表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の魔王  作者: 菱影代理
第29章:混沌の化身
567/1047

第566話 人間の攻略法

 ゲッゲッゲ……そんな、魔獣の笑い声を上げながら、カオシックリムは落ちかけた首を、戻した。

 右手はホーンテッドグレイブが砕き、左手は『三ノ型・崩れ落し』で折られた。両手は使えない。だから、首を戻したのは、首そのものだった。

 首から噴き出す鮮血の勢いが俄かに弱まる。すると、急速に血液が凝固したように、ドロドロとした強い粘性をもつゼリー状に、その血が変化した。

 真っ赤なワームが無数に首から生え出たような気色の悪い動きで、ニョロニョロと伸びた血の触手が頭部側の切断面と結びつき、そのまま、頭を元の位置に引き戻したのだ。

「ま、マジかよ、スライムの再生能力か……」

 プライドジェムの『傲慢の核』を取り込んで得た力は、ただ便利な分身体を作るだけには留まらなかったようだ。

 カオシックリムは己の血液をスライム状にして意のままに操り、傷を塞ぐ再生能力を獲得していた。

 俺も、似たような力の使い方をするから、すぐにピンときた。そう、カオシックリムは俺が持つ唯一の治癒魔法『肉体補填』と同じように、ゼリー状の物質でもって己が傷を塞いでみせたのだ。

 首は元通りにくっつき、腹の穴は埋まり、胸の傷痕が塞がる。どれも、深くダメージ与え、三つそろって致命傷となったはずの傷が、あっという間に再生してしまった。恐らく、スイラムの肉体を魔力で作り出すように、そこから逆変換で血液として補充することもできるのだろう。故に、失血は奴にとって致命的な症状たりえない。

 さらには、グネグネと捩じり紛った左腕を、強引に振るって真っ直ぐに引き延ばす。無理矢理、腕の方向を戻したところで、バッキバキに砕けただろう骨折が治るはずもないのだが……あの様子だと、腕の中で最低限、動かせるように回復したのだろう。千切れた筋繊維は血のゼリーで代用し、折れた骨は、体内に隠し持っていた砂鉄で補強した。そんなところだろう。

 そうして、カオシックリムは瞬く間に傷を癒し、再び狂暴な戦闘能力を取り戻したのだった。

「――大丈夫です、クロノさん。傷こそ塞がっていますが、失った魔力と体力までは、戻ってはいません」

「そうか、そうだよな……なら、再生できなくなるまで、斬り続けるしかないか」

「はい。カオシックリムも、きっと限界までもうすぐのはずです」

 治癒魔法に造詣が深いお蔭か、ネルが冷静に復活したカオシックリムを分析してくれた。確かに、これまで与えたダメージは無駄ではない。

 再生したといっても、それは少しだけ死を先延ばしにしただけ。完全再生で振出しに戻ったわけではないのだ。

 落ち着け。やることは変わらない。すでにヤツは砂鉄の防御を失っている。あと、もう何度かアタアックを決めれば、今度こそ倒し切れるはず――

「待て、ヤツの様子がおかしい……何か、妙な気配が……」

 セリスが上げた制止の声に、俺もネルも足を止めた。

「色が変わった……いや、元に戻ったのか」

 カオシックリムは真紅の色合いから、初めてラースプンを見た時と同じ、黒地に赤のツートンカラーに戻っていた。

 ということは、魔法反射の能力さえ、解除したということ。あるいは、本当にもう限界近くて、維持するだけの力も失われてしまったのか。

 ラースプンは激怒して本気になると、この反射能力を纏って真っ赤に染まる。

 なら、もしかすれば、力がないのではなく、怒りが収まった。そう、考えられないこともないのでは。

 嫌な予感が全身を駆け抜けると同時に、最も無防備な姿となったカオシックリムが動き出した。

「――来るぞっ!」

 突き出されるのは、砕けた白銀の右腕。すでに掌を失っているが、そこに宿す雷撃の機能までは停止していないのか。バチバチと壊れた機械の断面から、激しく紫電が――違う、なんだ、色が赤黒い。まるで、俺とサリエルが使う、疑似雷属性のようだ。

 そこまで思い至った瞬間には、もう、壊れた手首から禍々しい赤と黒の雷光が放出された。数は三本。

 雷が落ちるようにジグザグの軌道を刻みつつも、自動追尾機能でもあるかのように、一本ずつ俺とネルとセリスへと飛来する。

 何だかよくわからないが、受けるのは危なそうだ。

「ブーストっ!」

 魔力ブースターを吹かしながら、俺は素早く回避行動をとる。全体的にゆるやかなカーブを描くような軌道で迫ってくる雷撃を、多少の余裕をもって避けた。

 虚しく通り過ぎていく雷光はしかし、そこで、勢いをまるで無視したように、その場で急反転。

「――なっ!?」

 振り返った俺の眼が捉えたのは、雷撃の閃光ではなく、その輝きで彩られた魔物であった。頭と両腕がある。上半身だけで、下半身はラミアのように雷光と繋がり一本となっている。

