第557話 聖書の呪い
「――いやぁ、まさか『ホーンテッドグレイブ』の歌だけでアンデッド軍団を乗っ取れるとは思わなかった」
『ミケーネの遺跡街』にて、意図せずして遭遇した邪悪な屍霊術士との大立ち回りを無事に終えて、俺はスパーダの自宅へと帰還。今は優雅にコーヒーカップを片手に、とりあえず先に戻っていたサリエルを相手に、出先で起きたことを語っている。
サリエルもちょうどついさっき戻ってきたばかり、といった様子だったので、修道服のまま。俺を出迎えるのにメイド服に着替える暇もなかったようだ。でも、エプロンだけは装着しているあたり、不覚にも健気さを覚えてしまった。
「屍霊術にも様々な系統があります。恐らく、マスターが容易に制御を奪えたのは、相手の術式が僕を大量かつ同時に操作する略式特化であったからだと推測される」
「ああ、アイツは一人で凄い沢山ゾンビどもをけしかけてきたけど、その分だけ魔法のかかりは『薄い』ように感じたな」
屍霊術士ゾンダー・ゾルダートの強みは、正にサリエルの言う通りであった。とにかく沢山のモンスターを、同時に、かつ短時間で、アンデッド化させ、自らの僕とする。仲間は誰もいなかったから、本当にアイツはたった一人で『ミケーネの遺跡街』のモンスターの半数近くを支配したということだ。
俺は『ホーンテッドグレイブ』のお蔭で、奴の最大の強みである『数』を完全に無効化できたから楽勝だったが、実際、恐るべき支配能力である。
「奴が言うには、自分の僕が相手に噛みつくだけで、術をかけて支配できるようになるそうだ」
「……バイオ」
「だよな!」
連想するのは、ゾンビと戦う有名なゲームシリーズ。この感染式屍霊術の秘密を聞き出した時、思わずタイトルを叫んでしまったが、ゾンダーもシモンも、何のことか全然分からん、みたいな顔をされて、ちょっと寂しかったんだ。
「日本のことが分かるのは、私だけ」
「みんなに分かってもらえなくて残念だが……まぁ、分かってくれる人が一人でもいるだけ、マシだよな」
もうサリエルでもいいから同意して欲しくて、こうして話しているわけだし。悔しいが、こういう部分に関しては、ついつい心を許していってしまう。開拓村でサリエルとの共同生活が何だかんだで楽しかったのも、同郷であるが故に、分かり合える話が多々あったという理由は大きいだろう。
「ともかく、恐ろしい能力の持ち主ではあった」
「はい、最悪の場合、都市の全住民がアンデッド化することもありうる」
正にバイオ、もとい、ゾンダーハザードである。
ちなみに、噛まれると感染するのは魔法の耐性が低い一般人や低級のモンスターで、多少なりとも抵抗力や強い精神力があるとゾンビにはならない。まぁ、耐性があっても、他のゾンビに襲われて死んでしまえば、結局はゾンビとして蘇り、めでたく奴らのお仲間になってしまうのだが。
「その分、懸賞金の額も結構なものだったぞ」
「首をとったのですね」
「いや、捕まえた」
正直、『ホーンテッドグレイブ』でゾンビ軍団を失ったゾンダーは、可哀想になるくらい反撃手段がなかった。一応、自分を守る精鋭部隊として、呪いの歌でも制御を奪えないくらいしっかりした造りの強力な僕を何体も抱えていたが……『ザ・グリード』の砲火に耐えられるほど頑強な奴は一体もいなかった。
あとはもう、俺が手を下すまでもなく、支配を奪ったゾンビ達が勝手にゾンダーをワッショイワッショイと担ぎ上げて、目の前まで連れてきてくれたものだ。ゾンビどもにどんな乱暴をされたのか、俺の前に転がされたゾンダーはパンツ一丁でボコボコにされていた上に、『我は不死者の王』と体に落書きされていた。
「情け、ですか」
「そんなワケないだろ。あの感染式屍霊術はあまりに危険だ。本人から解呪も含めて、全ての秘密を洗いざらい吐いてもらわないと、安心できないだろう」
もし、あっさり殺した結果、どこかに残っていたゾンダーの僕が暴走して増殖を始めたりしたら大変だ。あるいは、似たような術式を編み出す奴だって、現れるかもしれない。
コイツが人生をかけて作り上げた、この危険な原初魔法は、屍霊術犯罪に対する貴重な参考例となるはず。多大な犠牲の上にできた魔法だ。これからは、より多くの人を救うために活用されるべきだろう。
