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黒の魔王  作者: 菱影代理
第31章:嫉妬の女王
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第593話 答えはどこに

 近くで人が動く気配を察して、俺は目を覚ました。

「おはよう、お兄さん」

 天使かと思った。

 いや、違う。天使みたいに可愛らしいけど、羽も生えてなければ、頭に光るわっかも浮いてない。細長い特徴的な耳は、エルフのものに他ならない。

「……シモン、か。なんで」

「なんで、ってその大怪我じゃあ、お世話する人は必要でしょ?」

 反射的に起き上がろうとしては、鈍い痛みだけを発する右腕と右足の感覚に、自分の体の状態を思い出すのだった。

 そうだ、いまだに俺は、誰かの介護が必要となる身だ。

 今日は新陽の月も最後となる30日。

 昨日の夕方、俺はとうとうスパーダへの帰還を果たした。救急馬車はスパーダの大神殿に向かう予定だったが、後はほとんど自然回復を待つだけの俺に、入院は必要ない。そういうワケで、俺は真っ直ぐ自宅である呪われた屋敷へと帰ったのだ。

 そこで出迎えてくれたのが、シモンである。

 ただ笑顔で「おかえり」とだけ言って、俺には何も聞かなかった。

 カオシックリムとの戦いと、それによる大怪我のことは、入院生活の間に、シモンとウィルにそれぞれ手紙を出して報告している。怪我が治るまで帰るのは遅れるけど、心配するなと。

 俺が手紙を出したのはそれきりだが……リリィの使いであるアインが来た翌日、フィオナはある程度の事情を書いた手紙を密かにシモンへ出していたようだ。

 俺に事情を聞かないのは、すでにフィオナの手紙でおおよそのことは把握済みだからというのもあるだろう。

「でも、わざわざシモンがやらなくても」

 今の俺は、自室のベッドで朝になって目覚めたといった状況。それで、シモンは俺の着替えやら洗面用具やらを準備している最中だったようだ。

 昨日は当たり障りのない話を少しだけして、俺はすぐに寝てしまったから、シモンはそのまま帰ったかと思っていたのだが……最初から俺の世話をする前提で泊まり込んでいたってことか。

「フィオナさんの手紙に、お兄さんをよろしくって書いてあったし。ヒツギさんだけじゃ心配だからってさ」

 そんなことまで書いてあったのか。

 しかし、別にパンドラ神殿の神官でもなければ治癒術士プリーストでもないシモンに、怪我人の世話をさせるというのはどうなのだろう。信頼という点では最高だが、シモンだって忙しいだろうし、このテの仕事ならもっと他に適任な人が……いない。そういうのが得意な知り合いとか、俺、誰も知らない。

 もしかして俺、交友関係狭すぎ? スパーダの英雄だよね、俺。やっぱ英雄とか、自意識過剰だったか。そんな気はしてたけど。

「そうか……それじゃあ、お願いしようかな」

「うん、こういうのあんまり得意じゃないけど、頑張るよ」

 そう笑ってみせてくれるシモンを見て、俺の胸は締め付けられる。

 本当は、もう介護など必要ない。この怪我も、今すぐにだって治せる。

 すでに俺は、第六の加護を授かってしまったのだから。

 これを使えば、俺の手足は元通りになる。即座に全力での戦闘に耐えうるほどではない、ということらしいが、それでも自由に走り回るくらいのことはできるだろう。

 自分の足で動けるようになる。それはつまり、俺がリリィの下へ向かうことができるようになるということ。

 けれど、ついさきほどの夢の中で授かった新たな加護を、俺はまだ使ってない。使う気になれない。まだ、怪我人のままでいようとしている。

 何故、どうして、そんな情けない状態に甘んじていることをよしとしているのか……そんなの、決められないからに、決まっている。

 俺は一体、どうすればいい。

 リリィは、フィオナとサリエルとネルの三人を人質にとった。

 だから、彼女を殺して三人を救い出せと、ミアは言った。一人を殺して、三人助かる。オマケに最後の試練もクリアできる。

 けれど、人の命を、まして、自分の大切な人となれば、単純な数の大小だけで判断できるはずもない。

 リリィを殺す? 冗談じゃない。それが最後の試練だというのなら、俺は永遠にそんな試練を越える気はしない。魔王の加護など知ったことか。それで六つの加護を失うとなっても、構わない。何の未練もない。強くなりたいなら、別な方法で鍛え直せばいいだけだ。

 ならば、リリィを助けるのか?

