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黒の魔王  作者: 菱影代理
第28章:罪を重ねて
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第555話 プリムヴェールの地下神殿

 ランク4へのランクアップを目指すサリエルは、必要な討伐クエストをかたっぱしから受注しては、ペガサスのシロを駆りスパーダのあちこちを飛び回り淡々と狩りを続けていた。それはいっそ、作業とでもいった方がいいだろう。クロノが見ていれば、まるでRPGの効率レベリングのようだ、と狙ったモンスターだけを駆り尽くすサリエルを見て言うかもしれない。

 何の面白みもなく、モンスターを討伐する達成感もなく、おまけに繰り返される作業への疲労感も持たず、サリエルは機械のように戦い続けた。

 そして、サリエルが最後に訪れたのは、スパーダ南西の国境線ギリギリに位置する、ランク4ダンジョン『プリムヴェールの地下神殿』であった。

 スパーダでもアクセスの悪い領地の端っこにあること。広い地下空間があるものの、構造は単純で、宝物などが漁り尽くされていること。それでいて、濃密な魔力で満ちる内部は最低でもランク3以上の強いモンスターが群れを成して闊歩しているという、割の合わない難度。

 しかし、この『プリムヴェールの地下神殿』を訪れる冒険者は後を絶たない。なぜならば、このダンジョンにはサキュバスが現れるからだ。

「……淫魔の気配」

 表に立つ、崩れかけの小さな古代の神殿へ足を踏み入れた瞬間に、サリエルはその独特の魔力をすぐに察知した。清楚、貞淑を象徴するような性分のペガサスなどは、この淫魔特有の気配を特に嫌う。サリエルもここから三キロは離れた遠い森の中でシロを乗り捨てて、ここまでは自分の足でやってきたのだ。

 使徒として、十字教のシスターとして、クロノに奪われるまで固く純血を守り抜いてきたサリエルの貞操観念は高い。今は白崎百合子の意思もあり、尚更に高まったといえよう。しかし、それはそれとして、サリエルはペガサスのように生理的な嫌悪感を覚えることはない。淫魔も所詮は、モンスターの一種。それ以上でも、それ以下でもない。

 さして思うところもなく、サリエルは目的のモンスターがここならばいるだろうという確信を持って、淫魔の巣へと足を踏み入れた。

 地上に立つ神殿部分は、閑散としている。研究する価値もないと、打ち捨てられた遺跡のような雰囲気が漂うのみ。他の冒険者がキャンプを張っている様子は全くなかった。

 この『プリムヴェールの地下神殿』は、常に夢とロマンを追い求める男の冒険者がどっと押し寄せているわけではない。サキュバスにはある程度の出現周期があるため、その時期でなければ、ここは何の旨味もない、ただ割に合わないだけの不人気ダンジョンでしかありえない。

 サキュバスが現れない時期、この地下神殿の最奥に巣食うのは、基本的にインキュバスのボスである。サキュバスと対を成す、女性から精気を吸うことで有名なインキュバスだが、このモンスターは人型ではない。

 大きな目玉に、無数の蠢く触手の生えた、おぞましい姿をしている。サキュバスはその視覚的な見た目を生かして男を誘うが、インキュバスは己が誇る幻術をもって、女性を襲う。幻術にかかった女性は深い眠りに落ち、そこで自分の理想とする素敵な男性との恋愛を心行くまで楽しむ、甘い夢の世界を見せられる。そうして無抵抗となり、さらには夢の刺激的な内容によって高ぶった女性の肉体から、精気を吸い取るのだ。インキュバスに捕食されている女性は、その触手で眉のように全身を包み込まれるのみで、肉体に対するダメージは一切ない。全ての精気を吸い取られて死ぬまでは、安全に救出できる余地があること。また、インキュバスそのものには、幻術以外に使える攻撃手段がないこと。これらの理由から、サキュバスよりもワンランク低い、ランク3にカテゴライズされている。