「犠牲者なし、犯人逮捕。状況の解決として、完璧な結果だと思います」
「お蔭で、エンシェントゴーレムの調査はロクに進まなかったけどな」
大量のアンデッド軍団で『ミケーネの遺跡街』を支配していたゾンダーがいなくなったせいで、一時的に逃れていただろうモンスター達が急激に戻り始め、街の中は新しい支配者を決めるための盛大なバトルロイヤル会場と化していた。せめてモンスター同士の縄張り決めが落ち着くまで、調査は無理だろう。
「ところで、お前の方はどうだったんだ?」
「はい、ランク4に上がりました」
こともなげに答えるサリエル。確かに、当然の結果といったところだが……同じ日に出発して、俺よりも早く帰って来てランクアップを果たしたのだから、やはりとんでもない短時間だ。どんな効率レベリングだって感じ。
「流石だな、おめでとう」
「……ありがとうございます」
瞬きしてから、さらに一拍置いて返ってきた言葉だ。俺が素直に褒めたことが、そんなに意外だったのだろうか。まぁ、そうかもしれないが。
「お前の実力なら、ランク4以下のモンスターくらい楽勝だろうけど……何か、収穫はあったか?」
「はい。ボスモンスターからハイグレードの防具を入手しました」
なるほど、防具か。そういえばサリエルは開拓村の教会から持ってきた、普通の修道服をクエストに向かう際はいつも着用している。冒険者を始めた時に、フィオナがこれで自分の装備を整えろ、と十万クランをポーンと渡したが、結局、その金で防具の類は購入していなかった。その後の冒険者生活でサリエル自身の収入もある――無論、俺もフィオナも、サリエルが自分で稼いだ金をピンハネしたりはしない――ので、それなりにまとまった額を持っているだろうが、それでも必要性を感じないのか、防具を買ったという話はきかない。そもそも、サリエルの実力で最高級品の武器である『反逆十字槍』と足となる天馬のシロがいれば、そこそこのクエストをこなすにあたって他に必要なモノなどないだろう。
そんなサリエルがわざわざ防具を手に入れた、つまり売り払わず自分のモノとした、ということは、元使徒の実力に見合った素晴らしい一品のはず。気にならないわけがない。
「そうか、それってどんな防具なんだ?」
「現在、装備していますが……ご覧になりますか?」
見せてくれ、と一も二もなく頷く。
とりあえず、目の前のサリエルは修道服にエプロン姿。『暴君の鎧』みたいなゴツい鎧ではないし、魔術士のローブを羽織っているわけでもない。とすると、パっと見では気づきづらい、籠手のみとかブーツとか、あるいは小型のアクセサリ-型とか――なんて思った次の瞬間、サリエルが脱いだ。
止める間もなく、バサリと純白エプロンと紺色修道服が舞う。
「『堕落宮の淫魔鎧』です」
それは、サリエルの真っ白い裸体に栄える、漆黒のレザー生地。黒光りする滑らかな革は、ロンググローブとニーハイソックスとなって、サリエルの完全に再生した細く綺麗な四肢を包み込んでいる。だがしかし、胴体の方はこれでもかというほど布面積が少ない。フィオナが夜になるとドヤ顔で見せつけてくる際どい面積の勝負下着よりも、さらに一回りは小さいように思える。
一体、これのどの辺に鎧要素があるのだろうか。
「おい、なんだこのエロ下着は」
「淫魔鎧です」
「ビキニアーマー?」
「淫魔鎧です」
頑なに正式名称にこだわるサリエルである。素直にヤバい格好であると認めたくないのは、サリエル本人の意思か、それとも白崎さんの残留思念のなせる技か。だったらこんなもん装備するなよ。
何にせよ、目の毒だ。サリエルの裸なんて見慣れる、と言い切れるほどではないが、開拓村の生活でシャワーをする際に何度も見ている。それでも、俺にとっては毒なのだ。猛毒といってもよい。でも視線を逸らせないところが、もう恐ろしい。
うわ、なんだアレ、よく見たら悪魔みたいな尻尾がついてるぞ。鞭のように細長い尾に、鋭いハートマークを逆さにしたみたいな先っぽ。それがサリエルの足の後ろで、右に左にユラユラ揺れ動いている。
なんてくだらないギミックなんだろう。でも可愛い、超可愛い、サリエル可愛い――ハッ!? 落ち着け、俺、魅了にかかるんじゃない!