 助ける、とは、どうなれば彼女を助けられたというのだろう。

 すでにして、リリィは彼女自身の意思で、三人を人質にした。

 フィオナ達は殺す気でリリィに挑んだはず。その上で、彼女は三人を返り討ちにし、生け捕りにしてみせた。恐るべきは、その戦闘能力か。いいや、あの三人を同時に相手にしても、尚、生け捕りを選択する判断力。

 恐らく、リリィは人質の価値を知っている。そう、知っているんだ。フィオナがサリエルを人質にして、俺への告白を成功させたことを。

 きっと、狙いはこれと同じ。三人の命は保証する代わりに、自分を、自分だけを愛せと迫るのだろう。

 そして、それを受け入れたが最後、リリィと結婚し、俺は永遠に『楽園』で彼女と二人で幸せに――いいのか、それで。

 いいかもしれない。

 リリィのことは好きだ。大好きだ。命を賭けてでも、守りたいと思える大切な存在。見知らぬ百人の命とリリィ一人の命、どちらをとるかと迫られれば、俺は苦しみながらも、迷いなくリリィを選ぶだろう。

 そんな彼女が相手なら、俺に多少の不自由をかけようと、許してやれるし、受け入れられる。

「フィオナと別れて、リリィと結ばれる、か……最低だな、俺は」

 だが、俺が最低の男になるだけで、全員の命が助かるならば、安いものだろう。俺の心一つで、リリィもフィオナもサリエルもネルも、救われるなら、どんな屈辱だって甘んじて受け入れられる。クソのついた靴の裏を舐めたっていい。

 リリィの婚約を受け入れるから、三人の人質だけは解放してくれ、と泣きつくのが最善か。彼女達とはもう二度と会わない。リリィの言うことは何でも聞くし、リリィだけを一生愛すると誓う。

 そうすれば、無事にフィオナ達は助かるだろうか……頭の良いリリィのことだ、ここまで頼めば、三人の人質はすでに無価値と判断して解放するだろう。リリィは俺が欲しい。あの三人を殺したいワケではない。三人の命は、あくまで俺という男を手に入れるための手段にすぎないから、人質にとっただけ。もし、ただの腹いせに三人を殺したとすれば、俺はリリィと刺し違えて死ぬか、リリィに殺されるまで戦い続けるか、いずれにせよ、彼女が俺を手に入れることはなくなってしまう。

 だから、俺に愛を誓わせれば、リリィの勝ちなのだ。

「……俺は、フィオナを選んだはずだったのに」

 経緯はどうあれ、俺はフィオナの告白を受け入れた。

 俺を愛しているというリリィ、俺を愛していると言ったフィオナ。二人が乗った天秤は、愛しているから『許す』と言ってくれたフィオナへと傾いた。だから、俺はフィオナを選んだ。彼女と結婚して、一生添い遂げるつもりで。

 それはつまり、リリィの愛を受け入れない決断でもあった。

 リリィと再会したら、何て言うか。ずっと考えていた。結局、上手い言葉は何も思いつかなかったけれど、俺は彼女に「フィオナを愛している。結婚を前提に付き合っている」ということだけは、嘘もごまかしもなく、伝えると決めていた。

 それを聞いてリリィがどういう判断を下すのか、俺には分からない。そこから先は、彼女自身が決めることだから。

 それでも『エレメントマスター』のメンバーとして一緒にいてくれるのか、それとも、袂を分かつのか。あるいは、何も答えられないかもしれないし、いつまでも決められないかもしれない。それで、逆上して俺にあたってくれたって、それでもいい。死にさえしなければ、手足の一本くらい失ってもいい覚悟はできていた。

「結局、俺の決断なんて、そんな程度のものか……」

 俺が真の意味でフィオナを愛しているというなら、迷わずリリィを殺して、救い出すべきだ。

 だが、俺は現実に、ソレをしようとは露とも思わず、挙句の果てにフィオナを裏切り、リリィに従うのが一番だと、考えてしまっている。

「くそっ、でも……命がかかっているんだぞ……そこまでして、愛ってのは貫くべきものなのかよ」

 最愛の人のために、他の大切な人を殺す。一切の躊躇なく、殺す。

 そんなことが、本当に愛だというのか。少なくとも、俺の常識にはそんな論理はない。

 けれど、リリィもフィオナも、ソレをやった。

 フィオナは俺を守るために、リリィを殺しに行った。

 サリエルもそれに賛同した。そしてネルまでも、それをよしとした。

 きっと、サリエルは単純にリリィが俺を害する敵であると判断したのだろう。ネルも、きっと似たような理由であろう。傍から見れば、確かにリリィは俺の自由意思を無視した上に、他の犠牲や被害さえ省みず、好きな男を手に入れようと襲い掛かってくる狂人である。