 そんなインキュバスが、今回のサリエルのターゲットである。これがランクアップに必要な討伐モンスターにリストアップされているのは、単純な戦闘能力だけでなく、幻術などの搦め手にも対応できるかどうかを測るためだ。インキュバスの他にも、幻術や状態異常バッドステータスに特化した固有魔法エクストラを持つモンスターが、何種類も選べる。サリエルがインキュバスを選んだのは、これが最も確実にエンカウントできるというだけのこと。

 使徒の力はなくとも、『暗黒騎士フリーシア』の加護を授かり、それなり以上の魔力が供給された今のサリエルにとって、ランク3程度のモンスターなど、どれも十把一絡げに過ぎない。

 そうして、サリエルは全くの無警戒で地下へ通じる階段がある、神殿の奥へと向かう。

「あれは、聖母と天使の像……」

 さして広くもない神殿内を真っ直ぐ歩いただけで、サリエルは見慣れた意匠の石像を幾つも見つけた。十字教において最も神聖視される人間、白き神が愛した聖母アリアと、神の眷属たる幼く愛らしい姿の天使達は、遥か古代から現在に続くまで、石像としては定番のモチーフである。

 この神殿に飾られている石像は、ほとんどが壊れかけであるが、フワリと広がる衣に背中に翼が生えたデザインは、一目でそれと分かる。正門に飾られていた、一際大きな聖母像など、斬首されたように首だけが失われていたが、その修道服に身を包んだ清楚な姿は、シンクレア人なら見違えるはずもない。

 古代の十字教の名残を見つけたサリエルは、それでもこれといった感情もなく、地下へ続く階段を下っていった。

 すると、雰囲気はガラリと変わる。いや、表の荘厳な十字教様式の神殿は、この淫魔の巣を隠すためのカムフラージュに過ぎないのだろう。

 同じ石造りの空間が広がっているが、壁面は無数の触手がのたうっているかのように、不気味な曲線を描くレリーフがびっしりと掘り込まれている。特に異様なのは、聖母と天使の像の代わりというように、過激な衣装に身を包んだサキュバスを模った石像が幾つも設置されていることだろう。

 どれも美しく可愛らしい顔立ち、だが、シンクレアの聖像職人が下品すぎる、と激高するほどに大きな胸や尻が強調された肉体を持っていた。女性としては嫌悪感と、男性からすると性欲をかきたてるだけの体が、際どい面積のビキニであったり、完全に局部が露出するようなデザインの下着姿なのだから、シンクレアでは絶対に流通しない、発禁処分確定の石像達であった。

「……」

 だが、それもサリエルは特に思うこともなくスルー。サキュバスの巣なのだから、こういうものなのだろうと、理解と納得しかない。記憶にある白崎百合子の人格も、このテのモノを見ただけで赤面してパニックになる、というほど初心でもない。

 むしろ、愛しの黒乃真央の性癖を理解するため、男性向けの作品にもそれなり精通しており――いや、これ以上は余計な思考であると、サリエルは記憶を探るのを中断した。

 そうして、淡々と地下神殿を行くサリエルも道行は順調そのもの。道中に現れるのは、事前に調べておいた情報通りのモンスター達である。淫魔の気に当てられたせいで、通常よりも狂暴化している、というだけで、基本的にはその能力に変わりはない。

 ミノタウルスやサイクロプスなどの人型モンスターが、魔法を使うようになるわけではないし、火精霊イグニス・エレメンタルの上位モンスターの燃え盛る火の球のウィスプが氷属性の攻撃を行うこともない。サリエルはただ、襲ってくる端から、手にした『反逆十字槍リベリオンクロス』で薙ぎ払うだけで対処は事足りる。

 探索を始めて一時間と経たない内に、地下神殿の中層まで下りてきたサリエルは、そこで初めて、モンスターとは異なる気配を察知した。

「……冒険者」

 どうやら、自分の他にもオフシーズンである『プリムヴェールの地下神殿』へ潜っている者がいるらしい。

 サリエルとて、冒険者の心得というのは常識として知っている。例えばダンジョン内で出くわした場合、諍いが起きないよう基本的には不干渉、だとか。

 だが、クロノからはもしピンチになっている人がいれば、可能な限り助けてやって欲しい、と言われている。つまり、助けを求められなければ、助けに動く必要はないということ。

