第569話 失った手足
新陽の月14日。カオシックリムを倒し、四日が経過していた。
「はい、ご主人様、あーん!」
「……なぁ、こういうのはもういいんじゃないのか?」
「それはなりまっせーん! ご主人様は重・病・人! なのですから、このメイド長たるヒツギにオハヨウからオヤスミまで、真心のこもった熱ぅい看病を受けるのが義務なのですぅ!!」
お前の真心は九割九分、呪いだろうが。ご主人様が重病人認定されているのに、コイツの喜びっぷりは、やはり呪われているとしか思えない邪悪さである。
まして、悪魔か死神か、という風貌の『暴君の鎧』姿ならば、尚更。
「ですので、さぁ、ご主人様、さぁ! あーん!」
「分かった、分かったよ、食えばいいんだろうが……」
半ばうんざりしながら口を開けば、そこにリンゴのウサギが頭から突撃してくる。
口の中に広がる、爽やかな甘味と酸味のハーモニー。美味い。それ以上に、コイツを食べる度に、パンドラ大陸に渡ってくる輸送船に隠れ潜んでいた時の思い出も蘇る、懐かしの味でもあった。
「キャー! ご主人様がヒツギのリンゴを食べたですよ! 見ましたか、サリーちゃん!?」
「申し訳ありません、メイド長、全く見ていませんでした」
ええい、はしゃぐな、この駄メイド。俺は動物園で餌やりが楽しめる可愛らしい小動物じゃねーぞ。
サリエルもウサギリンゴの生産に夢中になってないで、この無能上司に諫言の一つでも叩きつけてやれ。
「はぁ……ヒツギ、病室で騒ぐな。サリエル、リンゴは一個でいい」
はい、ご主人様、と返事だけは良いのだが、イマイチ進歩がみられないのが困りどころである。
もっとも、俺がついつい溜息ばかり吐いてしまうのは、退屈な入院生活に起因するところが大きい。
カオシックリムとの戦いで、俺は右手と右足を失った。いつかのサリエルと似た状況。怪我の度合いも、それから始まる介護生活も。
闘技場でぶっ倒れた俺は、ネルの治癒魔法で一命はとりとめたものの、即座にセレーネの神殿へと救急搬送されたらしい。戦いの直後は、状況が状況だけに、かなりの混乱をきたしたそうだが……詳しいことは、よく知らない。俺が目覚めたのは、戦いのあった翌日の朝だ。気が付いたら、ベッドの上である。
本来なら、そのままセレーネ神殿で厄介になるところだったが、カオシックリムの被害によって負傷者を受け入れる神殿はパンク状態。俺は怪我の度合いこそ酷いものの、命に別状はないし、移送が困難なほど苦痛にあえでいるわけでもない。
そこで、フィオナの提案で早々にアヴァロンの神殿へと向かうことにした。アヴァロンの首都にある大神殿なら最高の治癒魔法儀式が最高の金額で受けることもできる。人手が足りないセレーネに居座るよりも、アヴァロンの方が遥かによい治療が受けられるのは確実。
そういうワケで、多少慌ただしくはあったものの、俺は目覚めたその日の内にセレーネを離れて、首都アヴァロンへとやって来た、というか運ばれたのである。
その甲斐もあって、ひとまず俺の右手と右足はくっついて、元通りとなっている。
割と綺麗に斬り飛ばしたし、ネルが上手く回収、保存してくれたお蔭だ。しかし、カオシックリムが放つ執念のスライム拘束で飲み込まれていた手足そのものには結構な損傷があったようで、くっつければすぐに元通り、とはいかない。
切断面の再生と手足の治癒、合わせて完全に回復するまでは一ヶ月ほどかかるだろうとの見込みである。まぁ、サリエル同様、改造強化された特別な肉体を持つ俺だからこそ、こんな大怪我でも全治一ヶ月で済んでいるのだが。
そんなワケで、今の俺は手足をギプスで固定され、包帯でグルグル巻きという骨折した間抜け野郎みたいな格好で、ベッド上での安静を余儀なくされているのだ。
そうして人が身動きできないのをいいことに、ここぞとばかりに世話を焼こうと張り切るヒツギに振り回され、何とも疲れる入院生活を送っているのだった。
