第530話 新たなる防具を求めて
「……何かありましたか?」
「いや、別に、儀式は問題なく終わったよ」
それとなく視線を逸らしながら、フィオナに無事に終了した旨を伝える。後の結果はパンドラ神殿と同行してきたスパーダ騎士が王城へ報告に戻るだけで、俺達にはこれ以上すべきことは何もない。
つまり、ここで解散となる。
しかしながら、折角パンドラ神殿まで来たということで、とりあえず手足の欠損再生治療が必要なサリエルを診てもらうことにした。パンドラ神殿は加護に関わること以外にも、医療機関としての役割も有している。伊達に馬鹿でかい建物をしているワケではないのだ。ちなみに、スパーダの下層区画にも幾つか神殿の病棟があるし、外壁から離れたところに隔離病棟なんてのもあるらしい。
そんなワケで、サリエルの治療にどれくらい時間がかかるのか、そして、幾らほどかかるのか、俺は知っておかないといけない。
「クロノさん、どうします?」
「一応、ガラハド戦争での報奨金は出るみたいだし、もう治療を初めてもいいだろう」
結論としては、サリエルの治療はおよそ三ヶ月、治療費は五千万クランほど。全治三ヶ月と聞けばそれらしく思えるものの、流石に費用の方はぶっ飛んでいる。難病に苦しむサリエルちゃんのために手術費用の募金をお願いしまーす、と駅前で呼びかけてしまうようなお値段設定である。
しかしながら、右手と両足、実に三本もの部位を完全に元通りに再生できるのだから、これでも破格の治療費といえるだろう。事実、普通の人だったら腕一本だけで五千万かかるらしい。さらに、その治療期間も一年以上はかかる。
何故サリエルの治療費がこれほど安く、さらに早く済んでいるのか。それは他でもない、この超人的な改造肉体によるものだ。
手足こそ再生できないものの、治癒魔法を受けての再生力は常人の比ではない。自然回復力も野生のモンスターを上回るほどだし、体力的に厳しい治療なども平気で行える。だからこそ、常人に比べて凄まじい速さで再生治療もできるし。時間がかからない分だけ安くなるし、強靭な肉体と回復力から治療そのものの手間もかからないというワケだ。
俺としては、なるほど、確かにそうだよな、とすんなり納得いくが、診察した神官は随分と驚いていた。まぁ、『白の秘跡』謹製の改造ホムンクルスが診察に来ることなんて、未だかつてないだろうからな。
ともかく、お安い治療費と短い通院期間、おまけに金のアテもあるということで、俺は早速治療を始めた方がいいと思ったのだ。
「そうですね、いつまでも介護するワケにはいきませんから。早く奴隷として働いてもらわなければ、困ります」
フィオナとしては当然の言い分であるが、そこに棘を感じるのは俺がサリエルに対して贔屓しすぎているからだろうか。
「でも、介護は必要ないよ。回復するまでは、義手と義足で代用できるからな」
サリエルはすでに『紫電黒化』という、俺でもまだ編み出していなかった黒魔法を扱える。サイズの合わない籠手と具足でも、本物の手足のように自由自在に操作できるこの魔法があれば、日常生活を送るのには何の支障もない。
グラトニーオクトと戦った時は、加護に目覚めた直後に、必殺武技の『魔神槍』をぶちかましたことで魔力が底を突いたから強制解除となっていたが、戦闘以外ではそういう状況は心配する必要はない。流石に無限魔力の使徒と比べれば劣るが、サリエル自身の黒色魔力保有量はそれなり以上のものである。
恐らく、現在の魔力量こそが、加護を得る前にサリエルが持ち得ていた自前の保有量なのだろう。
「サイズの合った、適当なモノがあればそれで事足りる」
「では、治療している間に買いに行きましょうか」
「ついでに、俺も新しい防具を探さないといけないんだよな」
サリエルとの戦いで『悪魔の抱擁』は完全に破けてしまったからな。流石にズタズタになった布きれまではリリィも回収してくれてはいない。全て拾い集めたとしても、修復は不可能な破れ具合だったから、もう諦めるしかない。
