第528話 戦功交渉
清水の月6日。スパーダへ帰ってから四日、つまり、リリィと別れてからも四日が経過したということである。
リリィはまだ、帰ってこない。
一日待って戻らなかった時点で、流石に行方くらいは調べておくべきということにフィオナも同意してくれたので、とりあえず冒険者ギルドに捜索と目撃情報提供の依頼だけは出しておいた。しかし、今のところは何の情報もない。あの夜、リリィは出て行ったきり、全く行方知れずになってしまったということだった。
無論、リリィのことだから身の安全は心配ないだろうが……もしかしたら、リリィとはもう二度と会えないのか、なんて不安が胸を過る。フィオナは近い内に、必ずリリィは戻ってくると断言しているが、それでも不安なものは不安だ。
不安といえばもう一つ。実際に目の前に差し迫った問題として、サリエルの処遇についての戦功交渉がついに始まることと相成った。
俺は一応、正装となる神学校の制服に身を包み、サリエルを抱えてスパーダ王城へと向かう。
「サリエルは自分で歩かせればよいのではないですか?」
「手足が無い方が、向こうも警戒は緩めてくれるだろう」
隣を行くのは、同じく制服姿のフィオナ。
ちなみに、サリエルの方は色々と悩んだが、とりあえず空間魔法に入れておいた替えの修道服を着せている。頭巾も被せてあるが、完全に顔を覆うほどではない、適正なサイズのもの。うっかり「ユーリ」と呼んでしまいそうな、実に見慣れた姿である。
そうして俺はシスター・ユーリなサリエルを乗せて愛馬のメリーに、フィオナは自分のマリーに跨り、スパーダの大通りをカッポラカッポラ進んで行く。
戦功交渉の場はウィルが整えてくれただけでなく、今日の実際の交渉にも同席するという。このテの交渉は、基本的には本人が行うことになってはいるが……学のない冒険者であれば足元を見られることもある、ということで、弁護士みたいにスパーダの法律やら交渉に長けた専門の者を雇って同席させることはよくあるという。そういう意味で、ウィルは信頼という点では間違いない。
俺には見える、勝訴、という張り紙をドヤ顔でスパーダ王城の門前で掲げるウィルの姿が。
「王城に来るのは、これで二度目か」
「緊張、していますか?」
「今回は勲章を貰うだけじゃないからな……」
いよいよ巨大なスパーダ王城の威容を目前にして、俺は思わずそんな弱音を吐いてしまう。
「もし、交渉が決裂した場合は――」
「分かっている。サリエルを幽閉するしかないというのなら、それに従うさ」
「ええ、スパーダ一国を敵に回すわけにはいきませんからね」
最悪、処刑さえ免れれば御の字だろう。生きてさえいれば、まだ日の目を見る可能性だってあるのだから。
「よし、行くか」
そうして、俺達はスパーダ王城へと踏み込んで行った。
現時点で、ウィルの他に正式に冒険者ギルドも通して戦功交渉の申請は済んでいる。正門の衛兵に書類とギルドカードを見せれば、事務的なやり取りのみでつつがなく入城を許可された。
ただし、俺が抱えているサリエルを流石に警戒しているのか、周囲には真紅の鎧の騎士と真っ赤なローブの魔術士がゾロゾロと列を成して現れ、俺達を包囲するように陣形を組んでいた。まぁ、こういう出迎えになる、というのもあらかじめ聞いているから、気にするほどでもない。
俺がサリエルと転移した後のことは、先だって報告は済ませてある。正直、話せばすぐにでも寮に騎士が踏み込んできてサリエルが御用となるかも、と思いはしたものの、スパーダ側は今日まで俺自身がサリエルを匿っておくのを黙認した。向こうも強行策をとらないくらい、慎重になっているということだろうか。まぁ、神学校の周辺にひっそりと警護と監視の騎士は結構な人数、派遣されていたようだが。
「おお、来たなクロノよ! 待っていたぞ!」
真っ赤な絨毯を敷かれた通路を進み、最初に案内された待機場所となる客間の中に、腕を組んで仁王立ちのウィルが待ち構えていた。実家の王城ということで、やけに様になっているように見えるのは気のせいだろうか。
「今日は頼む、ウィル」
「ふっ、任されよ……すでに勝利への方程式は解かれておるのだからな」
自信満々に赤マントなびかせて言い切るウィルは、どこまでもいつもの調子である。