 スロウスギル。

 その姿を目撃したのは、襲い掛かられる一瞬だったが、確かに見覚えがある。でも、違う。アイツの顔は髑髏のようだったが、コイツの面はラースプンそのもの。狼に似た、獰猛な魔獣の頭であった。

「がぁあああああああああああああああっ!!」

 避けきれない。速さも動きも、あの時とはけた違い。

「警告。侵入者アリ」

 赤々とディスプレイに点灯されるレッドアラート。『暴君の鎧マクシミリアン』が、強力な寄生パラサイト能力を誇るスロウスギル、いや、カオシックリムと化して、すでに変質しているのだとすれば、カオシックギルとでもいうべきか。ソイツに取り憑かれようとしている。

 俺もスロウスギルにやられた時は、あっという間に精神を浸食された。危険警告を出して、多少なりとも抗えている時点で『暴君の鎧マクシミリアン』が宿す破格の精神防御力が窺い知れる。

 だが、それだけで防ぎきれるほど甘い相手ではなさそうだった。このまま手をこまねいているだけだと、『暴君の鎧マクシミリアン』の精神防壁は突破され、俺へ寄生の手を届かせるだろう。

 あの時、俺の命を救った『心神守護の白羽根アリア・ガードフェザー』は、もう手元にない。ネルに返してしまった。

 最早、打つ手はない――というのは、イスキアの戦いまでの話だ。

「『愛の魔王オーバーエクスタシー』」

 第四の加護、発動。

 さぁ、食らいやがれ。脳が焼け爛れるほど甘くて熱い、快楽の攻性防壁を。


――キョァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!


 耳をつんざく甲高い絶叫が轟いた瞬間、『暴君の鎧マクシミリアン』のシステムは正常に戻った。レッドアラートは消え、視界良好。

 どうやら、第四の加護の副次効果である精神防御の力は、上手く働いてくれたようだ。

 足元には、雷がそのまま凍りついたようにギザギザした姿の、カオシックギルが固まっていた。

 足で軽く蹴飛ばせば、そのまま脆く崩れ去る。

「クロノさん、大丈夫ですか!?」

「ああ、俺は大丈夫だ。ネルも無事なようだな」

 見れば、ネルはカオシックギルの首根っこを掴んで、そのままギリギリ締め付け粉砕しているところであった。

 流石はランク5の治癒術士プリーストだけある。このテの敵の排除はお手の物といったところか。恐らく、俺が返した『心神守護の白羽根アリア・ガードフェザー』の力を使うまでもなく、自力で撃退したのだろう。

「――がっ、ああっ!」

「セリスっ!?」

 俺には加護、ネルには治癒の実力、それぞれこの特殊な敵を防ぐ能力を奇跡的にも持ち合わせていた。しかし、魔法剣士であるセリスには、そこまでの対抗手段は持ち得ていなかったのだろう。

 イスキアの俺と全く同じように、セリスは成す術もなくカオシックギルの寄生パラサイトを受けてしまったのだ。

「くそっ、動き出すのが早い――」

 セリスが苦悶の声を上げたのも一瞬のこと。全身を這う赤黒い雷撃は、あっというまに口の中から体内へ潜り込み、姿を消す。セリスは糸が切れたように、全身を脱力させて倒れ込もう、としたところで、正気を取り戻したように踏みとどまった。

 そして、次の瞬間には両目に赤と黒の雷光を映しながら、業物のサーベルを振り上げ、俺に向かって襲い掛かって来た。

「クロノさん!」

「俺が何とかする! 少しだけヤツを抑えていてくれ!!」

 寄生に操られたセリスが駆け出すのと同時に、カオシックリムも攻撃へと動き出していた。恐らく、ヤツはネルが治癒魔法で最も回復に長けた存在であることを、今の一幕で見抜いているのだろう。セリスを俺にけしかけて動きを封じている間に、自らの手で単独のネルを叩き潰す。