「ご主人様、寝汗はおかきになっていませんか? よろしければ、ヒツギがお身体を隅々まで、余すところなく……うへへっ、フキフキいたしますぅ!」
「いい加減にしろ、ストラトス鍛冶工房にお前の本体を飛竜便で速達してやってもいいんだぞ」
「ひぇー!? ご主人様、それだけは、ああ、どうかそれだけはお許しください、ご主人様ぁー!」
全く、フィオナがいないから調子に乗ってやがる。
こんな体じゃあ風呂もシャワーも無理だから、当然、体を拭くのがせいぜい。その役目を、割と嫉妬深いらしいフィオナが、他の誰か、ましてサリエルになど、許すはずもなかった。
フィオナは思いのほか、人の体を拭いたり、寝かせたり、といった介護の動作が手馴れた様子だった。何でも、魔女の先生からそういう心得を習ったし、ついでに本人の介抱も幾度となく経験したから、とのことだ。ちなみに先生は不治の病に犯されて、とかいう悲劇的な設定は一切なく、大抵はただの二日酔いで介護を必要とするだけらしい。
ともかく、フィオナの手による看病は、普段の天然ぶりが嘘に思えるほど気の利いた素晴らしいものだった。問題があったとするなら、俺の体を拭き終えると、何故か自分も脱ぎ始めた時くらいだろう。
「えっ、エッチ、しないんですか?」
「そ、それは、家まで我慢するんだ……今、神殿を出禁にされたら俺が困る」
小一時間悩んだ結果、どうにか理解を示してくれて、その場は事なきを得た。
勘弁してくれ、我慢しているのは、俺も同じなんだぞ。こういう時に誘惑しないでくれ。
さて、そんな恋人としての魅力を遺憾なく発揮してくれたフィオナだが、今日は朝から出かけている。ここ二日は看病のためにずっと病室にいてくれたが、流石にそろそろ行動しないと、色々と用事も溜まってくる。
さしあたっては、『カオシックリム討伐』の報告だろう。フィオナは動けない俺に代わって、『エレメントマスター』の代表として冒険者ギルドに出向いている。もしかしたら、そのままアヴァロン軍にも情報提供を求められるかもしれない。帰りは遅くなりそうだ。
「……しかし、今日も音沙汰はナシ、か」
さて、目下のところ一番気にするべきなのは、第六試練を乗り越え、新たな加護を授かることだ。いつもなら、戦いの直後に眠った時に神域、あの黒い玉座の間へと導かれるのだが……今回に限って、それがない。
まさか、失敗したワケではないし、トドメを刺し切っていない、と判断されているのではないだろう。
カオシックリムの死骸は、分身体の砂鉄も含め、今はアヴァロン冒険者ギルドが保管、管理をしている。冒険者のルールとして、所有権は討伐を果たした俺とネルとセリスにある。より厳密にいえば、『エレメンマスター』と個人であるネル、セリス、それぞれ所有権が折半されている状態だ。戦いの貢献度から、一応は俺が最大の権利を持っていることになるが、二人が望めば手足の一本や二本は、討伐したモンスター素材として獲得できる。
本来なら、すぐにモンスター素材の配分をどうするかの話し合いがギルドで行われるのだが……俺がこのザマだし、ネルとセリスも冒険者の資格を持ってはいるが、本職ではない。今すぐに話し合いは不可能というワケで、とりあえず詳しい配分については一時棚上げとなり、その間は冒険者ギルドが責任を持って保管しているというワケだ。
だが、俺は試練の証である部位だけは、しっかりと持ち帰っている。トドメとなった、奴の体からそのまま引き抜いていやった心臓である。
俺が気絶した後、握り絞めていた心臓を、ヒツギがこっそり影の中に収納しておいてくれたのだった。
そんなワケで、ちゃんと俺の手元に捧げるべき証を持っているのだが……何故か、ミアちゃんにお呼ばれされない。
左目は確かに、この心臓が試練の証であると示していたから、部位間違いってことはないはずだ。俺もアヴァロン神殿に来て落ち着いてから、それとなくこの心臓を調べてみたのだが……実はコイツ、まだ動いているのだ。
