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黒の魔王  作者: 菱影代理
第30章:妖精殺し
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第583話 リリィVSサリエル

 断続的に鳴り響く砲声。古の戦艦シャングリラは副砲一門だけとはいえ、それだけで地上を制圧しきるかのような苛烈な砲撃を続ける。古代都市の遺構など遮蔽物としてさしたる意味はなく、分厚い石の壁を何枚も貫いては地面にクレーターを穿つ。

 直撃すれば肉片一つ残らず消し飛ぶ威力の魔力砲弾が雨あられと降り注ぐ中、サリエルはリリィを冷静に観察し続ける。

(右の銃は、副砲の照準装置として機能している)

 リリィが右手にする銃は白をベースに金の装飾がついた、武器というより美術品のようなデザインをしている。

 その黄金に輝く銃口からは、一見すると何も発射はされていない。しかし、リリィは常にサリエルの方向に弾丸もビームも放ちはしない銃口を向け続けているのだ。

 最初に背後から副砲を撃たれた時から推測していたが、やはりリリィは遠隔操作で副砲を操作、発射できる能力を持つ。

 白崎百合子の記憶と照らし合わせれば、リリィの銃は、ミサイルをターゲットに誘導するレーザー目標指示装置のようなもの、ということになる。

 照射しているのは不可視のレーザーなのか、暗号化された魔力信号か、それともテレパシーの波長か。原理は不明だが、それでも右手に握る白い銃が、シャングリラの副砲を操っているとみて、間違いない。

「――ふふ、近寄らせないわよ」

 一方、左手に握る黒一色の無骨な銃には、禍々しい赤い閃光が迸る。

 撃ち出されるのは、真紅に輝く光属性の上級攻撃魔法『閃光大砲ルクス・フォースブラスト』だ。光の照射範囲を絞ることで威力を集中、極太の赤いビームとなってサリエルの進路を薙ぎ払う。

「んっ」

 踏み込みかけた一歩を、強引に方向転換。破滅の赤光が通り過ぎる前に、辛くも飛び退く。リリィとの間合いが、再び開く――と同時に、背後から叩きこまれる砲撃。

 戦い始めて、まだ五分と経ってないが、すでに幾度も体験させられた攻撃パターンである。回避は可能。しかし、凌ぐだけで精一杯でもあった。

「はぁ……ふぅ」

 サリエルをして、息をつかせるリリィの猛攻。いや、これでいてリリィは守備側というべきだろう。

 使徒の力を失った今、サリエル最大の強みは槍術である。リリィを倒すためには、間合いを詰めて直接刺すしかない。接近戦となれば、生粋の魔術士スタイルのリリィよりも自分に分がある。

 しかし、少しでも距離が開けば、そこはリリィの独壇場と化す。サリエルとて、『サギタ』をベースに、基礎的な遠距離攻撃魔法を使うことはできる。しかし、リリィが誇る天才的な光魔法を前にすれば、機関銃の十字砲火を前にピストルで撃ち返すに等しい差があった。

 シャングリラの副砲は言わずもがな。左手の黒い銃から放たれる一撃も、当たれば無事では済まないほどには威力がある。それに加えて、リリィが纏う妖精結界オラクルフィールドからは、誘導、爆発、貫通、などそれぞれ特化した能力を宿す『光矢ルクス・サギタ』が無数に放たれてくるのだ。

 それらの美しい光は流星群のように、今もサリエル目がけて殺到し続け、彼女に休む暇を与えてくれない。

(リリィに消耗した様子も見られない)

 副砲の爆発範囲を脱し、さらに倒壊してきた建物から逃れつつ、サリエルは次の手を考え始める。

 リリィにはこれほどの攻撃を続けても、汗一つかかないほどの魔力量を宿している。消耗戦となれば、魔力供給を『暗黒騎士・フリーシア』から授かるささやかな黒色魔力だけに頼るサリエルに勝ち目はない。

(激しい攻撃魔法の嵐……けれど、突破できないほどではない)