ウィルは正しく我が家同然にくつろいだ様子で客間のソファーに腰を下ろし、俺達に着席を促してくれる。同時に、相変わらず影のようにひっそりと控えていたセリアが、芳しい香りの立つ赤いお茶と、ケーキみたいな茶菓子を用意した。
「まずは、自己紹介で済ませておくとしよう。我が名はウィルハルト……ウィルハルト・トリスタンス・スパーダである」
ウィルの金色の視線が向くのは、当然、俺の膝の上に座るサリエルである。コイツのことは前々から話はしていたが、実際にウィルがサリエルと顔を合わせるのは初めてだ。
「……発言を許可します」
フィオナが空になったケーキの皿を置いてから、言う。
今でも、サリエルへの警戒は解くことなく、基本的に話すことは禁止している。特に、この王城内では詠唱の一節でも口にしようものなら、その場で八つ裂きにされても文句は言えないのだから。
「初めまして、私の名前はサリエル」
一国の王子様に対しては随分と素っ気ない挨拶だが、当然、ウィルは気にも留めない。
「なるほど、噂に違わぬ美貌であるな。これは確かに、良からぬ噂が流れるのは致し方ないであろう」
「か、勘弁してくれよ」
はっはっは、と笑って誤魔化すウィルを睨む。
「改めて聞くが、今日の交渉の趣旨は理解しておるな?」
俺とフィオナは揃って頷きを返す。
「第一目標は、このサリエル氏をクロノの奴隷とすることを正当な報酬として認めさせること」
今でも心の中に抵抗感はあるが、そうすることに迷いはない。
「第二目標は、報奨金の減額を可能な限り防ぐこと……ふっ、この辺りが我の交渉術の見せどころであるな」
「いや、金のことは別に……」
「ならぬっ! 奴隷報酬は一見すれば本来の報奨金の代替案に思えるが、クロノが自ら討ち果たした以上、その身柄を自由にする権利がまた別個に発生して然るべき! クロノよ、この我が必ずや、汝にサリエル氏と報奨金のどちらも与えてみせよう!」
そんなところに闘志を燃やしていたとは。正直、サリエルが貰えるなら報奨金はゼロでも構わないと思っていたくらいなんだけど。
「ああ、それと一つ確かめておきたかったのだが……フィオナ君は今回の取り決めについて、本当に異論はないのかね?」
「ええ、構いませんよ。クロノさんとの約束ですし、私も、それほど気にはしていないので」
「良かろう、その言葉を信じようぞ」
致命的なところで、フィオナから横やりを入れられても困るだろう。あらかじめ断っておくとは、ウィルもなかなかに根回しが上手い。
それから幾つか、確認のような話が続いた。
「失礼、ウィルハルト王子、クロノ様、準備が整いましてございます」
ほどなく、騎士の一人が呼びに来てくれた。
さぁ、いよいよ本番だ、と気合を入れて立ち上がる。
ふとテーブルを見れば、俺が緊張のあまり一口も付けなかったはずのお茶とケーキは綺麗に空になっていた。いつ無くなったんだろう。不思議なこともあるもんだ。
「ふふん、では、参ろうか。いざ、審判の時っ!」
胸を張って歩くウィルを先頭に、俺達はレオンハルト国王の待つ、玉座の間へと向かった。
勲章授与の時以来に訪れた玉座の間は、相変わらずの荘厳さと緊張感を漂わせている。体育館並みの広さでありながら、余すところなく装飾の施された壮麗な造りは、スパーダという国の栄華を象徴しているようだ。
天井近くにまで届くほど背の高い水晶の彫像も、やはり抜群の迫力。思えば、神学校の校門にも飾られている男の剣士と女騎士の像は、それぞれ『不滅闘士・スヴァルディアス』と『暗黒騎士・フリーシア』がモチーフなのかもしれない。二人の活躍した時代全くは異なるのだが、スパーダ人からすればどちらも等しく崇め奉る神様である。
だが、俺にとってプレッシャーを与えるのは古代の神像ではなく、現実に国を統治する王様の方だ。戦場では遠目でチラリと見ただけだったが、こうして目の前で玉座に腰を下ろしているのを見ると、王の威厳に満ち溢れているのをひしひしと感じた。
とりあえずは、形式的な挨拶をつつがなく済ませて、単刀直入とばかりに本題に入る。
「にしても、ウィル、わざわざお前が戦功交渉に来るとはね。随分な友達甲斐じゃあねーか」
玉座の間に似合わぬ軽い口調で言うのは勿論、国王レオンハルトではなく、その隣に立つ第一王子のアイゼンハルト・トリスタン・スパーダである。俺達の所属したスパーダ軍第四隊『グラディエイター』を率いる将軍であるからして、この場に同席するのは当然かもしれない。