ゆっくりと、小さく、けれど、確かに鼓動を打つ。
まさか、このままスライムの体で復活するのでは、と思ったが、そういうこともないようだ。フィオナ曰く、超強力なモンスターの心臓や特別な部位などは、本体が死んでも、そこに宿る莫大な魔力によって機能し続けるモノがあるという。大抵の場合は、力の源となる魔力が結晶化した『核』の形態をとるらしい。生身のまま動き続ける部位というのは、かなり珍しいのだと言っていた。
だから、ちゃんとカオシックリムは死んではいる。この心臓も、大魔法具並みの魔力を宿すが故に、ただ動き続けているというだけ。
武器やアイテムとして錬成、屍霊術の僕に組み込むだとか、何かしらの形で利用しなければ、その力が引き出されることはない。
でも、そのまま入れておくとちょっと不安だから、疑似氷属性でガチガチに凍らせた上に、ヒツギに黒鎖で縛らせて、異常がないかすぐ分かるよう、厳重な保管体制をとっている。
そんな微妙に恐ろしい心臓なワケだが、そもそも捧げるべき部位は『傲慢の核』と呼ばれるプライドジェムのコアだ。第六の試練クリアが知らされないのは、もしかして、本来あるべき『傲慢の核』がカオシックリムの心臓に融合……実際、俺が見た藍色の球体結晶はなくなり、心臓に同じ藍色に光るラインが浮かび上がるという形に変質してしまっている。
そのせいで、証とは別モノと認識されているのでは、と思いもしたが、やっぱり左目がちゃんと反応していたのだから、ソレはないのだと結論づけられた。
カオシックリムの心臓は、ちゃんと試練の証として認識されている。そして、すでに奉げられる状態にもなっている。俺は真っ当にカオシックリムを倒し、コイツを手に入れた。
試練のクリアとして、どこにも不備はないように思える。
それでもダメだというのなら、後はもう、神様の事情であると考えるしかない。ミアちゃんが何を不満に思っているのか知らないが、俺としてはこれ以上の探りようがない。
とりあえず、大人しく授与式を待つか、偶然にもプライドジェムが出現したら、また倒しに行こうか、くらいのことしかできない。
ただでさえ謎だらけの神様関係の事象だ。これ以上考えても仕方がないというワケで、カオシックリムの死骸と一緒に、しばらく放置するより他はなかった。
「それにしても、三日も寝てると本当に暇を持て余してくるな……体が鈍りそうだ」
昼食のデザートであるウサギリンゴを食べ終え、やかましいヒツギをお仕置きも兼ねて『影空間』に謹慎処分して、静かに過ごすこと一時間弱。手持ちの新聞も隅から隅まで読み終わってしまった俺は、つい、そんなどうにもならないことを漏らしてしまう。
ついでに、どうでもいいことまで、口にしてしまいそうだ。
「ノートパソコンでもあれば、小説でも書いていい暇つぶしになるんだが」
あ、でも右手が死んでるから、キーボードのタイプもままならないか。くだらないセルフツッコミが思いつくと同時に、ベッド脇の椅子に座って本物の人形と化していたサリエルが口を開いた。
「……マスターは、日本の生活が恋しい、ですか?」
「前に、似たようなことを聞かれたよ。俺はもう、日本に戻ろうなんて思ってない。この世界でやるべきことがあるしな……でも、まぁ、恋しいかと問われれば、そりゃあ恋しいさ」
ゲームをしたいし、漫画も読みたいし、アニメや映画だって見たい。そんなささやかなオタク趣味だけでなく、現代日本でできる楽しいことは、もっと沢山あるはずだ。
そして何より、家族と友達がいる、平穏な日常生活。恋しくないはずがない。
「でも、そう気にするほどのことじゃあない。今の生活に対して不満も不便も感じないしな」
もう慣れた、というやつだ。
