第525話 相談事
朝、目が覚めるとすでにフィオナの姿はなかった。顔の辺りがちょっとベタついていたような気がするのは、起き抜けに悪戯でもされたからだろうか。
それにしても、一晩寝ると気分がややスッキリしている感じがする。悩み事、問題は何も解決してはいないのだが、それでも、体に活力は戻ってくるのだ。あるいは、フィオナに添い寝してもらったのが、予想以上のリラックス効果を発揮したのかもしれない。思い切って、甘えてみた甲斐があったということか。
しかし、結局リリィは朝になっても帰ってくることはなかった。一晩で戻らなかった以上は、しばらく、俺達の元へ帰るつもりはないのかもしれない。
何とも気の滅入ることだが、それでも、また新しい一日が始まった。
「では、いってらっしゃい、クロノさん」
「ああ、夕方までには戻るはずだから」
朝食をつつがなく終える――いや、俺が何とも自然にサリエルに食事を食べさせ始めたのを、フィオナが『アインズ・ブルーム』片手に止めに入るというアクシデントはあったけど、とにかく、俺は諸々の準備を整えて、寮を出た。
ついでに、俺は生まれて初めて『いってきますのキス』というのが実在することを、身を以て体験したりもした。
さて、浮ついた気持ちを落ち着かせて、俺は真っ直ぐに目的地へと向かう。といっても、そこは歩いて五分もしない距離。神学校の敷地内にある、幹部候補生専用の寮である。
「そういえば、直接ここに来るのは初めてだったか」
俺が訪ねるのは、勿論、親友たるウィル。スパーダの第二王子、ウィルハルト・トリスタン・スパーダに他ならない。
「――ともかく、無事に戻って何よりだ、クロノよ」
授業の開始前という早い時間に訪れた甲斐もあって、俺は入れ違うことも待ちぼうけをくらうこともなく、ウィルハルトと久しぶりの再会を果たした。
正に感動の再会、とばかりに涙を流して喜ぶウィルハルトも、俺が部屋に上がって、メイドのセリアがお茶を出してくれるまでの間に、ひとまずは落ち着きを取り戻したようだ。こういうオーバーリアクションなところを見ると、本当に、変わっていないんだなと安心する。
我が『エレメントマスター』の関係性は、あまりに変わりすぎてしまったから。
「一応、聞いておくけど、授業は良いのか?」
「ふふん、古来より『友、戦場より帰る。また楽しからずや』というではないか。授業如き、友の生還を祝う妨げにはなりえぬのだ!」
堂々とサボり宣言のウィルに、真面目な高校生であった俺としては注意の一つでもしたいところであるが、今はその方がありがたい。
「そうか、助かるよ。ちょっと、話が長くなりそうだから」
「うむ、いくらでも聞こうぞ。我としても、聞きたいことは山ほどあるのだからな」
そうして、俺とウィルはどっかりと腰を落ち着けて、話をすることになった。
幹部候補生専用の寮は、ウチのボロ屋とは違ってしっかりした作りなので、大声でも出さない限り会話が外に筒抜けになる心配はない。
強いて言えば、護衛メイドのセリアは当然のような顔で同席しているから、話を聞かれてしまうことなのだが……まぁいい。どうせ、長く秘密にしておくものではないからな。
そう割り切ってから、まずはガラハド戦争の結末と、転移魔法で飛ばされたこと。雪が融けるまで開拓村に潜伏し、それからスパーダに帰って来きたこと。ざっと、あらましを説明する。
「ふむ、概ね、こちらの予想通りということか。クロノから無事を知らせる手紙が届いた、という情報はリリィ君が私にも伝えてくれたのでな」
きっと『プレデターコート』などの装備を整えに、スパーダに戻ったついでに知らせてくれたのだろう。
「しかし、我が最も気になっておるのは……その、第七使徒サリエル、という最大の敵は一体、どうなったのだ? 仕留めたのか? それとも、逃したのか?」
「ああ、それについて、ウィルに相談したいことがある。というか、これが今日の本題なんだ」
「ふむ、というと?」
「サリエルは生け捕りにした。今は、俺の寮にいる」
「な、な、な……なっ――むぐぅ!」
盛大に叫びだしそうなウィルハルトの口は、俺の手と、横合いから伸びてきたセリアの手の二つによって塞がれた。
「失礼、ウィル様。万が一にも、今の話を外部へ漏らすわけにはいきません」
「ん、ん……んむ」
やや苦しそうにオーケーのジェスチャーをするウィル。とりあえず、落ち着いてくれたということで、俺もセリアも手を離した。
「先に言っておくが、今のサリエルに敵意はないし、使徒としての能力もない。代わりに、『暗黒騎士・フリーシア』の加護に目覚めている」
「……逃亡の心配は、ないのだな?」
「ああ、逃げるつもりなら、とっくの昔に逃げている。それに、サリエルは俺の寝首をかこうと思えばいつでもできた」
