第565話 試練の攻略法
「ああ、よろしくな、ネル」
思わず、呼び捨てで呼んでしまった。ネルの方は俺とは初対面です、という風を装っているというのに。
けど、そういう演技しているくせに「不束者ですがー」って、変な挨拶を思い切りテンパった様子でやってのけるのが、何となくネルらしいと思ってしまい、つい俺の自制心も緩んで、呼び捨てしてしまったのだろう。
何というか、いざこうして再会してみると……意外と大丈夫、というより、嬉しさの方が勝ってしまうな。てっきり、トラウマが抉られる感覚にでも陥るのかと思ったが、そこまで俺の心はナイーブでもなかったようだ。
あるいは、これこそ正しく「時間が解決してくれる」というヤツなのか。なるほど、時の魔法というのは偉大だな。
そんなことを実感したせいか、俺は最後に会ったあの時と同じ格好の、凛々しい巫女服姿のネルをつい見つめてしまいそうになる。いくらフルフェイスの兜を被っているからといって、あんまりガン見するのは失礼か。ネルの隣に立つ白騎士みたいな超絶イケメンに怒られそうだ。
セリス、と名乗った美少年とは完全に初対面だが、その名前と噂は前々から耳にしている。カイからはネロに匹敵する腕前の魔法剣士と聞いているし、つい最近ではクリスからも色々と彼の戦いぶりについて聞かされている。
卓越した剣の腕前と、数々の武技。そして、得意属性である風を中心として多彩な魔法を行使する、魔法剣士として一種完成された戦い方をするという。すでにして一流を名乗れる実力に加え、彼にはさらに隠された秘密の能力があるらしいが……俺としては、そんな奥の手よりも、コイツのビジュアルの方がまず目を引いてしまう。
中性的な美貌、という言葉を体現している。ぶっちゃけ、こうして本人を目の前にすると、男か女か分からん。性別を勘違いしてしまったシモンといい、いまだに謎のミアちゃんといいい、この異世界にはマジで判別つかないレベルの容姿を持つ者が割といるから恐ろしい。
顔でも声でも、やはり判別は全くつかないが、それでもセリスの雰囲気からして、男である、と俺の鋭い第六感が訴えかけている。感じるぞ、俺にはない、本物のイケメンオーラを。
ネルに失礼なことしたら「姫様には指一本、触れさせはしないぞ!」とか凄いカッコよく言いそう。
しかしながら、今は幸いにも、俺がついネルを呼び捨てにしたことについての言及はない。一国の姫君を呼び捨てとは云々とケチはつけられず、華麗にスルーしてくれたようだ。こんな状況で、そんなくだらないことで揉めたりするなど、冗談ではない。
さて、思うところは色々とあるが、とにかく今はカオシックリムの相手にだけ集中しよう。
まずは『炎の魔王』で『闇凪』を振り向きざまにカウンターとして喰らわせることに成功したが……奴はほぼ無傷だ。手ごたえで分かる。
そう、この感覚はグリードゴアが使った衝撃反応装甲に違いない。腕を包んでいた砂鉄を全てつぎ込み炸裂させることで、魔王の腕力で放った武技をアイツは見事に止めてみせたのだ。
派手に吹っ飛びはしたが、それだけ。ヤツが負傷する道理はなかった。
「――あの一撃を受けても、大したダメージは通っていないのか」
苦々しく、セリスがつぶやく。
アリーナの端まで転がったカオシックリムは、派手に飛び散った砂鉄を、黒い風と化して再び己の身に集めながら、ゆらりと立ち上がる。俺の予想通り、アイツの体に傷痕は一筋もない――こともないか。刃を受け止めたであろう掌から、ポタポタと血の雫が滴っているのが見えた。生身の左手には確かな斬撃の痕が刻まれ、機械の右手には僅かな切れ目が入っていた。
ふむ、完全に無効化されたと思ったが、それでも斬ってみせたのは、俺の武技が上達したというより、『首断』が気合いで押し込んだような気がする。
応えるように、握りしめた柄がブルリと震えた。
思えば、コイツの最初の獲物はラースプンだ。あの時は右腕一本しか斬らせてやれなかったが、今回こそ、その銘の通りに首を断たせてやりたいな。雪辱戦だな、鉈先輩。