それに改めて考えれば、実家暮らしで男友達しかいない高校生活よりも、お屋敷暮らしで可愛い彼女とメイドがいる冒険者生活の方が、何だか贅沢な気がしてくる。気がするだけで、実際は色々と苦労やトラブルの連続だから、やっぱり平和なのが一番か。
「そういえば、お前はどうなんだよ? 白崎さんの記憶があるなら、日本での生活のことだって、分かるだろう」
「私はただ、貴方の傍にいられれば、それでいい」
ドキっとするようなことを、不意打ちで言うのは止め欲しい。
「そ、そうか……」
「白崎百合子は黒乃真央を愛している。貴方の傍にいる限り、彼女の心は満たされる。だから、私も同じ」
白崎さんの心をトレースすることが、サリエルの行動方針だ。彼女の愛がために、サリエルは俺に尽くすのをよしとしている。
「それじゃあ、もし、白崎さんが俺のことを何とも思ってなかったら、お前はどうなってた?」
「白崎百合子の愛がなければ、私はフリーシアの加護を得られず、グラトニーオクトとの戦いで死んでいた」
そこまで遡って正確なシミュレーションはしなくていい。ツッコミを入れると、サリエルはじゃあ何て答えればいいのかというように、目をパチクリさせるだけだった。
「今、どういう気持ちになったかってことだな。勝手に俺の奴隷にされて、メイドの仕事して、おまけに、もう戦わない道だって選べるはずなのに、槍を担いでランク5モンスターとの戦いにパーティメンバーとして連れてこられるんだ……普通は、やってられないだろ」
それどころか、恨むだろう。俺だったら、恨むね。何で俺がこんなことせにゃならんのかと。
「私は、今の私以外の自分の気持ちを推測することができません。マスターと離れることで、比較的安全な生活を送るというメリットは理解できますが、私がそれを選択する可能性はゼロ」
「どうして、そこまで言い切れる」
「上手く説明できません。回答は、酷く抽象的なものになってしまう」
「強いて言えば?」
「ここが、私の居場所だから」
サリエルの言葉に、迷いはなかった。いや、コイツの言葉はいつも、迷いがない。
「そうか……お前を連れてきたのは俺だ。ここに居たいと思うなら、好きなだけいればいい」
「ありがとうございます、マスター」
「つっても、レオンハルト王との約束もあるし、心変わりして自由の身になりたいって言い出しても、すぐには聞けそうもないからな」
「その可能性はありえません。白崎百合子の愛が不変であったように、私の心もまた、変わることはない」
そいつはまた、凄い自信だ。変なところで頑固になることを覚えたか。しかし、現状維持で良い、というなら俺にとっては安心できる話だ。
「お前はもう『エレメントマスター』のメンバーだ。頼りにさせてもらう」
「いえ……私は、カオシックリムとの戦いでは、役に立てなかった」
「それは気にするなって、もう散々言っただろ」
今回はカオシックリムの奇想天外な行動に振り回され、結果的に分断されてしまったからな。一応、闘技場に侵入できそうな手段をアヴァロン軍が確保していたようだが、その頃にはもう、俺がトドメを刺してしまっていた。
フィオナとサリエルはこの戦いの顛末を酷く気にしているようで、昨日一昨日は何度も役立たずでスマンかったと謝られたものだ。別に、俺の方が役立たずな戦いの時も割とよくあるから、気にしなくてもいいのだが。グラトニーオクト戦とかな。
「だから、この話はもうお終いだ。代わりに別な話題を……そうだな、サリエルは何かあるか?」
「申し訳ありません。私の話術ではマスターを楽しませることは不可能かと」
「いや、そこまで無茶ぶりしたつもりはないんだけど……」
宴会で一発芸を強要するパワハラ上司みたいに思われたら嫌だな。
しかしながら、サリエルの方から俺に話しかけることはほとんどない。せいぜい、メイドとしての仕事上の報告くらいなもので、雑談みたいな話をふられたことは皆無だ。俺が聞けば生真面目に回答するのだが……やはり、こういうところで、サリエルの欠けた感情ってのを実感してしまう。
