第552話 英雄の肖像
一週間もすれば、新居での生活にも慣れてきた。ヒツギが当たり前のように『暴君の鎧』を乗りこなして、そこら辺を好き勝手にウロウロしていることにも。
ともかく、それなりに金はかかったけど、十年モノの廃墟とは思えないほど小奇麗に生まれ変わったこの屋敷は、一介の冒険者の住居としては破格だろう。ランク5冒険者の中には、もっと凄い豪邸を持つ者もざらにいるし、『鉄鬼団』などはメンバーの多さから、ビルみたいな大きな建物を丸ごと一つ拠点にしている。ランク4でも、貴族街に屋敷はなくても、郊外や他の町に立派な自宅や別荘を持っている者も少なくないらしい。
俺達が特別に贅沢をしているというワケではないが、それでもやはり、小市民的な日本人の感性を持つ俺からすると、凄い派手な生活を送っている気分にもなる。まぁ、館に住んでいるからといって、生活習慣が丸っきり変わったってことはないけれど。
普段にはない出来事といえば、俺の数少ない友人達が、新居のお祝いに来てくれたことくらいか。
ここへ越してきた翌日に訪れた、この館の初めての客人となったのは、やはりというか、ウィルである。
「――ふむ、存外に小さな屋敷を選んだのだな。造りはしっかりているが、貴族街の中では、いささか華美さには欠けるというもの」
「こういう方が落ち着くんだよ。俺は貴族じゃないし」
「然り、汝らしい、質実剛健な住まいというべきであろうな」
ウィルの感想は素直なものだが、実に的を得ている。
「前がボロ屋だったしな」
「うむ、アレに比べれば、どんな家でも上等となろう」
だよな、と笑い合いながら、ウィルと、当然のように一歩を後ろに着き従うセリアを、玄関ホールから出迎える。フィオナは外出中、恐らくまた怪しげな薬の材料を買いに行っているのだろう。勿論、ヒツギは人前に晒すわけにはいかない。ということで、ここは俺と、メイドのサリエルの二人だ。
客といっても、寮生活の頃ではそのままラウンジに直行だったが、曲りなりにも貴族の邸宅として建てられた館には、きちんと客間という立派な部屋が存在する。まぁ、まだテーブルと椅子くらいしか目立ったものはない、殺風景な部屋だが。
そんな寂しい客間でも、親友たるウィルはケチをつけることはないし、友人と雑談するには十分な場所である。
ただ、俺としては黙って背後に佇むサリエルとセリアのメイドコンビの気配が気になり、王侯貴族のように丸っきり存在を無視してお喋りに興じられるほどには、慣れていていないけど。ほら、女性が同席していると、下ネタとか言えないよね。
「いざ、こうして居を構えてくれると、感慨深いものがあるぞ、クロノよ」
「なんでウィルが?」
「汝は冒険者で、これまでは仮住まいであったろう。いつか、フラっといなくなってしまうのではないかと思ってな」
なるほど、俺にその気がなかったといえば、嘘かもしれない。スパーダにいるのはあくまで十字軍と向かい合う最前線だからという理由であり、この国には愛着もなければ、尽くす義理もない。必要とあらば、どこへでもいくつもり。
けど、そんなのはアルザスから逃げてきたばかりの頃の話だ。
「なんだかんだで、スパーダにはずっと世話になっているし、すっかり、慣れてしまったからな。ここに拠点を構えるのは、当然の選択だよ」
「王子として、友として、嬉しく思うぞ」
俺だって、スパーダを出てウィルと離れたら寂しいしな。この異世界じゃ、電話もメールもない。少し離れてしまったら、それが今生の別れとなるのも、珍しくない。
「おっと、あまりこんな話をするのも、気恥ずかしいものだ。ここはもっと、盛大に祝えるよう――セリアよ、アレを出すのだっ!」
「はい、ウィル様」
ふふん、といつもの自信気な表情となったウィルの後ろで、セリアは持ち運び用の空間魔法と思われる巻物を広げて、ゴソゴソと何かデカいモノを取り出していた。
それは、長辺が一メートルくらいありそうな、デカい長方形の板で、何故か布がかけられている。
「祝いの品として、これを送ろう」