 覚悟というより、当然の結論であった。

 長期戦になれば確実に負ける。フィオナとネルがこの場に駆けつければ形勢逆転だが、連絡がとれない現状、戦いを引き伸ばしすぎるのも、自身の魔力限界というリミットがある以上は絶対の戦術ではない。

 ならば、短期決戦。最悪、これで仕留められずとも、手傷を負わせられれば十分。ダメージ次第では、そのまま畳み掛けてもいいし、一度退却して二人と合流を図ってもいい。何にせよ、リリィが無傷のままならば、逃走という選択肢も生まれない。

 サリエルが一人でリリィに一撃を与える。それは、この戦況を切り抜けるに必要な条件であると理解した。

「ふっ」

 鋭い呼気と共に、もう何度目かとなるアタックをリリィへ仕掛ける。これまでは半ば様子見のようなもの。けれど、今回は本命。多少のリスクを被ってでも、間合いを詰める覚悟を決めていた。

「ふぅん、ようやく本気になったようね」

 光を潜り抜ける、回避のキレが増す。

 ギリギリの隙間を通り抜け、命中弾は的確に槍で弾く。そのまま三歩も進めば、背後を気にする必要もなくなる。

 副砲の威力は絶大。故に、リリィも自分のすぐ傍で着弾させるわけにはいかない。ある程度の距離にまで入れば、背後から砲撃したくてもできないのだ。

 次に警戒するべきは、リリィの左手から放たれる、古代の銃による攻撃。

「『スターデストロイヤー』――最大放射フルバースト

 絶妙なタイミングと位置に、真紅の光線が撃ち込まれる。すでにして突撃体勢のサリエルには回避が難しい。たとえ凌いでも、確実に体勢を崩す。

 王手に近い一撃。しかし、すでに何度も見た攻撃へ対策しないほど、サリエルは愚かではない。

「『震電巨盾ライン・アルガレアシルド』・付加エンチャント・『暗黒雷雲アンチプラズマフィールド』」

 避けられないなら、防げばいい。正確には、避けられるだけの隙間を、防ぎつつこじ開ける、といったところか。

 サリエルが構えた『反逆十字槍リベリオンクロス』の穂先に、バリバリと鳴る黒い雷と噴き出す黒煙が収束し、一塊の雷球と化す。

 フリーシアの加護の特性上、サリエルの使用魔法は雷属性に限定される。故に、防御魔法も雷の上級『震電巨盾ライン・アルガレアシルド』となる。

 しかし、これ単体ではリリィの一撃、恐らく左手の銃の名前である『スターデストロイヤー』から放たれる『最大放射フルバースト』を受け止めるには至らない。超圧縮された雷光の盾も、真紅の閃光に一息で貫かれてしまう。

 サリエルが求めたのは、破滅の光をほんの少しだけ、逸らすための力。

 今でこそ雷魔法に頼るしかないが、かつては使徒として白き神に相応しき光属性をメインとして使ったものだ。その特性、魔法術式、そして何より、熟練の術者しか知りえない『光』という属性そのものへの理解と感覚。

 その経験が、サリエルに光を弾くための方法論を教えてくれる。

 リリィの力を前に、半ば急造で構築した原初魔法オリジナル。それが『暗黒雷雲アンチプラズマフィールド』である。

 穂先に瞬く黒き雷光、それを生じさせる雷雲のように黒々とした煙の塊となって、効果を現す。

 迸る黒雷を孕んだ雷雲は光を曲げる。直進しかしないはずの光を、緩やかなカーブを描くよう歪ませるのだ。魔法能力の分類としては、一種の反射リフレクトといってもいいだろう。

 創り出せたのはごく少量、それもやや不安定。しかしながら、今この瞬間、サリエルにとって欲しかった防御性能は十分に宿っていた。

 通じるかどうかは半分賭け。それに、彼女は勝ったといえるだろう。

「光が曲がった?」

 これまでに見たことがない防ぎ方をされて、リリィは思わずつぶやく。呑気な対応である。

 サリエルは穂先に灯した『震電巨盾ライン・アルガレアシルド』によって、僅かに軌道が逸れた赤い『閃光大砲ルクス・フォースブラスト』を、地を這うような前傾姿勢で潜り抜け、ついにリリィの元へと肉薄する。