だからといって、ヒツギみたいにお喋りになりすぎても対応に困るんだが。今のところは、個性として見てあげるべきだろう。
というわけで、今回も俺の方から話題を提供しよう。
「よし、それじゃあフィオナがいない今の内に、お前に聞いておきたいことがあるんだ」
「はい、何でしょうか、マスター」
いざ、聞こうと思うと緊張してくる。別に、何もフィオナに対して後ろめたいことをサリエルから聞き出そうってつもりじゃない。単純にこれは、俺自身の問題である。
「白崎さんって、俺の書いた小説を読んだことあるんだよな?」
「はい、長編の『勇者アベルの伝説』をはじめ、部誌に載せた短編も全て、読んでいる」
「……ど、どうだった?」
感想が気になってしまうのは、作者なら当然のことだろう。ちょうど、こういう話題になってしまった以上、つい、問いただしてしまうほどに。
「白崎百合子にとって貴方の作品は、ただそれだけで特別な意味合いを持つ。彼女の個人的な評価は、恐らく、客観的な評価基準に大きく沿わないと思われる」
なるほど、そう来たか。好きな人の書いたモノだから、作品の出来そのものはあまり関係がないと。
「でも、白崎さんなら個人的な感情は置いといて、適切な評価もできたんじゃないのか?」
白崎さんは文芸部の中でも読書家な部類に入ったし、彼女の書く小説やらエッセイやら詩は、文芸部員のみならず、クラスメイトや他の生徒達にも好評だったと聞いたことがある。
実際、何かのコンクールで賞をとったことがあるだとか、学園祭や体育祭などのイベントの度にキャッチコピーの依頼が生徒会から舞い込むだとか、メジャーデビューが決まってるバンドマンの友人から歌詞を頼まれるとか、色々と実績があるのだ。白崎百合子という少女が、確かな文才を持つというのは、誰の目にも明らかであった。
そんな白崎さんだからこそ、鋭い評価がいただけるかと思ったのだが……サリエルは一拍、二拍、と長い沈黙を経て、口を開いた。
「……聞きたいですか?」
ゴクリ、とつばを飲み込む。一瞬にして、病室が張りつめた緊張感でもって満ち満ちる。
「き、聞かせてくれ」
「では――貴方の文才は、中の下です。ストーリーはどれもRPGのように平坦、かつ、定番の展開ばかり。オリジナリティに欠ける、と言い切って良い。登場キャラクターも同様。記号的なキャラクター性ばかり。それ以前に、一人称視点である主人公を含めてさえ、人間としての心理描写に致命的なまでにリアリティが感じられない。フィクションにはフィクションなりのリアリティがあるのだと、意識するべき」
「……お前、実は俺のこと殺したいほど憎いだろ」
「あくまで、白崎百合子の評価を語っているに過ぎない。私の個人的な感情は、一切含まれていません」
悪びれもせずにシレっと言い放つサリエルが恐ろしい。コイツ、今だけ白き神の加護が戻っているんじゃなかろうか。
「そ、それじゃあ、もう少し、具体的にどこがダメだったか聞いてもいいか? ここのシーンが特に酷かった、みたいな」
「これらの批評を端的に表すのは、『勇者アベルの伝説』の第三章・奴隷解放戦、です」
割と序盤の話だ。
故郷のド田舎村を出発したアベル君は、第二章で「ヒャッハァー! ここは通さねぇぜぇーっ!」とか言いながら全力で絡んできた極悪な盗賊団をぶっ潰してから、王様に会うためにようやく王都へとたどり着くのだった。でも、王様に会うのはまだしばらく先で、その前に逃げ出してきた奴隷の女の子と出会って、これまた極悪な奴隷商人をぶっ潰す話に入るのだ。
勿論、最初に助けた奴隷の女の子はメインヒロインの一人である。確か、エリーという名前の巨乳のエルフの超絶美少女だ。そして、実は古代の王族の血を引くハイエルフで、さらに光の女神様の加護も得ている特別な――うわ、今考えると、滅茶苦茶恥ずかしい設定だな、おい!