「そうか、何か悪いな」
「いやいや、我の持つささやかな宝物庫しか財源がないのでな、大したものではないのだが……それでも、汝に相応しい一品を選び抜いたと自負しておる」
「おお、わざわざ、ありがとな。それで、これは何なんだ?」
よくぞ聞いてくれました、みたいな表情を浮かべながら、ウィルは腰に手をあててのけ反る。
「古来より、スパーダでは貴族の館の新築を祝う品として絵画を送る風習がある!」
「定番の品の一つというだけです」
「故に、王族の端くれたる我も、この由緒正しき慣習に乗っ取り、汝へ絵画を贈ることとした!」
「最初はクッキーでいいかな、とか言っておりました」
「しかぁし! 絵画とは選ぶ者のセンスを如実に反映するもの……何より、我の好みという以上に、汝を満足させることこそ肝要。不肖、このウィルハルト、魂の盟友として汝を理解していると自負しているが、汝へ送るに相応しき一品の選定は難儀を極めた!」
「うわっ、これ超カッケぇ! と店に入って即決でした」
「そして今ここに、我が王族として磨かれた類まれな審美眼をもってして、選びに選び抜いた至高の一枚が、これであるっ!」
長い前置きだったが、いよいよお披露目、とばかりにセリアがそっと絵に被さった白い布地へ手をかけている。ウィルの説明の適切な解説といい、発表のフォローといい、セリアが如何にメイドとして洗練されているか、メイドを持つ今の俺なら何となく分かる。
「いざっ、括目して見よ! 題して、『イスキアの英雄』っ!!」
バサリ、と布がとられ、俺はその絵を見た瞬間、思わず、叫んだ。
「げえっ、こ、これは――」
「……『アルプスを超えるナポレオン』」
背後でボソっとつぶやいたサリエルと、「ナポレオンじゃねーか!」と叫んだ俺は、完全に感想が一致していた。
恐らく、日本人に限らず世界中の人が『ナポレオン』という人物名を聞いて脳裏に思い描くイメージが、その『アルプスを超えるナポレオン』と呼ばれる絵画であろう。立ち上がった馬にクールな表情で跨り、右手を掲げて指を差すような、バッチリと決まったポーズのアレである。
奇跡の一枚、とは言うまい。プロパガンダ用に描かれたらしいから、超絶カッコいい姿で描かれるのは、当然である。たとえ本人がラバに乗っていても、逞しい荒馬を乗りこなしていたことにしておくのだ。
そして、今、目の前にある絵画に、世界に通じるほどカッコいいポージングで、俺が描かれていた。
漆黒の巨躯に、燃え盛る真っ赤なたてがみの、逞しくも禍々しい、荒ぶる不死馬に、黒き呪いのオーラが渦巻く巨大な鉈を右手で掲げ、左手でしっかりと手綱を握りしめる、カメラ目線でキメ顔の俺である。しかもこの絵画、写真を油絵風に加工したのかというほど、素晴らしく写実的で、知っている人が見れば、誤魔化しようがないほど俺の顔がリアルに描き出されているのだ。
「お、おい、何だよ、この絵は」
「うむ、この一枚はスパーダでも名の通った画家の手によるもので、何でも、イスキアからの凱旋式の際に、堂々と不死馬に跨り、凛々しく通りを突き進む汝の姿に、インスピレーションを受けて描いたという」
「いや、そういう名画誕生みたいな経緯が聞きたいワケじゃなくてだな、何ていうか、その、めっちゃ恥ずかしいんだけど」
「何を言う! これほど汝の姿をリアルに描き出した絵画など、他にはない。ああ、この絵を一目見ただけで、我は思い出す、思い出すぞぉ! あの、イスキア古城の死闘を!!」
現場にいたウィルなら知ってるだろ、俺は断じて、あの時にこんなカッコいいポーズなんて決めていないと。
というか、何でメリーに俺しか乗ってないんだ。救援に駆けつける時はネルと二ケツしていたというのに。何で省いたし。
「うむ、何度見ても素晴らしい絵だ。そうは思わぬか、セリア」
「はい、クロノ様の強さと恐ろしさ、そして、あの英雄的行動を、迫力の筆致で描き出した、スパーダの美術史に残る名画かと」
「うぉおおお……や、やめてくれぇ……」