 真っ当にスパーダの法律に照らし合わせてみても、それが許される道理はない。誰かに被害が及んだ時点で、それは罪となり、罰せられる。逆らえば、その場で騎士に斬り殺されたって文句は言えない、単なる犯罪者。

 言うなれば、大罪人となるかもしれない人物を、身内だけで始末をつけよう、という状況でもある。実際、フィオナ達がリリィを殺していれば、それで全てのケリがついていた。どちらが勝つのか、そこまではミアの思惑には含まれていないから。

 もし、フィオナが本当にリリィを殺してしまったら、俺は彼女を許せるだろうか。あの日の晩、彼女が望んだ通り、リリィを殺したフィオナを許して、受け入れて、結婚することが、俺にできるのか。

 今となってはただの仮定にすぎないが、それでも俺は、きっとフィオナを許す。許せないけど、許そうと努力したはずだ。

 フィオナにはリリィを殺すに足る理由がある。そこは理解している。理屈だけでは割り切れない感情もある。普通は割り切れない。リリィが死ぬなど、許容できるはずがないし、彼女を殺す人物を許せる道理もない。

 でも、フィオナだから……彼女だからこそ、俺は許したい、許さなければいけないと、そう思うだろう。

 それが、果たして愛なのか、単なる逃避なのかは分からない。それでも、俺はフィオナなら許した。恐らく、サリエルだったら許せない。ネルでも許せない。復讐こそしないものの、もう二度と会わないと、彼女達を永遠に避けるより他はない。

 しかし、フィオナなら許す。

 これがきっと、俺なりに彼女を愛しているということなんだと思う。

「愛しているなら、リリィを殺すべきなのか。愛しているから、フィオナを助けるために屈するのか」

 どちらが正しいのか、俺には分からない。

 フィオナはきっと、俺がリリィを殺してでも救い出してくれれば、一番嬉しいだろう。リリィよりも自分を選んでくれた、自分の方が大切、自分こそが一番なんだと、どんな愛の言葉よりも、伝わるだろう。

 逆に、俺がリリィに従ってフィオナと別れると言えば、彼女は悲しむ。悲しむ、なんていう言葉では計り知れない絶望かもしれない。フィオナがどれほど俺のことを思ってくれているのか……きっと、その全ては理解しきれないだろうけど、それでも、恋人として過ごした中で、俺は彼女の愛の大きさの一端に触れてきた。俺は、俺が思っている以上に愛されているんだと、自然と悟った。

 愛されること、愛し合えること、それがどれほど心地よく、素晴らしく、満たされるものか、俺はもう知ってしまった。

 フィオナと別れるなどとんでもない。もし、俺達の仲を引き裂こうとする者がいるならば、俺は鉈を片手に殺害も辞さない覚悟で止めてみせるだろう。

 しかし、現実には単なる悪意だけで、俺とフィオナの邪魔をしようなどという悪い敵など存在しない。俺達の前に立ちふさがったのは、リリィだった。

 だが、俺には自らの手でリリィを殺すなんて、できるはずがない。

 けれど、リリィは殺しでもしない限り、止まらないというのも分かっている。

 もし、上手く俺がリリィを殺さずに無力化して、三人を救出できたとするだろう。そうなったら、後はどうなる?