 サリエルは近くの気配を無視して、さっさと先へ進もうとした。

「た、助けてぇーっ! 誰かぁーっ!」

 これ以上ないほど分かりやすい形で助けを求められてしまったので、サリエルは攻略から救助へと、即座に方針を転換して走り出した。




「いやぁー、助かったわー、ありがとねサリエルちゃーん!」

 と、どこかで聞いたことのあるような軽い口調で肩をバンバン叩いてくる助けた冒険者は、第八使徒アイ――ではなかった。芸風は似ているが、断じて本人ではない。

 その冒険者は、記憶力の良いサリエルでなくても、一目見れば忘れない特徴的な姿をしている。ショッキングピンクのアサシンスーツに、同じくピンク色のマフラーに、フルフェイスの兜を被っている。

 この一風変わった、というか、ぶっちゃけ変態的としかいえない格好の冒険者の名を、サリエルは知っていた。

「『ブレイドレンジャー』のピンクアロー」

「アナタのハートに百発百中! 桃色の愛にトキメいてっ! ドキドキフルチャージ、ピンクアローッ!!」

 ビシっとポーズを決めるピンクを前に、さしものサリエルも驚きの感情を覚えた。

 というのも、明らかに日本の戦隊ヒーローをモチーフにしたであろう格好と決め台詞を異世界人であるピンクがとったからではない。

「貴女は、ガラハド戦争で私が刺した」

 はっきりと覚えている。ランク5冒険者パーティ『ブレイドレンジャー』は、自分が放った『裂神槍ゲイ・ボルグ』によって全滅していた。四人の仲間が盾となり、このピンクだけは致命傷を逃れたが、その後、奇襲を仕掛けてきたので敵意アリとみなし、『サギタ』を何本か喰らわせて排除したのだ。

「うん、めっちゃ痛かったわよ。久しぶりに死ぬかと思ったわ、マジで」

 あっけらかんと言い放つが、本人であることに間違いはないらしい。

「何故、私を恨まないのですか」

 サリエルが驚いたのは、これである。

 こと人の感情に疎いサリエルだが、使徒として異教徒と戦い続けてきた彼女は、怒りや怨みといった感情を抱える人間がどういうものであるかという、理解だけは深い。それらの感情はほぼイコールで敵意や殺意となり、第六感にビリビリと伝わってくるのだ。

 しかし、目の前のピンクからは、それがまるで感じられない。そんな直感などなくとも、彼女の台詞を字面だけで捉えても、恨みがないようにしか受け取れないだろう。

「そりゃあ、恨んでるよ。私の仲間も、みんな死んじゃったしね」

「貴女の言葉からは、私に対する恨みの感情が感じられない」

「いやいや、ここで敵対したら私の命ないでしょ」

 なるほど、それは確かに筋の通った、合理的な判断である。

 現在、ピンクはソロでこのダンジョンへ潜っている。彼女の持つ戦力は自分一人だけ。そして、サリエルとピンクの実力差は、すでにガラハド戦争で明らかとなっている。

 今回も、モンスターの群れに追われてピンチになっていたところを、サリエルが何の苦も無くひたすら槍で突き殺して切り抜けたのだから、その差が埋まっていないことをこれ以上ないほど証明していた。

「では、この状況を脱すれば、貴女は私の殺害を望みますか?」

「ははーん、さてはアンタ、良い子ちゃんだな?」

 サリエルには、その質問返しの意味が分からなかった。何の脈絡もないその問いを、彼女が理解するには、あまり難度が高すぎる。

「ガラハド戦争で戦ってたのは、誰かの指示でやったこと。殺したくて殺したわけじゃないし、戦いたくて戦ったわけじゃない。単なる操り人形……どう、当たらずとも遠からずってとこじゃない?」