凶悪な状態異常『羞恥』によって、俺の精神力がガリガリと削られていく。ここまで自分を美化した絵を見せられて、満足感を覚えられるほど、俺の肝は図太くない。
「はっはっは、そう謙遜するでない」
謙遜じゃねぇ、マジで恥ずかしいんだって。
しかしながら、いくら恥ずかしいからといっても、ウィルの心の籠ったプレゼントを受け取り拒否するわけにはいかない。結局、俺はこの『イスキアの英雄』をもらうことにした。
「マスター、この絵はエントランスホールに飾りますか?」
「いや、これは厳重に、倉庫に仕舞っておいてくれ」
それから数日後、次に訪れた客人第二号は、ちょっと意外な人物だった。
「やぁ、クロノくん、無事にスパーダへ帰って来たようだね。君の凛々しくも美しい、変わらぬ元気な姿を見れて、僕は嬉しいよっ!」
「……ファルキウス、何でお前、ウチの住所知ってるんだよ」
やってきたのは、スパーダでナンバーワンの人気を誇る剣闘士のスーパースター、ファルキウスである。
彼は相変わらず男でも惚れさせてしまいそうな甘いマスクで、感無量といった笑みを浮かべ、真っ白いバラの花束を抱えて現れた。ちなみに、一体どこの王子様だよ、と言いたくなるほど、男のくせにふんだんにフリルのあしらわれたド派手な衣装を着ている。罰ゲーム級の恥ずかしい服装だが、コイツくらいの超絶イケメンが着ると、似合っているから悔しい。ファルキウスの美貌を飾りたてるためオーダメイドされたかのように、完璧な着こなしである。
「ふふっ、君のことなら、僕は何でも知っているよ」
「えっ、なにその解答、怖いんだけど」
チャーミングなウインク付きで、そういうストーカー的な発言されると引く。このままドア閉めるぞ。
「はははっ、冗談さ。この館は貴族街でも悪名高い物件でね。それを買い取った奇特な者がいるとなれば……」
「何だよ、そんなに噂になってるのか」
「少なくとも、この辺で知らない者はいないだろうね」
悪目立ちしているのは勘弁して欲しいが、噂になるのも、この館の経歴を考えれば当然かもしれない。でもまぁ、今のところこれといって問題はないから、別にいいか。その内、ここがごく普通の屋敷になって、俺達が生活していることを知れば、七十五日を待たずして興味などすぐに薄れるだろう。
「それで、いきなり来て、どうしたんだよ」
「勿論、君の帰還祝いさ。本当はもっと早く駆けつけたかったけれど……ごめんね、クロノくん。僕も仕事の方が忙しくて、なかなかスケジュールが」
「いや、別に、気にしてないから」
というか、ファルキウスに祝われる謂れもない気がするんだが。
「いいや、僕は気にするよ。だってクロノくん、君は僕の……大切な友人、だからね」
「友人、か」
つい最近、別れのあった俺からすると、少しばかり心の痛む言葉である。だが、いつまでも女々しく、気にしているワケにもいかない。
「少なくとも、戦友ではあるよな」
「そうそう、そうだよクロノくん! 君と肩を並べて戦ったことは、僕のこれまでの人生の中でも、一番、充実した時間だったよ!」
流石のプロ剣闘士も、あのタウルスほどの巨大な相手と戦ったことはないということか。あんなデカブツをぶっ倒せれば、そりゃあ興奮もするか。
「あの時は助かったよ、ありがとな。時間があれば、少し上がっていくか?」
「ええっ、いいのかい!?」
俺はいいけど、ファルキウスのようなスーパースターが、貴重なオフの時間をこんなところで過ごすはずがないだろうから、まぁ、社交辞令みたいなもんだ。
「忙しいだろうから、無理にとは言わな――」
「ありがとう、クロノくん! 是非、お邪魔させてもらうよっ!!」
晴れやかな笑顔でそう言い切るファルキウスを、俺は今更「やっぱダメだわ」と断ることなど、できるはずもなかった。
「――でね、とても景色が綺麗で、いい街だったよ」
「おお、それはいいな。今度行ってみるよ」
意外なほどに、ファルキウスとの会話は弾んだ。ただの男友達だし、相手も執事やメイドなどの従者は連れていないから、サリエルは同席させていない。
