第580話 暗黒騎士と戦巫女
それから、トンネル内に張っている小隊を蹴散らすこと三度、フィオナ一行は再び地上へと上がった。
「フィオナさん、何をなさっているのですか?」
「メモです」
「メモ?」
その割には、何も書いてはいない。
フィオナはトレードマークな魔女の三角帽子を顔の前にもって来て、小声でブツブツつぶやいているような奇妙な様子。
音声をそのまま記録しているか、あるいは文字に変換できる珍しい魔法具でも持っているのか。空間魔法がかかっている帽子内部に、メモしているらしきモノが隠されているので、ネルにはその正体は判然としない。
「今更、攻略情報なんて残しても、使わないでしょう」
「ええ、使うつもりはありませんけど、一応、保険です」
「はぁ」
リリィを殺せば、それでお終いの一回限りの攻略。だが、途中で引き返す事態になれば、まぁ、要所での攻略情報はあるにこしたことはない。
妙なやり方ではあるが、冒険者としては何もおかしくないフィオナの行動に納得したネルは、外の様子を窺っているサリエルへと声をかけた。
「どうですか?」
「複数の気配を感じる」
「やはり、そうですか。この辺からは、騎士の警備も厳しくなってきますからね」
三人が出た場所は、大正門から東側に位置する街の中。中心部の市街地を囲む城壁が、レンガ造りの建物の向こう側にチラリと見える。
あの城壁を超えれば、いよいよ本格的に帝国軍が待ち構える危険地帯である。もし乗り込むなら、自らの背中を預けるに足る信頼できるメンバーでなければ絶対に御免だが……リリィの地図は、この中心市街の半ばまでは進まないといけないことになっている。
「まずは、あの市街城壁を超えねばなりませんね」
先のことより、まずは目の前の目標である。
「潜入予定ポイントは5ブロック先」
「終わりました。では、行きましょう」
簡単に周辺マップを再確認してから、三人はアヴァロンの街を進み始めた。
一流の盗賊クラスもお手上げなサリエルの索敵能力によって、道行は順調そのもの。巡回する騎士の目を巧みにかわし、着実に目的地へと近づいていく。
戦闘の回数は必要最低限。それも、街中の警備は少人数だから、増援を呼ばれる前に瞬殺できる。四人いても、サリエルが一人いればカタが付く。地形や立ち位置の関係で、一息に仕留められなかった場合には、ネルのバックアップもある。僅か数名の騎士だけでは、この二人を前に増援の笛を吹く隙さえ与えられないのだった。
「……フィオナ様、報告です」
しばらく進んでから、はたとサリエルは足を止めた。
少なくとも、周囲に異常は見られない。目的地までも道半ば。わざわざサリエルが足を止めてまで何を言うのか、ネルは興味が湧く。
「何ですか?」
「騎士の警備には、規則性が確認できる」
「そうなんですか?」
フィオナの問いかけと、全く同じ心境のネルである。少なくとも、そういった情報は聞いたことがない。
「騎士は常に一定の距離を保ちつつ、移動している。誤差約五メートル。笛が鳴れば、三十秒以内に増援が駆けつける。一分経てば、さらに倍。三分後には、完全に包囲される」
笛が鳴らされた場合、どれくらいの時間で増援が来るか。そのサンプルは数百年分もあるのだから、すでに検証されている。おおよそ、サリエルの言う通り。
これほどまでに統率された動きと、数を揃えるダンジョンはそうそうない。ただそれだけで、冒険者を返り討ちにするには十分な警備体制である。
「一定間隔で警備ルートが決まっているのなら、流石に分かるんじゃないですか?」
「複数のパターンを組み合わせることで、規則性を隠蔽している。恐らく、ルートを推測されないための措置」
「パターンの割り出しは?」
「大まかに四種類を確認。現在は全て四種の組み合わせでルートが決められている。ただし、五種類以上のパターンが存在する可能性もある」
「今のパターンなら、ルートの推測はできますか?」
「できます。推測通りに動くなら、以後、接敵の可能性はゼロ」
「いいでしょう、ルート推測して警備を掻い潜っていきましょう」
「ルートを読まれると踏んでの、罠の可能性もある」
「構いません、これで進めてください」
「了解しました、フィオナ様」