「わ、分かった……もういいから、服を着ろ」
「この装備は鎧に分類される。下着ではない」
いや、そういう「パンツじゃないから恥ずかしくない」みたいな論理は求めていない。
「いいから、早く着るんだ」
「分かりました……ですが、着る前に一つお願いがあります、マスター」
「それは着てからじゃダメなのか?」
「この格好でなければ、意味がない」
やけに強気だ、珍しく一歩も引こうという意思がみられない。ここで、こんな痴女みたいな格好のサリエルと押し問答していてもしょうがないし、やるだけやってみるか。
「分かった、何だ?」
「首輪をつけて欲しい」
と、サリエルが差し出したのは、黒い革ベルトの首輪だった。その色艶、デザインからして、どうもこの淫魔鎧とセットのようだ。
「これくらい、自分でつけられるだろ」
「マスターにつけてもらわなければ、装備の性能は引きだせないので」
「そういうモノなのか?」
「はい、この鎧は――」
「いや、いい、詳しい説明はいらないから」
だから、この格好のままでダラダラとお喋りしてるワケにはいかないんだっての。俺の理性も、残り僅かだ。
「首輪をつければいいんだろ……」
「ありがとうございます」
サリエルから渋々、首輪を受けとり――って、この首輪、かなり淀んだ魔力を感じるぞ。ただの変態装備じゃなかったのか。
いや、たとえ凄い魔力を秘めた高性能の装備だとしても、変態的な見た目には変わりないのだが。よりによって、こんなものを選ばなくても、今のサリエルなら他に幾らでも選択肢はあったはずじゃないのか。
「はぁ、まったく、なんだってこんなモンを――どうだ?」
「もう少し、強く締めてください」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫」
「分かった……今度はどうだ?」
「いいです」
「いいのか?」
「いいです」
「よし、じゃあこれで留めるぞ――」
「ただいまです」
ガチャリ、とリビングの扉が開かれる。その声と台詞からして、現れた人物は一人しかありえない。
「ああ、おかえり、フィオナ」と、俺は当たり前の即答をすることができず、凍りついた。
何故か?
今の状況を改めて考えよう。
リビングのど真ん中で、エロマンガでしか見たことないような際どすぎるマイクロビキニに身を包んだサリエルに、俺が首輪をつけている真っ最中。この構図を見て、一体どこの誰ならば「なるほど、特殊な装備だから首輪をつけてあげているんですね」という解答を導き出せるだろうか。
これを見て、誤解しないはずがない。
だがしかし、そうだと分かっていながら、俺にはこう言うしかなかった。
「待て、フィオナ! 違う、これは誤解だ――」
気が付けば、時はあっという間に流れてゆき、遠雷の月31日。俺達の生活に、あまり変化はない。
今日も朝から、ほとんど日課となっているサリエルとの組手をしている。
「――うおおっ!」
目の前を通り過ぎていくのは、サリエルの爪先。黒い革のブーツに包まれ丸みを帯びているはずなのに、風切音さえ置き去りにして横薙ぎに通過していく空中回し蹴りは、ほとんど刃による斬撃とその鋭さは変わらない。おまけとばかりにバチバチと紫電も弾けるのだから、雷の魔剣を振るっているようなものだ。
これでも、迸っているのが普通の紫電であるあたり、サリエルは手加減してくれている。本気を出すと、俺の疑似黒色魔力に似た赤黒い雷になる仕様というのは、すでに知っている。