二代目ともこれでオサラバか、と思うと少しだけ寂しいが、最も厳しい戦いで、最後の最後まで俺の身を守ってくれたのだ。初代と同じく、見事な散り様だと讃えよう。
「それでは、モルドレッド武器商会にでも行きましょうか。ここからなら、それほど遠くはないですし」
そういえば、上層区画の本店に行くのは初めてだ。メインで使う呪いの武器はストラトス鍛冶工房に任せておけば十分だし、魔剣用の長剣を買うなら神学校近くの支店でもいい。折角だから、この機会に新しい呪いの武器を探してみるのもいいかもしれない。
「ああ、そうするか」
「はい、久しぶりに、デートですね」
「そ、そうだな……」
フィオナに言われて、ようやく気付く。だから鈍感なんだろうか。
「前は、ラースプンを倒して帰って来た頃だったか」
あの時はデートなんて意識は全くなかったのだが……もしかすれば、あの時からフィオナは俺のことを好きになっていてくれたのかも。いや、ラースプン戦では背中を斬って『首断』へ進化させるための生贄になってくれたんだ。あんな痛い思いをして、好きになるワケないか。
「指輪、ちゃんと持っていますよ」
「ああ、つけてるとこ、見たことあるからな」
「クエストに行くときはつけませんけど。また、壊れたら困りますから」
気にしていたのか。最初にプレゼントしたヤツはガード効果の魔法具だったからな。まさかその日の内に発動してぶっ壊れるとは、思いもよらない。
「大事にしてくれてるなら、嬉しいよ」
「当然ですよ、クロノさんからのプレゼントですから」
真顔で言われると、本気なのか冗談なのか区別がつきかねる。だが、フィオナのことなら、きっと本心なのだろう。そう思うと、少し気恥ずかしい。
晴れて恋仲になったのだから、次にプレゼントする時はもっと考えて選ぼう。
「えっと、それじゃあ、その……行こうか」
と、ここで微妙に俺が言い淀んでしまったのは、なんだ、その、手を繋ごうと思ったからだ。何ていうか、別にいいだろ、というか、した方がいいだろう。恋人同士になっての初デートだぞ。男から誘うべきだし、俺もしたいと思っている。
悪いか、これでも彼女と手を繋いでデートすることに、憧れていたんだよ。だから、いまだ目覚めぬヒツギの灰色グローブを左手だけ脱いで、俺はフィオナに差し出した。
「えっ、あの……いいんですか」
何故、そこで聞く。フィオナは不自然に視線を逸らしながら、すぐに手を握ってはくれない。
「いいよ、っていうか、頼む」
「そ、そうですか、では――」
ちょっと頬が赤い。フィオナが恥ずかしがっているのが、はっきりと目に見えて分かる。多分、俺も似たような表情になっているんじゃないだろうか。
ああ、ちくしょう。ついこの間、裸同然のネグリジェ姿のフィオナと添い寝までしたというのに、どうして手を握るだけでこんなに恥ずかしい思いをせねばならんのだ。
そっと、高価な壊れ物でも扱うように、かすかに震えるフィオナの白い手が、俺の左手に重なった。
「よし、い、行くか」
「はい、よろしく、お願いします」
急激にギクシャクしながらも、俺は彼女の手を引いてスパーダの街を歩き出した。
ようやく繋いだ手の感触に慣れてきたという頃、モルドレッド武器商会本店へと到着した。流石は本店というべきか、支店と比べ随分と立派な店構えである。ギルドみたいな神殿風の造りではなく、ただただ巨大で無骨な石造りの建物は、いっそコンクリートのビルのようでもあった。
ただし、正面扉や区画の角などにデカデカとモルドレッド武器商会と書かれた髑髏のシンボルマーク付きの看板が掲げられているので、誰が見ても一発で武器屋だということは分かる。
「何か、随分と賑わっているな」
「そうですね、いつも以上に人がいる……というより、みんなで正面に集まっている感じですね」
フィオナの言う通り、現在モルドレッド武器商会本店前は、世界的な大スターが来店するのを全員でお出迎え、みたいな人だかりと雰囲気に満ちていた。
「何かイベントでもやってるんじゃないのか」
