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黒の魔王  作者: 菱影代理
第30章:妖精殺し
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第576話 三国同盟(2)

 それを一言で表現するならば、悪夢の再来、であろう。

「話があります、ネル姫様」

 今日も今日とて、クロノの元を訪れたネルとセリスの前に、黒衣の魔女と、それに従うメイド服の奴隷が立ち塞がった。

 フィオナ・ソレイユとサリエル。両者がクロノと共にアヴァロンに滞在していることは知っていたが、これまで奇跡的なのか意図的なのか、ネルは二人と顔を合わせることはなかった。せいぜい、最初に訪れた時、サリエルが黙って立っていて、気づいたらいなくなったくらい。彼女らとは、一言たりとも言葉を交わさず、ただ、ネルは都合よくクロノと甘く楽しいひと時を過ごし続けた。

 だが、黒き衣を纏う不吉な魔女の姿そのままのフィオナが現れた時点で、この幸せな時間が終わりを告げたのだと、ネルは一目見て察した。

「通してください」

「クロノさんなら、もう神殿ここにはいませんよ」

 良く晴れた大神殿の正面玄関は、その荘厳な白い造りと装飾とで光り輝くような神聖さを放っているが、今、フィオナとネルが向かい合っている空間だけが、光も時も凍りついたように不穏な気配が漂う。

「どういうことですか。私のクロノくんに、会わせてください」

「くだらない煽り合いをするつもりはありません」

 ほぅ、と小さく息を一つ吐いてから、フィオナは告げる。

「リリィさんが、帰ってきます」

「っ!?」

 衝撃、と同時に納得する。そして、予感。

「分かりました、話を聞きましょう」

「ありがとうございます」

 こんな人目につく神殿の正面玄関で込み入った話をするわけにはいかない。場所を変えようと先導するフィオナに従い、一歩を踏み出したネルに、そこでようやくセリスから待ったのお声がかかった。

「お待ちください、姫様……その、本当に、よろしいのですか」

 セリスの懸念はもっともである。ネルがクロノ帰還の報を聞いてスパーダへ向かった時、従者として同行したのもセリスだ。そこで『忘我の秘薬』を使わなければならないほどの非常事態に陥った忌まわしき記憶は、色褪せるにはあまりに早すぎる。

 フィオナに話があるからと、ほいほいついていくのは、あの時と全く同じシチュエーション。不安を覚えないはずがない。

「覚悟はできています。セリスは、席を外してくださいね」

「……分かりました」

 有無を言わさぬネルの迫力には、確かに言葉通りの覚悟が感じられる。セリスには異を唱えることなどできない。

「ですが、後で私にも事情を教えていただければと思います。クロノはすでに、私にとっても友人ですから」

「そうですか……そうですね。では、少しだけ待っていてください」

 果たして、一体何が起ころうとしているのか。セリスは胸中に不安の雲を膨らませながらも、それ以上は何も言うことはできず、ネルを見送るしかなかった。

「――本当に、クロノくんはいないのですね」

 フィオナが案内したのは、つい昨日までクロノが寝ていた病室である。個室であり、防音もそれなりに施してあるから、内緒話をするにはちょうどいい。

 ネルはクロノの消えたベッドを寂しそうに見つめていたが、フィオナはそんな感傷を全く意に介することなく、単刀直入に話を切り出した。

「昨日の夜、行方不明となっていたリリィさんからメッセージが届きました」

 フィオナの語った内容は、おおよそネルが想像した範囲のものであった。

「一方的に婚約を持ちかけて攫おうだなんて、異常ですね」

「貴女なら、理解も共感もできるでしょう」

「私はクロノくんを傷つけるような真似は、絶対にしません」

 言うものの、フィオナの言葉通りであると内心、認めざるを得ない。

 もし、自分がリリィと同じような立場だったら。いや、そんな仮定をせずとも、すでに自分は一度、似たような経験をしている。愛する人を失う、決してこの手にすることはできない、という絶望を。