それでもクリティカルヒットを許せば、『暴君の鎧』の兜を被った頭であっても、脳を揺らされて失神は免れない。ついでに、雷撃の効果で兜が映す視覚映像その他諸々の機能も、一時的に強制シャットダウンさせられるだろう。
深刻なダメージ具合をありありと想像できるが、もう、そう簡単に喰らってたまるか。まだ見切って回避が成功する確率は五分五分といったところだが、今回はその賭けに勝った。
一度のジャンプ中で、三回、四回、と竜巻のように繰り出される苛烈な蹴りをどうにか凌ぎきり、ついに俺は貴重な反撃のチャンスを得る。フワリ、と重さを感じさせない軽やかな着地を決めるサリエル。だが、それは決して免れえない隙を生む。
彼女の足が地面についたその瞬間を逃さぬよう、速く、鋭く、拳を繰り出す。力の限り、いや、それ以上に、『暴君の鎧』の腕部に搭載されたサブスラスターが火を吹き、更なる加速と破壊力とをもたらす。
「ふっ」
サリエルが零す小さな呼気が耳に届く頃には、俺の拳は当たっている。彼女がかざした、掌のど真ん中。
着地の瞬間を狙うと分かり切っていただろう。どんなに素早い攻撃だろうと、予測ができていれば備えられる。
しかし、サリエルならそれくらいの対処ができるってのは、もう嫌というほど知っている。これを乗り越え、彼女へダメージを与える方法は二つ。ガードを破るほどの威力を叩き込むか、対応できないほどの致命的な隙をつくか。
そして、今回は前者の方法だ。その右手一本だけで、俺の全力に加え、ブースターで加速された渾身のストレートパンチを受け止めきれるのか――
「――っ!?」
インパクトの感触は、驚くほど軽い。強烈な反発力を強引に押し破り、サリエルの薄い胸元に力一杯、この黒い鋼鉄で覆われた拳を叩き込んでやろうと思ったのに。
いなされた、というワケではない。俺の拳は、狙い違わず確かに真っ直ぐ突き出している。そう、動いているのはサリエルの方だ。
パンチを受け止めた掌が、滑るように下へと移動していく。何て事はない、ただ、上半身を逸らしただけ。
だが、その反り具合は半端じゃない。腰から折れるように後ろ向きに上体を反らすのではなく、膝から直角に体を曲げて、そのまま仰向けに倒れ込むような勢いだ。こんな変態的な動きで必殺の一撃を凌ぐとは。
しかし、いくらサリエルでも、この体勢は無理がある。起き上がるには、一旦、地面に手を着かなければいけない。人体の構造的に、この状態からそのまま起き上がるのは不可能だ。
たとえ、この一撃を回避できたとしても、次が続かない。少なくとも、俺はここから反撃を許すほど、鈍くはない。
「ブースト!」
さらに噴き上がる腕部スラスターの勢いで、俺は強引に、だが普通に動くよりもワンテンポ早く、追撃の体勢へと移行する。この鎧の機動力をもってすれば、思い切りパンチを振り切った直後の隙を潰すことだってできるのだ。
そうして、俺の右拳は今度こそ、倒れたサリエルを叩き潰す黒き鉄槌と化して、振り下ろされる。躊躇も容赦もない。
そうだ、いくらサリエルが『堕落宮の淫魔鎧』だけを身に纏った全裸よりもエロい格好であったとしても。ちょうど両足が大きく開かれ、頭が地面につきそうなくらい上半身を沿っているせいで、俺の方に向かって際どいビキニパンツが食い込んだ股間が突き出されるような扇情的なポーズだったとしても。
俺は全力で、ぶっ潰す。これで、ようやく俺の勝ちだ、サリエル!
