第526話 バカは死んでも治らない
「奴隷、か……」
我はこれから色々と準備がある故! ということでウィルと別れて寮を出た俺は、どんよりした心の中とは正反対な色彩を映し出す青空を見上げながら、しみじみとつぶやく。
ウィルが提案してくれたサリエル奴隷化案は、確かに俺の求めを100%達成する素晴らしい解答だ。だがしかし、である。
「人として、許されることじゃないだろ」
俺のような男が何を今更、とは思うものの、それでも、言わずにはいられない。
この異世界では、奴隷制度は現在でも存続している、あって当たり前の最底辺の身分階級。実際、地球の現代社会にだって、奴隷と名がつかないだけで、それと同等の扱いを受ける人々だって少なからずいるだろう。
しかし、それでも現代日本人の感性でいえば、奴隷なんてのは遥か昔かフィクションの存在であり、全ての人権を剥奪された人間というものを現実的に想像、実感できる者はいないはず。俺にとって奴隷とは、所詮はボロっちい衣服で荒れ地を耕したり、鉱山を素手で掘ったり、意味もなくガラガラと巨大な歯車を回したりといった、そんなイメージしか湧いてこない。
まぁ、最も奴隷に近い存在としては、人体実験時代の俺自身ではあるのだが……とりあえず、俺にはサリエルを拷問まがいの改造手術を施すつもりは毛頭ない。
「いや、けど……これしかないのか」
奴隷が存在する異世界、とはいうものの、俺はこれまでの生活でこれといって奴隷と関わったこともない。せいぜい、ファーレンの盗賊討伐の時に、攫われた女の子が奴隷として売り飛ばされそうになっていたところを助けた、ってくらいのもんか。
実際に鞭を打たれているところは見てないし、勿論、ガラガラ歯車も見たことない。
一応、スパーダでは奴隷に過度の虐待を禁じる法律だかなんだかがあるから、虫けらのような扱いはされていないそうだ。奴隷といってもピンからキリまであるのだが、どんなに安くてもウン十万クランとする、いわば高級品。最高クラスの奴隷となれば、億の音がつくことも珍しくないらしい。車のような価値観だと思えば、基本的に自分の奴隷を粗末に扱ったりはしないというのも理解できるだろう。
結局のところ、俺が納得できるかどうかという、単なる気持ちの問題である。
サリエルはあくまで奴隷という名前だけで、実際にそれに見合った生活を送るかどうかは、主となる俺の裁量次第。完全に所有権は俺のものになるのだから、他の誰も口出しする権利はない。
「俺だって、どうすりゃいいのか分からないってのに……」
悩めば悩むほど、サリエルの扱いは永久に答えなんて出ないような気がしてくる。いくらフィオナが「許す」と言ってくれても、甘やかしすぎたらマズいことくらい、俺にだって分かる。
「でも、まぁ、これでいいのか。とりあえず、ウィルの作戦が成功してから、またゆっくり考えよう」
結局、またしても問題を先送りするという進歩のない結論が出たところで、俺はもう一度、大きく溜息をついた。
「――よう、お前、クロノだろ?」
その時、後ろから声がかかる。どこか聞き覚えがあるような気がする男の声。ここ最近はずっと、クロエ様か司祭様としか呼ばれてこなかった俺だが、ちゃんと正しい名前で呼ばれてもすぐに反応することはできた。
「あれ、お前は……カイだよな?」
「おうよ!」
晴れ晴れとした笑顔を浮かべるのは、間違いなく、『ウイングロード』の剣士、カイ・エスト・ガルブレイズであった。どうしてここに、何て間抜けな問いかけは、彼の制服姿を見れば出てくるはずもない。学生なんだから、校内にいるのは当然だろう。
しかしながら、気になるのはもっと根本的なことである。
「お前、サリエルに刺されてなかったか?」
「へへっ、ダセーとこ見られちまったな。でもまぁ、その通りだぜ。こう、胸のど真ん中を俺の剣でザックリと、な」
やたら爽やかに笑いながら、その即死級の傷を受けた胸元を力強くドーンと叩いて見せるカイに、俺はちょっと、いや、かなりの不安を覚えた。
「まさか、サフィールの僕になってたりしないよな?」
「アイツのオモチャになるのだけは、死んでも御免だぜ」
どうやら、アンデッドにはなっていないようで一安心である。凄腕の屍霊術士は本当に生きているかのような瑞々しいアンデッドを創り出せるって聞いたことあるからな。
「でも、良かったな。生きてるってことは、当たり所が良かったんだろ」
「いや、確実に急所はブチ抜かれたぜ」
それじゃあ、まるで一度死んで、蘇ったかのような言いぐさである。
「俺の加護は『不滅闘士・スヴァルディアス』。どうやら、一回心臓貫かれるくらいなら、何とか回復できる程度には習熟できてたみてぇだ」
「……ははっ、その能力は試してみるわけにはいかないよな」
自分でもどんなもんなのか、実際に即死ダメージを喰らってみるまでわからないと。