貴族ではないが、そこらの貴族よりもよほど贅沢な暮らしをしているスーパースターな彼であるが、この殺風景な客間を見てもケチも皮肉も言わないし、サリエルが出したコーヒーを美味しそうに嗜んだり、本当に、気心の知れた友人のように気さくだった。ブラックを好んで飲むとは、大人な味覚である。
これまでファルキウスと会った時は常に他の人の目もあったから、あの親しげな態度は演技なのかも、という可能性もちょっとくらい疑ったりもしたが……どうやら、彼の馴れ馴れしい、もとい、接しやすく親しみやすいキャラは、生来のものであるようだ。まさか、本当に性格までイケメンとは、恐るべき男である。
何より凄いと思ったのは、俺がスパーダに戻るまでのことを、巧みに避けて話題にしないことだ。恐らく、いや、間違いなくファルキウスは、俺がこの事についてあまり話したくない、というのを察して、気を遣ってくれているのだ。
会話のネタを提供するのはもっぱらファルキウスの方で、知られざる剣闘士の生活や、海外公演で色々な国々を巡ってきたことなど、面白おかしく話してくれる。正に圧倒的コミュ力。
この顔とこの声、そして何より、優しく親しげに語るファルキウスを前にすれば、大抵の人間は『魅了』されずにはいられないだろう。コイツが人々の人気を公に集められる、一種のアイドルともいえる剣闘士をやっていて、良かったと思える。もし、ファルキウスが邪教の教祖でも始めれば、凄まじい数の信者がついたことだろう。魅力というのは、それほどまでに、恐ろしい『力』でもあるのだ。
「ところでクロノくん、実はもう一つ、君にプレゼントがあるんだ」
「そうなのか? いや、でも何か悪いな、もう花束も貰ってるし」
抱えてきた白バラは、早速、サリエルが生けて、この殺風景な客間に彩りを添えてくれている。
こんなの大したモノじゃない、と笑っていたけれど、実は俺、この白バラがスパーダではかなりの高額で販売されている、高級品であることを知っている。フィオナとのデートで覗いた店先で「マジかよ、花一本でこの値段!?」と密かに驚いたのは記憶に新しい。
「こっちは新居の祝いも兼ねているから。知っているかな、スパーダでは、こういう時には絵画を送るのが定番の一つなんだ。芸がないけれど、今回は僕もそれにあやかってみたよ」
つい最近、どこかで聞いたような話である。一体、どこの誰だったか。
「そ、そうなのか……」
いかん、あまりに嫌な予感がしすぎて、思わず声が上ずってしまった。
落ち着け、まさか二枚目の俺様ナポレオン絵画がプレゼントされる、なんてことはあるまい。アレはちょっと中二病入ったウィルだからこそのチョイスだ。
「本当はもっと気の利いたモノが良いと思っていたんだけれど、偶然、入った店で、一目惚れしてしまってね。プレゼントするなら、この絵しかないって、思ったんだよ」
「お、おう、それは楽しみだ」
大丈夫、今度こそ、大丈夫なはず。
俺は祈るような気持ちで、ゴソゴソと空間魔法のかかった鞄を漁るファルキウスを見つめた。
そうして出てきたのは、あの絵と同じくらいの大きさ、それでいて、やはり同じように白い布で覆われた一枚である。見せつけるように目の前にドーンと置かれると、ファルキウスはもったいぶることもなく、思い切って布を取り払った。
ああ、どうか、マトモな絵でありますように!
「さぁ、この素晴らしい絵を見てよ、クロノくん。題して――『ガラハドの悪夢』」
それは正しく、悪夢のような一枚であった。
その絵を見て真っ先に目に入るのは、艶めかしい乙女の白い肌と、痛ましくも鮮烈な血の紅。真っ白い肌に白銀の長髪を振り乱す美しい少女の姿が画面の手前に描かれている。しかし、彼女には両手と両足がなかった。一つは鋭い刃で切り落とされたように、また一つは、力づくで引きちぎられたように。凄惨な傷痕を晒し、血塗れとなったその身は、纏っていただろう純白の衣が大きく引き裂かれ、無残な裸体を晒す。
しかし、何よりも見る者に悲惨さを訴えかけるのは、この少女が長い髪を乱暴に掴まれていることだろう。