「私の勝ちです、マスター」
冷たい勝利宣言が、無慈悲に俺の耳を貫く。
果たして、俺の拳が振り下ろされることはなかった。
「くっ、俺の、負けだ……」
サリエルの無防備な体へ拳を繰り出す寸前、俺の喉元に刃がつきつけられていた。
今回の組手は、互いに防具のみを装備した状態で、武器はナシの格闘戦。刃という凶器を使った時点で、サリエルの反則負け、とはならない。
なぜなら、その刃はサリエルが身に纏う防具、つまり『堕落宮の淫魔鎧』の一部であるからだ。
それは、あの魅惑的なサキュバス尻尾であった。
開かれた股を潜り抜け、槍のようにピンと突き立つ。この尻尾が単なる飾りではなく、魔力を流すことで伸縮自在の上に、鋼のように硬質化できる機能がある、と聞いたのはいつだったか……そうだ、俺がこの格好のサリエルに首輪を嵌めようとしたところで、ちょうどフィオナが帰ってきて、虚しい誤解と悲しいすれ違いの結果、大荒れに荒れた時に、サリエルがどこか自慢げに『堕落宮の淫魔鎧』の機能を滔々と語った時に聞いたのだった。
今となっては懐かしい思い出の一ページ。忘れたい悲惨な体験ともいうが。
ともかく、サリエルがこのサキュバス尻尾を使った攻撃は、今回の防具アリの組手ルールにおいては有効となる。俺だって鎧の精霊推進は全開で使っているし。
それにしても、俺はかなり『暴君の鎧』の高速機動に慣れてきたと思ったのだが、それ以上にサリエルが『堕落宮の淫魔鎧』を使いこなす方が早いとは。成長しているのは、俺だけではないってことだ。
「はぁ……今回こそ、勝てると思ったんだけどな」
「元より、マスターと私の間には、それほど大きな能力差はありません。もう少し慣れれば、勝敗は五分になる」
確かに、ここ最近はようやくサリエルに一方的にボコられることもなくなった。理由は簡単。慣れたからだ。殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、機動実験並みの痛い思いを何度も経たことで、理屈じゃなく、何となくの感覚で、サリエルがどう動くのか、分かるようになってきた。
そして、後でよくよく考えた結果、その感覚のほんの僅かな一部だけだが、理解が追いつくのだ。今はようやく、サリエルが基本としている型、のようなものがぼんやり見えてきたといったところ。
「いや、まだしばらくは、追いつける気がしないな――兜解放」
兜を脱いで、ふぅ、と一息つく。六月となる新陽の月を明日に控え、早くも夏を思わせる爽やかな風が頬を撫でる。
サリエルとの組手は実戦もかくやというほど緊張感もある集中を強いられるので、短い時間でも、疲れる。結構、汗もかいたな。
「どうぞ、ご主人様」
「ありがとな、ヒツギ」
影から勝手にニョロニョロと真っ黒い触手が蠢き、その先に掴んでいる冷たい水の入った瓶を渡してくれる。壮大な雪山のイラストを背景に、アスベルの天然水、と銘打たれたラベルが張られている。
「サリーちゃんもどうぞ」
「ありがとうございます、メイド長」
最初こそ新参メイドと対抗心を燃やしていたヒツギだが、話し合いの結果、ヒツギは俺に仕える最初のメイドとして間違いなく先輩であり、立場が上である。よって、サリエルの上司にあたる、つまり、メイド長になるのだ、という理屈が、双方合意の上に成立してから、二人の仲は割と良好になっている。
不思議なものだ。あの第七使徒サリエルが、俺の奴隷で、フィオナのメイドで、ついでにヒツギの部下になっているのだから。俺がいうのも何だが、サリエルの立場は本当にこれでいいのだろうか。
考えてもしょうがないことは脇に置いといて、今は、他の気になることについて思いを巡らせてみよう。
「なぁ、サリエル……昨日の話、お前も聞いていただろ」
「はい」
裏庭の芝生のど真ん中にどっかりと座り込む。重厚な鎧姿であぐらをかく俺と、下着同然の格好で律儀に正座するサリエルが向かい合っているのは、傍から見るとシュールかもしれない。
だが、お隣のハーフリングご夫妻も、この格好で毎日俺達がド突きあっているものだから、すっかり慣れた様子。たまの休日には、お子さんと三人で俺とサリエルの血で血を洗う激しい組手の観戦を楽しんだりしている模様。見世物ではないんだが――いや、今はご近所付き合いについては置いておく。