許可をとったサリエルは、何事もなかったかのようにまた静かに歩き始めた。
「サリエルの言うこと、信じるのですか?」
どこか疑わしげな視線で、サリエルの小さな背中をチラチラしながら、ネルが言う。
サリエルは断言しているが、警備ルートのパターンを割り出すには、あまりに検証が少なすぎるのでは、とネルでなくとも思うだろう。
傍から聞いていれば、サリエルはほとんど勘で言っているようにしか感じられない。
「私はサリエルを信頼も信用もしていませんが、彼女の能力は知っているつもりです。一度、戦いましたから」
「けれど、もう『使徒』という凄い加護の力は失っているのでしょう?」
「ええ、それでも彼女は強い。サリエルは、私がこの世で二番目に恐れる女ですから」
一番が誰であるのか、あえて聞く気はしないネルであった。
それから、ややしばらくの間、静かな行軍が続く。
そう、静かだった。
「つきました」
「どうやら、サリエルの推測はアタリだったようですね」
次なる目的地である、第二十一防御塔へと繋がる地下通路のある騎士の詰所まで、一度も敵と出会うことなく、やって来れたのだった。
「……そうですね」
ネルは、謎の敗北感を味わいながら、目標の騎士詰所に踏み込んだ。
どうやら運よく、ほとんど騎士が出払っているタイミングで侵入できたようだった。内部に大した数はおらず、すぐに殲滅は完了。やや複雑な内部構造ながらも、ネルの経験は生かされ、スムーズに地下通路への階段を下った。
それから、ほとんど等間隔で配置されている警備の騎士をその都度蹴散らして――気が付けば、ネルは前回のアヴァロン攻略での最終到達地点である、第二十一防御塔の扉前までやってきていた。
ここに来るまで、学生パーティでは一ヶ月近い時間をかけたものだ。今回はいくら二度目とはいえ、到着まで一日もかかっていない。信じられない速さであった。
「中は狭いので、ボスの近衛騎士は二人にお任せします」
「狭いと言っても、魔法を撃って戦える程度の広さはありますけど」
「火傷してもいいから援護が欲しいというのなら、撃ちますけど」
「その必要はありません、フィオナ様。私とネルの二人で、近衛騎士を倒します」
「えっ、ちょっと、私のこと呼び捨てですか?」
「では、お願いします」
「はい、フィオナ様」
しれっと呼び捨てにする、王族に対する敬意の欠片も感じられないサリエルに何か言いたげなネル。しかし、全く構わぬサリエルはさっさとボス戦に入るべく、扉を開け放った。
あの時のセリスの気持ちが、ネルはちょっとだけ理解できた。
「……以前と同じ、重騎士タイプですか」
諸々の不満をとりあえずは押し込んで、ネルは目の前の戦いへと集中する。
塔の内部で待ち構えていたのは、以前と全く同じ姿で佇む、大盾にメイスを装備した、巨大な重騎士。
すでに一度、倒した相手。負ける気はしない。少し時間さえかければ、自分一人でも危なげなく倒せる程度、というより、古流柔術使いの戦巫女であるネルと、相性の良い敵だ。
「アレは見た目通りに、非常に頑丈ですし、力も体力もあります。まずは盾とメイスを排除するのが、安全確実で――」
「先行します」
攻略アドバイスに全く聞く耳を持たず、サリエルはさっさと突撃を開始した。
最早、ネルのことを舐めているというより、カイと同じ脳みそが筋肉でできてるようなただのバカなのでは、と思うほど、清々しい猛進ぶりである。
「もう、怪我しても、治してあげませんからねっ!」
そんな悪態を一つついてから、一拍遅れてサリエルに続いた。
石像のようにジっと動かず鎮座しているだけの重騎士だが、塔の内部に踏み込めば即座に反応を見せる。
巨体に似合わず、重騎士の動きは素早い。サリエルも相当な速さで踏込み、あっというまに広間の真ん中まで駆け抜けて重騎士の間合いに入るが――その時には、すでにメイスは振り上げられている。
ちょうどメイスの先端でサリエルを叩き潰せる、完璧なタイミングによる迎撃。ただひたすら、重く硬い黒き鋼の一撃が情け容赦なく叩きこまれる。
「……やっぱり、上手いですね」
メイスの一撃を、サリエルは難なく避けてみせる。突撃の速度を殺さず、あらかじめメイスが叩きこまれる位置を知っていたかのように、攻撃範囲ギリギリをかすめるように走り去っていくのだ。