 槍を突き出せば、その華奢な胴へと届く。ようやく辿り着いた、サリエルの間合い。

「『メテオストライカー』――拡散射撃スプレッダー

 その時、これまでただの一発も弾丸を放たなかった右手の白い銃より、眩い光が迸る。

 銃口が向く前方の空間、その全てを覆い尽くすかのような、膨大な量の光の弾丸が同時に弾ける。一挙に吐き出された弾丸同士の隙間は、数十センチあるかないか。いかに小柄とはいえ、人間サイズのサリエルが潜り抜けられる回避の隙間はない。

 射撃能力はないと思わせた上での、不意打ち――というほど、サリエルも油断してはいなかった。

 いざとなれば、右の銃もタマを撃てる。副砲の照準操作は、銃に組み込まれた機能の一つに過ぎない。最初から、そう予想していた。

 だから、リリィの右手、『メテオストライカー』と呼ぶらしい銃が向けられた瞬間には、サリエルは槍を突くことを止め、地面を、いや、空気の壁を思い切り蹴り飛ばしていた。『千里疾駆ソニック・ウォーカー』により、サリエルの体は慣性の法則を無視したかのように真横へと超高速のまま飛んだ。

 驚くべきは、リリィが『メテオストライカー』で放った何百もの弾丸は、その一発ごと全てに誘導性能を備えていたこと。サリエルが咄嗟の回避に移ることを見越したように、一斉に弾道を直角に曲げて、逃げた獲物を追いかける。

 しかし、それでもサリエルの速度が勝った。

 光の弾丸が再びサリエルの元に殺到した時、すでに彼女はもう一度虚空を蹴り、雷光の如き速さをもってリリィへ向かっていた。今度こそ宿した誘導性能で追いかけきれなかった弾丸は、ただ虚しくサリエルの残像だけを引き裂いていった。

一穿スラスト

 放った武技は、槍の基礎だが、最短距離を最速で突く。妖精結界オラクルフィールドを貫き、肉体そのものは頑強ではないリリィを穿つには、十分な一撃。

 タイミングは完璧。リリィは自分のことを目で追い切れていない。視線は前を向いているし、右の『メテオストライカー』、左の『スターデストロイヤー』、共に前を向いている。

 確実に命中する。そう、サリエルのこれまでの経験が告げる――

「――ああ、危ないわね。クロノが助けてくれなかったら、死んでいたわ」

 故に、これが初体験となった。

 敵の動きが見えない。そう、全く見えなかった。

 かつて、何の力も宿さない生身の人間同然の白崎百合子は、肉眼で捉え切れないはずのスピードで動くモンスターを何故か見切っていた。自分サリエルとなってからは、改造強化された肉体で、大抵の相手は目で追えるようになった。使徒の力を得れば、見えないものなどなかった。

「……どうして」

 そう口にしてしまうほど、サリエルは素直に驚いた。

 何故、どうして。いや、どうやって。

 リリィは、繰り出した『反逆十字槍リベリオンクロス』の穂先を、拍手するように右手と左手の掌で挟み込んで止めていた。

 サリエルの『一穿スラスト』を白羽取り。

 その決定的瞬間を、自分自身が見えなかった。まるで、コンマ一秒だけ時間が飛んでしまったかのように。

 いや、時間を操る魔法などありえない。これは、もっと単純なカラクリだ。そう、例えば、サリエルでも見切れないほどの速さでリリィが動いた。掴み取る瞬間は勿論、いつの間にか両手から消えている二丁拳銃、『メテオストライカー』と『スターデストロイヤー』を空間魔法に収納する動作さえも、全く見えないほどの超スピード。