本題はもっと、真面目なモノだ。
「アリア修道会ってのは、十字軍の手先なのか?」
「証拠はありません。しかし、十字軍の手の者に間違いありません」
俺が『暴君の鎧』を手に入れるキッカケとなった襲撃事件。あの時、輸送中の呪いの鎧の破壊を目論むどこぞの新興宗教の信者が持っていた、とフィオナは俺に聖書を見せてくれた。
それは紛れもなく、十字教の聖書に他ならない。だから、調べた。この聖書の出所を。奴らは一体、どこから、あるいは、誰から、この聖書を手に入れたのか。
フィオナはリリィが懇意にしていたという情報屋を通じて、調査を依頼した。俺も俺で、一応は冒険者ギルドで調査クエストを出したりした。
しかし、蛇の道は蛇、とでもいうべきか、先に情報をもたらしてくれたのは、情報屋の方であった。
その結果判明したのが『アリア修道会』を名乗る、アヴァロンの新興宗教団体である。聖書は、アリア修道会の教典として配布されているのだ。
「流行っているらしい。ちょっと、異常なくらいにな……まだ、奴らが現れて半年も経ってないんだぞ」
アリア修道会の名がアヴァロンで知られるようになったのは、曙光の月も終わりごろである。アークライト公爵家、というアヴァロン十二貴族の筆頭とも呼ばれるド偉い貴族様を代表に、何十人もの貴族や大商人達が多額の寄付をしたことで、一躍有名となったらしい。
はじめは、郊外にある古代遺跡を改築したボロっちい、小さな神殿を『教会』と称して居を構えていたようだ。しかし、謎の寄付が寄せられたことで話題を呼び、そして、何をどう上手くやったのか、そのまま多数の信者の獲得に成功した。
今では更なる寄付を得て、アヴァロンの大通りにかなりデカい教会、もとい聖堂を建設する予定だという。
「教祖は聖人を名乗るルーデルという少年だ。年齢は15歳、小柄で、髪は茶色で瞳は青。少女のように可愛らしい顔だ、と容姿でも評判らしいが……知っているか?」
「いいえ、私に思い当たる人物はいません。少なくとも、教会には大司教以上の位でこれらの容姿に該当する人物は存在しない」
サリエルは使徒として、十字教のお偉いさんの顔と名前は一通り記憶している。他にも、各地を転戦することで、顔見知りそのものは多い。だが、そんなサリエルでも全く知らない人物であるということは、十字教の重鎮が直々に乗り込んできたというワケではない……とも、言い切れない。
「ルーデルという少年はただのお飾り。アリア修道会を操り、パンドラに十字教を布教することを目論む黒幕がいる可能性は非常に高い」
「まぁ、そうだろうな……」
昨晩、フィオナが依頼していた情報屋からもたらされた続報と、俺が依頼した冒険者達の、それらを裏付ける情報が届き、やはり現在のアヴァロンに聖書をバラ撒くアリア修道会という組織が台頭し始めている、という状況が確定した。
そして、教祖ルーデルはただの神輿で、十字軍と繋がる黒幕がいるだろうというのは、フィオナも同じ考えだった。
「問題は、奴らがアヴァロン人として存在していることだな」
つまり「テメぇらは十字軍の手先だろう!」と断定して、俺が直接アヴァロンに乗り込んで抹殺するわけにはいかないということだ。
シンクレアの人間と、スパーダやアヴァロンのパンドラ大陸の人間に、明確な容姿や身体的特徴の差異がないことが、悪い方向に働いている。見た目でシンクレア人なのかアヴァロン人なのか、全く区別がつかないのだ。
たとえ、レキのように金髪赤眼のバルバドス人、ウルスラのように褐色肌に銀髪碧眼のイヴラーム人、というようにシンクレア人にも決まった特徴があったとしても、この色とりどりの髪や目の色、肌色をもつ人々が入り混じるパンドラ大陸にあっては、決定的な断定要素足りえない。
ちなみに、顔立ちは掘りの深い西洋系が多いが、なじみ深い日本人のような東洋系や、全くなじみのないアラブ系といった容姿の者もちらほらいる。この異世界ではとにかく、人種の判別というのが困難極まりない。
