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黒の魔王  作者: 菱影代理
第30章:妖精殺し
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第575話 三国同盟(1)

「――マスターは、どこですか」

 正午の鐘が鳴り響くと同時に病室へ戻ったサリエルは、開口一番、そうフィオナへと問いかけた。

「スパーダへ帰りました」

 ガランとした病室の中、つい今朝がたまでクロノが寝ていたベッドの上に腰掛けるフィオナは、どこまでもいつも通りに平然と答える。

「退院の予定は、まだ先のはず」

「予定を早めました」

「何故」

「クロノさんに、いてもらっては困るからです」

 黒い雷光が瞬く。その輝きは、空間魔法ディメンション黒雷門シャドウゲート』を開いた証。その内よりサリエルが手繰り寄せるは、漆黒の十字槍。

 その穂先は真っ直ぐ、泰然と佇む魔女へ向けられていた。

「マスターを害するならば、貴女でも許さない」

 サリエルはいまだ人間の心の機微というものに疎いが、それでも、論理的に分析した上での人の行動パターンや心理学的な感情論を『そういうものだ』と解することはできる。故に、多くを問う必要性はない。

 フィオナの行いは、クロノの意思に反するものであることは、すでに明白であった。

「槍を向ける相手を間違っていますよ」

「私の敵はマスターの敵。それは、その生命と意思を妨げる全てが対象。例外はない」

「まだ、事態の深刻さが理解できていないようですね。それなら、語って聞かせましょう」

「了解、釈明を聞く猶予はある」

「サリエルには協力して欲しいのです。リリィさんを、殺すために――」

 リリィの使者アインがもたらしたメッセージの内容は、同席したサリエルも当然、目にしている。正確な記憶力を有するサリエルは、一言一句違わず、画面の中でリリィが語った言葉を覚えていた。

「宣言通り、リリィさんが迎えに来た場合、貴女はどうするつもりですか?」

「私に決定権はない。全ては、マスターが決めること」

 リリィの求婚を受け入れようが、断ろうが、サリエルにとって意見をさしはさむ余地などない。奴隷は主の意思が全て。拒否権などない。

「では、クロノさんがどういう決断をするか、分かりますか?」

「分かりません」

「ええ、私も、分かりません。ですが、どんな選択をしようとも、クロノさんの望む結果にはならない、というのは分かります」

 ごく普通の三角関係に置き換えてみても、その解答の複雑さは分かるだろう。クロノには、すでにフィオナという恋人がいる。そこにリリィがプロポーズして、それを承諾すれば、恋人はどうなる、という話だ。しかし、リリィもまたクロノにとってはかけがえのない大切な存在。無碍に断って、それでお終いというワケにもいかない。

「リリィという妖精の少女を、マスターがとても大切に思っている、というのは理解している」

「だから、本当はクロノさんが最も望む関係は、一線を越えない昔の『エレメントマスター』だったでしょう。けれど、もう戻れない。サリエル、貴女が現れたから」

 分かっている。自分の存在が、クロノを苦しめる根本的な原因であったことは。

 彼に苦しんで欲しくない――それはきっと、使徒を捨て、ただの人形と成り果てた時、最初に抱いた感情だろう。そしてその思いは、永遠に答えの見いだせない絶対矛盾として、心の奥底に打ち込まれた楔と化す。

 苦しめたくない。けれど、苦しめてしまう。その上で、クロノは苦しみの根源たる自分と共にあることを望んでいるから。

「私も、戻るつもりはありません。彼の恋人という居場所は、私の全てを賭けて守るべき場所ですから」

「しかし、そのためにマスターの意思を蔑にすることは、許されない」

「それは認めます。私の行動は、クロノさんに途轍もない苦痛を強いていると」

 ならば、フィオナはやはり排除すべき敵として、認められてしまう。

「ですが、それ以上の苦痛を、リリィさんは彼に与えるべく、やってくるのです」

 さながら、パンドラ大陸の全てを蹂躙すべく押し寄せた、十字軍のように。それでいて、侵略者自身はこう思うのだ。これは正しい戦いだ。聖戦なのだ、と。

「クロノさんが、リリィさんと結婚するとしましょう。そうなれば、リリィさんは私と貴女を殺します」

 二人を失えば、クロノが嘆き悲しむだろうことは、サリエルにも容易に想像がつく。

「断ったとしても、リリィさんは私と貴女を殺すでしょう」

 自分の思いを妨げる恋敵、邪魔者を恨んで、殺意を抱くという思考も、サリエルにだって理解はできる。

「彼女がもたらす犠牲者の数は、きっと私達二人だけには留まらないはず」

 リリィは今、己の願望を果たすためなら、どんな犠牲も厭わず、どんな手段でも躊躇はしない。

「彼女がクロノさんを得たならば、『楽園』と呼んだ場所に永久に閉じ込められるでしょう。十字軍がスパーダを滅ぼそうと、アヴァロンを火の海にしようと、パンドラ全土が神の十字に支配されようとも……リリィさんは、クロノさんを外に出すことは許しません。まして、戦うなどもってのほか。彼女はもう、クロノさんに誰も守らせたくはないのです」

