだ、それはできない。俺も、リリィも、お互いに。
「リリィ、フィオナ達を解放しろ。今ならまだ――」
無駄だと分かっていても、そう呼びかけずにはいられない。決闘の覚悟で臨んで来たとしても、必ず断ると分かり切っていても、それでも、俺は言わなければならないだろう。
それが、俺自身に対する言い訳だから。
いいか、リリィ、俺は言ったぞ。今ならまだ、元の関係に戻れるんだ。それを断るというのなら、俺も、究極の欲望を、通させてもらうぞ。
「うふふ、クロノ、ごめんね――」
見慣れた優雅な微笑みを浮かべながら、リリィは右手に握る銃『メテオストライカー』を向けた。
その銃口に、青白い光が灯るのを見て、うわ、これはヤバいのが来るぞっ!
第六感が全力全開で危険警告を発する。背筋が凍りつき、全身総毛立つ。
だから、俺も全力回避。
「『嵐の(オーバー)――」
「次元魔法『コキュートスの狭間』」
リリィの言葉が耳に届いた刹那、俺の視界は真っ白に塗りつぶされ――
全てが、白一色に染まっていた。雪のように、灰のように、ただ、白く、真っ白に変質していた。
リリィの浮かぶディスティニーランドの正門庭園は今、フィオナとの激闘から見事に復興を果たし、色とりどりの花が狂い咲く美しい景色を取り戻していたが、その全てが一瞬の内に、色の無い白い世界へと変えられていた。
『コキュートスの狭間』と呼ばれる牢獄を、クロノも、そしてリリィも知っている。ソレはスパーダ王城の地下にある古代遺跡を利用した、一度閉じ込められれば決して出ることの叶わない、究極の牢獄。
収監者は一切の身動きどころか、モノを考えることすらできない。
曰く、その中は時が止まっている、のだという。
ただ、遺跡の力を利用して、その発動と停止のみが行える。現代の魔法では全く原理の解明が不可能な、古代の次元魔法。それが『コキュートスの狭間』である。
リリィはソレを見たことはない。
だが、自らが創り出した、この白い世界こそが時をも凍りつく氷結地獄であると確信していた。
「ふふ……」
思わず、笑みが零れる。
真っ白い庭園の真ん中には、悪魔的な造詣の鎧兜が堂々と仁王立ち。捻じれた二本角の生えた怒れる髑髏の面を持つ、呪われた漆黒の古代鎧は、周囲の景色と同じく白一色に染まり、まるで最初からそこに飾られている彫像のようであった。
一切の生気も魔力も感じない。けれどそこには、白く染まった『暴君の鎧』の内に、クロノがいるのだ。
この呪いの鎧については、知っている。手に入れた時も、リリィは直接『見て』いるのだから。そこに秘められた呪いの強大さ、そして、それに見合った性能。クロノが着るに相応しい、最高の鎧であろう。
だがしかし、その機動性も防御力も、あるいはいまだ明らかになっていない呪いの力も、時が止まれば意味を成さない。
「ようやく、捕まえた」
この『コキュートスの狭間』はクロノを捕らえるために用意した、一発限りの罠である。
元々は天空戦艦シャングリラの一室にあった魔法の設備だ。果たしてその部屋がどういう目的で使用されていたのかは、今となっては分からない。だが、効果範囲内の時を止める、という機能だけは今でも使うことができた。
ただし、発動させると現在シャングリラから供給される魔力のほぼ全てを使うことになる。
リリィはクロノ達が堂々とここへ歩いて来るのを、砲撃しなかったのではなく、できなかったのだ。正門の庭園には、この噴水の中や、周囲に配置されているオブジェなどに紛れて、シャングリラから引っぺがしてきた時間凍結の魔法装置を設置し、トリガー一つで即座に起動するよう魔力を回しておいたのだから。
リリィは俺を撃たない。クロノはそう信じたが故に、身を隠すことなく堂々と正門から乗り込み、そして、ここへ足を踏み入れた。
クロノが愚かなのではない。リリィもまた、クロノを信じたからこその結果である。
クロノは必ず、真っ直ぐ、自分に会いに来てくれる。そう、信じたのだ。
だから仕掛けた。
「ごめんね、クロノ。結婚式は、また今度……そうね、百年後くらいで、どうかしら」
今はまだ、邪魔なモノが多すぎる。