 そんな明確な作戦方針を持っているかのように、カオシックリムは迷いなくネルへと真っ直ぐ飛びかかっていったのだ。

 けど、まだだ。まだ、詰んではないない。

「――『疾風一閃エール・スラッシュ』」

「武技も使えるのかよ――『赤凪』っ!」

 迫りくる風の刃を、血の刃でもって迎え撃つ。

 セリスの鮮やかな武技の発動と、その身のこなしは寄生状態にありながらも、ほとんど陰りはみられない。宿主の性能を十全に引きだすとは、つくづく、恐ろしい能力だ。

 これは、止めるのに時間はかけられない。一発で仕留めなければ、戦況は覆せないほど不利に陥ってしまうだろう。

「ヒツギ、セリスを止めてみせろ――『魔手バインドアーツ』」

 お任せですぅー、という能天気な返事とは裏腹に、『暴君の鎧マクシミリアン』の各所に備えた射出口と、足元の影から膨大な黒鎖の束をぶっ放す。

 百近い鎖の触手は変幻自在の軌道でもって、真正面から突撃してくるセリスを迎え撃つ。振るわれるサーベルの反撃は、正に疾風怒濤。たった一本の剣で、全方位から包み込むように迫る触手を、切り捨て、弾き飛ばし、寄せ付けない。

「むむぅーっ! ヒツギに生け捕れないモノはありませぇーん!!」

 しかし、ヒツギもこと『魔手バインドアーツ』に限っては自信がある。元より、ソレに特化した存在だからな。

 気合いと根性と数でもって、ついにセリスの足首に手をかけた。

「――ふっ」

 一瞬の内に、足首に絡みついた鎖をサーベルで切り飛ばすが、遅い。それだけの隙を晒しただけで、俺にとっては十分だった。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 精霊推進エレメンタルブースター全開で、俺は僅かに無防備な姿をさらすセリスへ肉薄する。武器はいらない。『首断』は一旦、影に収納し、無手のままセリスに俺は掴みかかった。

兜解放ヘッドパージ

 瞬時に二本角の髑髏兜は格納され、俺の素顔が外気に晒される。肉眼がいたましいセリスの顔を映すと同時に、俺の両腕は彼の体をガッシリと捕まえていた。

「さぁ、ご主人様、煮るなり焼くなりですぅーっ!」

 魔手バインドアーツがさらに容赦なくセリスの手足と、サーベルの刀身にまで執拗に絡みつき、完全にその身動きを封じる。

 ちょっとやりすぎな気もするが、これから俺自身も無防備にならざるをえないから、この方が安全確実だ。よくやってくれた、ヒツギ。

「この体、返してもらうぞ――『愛の魔王オーバーエクスタシー』」

 第四の加護を、再び発動。

 そして、迷うことなく、俺はセリスの唇を奪った。

「――んんっ!!」

 カオシックギルが危機を覚えたのだろう。セリスはガクガクと激しく体を動かし、必死に俺を引きはがそうと抵抗を試みている。だが、そんな程度で俺の抱擁から脱することなどできるはずはない。

 右腕で細身の体を固く抱き寄せ、左手は強引に銀髪頭を掴む。重ねられた唇は、絶対に逸らさない。

 相手が男と思えば、多少の抵抗感は湧くが、これは人工呼吸みたいなもんだ。それに、似たような経験は、すでにある。初めてがシモンなだけマシだったと、割と本気で思えた。

 と、つい馬鹿な方向に逸れてしまいそうな思考を無理矢理戻して、俺は解呪の口づけに集中する。

 探る、セリスの中を。口ではなく、その、もっと奥。悪しき異物が巣食う最奥。

「ん……」

 熱く舌が絡んでくるのは、儚い抵抗の証、だと思いたい。『愛の魔王オーバーエクスタシー』がセリスの本能に根差した性欲を刺激しているとは、考えたくはないな。

 緊急事態だと理解していても、俺の精神もギリギリなんだ。

 だから、さっさとその尻尾を捕ませやがれ。

「――ん、ぐ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 捕えた。セリスの口を吸って、カオシックギルの雷の尻尾がついにチロチロと口先まで現れる。『愛の魔王オーバーエクスタシー』の精神防御の力がキスを通してセリスの体に行き渡り、ついにヤツを脳内から追いやったのだ。

 俺は尚も激しく絡んでくるセリスの舌を押しのけて、飛び出て来たカオシックギルの尻尾に噛みつき、強引にズルズルと体内から一気に引きずり出す。

 そうして、ようやく男同士の熱烈なキスは終わりを迎えた。


――キョァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!


