第568話 シャングリラ
燃える空の下に広がる古の黒き街。その路上に踊る、可憐な赤い光が一つ。
「……騎士が追ってこないわね」
「担当エリア外になったんじゃないのかなぁ」
赤い不気味な色合いへと変化した『妖精結界』に包まれた、リリィとリリィ――正確には、真の姿を保つ少女リリィと、リリィの姿を真似たエンヴィーレイである。
リリィはエンシェントビロードのワンピースを優雅に翻しながら歩く。エンヴィーレイは半透明の赤い光の霊体となって、結界内をフヨフヨとクラゲのように漂っている。
リリィがこの悪霊のモンスターを「レイ」と呼ぶようになってまだ数日と経過してはいないが、それでも、その存在を気にしないほど慣れていた。
「もう少し、この力を試してみたかったのだけれど」
疲労の色どころか、汗一つかかないリリィの白い顔。つまらなそうにつぶやきながら、彼女はそっと黒へと変わった左目を撫でた。
「すぐにまた沢山でてくるよ!」
ここはランク5ダンジョン『神滅領域・アヴァロン』の真っただ中。その中に蠢くのは何千何万と数の知れない古代の騎士と、それらが従える特殊なモンスター達。決して相手に事欠くことはない。
「それも、そうね」
さしたる気負いもなく、平坦な声で答えたリリィは、小さく背中の羽を揺らした。妖精が持つ二対の光の羽はしかし、今となっては随分と形状が変わっている。
一言で表現するならば、蝶の羽、であろう。
元は細長い葉のような形状だった妖精の羽は、今こそ大輪の花を咲き誇らせるかのように、大きく広がっていた。黒アゲハのような形と文様を描く、ドロドロと流動する漆黒のラインに、目に鮮やかな真紅の光が彩る。
禍々しくも美しい妖精蝶の光羽は、リリィがエンヴィーレイというモンスターを宿し、その力を受け入れた結果であるということは、何となく察していた。
そして、全ての加護が封じられる最悪のダンジョンにおいて、これこそが攻略の最適解であるかのように、凄まじい力を発揮するのだった。加護ではなく、モンスターから供給される力であるが故に、何の制約も受けないのだ。
あるいは、真っ当な人の身でありながら、モンスターの力をその身に宿して使いこなすリリィは、すでに――
「ん……」
「どうしたの?」
突如として立ち止まり、振り返るなり鋭い視線を後ろへ向けるリリィに、のんびりとした口調でレイが問う。
「……何でもないわ」
リリィの視線の先にあるのは、城壁に繋がる巨大な防御塔。帝都を守る最後の防衛施設として、大城壁には幾つもの防御塔が備えられており、これもその内の一つだ。現代でも使われている数字で『21』と大きく書かれている。
「ふーん」
レイの気の無い返事と共に、リリィは再び歩き出す。
堂々と路地を進む彼女だが、次なる目的の場所までは一度も敵との遭遇もなく、無事に辿り着いた。
「ここからは地下街を行くのかしら?」
リリィ足が足を止めたのは、一つの門、のような建物の前。
扉もなく開きっぱなしの石造りの門を覗き込めば、地面の下に向かって延々と続く下り階段だけが映った。天井部にはうすぼんやりとしか赤い光を発さない発光器具が等間隔で灯っているのみで、階段の行く先は闇に包まれ見えない。
「地下街もあったけど、ここは、えっとねー、メトロ、とかいう乗り物があるところだと思う」
「乗り物?」
「うん! 地面の下を走っているんだよ」
「ふーん、よく分からないわね」
どうやって土の中を走るのか、リリィには全く意味不明なのだが、幼い口調のレイに適切な説明を求めるという不毛な行いはやめておいた。
しかしながら、妖精女王が古代に手ずから作り上げた『紅水晶球』から生まれたレイは、おぼろげながらも、古代の知識を持っているようだった。単独でアヴァロンを進むにあたって、それも多少なりとも役立つ。
「あっ、この階段はね、動くんだよ! えーっと、その辺から魔力を流すと――」
「ここ?」
階段のすぐ脇に見えた、タウルスの背面にあったコックピットハッチ開閉パネルのような部分に向けて、リリィは指先を伸ばす。
「えーい!」
と、レイが叫ぶとリリィの指先から俄かに赤い雷光が発し、パネルを直撃。バチン! と正しく雷属性の攻撃魔法が炸裂したような音と輝きでもって、パネルが弾け飛んだ。
「壊れたんじゃないの?」
「だ、大丈夫だよ!?」