 フィオナが言ったように、リリィは何度でも狙ってくるだろう。より強く、より過激に。俺を手に入れるために、どんな犠牲さえも厭わず、襲い掛かってくる。

 あるいは、俺がリリィに屈して、フィオナが無事に解放されたなら、恐らく彼女はどれだけ時間がかかろうとも、奪い返しに来るだろう。

 サリエルとネルは、生きてさえいればどうとでもなる。最近は冒険者活動も板についてきたサリエルだ。そのまま冒険者としてやっていってもいいし、コーヒーを出すカフェを開いてもいいし、どこかのお屋敷でメイドをやってもいい。俺がいなくなっても、サリエルは一人で新しい人生を歩むことができるだろう。

 ネルはもっと心配する必要はない。元通りにお姫様としてやっていけばいいだけの話。彼女はこんなところで、こんな事情なんかで、死んでいい人物ではない。

 でも、フィオナは……俺がリリィを選んで彼女を捨てれば、フィオナは本当に俺のことを忘れて新しい人生を歩んでくれるだろうか。

 いや、無理だ。フィオナは必ず、リリィへの復讐を選ぶ。一生かかっても、一生かけても無理でも、俺を取り戻すという無為な復讐の道を走り続けるに違いない。

 だとすれば、俺がフィオナの命だけを助ける意味はあるのか。万に一つの希望にかけて、フィオナは俺のことを忘れて幸せに生きてくれ、なんて安易に言えるのか。

 ダメだ、俺はフィオナに幸せになって欲しい。怒りと悲しみと絶望に満ちた復讐の人生など歩ませてはいけない。ただ、生きているだけじゃ意味なんかないだろう。

 けれど、フィオナの幸せを実現するには……リリィを殺すしかない。

 堂々巡り。

 リリィは殺せない。フィオナを死なせたくない。それでいて、リリィもフィオナも、幸せになって欲しい。

 答えは見つからない。そもそも、答えなんてないのかもしれない。

「考えろ……まだ、誰も死んでないんだ」

 今ならまだ、取り返しがつく。

「みんなを救う手段が、きっと、あるはずだ……」

 諦めるな。

 リリィもフィオナも、愛に狂っていようとも。魔王が俺に残酷な試練を押し付けようとも。

 俺はみんなを助けたい。誰にも死んでほしくはない。

 もう、一人だって失いたくはない。

「……俺は、怖いだけなのか。愛を貫くよりも、ただ、失うのが怖いだけなのかよ」

 そうかもしれない。

 そうだとしたら、それは悪いことなのか。大切な人を失いたくないというのは、誰でも当たり前に願うことじゃないのか。

 ならば、どうしてその当たり前の願いを果たすのが、こんなに難しいのだ。

 どうして、愛の名の下に、平気で殺し合える。

「愛って、何なんだ……」

 俺はもう、自分で何を考えているのかさえ、分からなくなってきた。

 けれど、今日はすでに新陽の月30日。

 リリィが俺を迎えにくると予告した初火の月6日まで、一週間しかない。

 俺には最早、考える時間さえ、あまり残されていなかった。




 初火の月2日。クロノの屋敷は、静かで穏やかな時間が流れていた。

「どう、美味しい?」

「ああ、美味しいよ」

 昼過ぎ、クロノとシモンは二人だけで、広い食堂に座って昼食をとっている。クロノは利き腕が使えなくとも、器用に左腕だけでスムーズに食事を進めていく。食事の介助は必要ないから、シモンも一緒に席に座って食べていた。

 今のクロノに必要なのは、身体的な介護というよりも、むしろ精神的な安らぎであろう。

 おおよその事情を知るシモンは、表向きは介護という名目で、クロノの傍にいることが自分の役目だと思っている。

「あ、ごめん、この辺ちょっと焦げちゃってるよ」

「いや、これくらいの方が美味いから」

「慣れないことは、するものじゃないね」

「これだけできれば上出来だろう。俺よりは料理できると思うぞ」

「一人暮らしは長いから。でも、必要最低限だよ」

 錬金術士として、研究中心の生活だった。腹が膨れれば何でもいい。料理の腕を磨こうという向上心が芽生えないのは当然……と、自分のことなどどうでもいい、とシモンは思い直す。

(うーん、ヤバい。マトモに受け答えしてくれてるのが、かえってヤバい感じがするよ)

 クロノの精神が限界ギリギリであることは、推して知るべし。シモンは決して他人の心の機微に聡い方ではないが、それでも、クロノの性格と、今のどうしようもないほどドロドロとした恋愛事情を知っていれば、その心の闇を察するにはあまりある。むしろ、詳しく知りたくなかった。聞いてるだけで胃に穴が空くような状況だ。

 こういう苦しみこそ、魂の盟友と分かち合うべきだと思うだが、ウィルは何やら事情があってスパーダ王城へと呼び戻されている。さしてスパーダの政治や裏事情に明るくはないシモンにとっては、ウィルハルト第二王子が神学校を休学してまで呼び戻す理由というのは思いつかない。