 さっきも聞いた、同じ断末魔の声。

 ペっと尻尾を吐き捨て、固まったカオシックギルはアリーナの床の上に転がった。

「ったく、手こずらせやがって、この野郎」

 ささやかな怒りを込めて、精神防御を受けて凍結した肉体を踏み砕く。

 さて、これでセリスは無事に寄生の支配から解放されたわけだが……

「くっ……う……わ、私は……何、を……」

 どうやら、無事に正気を取り戻してくれたようだ。

 セリスは息も絶え絶えで、顔は熱っぽく上気し、立っているだけでやっとという感じだ。何かやけに色っぽく見えるのは、俺の気のせいか、ただの美形補正だと思いたい。

「かなり消耗しているな。もう戦闘は無理だ、下がってろ」

「し、しかし……」

「いいから、下がれ。後は、俺とネルに任せろ」

 歩いてアリーナから避難するくらいはできるだろう。こんな状況で近くにいられては、足手まとい以外の何者でもない。

「……申し訳、ありません」

「気にするな」

 セリスは十分、よくやってくれた。カオシックリムも、あと、もう少しで倒せるはずだ。

 俺は振りかえることなく、セリスが歩いて退場していく気配を背中で感じながら、ようやくカオシックリムへと向きなおる。

 ネルは俺の頼んだ通り、見事にヤツを引きつけている。

 壊れかけの右腕と、応急処置の左腕、それでも人一人を叩き殺すには十分な威力を持つ魔獣の両腕から、ネルは華麗な身のこなしで舞うように避け続けている。

 まだ余裕があるように見えるが、それでも、あまり一人に負担させ続けているのは危ない。早く俺も加勢に――

「――『二ノ型・返し』」

 冗談みたいに、カオシックリムが投げられていた。いや、俺だってグリードゴアを力任せにぶん投げたことあるけど、あんな鮮やかな投げ技を決められる自信はない。

 ネルがとったのは、足だった。両腕の攻撃を潜り抜け懐に飛び込んだネルは、ステップで浮きかけた右足の指を最初から狙っていたかのように逃すことなく掴み取った。そこからは、本当に一瞬の出来事で、どういう原理で投げたのかはよく分からなかった。

 ただ、カオシックリムが自分から後ろに倒れ込んだように、凄い勢いで背中からアリーナに叩きつけられ、その勢いで大きくバウンドしながら、壁際まで吹っ飛んで行ったのだ。

 あれ、もしかして俺、必要ない?

 そう思ってしまうほど、圧倒的な技量と才能を感じさせる、痛烈な一撃。

 いやいや、そういうワケにはいかないだろう。相手は第六の試練を奪った究極のモンスターだ。最後まで油断せずに、畳み掛けよう。

 俺はもう一度『首断』を手にして、壁に激突して土煙をあげるカオシックリムが動き出すよりも先に、追撃を加えてやろうと駆け出した、その時だ。

 気づかされる。コイツは、追い詰められてもなお、逆転の策を弄することのできる、悪魔のような狡猾さを持ち合わせているのだと。

「うわぁあああああああああああああああああっ!!」

 聞こえたのは、悲鳴だった。俺でもないし、ネルでもない。全くの第三者。

「そ、そんなっ!?」

 息をのむ、ネル。彼女も俺と同じように、追撃を仕掛けようとして、踏み出しかけた一歩が止まっていた。

 無理もない。

 なぜならば、心優しいネル姫様の青い瞳が映すのは――カオシックリムの左手につままれた、小さな、子供だったのだから。

「人質をとりやがった!?」

 何故、それが有効であることを知っているのだろうか。どうして、よりによって子供を選んだのか。

 戦慄する。その、あまりに合理的な悪意に。

「わぁあああ! ママぁーっ!!」

 ヤツの指先が器用に襟首を掴んでブラ下げているのは、男の子だ。歳は、レキとウルスラよりも、明らかに下だと分かるほどに幼い。

 壁際に位置したことを利用したのか。恐らく、観客席で暴れさせている分身体から、子供を一人、連れてこさせたのだ。あの巨体だ、手を伸ばせば、すぐに観客席まで届く。

 そうして、アイツは最強の盾を手に入れた。

 ああ、ちくしょう。そうだよ、お前の思った通りだ。俺も、ネルも、子供ごと撃つことなんて、できない。

「あっ――」

 硬直しかけた状況の中、動いたのはネルだった。動かされた。今、俺達の行動は、カオシックリムによって支配されているといっていい。

 ヤツは人質であるはずの子供を、投げた。

 真っ直ぐ。ネルの方に向かって。

「ダメだっ、避けろっ!」

 見捨てられるはずがない。ネルは、投げられた子供を正面から抱きとめた。

 結構な速度で放り投げられていたが、男の子には全く衝撃が加わらないような、絶妙な力加減のキャッチ。人質の子供は無事に、心優しいお姫様の手によって救い出された――ところに、魔獣の拳が叩き込まれた。