受けるでも、弾くでもなく、ただ攻撃される範囲を見切って、そこを最小限の動きで避ける。単純であるが故に、難しい。たとえ攻撃を見切っていても、安全のために多少は余裕をもって避けるのが常である。
しかし、サリエルはそれさえ無駄と割り切るように、まるで自ら攻撃に当たりに行っているのではと思えるほどギリギリのラインを抜けていくのだ。
ちょっと真似したくない、命知らずな回避法だとネルは思った。
「ふっ」
と、小さなサリエルの呼気が聞こえた。
メイスを潜り抜けた先、自分を倍するほどの巨躯を誇る重騎士へと肉薄。
しかし、近衛を名乗る重騎士もさるもの。達人並みの反応を見せ、飛びかかるサリエルとの間に城壁のような大盾を挟み込み、そのまま逃げ場のない面で圧すように押し出す。
とてつもない重量と面積とを誇る、シールドバッシュ。
しかし、迫る鋼鉄の壁に、サリエルの足先がかかる。すると、衝撃によって吹き飛ばされるよりも先に、盾の壁面を蹴り上げたサリエルの体は軽やかに宙を舞う。
公園の柵でも乗り越えるかのように、盾の天辺に手をかけて、凄まじい勢いで通り過ぎていく盾をそのまま飛び越えて行ったのだった。
なんて無茶。いや、ソレができると信じ切っているかのような、躊躇のなさ。
命知らずか、それとも己の能力に絶対の自信を持っているのか。どちらにせよ、サリエルはメイスと盾を超えて、間合いを詰め切っていた。
「『一穿』」
黒き十字槍の穂先が瞬く。
剣の『一閃』にあたる、槍の基本武技である『一穿』はお手本のように早く、正確に、ターゲットを貫いた。
そこは、十字の刃は兜と喉元を守るプレートの僅かな隙間。
重騎士の首が落ちる。
普通なら、ここで勝負アリ。しかし、相手はアンデッド。首を断つだけで、即死するとは限らない。
首が落ちたことになど全く気付かぬように、重騎士は肩の上にいるサリエルに向かってメイスを振る――
「『黒雷突破』」
黒き雷光が迸る穂先が、切断された首元に突きこまれる。一拍の間も置かぬ、二連撃。首を落としたのは、ただの下準備。サリエルの本命はこの一撃であった。
重騎士から血は出ない。その鎧の内が骨の体しか持たぬスケルトンであることを、ネルはすでに知っているからだ。
鎧の中は、ほとんど空のようなもの。少しばかり刃を通したところでさして痛くもないだろうが、全身を打たれれば話は別である。
『黒雷突破』によって放たれた漆黒の雷撃は全て鎧の内側で炸裂。そのまま木端微塵に爆散するのでは、というほどの轟音をたてて、重騎士の体が背中を逸らすように大きく跳ねる。最早、メイスを振るうどころの話ではない。
体が千切れ飛ばないよう堪えるので精一杯という有様な重騎士へ、無慈悲な戦巫女の一撃が突き刺さった。
「『二式・穿ち』」
ネルが放った貫手は、目の前にどうぞ貫いてくださいとばかりに突き出された重騎士の腹部に刺さる。
相手は攻撃も防御もできぬ、致命的な隙を曝け出している。これではただのカカシも同然。
いくら硬い鎧に包まれていようとも、古流柔術『二式・穿ち』の術理とネルの技術があれば、止めることは不可能。白竜の爪が装甲を貫き、秘められし武技の威力を全て、その内に解放しきった。
荒れ狂う黒雷と叩きこまれた魔力の衝撃波。そのダブルインパクトによって、重騎士の全身鎧は今度こそ、木端微塵に弾け飛んだ。
「お見事です。やはり、お二人は頼りになる前衛ですね」
転がった重騎士の髑髏入り兜を蹴飛ばして、見ているだけだったフィオナが二人へと賞賛の言葉を送る。
「……どうも、ありがとうございます」
しかし、素直に喜べないネルであった。
その日は、一旦ここで野営することになった。神滅領域アヴァロンは常に赤い空模様のままで、昼も夜もなくただ不気味な薄明りに照らされ続けている。一日の時間経過は体内時計か魔法具などで図るより他はない。
フィオナはおおよその体感で、そろそろ夜だからここで休もうと言い出すと、サリエルが自分の体内時計でも夜で間違いないと断言し、ネルは自前の時計で事実であることを確認した。