『忘我の秘薬』がなければ、なるほど、自分も欲望のままにクロノを得ようとするほど、精神を病んでしまうかもしれない。

「リリィさんの凶行は必ず止めます」

「だから、殺すのですか、リリィさんを。クロノくんの、大切な人を」

「彼女は自ら道を踏み外した。私は、リリィさんを許すわけにはいきません」

「どれだけクロノくんが苦しむか、分かっているのですか」

「彼の全てを犠牲にさせるよりは、遥かに良いでしょう。それに、綺麗事はもう沢山ですよ、お姫様――」

 どこか見下したような冷たい金色の視線が、ネルを射抜く。

「リリィさんを殺す罪は、私が一人で被ります。決して貴女を悪者にはしません。どうぞ安心して、協力してください」

「……この私が、そんな汚い暗殺の真似事に手を貸すと、思っているのですか」

「思います。だって、貴女はクロノさんの『大切なお友達』ですから」

 差し出されたのは、一枚の紙。それは、冒険者なら誰もがなじみのある書類、つまり、クエストの依頼書であった。


クエスト・妖精殺し

報酬・未定

期限・初火の月6日まで

依頼主・フィオナ・ソレイユ

依頼内容・元『エレメントマスター』メンバー、妖精リリィの殺害。手段は問わない。


「個人契約クエストの形をとらせてもらいました。参加のサインをいただければ、そのまま冒険者ギルドに預けてきます」

 個人契約クエストは、冒険者ギルドを解さず、依頼者と冒険者の双方だけで結ぶ、信頼性の低いクエスト形態だ。互いによほどの信頼関係か間違いない利益が保証されている、あるいは、怪しくても仕事が欲しい者が請け負う。

 しかしながら、冒険者ギルドに見られたくない怪しげな仕事はあるが、ある程度の信頼性は保証したい、という需要も多い。そこで、冒険者ギルドと同じ様式の依頼書を使い、完全に封をしてクエスト完了までギルドに預ける、というサービスが存在している。勿論、ギルド側は預かるだけで、決して中身を検めないことを神に誓う。

 今回は、それを利用することで、この『リリィ暗殺』の責任が全て、依頼主であるフィオナにあることを証明するのだ。

「心優しいアヴァロンのお姫様は、必ず友人の危機を救うために戦うのだと、私は信じています」

「ええ、その通りですよ、フィオナさん。クロノくんを悲しませたくはありませんが、それでも、彼を守るためならば、私は心を鬼にして、悪しき敵と戦いましょう」

 とんだ茶番である。

 リリィは、フィオナもネルも認める最強の恋敵。その排除を願ったことは、一度や二度ではない。

 彼女を殺す絶好の機会が廻って来たのだ。これを逃す手はないだろう――と、フィオナもネルも互いに互いがそう考えるだろうと予測した。もっとも、それが事実かどうか確かめるのは、錬金油オイルの保管庫で『火矢イグニス・サギタ』の練習をするよりも危険なことである。

 かくして、表向きは友人の身を案じるという体で、ネルは協力を約束し、フィオナと固く握手を交わす。この話が嘘かどうかの確認は、テレパシーを持つネルにはそれだけで事足りる。

 事実の裏付けがとれれば、もう依頼書にサインするのに躊躇する理由はなかった。

「それでは、この三人でリリィさんと戦うのですか?」

 この病室には、自分とフィオナ、そして、置物のように隅っこでじっと立っているサリエルの三人である。

「この戦いに関して、信頼がおけるメンバーはこれだけです」

「適当に雇った冒険者でも、囮くらいにはなりますよ」

「リリィさんの力は強大です。その上、彼女は自らの拠点に籠っている。少しばかりの頭数を揃えたところで、意味はないでしょう」

「砦を攻めるなら、尚更、数が必要なのでは?」

「リリィさんの拠点はダンジョンの中です。それも、よりによって、あの『神滅領域アヴァロン』ですから」

 流石のネルも、絶句する。

 人はダンジョンの中で生活し続けることができるのか? それは、古来より多くの冒険者が考えた一つの命題である。その解答は、例外を除けば、基本的にはノーしかありえない。数多のモンスターが闊歩する危険な場所だからこそ、ダンジョンと呼ばれるのだ。快適な住環境など、保証されているはずがない。