 世界の全てはリリィ貴方クロノ。閉じた世界、完結した世界。美しくも歪な、完全世界である。

「クロノさんが拒絶しようとも、リリィさんはこの先、どれだけの時間をかけようとも、彼を『楽園』に引きずり込むために狙い続けるでしょう。私と貴女を殺し、他に邪魔だと思えば誰だって消し、もしかすれば、スパーダさえ滅ぼしてしまうかもしれません」

 それは最早、ストーカーの域を超えた、狂気の殺戮者。いや、災害級のランク5モンスターと呼んでも過言ではない。フィオナの知るリリィの力と、まだ知らぬ彼女の新たな力を思えば、本当に一国を滅ぼしうるかもしれないのだ。

「私も貴女も、そしてリリィさんも、後には引けないところまで来てしまったのです。彼女の存在は、確実にクロノさんの平和を脅かします。話し合いで解決できる可能性は、神に祈って本当に助けてもらえる程度のものでしょう」

 それでもクロノなら、誰も傷つかずに解決しようと思うだろうことは、サリエルにも分かる。同時に、それが子供じみた願望でしかない、ということも。

「……リリィという人物の実力は、ガラハドで戦った私も理解している。彼女が暴走すれば、マスターとその周囲に甚大な被害が出るとの予測は、正しい」

「けれど、クロノさんには決められない。いえ、優しい彼だからこそ、こればかりは決断することができないのです。だから、私が決めました。リリィさんを殺すと。彼女を止めるには、殺すしかないのだと、覚悟したのです」

 つまり、サリエルも覚悟しろ、ということだった。

 リリィの殺害に対して、クロノがどれほど否定するかは想像に難くない。もてる力の全てを尽くして、そんな無為で不毛で悲しい争いを止めるだろう。それこそ、自分が命を落としても、リリィが助かるならば満足するかもしれない。

 それほどの相手だ。殺せば、クロノの嘆き悲しみは計り知れない。

「貴女は、どうしますか。私を止めますか。それとも、スパーダへ帰りますか。あまり猶予はありません。私と共にリリィさんを殺しに行くか、逃げるか、今、ここで決めてください」

 果たして、サリエルの答えは。

「了解しました。フィオナ様の提案を支持します」

「そうですか、ありがとうございます」

「マスターの生命と自由を守ることが最優先事項であると、私は判断した。マスターの感情に反してでも、私は敵を討ちます」

「理解してもらえて、嬉しいですよ、サリエル。それに、リリィさんに一人で挑むのは、心もとなかったので」

 そんな不安など欠片も抱かないような平然とした表情で、フィオナはギシリとベッドを軋ませて、立ち上がる。

「二人分の力を得ていても、一人で戦うのは寂しいですからね」

 そこに愛の結晶でも宿っているかのように、優しく己の下腹部をそっと撫でたフィオナを見て、サリエルはその意味を薄々ながらも感じ取った。少なくとも、禁欲を破ったことは、病室に入った瞬間の臭いで分かる。多少、誤魔化してはいるようだが、これでは神官にも気づかれるかもしれない。

「フィオナ様は、そのために私に昼まで戻らぬよう命じたのですね」

「それもありますけど、私は貴女の自由意思も尊重したのですよ」

「私に自由意思はありません」

「ありますよ、クロノさんのために敵を殺すと、自分で決めたばかりではありませんか」

「これは状況判断の上で、導き出される自然な結論に過ぎない」

 メリットとデメリットを比較すれば、誰でも同じ解答に辿り着く。より大きな犠牲を避けるために、小さな犠牲を許容する。目先の損失に囚われることなかれ、というのは商売も戦闘にも通じる、一つの真理だ。

「いいえ、クロノさんがこの場にいれば、貴女にその判断は下せませんよ」

「何故、ですか」

「クロノさんが直接命令すれば、貴女は逆らえない。感情のない人形だから、欲のない奴隷だから、神が認めた騎士だから――そのどれでもなく、きっと貴女は、目の前で泣いて懇願する彼の頼みは断れない」

 誤った決断だと分かっていながら、そう頼み込まれたから、願われてしまったから、弱い姿を見てしまったから、受け入れてしまう。それは、何と浅はかな判断であろう。

 しかし、それが人間。だからこそ、人間。

 サリエルにとって、最も縁遠い感情という名の行動原理はしかし――

「……」

 今の彼女には、何故か否定しきれなかった。

「だから、最初に言ったでしょう。クロノさんに、いてもらったら困るのだと」

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― 新着の感想 ―
[良い点] リリィによる狂気が半端なく、今作のヤンデレヒロイン推しが誇張では全くないと思えたことです。
[良い点] こういう時クロノはダメダメだから、二人の動きより良い結果になる道が見えないですね
[良い点] この辺りの凍り付いた雰囲気、溜まりませんね… 読者視点で、良くなる結末が全く見出だせない。 [一言] 総合的に見て、やっぱりフィオナが一番好きですね。
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