レイの子供じみた言い訳を擁護するように、その直後、階段がゴウンゴウンと音を立てて、動き出した。
「本当に動いている……なるほど、これに乗るだけで、勝手に下に運んでくれるってワケ」
ほどよい速度でゆっくりと、流れるように下へと動き出す階段を見て、リリィはすぐに便利な機能を理解する。
自動で階段を上り下りできるという、怠惰な機能ではあるが、そんなことまで可能とするからこそ、古代の魔法技術が今よりもずっと進んでいた証拠の一つでもあるだろう。
そんなことを考えながら、リリィは自動で動く階段に乗り、深い地下へと運ばれていった。
「……ようやく、出口ね」
地下を移動する乗り物、というのが、モグラのように土中を掘り進むのではなく、巨大にして長大なトンネルの中を進んで行くものだった、というのを理解したリリィは、本来なら馬よりも早く走る乗り物が通るはずの地下トンネルを延々と歩き続けたのだった。
トンネル内は暗く、騎士の巡回はなくとも、ちらほらと悪霊を中心とした実体のないアンデッドモンスターの巣窟と化していた。お蔭で、暗い地下通路を陰気な恨み言ばかり漏らす相手を片手間で潰し続けるという、何とも面白みのない道中。
レイがようやく「ここだよ!」と出口を教えてくれて、リリィは暗い退屈から解放された。
「ここって、もしかして外に出てしまったんじゃないの?」
というリリィの問いかけは、また同じように長い階段を自動で登った先に、地上へ戻ったことについてではない。
それは、これまで進んできた古代の街並みとは異なる光景が広がっていたため。
「ううん、まだ中にいるよ」
ほら、と無邪気にレイが天を指差せば、なるほど、確かに禍々しい赤い空模様のまま。この場所がアヴァロンの城壁内にあることは間違いなかった。
どうやら、メトロのトンネルを通ったことで、中心地の魔王城を迂回して正門とは反対側の位置に出てしまったようだ。
冒険者による攻略は、スタート地点となる正門側から始まり、そのまま真っ直ぐ中心部へと向かうように進んでいる。その結果、貴族街の城壁で阻まれてしまっているので、自然、正門から見て魔王城の裏手にあたる市街地に関しては、全くと言っていいほど調査は進んでいない。
故に、リリィが通って来たトンネルは比較的安全に裏手にまで回れる、新たなルート開拓をしたということになる。もっとも、今のリリィが気になるのはそんな発見よりも、目の前に広がる光景についてであった。
「ここは廃墟……というより、戦場ね」
当時の姿をそのまま今に残す城壁内の都市とは打って変わって、ここは大半が瓦礫の山と化している、滅びた街並みであった。大陸各地に見られる古代遺跡のように、時間の経過によって風化しただけでなく、明らかに戦闘によって破壊されたということが、暗い廃墟を歩き出せば、すぐに分かる。
崩れた建物は勿論、地面には点々とクレーターが穿たれているのが目に入る。さらに注意深く観察してみれば、建築物の瓦礫とは異なる、大型の壊れた機械の残骸がそこかしこに見受けられることにも気づけるだろう。
かすかに原型を保つそれらが、巨大な人型の手足であることを思えば、この場がタウルスのような人型兵器があい争う巨人の戦場であったという結論に行きつく。
現代と比べて、規格外の魔法技術を費やされた古の戦争に思いを馳せながら、虚しい廃墟の街を歩き続けていると、レイが叫んだ。
「あった! あそこだよ、リリィ!」
目的地へ、辿り着く。レイの言う『楽園』である。
それが何であるのか、リリィはあえて聞きはしなかった。他に行く当てなどない。何よりも、彼女が導く先に、己に課された愛の試練に相応しい場所があるのだと、確信していた。
果たして、その直感は正しかった。
「とても、楽しそうな場所ね……感じるわ、多くの人の、歓喜と興奮の念が」
一言でいえば、城、であろう。高い鉄の柵が、端が見えないほど広く続き、明確に廃墟の街との境界を表している。
その境界線はそのまま、古代の街並みとはまるで別の世界になっているかのように、立ち並ぶ建築物は意匠の異なる不思議なものばかり。それでいて、その空間だけ戦火を逃れたように、柵の内側はどれも在りし日の形をそのまま残していた。
リリィが立つ街の大通り、そこから真っ直ぐ奥に建つ、恐らく中心に立地するであろう、真っ白い城が、この黒と赤とで彩られたダンジョンの中で、一際光り輝くように存在感を示している。