多少なりとも興味は惹かれる。野次馬根性を出しても出さなくても、どっちみち店に用がある以上、正面から入らなければならない。さして躊躇する理由もないので、俺はフィオナの手を引いて近づいて行った。
「すみません、これから何かあるんですか?」
ちょうどいいところに、髑髏マークのエプロンをつけた従業員がいたので、声をかけてみた。
「ほう、これはこれは、ガラハド戦争の英雄、クロノ様ではありませんか」
俺の呼びかけに答えたのは、若い男の従業員ではなく、さらにその背後。のっそりと現れた大柄な黒い影からであった。
「モルドレッド会長直々のご登場かよ」
「いつぞやに支店でお会いした以来ですなぁ、クロノ様。私めの顔を覚えておいでとは、光栄の至り」
スケルトンはみんな髑髏だから顔の違いなんかないだろ。とは思うものの、俺は目の前にこれみよがしに従業員を従えたリッチみたいな成金装備のスケルトンには確かに見覚えがある。
初めてスパーダの武器屋を訪れた時に、危うくパチモンのミスリルソードを掴まされそうになったことや、『呪物剣闘大会』で勝手な乱入イベントを演出されたことを、俺は忘れない。
「今までとは、えらく態度が違うじゃないか」
「それはもう、当然でございましょう。今や貴方様はスパーダで知らぬ者はいない――」
「いや、余計な気はつかわないでくれ。お前にへりくだられると、逆に気持ち悪い」
スパーダを代表する大武器商人という大物相手にするにはありえないタメ口であるが、俺としてはコイツに心を許した覚えはない。今のところ実害はないから良かったものの。
「はっはっは、ではお言葉に甘えてそうさせてもおうか。儂はどうも昔から敬語というヤツが苦手でな、フレンドリーな接客を信条にしておるのだ」
「何がフレンドリーだ、胡散臭い」
人の魂を刈り取りそうな面をしておいて。でもまぁ、顔のことは俺もとやかく言えないか。
「まぁまぁ、そう警戒することもなかろう。呪いの武器コレクターであるお主も、アレを見にきたのであろう? はっはっは、我が珠玉のコレクションに新たに加わる最上級の一品を、とくと見るがよい!」
やけに上機嫌でウィルみたいな高笑いをあげるモルドレッドには悪いが、正直、何のことだか全然分からない。
「いや、今日は普通に店を見に来ただけなんだけど……まぁいいや、何かあるんだな? というか、凄い呪いの武器でも買ったってところか?」
「ふむ、素知らぬ割りには察しがよいな。如何にも、儂らはここで待っておるのだ。ただし、それは呪いの武器ではない」
「違うのか?」
「うむ、呪いの鎧じゃ」
の、呪いの鎧だと! なるほど、そういうのもアリなのか……しかし、それもそうか。ヒツギみたいな防具というか装備品にも呪いは憑くのだから、鎧があってもおかしくない。むしろ、鎧というまず間違いなく戦闘用の防具であるからこそ、武器と同じく呪いが憑きやすいだろう。
「それも、そんじょそこらの鎧とは違う。その造りも、鎧が辿った歴史も、全てが一級品。呪いさえ憑いてなければ、国宝に指定されてもおかしくない代物じゃ」
「おお、それは……何か凄そうだな」
モルドレッドの熱い説明に、思わず喰いついてしまう。
「その銘は『暴君の鎧』。古の暴君が実際に身に着け、数多の敵兵も、そして自国の騎士も、民さえもその手にかけて屍の山を築きあげ、最後には自ら国を滅ぼしたと伝わる、呪いの来歴も凄まじい」
「ま、マジかよ……」
「ただの骨董品ではない故、真っ当な方法で鑑定はできぬから、その言い伝えが真かどうかは定かではない。しかし、アレが発する凄まじい呪いの気配を感じれば……ふふん、分かるであろう?」
分かる、凄い分かる。ヤバい、何かちょっとワクワクしてきたぞ。
「しかぁし、この『暴君の鎧』は儂のモノじゃ! オークションで三億ほどつぎ込んだが、金の問題ではない。出品されたこと自体が奇跡! 儂はどれだけ金貨の山を積まれようとも、これを手離すことはないであろう……というワケで、クロノよ、お主は見るだけ、見るだけじゃ。あの素晴らしい鎧を、今だけは特別にタダで見せてやろうぞ、はっはっはぁ!!」