倒した重騎士の残骸を外に放り出し、やって来た通路側の門と、これから行く市街地側の門を土魔法で塞ぎ、安全地帯を確保。ダンジョンによっては室内にどこからともなく転移するようにいきなりモンスターが出現する場合もあるが、少なくともこの防御塔に関してはそのような報告はない。ここの近衛騎士が倒されると、新たな近衛騎士は律儀に正規の通路を通って守りにつくと、百年前の観察記録が残っている。後任がやって来るまでの時間は不明だが、もし現れたとしてもノックの音ですぐに気づけるだろう。
「……」
野営の準備も、夕食時も、静かであった。話すことなど何もない、と言わんばかりの静寂。普通の人ならば気まずすぎて発狂しそうなほどだが、三人ともこれが当たり前とばかりに、誰も気にした様子はなかった。
「――おはようございます、フィオナ様」
幸い、後任の近衛騎士は訪れず、三人は静かな一夜を過ごすことができた。朝食をとり、準備を整え、ルートを確認する。
「この市街地からは、これまでよりも警備網が厚いのに加え、厄介なのは竜騎士です」
ネルも直接目にしたワケではないが、市街地からは空を飛びまわる竜騎士が地上を警戒している、というのは有名な話である。馬鹿正直に通りを進めば、すぐさま鷹の目の竜騎士に捕捉され、地上部隊と連携して侵入者を狩りだすのだ。
「モンスターも出てくるらしいですけど」
「はい、騎士の中には召喚士クラスがいるので、彼らが使役するそうです」
「古代のモンスターなんですか?」
「どうでしょう、確認されている限りでは、全て現在でも残っているモンスターだそうです。その代り、どれも強力で厄介な固有魔法を持っています」
敵の数も増えていれば、単純な強さも上がっている。何ともシンプルな難易度の上がり方である。
「まぁ、トラップがないだけマシだと思いましょう」
必死でいいとこ探しをすれば、それくらいしか見当たらない。正にランク5の肩書に相応しい危険度。神滅領域アヴァロン攻略は、ここからが本番といったところである。
三人は気合いを入れて、という割には普段と変わらぬ平静さで以て、市街地へと進み出た。
街の雰囲気はあまり変わらないが、心なしかより大きく、背の高い建造物が増えているように見える。
フォーメーションは変わらず、索敵と先導をサリエルに任せ、ネル、フィオナの順で続く。ひとまずの道行は順調。市街地序盤の方は、まだ挑戦する冒険者の数も多いことから、それなりにルート開拓がされている。竜騎士の目を逃れるために、立ち並ぶ建物の中を通って移動するのが基本的な攻略法。
フィオナ達も先人の知恵をありがたく借り、迷宮のように様々な建物を行ったり来たりを繰り返す。そして、時には壁の一部を破壊して、隣の建物へ通り抜けたりもする。
ちなみに、アヴァロン内部は騎士が管理しているのか、それとも職人がいるのか、あるいは時を巻き戻す魔法でもあるのか、破壊された建物などはほぼ三日以内には全て修復されるという。故に、挑む冒険者は毎回、壁を破壊するのである。
「何度も直しているくせに、いつまで経ってもその場所の警備を強化しないということは……やはり、騎士達は決まった通りの警備行動しかできないのでしょうね」
「ええ、ですから、どこかに全ての騎士を統率する屍霊術士の騎士団長か、魔法の中枢施設があるのではないかと言われています」
「どこかって、どう考えても魔王城にあるとしか思えないのですが」
「最有力候補ではありますけど、そもそもあの城にまで辿り着いた人が誰もいないので、ただの推測、というより、最早、おとぎ話のようなものです」
一度の戦闘もなく、順当に歩みを進めて二時間。比較的安全とされる、殺風景な石作りの建物のエントランスホールで小休止している中で、フィオナとネルが実に冒険者らしい雑談を交わしていた。
「もしかして、魔王城を攻略すればアヴァロンそのものが手に入るとか、そういう類の話ですか?」
「ええ、ずっと昔から、真しやかに囁かれています。今でも亡国の騎士達が整然と帝都を守り続けている姿から、そう考えてしまうのは当然かもしれませんね。あと、魔王城ではなく、アヴァロン王城です」
「違うんですか?」
「違います。魔王、というのはそもそも、後世で勝手につけられた異名のようなもので、ミア・エルロードは正統なる帝国の皇帝です。魔の王、などという禍々しい称号とは何の関係もないのです」