「――っ!?」

 直撃だった。

 避けることも、受けることもできず、『憤怒の拳』がギラつく左腕による、燃えるようなストレートパンチが炸裂。

 ネルが子供を受け止めた、そのタイミングをカオシックリムは狙っていたのだ。

 咄嗟の回避行動など、できるはずもない。まして、子供を抱えたまま、奴の拳を受け流すことなど。いくら神業的な古流柔術の腕前をもってしても、凌げる状態ではなかった。

 成す術もなくクリティカルヒットを許してしまったネルは、放たれた矢のように猛烈な勢いで吹き飛ばされる。そして、今度は彼女がアリーナの壁面へと叩きつけられた。

「ネルぅーっ!!」

 白い羽根が舞い散る。

 固い石壁にめり込んだネルは、その凄まじい衝撃波で全身を強く打ちつけられている。即死しなかったのは、寸前で何らかの手を打った彼女の実力だろう。だが、今にも死にそうなほど、深刻なダメージを負ってしまったのは明らかだった。

「がっ……はっ、あぁ……」

 ドっと口から血を吐いたネルの眼に、生気の色が失われている。外傷だけでなく、内臓も傷ついてしまったのだろう。

 それでも、生きているだけまだマシ。

 ネルが助けたはずだった男の子は、すでに原型を留めていないただの肉塊となっていた。

 死なせてしまったことを、意識が朦朧としていそうなネルは正しく理解しているのか。彼女は血に塗れたドロドロの残骸を、今も大事そうに、抱えていた。

「――『嵐の魔王オーバースカイ』」

 完全にトドメを刺すべく駆け出したカオシックリムを止めるには、これしかなかった。

「『黒土防壁シールドディアース』――『鋼の魔王オーバーギア』っ!」

 ヤツの拳が届くよりも先に、瀕死のネルの前にどうにか割り込み、気休めの防御魔法を挟んで、魔獣の一撃を真正面から受け止める。

 漆黒の壁面は、炎のオーラを全開にたぎらせる左拳によりあっけなく粉砕し、ほとんど勢いを弱めることなく、立ちはだかった俺に直撃。

「――ぐ、おおおっ!!」

 耐えた。けど、ギリギリだった。

鋼の魔王オーバーギア』のオーラで俺の体は守られてはいるが、ブッ飛ばされてしまっては意味がない。ネルを守るために踏みとどまらざるを得なかったが、そのお蔭で、パンチの威力を全て受け止めることになり、もうすでに体がガタガタだ。

「黒凪っ!」

 歯を食いしばって、先に牽制の武技を放つ。防御を捨てた今の状態では、『首断』の『黒凪』をモロに食らえば容易に切り裂かれると、ヤツも理解しているのだろう。追撃にこだわらず、素早いバックステップを刻んで距離を取った。

「あ……く、クロノ、くん……」

「喋るな、ネル。今、治す」

 リリィがいなくなったので、俺の手元には『妖精の霊薬』はない。仕方ないから、ここは最高級品の『エルポーション』で我慢してもらうしかない。

 俺はアリーナの真ん中まで退いたカオシックリムの動きを睨みながら、ヒツギに任せて背中に庇ったネルにポーションを与えた。

「行きますよ! だばーっ!!」

 だから、ポーションを人に思い切りぶっかけるなと言っただろう。だが、今のネルに落ち着いてポーションを飲み干すだけの余力もなさそう。ここは、かけて使うのがベストではある。

「ふ、うふふ……嬉しい、な……クロノくんが、助けて、くれる、なんて……」

「当たり前だ……友達、だからな」

 いいんだ。そう思っているのは、俺だけでも。

「ありがとう、クロノくん……」

 ネルは今、どんな顔で、どういう気持ちで、その感謝を口にしたのか、俺には分からない。

「後は、俺に任せろ。カオシックリムは必ず、俺が倒す」

 一度も振り返ることなく、俺はヤツが堂々と待ち構えるアリーナ中央へと駆けだした。

 セリスが脱落し、ネルが戦闘不能となり、ついに、戦えるのは俺一人だけとなってしまった。

 だが、ここまでくれば十分だ。必ず倒す。俺がこの手で。第六の試練を、今度こそ、乗り越えてみせる。

決着ケリを付けるぞ――覚悟はいいか、カオシックリム!」

 獰猛な雄たけびで応える魔獣。

 かくて、最後の一騎打ちが始まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 何だかんだで、第四の加護が優秀な戦力だということです。
[気になる点] スイラム→スライム
[一言] いつも間違えてるクロノくんがセリスを男だと認識してるってことは女やろ? 個人的にはどっちでもイケるけど
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