「やはり、まずは砂鉄の鎧をどうにかしなければ、攻撃は通じそうにないですね」
ネルもこの防御能力の厄介さはすでに知っている。マトモに正面からやり合うのが、どれだけ割に合わないか。
だから、本来なら最も楽に倒す方法として、寄生を解除する状態異常回復の魔法か、浄化系の魔法で攻めるというのが真っ先に思い浮かぶ。しかし、これがなかなかどうして上手くいかなかったことは、実はこれまでの戦いで明らかになっていた。
スパーダの次に現れたファーレンでの戦闘で、ダークエルフのドルイド部隊が色々と試してみたが、効果はなかったと、冒険者ギルドにも伝わっている。この報告を聞いて、裏ワザじみた攻略は不可能だと知り、ガッカリとしたもんだ。
だから、ネルの『悪逆追放』で一発、とはいかない。
「しかし、あの再生力を前にしては、強力な攻撃を当てた直後の僅かな隙を狙うより他はないのでは?」
と、思うだろう、セリス君。
「俺がヤツの砂鉄を剥ぐ」
「なに、そんなことができ――」
「分かりました! よろしくお願いします、クロノさん!」
疑わしげな視線を寄越すセリスの前を遮って、ヤル気に満ちた顔でネルが出てくる。
ああ、この顔を見ると、本当にネルらしいなと思ってしまう。彼女はいつもそうやって、世話を焼いてくれるのだ。
と、感傷に浸っている暇はないんだった。
ネルはイスキアでの経験があるから、俺がグリードゴアを倒した方法はよく知っている。だから即答でOKしてくれたのだろう。
「攻撃は二人に任せることになるが、大丈夫か?」
「勿論です、私に任せてください!」
「ちょっ、ネル姫様、そんな勝手に決め――」
「問答している暇などありません! いいからクロノさんの言う通りにするのです。絶対服従! いいですね、セリス!!」
「は、はい……」
言ってることは正しいが、もうちょっと言い方ってのはあると思うぞ、ネル。見ろ、セリスがちょっと涙目だ。
俺としても、実際にネルの戦いぶりを目にしたわけじゃないから、攻撃役をさせるのには大いに抵抗がある。俺にとって彼女は、いまだに治癒術士のイメージの方が断然に強い。
本当に、任せてしまっていいのだろうか。迷いはある。
けれど、今は信じよう。たとえ、ネルは俺のことを信じてくれなくても、俺はネルを信じる。
「تركز سمة――『集中大強化』、『属性大強化』」
と、このタイミングで飛んでくるネルの強化魔法の支援。凄いな。信じた矢先にこんなことされちゃあ、信頼度爆上げである。
流石はランク5の『治癒術士』。ほとんど一言で済ませる略式詠唱の上に、二つを同時発動だ。得意分野でも同時発動ってのはなかなか難しい。俺も滅多に使おうとは思わないし。魔法発動の『速さ』と『数』というのは、ただそれだけで評価に値する高等技術だからな。
思わぬネルの支援を受け、俺もいよいよ魔法発動に入る。
ちょうどカオシックリムも、突撃の構えをとった。あとは、二人が上手く合わせてくれることを祈ろう。
「準備はいいな、ヒツギ」
「バッチリですぅ、ご主人様!」
兜のディスプレイには、笑顔でアップのヒツギと、完了した仕込みの情報が視覚化されて表示されている。
うん、まだ半分といったところだが、ひとまずはこれで十分だろう。
「よし、行くぞ――『蛇王禁縛』」
九つの首を持つ漆黒の大蛇が、白い石タイルの床を割って姿を現した。ヒュドラの名にふさわしい、人間など軽く丸飲みできそうなほど大きな頭を備えた多頭竜を模した、俺の黒魔法。もしかすれば、魔法が発動したのではなく、本物のモンスターを召喚したようにも見えるかもしれない。
目が無い蛇の頭は無機質さを感じるデザインだが、黒い鱗の一枚一枚には光沢が宿り、どこか生々しい滑ったような質感を持つ。
そんな『蛇王禁縛』は、本来ならリリィと合体し、彼女の魔法演算能力を借りることで、初めて再現できる魔手の奥義だったが……練習の甲斐あって、どうにか単独発動までこぎつけた。
ほんの一瞬とはいえ、使徒の力を全開で発揮するサリエルを縛り付けた、絶大な拘束力を持つ。何とかモノにしたかった。