後ろから伸びた血塗れの手が、美しい銀髪を掴み取っている。それは一体、どんな悪鬼羅刹の所業かと思わせるだろうが、その腕の持ち主は、恐らく、その想像を絶するだろう。
憤怒、という一言ですら生ぬるい、凄まじい形相で雄たけびを上げる、一人の男がその正体だ。黒い髪は怒髪天を衝くを体現するように逆立ち、あまりに恐ろしい赤黒二色の眼光が、目の前で捕えた少女か、あるいは、この絵を見る者を呪うかのように睨みつけていた。
血塗れの裸身は少女と同じだが、その体は鍛え上げられた筋肉の鎧で覆われており、それでいて、無数の傷を刻み込んだ歴戦の肉体でもある。大きく屈強な男の体と、小さく華奢な少女の体の対比は、とても同じ人間という種族とは思えないほどの差を感じさせる。
天使か聖女というほどの美しい少女と、悪魔か狂戦士かといわざるをえない恐ろしい男――つまり、俺とサリエルだった。
「う、うわぁ……」
ぶっちゃけて言うと、怒り狂った俺が、四肢切断の達磨状態なサリエルの頭を掴んで、後ろから……してるようにも見える非常に際どい構図の一枚だ。芸が細かいのは、よく見ると俺の足元には白銀の鎧兜を纏った騎士が何十と折り重なって倒れた、死体の山であったりするところ。背景には煉獄と同じ燃えるような赤い空だが、小さく映ったガラハドの大城壁と、その向こう側に少しだけ覗く城郭と背の高い戦塔ファロスの影が、俺の記憶にあるのとピタリと一致するほど、正確に描かれていたりする。
それが、『イスキアの英雄』と同じように、写実的でありながら、その場の雰囲気さえ感じさせるほどリアルな筆致で描き出されている。
それはかつて俺が見た、どんな凌辱系エロマンガよりも迫力を感じさせる。心を深く抉る、トラウマになるほど。
「なんだよこれ……」
「うん、これはスパーダでも名の通った画家の手によるものでね、ガラハド戦争でのクロノくんの活躍と……そして、君が倒したこのサリエルを伴ってパンドラ神殿を訪れていたところを、偶然目撃したことで、一気にインスピレーションに火が付いたらしいよ」
おい、名の通った画家、またお前か。というか、戦功交渉の後で加護証明の儀式にパンドラ神殿に行った時に、ソイツがいたのか。人の目ってのは、どこにあるか分かったものじゃないな。
けど、今気にすべきなのはそんなことじゃない。あまりにショッキングな絵を見たことで、ほとんど頭が真っ白なままだ。
「ああ、それにしても、やはり何度見ても、素晴らしいね。一見すると、バイオレンスとエロティックに溢れた下品な絵に見えるけれど……この少女と戦士の肉体を現実以上の迫力で描く圧倒的な画力! そして何より、クロノくんの魅力をこれほどまでに引きだしているのが凄い!!」
「えっ」
俺の魅力って一体……
「それに、これがガラハド戦争で一番の活躍を果たした英雄の戦いを描いたという前提もあってこそ、この絵に深い意味を与えるよ。この無残な姿の美しい少女が、恐るべき敵の象徴でもあり、それを圧倒的に蹂躙する狂戦士こそが、我が国を救う英雄であるという対象は、ある一面で戦争の悲惨さというのも含んでいて――」
俺にはちょっと、ファルキウスが何言ってるか全然分からないのだが、とりあえずその場は、評論家のようにズラズラと美辞麗句と深い考察の語りを、聞き流すより他はなかった。
「――それじゃあね、クロノくん。今日は本当に楽しかったよ。今度は是非、僕の家にも遊びに来てよね」
語るべきことは全て語った、と満足そうなファルキウスを見送ってから、俺の行動は早かった。
「マスター、この絵は――」
「いい、その絵は俺が自分で倉庫に片付けておくから」
何が悲しくて、サリエルと一緒にこんなトラウマシーンの絵を見なければいけないのか。いや、違う、ここに描かれているのは、俺とサリエルではない。俺はここまで筋肉が膨れ上がってはいないし、別に傷痕も残っていない。サリエルだって、この絵だと微妙に胸が大きいし。左腕までは切断してないし。そもそも、ガラハドではまだやってない!