どこまでも気に食わない言い方だが、流石に俺だって正規に購入した所有者から奪おうなんて考えは毛頭ない。ここは参考までに、凄い呪いと噂の『暴君の鎧』とやらを鑑賞していってやろう。
「で、その鎧はいつ来るんだ?」
「ふぅむ、そろそろ到着予定の時刻なのだが――」
と、モルドレッドが懐から黄金に輝く懐中時計を取り出した、その時だ。
「――っ!?」
背筋に走り抜ける悪寒。反射的に、というより、もう顔を掴まれて強引に見せつけられるように、俺はその気配を感じた方向を見た。
「……クロノさん、これ、相当ですよ」
「ああ、コイツは本当にヤバい代物だぞ」
俺とフィオナ、二人揃って視線を向けたその先には、何もありはしない。ただ普段通りに、賑やかに大通りを行き交う人々の姿で溢れる、スパーダの日常風景。
それが一瞬、歪んだように見えた――いや、目の錯覚か。だが、そんな風に見えてしまいほど、おぞましく濃厚な呪える魔力が、そこに漂っていた。
「おお、おおぉ……ついに、来たかっ!」
角を曲がって大通りにまず姿を見せたのは、ただでさえデカいランドドラゴンの中でもさらに大柄な二体で引く貨物竜車だ。ギシギシと重苦しい軋みをたてながら、重低音の唸りを上げて二体の草食竜が引く貨物は、巨大な鋼鉄の箱。
大きさは三メートル四方の立方体。つい先日に見た漆黒の金属光沢と、ぼんやりした白い輝きが入り混じった、奇妙な色合いだ。
「黒化……呪いの魔力で浸食されてる。けど、あの箱ってもしかして、元は聖銀なんじゃないのか?」
「いかにも。並みの呪物ならば傷つきかねない聖なる箱だが……見ての通り、『暴君の鎧』を輸送するには、あれくらいでなければ、とても抑えきれん。あれでも、道中で三度は箱を変えておるのだ」
とんでもない代物だ。『首断』でも鉛に沈められて、少なくとも俺が戻ってくるまでは待っていてくれたのだから。
「周りにいるのは神官ですか。わざわざ結界まで張って、厳重なことですね」
ゆっくり歩みを進める貨物車には、馬に乗った白い法衣姿の神官がそれぞれ前後左右を固めている。手にしたシンプルな木の短杖を掲げ、うすぼんやりと白い光を放ち、コンテナを覆う輝く膜を成していた。
ミスリル製のコンテナに、四人がかりの光属性の結界。これだけつぎ込んでも、呪いの気配を完全には抑えきれていないのだから、やはり、俺がこれまで手にしてきた呪いの武器よりも格上の怨念が宿っているのかもしれない。
「運ぶだけで幾らかけてんだよ」
「なぁに、あんなもの、ささやかな手間賃に過ぎんよ」
趣味のことになると、途端に金銭感覚麻痺する人っているよな。まぁ、モルドレッドはいわゆる大金持ちだから、ジャブジャブ使ってくれればいいのか。
そんなことを思いながら、一メートル進む度に怨念の気配を強めながら近づいてくる貨物車を眺める。周囲に集った武器商会の従業員も、どういう噂を聞き付けてきたのか知らないが、結構な数の観衆達も、揃って漂う呪いの気配にざわめいている。
しかし、ここで見物していても、肝心の中身が御開帳ってことはないだろう。恐らく、店の中に保管専用にこしらえた場所があるはず。かなり厳重な封印措置がなされているその場でなければ、こんなとんでもない呪いの鎧を解放するワケにはいかない。
もし、ここで何かの事故で『暴君の鎧』が解き放たれることがあれば――そんな、物騒な想像をしたのが悪かったのだろうか。
「ウォァアーっ!!」
狂ったような誰かの叫びが、晴天の大通りに響き渡った。まさか、この微弱な呪いの気配だけで発狂したのか、と思ったがどうやら違うらしい。
「むっ、いかん! 誰ぞ、その不届き者を止めよ! 儂の鎧に指一本、触れさせてはならぬ!!」
モルドレッドの鋭い指示が飛ぶ。
視線の先には、もうすでに店と目と鼻の先まで進んできた貨物車と、そこに向かって走り込んでくる一人の白いローブをまとった男の姿がある。