 王城にいる間は、王子様に直接連絡をとることは難しい。いつ帰って来るかも、知らされていない。しばらく留守にする、とわざわざ挨拶に来てくれただけで、上等な扱いである。

 ともかく。頼れる友人であるウィルはいない。となれば、もうシモンが一人で、クロノを支えるより他はない。

「ごちそうさま」

 礼儀正しく、静かにそう言ったクロノの顔は、落ち着いているように見える。顔つきも、特にやつれているなどといったこともない。とても深く思い悩んでいるようには見えない、いつも通りの表情。

 強いて違いをあげるなら、その左目には厚手の黒い生地でこしらえた、眼帯をつけているというくらい。ただのファッションではないということは、すでに知っている。

 クロノと二人で和やかに食事している風景をリリィに見られたなら、自分も嫉妬の対象となったのだろうか。恐怖を覚えなくもない。そもそも、シモンは今の一件がなくたって、リリィのことは怖かったし、苦手であった。仕事のパートナーとしては、あまりに優秀すぎて尊敬の念すら抱いているが、それでも怖いものは怖い。

「少し、外にでようか? 今日はよく晴れてるから、気持ちいいよ」

「ああ、頼む」

 すると、音もなくクロノの背後に、死神が完全武装したような姿の不気味な鎧兜が立つ。とりたてて精神耐性のないシモンは、見るだけで身の毛がよだつ恐怖を感じるが、この呪われた古代鎧『暴君の鎧マクシミリアン』と、ソレを動かすヒツギと名乗るメイドの意思は、今だけはクロノの世話をする仕事仲間ということになる。

 クロノの巨躯を運ぶには、シモンではあまりに非力。移動の際は、見た目通り、いや、それ以上のパワーを宿す彼女に任せている。

 本来なら、ご主人様クロノの一番のメイドでありメイド長である自分が、全てのお世話をするのだと言い張るところだが、何でも彼女は、クロノの意思に反してスパーダに強制送還したことを気に病んでいるらしい。

「うぅ、ヒツギは……ヒツギはもう、ご主人様に顔向けできませぇーん!」

 というワケで、渋々ながらもクロノの世話はシモンに任せて、自分は力仕事と裏方に徹するのだと、涙ながらに固い決意を表明したのだった。

 禍々しい髑髏の目を模ったパーツから、本当に涙のような液体が零れていたのに、シモンは驚いたものだ。

 この古代鎧、一体どんな構造になっているのか。バラして調べたくて仕方がなかったが、やったら殺されそうなので、ひとまず知的好奇心は置いておいた。

「コーヒー煎れてくるから、先に行ってて」

「悪いな」

「いいって、これが今の仕事だし」

 日当たりのよい二階バルコニーへの移動はヒツギに任せ、シモンはキッチンへ。コーヒーの淹れ方は一度サリエルに教えてもらって以来、自分でも豆をもらっては飲んでいる。自分が殺すつもりで狙撃した相手と、そんな交流ができるとは夢にも思わなかったが……シモンとしては、感情がなく理詰めで話すサリエルは、かえってとっつきやすかった。

 つまるところ、シモンにとって最大の鬼門はリリィであることに変わりはない。

「……どうしよう」

 キッチンで一人になると、途端に頭を抱えてしまう。

 シモンだって、こんな呑気に過ごしている場合じゃない、ということは分かっている。クロノは今、生きるか死ぬかの窮地に立たされているのだ。それも、初火の6日まで、という時間制限付きで。

「聞くのも、話すのも、早くしないと」

 シモンはまだ、クロノの答えを聞いていない。どうするのか。どうしたいのか。

 自分から聞くのは避けていた。問い詰めるような真似はするまいと、フィオナからの便りを読んだ時から思った。

 リリィを殺すにしろ、フィオナを見捨てるにせよ、クロノなら自分で答えを見つけてくれるはずだから。

 だが、現実はそんな簡単なモノではなかった。

 帰ったクロノを間近で見ると、気遣いという以上に、何も言えなかった。かける言葉が見つからないとは、正にこのことか。

「でも、流石にこっちの方は、早く伝えた方がいいよね……」

 フィオナから届いた手紙は、二通ある。

 一通目は、彼女がアヴァロンを出発する直前に出したモノだ。飛竜便の速達で、すぐにシモンの下へと届いた。

 書かれていた内容は、リリィが結婚と称してクロノを監禁しようとしていること。それを阻止するために、フィオナとサリエルとネルの三人で戦いを挑むこと。リリィの潜伏先が神滅領域アヴァロンの未踏領域であること。そして、この行動にクロノは絶対に反対するから、スパーダに送り返したので、戻るまで世話を任せるということ。