純白の城は、スパーダ王城やガラハド要塞と比べると、随分と小さい。しかし気になるのは、城でありながらも、防衛に適した造りではないこと。王族が自らの栄華を誇るかのように、装飾過多で派手に見せるのが目的であるかのような外観だ。しかし、下品に見えないのは古代人のデザインの妙であろう。
シミ一つない真っ白い外壁に、高く伸びた尖塔の屋根は鮮やかなブルー。さらに、色とりどりの光でライトアップされた城は、どこか心をときめかせる。
「さぁ、早く行こう!」
レイに腕を引っ張られるように、リリィは歩き出す。
正門も城と同じく、見栄え重視で、とても敵の侵入を防げそうな堅牢な作りではない。地下の自動階段と同じように、レイの言う通りに魔力を流せば、そのまま勝手に開かれる。
門を潜ると、開放感のある、実際、途轍もなく広大な庭園が目の前に広がっていた。
「花は枯れてしまっているのね。残念だわ」
「これから咲かせればいいんだよ」
中央に見える大きな噴水から、円形に広がる花壇やオブジェ。一輪の花も咲かない寂しい有様だが、見事な造りの庭園から、その完成された美しさはありありと想像できる。
正門前の庭園から、左右へ城を取り囲むように、数々の建物が見えた。最高級のホテルや神殿のように、豪奢な建物が軒を連ねている。中には、闘技場と思しき円形のものも。
しかし、巨大な円盤を縦にしたものや、振り子のついた高い塔など、まるで用途が想像できない妙なモノも多い。人が入れそうな大きなティーカップだけが幾つも置かれた謎のオブジェや、現代にも通じる馬と馬車を模した人形が丸く並べられたもの、あるいは、小奇麗な建物ばかりの中に、一つだけ幽霊でも住んでいそうなボロボロのお屋敷があったり。
あの城に住むエルロード王族か古の貴族が、どういうセンスでここを作り上げたのか、リリィにはまるで分からない。
分からないが、不思議と、楽しい。ここが、これからクロノと二人きりの楽園になるという明るい未来の想像を差し引いても、心が躍るようにワクワクしてくる。
事実、ここを訪れた古代人達は、誰もが笑い合い、喜んでいた。この中を歩いていると、土地そのものに染みついている古き人の感情、その残留思念がおぼろげながらも、確かにテレパシーを刺激する。恨みつらみなど負の感情とは真逆の念であるからして、呪いにはなりえない。そういう場所は、神殿を建てるのに向く。
「いい場所ね。ここなら、素敵な楽園が作れそう」
「うん! 妖精女王も大好きな人とここに遊びに来た、思い出の場所なんだって!」
その光景を、血の涙を流すような思いで、あの『紅水晶球』の原料となった女達が見ていたのだろう。
どうやらここは、過酷な恋愛戦争に勝利した者だけが入場を許される、愛の天国であったようだ。
なるほど、確かにここは、相応しい。
「でも、私をここへ導いた本当の理由は……あれでしょ」
「あれ?」
目をぱちくりさせるレイに、リリィは指を差す。
その先にあるのは、象徴的な純白の城ではなく、さらに後ろ。山のような大きさで黒々と横たわる、巨大な、あまりに巨大な、何か。
遠目でその大きすぎるシルエットを見て、まさか、と思った。しかし、近くで見上げると、信じざるを得ない。
そう、それは、巨大な船だった。
「不思議なものね。ここは古代でも海ではなかったはずなのに、あんなに大きな船があるなんて」
船底を深々と大地に食い込ませ、ほぼ直立を維持している古代の巨大船。全長は優に500メートルに近いだろう。艦橋、と呼ぶべき部分など、最早そのまま城が一つ乗っているような高さと大きさである。天を衝くように伸びる一際に高い塔のような部分など、甲板から測っても100メートルを超えそうだ。
森に住み、海すら見たことのないリリィだからこそ「大きな船」という感想で済んでいる。海に面する現代の海洋国家が持つ、海軍ご自慢の巨大戦艦と名のつく船をもってしても、コレには遠く及びもつかない。大きさを十倍にしても、まだ足りないであろう。
古代と現代、その圧倒的な魔法技術の差をまざまざと見せつける黒き超巨大船を、リリィは満足そうに見上げた。
「あ、これはね、えっとねー『天空戦艦』っていうんだよ」
「空を飛ぶの? 船が?」
「うん、飛ぶよ! これはもう飛べないと思うけど」