「我は此度の戦においては全くの無力であった故。友人にして、スパーダの勝利に多大な貢献を果たした英雄たるクロノに、この我が助力できることがあれば喜んで行うのが道理でしょう、兄上」
「ほう、凄い入れ込みようだが……馬鹿にはできねぇな。ウィル、やっぱお前、見る目あるぜ。選んだダチが、この俺も、親父でさえもサシでやれば敵いそうもない、とんでもねぇ化け物を打ち倒す本物の英雄なんだからな」
不敵な笑みを浮かべながら、アイゼンハルトは俺と、そして、隣に座るサリエルを順に眺めた。
両足のないサリエルには配慮されていたのか、あらかじめ椅子が用意されており、そこに座らせるよう促された。見た目には金銀細工の施された豪華な椅子なのだが、恐らく、何らかの拘束効果は仕込まれているのだろう。
何といっても、コイツはたった一人で戦況を引っくり返せるだけの力を持つ、使徒という化け物。王様の目の前に連れてくるのだから、当然の警戒だ。
「けどよ、この可愛いっつーか、可哀想な格好になってるこの小っこい娘が、本当に第七使徒サリエル、って奴なのか? あん時、俺はアイって奴の相手で手いっぱいだったから、そっちの戦闘はよく見えなくてよ」
さらっと言うが、ここで俺はちょっとマズいと思った。
そういえば、サリエルをサリエルだと証明するモノって、何かあったっけ?
「この娘は紛うことなく、使徒である」
しかし思わぬところで、助け舟が入る。
「ふーん、まぁ、親父が『見た』って言うんなら、そうなんだろうな」
この見た目だけは哀れな欠損美少女なサリエルを使徒だと断定したのは、座したまま沈黙を貫いていたレオンハルト王であった。この人くらいになると、もう気配とか雰囲気とかで、ハッキリ分かるんだろうな。
「その娘が使徒であると決まったのなら、疾く、処置を決めねばなるまい。あまり、悠長にお喋りに興じてわけにはいきますまい、王子」
国王直々に使徒認定したことで、そんな声が飛んできた。
発言者は、ガラハド要塞で見た白いバフォメットの爺さん。第三隊『ランペイジ』を率いる、えーと、確か、ゲゼンブール将軍だったか。
ほとんどスパーダの将軍が揃い踏みであるが、シモンの姉貴であるエメリア将軍はこの場には見えない。流石に、将軍全員を集めるほど暇ではないか。
しかしながら、発言こそなしないものの、この玉座の間には結構な人数がいる。スパーダ軍の上層部に、文官というか、大臣らしき偉そうなオッサン、ジイさんが多々見え受けられる。やはり使徒を捕えたとあって、注目度は高いのだろう。
「まぁまぁ、そう焦るなよジイさん。こんな手足のぶっ飛んだ女の子相手に、そう警戒することもないだろ。何より、コイツはもう『白き神』とやらの加護は失ってるんだ。あの化け物じみた力は、もう使えねーってことだろ?」
「しかし、油断は禁物ですぞ。たとえ加護を失い、四肢が欠けようとも、喉笛を食い千切らんと飛び掛かって来るやもしれんのじゃから」
それは割とマジで正解です、将軍。加護も手足を失いボロボロになった次の日でも、デカい鎧熊を素手で仕留めるような奴だからな。
「ははっ、大袈裟だな。それで、ウィル、わざわざこんだけの面子を集めて、何を要求しようってんだ? まさか、ただ報奨金をふっかけに来たってワケじゃあねぇだろ」
「ええ、勿論ですとも兄上。しかしながら、我はあくまで弁護する立場。まず、望みを口にするのは本人からというのが筋というものでしょう」
「なるほど、違いねぇ。だそうだ、冒険者クロノ、さぁ、お前の願いを言ってみな」
来た、いよいよ、俺の出番だ。
深呼吸を一つ。
下手すれば、これを言い出した瞬間に槍が飛んでくるかもしれない。いざという時は、すぐにサリエルを抱えてエスケープだ。
よし、心の準備完了。あとは野となれ山となれ。
「第七使徒サリエルを討った褒賞として、彼女を奴隷として貰いたい」
どもることもなく、短く、簡潔に、俺は確かに言い切った。
しかし、玉座の間は静まり返っている。まるで、俺の言葉をみんながまだ待っているかのように。
おかしいな、もしかして聞こえなかったのか。そこまで小声だったワケではないと思うんだが……もしかして、もう一回言わないとダメな流れ?