「はぁ、別にどっちでもいいじゃないですか。妙なところにこだわるんですね」
「当然です、私は由緒正しきエルロードの血を引く王族なのですから」
「そうでしたっけ?」
天然で煽ってくるフィオナに対して声を荒げてプンプンなネル姫様と、それなりに賑やかな休憩時間を過ごして、再び三人は緊張の市街地かくれんぼを始めた。
「――申し訳ありません、発見されました」
そこから先に進むにつれ、戦闘を避けられないことが増えてきた。サリエルの警備ルート推測はここでも通用したのだが、如何せん、数が増えてれば完全に穴がなくなる『詰み』の状態も発生してくる。
そうした場合は、これまで通り速やかな殲滅戦へと突入する。
基本は竜騎士の目を逃れる屋内で。建物の中に引き込んだ上で、サリエルとネルの前衛コンビが騎士を瞬殺。あるいは、通りを歩く一団を、フィオナが窓から魔法一発で始末することもある。
そして、増援を呼ばれて敵の数が対処できる限界数を超えた時には、建物を丸ごと一つ潰して一網打尽にしつつ、どうにかこうにか、切り抜けてきた。
「はぁ……あんまり、こんなことばかり続けていると、限界ですよ」
フィオナが仕掛けた上級攻撃魔法により、跡形もなく倒壊した石の塔の跡地を背景に、少しばかり息を切らしたネルがウンザリしたように言う。
「大丈夫ですよ、次の目的地までもう少しなので」
「はい、目的の地下鉄駅は2ブロック先にある」
今しがた、塔ごと騎士団を壊滅させた後なので、しばらくこの周囲には敵がやってくることはない。その気になれば、真っ直ぐ通りを走っていっても、地下へ続く通路の入り口に難なく飛び込むことができるだろう。
「そういうことでは……いえ、やっぱりいいです。はぁ、クロノくんはよくこんな面子で冒険者をやっていられましたね……」
早くも諦めの境地に至りつつも、ネルは無事にサリエルが『チカテツエキ』と呼ぶ地下通路へとたどり着いた。
「これ、階段が動いてますね」
ちょっと驚いたように、フィオナが言う。
地下へ向かって伸びる下り階段は、これまで何度も見て来たし、上り下りもしてきたが、ゴウンゴウンと音をたてて階段が自動的に稼働しているのを見るのは初めてだった。
「エスカレーターです」
「この動く階段のことですか?」
「はい、地球ではそう呼ぶ」
ただし、電気ではなく魔力によって動いていることが、根本的に構造が違うとサリエルは続けた。
「恐らく、リリィさんが動かしたのでしょうね」
フィオナの推測に、二人も頷いた。
この場所は、リリィの地図に示された地点の一つ。すなわち、彼女自身がアヴァロンを通った道しるべである。
「行きましょう」
この先に待ち構えるリリィの確かな存在を覚えたせいで、暗い地下に向かって伸びるエスカレーターは巨大な化け物の腹の中にでも通じているかのような錯覚を感じた。
三人は僅かながらも緊張した様子で、エスカレーターに乗った。
幸い、地下通路では一度の戦闘もなければ、リリィが仕掛けた悪辣なトラップなども一切なく、無事に通り抜けることができた。
再び地上に戻ると、これまでとはガラリと風景が一変する。リリィの地図の通り、未踏領域の市街に出たということがすぐに分かった。
「――これが、最後の休息となります」
ひとまず、ほどよい時間ということで、三人は二度目の野営を準備し始める。この周囲一帯はアヴァロン市街とは打って変わって、瓦礫の山ばかり。遥か古代に、その優れた文明が崩壊するに至った謎の最終戦争が事実であったことを物語るように、激しい戦いの跡がざっと見渡すだけで確認できる。
無残な廃墟の街でも、比較的マシな状態で残っている建物に目星をつけ、三人はそこを野営地とすることに決めた。
「ここは……古代の聖堂なのでしょうか」
「教会ですね」
「はい、十字教様式の教会に間違いありません」
シンクレア出身の二人が、見つけた建物をそう断言する。
神の十字のシンボルオブジェは失われ、外観もボロボロで白い塗装は一片も残らず、内部もただ石造りの広間があるだけの伽藍堂。けれど、その建物の形状と僅かに残る内装から、フィオナとサリエルはここが十字教の教会であることをすぐに察した。