「ヒロインのエリーは第三章を通して、アベルに強い好意を抱く。その理由として本編で提示されているのは三つ。一つ、奴隷の自分を助けてくれたこと。二つ、奴隷扱いせずに接してくれたこと。三つ、エルフという亜人種に対する差別意識がないこと」
「それだけ揃えば、十分じゃないのか?」
「作品のヒロインとして惚れる理由としては十分。しかし、これらの理由のどれ一つとして、オリジナリティを感じる部分はない。読者はエリーという奴隷の少女のキャラクターが登場した時点で、これらの定番の理由・展開は即座に思いつく。そして、全くその通りに語られたならば、そこには何の意外性も独自性もない、ただ、型通りの物語があるだけ。二番煎じにすらならない」
「……そ、そうですね」
第七使徒サリエル、降臨。俺を言葉の『神槍』で刺し殺す。ドスドス突き刺してくる。死体になっても刺されている。
うん、マジで、ぐぅの音もでない辛口批評だ。
「この話は、もうやめようか」
「マスター、泣いているのですか?」
「目にゴミが入ったんだ」
まさか、リアルでこの言い訳を口にする時が来ようとは。人生というのは、何があるか分からないものだ。
なまじ、白崎さん評価は正しいと思えるから、残酷に俺の心を抉ってくる。分かっていたさ、所詮、俺の文才、文章能力などそんな程度のものだというのは。
でも、いいじゃないか、趣味だったんです。下手くそでも、書くのが好きだったんです!
「では、マスターは白崎百合子の作品にどういう感想を抱いたか、聞いてもいいでしょうか」
何てことだ、サリエル、お前にしては気の利いた返しじゃないか。よし、ここは乗ってやろう。勿論、自分の作品をボロカスに批判されたからといって、痛烈に批判し返してやろうなんて醜い思惑はない。
「そうだな……正直、凄い才能だと思った」
一年の時に文芸部に入部してすぐの頃だったか。新入部員はそれまでに作品を書いたことがある人は、それを発表することになった。別にみんなの前で朗読するワケじゃない。単に部室のパソコンにデータを入れて、誰でも読めるようにしておくってだけのこと。まぁ、生原稿を持ち寄った猛者も一人だけいたが。
そんなワケで、俺は白崎さんの作品を目にする機会に恵まれたのだが……そこで、衝撃を受けた。俺が初めて書いた『勇者アベルの伝説』をどこかの公園で泣いて破り捨てた時以来の衝撃だった。同じ歳のヤツが、こんなに上手く、面白く、小説を書けるのかと。10ページにも満たない短編だったけど、たったそれだけで、思い知らされた。
公園で出会った名も知らない女の子と、新入部員の白崎さん。俺の身近に、二人も文才に溢れた人物がいることに驚きだ。
「安っぽい表現かもしれないが、プロ並みだと思うよ。綺麗な文章で、読みやすい。誤字脱字もきっちり潰してあるし、何より、読んでて引き込まれる――でも、俺は苦手な話だったな」
「それは、白崎百合子が書いた唯一の長編小説『私の魔王様』のことですか」
感動的だったりコミカルだったり、数々の短編では多様な面白さを描き出す白崎さんだったが、そんな彼女が毎月発行の部誌で連載していた長編作品だけは、異色の内容といっていい。
タイトルは『私の魔王様』。
別に俺の『勇者アベルの伝説』みたいなファンタジー作品ではない。ごく普通の女子高生のワタシがある日突然異世界に召喚されて、超絶イケメンのクールで鬼畜な最強魔王様の花嫁に!? みたいなストーリーでは、断じてない。
舞台は現代日本。主人公は、読書が趣味の地味な女の子。高校二年生の、元・文芸部員。
三年生が卒業して、部員が一人となり自然に廃部となってしまった。けれど、彼女は毎日、放課後に廃部となった文芸部の部室で、一人、本を読み続ける。
少し寂しい。けれど、静かで平和な、愛すべき日常。
しかし、とある雨の日。誰も訪れるはずのない文芸部室に、一人の男が現れる。
その男は、『K』と呼ばれる、学校で有名な最悪の不良生徒であった。主人公の平穏な日常は終わりを告げ、Kに支配される地獄の日々が始まる――