「『嵐の女王オーバースカイ』」

「それは、マスターの――」

「どう、羨ましいでしょう、これが私の愛の証――『炎の女王オーバードライブ』」

 理解した。同時に、サリエルは槍から手を離し、一足飛びに距離をとる。

 穂先を受け止めたまま、リリィが力任せに腕を振るった。握り続けていれば、地面に叩きつけられていた。超人的な腕力を持つ自分が、一方的に。

 サリエルは知っている。それだけの力が、魔王の第一の加護『炎の魔王オーバードライブ』には秘められていることを。

「戻れ(リバース)」

「うふふ、もう遅いわ、黒化は済ませているもの」

反逆十字槍リベリオンクロス』が反応しない。見れば、リリィの手にある槍は赤々とした光に包まれかけていた。

 流石に、槍そのものに魔力干渉されて支配されてしまえば、召喚術式もキャンセルされてしまう。

「いい槍ね、沁み込んだ黒色魔力が心地良いわ」

 慈愛すら感じさせる優しい笑みを浮かべながら、リリィは手にした『反逆十字槍リベリオンクロス』を消し去った。槍は全て赤い燐光と化して、リリィの手元で儚く散る。

 破壊ではなく、収納。恐らく、自らの空間魔法ディメンションに収めたのだとすぐに察する。

 だが、サリエルが普通の感性を持っていれば、舌うちの一つでもしたくなる処置であった。

 奪った武器を、奪い返されないよう保管。その武器の扱いに精通していなければ、ベストな対応である。

 サリエルには『破空ブレイクスルー』という、相手の空間魔法を破壊する技を持っているが……それはすでに、ガラハド戦争で見せてしまっている。手の内を知るリリィに、通じるとは思えなかった。

「さて、これで頼れる武器はなくなったし、単純な身体能力でも及ばないと理解できたわよね、サリエル。今度は私が言ってあげる、投降しなさい」

 勝機が潰える。

 確実に勝っているはずだったスピードという優位を失った。単なる速度強化ではなく、リリィはクロノの力を全て持っているのだ。

 そのカラクリは間違いなく、あの深淵を覗くが如き漆黒の瞳を持つ『黒ノ眼玉イヴィル・アイ』にある。元々は本人の目玉である以上、いまだに本体と何らかの繋がりを持っており、それを利用してクロノの視界を覗き見ていたことは、フィオナから聞いていた。

 しかし、まさか加護を含めた能力を全て引き出せるとは完全に想定外。眼球という一部位を通して得られる力の領域を超えている。これではまるで、クロノの魂と一体化しているかのような――いいや、それとよく似た状況をすでにリリィが体験しているということを、サリエルは思い出す。

 その名は『妖精合体エクセリオン』。二人を一つにする、妖精女王イリスの授けし神の魔法。

 クロノと文字通りの意味で合体し、彼の魂をその身に宿したことのある、リリィだからこそ、ここまで力を引き出せる。あるいは、合体したその時からすでに、何らかの仕掛けを施していたのか……何にせよ、フィオナや自分が『黒ノ眼玉イヴィル・アイ』を手にしただけでは、リリィと同じことはできないであろう。

 今のリリィは、単独でありながらクロノとタッグを組んでいるに等しい。

 二人の力を、サリエルはすでに身を以て体験している。使徒の自分と対等に戦えるほどであり、今はグラトニーオクトを倒して得た第五の加護に加え、もしかすれば、いまだ未知の能力である第六の加護さえ、使えるかもしれない。