「それは残念ね、これでクロノを迎えに行けたら素敵なのに」
タウルスと同じ動力系統であれば、行けそうな気がするリリィだった。
しかしながら、闇に溶けるように漆黒の船体を鎮座させているだけの姿をみれば、中身の機能はほぼ死んでいるだろうこともまた、想像に難くない。一つでも、何か使えるモノがあれば御の字といったところか。
「でも、コレがこんなとこに落ちてるなんて、レイも知らなかったよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「じゃあ、他に知っていることは?」
「これ、妖精女王が乗ってた船だよ! だから、名前も知ってるよ!」
リリィが問えば、レイは笑顔で即答した。
「――『シャングリラ』、ね。それで、他の詳しいことは、何も知らないと」
「うん、よく分かんない、ごめんね」
「いいのよ、名前だけ分かれば十分だわ。それに、この船に乗っていたというのなら……ふふ、きっと妖精女王が私に送ってくれたプレゼントね」
素敵なプレゼントをありがとうございます。ありがたく、使わせていただきます、とリリィはここからでは届かぬと知りながらも、妖精の神へ祈りを捧げた。
「さて、それじゃあまずは、ここの主を倒して、支配権を譲ってもらうとしましょうか――『妖精結界』・全開」
俄かに真紅の輝きを増す『妖精結界』に、その瞬間、青い雷光が突き刺さる。雷というより、それはクロノの放つ『荷電粒子砲』のような光の帯となって飛来してきた。その輝きと魔力の気配からして、クロノのソレと同等か、それ以上の威力があると一目で分かる。
これほどの破壊力と速さでもって撃たれれば、大抵の存在は消し炭と化す。直撃に耐えられるのは、高ランクのドラゴンか、防御と耐性にすぐれるごく一部のモンスターのみだろう。
如何にリリィの『妖精結界』とて、マトモに受ければ貫かれる――だが、このテの攻撃とは相性が良かった。
リリィを飲み込むように襲った青い雷撃の奔流は、真紅の光に触れると、グニャリと捻じ曲がる。雷の穂先は天に向かって逸らされ、その絶大な攻撃力を全て、赤き大空へ無為に散らすこととなった。
「凄い威力の武器ね。タウルスとはけた違いの性能、流石は本物の古代兵器――『戦人機』だわ」
台詞とは裏腹に、満足気な薄ら笑いを浮かべるリリィ。彼女が睨む黒と翠のオッドアイの先に映るのは、一つの巨大な人影。
いつからそこに現れたのか。それとも、最初からそこに立ち続けていたのか。
山のような天空戦艦シャングリラ、その甲板の上に隠れることなく堂々と立つ。シルエットは人間に近い。タウルスのように寸胴で不恰好ではなく、手足の長い、モデルのようにスラリとしたシルエット。それでいて、全長は優に十メートルは超えている。
白い体をベースカラーに、身に纏う鎧兜のような装甲は青。白と青のツートンカラーが美しい鋼の騎士は、一撃必殺の雷撃を発する武器を静かにリリィの方へと向けるのみ。
右手に握られた武器は、杖ではなく銃。シモンが使うライフルとどこか似た形状であるから、すぐに銃の一種、というより進化系であるとリリィは察した。
古代文明の主力兵器と同じ形の武器を発明しているのだから、やはりシモンは天才だったのか、などと改めてリリィは思う。
ただ、銃とは反対の左手に持つのが、どう見ても盾であることを思えば、現代でも古代でも、武器の在り方にそれほど差はないのだろうと感じられた。
もっとも、だからといってとても侮れる存在ではない。
重機という単なる作業用機械に過ぎないタウルスでさえ、倒すのにあれほど苦労を要したのだ。眼の前に立ちはだかるのは、本物の戦闘用ゴーレム。進んだ古代の魔法技術の粋を、ただ殺すことのみに特化させた恐るべき兵器である。
その実力は全くの未知数。とても、人がたった一人で立ち向かうべき相手ではない。
しかし、リリィに恐れも迷いもない。
「いいわ、試練は重ければ重いほど、乗り越える価値は上がるのだから」
真紅の『妖精結界』に、俄かに黒い炎のような色彩が入り混じる。禍々しい赤黒に輝くリリィは、重力の存在を忘れたように、フワリと宙に浮かび上がった。
「お願い、クロノ、私に力を貸して……二人で一緒に、この、愛の試練を乗り越えるの」
恐ろしくも美しい、蝶の羽を羽ばたかせて、リリィは古代から蘇った『戦人機』へと挑んだ。