 二度目の驚き。ほとんど的中といっていい。

「まぁ、だからといって、なんて可哀想な子なんだろう! 仲間が死んだことも、私のお腹をぶち抜いたことも、全部許しちゃう! とはいかないけど。別に同情はしないよ、こんな世界だもの、どこにでもある、ありふれた話ってやつね」

「やはり、貴女からは恨みを感じない」

「恨んでるよ、ちゃんと。でも、復讐するってほどでもないの。ほら、そこは私、大人だから。このテの経験は豊富だし、割り切るのは上手なのよ!」

 サリエルの経験則でいくと、大人であればあるほど、恨みが募る、割り切れない、決して許せない。そうして、後に引けない復讐心にかられ、刃を向けるのだ。愚かにも、最強の力を持つ、この第七使徒わたしに。

「それにさ、聞いてるよ、サリエルちゃん、今、奴隷なんだって?」

「はい」

 クロノの奴隷であることに、何ら恥ずべきところはない。そう断言するような、迷いのない即答。

「それなら、もう報いは受けたってことでいいんじゃないの? 私の仲間の仇は、クロノくんがとってくれたってことで」

「マスターにそういう認識はありませんが」

「結果的にそうなったんだから、それでいいの。世の中、結果が全てなのよ!」

 努力という過程を全否定するピンクである。成果主義者であるようだ。

「だから、私のピンチをサリエルちゃんが助けてくれたのも、最高の結果よ。ありがとねっ!」

「いえ、私はただ、マスターに人助けはするようにと、命令されているだけですので」

 やはり、人間の感情というのは、よく分からない。サリエルは、このピンクという妙な女性と接し、ますます人の感情への疑問を深めるのだった。

「ねっ、ところでサリエルちゃん、私と組まない? 私、このダンジョンは結構詳しいのよ。アナタだけに教える! 誰も知らない『プリムヴェールの地下神殿』の美味しい秘密!」

 うわ、怪しい……そうサリエルに思わせることが、どれだけ凄いことなのか。恐らく、ピンクは想像もつかないことであろう。




「このダンジョンがサキュバス目的のバカ男――もとい、勇敢な冒険者で溢れるってのは、聞いてるでしょ?」

 結局、サリエルはピンクアローと行動を共にすることになった。

 仲間を失った彼女は現在、ソロで活動中。再び五人組みの結成を目指し、今は再起を図るためにまずは資金集めをしている。彼女が知る地下神殿の秘密情報に基づき、一攫千金を狙って挑んだはいいものの、あえなくモンスターの群れを前に……ともかく、戦力の足りないピンクアローにとって、サリエルという最強の冒険者は喉から手が出るほど欲しい相棒であった。

 流石に即答を渋るサリエルを前に、ピンクアローが泣いて喚いて土下座することで、ようやく臨時のコンビが結成することと相成った。

「はい、ギルドで入手できる程度の情報は、全て把握している」

 かなりアレな感じのピンクであるが、コンビとなった以上は、普通に対応する。サリエルの目には、特に蔑みの色はない。人形であるが故の、優しさであろう。

「でもね、実はこのダンジョン、サキュバス以外の美味しいボスモンスも現れるのよ――っと、そこ落とし穴だから、落ちて」

「はい」

 どう考えても殺意ある言い間違えとしか思えないピンクの注意だったが、サリエルは全く言葉の通り、落とし穴が発動するという通路のど真ん中へと踏み込む。

 すると、ガコン! と重い音を立てて、通路は真っ二つに別たれる。落とし穴トラップのお手本のような発動であった。

 サリエルは落とし穴を踏み抜いてからでも脱することなど容易だが、ピンクの指示に従い、そのまま真っ直ぐ穴へと落ちて行った。

「……何もない」

「昔は毒の塗られた針山だったんだけどね。何十年も前に撤去されちゃったのよ」

 だったら落とし穴そのものを塞いでおけ、と思うかもしれないが、古代遺跡におけるトラップをはじめとしたギミックの作動方法は不明な点が多い。少なくとも、この地点の落とし穴を制御している機構は、現代の冒険者では発見できなかったことは間違いない。