「おう、俺も初めてだったけど、やっぱ神様の力ってのは凄ぇもんだよ」
カイが加護を授かった『不滅闘士・スヴァルディアス』という神については、前に授業で少しだけ習ったことがある。確か、不死身の肉体を持つ最強の剣闘士、という感じの伝説だったはず。剣闘が盛んなスパーダでは、他の国よりも増してポピュラーな加護だ。
しかし当然ながら、スヴァルディアスの加護を得たからといって本当に不死身になるわけではない。カイが即死せずにすんだのは、それ相応の能力が獲得できるほど鍛えてあったからだろう。
「でもよ、お前も凄ぇよな。倒したんだろ、あのサリエルって奴を」
アイツなら今、俺の部屋にいるよ、と答えたら、コイツはどんな顔をするだろうか。とりあえず、まだ吹聴してよい内容ではないのは確かだ。
「いや、全て仲間のお蔭だ。俺一人で挑んだら、手も足もでなかった」
「俺らだってパーティで挑んだぜ。それであのザマなんだから、いくら俺でもハッキリ分かるさ、『ウイングロード』よりも『エレメントマスター』の方が強いんだって、な」
そう言い切るカイの表情には、恨みや嫉妬といった色は映らない。純粋に他人の強さを認められるその顔は、どこか爽やかさすら感じる。
「まぁ、そういうワケだから、ちょっと俺と模擬戦してくれよ!」
「いや、どういうワケだよ」
唐突なお誘いに顔をしかめるが、それほど悪い気もしない。
思えば『ウイングロード』のメンバーとはネルを除いて何かと揉めてきたが、カイにはこれといってわだかまりみたいのは感じない。そう、明確な悪意をもって襲ってきたサフィールのことは特にムカつくが、戦闘狂のお手本みたいなコイツのことは別に嫌いではない。アスベル村の冒険者ギルドで会った時も、相手になると言ったし。
それに、今日の予定はあるにはあるが、それほど急ぐわけでもないしな。
「まぁ、いいか。付き合うよ、カイ。俺も少し、体を動かしたい気分だったんだ」
「っしゃあ! それじゃあ早く、闘技場に行こうぜ!」
子供みたいに喜ぶカイの姿が、俺には少しだけレキと被って見えたのだった。
「――っと、もう昼かよ。しょうがねぇ、ここらで止めにすっか」
ブゥンと勢いよくデカい木剣を振るってから、肩に担いで背中を見せるカイに対して、俺も同じくデカい木剣による二刀流の構えを解いた。俺の耳にも、正午を知らせる鐘の音が激戦の最中でも聞こえていた。
「そうだな」
ふぅ、と一つ息を吐いて体をリラックスさせると、戦闘中はまるで気にならなかった汗まみれの体と心地よい疲労感を覚える。前にカイとやり合った時は即座に決着だったが、今回は勝敗を気にしない練習。だから延々と木剣で打ち合っていたのだが、こんな二時間か三時間もぶっ続けでやることになるとは。
「やっぱり、剣だけだと分が悪いな」
「魔法まで使われたら、俺が押し切られちまうぜ」
互いに健闘を讃えるほど、中々に実りのある模擬戦であった。
俺はカイのスタイルに合わせて、魔法は全て封印して戦うことにした。折角、ランク5冒険者の剣士と一対一でやりあう機会なのだから、最大限に生かすにはやはり同じ剣で戦うことだろう。
そして、それが正解だったことを、俺はカイと切り合いを初めてすぐに分かった。
コイツの身体能力は、改造強化された俺と同等。とても人間とは思えない、正に超人的なパワーとスピード。だが何よりも恐るべきなのは、自分のスペックを完全に把握した上で振るわれる剣技。
一見すると、その優れたパワーに任せた力押しの戦い方に思えるが、実際に刃を交えてみれば、そこには確かな技巧があることを感じ取れる。相手を力で押し切る時は、単にそれが最も合理的だからに過ぎない。
カイは俺の剣に合わせて、受け、弾き、流し、と華麗に捌いていく。『絶怨鉈「首断」』と『暴食牙剣「極悪食」』に見立てた大型木剣の二刀流で、嵐のような連撃を見舞うが、ついにクリーンヒットを許すことはなかった。
模擬戦の最中、カイは一度だけ木剣が折れて交換したが、俺は五本くらいダメにしている。これだけで、俺とカイとの剣術の差は明白であった。
俺にもまだまだ、成長の余地があるのだと実感する。先が遠くもあるが、嬉しくもあった。
「カイ、ありがとう。いい練習になった」
ついでに、思い切り体を動かして気分もどこか晴れやかだ。リリィとフィオナのことは、覚悟していたこととはいえ、俺に想像以上のストレスを与えていたに違いない。ほんの一時だが、悩みを忘れて夢中で剣を振るえたことで多少は発散できたといった感じ。
予想以上の収穫で、俺は本心からのお礼の言葉である。
「ははっ、俺とやりあって礼を言うヤツなんて、お前が初めてだぜ」
愉快そうに笑って答えるカイだが、まぁ、コイツの相手をマトモにできる者はスパーダでも限られるだろう。剣術の腕前もさることながら、カイには化け物じみたスタミナもある。コイツの全力に付き合えば、疲労困憊で礼を言うほどの気力さえ残らないだろう。