 しかし、ダンジョンに人が住みつく例は、大陸各地で散見される。独自の魔道を行く魔術士や、武技を極めんと修行に打ち込む戦士などは、自ら過酷な環境を求めてダンジョン内に居を構えるといった話は有名だ。山籠もりの亜種である。

 無論、それには限界がある。衣食住を確保できるだけの環境と、人の力の限界で対処できるモンスターの存在。その両方が成り立たなければ、人はダンジョンでのサバイバル生活を生き抜くことはできない。

「やはり、リリィさんは……」

「何か心当たりでも?」

「ええ、私がアヴァロンに潜った時、彼女らしき人影を見ました」

 あの時、扉の隙間から垣間見た赤い蝶の羽と緑と黒のオッドアイを持つ妖精少女は、やはりリリィであった。よく似た別人であって欲しい、という淡い希望は当然のように砕かれる。

 アレ、と戦うのか。

 そう考えると、自然とネルの体は身震いしてしまった。

「一応、確認しますが、罠ではないのですか?」

「招待状にランク5ダンジョンの場所を書くだけで、罠と言い張れますか」

 そんな危険な場所に、のこのこやってくるはずがない。差出人が明確な敵意をもっていると思えば、尚更である。

「その招待状、見せてもらってもいいでしょうか」

「どうぞ」

 フィオナが懐から取り出した飾り気のない封書を、ネルは受け取る。中には、貴族の結婚式の招待状のように、格式ばった挨拶文が長々と書かれたものと、他に数枚の資料が同封されていた。

「これは、地図……まさか、アヴァロンの未踏領域!?」

 ネルはすでに一度、『神滅領域アヴァロン』に潜ったことがある。だから、すぐに分かった。

 探索にあたって、まず用意するべきは武器でも物資でもなく、地図である。ダンジョンの地図は、攻略にとって最も重要なアイテムであることは、素人相手でも説明するまでもない。

 ネルもセリスと額を付き合わせて、アヴァロンの地図と睨めっこしたものだ。偉大なる先人たちが残してくれた、貴重なアヴァロンの地理情報を、ネルはしかと記憶している。

 そして今、リリィが送りつけたというこの地図には、これまで誰も到達しえなかった場所が描かれていた。

「少なくとも、冒険者ギルドで発行しているアヴァロンのマップには記載されていない場所が、この地図には含まれています」

「なるほど、現地で未踏領域の地図が正しいことが確認できれば……」

「本物、ということです」

 ニセモノであって欲しい。敵を全く無関係の危険な場所へおびき寄せるための稚拙な罠であるならば、喜んで引っかかりたい。ネルは心から、そう思った。

 リリィの地図が本物ならば、それはイコールで、彼女が単独で前人未到の危険領域を踏破したことに他ならない。さらに、彼女はその奥地に籠り『楽園』という自らの愛の王国を作り出したということ。

 歴史上のどんな英雄も成し遂げられなかった、否、成し遂げようとも思わない、異常な偉業を、リリィはやってのけたということだ。その力は、計り知れない。

「勝算は」

「あります」

 自信満々、なのかどうかは、フィオナの無表情からは読み取れない。

「これまでのリリィさんの能力の攻略法。それと、如何にしてダンジョン内で拠点を築けたかの推測も、ある程度は立っていますから」

 しかし、三人のメンバーに合わせた細かい作戦はまだ決めていない。一つのパーティとして機能するには、互いに個々人の能力を把握し、その上でフォーメーションを組む、というのは最低限決めなければいけないことである。

「臨時のパーティですから、仕方のないことです」

「かといって、のんびり仲を深める時間もありません。連携は道中での戦闘で、慣れるしかないでしょう」

 最早、無駄話に興じる時間すら惜しいとばかりに、フィオナはネルへと背を向けた。

「明日の朝、アヴァロンを出発します。それまでに、準備を整えておいてください」

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