貨物車の周囲には呪いを抑えるための雇われ神官が四人。だが、彼らは結界の行使に集中しているので、動くに動けない。だから、代わりに迎撃するのは、神官とはまた別に貨物車の周囲に配置された、冒険者達である。
護衛の冒険者の一人は、制止の言葉を呼びかけながら、腰から剣を引き抜いた。呪いではなく、現実に生きる人間が発する敵意の気配によって、俄かに緊張が高まる。
「おい、止まれと言っているだろう! それ以上近づけば、斬る!」
「悪しき存在よぉ! この世から消え去れぇー!!」
ちっ、と舌打ちを一つした護衛剣士が、そのまま白ローブ男に情け容赦のない一閃を浴びせた。男は何ら抵抗らしい反応を見せず、そのまま深々と肩口から斬り捨てられる。
派手に血飛沫をまき散らしながら、通りにドっと男の死体が転がる。同時に、男が手にしていたらしい瓶が投げ出され、地面でガシャンとけたたましい音を立てて割れていた。
なんだアレは、水か。
「ふん、愚かな……聖水如きで『暴君の鎧』を浄化などできるはずがなかろう」
「いや、まだだ」
辺りに漂う呪いの気配に混じって、複数の敵意を感じる。それらは全て俺自身に向けられているわけじゃないから、少しばかり気づきづらい。
ソレと分かったその時には、潜んでいた奴らが一斉に飛び出してきた。
「邪悪なる呪いを滅せよ!」
「世界に正しき光を!」
「我らに聖なる輝きの導きあれぇ!!」
そんなワケの分からない文句を叫びながら、建物の影から、通りの向こうから、中には、この群衆の中からも、何人かの人間が貨物車に向かって踊りかかっていく。
「くっ、何なんだお前らっ!」
「ダメだ、コイツら正気じゃない、全員殺すつもりでかかれぇ!」
護衛の冒険者達はそれぞれ武器を手に、見た目だけは普通の市民といった襲撃者達を迎え撃つ。
突如として始まった大立ち回りに、群衆からは悲鳴が上がり散り散りに逃げ出し始める。俄かに騒然とし始める場ではあるが、俺としてはこれといって逃げようかなと思うほどの危機感は覚えない。
襲撃者達はどうも戦闘経験のない素人らしく、冒険者達の手によって次々と御用になっていく。彼らはそもそも武装さえしておらず、持っているのは浄化用の聖水のみ。この様子なら、さして苦労することもなく、この自爆テロ染みた襲撃は鎮圧できるだろう。
「……クロノさん、上」
不意にフィオナが俺の袖を引いて、注意を促す。言われた通り視線を向けると、そこにはモルドレッド武器商会の隣に立つ四階建ての屋上に、一人の男の影があった。まるで、これから投身自殺でもするかのように、屋上の縁に足をかけており――
「マジかよ、本当に飛び下りやがった!?」
あ、というほどの間もなかった。その男は当たり前に重力に囚われ、自然落下。遥か数十メートル下の石畳の路面に、いや、違う。男の落ちる先には、襲撃者との戦闘によってちょうど足を止めている貨物車があった。
あの男は、始めから貨物が狙いだったんだ。何故、我が身も省みずそんな無謀な手段を選べたのか、そもそも実行する踏ん切りがついたのか、そんな気持ちは微塵も分からないし、分かりたくもない。
だが、少なくとも手練れの護衛冒険者の隙をついて、ターゲットである呪いの鎧が封印されたミスリルコンテナへ辿り着くことには成功していた。
強かに体を打ちつける鈍い音と共に、盛大にガラスが砕け散る音が響きわたる。割れたのは間違いなく、聖水入りの瓶だろう。しかも、最初の男とは違い、大量に抱えていたようだ。
「い、いかん! あんな量の聖水をぶちまければ、コンテナは――」
ジュウジュウとグラトニーオクトのアシッドブレスを思わせる、金属を溶かすような不気味な音が聞こえた、次の瞬間だ。一際大きな、鋼の悲鳴が轟く。
割れた。頑強なはずのミスリルコンテナの天井部分に、大きな亀裂が入っているのが見える。
かなりの量の聖水が、呪いの魔力によって黒化された部分にかかったことで、何か急激な反応を引き起こしたのだろう。融解寸前まで熱した鋼板に、液体窒素でもぶちまけたような感じだった。
「ダメだっ、これはもう抑えきれない!」
「退避っ! 退避しろぉーっ!!」