「アリア修道会はすでにアヴァロンの貴族や著名人と懇意にしていることから、摘発も困難と思われる。根回しは、すでに完了しているはず」
「くそ、俺達がスパーダにいる間に、こんな暗躍を許すとは」
「これは個人レベルで防げる問題ではない。責任を問われるべきは、アヴァロンの防諜を担当する機関」
確かに、たとえ俺がアヴァロンに移住して、スパイがこないかどうか目を光らせたところで、全く効果はないだろう。敵の潜入を防ぐのは、個人の戦力ではなく、国の組織力。特に情報戦などについては、俺は全くの専門外である。
「スパーダに教会を立てなかったのは、厳しい監視があるからか」
「その可能性は高い。戦争の矢面に立たない国家は、当事国よりも危機意識は低く、それに比例して防諜能力も低下する傾向がみられる」
これも経験者は語るってヤツか。いや、サリエルは常に最前線だから、単純にシンクレアの歴史を知っているが故ってところだ。
「アヴァロンはどうなる」
「私はまだ、アヴァロンという国について多くを知らない。政治、経済、文化、宗教。全て総合した上での、正確なアヴァロンの危機対処能力は不明。ですが、かつて無数に存在したシンクレア共和国周辺の小国家と同等のものであると仮定した場合――」
「滅びる、か」
「十字教の布教による侵略行為の有効性は、以前、話した通り」
開拓村で、ベッドの中でまるで色気のない会話をしていたものだ。そう、俺は確かに聞いている。シンクレア共和国が如何にして、アーク大陸の半分を支配するに至ったのか。
そして、十字教の布教に始まる、敵国を内部から浸食する、その恐るべき方法も。
「どうすればいい」
「アリア修道会は、アヴァロンに巣食う癌細胞。一度、その存在を許してしまった以上、殲滅は容易ではない。その対処はマスターのような冒険者個人の力量の範囲を逸脱している」
「俺達にできることは、せいぜい、情報提供と脅威を訴えかけること、くらいか」
「はい、それ以上の実力行使は――」
「分かってる、いくら俺でも、そこまで短絡的じゃない」
アヴァロンという国を丸ごと敵に回すのは、下策を遥かに通り越した愚策としか言いようがない。最悪、スパーダからも狙われるか、アヴァロンとスパーダの間で争いが起こるかもしれないのだ。
今の俺にできることは少ない……とりあえず、このテの問題はウィルに相談だな。
「しかし、こんな短期間でここまでデカくなってくると、奴ら一体、どんな魔法を使ったのか不思議でしょうがない。口先一つで、どうこうなるもんでもないだろう」
特に不可解なのは、最初にアリア修道会を話題にした、名門貴族の寄付である。どうやって多額の金銭援助を引きだしたのか。それ以前に、どのようにして繋がりを得たのか。
「魔法ではなく、呪い……かもしれません」
「呪い、だと?」
呪いと聞いちゃあ、黙ってられねぇな、という芸風には、まだなっていないつもりだ。俺が気になるのは、基本的に曖昧な物言いを避けるサリエルが、わざわざ「呪いかも」と言い出したことだ。
「三年前、一人の司祭が異端審問にかけられ、処刑されました」
異端審問の罪状は、常に背神罪。そして、必ず死刑。
問題なのは、どんな行いをして、その大罪の烙印を押されるに至ったかだ。
「十字教の聖書には、一種の呪いがかけられている、との研究結果を発表したことで、司祭に背神罪の判決が下った」
「それは、どういう呪いなんだ?」
まだ読破こそしていないが、それなりに目は通している。挨拶や日常会話で使う定型句なんかは、今でも覚えているほど。
だが、これといって違和感を覚えたことはない。せいぜい、本当にキリスト教っぽいことが書いてあるな、というパクリ疑惑を深めたくらいだ。呪いの気配なんて、まるで感じない。
「最も近い効果は、魅了」
サリエルは語る。十字教の聖書が、人間という種族にとって、どれほど都合の良い存在であるかを。
聖書は語る。人間という種族が、いかに優れた存在であるかを。
唯一絶対の創造神、白き神。ソレによって創り出された、ただ一つの完成された至高の種族。その他の人――『魔族』と蔑称をつけられるそれらは、ただ、世界が創り出される前の混沌の残滓が入り混じった、不浄の悪しき存在。人間とは決して相容れない、敵であるのだと。