流石に妖精合体時と比べれば、大きさもパワーも精度も劣ってしまうが、とりあえずは及第点といったところだろう。今回は強化魔法の恩恵もあるから、いつもよりも高い能力を持たせられている。
コイツを発動させるために、俺はアリーナに着地してからずっと石タイルの下の地面に黒化を広げ続けて下準備をしていた。視界のディスプレイに浮かぶ別枠には、このアリーナを模った3DCGのような立体像が映し出され、黒化の支配領域を面積と深さ、両方が一目で判別できるように白黒で色分けがされている。何とも、便利なものだ。
「捕らえろ!」
カオシックリムを真ん中に、円形に囲むように現れた九つ首は、一斉に獲物へと襲い掛かる。
俺様を舐めるな、とでも言いたげな、鋭い鳴き声を発して、カオシックリムは憤怒の力を宿す、燃え盛る左腕を振るった。
ドガン、と重苦しい打撃音をたてて、まずは一つ、ヒュドラの頭が弾け飛ぶ。真正面から大口を開けて迫った第一の頭は、血飛沫の代わりに真っ黒い粒子を振りまきながら首の半ばまで消滅してゆき、ドっと力なく地面へと沈んだ。
黒魔法のヒュドラを形成するのは、黒化した砂。巨大な大蛇の肉体が全て砂でできていると思えば、一つの頭でも凄まじい重量があるはずなのだが、まるでプラスチックのオモチャの蛇でもぶん殴ったみたいに、軽々とブッ飛ばしやがった。
伊達に『憤怒の拳』がついているワケではない。その自慢の腕力でもって、カオシックリムは第二、第三の頭を立て続けに殴り倒していく。
しかし、モンスターが振るう拳に術理はない。ただ一撃の破壊力としては絶大だが、そのパンチを放った一手先、二手先、さらにその先を想定してはいない。
舐めるなよ、モンスター。俺が毎日相手にしているのは、三手先どころか、数秒後の未来が見えていそうなほど先読みに長けた、元、最強の戦士。
俺の『蛇王禁縛』は第七使徒サリエルを捕まえるための魔法だ。力任せに殴り続けるだけの動きなど、容易く捕捉してみせる。
――ギャオオオっ!!
痛みよりも、怒りの方が勝る叫び声が轟く。
第四の頭が叩き潰されると同時に、第五の頭はカオシックリムの無防備な背中をガリガリと牙を立てて削り取っていった。
大蛇の牙は魔獣の毛皮に阻まれ肉を裂きはしない。だが、当初の目的通りに、食らいついた部分はしっかりと砂鉄を削いでみせた。
ギラギラと輝く真紅の毛皮が漆黒の裂け目に覗く。そして、そこを覆い尽くしていた砂鉄は、もう二度と元には戻らない。
土属性の直接操作だろうが、雷属性の電磁石だろうが、奪った砂鉄は返さない。ヒュドラの牙には、ヒツギを通して全開出力の黒化能力が施されている。削り取った砂鉄は全てヒュドラが飲み込み、ちょうど胃袋に入るように、そのまま影空間へと収納される。
生半可な火力では、コイツには目くらましにもならないというのは分かっていた。だから、魔剣用の黒化剣は最低限しかなく、砂鉄を奪う前提で、影空間にはかなりの空きを作って来た。
さぁ、たらふく食わせてくれよ、その美味しい強欲の鉄を。
「今です!」
「はっ!」
砂鉄装甲を失ったのを見逃さず、ネルとセリスは猛然と駆け出す。両者ともに残像を引きながら一瞬の内にカオシックリムへと肉薄する。
その僅かな間にも、背後や左右から襲い掛かる第六、第七の頭が魔獣の巨体に噛みつき、絶対防御の力を食い破っていった。
「『二式・穿ち』」
「『疾風烈閃』」
閃光のように、二人の武技が煌めく。
ネルのドラゴンみたいなデザインの白甲がカオシックリムの脇腹に突き刺さり、セリスの振るった旋風渦巻く白刃は肩口を切り裂く。
鮮血の華が咲くと、今度こそ魔獣が痛みに吠えた。
しかし、深追いは危険――と、そんなことは、俺が注意するまでもないようだった。二人はほぼ同じタイミングで後退。
直後、カオシックリムの周囲十数メートルに雷撃の嵐が吹き荒れた。眩しい紫色の閃光を宿す機械の右掌が高々と掲げられ、そこから発生した雷の範囲攻撃魔法がほとんどノータイムで炸裂したのだ。
絶妙のタイミングで雷撃の全包囲攻撃から離脱していた二人だが、カオシックリムは自分を傷つけた憎き獲物は逃がさないとばかりに、紫電を束ねた集中攻撃へ素早く切り替え狙いを定めてきた。
極太の雷が鞭のようにうねりながら、二人へと追いすがる。変幻自在に振るわれる雷鞭が両者の体を捕えるが――上手い。セリスは完全にタイミングを見切ってサーベルの刃で受け止めていた。
一方のネルは、何だアレ……当たった雷がいきなり妙な方向へ捻じ曲がったぞ。一見すると、右手の甲で払いのけたような動作だったが、それにしては、雷撃の挙動がおかしい。
当たり前だが、雷属性は無形の性質を持つ。モノを挟んで遮断することはできるが、掴んで曲げたり、伸ばしたり、などといったことは物理的に不可能だ。
しかし、それをやってのけたように見えるのは、目の錯覚というより、ネルの実力か、あの白い籠手の能力といったところだろう。
何にせよ、攻撃から回避、そして防御と一連の動作を見ただけで、ネルの前衛としての高い実力を理解するには十分だった。これは頼りになる。厳しい修行をしました、と言うだけはあるな。正直、格闘戦だけに限定して組手をすれば、俺は一方的にボコられるような気がする。
ここは安心して、後衛らしく援護に徹するとしよう。
「魔弾・榴弾砲撃」
グラトニーオクト戦ではお世話になった便利な爆破の攻撃魔法だが、充実した武装を持つ今の俺は、あの時のように威力不足に嘆く必要はない。
左手に構えたのは『ザ・グリード』ではなく『デュアルイーグル』の方だ。水平二連の銃口の奥には、火属性に特化した炎の魔石を弾頭にした、ストラトス鍛冶工房謹製の本物の弾丸が装填されている。これを、俺の『榴弾砲撃』として、さらに限界まで疑似火属性を注ぎ込み――トリガーを引く。
ドンっ、と大砲でもぶっ放したような轟音と馬鹿でかいマズルフラッシュが瞬く。数十メートルの距離など刹那の間に駆け抜け、放たれた二つの弾丸は轟々と雷を放ち続ける右手に炸裂。
大爆発。そう言っても差し支えない派手な炎と煙が弾けるが、この程度で本物のエンシェントゴーレムのモノである右腕を破壊できるとは思わない。
事実、即座に爆炎をふり払って姿を現すカオシックリム。その右腕は少しばかり煤けているのみで、ほぼ無傷。
だが、これで二人に対する雷撃は強制的に中断された。
ネルとセリスは反撃のチャンスを逃さない。回避行動が一転、再びカオシックリムへと肉薄する。
俺もまた、大爆発が直撃して僅かに体を揺らす隙を狙い、まだ生きているヒュドラの頭をぶつけた。
ゴォアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!
アリーナに響き渡る、カオシックリムの咆哮。
火を吹き、雷を撃ち、両者を纏う拳を振るう――と、怒り狂ったように暴れ回るヤツを、俺達は即席のパーティとは思えないほどの連携でもって翻弄し続けた。
俺が砂鉄を削り、二人が攻める。カオシックリムの反撃を見切って離脱。どちらか一方に追いすがろうとすることで、俺が援護して妨害する。そして、また隙を見て攻撃を加える――延々と、そんなことを続けていた。
俺達の戦いをテレビ画面越しに眺めている者がいるとすれば、ゲームによくいるやたらHPだけは高いボス戦を、チマチマと攻撃で削り続けている退屈な作業のように見えるかもしれない。俺にも、そういう経験はある。とっくにボスのモーションや攻撃パターンは把握し、常に安全な立ち回りができるけど、HPが高いせいで倒すのに時間だけはかかる、面倒な戦い。
しかし、このファンタジーが現実となっている異世界で、本物のモンスターとの戦いを経験すれば、この戦法が如何に過酷なものであるか理解できるだろう。あるいは、理解する前に死ぬか。
俺達は完全にカオシックリムを圧倒しているように見えるが、その実、一発でも直撃を許せば即死してしまう。死ななくとも、ほんの少しでも連携が乱れれば、戦いの流れを読み違えれば、一瞬で戦況は覆される。
こちらは即死攻撃の嵐を紙一重でかいくぐり、仲間の動きにも注意し、攻撃の手を休まず叩き込み続けなければならない。しかし、相手は一発でも当てれば勝利が決まる。大抵の攻撃は防げるし、即死することもない。
俺達は綱渡りのような戦いを強いられているが、アイツにとっては面倒くさい邪魔者、くらいの認識でしかないのだろう。まだ、ヤツを死にもの狂いで暴れさせるほど、俺達はカオシックリムを追い詰めてはいないのだ。
それでも、戦いは一つのターニングポイントを迎えようとしていた。
「……そろそろ、砂鉄も完全に剥がれるな」
カオシックリムの巨躯は、今やすっかり真紅の色合いに輝いている。黒い砂鉄は心臓のある胸元と、首回りの急所を中心に固められ、あとはもう虎縞のように全身をまばらに覆うだけ。
その分、俺の影空間にも相当量の砂鉄が収められていた。
カオシックリムが自らの肉体を覆う以上に、膨大な量の砂鉄を抱え込んでいることは、予想していた。実際、分身体にまで砂鉄を与えていたから、見た目以上の砂鉄を行使したことは明らかだ。
コイツも空間魔法を用いているのか、それとも腹の中にでも圧縮して溜めこんでいるのか、どういう原理かまでは分からないが。
俺が何度も『蛇王禁縛』で砂鉄を削り奪っても、ヤツはどんどん量を増やして装甲を回復してみせた。抱えた在庫を放出することで、今の今まで絶対防御の力を維持し続けてきたカオシックリムだが、ついにそれも限界だ。
「――セリス、次で決めます!」
「はい!」
二人が待つのは、最後の砂鉄が剥される瞬間だ。
カオシックリムはさっきからずっと逃し続けている、ネルとセリス、二人の小さな獲物を血走った眼で追う。前衛が注意を引いてくれている間に、俺も最後の『蛇王禁縛』を使う準備を整える。
「ヒツギ、再生は」
「九匹全部、完了ですぅ!」
ここまでの間に、カオシックリムに何度もブッ飛ばされては潰されてきたヒュドラの頭を、俺は黒色魔力を流し続けて再生させていた。ただでさえ魔力消費のでかい大技だ。自分の魔力がゴッソリと減っているのを、体を重くする疲労感と共に実感する。
けれど、これが決まれば『蛇王禁縛』を解除し、あとは攻撃に全力をつぎ込める。
ここが踏ん張りどころと心得て、俺は魔力を振り絞って九つの頭を完全再生させ、カオシックリムへ一斉にけしかけた。
迫りくる憎き大蛇を前に、カオシックリムは二人への攻撃を中断し、迎撃に努める。流石に、何度も喰らえば対処に慣れてくるのか。
前方から飛来する三つの頭は、右手で放つ雷撃と、左手で投げる火球の同時攻撃によって間合いを詰める前に撃ち落とされる。
その間で左右から迫る一本ずつを、雷と炎の尾を引きながら振るった拳で弾き砕く。と同時に、背中を襲う三本をその場で飛んで回避。
ターゲットを見失い、通り過ぎていくヒュドラの頭を、ジャンプから落ちてくるカオシックリムが上から踏み潰した。
流れるような動きで『蛇王禁縛』を捌いたカオシックリムには戦慄を覚えるが――良かった、これで最後で。もう少し時間がかかれば、完全に見切られてしまっただろう。
耳に届いたカオシックリムの叫びを聞いて、俺はそう安堵の感情を抱いた。
最後に残った第九の頭が、本物の蛇が獲物を捕らえるように全身を締め上げるように絡みつく。
カオシックリムは飛んで、跳ねて、転がって、アリーナの上で火がついたように暴れるが、ギリギリと体を這うヒュドラは、最後の砂鉄を見事に奪い去ってから、ボロボロと黒い砂となって消え去った。
「行きますっ!」
鋭いネルの叫びと共に、二人がついに全身赤一色と化した魔獣へ迫る。
先行したのはセリス。地を這うような前傾姿勢で、カオシックリムの剛腕の振り払いを華麗に切り抜け懐へと飛び込んだ。長大なリーチを誇る両腕の内側、それでいて、こちらの刃だけが届く、最も危険な安全地帯たるゼロ距離にまで到達していた。
「――『重力結界』、全開っ!」
初めて見る魔法だった。
リリィの『妖精結界』のように、輝く光の球がセリスの全身を包み込むように現れる。しかし、その輝きは黒と紫が入り混じった暗く不気味な色合い。
名前からして、如何にも重力を操ります、みたいな感じだが――
「位相・天」
カオシックリムの巨躯が、不自然に浮く。高密度の骨と筋肉、そして金属質な毛皮で包まれた超重量の肉体が、まるで風船にでもなったかのようにフワリと軽やかに浮いたのだ。
いや、アレは体が軽くなったのではなく、重力が軽くなったに違いない。すぐにそう気づけるのは、俺には『重力』の概念と、それを能力として用いるフィクションを何度も見た事あるからだろう。
しかし、重力を操る魔法があるなど、聞いたことがない。けれど、俺が知らないだけで、実在はしていた。少なくとも、メジャーな存在ではない。
となると、なるほど……これが、天才魔法剣士セリスの秘められた能力ということか。
俺が感心している一方で、カオシックリムは突如として発生した自分の体の違和感に驚くように、ちょっと焦った鳴き声をあげながら、宙で手足をバタつかせていた。そして、そんな無様に振り回される腕に当たるほど、セリスは間抜けではない。
重力を軽くする魔法は、渾身の一撃を叩き込むための下準備でしかないのだから。
「反転・地――『竜巻烈穿』っ!!」
セリスが手にするサーベルが『重力結界』と同じ色に染まりながら、刀身に渦巻く風も全てが黒となる。
風属性の武技に、重力の力を加算しているのか。
ただでさえ凄まじい貫通力を発揮する達人級の武技に、細身のサーベルでは持ち得ないはずの大剣が如き重量が加わるのだ。
その破壊力を、カオシックリムは今、自分の腹で体感するのだった。
――ゴオオっ!?
呻くような短い苦悶の声と共に、軽々と魔獣の巨躯が打ち上げられる。
重力が軽くなった影響だろう。絶大な破壊力を下方から叩き込まれ、そのまま吹き飛ばされてしまったのだ。
ロケットのような勢いで真上にぶっ飛ぶカオシックリムは、腹部からドっと噴き出す鮮血がブースターのようにも見えた。
即死するほどではないものの、かなりの深手だ。あの出血量なら、今度こそ本当に内臓まで抉ったかもしれない。
しかし、その程度で手を緩めるなど、狂暴なモンスター相手にはありえない。
無防備に宙を舞うカオシックリムへ、翼を広げた天使が追撃を仕掛ける。
「――『三式・乱れ咲き』」
地上十メートルほどの高さで、本当に空を飛べるかのようにネルが白翼をはばたかせながら、両拳に宿した武技を炸裂させた。
嵐のような連打。何十、いや、何百か。とんでもない速さで次々と繰り出される拳に、カオシックリムの巨体が震える。不規則にビクンと体が跳ねるのは、叩き込まれた一発ごとに『一式・徹し』と同じように魔力の衝撃波を浸透させられているからだろう。
無限に続くかのように振るわれ続けた拳撃の嵐は、軽くなった重力がようやく二人の体を引きもどし始めた時点で、打ち止めとなった。
「『三ノ型・崩れ落し』」
ゆったりと落下が始まった空中で、器用に身を翻したネルは、人の腕をとるように、カオシックリムの左手の中指を掴んだ。
直後、通常よりもゆっくりとなるはずだった落下速度が、急加速。目にも止まらぬ速さで、というより、見えない力で上から押しつぶされたかのような勢いでもって、指を掴んだネルはカオシックリムの体をアリーナへと叩きつけた。
床の白タイルは粉々に砕け散り、爆発でも起こったかのように濛々と粉塵が舞い上がる。
セリスとネルは華麗に決まった空中コンボを見事にやり遂げ、すでにカオシックリムが墜落した爆心地から素早く後退が完了している。
さりげなく、千切れた太い中指を無造作に放り捨てるネルの姿が逞しくも残酷に映った。
さて、二人の連続攻撃をモロに食らい、いよいよ致命傷かといった様子だが――
「まだだっ!」
すでに『蛇王禁縛』を終えた俺も、畳み掛けるように仕掛ける。カオシックリムの息の根を完全に止めるまでは、攻撃の手を緩めるわけにはいかないからな。
手にしたのは『絶怨鉈「首断」』のみ。渾身の『闇凪』で、今度こそヤツの首を獲ってみせる。
トドメを刺すには、今この瞬間こそが絶好の好機――という予測は、直後に響いたブゥン、という機械的な音によって覆された。
どこか聞き覚えのあるような、この音は……まずいっ!
ガァアアアアアアアアアアアっ!!
煙る粉塵の中から、絶叫をあげてカオシックリムが飛び出す。その体は正に満身創痍という表現が相応しい。
腹は『竜巻烈穿』でぶち抜かれ、胸元は『三式・乱れ裂き』でズタズタに引き裂かれ、最後の『三ノ型・崩れ落とし』によって、巨木のような左腕はねじり曲っていた。普通の人間なら、泣きわめく元気もなく、ただ苦痛に呻いてうずくまるしかないだろう重傷だが、それでも、カオシックリムは有り余る生命力と燃え盛る憤怒の意思によって、なおも苛烈な攻撃を仕掛けてきた。
振り上げられたのは、エンシェントゴーレムの右腕。俺の目の錯覚でなければ、その掌だけがやけにブレて見える。
震えている。そう、震動しているのだ。
聞こえてくる不気味な震動音が、俺に教えてくれる。これは、触れるだけでモノを破壊する、脅威の力が込められていると。
超震動粉砕装置、といったところか。こんなヤバいもんまで搭載されているとは、古代のゴーレムはよほど物騒な相手と戦っていたらしい。
ここにきて新たな能力を披露するカオシックリムだが、俺もここで退く気はない。
ただ触れただけで震動力によって壊されるから、そのまま受けたり、弾いたり、というのは難しいだろう。サリエルならやれそうな気もするが、俺の技量じゃそこまで上手く捌き切れる自信はない。
ならば回避。いや、避けることは不可能ではないが、この超震動パンチがアリーナに炸裂すれば、それだけで衝撃波が発生する。そのまま体勢を崩され、追撃をかけられる可能性も高い。
できるならば、こんな危険な武装は今の瞬間に無効化させておきたい。
つまり、俺にとれる手段は一つだけ。対抗できる手段も、ちょうど一つだけ、持っている。迷う必要など、どこにもなかった。
「――叫べ! ホーンテッドグレイブっ!!」
影より引き抜いた墓守の薙刀は、すでに全開で呪える絶叫を上げている。
生者を狂わし、死者を蘇らせ、ついでに呪いの意思を熱狂させる破滅的なシャウトは、同時に、この刃に震動の力も与えてくれる。
俺は左手に握った『ホーンテッドグレイブ』を、そのまま迫りくる破壊の拳へ真っ直ぐにつき込んだ。
交差する、魔獣の拳と墓守の刃。
ともに、宿す力は同じ。果たして、破壊力を競う勝負の行方は――
「ぐっ、おぉおおおおおおおおおおおっ!!」
俺の勝ちだ。
耐久限界を超えた、白銀のマシンアームがバキバキと砕け始めた。ホーンテッドグレイブの刃は拳のど真ん中に突き立ち、さらにテンションを上げて歌い続ける。
震える刃は拳を固めた鋼鉄の指をバラバラに粉砕し、さらには手首のあたりまで一気に吹き飛ばした。
その時点で、ぶつかり合う力の均衡が崩れたのだろう。俺もあまりの反動の強さに、左手に握る柄を手離してしまった。凄まじい勢いで、ホーンテッドグレイブは俺の手を離れてアリーナの向こう側まで吹っ飛んで行ってしまう。
回収するのは、後でいい。
彼女の頑張りのお蔭で、カオシックリムも大きくのけ反り、隙を晒す。ここだ。
「――『闇凪』」
呪いの刃は、ついに怨敵の首を切り裂いた。
「やった! クロノさん!」
「おお……」
首は落ちていない。けれど、浅い、とは言い切れないだけの手ごたえはあった。
カオシックリムの首は、二人が声をあげるほど、確かに深々と裂かれている。完全に致命傷を思わせる、凄まじい勢いで鮮血が噴き上がる。首は半分以上、切り裂かれているのだから、血管は完全に切断されきっている。
頭は支えを失ったように、ガクンと垂れて、文字通りに首の皮一枚で繋がった、といえる状態だ。
まだ、死んではいない。けれど、流石にもうマトモに反撃できるような状態ではない。
これで、勝負は決まった――はずなのに、何故だ。
「っ!?」
カオシックリムは、首から落ちかけたままの顔で、笑った。