 しかし、真に恐るべきは、自分のモノではない加護の力を、リリィがすでに使いこなしているということ。もしかすれば、当の本人以上に――

「大人しく投降してくれるなら……そうね、ここはあえて言いましょう。命だけは、助けてあげる」

「私はマスターを守る。この命に代えても、守らなければならない」

「それは無駄死にというものよ。サリエル、使徒の力を失った貴女なんて、私の相手にはならないの」

 分かっている。今のリリィは、自分よりも強い。

 けれど、それが何だ。

「リリィ、貴女を殺す」

 この女は、何としてでも殺さなければならない。フィオナの言う覚悟、その真の意味を、今、サリエルはようやく理解できた気がした。

 恐ろしい。どうしようもなく、恐ろしいのだ。この感情を失った自分でも、リリィの力を前に、確かな恐怖を覚えた。

 彼女が強いから? 否。

 彼女が残酷だから? 否。

 サリエルが恐れるのは、ただ一つ。こんな化け物のようなリリィが、クロノの前に必ず現れるという現実。

 クロノはリリィに勝てない。クロノはリリィから逃げられない。止める者は誰もいない。最早、誰にも止められない。

 果たして、リリィに囚われたクロノに、どんな運命が待つというのか――それを想像するだけで、サリエルは背筋が凍るほど恐ろしかった。

 マスターを守らなければならない。

 そう思う。より強く、より大きく。

 力が欲しい。

 そう願う。より深く、より激しく。

 しかし、祈るだけで『力』を得られないことを、サリエルはよく知っている。新たな加護を授かった今だからこそ、真の意味で理解する。

 これはきっと、試練なのだ。神はただ、天に座して試練への挑戦者を見守るのみ。

 だから、自分の力で乗り越える。運命を自らの手で、切り開くのだ。

「――ふっ」

 合図はない。リリィの様子を窺うことなく、サリエルはただ、自分のタイミングで一歩を踏み出した。

 今の自分が出せる最高速。さほど離れたわけではない彼我の距離など、瞬き一つする間もなく駆け抜けられる。

 無論、その程度の速さを、『雷の魔王オーバーアクセル』を持つリリィが捉え切れないはずがない。そして、見切った攻撃は『嵐の魔王オーバースカイ』があれば後出しでも余裕で追いつき、受け止めるでもカウンターでも、好きに対応ができる。彼女の速さは今、サリエルが一回攻撃する間に、二回攻撃できるほど。

 かつて、第七使徒の自分に挑んだクロノの気持ちが少しだけ分かった。なるほど、これは確かに決死の覚悟というモノが必要な戦いであろう。

 だがしかし、潔く諦めきれるほど、絶望的でもない。自分を遥かに上回る能力を持つ相手でも、勝機はある。当時のクロノはそう思ったはず。そして、こうも思ったはずだ――真正面から攻撃を当てられないなら、裏をかけばいい。

「敵わないと知っても尚、愚直に突進? ふふ、神の操り人形らしい選択ね」

 今度は迎撃の攻撃魔法を一発も撃たないリリィは、その言葉通りサリエルを心から嘲笑っているのだろう。あるいは、接近戦で迎え撃とうというのは、彼女なりの誠意なのかもしれない。

 人の気持ちが分からないサリエルだが、戦闘勘は鋭い。戦う相手のことだけは、論理を超えた直感で理解できる。だから分かった。リリィは、これから繰り出す一撃を必ず受けると。

 二人の間に言葉も合図も、何もない。けれど、リリィの魔王の如き傲慢な挑発に、サリエルは躊躇なく乗った。

「――スティンガー」

「その技は知っているわ」

 鋼の刃を超える硬度と鋭利さを備えるサリエル必殺の貫手を、リリィはその紅葉のような掌だけで受け止めている。加護の力を使うまでもないというのか、光り輝く白い手は自前の妖精結界オラクルフィールドを集中展開させているだけ。実際、これで薄皮一枚切れることなく『スティンガー』を抑えているのだから、対応としては十分であろう。