「お蔭で、安全にこの隠し通路を使えるってワケ」

 石の牢屋のような落とし穴の底で、サリエルに続いて降り立ったピンクが何もないはずの壁面を探ると――

「開いた」

「これで二階層分はショートカットできるから」

 人一人がギリギリで通れるような狭い通路が、壁面に開かれていた。あらためてサリエルは、ピンクが触ったあたりの壁を見るが、やはりこれといった特徴はみられない。かなり精巧に隠蔽されたスイッチか、あるいは、指紋認証のような機能が秘められているのかもしれない。

 どちらにせよ、ピンクと行動を共にしてからの僅かな間で、確かに彼女がこのダンジョンに異様なほど詳しいということは十分すぎるほど理解できた。隠し通路と扉、トラップの配置や仕掛けの作動手順。まるで、やり込んだゲームのステージであるかのように、ピンクの行動には迷いがない。

 それでも彼女がピンチに陥っていたのは、モンスターだけは行動予測ができないからだ。どこにどんなモンスターが巣食っているのか、それはこのダンジョン内の自然の成り行きに過ぎない。どんなに慣れたダンジョンであろうと、ここは異世界という現実。決まりきったゲームの世界ではないのだ。

「――ほい、ボス部屋に到着ぅーっ!」

 あれよあれよという間に、サリエルとピンクはボス部屋へとたどり着いた。そこは、巨大な鉄の門で閉ざされた――といった入り口の前ではなく、すでに、部屋の中であった。

『白の秘跡』の実験施設を彷彿とさせる、円形の大きなホール。壁面には不気味な青白い炎が灯る松明が等間隔に設けられており、ぼんやりとだが、ホール全体を照らし出していた。

 そんなボス部屋の中で、二人が立っているのは二階に設けられた観客席のような場所である。真っ当にこの部屋へ踏み込んで来れば、このドーム型の天井に近いこの場所は、ほとんど影となって見つけることはできないだろう。まして、ここに出る隠し通路が存在するなど、夢にも思わない。

「インキュバスを確認」

「ちぇっ、ハズレかぁ」

 サリエルにとっては目的通りである、大きな目玉に無数の触手をもった不気味な姿のモンスターが、ホールのど真ん中にいるのがよく見えた。流石にボスクラスだけあって、サイズもかなり大きい。目玉の直径はニメートルほどもあり、触手の太さや長さも相当なものだ。その姿からは、どうしてもグラトニーオクトを連想してしまった。

 インキュバスの大目玉は、訪れる冒険者を今か今かと待ちわびるように、じっと正面の門へ向けられている。二人の場所はちょうど真後ろで、完全な死角である。

「いい、サリエルちゃん。インキュバスのボスはハズレよ、ハズレ。私らが狙うのは、淫魔像セクサロイドよ」

 サリエルをしても、聞いたことのない名であった。強いて言うならば、白崎百合子の記憶の中に、SF作品で人間と性交する機能を持つ愛玩用のロボットを差す造語であるという情報はある。

「それは、サキュバスを模した石像ですか?」

「ただの石像ならそこら辺に腐るほどあるでしょ。でも、ここに湧く淫魔像セクサロイドは一種のゴーレムみたいなもんよ。動くし、エッチもできるよ。実際にヤってる人は見たことないけど」

 いわゆる一つの隠しボス、というものであろうか。

 ダンジョンの中には、一定周期で特殊なモンスターが出現する……それは、そのモンスターが渡り鳥のように特定の時期だけ訪れるだとか、ダンジョンの機能によって創造されたり、召喚されたり、原因は様々だ。この淫魔像セクサロイドも、その一種であろう。

淫魔像セクサロイドの美味しいところは、着飾ってるところよ。金銀はもちろん、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド……中には純正聖銀フルミスリルのアクセや、高純度の魔石を持つのもあるわよ。そういうヤツは、大当たりね、くふふ」