そう叫んだのは、呪いを抑える結界を展開していた騎乗神官達である。
装着者のいない鎧一つに、何故、これほどまで恐れなければならないのか。不覚にも、俺は一瞬、そう思ってしまった。
確かに、強烈な呪いはその気配だけで人を発狂させるほどだが、四人がかりであの結界を張り続けていれば、そこまでの威力は抑えられるはず。
しかし、神官達も、護衛の冒険者も、悲鳴を上げて逃げ立つ群衆と同じように、必死になって貨物車から離れていく。それこそ、無事に捕縛した襲撃者の身柄さえ投げ捨てて。
彼らの動きはまるで、呪いの鎧が動き出して、今にも襲い掛かってくると思い込んでいるような勢いだ。
「……何だ、アレ」
一瞬、コンテナの天井亀裂付近に、黒いモノがチラリと映った。普通の人なら気のせい、で終わったかもしれないが、俺の動体視力はソレが何なのか確かに捉えていた。
それは鎖。黒い鎖だった。そう、俺が魔手として行使するのと、ほとんど同じ見た目の、黒色魔力で編みこまれた鎖だ。
そこまで思い至った時、もう姿を隠す理由はないとばかりに、黒い鎖が溢れるようにドっと亀裂から飛び出てくる。俺が普段扱う魔手よりも一回りか二回りは太い鎖は、ヒュドラのように不気味に蠢きながら、獲物を狙い定める。
そうだ、この鎖は確かに狙っていた。ヒュンヒュンと軽快な風切音を立てて宙を疾走する鎖は、近くに転がる捕まった襲撃者の一人である若い男の体を絡め捕る。
「う、うわぁーっ! 清き光の加護よっ! 我が身を守りたまえ!!」
一応、助けを求めているのか。男からは、どこか十字教徒に似た祈りの言葉らしき絶叫が発せられている。
「ひっ、光よぉーっ!!」
断末魔の叫びを残して、男は鎖によってコンテナの内へと引きずり込まれていった。
彼が一体どうなったか、なんて、考えるまでもない。
「おお、何ということだ……『暴君の鎧』が、装着者を得てしまった……」
ビキリ、とコンテナの天井に走る亀裂が、俄かに拡大していく。瞬く間に壁面にまで走り抜けていく様は、内側から力づくで引き裂いていったかのようだった。ギギギ、と耳障りな甲高い金属音を轟かせながら、完全に密閉されていたはずのコンテナに、入り口が開かれた。
そうして、古の暴君が、現世へと蘇る。
「うわ、アレ――」
ゆっくりと、正に王者の歩みとでもいうように、悠然とコンテナの内より進み出る。抜けるような青空の下でありながら、彼が立つそこだけは、新月の夜の如き闇に彩られているような錯覚を覚える。あまりに圧倒的で、濃密な黒色魔力が、そこに渦巻いているからだ。
しかし、俺の目は何よりも鮮明に、そこにある鎧の姿を捉えている。
一言で言うなら、漆黒の全身鎧。ただし、俺がグラトニーオクトとの戦いで使った、十字軍重騎士の鎧を黒化させたモノとは、何もかもが一線を画す。少なくとも、白き神の僕を意識して作られた重騎士のものとは、そもそもデザインの発想の根本が違っている。
ただ、王に相応しい豪華さでもなく、威厳でもない。恐らく、求められたのは畏怖さえ超えた、純粋な恐怖。この漆黒の鎧は、王の鎧というよりも、悪魔の王の鎧、というべき恐るべき造形を誇っていた。
兜から生えるのは、悪魔のような二本の大きな角。しかし素顔を完全に覆うフェイスガードは山羊を模したものではなく、髑髏を憤怒の形相に歪めた様な形状だ。
最も分厚い装甲を持つ胸元は、どこかアバラ骨を思わせる形で、全体的に見ても、人間の骨格的なデザインが随所に見受けられたが、手足の先はドラゴンのようでもあった。五本の指先はどれも鋭い爪になっているが、武器を握れるように長すぎず、大きすぎず。それでいて、徒手空拳で貫手を放てば難なく人体を抉れる鋭利さも併せ持つ。
細部を見れば見るほど、そこに秘められた攻撃性と狂暴性の意思が読み取れる。
しかし、今の俺にとっては評論家のように事細かに鑑賞するよりも、もっと単純で、大きな感情に支配されていた。
そうだ、俺はこの鎧を一目見て、こう思ったんだ。
「――めっちゃカッコいいな! 欲しい!!」