 読んでて目の前が真っ暗になるほど絶望的な内容の手紙であったが、フィオナが課したシモンへの試練は、それでは終わらなかった。

 クロノがスパーダに到着する前日のことだ。二通目の手紙がシモンに届いた。

「シモン・フリードリヒ・バルディエル様で間違いありませんね。私の名はヴィヴィアン。フィオナ様の使い魔サーヴァントでございます」

 二通目の手紙は、妖精の形をしていた。

 というか、本物の妖精だった。

 妖精には首輪型の魔法具マジックアイテムと、額と手足と背中に何種類かの刻印を組み合わせた術式が刻み込まれていた。リリィの『思考支配装置フェアリーリング』とは違った系統の隷属術式であると、魔法の術式には明るいシモンは一目で察した。半分くらいは解読できない、未知の術式だったが……人を生きたまま使い魔サーヴァント化させる魔法は、総じて外法、禁術の類である。

 しかし、『思考支配装置フェアリーリング』製作に協力したシモンは、今更、人を支配する禁術を行使した罪を、騎士団に告発しようなどとは思わない。リリィに続いて、フィオナまでも、この人として許されざる悪魔の魔法を習得していたことについても「ああやっぱり」くらいの感想しか湧かない。

 違法サーヴァントのヴィヴィアンの処遇については置いておくとして、重要なのは、彼女が持ち帰った情報である。

 彼女のテレパシー能力によって、フィオナがリリィと戦った記録を、視覚情報として受け取ることができるのだ。

 シモンはクロノに先んじて、フィオナの壮絶な戦いの結末を見る権利はないと判断し、まだ全てを閲覧してはいない。けれど、彼女がこのヴィヴィアンを送った意味は、理解している。

「フィオナさんは、助けを求めている」

 クロノの反対を無視して、リリィを殺しに向かったフィオナ。しかし、力及ばず倒れた時に備えて、彼女はヴィヴィアンを残した。

 きっと、クロノが助けに来てくれると信じて。リリィを倒すための手がかりを、少しでも残すべく。

「やっぱり、ヴィヴィアンのことだけでも、教えておかないと」

 これをクロノが知ったところで、今更、どうなるものでもないというのは分かっている。フィオナ達が囚われていることをクロノはすでに知っているのだから、その敗北の過程を見たところで、答えを見出すヒントにはならない。フィオナが残したのは、クロノが望むような全てを解決するための情報ではなく、リリィを殺すのに役に立つ戦闘記録ドキュメンタリーでしかない。

 クロノが見れば、今より更に悩み苦しませるだけになることは、火を見るよりも明らかだ。

 だが、受け取った以上は、これをクロノに見せるのはシモンの義務であり、また、クロノとしても見る義務があるだろう。

「よし、言うぞ!」

 そう意気込んで、コーヒーを持ってバルコニーへ向かったシモンであったが、

「――風も冷たくなってきたし、戻ろうか」

「えっ、う、うん……」

 結局、切り出すことはできなかった。

 コーヒーを飲んで黄昏るクロノを見ていると、もしヴィヴィアンの記録を打ち明ければ、目の前で鋭く尖った柵に向かって飛び降り自殺でも決めるのではないかと、急に不安になってしまった。

 いや、クロノの体で、刃物に向かって落下するくらいでは致命傷にならないだろうというのは分かっているが、問題なのは肉体的なことではなく、精神的なことだ。

「だ、ダメだ! これだけは言わないと、早く、できれば今日中に!」

 しかしながら、これ以上ヴィヴィアンの情報公開を先延ばしにするのは、迫る期限もあって、よろしくない。

 シモンは悩んだ。夕食の準備をしてくる、と言ってキッチンに戻ってまた悩んでいた。

 うんうんと唸りながら頭を悩ましながら、天才錬金術師の頭脳がついに閃く。

「よし、こういう時は、お酒の力を借りよう!」

 どこまでも安直な手段に縋って、シモンはクロノとの夕食に挑むのだった。

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[一言] もうシモンルートに進んでもいいのよ?
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