「十字教というと、例の十字軍が信仰しているアーク大陸の宗教ですよね?」
冒険者なら、すでにそれくらいの情報は知っている。ましてネルはクロノから直接、話を聞いてもいた。
「その通りですけど」
「それなら、どうして『歴史の始まり』があるのでしょうか」
礼拝堂にあるべきモノが全て撤去された広間だが、本来そこに祭壇が設けられているはずの場所には、神の存在を否定するように漆黒の石版が堂々と突き立っていた。古の魔王ミア・エルロードを讃える黒き記念碑『歴史の始まり』は、パンドラ大陸各地で見られる古代の遺物として最も有名なモノだ。
無論、この神滅領域アヴァロン内でも、大小含めてかなりの数が確認できている。
「魔王軍が制圧したからじゃないですか? 古代でも十字教と宗教戦争していたようですし」
古代に起こった数々の戦いの歴史は、現代の考古学として様々な説が唱えられているが、フィオナが妙に十字教との戦いだったと断言するような口調に、ネルは引っかかる。彼女は、生粋のアヴァロン人である自分でも知らない何かを、知っているのかと。
気にはなるものの、問い詰めるのはやめた。どうせ、この悪辣な魔女のことである。肝心なことは秘密にするに決まっている。
「それで、サリエル、どうですか?」
「まだ機能は生きている」
ボンヤリとした真紅の古代文字が輝く黒い板面を、サリエルは珍しいモノを発見した学者のように、ペタペタと興味深げに触っていた。
「問題ありません。使えます」
「そうですか、良かったです」
「えっ、それって、どういう意味ですか」
「秘密です」
うわ、やっぱりだよこの女! と、ネルは素直に質問したことを後悔してしまう。秘密対応されるのは分かり切っていたことだが、それでも、ただの石碑でしかない『歴史の始まり』に何らかの使い方、あるいは、隠された機能が存在する、となれば……ネルでなくとも、パンドラの者なら誰もが気になるであろう。
「……もしかして、ソレが貴女の言っていたリリィさんに対する『勝算』なのですか」
「まぁ、そんなところです。あくまで手段の一つでしかありませんが」
まだ何かあるのか、と気になるものの、フィオナ相手にこれ以上不毛な追及をする元気はネルには無かった。
「そう気を悪くしないでください。リリィさんを相手に、万に一つでもこちらの手を読まれる可能性は避けたいので」
「分かっていますよ、そんなことは」
今更フォローなんていらないやい、とばかりに棘のある返しをするネルに、フィオナは相変わらずのボンヤリ顔であった。
「それでは、明日に備えて休みましょう」
最後の晩餐、とでもいうのか、サリエルが持ち込んできた妙に豪勢な異世界料理の数々が詰まった特大の五段重箱を全て消費してから、その日は就寝した。
この未踏領域では、市街であれほどウロチョロしていた騎士達の姿が全くといっていいほどない。ダンジョンに入る前と同じように、彼らの警備範囲の外であると思われるが、その代わり、ここから先はリリィの支配領域である。
何があるか分からない。これまで以上に警戒はしたが……
「――おはようございます、フィオナ様」
昨日も聞いたサリエルの挨拶。無事に一夜を乗り切った証であった。彼女達は静かに、いつも通りに準備を整える。この先、最強の敵との死闘が待ち構えていると知っていながらも、淡々とダンジョンを攻略するように、三人には何の気負いも感じられない。
あくまで、表面上は。
果たして、心の奥底で何を思っているのかは、三人は三人とも知ることはない。知りたくもない、といったところか。ネルはテレパシー能力を使って探る気など、微塵も起きなかった。
けれど、ただ、クロノのために。その思いは同じと信じ、いよいよ三人は出発する。
「では、行きましょう――」
その瞬間、天を揺るがす大爆発が起こる。何の前触れも、前兆もなく。
そうして、古代の教会は跡形もなく消し飛んだのだった。
2016年10月28日
書籍版『黒の魔王V 恋する魔女』が発売しました。
すでに、ご購入いただいた読者の感想もちらほら見受けられます。外伝も好評なようで、嬉しい限りです。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします!