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黒の魔王  作者: 菱影代理
第29章:混沌の化身
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第564話 混沌の闘技場

「あぁ……な、なんということだ……」

 アヴァロン国王、ミリアルド・ユリウス・エルロードは貴賓室からアリーナを見下ろしながら、呆然と絶望の言葉を口走った。

 つい先ほどまで、そこでは目に入れても痛くはない愛娘であるネルが見違えるほど勇ましく、激しい騎士選抜決勝戦に挑んでいたのだが……今や、その最高の晴れ舞台は突如として現れた乱入者によって破壊されてしまった。

 始まりは、セレーネの街を横切った強烈な光。一体、どんな強力な光か雷の攻撃魔法だというのか。それは世界を一瞬だけ眩い白に包み込み、直後に大地を揺るがす大轟音を発した。

 何らかの異常事態、何者かによる攻撃が行われた、と察するには十分すぎる現象だ。即座に試合中止、避難開始のアナウンスがなされた。外で一体何が起きたのかと場内は俄かに騒然となるが、まだパニックになるほどではない。

 闘技場の警備兵は取り決められたマニュアル通りに、観客たちへ避難誘導と冷静な行動を呼びかけ始める。

 同時に、貴賓室に座すミリアルドも、安全な退路を確保した護衛の騎士に導かれて、ちょうど席を立って避難を始めようとする、その時であった。


 ガァォオオオオオオオオオオオオオオオっ!!


 本能が、魂が、恐れおののき体を硬直させるほど、おぞましい大咆哮を上げて、ソイツは現れた。

 半分だけ開かれた屋根から飛び込んでくる、巨大な黒い影。

 逞しい漆黒の巨躯。紫電を纏う機械の右腕。怒りに燃えるような赤い右目と、憎悪が滲む紫色の左目。その姿は初めて見る恐ろしい魔獣であったが、ミリアルドはそれが何者であるかを知っている。

 その名はカオシックリム。スパーダに現れて、都市国家を転々としながら暴れ回る、ここ最近で最も警戒すべきモンスターとして有名だ。

 そして、我が国の優秀な騎士がセレーネの大灯台に追い詰め、そこで最後を迎えるはずだった存在。

 何故、ここに現れたのか。どうして、どうやって。疑問ばかりが頭に渦巻くのみで、ミリアルドに答えなど分かろうはずもない。

 そもそも、冷静に思考を巡らせるだけの余裕など、ミリアルドにも、この場にいる誰にもなかった。

 カオシックリムが、先手を打つように動き出す。

 かのモンスターが降り立った場所は、幸いにもアリーナのど真ん中でもなければ、観客席でもない。場内で最も外側に位置する、ちょうどスコアボードの掲げられた地点である。

 長辺が何十メートルもある巨大なスコアボードは、試合の状況や予定、観客へのお知らせなどで用いられる、光魔法で文字や絵を投影するための魔法装置だ。黒い石版のような外観は一見すると石碑『歴史の始まりゼロ・クロニクル』と同じに見えるが、材質は異なるらしい。

 今は避難を呼びかける内容の文面が映し出されているスコアボードへ、カオシックリムは何故か右腕を叩き込んだ。餌となりうる五万超の人々を無視して、何故、真っ先にこんな光る石版を殴ったのか。

 その理由は、叩き込まれた右腕がバリバリと激しく紫電を放つ次の瞬間に、明らかとなった。

「――待て! 陛下の避難は待て! 退路が寸断された!」

「扉が勝手に閉まった! こちら側から、解除できない!」

 耳に飛び込んでくる、騎士達の会話。それから、目で見て感じる、場内の混乱ぶりからして、状況は一目瞭然であった。

 どうやら、闘技場内の扉が全て閉鎖したらしい。

 観客席から屋外へ続く通路に、見たこともない分厚い隔壁が自動的に作動し道を封鎖していく。芸術的な装飾の施された、巨大な正門も、裏門も、通用口も。この闘技場に最初から備えられていた門、扉の類は、全てが閉じられた。

 極め付けは、未完成だと思われていた天井がゆっくりと稼働を始め、少しずつ、だが、確実に閉まり始めたことだ。

 天井が完全に覆われれば、空から竜騎士が援軍に駆けつけることさえ叶わない。これにより闘技場は、完全に外部から隔離されてしまうことになる。

 場内の扉を一括で、さらには天井の開閉操作をする方法など、ミリアルドは聞いたことがない。この闘技場の管理者も、そんなものは知らないだろう。

 信じがたいことだが、その誰も知らない方法を、カオシックリムというモンスターが知っていた。スコアボードに突っ込んだ右腕から、如何なる原理か不明ではあるが、どうやら闘技場の設備を稼働させる古代の魔法システムにアクセスしているようだった。

 それはつまり、十秒もしない内に、セレーネコロシアムはたった一体のモンスターにより占領されてしまったことを意味する。

 カオシックリムは獲物達の逃げ場を奪い、ようやく、その凶悪な食指を伸ばし始めた。

「ああっ! うわぁあああああっ!?」

 自分が襲われているわけでもないのに、ミリアルドは悲鳴を上げた。王の威厳も何もない、純粋な人間としての恐怖心から。

 カオシックリムはいよいよパニック状態に陥りかけた観客席へ飛び込むと、そのまま大口を開けて、席ごと削り取るような勢いで人々を食らい始めた。頭から突っ込み、逃げ惑う人間の踊り食い。

 どこまでも下品に、野蛮に、食い散らかす犬食いをしつつも、空いた両手でさらなる獲物を求めて伸ばす。機械の右手が掴んだのは、帝国学園の応援にかけつけた少年少女達。魔物の左手が捕えたのは、幼い子供を抱えた家族連れ。

 次の瞬間、どちらも等しくモンスターの口中へと消える。鋭いナイフのような牙がズラリと並んだ凶悪なアギトが、老若男女の区別なく、ただの肉塊となるよう咀嚼し、滴る鮮血と共に飲み下す。

「ひ、ひいっ……い、うっ、うぅぐううううっ!」

「陛下!」

 あまりに凄惨すぎる捕食の光景に、ミリアルドの精神は耐えかねたようだ。

「う、くうっ……だ、大丈夫だ……余は、大丈夫である」

 すんでのところで嘔吐を耐えたミリアルドであるが、その表情は顔面蒼白で脂汗にまみれている。うらぶれた中年男の顔は、とても一国の王に相応しいとは言い切れない。

 だがしかし、容姿はどうあれ、ミリアルドはそれでも本物の王である。貴族の間でも市井でも『凡庸』と評される、優れた王ではないと自分でも知っているはいるが、それでも、父王より玉座をついで数十年。王の責務というものを、最低限は知っているつもりだ。

「護衛の騎士を出せ……民を守るのだ」

「なりません! それはあまりに危険に過ぎますぞ、陛下!」

 反対の声を上げたのは、護衛騎士の隊長ではなかった。

「よい、よいのだ、アークライト卿」

 震える手を掲げて、ミリアルドはなだめるように言う。

 その相手は、アヴァロン十二貴族の筆頭、ハイネ・アン・アークライト公爵。自分と同じく、セリスという我が子の活躍を目にするべく、この場で観戦に訪れていたのだ。

「御身の安全を第一に。この奇襲同然の状況下では、多少の犠牲は止むを得ません。ここは手持ちの戦力で防備を固め、騎士団の応援を待つべきかと」

 この場にある戦力といえば、闘技場の警備兵に、ミリアルド王の護衛騎士。他にはアークライト公爵をはじめとした、各貴族が同伴させている数名の護衛達。王と貴族の護衛は少数ながらも、その職務から誰もが最精鋭。全くの無力というわけではない。

 しかし、だからこそ、全戦力を投入させればカオシックリムを速やかに討伐できるのでは、という希望も見いだせてしまう。

「危険は承知だ。しかし、余にはこれ以上、目の前で民が虐殺される姿を直視することはでき――」

 しかし、ミリアルド王のリスクを承知で希望にかける英断を嘲笑うのが、カオシックリムというモンスターであった。

 手が届く範囲での観客を食い終えるや、カオシックリムは吠えるように口を目いっぱいに開くと、そこから何かを吐き出した。

 ブレスのように放たれたソレは、ベチャベチャとそこら中にまき散らされる。吐しゃ物、否、透き通ったゼリー状の物体であった。まるでスライムのような、というより、正にスライムそのものの質感と動きで以て、観客席の各所に散って動き出す。

 そして次の瞬間には、そのばら撒かれたスライム達は大きな人型の形状をとった。

 それは、怒りで歪めた様な髑髏の顔を持つ、騎士の姿だ。全身を覆う装甲はどれも刺々しい形状をしており、胸部などはアバラ骨を模したような禍々しいデザイン。

 スライムで構成される肉体は弾力的な質感だが、どこからともなく漂ってきた黒い霧がまとわりつくと、瞬く間に漆黒の金属装甲と化すのだった。

 右手に持つのは、巨大な鉈のような大剣。そして、鎧の各所からジャラジャラと漆黒の鎖を何本も出し、触手のように蠢かせる。

 一体、どこの国にこんなおぞましい姿の騎士がいるというのか。それとも、カオシックリムが自らの想像のみで生み出した人型の怪物なのか。

 どちらにせよ、この吐き気を催すほどの邪悪さを感じさせる黒騎士は、カオシックリムが操る分身か使い魔サーヴァントの類である、ということは一目瞭然である。その数は、十、二十、あるいは、もっと沢山。

 そんな人数でもって、凶悪な黒騎士は各所で逃げ場を失った観客の『狩り』を始めた。

「……陛下、相手が人数を繰り出してきた以上、ここに護衛を固めるより他はありません」

 万が一、最低限の守りだけを残し、一縷の望みを託してカオシックリム討伐に護衛騎士を差し向ければ、モンスターが倒されるよりも先に、自分があの黒騎士に襲われて死ぬ可能性の方が高いだろう。

 学生時代から呪い続けてきたが、ミリアルドは自分の武力のなさを、今日この日ほど恨んだことはなかった。これで、自分にもあの破天荒な親友……スパーダのレオンハルト王のような力があれば。この場を自ら率先して恐ろしいモンスターに戦いを挑み、民を守れただろうに。

「う、うむ……致し方、あるまい……」

 しかし、そんなのは騎士や冒険者に憧れる子供と同じレベルの妄想にすぎない。ささやかな闇属性魔法しか使えないのが、自分の力の全てである。

「だが、せめて、出来る限り防衛線を広げ、一人でも多く守ってくれ」

 ミリアルドはぐったりと疲れたように、力なく椅子へと座る。

「御意」

 肯定の意を発するのは、今度こそ護衛騎士の隊長だ。正確には、この日の警護の為に、わざわざ護衛に指名してきた者だ。

 カオシックリムという危険なモンスターがセレーネのすぐ近くにいる。その状況を考慮し、万が一の場合に備えて、どんな脅威からでも王を守り抜ける人選。それはつまり、アヴァロンで最強の騎士、ということ。チラリと横目で見やると、古代の彫像のように不動の立ち姿がそこにある。

 白い肌に白い髪。真紅の眼を持つ、偉丈夫。白銀の武具をその身に纏い、目の前の絶望的な惨状にも眉一つ動かさない冷酷なまでの無表情。人というより、いっそ人形と言うべきか。

 そんな頼もしい騎士に守られる自分が、情けなくて仕方がない。涙が出そうなほどに――と、目をパチパチさせた直後、視界に移り込んだ白い影に、我が目を疑った。

 避難指示が出され、とっくに無人となったはずのアリーナに、見間違いがないほどに、見慣れた姿が現れた。

「ネル……ま、まさか……ネル、なのか……」

 決勝戦の舞台へ、白翼を持つ戦巫女が舞い戻っていた。

「な、何ということだ! ネル! 今すぐそこから逃げるんだ、ネルぅーっ!!」

 我を忘れてアリーナに飛び出そうとする国王を抑えるべく、貴賓室が少しばかり混乱に陥るのは、この直後のことであった。




「私達で、カオシックリムを倒すしかありません」

 一時的にアリーナを退避し、控室にて合流した帝国学園と神学校、両校の出場選手が集った場にて、私はそう話を切り出した。

 状況は、すでに理解している。

 闘技場の扉は全て閉鎖され、今正に天井さえも完全に閉ざされようとしている。中に残るのは、五万を超えるアヴァロンの民と、国王たるお父様、それと何人かの貴族の方々。そして、私達。

 カオシックリオムが恐ろしい黒騎士の分身体を繰り出したせいで、場内の残された護衛の騎士は防戦一方を余儀なくされている。とても、カオシックリムへ直接攻撃を仕掛けられる状況にはありません。

「私に、協力してくれませんか」

「よっしゃあ、俺に任せろ!」

「待ちなさいよ、この馬鹿。もうちょっと落ち着いて考えたらどうなのよ」

 真っ先に名乗りをあげたのは、やはりカイさん。そして、すぐに止めるのもサフィさんでした。

「ネル、本気なの? 今この場には、ネロもシャルもいないのよ」

「でも、カイさんとサフィさんはいるじゃないですか。それに、兄さんの代わりにセリスもいます」

「えっ、私ですか」

 どうしてそこで、驚いた顔をするのでしょうか。私はセリスのこと、大切な仲間だと思っていますから、誇りをもって戦ってもらえればと思います。

「勝算はあるの?」

「分かりません。あのカオシックリムは、各国の騎士も手を焼いたとても強力なモンスターですから」

 何より、こうして間近でその存在を感じ取ると、分かる。アレは、私がこれまで見てきたどんなモンスターよりも強いと。

 強いて近い例を上げるとするなら、イスキア古城の時でしょうか。スロウスギルという寄生型モンスターが、頑強な大型の地竜グリードゴアにとりついて、土属性と雷属性の両方を操る強大な存在と化していた。配下を持つ、という点も似ていますね。

 あの時は、私の能力と愛称がよい相手で、『悪逆追放レディアンス・エグザイル』で寄生されたモンスター軍団は一網打尽にできた。

 その後に残ったグリードゴアだけは苦戦したけれど、無事に倒し……あれ、どうやって、誰が、倒したんでしたっけ? 確か、物凄く強い、冒険者の方が一人いたような。

 そうだ、きっと、その人が倒したのでしょう。

「正直にいって『ウイングロード』のフルメンバーでも厳しい相手だわ。今のアイツは、私達が倒した手負いのラースプンの比じゃない」

「ええ、そうですね。サフィさんがくっつけた、エンシェントゴーレムの右腕も、非常に強力な武器となっていますし」

「私のせいじゃないわよ」

「今更、そんなことを責めたりはしませんよ」

 そもそも、サフィさんがラースプンをシモベにしなければ、イスキアでスロウスギルに奪われることもなかった。カオシックリムという脅威のモンスターが生まれた原因が誰かと言えば、サフィさんの他にはいないでしょう。

 しかしながら、屍霊術士ネクロマンサーシモベ召喚士サモナー使い魔サーヴァントが、敵に奪われたり、利用されたり、といった事例は遥か古代から伝わっています。その責任の取り方は時代や地域によって異なりますが、少なくともアヴァロンやスパーダの都市国家においては、使い魔の類は全て武器と同じ扱いとされる。つまり、敵に奪われたところで、所持者の責任は問わないということです。

 イスキアでラースプンのシモベが逃げた時と、カオシックリムとして現れた時、サフィさんがスパーダ軍に自分が知る全ての情報を提供したことで、十分に法的責任は果たしたということになります。

 ですから、ただ感情的に彼女を責めることに、尚更、意味などないのです。

 そして、私自身、彼女の責任を追及する意思もありません。

「どちらにせよ、このまま黙って見過ごすわけにはいきません」

「そうだぜ、俺らだって、ここにいりゃあ別に安全ってワケでもねーだろ?」

 カイさんの言う通り、戦おうが、戦うまいが、私達の身の危険にさほど変わりはない。それならば、戦う方を選ぶのがまだ建設的というものでしょう。

「分かったわ。でも、カオシックリムと直接戦える人は、かなり絞られる、というか、ネルとセリスとバカの三人だけね」

「やはり、私は数に入っているのですね」

 だからセリスは、どうして当たり前のことを確認するのでしょうか。

「サフィさんはダメなのですか?」

「残念だけど、今回は試合だから、それ用のシモベしか連れて来てないの。カオシックリムと正面からやりあえるほど、戦闘特化の僕はいないわ」

 いくらサフィさんでも、常に全ての僕を連れて歩けるわけではありません。彼女が僕を保管する専用の空間魔法ディメンションはかなりの容量を誇りますが、それでも行使する僕は、ある程度絞られてしまう。

 武器は『幻影器ヴァーチャルアームズ』で制限がかけられるように、屍霊術士ネクロマンサー召喚士サモナーのような使い魔サーヴァントを操って戦うクラスの人は、また別な制限がかけられる。サフィさんはその制限を嫌って、あえて殺傷力はもたない、例えば糸で動きを封じる蜘蛛などのシモベを揃えて行使していました。

 クエストに挑む本気の僕と、ルールに縛られた試合だからこそ生かせる僕、それぞれを専用で作り出せるだけの技量は天才的と讃えられるべきですが……今回はそれが仇となってしまいました。

「性能的には、あの黒い分身体を相手にするのがいいところね。こんなことなら、ターちゃんも無理して詰め込んでくれば良かったわ」

「そんじゃあ、三人でやるしかねーな」

「……いえ、カイさんは、サフィさんの護衛についてあげてください」

「ええぇーっ!」

「嫌よ」

「お前が言うのかよ!?」

 嫌だと言っていても、サフィさんだって本当はそれがベストだと理解しているでしょう。

「サフィさんの僕をもってすれば、かなりの範囲で観客を守れます。だからカイさんは、サフィさんと、できれば、他の方の守りに徹して欲しいのです」

 カオシックリムに挑む私とセリス、それ以外の選手たちは全員、観客席の守りに出てもらう。皆、騎士選抜に出場できる選び抜かれた学生だから、そう簡単に負けることはないでしょうが、それでも危険な事に変わりはない。観客の命を守ることも大切ですが、彼らもまた、生き残れなければ意味はありません。

「けど、それじゃあカオシックリムは倒せないんじゃねーか?」

「きっと、外からアヴァロン軍が助けに来てくれます。私達が倒し切れなくても、時間稼ぎをするだけで、十分に意味はあるかと」

 実際、どれだけの時間がかかるかは分かりませんが、それでも、今は可能性に賭けるしかありません。そもそも、戦いにおいて僅かでも賭けられる可能性がある、というだけで十分に恵まれています。

「ちぇっ、しゃーねーな、分かったよ。今回は譲るぜ、ネル」

「ありがとうございます、カイさん」

 こういう素直なところがあるから、ひねた性格のお兄様と親友でいられるのでしょうか。実は私なんかよりも、ずっとお人よしなのではないかと思います。

「しょうがないわね、守らせてやるわ」

 そして、やっぱりフサィさんは人が悪いですね。カイさんに厳しいのは、愛情の裏返し……とは、とても思えないくらいに冷たいです。多分、本当に愛はないのでしょう。

「それでは、行きましょう。皆さん、用意はいいですか?」

「はっ、我らいまだ学生の身なれど、騎士の役目はしかと心得ております。帝国学園生徒全員、ネル姫様のご意思に従います」

 おおーっ! と、勇ましい鬨の声が上がります。

「そういうワケだ、俺らもやるぞ! 気合いいれて行けよ、お前ら!!」

 さらに、猛々しい声がスパーダの選手からも上がる。

 皆、すでに『幻影器ヴァーチャルアームズ』を解除し、本物の武器へと持ち替えている。

 『幻影器ヴァーチャルアームズ』がコピーするには、専用の空間魔法ディメンションがかけられたケースに、元となる本物の武器を収納しなければいけない。だから、コピーを持つということは、すでに本物も身につけているというということ。

 そもそも、強力な魔法の武器の能力を、本物ナシでも再現するなど、できるはずがありません。

 ともかく、今回はこれのお蔭で武器に困らずに済みました。流石に、素手で戦えと命令するのは、私も心苦しいですから。

「セリス、私達が先行します」

「はっ、姫様」

 白銀の鎧兜を纏った、正に白騎士というべき出で立ちのセリスを隣に、私は控室を飛び出し、アリーナへと逆戻りを始める。

 最初から全力でもって駆け出した私達は、見る見るうちに通路を走り抜け、地獄と化した決勝戦の舞台へと舞い戻る。

「……酷い、ですね」

 何となく察してはいましたが、観客席はもう三分の一ほどが血に染まっている。今はお父様の護衛騎士を中心に、観客席に展開させた防衛線で黒騎士と激しい戦闘が行われていますが、犠牲者の数は刻一刻と増える一方。

「あのモンスター、分身に人を運ばせているのか……何とおぞましい」

 目的のカオシックリムは、ここを自らのねぐらと定めたかのように、堂々とアリーナのど真ん中に陣取り、寝転んでいた。

 くわあ、と呑気に大あくびをするところへ、黒騎士が生やす鎖の触手に囚われた十数人の人々が連れてこられる。彼らを目の前に差し出すと、カオシックリムは首を伸ばして食らいつく。

 ほとんど一口であっという間に平らげると、血生臭そうなゲップを吐いて、次の餌を待っていた。

 残虐な怠惰の様子に、セリスが息をのむのも分かります。野生のモンスターなら、何者でも真剣になる捕食という行為においても、これほど怠けた態度で行っている。それは、野生の本能というよりも、どこか人に似た残酷性を体現しているように思えてなりません。

 そう、このカオシックリムというモンスターは、途轍もなく、邪悪な存在なのです。

「行きます、セリス!」

「はい、姫様」

 一気に駆け出す。すでに餌を与え終えた黒騎士は再び観客席へと狩りに戻っており、アリーナにはカオシックリムだけ。明らかな戦意を漂わせる私達を前にしておきながら、まるで気づいていないかのように、相変わらず寝ころんだまま。

 油断。慢心。そんな感情があるのも、知能が高い故なのでしょうか。

 どちらにせよ、私には欠片も慈悲も容赦もありはしません。黒々とした岩山のような巨体へ、私とセリスはそれぞれ左右から挟撃するような形で、初撃を放った。

「『一式・徹し』」

「『疾風烈閃ソニック・エルスラッシュ』」

 がら空きの脇腹目がけて、高密度で渦巻く魔力を乗せた掌底を叩き込む。砂鉄で覆われた真っ黒い体表は、分厚い鎧の装甲を思わせるが、内部に魔力の衝撃を浸透させる『一式・徹し』ならば容易く越えてみせます。

 インパクトの瞬間、砂鉄の装甲が弾け飛び、純粋な掌底としての威力は相殺される。けれど、解き放った魔力の衝撃は、その下の表皮と筋肉とを通り抜け、内臓を破壊――するはずだった。

「――っ!?」

 防がれた。

 文字通りに肉体を『徹る』はずだった破壊力は、あえなく弾き、散らされる。

 反撃を警戒して、私は即座に下がった。

「くっ……反射リフクレトを備えた毛皮、ですか」

 ザラザラと音をたてて、弾けた砂鉄の装甲が元通りに修復されていく。その隙間から見えたのは、真っ赤な金属光沢が眩しい、毛皮であった。

反射リフクレト』能力は、私の右籠手『紅夜』に宿っているし、『神滅領域・アヴァロン』で最後に倒した近衛騎士ロイヤルガード大盾タワーシールドでも経験している。だから、この手ごたえに間違いはない。

『一式・徹し』より放たれた衝撃波は、この反射リフレクトを持つ毛皮によって全て弾かれてしまったのだ。

 頑強な砂鉄装甲か、反射の毛皮、どちらか一枚だけなら、まだ徹すこともできそうなのですが……物理防御と魔法防御、両者を備えた二重装甲の前では、流石に分が悪い。

「申し訳ありません、姫様。こちらも防がれました」

「黒い砂鉄も赤い毛皮も、全身を覆っているようです。無暗な攻撃は控えましょう」

 絶対的な防御力の自信があればこそ、カオシックリムは動かなかった。

 舐められている、というんでしょうね、こういうのは。

 戦巫女として、最前線で敵と殴り合うようになった今だからこそ、血気盛んな戦士の男性などが「舐めるんじゃねぇ!」と激高する気持ちが、少しは分かる気がします。

「セリスが散らして、私が叩きます」

 仕掛けが分かれば、打てる手はある。あまり、人間を舐めないで欲しいですね。

「はっ!」

 即座に意図を理解してくれたセリスが、迷いなく駆け出す。私は一歩遅れて、その後ろに続く。

 愚かにも、カオシックリムは寝そべったまま、まるで動く気配がない。本当に、単なる岩山のようです。

 その山頂を削り取るように、セリスが跳躍。『千里疾駆ソニック・ウォーカー』に加えて、得意属性の一つである風で補助も行うセリスは軽々と宙を舞い、カオシックリムの無防備な背中へ迫る。

「――『旋風烈破ソニック・バースト』っ!」

 風属性を乗せた達人級の武技が炸裂。細身のサーベルから放たれたとは思えない、凄まじい衝撃波がカオシックリムの黒い背中を強かに打ちすえる。

 セリスに求めたのは、まずは物理防御を担当する砂鉄の装甲を散らすこと。私の思い通り、砂鉄は叩き込まれた凄まじい破壊力に反応し、ドっと黒い飛沫となって噴き上がる。

 普通なら、そのまま肉体ごと叩きのめす圧力と、弾ける無数の真空の刃でもって致命傷を与えるが、魔法の反射能力を持つ赤い毛皮は完全にそのダメージを打ち消していた。

 だから、私が狙うのは、ここです。

 砂鉄装甲が修復する直前、まだ真紅の毛皮が見えているこのタイミングで、一撃を与える。

「『二式・穿ち』」

 繰り出すのは、掌底ではなく貫手。指先を揃えた形は、さながら槍の穂先。鋭利な殺傷力と、さらに『徹し』と同じく内部破壊の魔力を宿した、必殺の刃と化す。

 使うのは左手。吸収ドレイン能力を宿す『蒼天』が、毛皮の反射リフレクト効果を食い破り、白竜の爪を魔獣の背へと突き刺す。


――グォオオオっ!!


 軽やかな着地を決めると同時に、カオシックリムが上げた苦悶の鳴き声が耳に届いた。

「すみません、浅かったです」

「いえ、通っただけ、凄いことです」

 流石はランク5の大型モンスターといったところでしょうか。素の肉体もとんでもない頑強さを誇ります。

『蒼天』のお蔭でほとんど反射リフレクトを破りながら、私の指先は体の中で圧縮した魔力を炸裂させることに成功しましたが、それだけで背骨を砕き、内臓を破裂させるには至りませんでした。

 この調子なら、マトモに武技を当てても、かなりの回数を重ねなければ倒し切ることはできそうもありません。やはり、人とは違いモンスターの強靭な生命力は脅威的ですね。

 けれど、たった一発でも、カオシックリムを叩き起こすには十分な威力はあったようです。

「凄い殺気だ……姫様、ご注意を」

「ええ、ようやく本気になったようですね」

 ガルル、と獰猛なうめきを漏らしながら、カオシックリムはのっそりと起き上がる。貫手を突き刺し、出血を強いた背中の傷痕は、すぐに集まり始めた砂鉄が塞いで行き、あっという間に元通り。

 そうして立ち上がったカオシックリムは、逞しい両腕を地につけて、私達の方へと向き直った。

 サフィさんがくっつけた、エンシェントゴーレムの右腕からは、バリバリと激しく紫電が散る。ラースプン生来の左腕は、メラメラと燃え盛る炎のように真っ赤なオーラが立ち上る。

 赤と紫のオッドアイは、怒り狂った凶悪な眼光をギラつかせて、私達を射抜く。

 凄まじい威圧感と殺気。常人なら、睨まれただけで失神してしまうでしょう。私も、そのあまりに強大で恐ろしい魔獣の気配を前に、自然と手足が震えてきそう。

 けれど、恐れはしません。決して、退きません。

 私の名前はネル・ユリウス・エルロード。このアヴァロンの第一王女で、民を守る義務を背負った、王族。

「私が、皆を守るのです」

 不退転の決意を固め、いざ、邪悪なる魔獣、カオシックリムとの決戦が始まろうとした、その時でした。

「――うぁあああああああああああああああああっ!?」

 突然、空から黒い何かが降って来ました。

 ソレは、完全に閉ざされようとしていた天井の隙間をギリギリで潜り抜け、そして、そのまま私の目の前、相対するカオシックリムとのちょうど中間地点で着弾しました。

 隕石でも落ちて来たかのように、凄い音と衝撃……ですが、私の聞き間違いでなければ、この黒い隕石は人の叫び声をあげていたような気がします。

「うぉおお……い、痛ぇ……無茶な加速をし過ぎたか……」

 噴き上がった噴煙の向こうから、真っ黒い人影が姿を現す。

「っ!?」

 そのシルエットを見て、ちょっと情けない感じでつぶやく男の人の声を聞いた瞬間、私の全身に雷が落ちたような衝撃が走る。急速に高まる鼓動。息が荒くなる。

 何で、どうして。この人は、誰なの――

「貴様、何者だ!」

 すぐ隣に立つセリスが発した、鋭い誰何の声に、私はハっと意識を取り戻す。ですが、ドキドキと高鳴る鼓動は収まらず、体中が高熱にうなされたように、熱くなって溜まりません。

 ああ、私は一体、どうしてしまったのでしょう。

「待て、俺は冒険者だ! カオシックリムを追って、駆けつけた!」

「その姿は……なるほど、どうやら、貴殿を模して、あの分身体を作り出したということか」

 セリスの指摘で、ようやく私は気付く。現れた冒険者の出で立ちは、今正に観客席で暴れ回っている黒騎士と全く同じデザイン。禍々しい全身鎧フルプレートアーマーに、顔を覆い隠す角の生えた髑髏面の兜。色も黒いから、下手すると分身体と間違えてしまいそう。

 でも、今の私にとって気になって気になって仕方がないのが、その隠された鎧兜の中身。

 見たい。

 どうしようもないほどの欲求が、胸の奥底から湧き上がる。

 見たい。あの人の、彼の素顔が、見たい。

「俺は――」

「危ないっ!」

 あまりに意識がボーっと逸れていたせいで、私はその動きに気づくのが完全に遅れてしまっていた。

 その瞬間、黒騎士の冒険者の背後から、怒りに燃えるカオシックリムが襲い掛かっていたのだ。

 卑怯とは言うまい。こんなモンスターを目の前にして、悠長にお喋りしていた私達の方に非がある。

 カオシックリムは、その巨体から信じられないほど素早い踏込みでもって、無防備な彼の背中に巨大な両腕が迫る。速すぎる。今から動いて、助けに入れるタイミングではありませんでした。

「『炎の魔王オーバードライブ』――『闇凪』」

 全身を駆け抜ける、とんでもない呪いの気配。赤と黒に塗れた、邪悪なオーラが轟々と目の前で吹き荒れていた。


――ガアっ!