 フルフェイスの中では、さぞや邪な笑みを浮かべているだろう。

「勿論、戦闘能力はあるし、武装もしてる。でも、その装備品も結構イイモノ持ってたりするから、一体倒すだけでも、いいカネになるのよ」

 貴金属のアクセサリーで着飾り、さらには一定水準を超えた装備品を持つというのなら、相当の収穫となるだろう。いわば、貴族のお嬢様と熟練の冒険者を同時に襲い、身ぐるみ剥ぐようなものである。

 インキュバスを討伐した場合は、討伐報酬と、あとはせいぜい、色々な薬の原料となる体液や触手の一部、といったささやかな素材しか、得られるものはない。

「というワケで、カネにならないインキュバス君にはさっさとご退場願おうってワケよ――ハートブレイクシュート!」

 ピンクの狙撃によって、弱点である大目玉を真後ろから桃色に輝く謎の属性の魔法の矢が突き刺さり、インキュバスは一撃で倒れた。

 魔法生命に分類されるインキュバスは、死ぬと本体である高密度の魔力体である目玉は光り輝く魔力の粒子となって霧散してゆき、そこから生える肉体の触手だけが、バラバラと解けるように散らばる。

「あとはここで二、三日待ってれば、一体くらいは今の時期なら出てくるはずだから――」

「いえ、すでに出現しているようです」

 ドロドロとした緑色の粘液を鮮血の代わりにまき散らして倒れたインキュバスの下に、一つの石像があった。

 それは、表の神殿で見かけた、修道服を纏った聖母像とそっくりである。

「うわっ、聖母型アリア・タイプの上に、この気配……間違いなく女王級プリムヴェール・クラスの最高級品だよ!」

「強いのですか?」

「ちょっと割りに合わないくらい――って、ちょっ! サリエルちゃん!」

 サリエルは躊躇なくホールへと飛び下りた。

 インキュバスの巨体の下から、始めから立っていたかのように現れた淫魔像は、やはり真正面の門を向いている。さっきのポジションなら、死角をついた狙撃ができたのだが――相手が初めからこちらに気づいていれば、意味はない。

「……クスクス」

 笑い声が上がる。サリエルでもピンクでもない。石像が笑っていた。

「フフ……ウフフ……」

 楽しげな笑い声を上げながら、淫魔像が動く。ビキリ、ビキリと石のコーティングが砕ける音をたてて、真後ろから歩み寄るサリエルへと振り向いた。

 全身を覆っていた石の表面は爆発したように吹き飛び、その下から、本物の女性と見紛うほど、真っ白く、柔らかそうな肌の質感を持つ体が現れる。そう、その全身を覆っていた修道服は、ただの石。

 貞操観念そのものを破壊するかのように、粉微塵となって砕けた修道服の下からは、男を誘うためだけに育ったかのような、豊満な淫魔の肉体が曝け出される。

 白い魅惑の体を包むのは、極小の黒ビキニ。手足には悪魔の皮でこしらえたような真っ黒いレザーの長手袋とロングブーツがピッチリと嵌められている。そして、か細い首には、分厚い革ベルトの首輪が、奴隷の証であるかのように巻かれていた。

 いわゆる一つのボンテージ衣装、とでもいうべきか。淫魔像がどこからともなく手にした、黒い茨の鞭も、そういった雰囲気を醸しだす。

 波打つ豊かなブロンドヘアの淫魔像は、目の前のサリエルへ嗜虐心に満ちた微笑みを浮かべた。

「防具も武器も、かなりのハイグレード品。美味しい獲物」

 異様な気配を放つ淫魔像を前に、サリエルはただ、握った槍の穂先に、黒き雷を輝かせた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ピンクアローが戦隊モノの一員だと思えたことです。 [気になる点] ヤンデレヒロイン達よりも、他の冒険者や主人公の男友達の方が好感を持てることは気のせいでしょうか。
[一言] ピンク何者?というか何歳?
[気になる点] 376話で『ボス部屋』は、冒険者のスラングでは ないと説明されているのですが今話では、ピンクが 『ボス部屋』という単語を使っています。 実は異邦人という伏線なのでしたら申し訳ありません…
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