「ぶっちゃけ、胸糞の悪い話だよな。ホラーかサイコサスペンスか、みたいな感じで」
恐ろしいほどに生々しく、少女の恐怖と屈辱の感情が描き出される。無力な文学少女でしかない主人公が、悪魔のようなKによって少しずつ、けれど確実に彼女の心と日常を浸食していく過程は、吐き気を催すほど。
作中でKが主人公へ直接的に暴力を振るうシーンがこれといって見当たらないことが、逆に恐ろしい。ただ、殴る蹴るの暴行によって、彼女を従わせているわけではない。邪悪なほどに頭のキレるKによって、主人公は自ずと弱みを暴かれ、つけこまれ……気が付けば、彼の言いなりになるより他はない、絶望的な状況へ追いやられる。
読者としては、もういつ主人公がKにレイプされるかとヒヤヒヤである。
たまに、主人公の窮地に気づくイケメンの同級生や正義感の強い教師や初恋の幼馴染なんかも現れるが、Kの持つ圧倒的な権力と暴力と財力とで、無残に敗れ去っていくのだ。イケメン同級生は全治三ヶ月の病院送り、教師は教育委員会の圧力によって停職処分、初恋の幼馴染など主人公へのレイプ未遂という罪を被せられ少年院送りである。
Kは正に、魔王であった。
「あまりに絶望感が強すぎて、二年の頃には読めなくなってしまったよ」
下手すると、トラウマ級の作品である。
しかし、緻密な心理描写が純文学らしいみたいで、文芸部の中でも部長を筆頭とした文学ガチ勢は大絶賛だったし、校内にも密かなファンが女子を中心に結構いた模様。ただの生徒が書いた素人作品とは思えない、人気があったのは確かだ。
「白崎百合子は、この作品を貴方に読んでほしくもあり、読まないでほしくもある、複雑な感情を抱いていた」
「え、何で?」
「なぜなら『私の魔王様』は、白崎百合子が貴方との関係が進展しないことに対し、一種のフラストレーションが溜まった、そのはけ口として描かれた作品だから」
どういう意味だ? すぐにピンとこないのは、やはり俺が鈍感だからか。
素直に問えば、サリエルは何の躊躇もなく、答えてくれた。
「主人公は白崎百合子。Kは黒乃真央。作中のように、Kの方から一方的に迫り、執拗に求められたい。そういった欲望・願望が、『私の魔王様』という作品の全て」
「へぇ……そ、そうなんだ……」
KはクロノのK。ごめん、白崎さん、本当にごめん……マジ鈍感ですみませんでした。
「……」
白崎さんのちょっと重そうな愛に、俺は嬉しいやら恐ろしいやらで、何とも複雑な気持ちになってしまう。というか、こういうコトは秘密にしておいてやれよ、サリエル。こんな形で秘めた思いが暴露されて、白崎さんも浮かばれないだろう。
けれど、どんな言葉も俺の口からは出てこない。何も言えない。サリエルとの会話は、ここで完全に途切れてしまった。
ややしばらく、沈黙の時を過ごす。
サリエルと二人で黙ったままでいるのは、もう開拓村でのニセ司祭生活の時点で慣れたものだが、流石に今は、ちょっと気まずい。好きな女の子とのデート中に会話が途切れて、焦って話題を探す男子高校生のような心境だ。
ええい、どうしてサリエル相手にここまで気を遣わねばならんのだ。思うものの、俺の妙な焦燥感は募るばかり。
「あ、あのさ――」
気分転換に、車椅子でも借りて神殿の周りを散歩でも、なんて提案を言いかけた時だ。
「マスター、来客です」
サリエルが言い放った直後、コンコン、という控えめなノックが病室の扉を叩いた。
コイツめ、何者かが俺の病室の前で立ち止まったのを、第六感で察知しやがったな。それも、医者や看護婦、正確には神殿務めの治癒術士だが、と違う人物であるというところまで、見抜いたのだ。
「誰だろうな……まぁ、断る理由はないから、入れてくれ」
「はい、マスター」
すぐにサリエルを向かわせ、扉を開かせる。
一体誰が、俺のお見舞いに来てくれたのか。期待半分不安半分でいるが、その結果はすぐに明らかとなった。
「――こんにちは、クロノくん。お身体の具合は、どうですか?」
白い翼を揺らし、穏やかな微笑みを浮かべる、麗しのお姫様――ネルが、俺の見舞いにやって来てくれた。