 我が目を疑う。カオシックリムの巨体が、宙を舞う。いや、吹き飛ばされたのだ。

 あの黒騎士がカオシックリムの左腕と同じような、炎のオーラに全身が包み込まれると同時に、右手に携えていた巨大な鉈のような大剣で、振り向きざまに武技を放った。

 それが、どれほど痛烈なカウンターとなってカオシックリムに叩きこまれたのかは、その巨躯が遥か数十メートル先までゴロゴロと転がったことが表している。

「……見事な腕前ですね。さぞ、名の知れた冒険者と見受ける」

「そうでもないさ。俺一人じゃあ、アイツには勝てそうもない。悪いが、力を貸してくれないか」

 はい、と自分が彼のいいなりになる奴隷であるかのように、即答したい気持ちが湧いた。けれど、喉から出かかったギリギリのところで、言葉は止まる。自分のおかしさを自覚して。

 おかしい。今の私はおかしい。

 ドクン、ドクン、と鼓動の音がうるさい。私の視線は、ただ、髑髏面の兜に包まれた彼の顔にだけ、集中していた。

「こちらこそ、助太刀、感謝する。私は帝国学園のセリス。セリス・アン・アークライトだ。貴殿の名を聞いても、よろしいか」

「ああ、俺の名は――」

 知っている。私は、その名を知っている。

 でも、どうして……思い出せない。

「――クロノだ」

「クロノ、さん……」

 その名をつぶやくと、えも言われぬ不思議な感覚に包み込まれる。何でしょう、この気持ちは。

 心臓が破裂しそうなほどの興奮。安らかな眠りにつけそうなほどの安堵感。互いに相反する矛盾した感情はしかし、確かに私の心を満たしていく。

 だって、その名前は、こんなにも聞き覚えがあって、呼び慣れていて、懐かしくて……そして、ああ、何故、どうして……愛しくて、堪らない。

「――姫様!」

「えっ、はい……セリス?」

 あまりに思考が深みにハマりすぎていたようです。大声でセリスに呼びかけられて、私はようやく正気を取り戻した。

「この状況下では致し方ありません。冒険者クロノ殿と協力し、カオシックリムを討ちます。よろしいですね」

 言葉につまりながらも、どうにか返事をする。断る理由は、どこにもない。理由があっても、私はきっと、断れない。

 胸いっぱいに広がっていくのは、子供のように幼く純真な期待感。

 ソワソワと、まだ人見知りが激しく、とても恥ずかしがり屋だった幼い頃に戻ったみたいに、私は善意の協力者となる、冒険者のクロノさんへ、声をかけた。

「あ、あのっ……クロノ、さん……」

 静かに、彼の視線が私へと向けられる。何も言わず、私の言葉を待っていた。

 急激に高まる緊張感。ただ一言、挨拶を交わすだけ。それだけのことなのに、上手く出来る自信がない。頭が真っ白になってくる。

 でも、言わないと。早く、何か、言わないと。

「ふ、不束者ですがっ、よろしくお願いしましゅっ!!」

 自分でも、何を言ったのか、よく、分かりませんでした。

「ああ、よろしくな、ネル」

 2016年7月8日

 昨日より、私の新作長編『呪術師は勇者になれない』の連載を始めました。『黒の魔王』を読んでいる方には、是非、合わせて楽しんでいただきたいと思います(宣伝)。

 現在、第一章終了まで毎日更新中。投稿は17時。この第564話と同時に、第2話が更新されています。どうぞ、作者ページから飛んで、このまま読んでいただきたいと思います(宣伝二回目)

 それでは、『黒の魔王』と『呪術師は勇者になれない』、どちらもよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] サフィの責任について、モヤモヤしていたので、作中できちんと説明されたことです。
[気になる点] フサィさんになってる(笑)
[一言] 記憶喪失? 記憶の封印? 糞魔女に嵌められて耐え難い苦痛と悲しみの果てに。
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