フィオナ、サリエル、ネル――恋のライバルだけでなく、クロノをとりまく全ての人間。友人、知人、だけじゃない。使徒、十字軍という敵さえも含めて。
そう、ありとあらゆるモノが、クロノを今という時代に縛り付けている。
けれど、百年、二百年……いっそ、千年の時を経た、遥かな未来に目覚めたならば、どうだろう。その世界には、その時代には、もう、クロノと繋がるモノは何もない。
そう、リリィというただ一人の例外を除いて。
「クロノのためなら、私、何年だって待ってみせる」
時間凍結、という時を超える手段を手にしたリリィにとって、最早、フィオナ達は自らの手を汚して始末する必要すらない。恋のライバルも、敵も味方も、何もかも、ただ、時代を一つ越えれば、全てを無に帰すことができる。リリィ自ら世界を滅ぼさなくても、世界の全てを変えられる。
「寂しくなんかないわ。だって、クロノが一緒だもの」
ただ、凍った時の中で眠り続けるだけで、リリィはクロノと二人きりの世界を手に入れることができるのだ。
「さぁ、一緒に行きましょう、クロノ……ここが、私達の楽園よ」
リリィの戦いは終わった。
クロノさえ時の中に閉じ込めてしまえば、後のことはどうでもいい。ただ、時の流れに任せて、この世界でクロノが築いた全ての絆が消え去るまで、待つだけのこと。
「だから、貴方達と戦うつもりはないの――『流星剣』」
赤く輝く妖精結界より、真紅の光刃がつき立つ。
前後左右、合わせて四本の赤き光剣は、閃光のように翻る四つの刃を迎え撃った。
直上から迫る、青い輝きを纏う剛剣。
右手は宝剣のように黄金に煌めく刃、左手は荒れ狂う暴風を秘めた刀身。
そして背後には音も気配もなく、影の如く忍び寄った漆黒の刀。
その全てを、リリィの『流星剣』は払いのけ、弾き飛ばす。
「――っとぉ! 小っこいくせに、なんつーパワーだよ」
「その上、速いくせに正確」
「生半な魔法も通じない」
「死角もない、か」
リリィの前に、四人の剣士が降り立った。
「へへっ、アヴァロンまで来た甲斐があったな。コイツぁ、期待以上だぜっ!」
戦意と共に青いオーラをたぎらせて、カイが吠える。
「やれやれ、本当にプランBで行くことになるなんて……嫌な予感ほど、良く当たるってね」
物憂げな溜息を一つだけついてから、ファルキウスは『大闘技場』のアリーナと同じように、剣と盾を持ち堂々と立つ。
「クロノが止められてしまった以上、致し方ない」
手にしたサーベルには風を纏わせ、全身には不気味な黒と紫のオーラを漂わせるセリスは、静かに構える。
「うむ、覚悟を決めて、妖精リリィを我らが斬る」
呪われた黒き刃を鞘に収めたルドラが、再びその柄を握る。
いずれも、その名を世に知らしめる剣士達。それぞれの愛剣を手に、油断なく、隙なく、正々堂々にして全身全霊で、ただ一人の少女に挑む。
「見逃してあげる、と言っているのだけれど」
宙に浮かぶリリィは、四人の剣士を傲然と見下ろしながら言い放つ。
「俺はなぁ、お前がスゲー強ぇーから、戦いに来たんだぜ! 帰るわけねーだろ!」
「大切な親友を見捨てて逃げ出すほど、薄情ではないよ。ほら、僕ってスターだし、綺麗なイメージは壊せないから」
「クロノもネル姫様も、返してもらうぞ!」
「安い命だ。義の為に賭けると言うなら、上等であろう」
それぞれが、それぞれの理由で、剣をとっている。剣士がソレを手にしたなら、最早、口先のみで退くことはない。
あとはもう、勝つか負けるか。生きるか、死ぬか。
すでにここは、死地である。
「うふふ、いいわ。それじゃあ、相手になってあげる」
リリィは笑う。上機嫌に。
クロノを手に入れた今、彼女の気分は最高潮。幸せの絶頂。
笑う嫉妬の女王は、愚者の戯れに付き合うほどに、上機嫌なのだ。
「安心して、かかってきなさい。私が優しく、倒してあげるから――」
2017年4月13日
諸事情により、同時連載中の『呪術師は勇者になれない』の更新は来週月曜、4月17日となります。突然の変更、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。