聖書は語り続ける。人間の神聖さと、魔族の邪悪さを。どちらが正義で、どちらが悪であるか。遥か古代から現代に至るまで、聖書は人間達に、その甘い言葉をささやき続けてきたのである。
「――そうして、人間は十字教の魅力に引き込まれてしまう。一度、認めてしまえば、それまで信じていたモノは全てが嘘となる。蒙が啓ける。目が覚める。故に、司祭は『覚醒』と呼んだ」
「でも、俺は別に目覚めなかったけど?」
「司祭の研究は、立証されていません。私も、その『覚醒』という状態になった者を、見たことはありません」
なるほど、聖書を読むなりいきなり「おお、これこそ正しい教え! 神様バンザイ!」と涙を流して喜ぶ者はいないってことだ。まぁ、そんな状態が高確率で引き起こされたら、言い訳しようもなく『魅了』の呪いがかかっているということになるだろう。
「聖書には劇的に『覚醒』を誘発するものではないが、その文字列を読むだけで、無意識下に働きかけ、十字教の信仰へと意識誘導する、一種の催眠効果があるという説もある」
「見るだけで催眠って、そんな便利なモノが――」
ある。間違いなくあるぞ、そういうモノは。
第四の試練、ラストローズ。奴が洞窟に張り巡らせた、茨の文様。あれこそ正に、視覚効果のみで、深い催眠効果を発揮する魔法陣として機能していた。あの恐るべき淫夢の世界は、今でも思い出すとゾっとする。
「聖書の呪い、か……お前が知ってるくらい、最近になって明らかになるとは、妙な話だよな」
「いいえ、聖書の呪いを主張して処刑された者は、公式記録で千人を上回っている。古代から現代に至るまで、同じ研究結果を発表する者が、どの時代にも存在している」
「おい、それは……マジなんじゃねぇのか」
「聖書に何らかの魔法効果が隠されているのは、事実。聖書の呪いの処刑は、全て秘密裡に行われている。私が知る公式記録も、使徒の地位がなければ目にすることもない、秘密資料でした」
第七使徒サリエルの裏切りにより、十字軍の機密情報がドバドバと大放出である。まぁ、最初から俺は胡散臭い宗教だと思っていたので、十字教の正統性を揺るがす事実など、幾ら発覚したところで「やっぱりか」という感想しか浮かばない。
「それじゃあ、鎧を襲った奴らも、聖書で狂ったのか?」
「そこまでは断定できない。十字教を源流にすると思しき小規模な宗教団体が、以前からスパーダにも幾つか存在していることが確認されている。聖書がなくとも、アリア修道会との接触により、過激な行動に出るよう誘導されたと考える方が、現実的」
聖書の呪いに即効性はないから、か。信仰が普及するにつれて、より強固になるようジワジワ浸透していく、みたいな効果の方が高いのだろうか。
「問題なのは、やっぱり聖書そのものよりも、アリア修道会か……」
「クロノさん、そろそろ時間です」
俺が解決策の見えない思考の渦に囚われようとしたところで、フィオナからお呼びの声がかかった。
顔を上げれば、そこには黒い上着とプリーツスカートのブレザータイプの神学校制服に身を包んだ、フィオナの姿がある。
「ああ、もう、そんな時間か」
「はい、早く出発しなければ、卒業式に間に合わなくなりますよ」
そう、実は今日、遠雷の月31日は、俺とフィオナの卒業式でもある。
つい先日、必要な単位を取り終え、卒業試験にも無事に合格し、いよいよ冒険者コースの卒業と相成った。神学校の本来の卒業式は春に行われるが、冒険者コースだけは必要単位と試験さえ通ればいつでも卒業できる。
だからまぁ、式というよりも、ただ卒業証書を貰うだけの事務的な手続きだけなのだが……あえて、卒業式と呼ばせてもらおう。
それじゃあ、長いようで短かった、異世界での学び舎に別れを告げるため、行くとするか。
悪堕ちヒロインと言えば、エロいボンテージ風の衣装だよね! ヒロインのことを信じている奴ほど、精神的ダメージを受ける、NTR属性の攻撃。みんなしってるね。
2016年5月20日
活動報告を更新しました・・・と、先週のあとがきで告知するのを忘れていました。興味のある方はご一読を。