「また頼む」
「おう、いつでもかかって来いよ!」
アリーナの隅にあらかじめ用意しておいたタオルで濡れたツンツン頭をガシガシと拭きながら、カイはどこまでも爽やかに言った。こうして見ると、サッカー部かバスケ部のエースといったスポーツ少年みたいである。
こういう快活な男が親友でパーティメンバーにいるとは、少しばかりネロが羨ましくもなる。ウチのパーティだって、信頼関係じゃ負けないと思っていたが……いや、今はよそう。
「けど、なんつーか俺も、礼を言いたい気分だぜ。ガラハドから帰ったら、やけに退屈でよ」
「適当に高ランクのクエストでも受ければ良かったんじゃないのか? メンバーは全員、無事だろう」
「『ウイングロード』は今、解散状態なんだよ。ネロはネルに会うためにアヴァロン帰ったし、シャルはまーた王城で捕まって戻ってこねぇし。フリーなのは俺とサフィの二人だけ……けど、アイツとコンビを組むほど、俺もバカじゃあねぇ」
そうか、ネロはもうアヴァロンに帰ったのか。まぁ、戦争が終わったんだから当然といえば当然だろう。決着がついてから、もう三ヶ月以上も時間が過ぎているし。
「あんま適当な奴と組んでもしょうがねぇしな。ソロで行ってもいいんだけどよ、今はちょっと止められててな」
「何でだ?」
「アヴァロンの騎士選抜に出ることになってよ」
「騎士選抜?」
「お、何だよ、知らねーのか」
ということで、カイにアヴァロン帝国騎士選抜大会とやらを教えてもらった。
要するに、甲子園の騎士バージョンみたいなもんだ。
「毎年、スパーダとか他の同盟国にもお声がかかって参加してんだよ。だから、アヴァロンだけじゃなくて、都市国家同盟がみんな注目する、デケぇ大会なんだ」
「おお、晴れ舞台じゃないか」
「そうでもねぇさ。出場者は学生のみって年齢制限あるから、よほどの天才じゃなけりゃ、大した相手にはならねぇんだ」
自分も学生の身でありながら随分と大口を叩くものだが、カイは大会どころか本物の戦場を経験してきた剣士である。温室育ちのお行儀がいいお坊ちゃんお嬢さんと競い合ったところで、得るものは何一つないだろう。
「でも、気になる奴は一人くらいいるだろう」
「まぁな。帝国学園のセリスって奴はネロ並みの魔法剣士だ。俺もサシで勝てるかどうかは分からねぇ……けど、試合で上手く当たるかどうかは、神様に祈るしかねーだろ」
先鋒・次鋒・中堅・副将・大将と剣道の団体戦みたいな試合形式である。意中の相手と当たる確率はご覧のとおりだ。
「でも、そういうのちょっと憧れるぞ」
「何だよクロノ、出たかったのか?」
流石にそこまで、暇な身分ではない。俺は次の十字軍との戦に備えて準備と鍛錬あるのみ……だが、その前に片付けねばならない大きな問題がある。他のことにかまけている余裕などない。
「どっちにしろ、冒険者コースからは出場できねーからな」
「それもそうか」
冒険者コースからの出場がOKだったら、大会の時だけ熟練の冒険者みたいなヤツを助っ人として入学させるとかの裏ワザが成立してしまう。年齢制限がある時点で、大多数は弾けるだろうが。
もし俺がここで騎士コースにでも入り直せば、年齢制限には引っかからずに出場することもできるだろうが、学校の名前を背負うのは、きちんと在籍した生徒でなければいけない。実力があっても、俺が選ばれることはないのだ。
「去年はどうだったんだ?」
「去年は俺、出てねーんだ。ちょうどクエストに行っててよ」
だから『ウイングロード』のメンバーは一人も出場していないということ。カイもサフィもシャルロットも出ていない。勿論、留学生のネルとネロなんて論外だ。
「だから王立スパ-ダ神学校は一回戦で負けて帰ってきてたぜ。今年はいいところまで行きてーんだとよ」
神学校の面子なんて心底どうでもよさそうにカイが愚痴った。
「なぁ、クロノ、あのサリエルとやりあったお前なら分かるだろ。この世界には、俺なんかよりまだまだ強ぇ奴が沢山いるんだ。そういう奴らに追いつくには、余計なところで足踏みしてる暇なんてねぇんだよ」
「お前は、どうして強くなりたいんだ?」
「男なら、強くなりたいに決まってんだろ!」
なるほど、真理である。どこまでも強さに一直線なコイツが、少しばかり眩しく映る。
「ま、そういうワケでちょっと腐ってたとこだったんだ。でも、お前が相手してくれて良かったぜ」
コイツもコイツで、退屈を紛らわせたってところか。
「俺は大会まではずっと学校にいるから、暇があればまた相手を頼むぜ。それじゃあな」
そうして、カイは颯爽と去っていった。
「……もし、ウィルの作戦が上手くいったら、サリエルも連れてきてやるよ」
2015年10月23日
今回と次回はやや短いので、月曜日も更新します。