だから、これは違うんだ。
必死にそう自分に言い聞かせて、俺はどんよりした気持ちで『ガラハドの悪夢』を倉庫の奥深くに封印したのだった。
「よう、クロノ! 家を買ったんだってな、暇つぶしがてらに祝いに来てやったぜ!」
ファルキウスが悪夢の絵画を置いていった翌日、お客様三号が現れた。
ツンツンした金髪の大柄な少年は、ここ最近では随分と見慣れた、『ウイングロード』の剣士カイである。
ついさっきまで闘技場で剣を振り回してから、そのまま真っ直ぐ走って来ました、みたいな感じで、制服の上着がはだけたラフな格好。アポなしで家に遊びに誘いにくる小学生みたいな勢いだな。
まぁ、ウチは格式高い貴族でもなんでもないから、友人の来訪は普通に大歓迎である。
「よくウチが分かったな……いや、もう有名なんだっけ」
「おうよ! それにしてもクロノ、お前よくこんな呪われた家に住めるよな。俺、ガキの頃こっそり侵入して死にかけたことあるぜ」
さらっとヤンチャ自慢なカイを、折角訪ねてきてくれたということで、とりあえず家へと招き入れる。客間には、ファルキウスの白バラが綺麗に咲き誇っている。けど、やはりまだまだ寂しい室内だ。
もっとも、カイに限ってはまず間違いなく、内装の貧しさにケチをつけることはないだろう。
「お、なんだこの黒いの! 妙に苦いけど、なんか癖になる味だな!」
カイもコーヒーはブラック派であった。訪れた客に毎回コーヒーを出しては、反応を楽しみにしている俺がいる。
それにしても、裏表なく明るく爽やかなカイは、本当に親しみやすい。もう何度も手合せしているってのもあると思うが、気づけばお互いに遠慮というものがほとんどない。
これでいて、スパーダ四大貴族のガルブレイズ家の次期当主、長男なのは間違いないのだが、ついそのド偉い身分を忘れてしまう。
「――あっ、そうそう、新しい家を建てた奴には絵を送るらしいから、ちゃんと俺も持ってきてやったぜ!」
割と楽しい男友達との会話も束の間、カイがまたしてもどこかで聞いたようなことを言い出して、俺の背筋に悪寒が走る。
「い、いや、それは……ちょっと、遠慮させてもらおうかな……」
「おいおい、遠慮なんかいらねーって! 俺はあんま芸術とか分かんねーけど、一目見てグっときたから、絶対いい絵だからこれ!」
ますます不安になることを言いながら、カイはもうすでに案の定デカい絵を取り出して、画面を隠す白い布の覆いへと手をかけていた。
あ、ちょっと待って。まだ心の準備が――
「どうよ、題して『戦場へ向かうエレメントマスター』だってよ」
そこには、やはり俺が描かれていた。不死馬のメリーに跨ってはいるが、前足を掲げて荒ぶっていることもなく、静かに歩を進めている様子。
むっつりとしたややしかめ面――怖い、と言われるが、絵の中の俺は普段通りの表情で、手綱を握っている。
そして、そんな俺の膝の上には、にこやかにほほ笑むリリィがいて、隣で轡を並べるマリーに跨ったフィオナが、いつもの眠そうなボンヤリした表情で描かれていた。
それは、俺達『エレメントマスター』の日常の一コマをそのまま切り取って来たかのように、どこまでも自然な、けれど、今はもう失くしてしまった、懐かしい風景であった。
「こ、これは……」
「ガラハド戦争に行くとき、お前ら神学校から出発しただろ? この絵を描いた奴は俺の友達なんだけどよ、ソイツもそん時、いたんだってよ。そんで、えーと、インスピなんとかが湧いたとかで、描いたって言ってたぜ!」
なるほど、背景には見慣れた神学校の本校舎が見えるし、ちょうど正門を潜り抜ける瞬間で描かれている。まぁ、あの時の俺は、ネルと今生の別れを覚悟してちょっと涙目でリリィに慰められたりしてたけど……生徒達には後姿を向けていて良かった。
「ありがとう、カイ。素晴らしい絵だ」
「おっ、そうか、喜んでくれて良かったぜ!」
ああ、カイの弾ける爽やか笑顔が眩しい。後光が差して見えるレベル。
そうだよ、俺はこういうのを求めていたんだ。素敵なワンシーンをチョイスして、重厚な油絵で自分達の姿が描かれていることに、俺は今、素直に感動できている。
「いい、凄い、いいぞ……」
「あっ、悪ぃクロノ、ちょっとトイレ貸してくれよ」
「おう、出たら突き当りを右だから」
俺は食い入るように、素晴らしき『エレメントマスター』を描かれた絵画を感無量の心境で鑑賞していると――
「うわぁああああああああっ! さ、サリエルっ!? なんでテメーがここに!!」
あ、そういえば、まだカイにサリエルがメイドになってる件を伝え忘れていた。
ほどほどに事情を話し、今度、二人で手合せするという約束してから、カイは颯爽と去っていった。
それから、また数日が経ってから、ついに、俺が最も待ち望んでいた人物が訪れた。
「……久しぶりだね、お兄さん」
サラサラと流れる灰色の髪に、円らな翡翠の目。ツンと違った特徴的な長耳を持った、エルフの美少女、もとい、美少年は、俺の記憶にあるのと変わらぬ姿で、そこに立っていた。
「ああ、待ってたぞ、シモン」
そうして、俺はようやく、この小さな親友と再会を果たしのだった。