 さて、何の特殊効果もない、ただ鋭く速いだけの貫手を難なく受け止めたリリィは、どう思うだろうか。

 これで終わりか、と失望するか、それとも、圧倒的な実力を以て敵を倒せることに満足するか。どちらせよ、サリエルはそう彼女が思ってくれることを願うより他はない。

 なぜなら、この『スティンガー』はいわゆる一つのフェイントなのだから。

一穿スラスト

 放たれる槍の武技。しかし、サリエルの手に『反逆十字槍リベリオンクロス』はない。彼女の両手に如何なる武器も握られていないことは、一見して明らか。

 そう、手に持っていないだけで、サリエルは初めから、もう一つの刃を装備していた。

 ビリリっ、と修道服を切り裂く音を置き去りに、黒い刃がサリエルの股の下を潜り抜けていく。蛇が地を這うように静か、それでいて、燕が飛ぶように速く。

 ソレは相対するリリィの股下も潜り、妖しい蝶の羽が生える背中に向かって、武技『一穿スラスト』の威力を乗せた切っ先が飛び込んで行く。

「これは、尻尾――」

 そう、それは尻尾である。貞淑な修道服の下に隠した淫靡なる淫魔鎧が持つ、悪魔の尻尾を模した飾り、否、隠し武器だ。

 童話の挿絵に描かれる悪魔のようにチープなデザインの尻尾であるが、尾の部分は伸縮自在にして、先端は魔力に反応して硬度が高まる魔法金属製。

 サリエルがそれを使えば、一息に防御魔法でも鋼の鎧でも貫ける、必殺の刃と化す。無防備なリリィの背中に、凶悪な悪魔の尾が飛び込んで行く。

「――それも、知っているわ」

 寸前、リリィが身を翻した瞬間を、やはりサリエルは捉え切れなかった。

 気が付けば、完全にバックアタックを決めていたはずの尻尾が、リリィの左手によって掴み取られていた。

 右手はサリエルの『スティンガー』を受け止めた格好のまま、半身を捻って空いた左手で尻尾を掴むという体勢。彼女の柔らかく小さな手に握られれば最後、ピクリとも尻尾は動かない。

「うふふ、楽しかったでしょう、クロノとの組手は」

 なるほど、全て見られていた。

 サリエルはすっかり最近の日課となっているクロノとの組手で、何度か淫魔鎧の尻尾による攻撃を使ったことがある。

 リリィがクロノの目を埋め込んだその時から、彼が見てきた全てを知っている。つまり、組手していたクロノと同じように、この尻尾攻撃という手札は暴かれていたのだ――という予測は、最初からたっていた。

 故に、これもまたフェイント

「……『一式・徹し』」

 刹那、リリィの右手が爆ぜる。

「っ!?」

 掌に突き立てていた貫手の形を、掌底の形へと変える。たったそれだけの動き、完全なゼロ距離、しかし、それでもサリエルは放った。完璧に再現された、古流柔術・第一の技『一式・徹し』。

 この技そのものは、リリィも知っている。これまでの道中、散々、ネルが使っているのを見て、対策の一つや二つ、立てていることだろう。

 しかし、この技をサリエルも使えると、リリィは知らない。そもそも、誰にも教えていない。マスターだって、知りもしない。

 当然だ、覚えたのは、つい昨日のことなのだから。

 覚えようと思ったのは、かつて寮のラウンジで怒り狂ったネルが放った『一式・徹し』からフィオナを守るために抑え込んだ時のことだ。

 実はかなり際どかった。それほどネルの一撃には凶悪な威力が宿っていたことを、止めたサリエルはよく知っている。上手く止められたのは、以前に一度だけ、ジュダス司教が気まぐれに見せてくれたことがあったからだ。

 どうやら、彼は古流柔術を習得しているらしい。見せてくれた時、自分も真似て試してみたが、上手くはいかなかった。それを見てジュダス司教は「お前に才能はない」と言って、それきり。才能があれば、教えてくれるつもりだったのか。今となっては分からないし、すでにして『スティンガー』をはじめとした、シンクレア共和国の正統な体術系統を修めたサリエルにとっては、どうでもよいことだ。

 けれど、ネルとの接触によって、古流柔術の理解が進んだ。一撃を止めた時に、どういう原理の技なのか、ようやく分かった。けれど、習得するにはまだ足りない。

 今回、神滅領域アヴァロン攻略にあたって、ネルとコンビで前衛を果たしたことで、彼女の技を何度も間近で見る機会に恵まれた。

 そして昨日、サリエルはようやく『一式・徹し』の術理を解した。それが分かれば、使えない道理はない。実際に放つのは、今この瞬間が初めてだとしても、サリエルは微塵も失敗を疑わない。

 なぜなら、これが技を会得する、ということなのだから。

 かくして、二度のフェイントを挟んだ上で、ついに本命の『一式・徹し』がリリィに炸裂した。

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>かつて、何の力も宿さない生身の人間同然の白崎百合子は、肉眼で捉え切れないはずのスピードで動くモンスターを何故か見切っていた。 ・・・白崎さんもしかして、サリエルよりだいぶ強かった?
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