「何と! かようなこと、許されるはずがないであろう!」
俺の懸念を吹き飛ばすように、一喝の声を上げたのはゲゼンブール将軍であった。その叫びが広い玉座の間に響き渡ると同時、周囲からもどよめきが上がる。
良かった、このとんでもない台詞をもう一回言わずに済んで。
「おいおい、ちょっと落ち着けよジイさん、血圧上がるぜ……つっても、流石に俺も、その要求には驚かされたぜ」
「分かっておるのか、冒険者クロノよ。いくら貴殿が此度の戦の功労者といえど、この場での発言は冗談と誤魔化せるものではないぞ!」
そうだそうだ! と国会中継のヤジみたいに、外野から同意の声が飛んでくる。反対意見が飛んでくるのは予想していたが、いくらなんでも、この流れを引っくり返すのは無理なんじゃないのか、ウィル。
「……静まれ」
俄かに騒々しくなってくる場を、王の一言が治める。すると、ピタリと水を打ったように玉座の間は静寂を取り戻した。
「冒険者クロノ、汝の願いは、確かに聞いた。して、如何にする、アイク」
「そりゃあ、まぁ……いくらなんでも、奴隷を寄越せってのは無茶な話じゃないかと」
「ゲゼンブール」
「然り。使徒の危険性を思えば、とても容認できますまい。何より、敵将の女を奴隷にしたいなど、これまでも例がありませぬ」
二人の言い分はどこまでも正しい。実際、俺もそう思う。
「ふっ、くくっ……ふぁーっはっはっは!」
だがしかし、この当たり前のド正論に真っ向から異を唱える男が、ここに一人いる。
「前例がないなどと! これはこれは、見識深きゲゼンブール将軍とは思えぬお言葉。兄上も、ここに集った諸兄も、誰も気づかぬとは!」
栄光の赤マントを翻し、両手を広げてステージで独り舞台のスターみたいに堂々とウィルが高らかに声を上げる。
「良かろう、ウィル。申してみよ」
では、ありがたく、と優雅に父親へ一礼をしてから、ウィルは滔々と語り始めた。
「ああ、全く嘆かわしい。これほどの面々が一堂に会しながら、我らが栄光のスパーダ、その建国神話をお忘れとは!」
いきなり何言ってんだコイツ、みたいな視線が突き刺さる。兄貴のアイゼンハルトも、流石にちょっと微妙な表情。
「この地にスパーダを築いた初代剣王ジークハルトと、その第一王妃エレオノーラ。二人が如何にして結ばれたか、この場で知らぬ者はおらぬでしょう」
「……クロノさん、知ってます?」
「いや、知らん」
小声でコソコソっと耳打ちしてくるフィオナの声に、ちょっと安心する。確実にスパーダの建国神話を知らない人が、ここに三人います。当事者なのに、いいのか。
「おいおい、ウィル、まさかお前……」
「そう、そのまさか、ですぞ兄上! 剣王ジークハルトは、当時、この地を支配していた小国の姫君、真紅の剣姫と唄われたエレオノーラ姫を一対一の決闘で下し、彼女を己が奴隷とすることで、ここにスパーダを築く礎とした!」
つまり、お姫様を自分のモノにして、そのまま乗っ取ったってことか? とんでもねぇ話だな、おい。
「ウィルハルト王子、スパーダの王子として、そのような物言いは――」
「なに、この期に及んで誤魔化す必要はなかろう、ゲゼンブール将軍よ。その後、紡がれる二人の物語はどうであれ、ジークハルトという男が、エレオノーラという少女を戦いの結果、奴隷としたことは、歴史書に記された通り。何より、これが事実であることは、我が父、レオンハルト王が証明済みであろう」
「あ、王様の加護が、ジークハルトなんですね」
「なるほど、そういうことか」
フィオナと内緒話をしながら、何とか話についていく。
恐らく、レオンハルト王も、俺がミアちゃんとお喋りするみたいに、神となったジークハルトと言葉を交わしたのだろう。
「つまり、敵の大将を単独で討ち果たした者が、その身柄を奴隷として貰い受ける権利が、スパーダにあるのは道理!」
勝った、みたいな表情で言い切るウィル。だが、その勢いに飲まれるほどスパーダ上層部の面々は意志薄弱ではなかったようだ。
「それは神話の拡大解釈ではないか」
「スパーダの法のどこにも、明文化されて権利保証はされていないのでは」
「そうだ、ただのこじつけではないのかね」
外野から、割と的確な反論が飛んでくる。
「ウィルハルト王子よ、皆の言い分には一理あると思うのじゃが」
「ふむ、要は法的根拠のない権利である、ということですな?」
代表してゲゼンブール将軍が問いかけるも、ウィルはその質問は想定済みだといわんばかりに余裕を崩さない。
「では、逆に問いかけますが、敵将の女を奴隷にしてはならない、と明確に禁じた法はあるのですかな? 現行法は勿論、古代法でもこの旨の記述に覚えのある方は、誰ぞおりますや」
「……禁じられておらぬから、許される、というのは屁理屈というものではないですかな、王子」
「くっくっく、ゲゼンブール将軍もお人が悪い。道徳の講釈をなさるとは、我を子ども扱いですかな。確かに、いまだ学生の身分ではありますが――しかし、『法で禁じぬを罰せず』とは文官コースの一年生でも習う言葉。当然、この我も優秀なる神学校の教師陣より、そのように教えられております」
よく法の網を潜る、なんて言うけど、それは処罰の対象になるかどうか微妙なグレーゾーンなところを、「それはダメだろ!」と個人的な主観でそう簡単に罰することはできないということだ。法律とはそこに書いてあることが全て。常識的に考えて、とかそういうのは通用しない。
「ウィル、お前、調べてから来やがったな」
「学生として出来る範囲で、ですが……少なくとも、我は確信を抱いておりますよ、兄上。スパーダにクロノの要求を違法だと断れる法的根拠は、存在しないと」
「うーん、じゃあ逆に、イケそうな前例とかはどうなんだ?」
「もっとも広く知られるところであれば、犯罪者を国の奴隷身分として強制労働に従事させる刑罰はあるでしょう。無論、これに男女の区別はありませぬ」
強制労働刑、なるほど、そういうのもあるのか。ミスリル鉱山とかで働かされるんだろうか。
「また、貴族や騎士が仇討として、仇を奴隷に落とした上で売り払うことを認めた前例も散見されます。これは、討伐を果たした当人が、その相手を奴隷として貰い受けることができるという、何よりの証明でしょう」
「なるほど、まぁ、そういう話は俺も聞いたことはあるが……どうするよゲゼンブール将軍? こりゃあちょっと、こっちの旗色が悪いんじゃねーのかな」
「お待ち下され、これはそう易々と決定してよい事案では――」
完璧に理論武装を整えたウィルと、中々に引き下がらない将軍。これは議論が長引くか、なんて思った矢先、唐突に終わりは訪れる。
「よい、冒険者クロノの望みを叶えよう」
レオンハルト国王は、いきなりそう断言した。
勿論、アイゼンハルト王子とゲゼンブール将軍が口を開きかけるが、何かを言う前に、レオンハルト王が視線で制する。
「しかし、幾つか条件を課す」
まぁ、そりゃあそうか。あんまり無茶なこと言われませんように、と情けない祈りをあげながら、俺は必死に平静を装って、鋭い眼光を向けてくる王様と真っ向から目を合わせた。
「パンドラ神殿にて、サリエルが『暗黒騎士・フリーシア』の加護を授かったことを証明せよ。その後に、然るべき儀式でもって主従契約を結べ」
まずは、当たり前の条件といったところか。初めからそうするつもりだったから、勿論これは了解だ。
「過度の尋問は行わないが、十字軍についての情報は知る限りのことを証言してもらう」
これも了解だ。サリエルには十字軍について隠し立てすることは、最早なにもない。
「最後に、次の十字軍との戦争には我が兵として参加させよ」
「分かりました……しかし、本当に良いのですか?」
思わず、聞き返してしまう。武装したサリエルが、自軍の中から裏切り行為を働けばどれほどの大損害を被るか、まさか、想像しないわけではないだろう。
「その娘は強大な力を秘めている。必ずや、我が軍にとって大きな力となろう」
いや、そういうことを聞いているわけではなくてですね……
「奴隷にする、と自ら言ったのだ。無論、サリエルの力を御する自信があってのことだろう」
なるほど、そういう風に言われてしまったら、答えないわけにはいかない。
「はい、必ずやサリエルを支配してご覧にいれます」
「よかろう。ならば、これにて冒険者クロノとの戦功交渉は成立とする」
その宣言に、やっぱり何かを言いたげだったアイゼンハルト王子とゲゼンブール将軍だが、揃って「陛下の仰せのままに」と了承の意を示した。
何はともあれ、最善の形で話が収まって本当に良かった。これで、とりあえずは一安心である。
「うぬぅ、父上め……これからが我の見せ場だったというのに、良いところで話をまとめるとは……」
もっとも、ウィルだけは論戦したりないと不満顔であったが。