「まさか、三ヶ月もの間、共に生活していたというのか……敵の大将と」
まぁ、そういうことになるな、と俺は深く頷きを返す。
「うーむ、それならば、ますます以て分からんな。クロノ、汝は何故、怨敵である使徒を生かしたままにしておくのだ?」
当然、そこに疑問は行きつくだろう。
正直、サリエルを生かすにあたっての一連の流れは、俺としてはそう何度も人に話したい楽しい思い出ではない。リリィに泣いて逃げられたことで、もうこれを語ることが半ばトラウマ化しているんじゃないかって気がしてくるくらいだが、それでも、事情説明は必要だ。
とりあえず、同じ男のウィルにならまだ話すにあたって気が楽だし、何より、俺が異世界から召喚されたという事情もすでに知っている。話は早いだろう。
「実は、サリエルの正体は――」
そして、俺は今度こそ全ての事情を打ち明ける。
「――うっ、く……な、なんと……そのような事情があったとは……さぞ、つらかったであろう!」
結果、ウィルは泣きに泣いて、俺の境遇に大いに同情してくれた。
なんて友達甲斐のある男だろう、と嬉しく思う反面、こんなに同情されるのもかえって悪い気もしてくる。
「つらいというか、まぁ、凄い悩んだし、今も、割り切れない部分もある。けど、サリエルは使徒で、十字軍の司令官だった奴だ。このままずっと、隠しておくわけにもいかないだろう。サリエルの処遇をどうすべきか、まずは先に決めておきたいんだ」
「うむ、うむ……なるほど、汝が相談事はよぉーっく、分かった! よくぞこの我を頼ってくれた、万事、任されよ! この灰色の頭脳を持つウィルハルト・トリスタン・スパーダが、汝が望む解答に導いてくれようぞっ!!」
何とも頼もしいお返事がかえってくる。何故か一回立ち上がって堂々と言い切るウィルは、マントはなびき、モノクルは光り輝き、物凄い知的な切れ者キャラに見えた。
「それで、実際のところ、どうすればいいんだ?」
「まずは確認であるが、如何様な形であれ、十字軍捕虜サリエル氏を汝の傍にいられるようにすればよいのであろう」
「ああ、それが最善なんだが……かなり、難しいんじゃないのか? 第八使徒アイは、王城に封印されたって聞いたぞ」
アイが封印されるまでの経緯と現状について、ウィルが細かく補足説明してくれた。
ガラハドで捕えられたアイは、使徒という特別な身分からして人質交渉や国内での処遇は軍の裁判によって決められるが、その力の危険性を知るレオンハルト王は即座に王城へ封印するよう王命を下したという。
スパーダのど真ん中にある王城なんかに連れてきて大丈夫か、と思うが、そこの地下牢最下層は国内で最も堅牢な牢獄であると、一部の者には知られているそうだ。そこは、単なる鋼鉄と魔力封印の陣が刻まれただけの、普通の牢屋とは根本的に造りが異なる。
古代遺跡の一部をそのまま用いた『牢』は、なんと時間が止まっている……らしい。というのも、現代の魔法技術では、その原理や効果を正確に解明できていないからだ。詳しいことは不明、しかし、その牢に入れられた者は時が止まったように完全停止し、身動きどころか思考さえできない状態に陥る。
そこは巨大な氷の塊に閉じ込められているように見えることから、古代の神話に伝わる氷結地獄から名をとり『コキュートスの狭間』と呼ばれる。
とりあえず、そんな御大層な牢獄に封印されたアイは、たまに頭だけ『解凍』されて、少しずつ十字軍や使徒についての尋問を行っているらしい。アイツから上手く情報を引き出し切るには、少しばかり時間がかかる見込みだ。
「サリエルも加護を失ったとはいえ、使徒であったことに変わりはない。アイみたいに、有無を言わさず『コキュートスの狭間』にぶち込まれるんじゃないかと」
「いや、今のサリエル氏は左腕だけを残し、利き腕と両足を欠損した状態だというではないか。いくらなんでも、そこまでの重症を負っていれば、即時封印の王命が下るほどの緊急性はないであろう。我が軍としても、敵についての情報は欲しい故、可能ならばそのまま会話ができる状態に留めておくに違いない」
鎧の手足があれば、加護の雷属性と黒化で自由に動き回れると知れば、対応は変わって来るだろうか。まぁ、いきなり手足が再生するワケではないし、いくらでも手の打ちようはあるな。
「少なくとも、パンドラ神殿の神官による加護の審査はされるであろうな。そこで『暗黒騎士・フリーシア』の加護が証明できれば、さらに警戒度は下げられる」
「けど、それは狭間に入るか、普通の牢屋に入るか、くらいの違いになるんじゃないか?」
「うむ、重要なのはここからだ。サリエル氏の処遇にあたって、我らは大人しく沙汰を待つのではない。クロノ、汝が自ら、我が父レオンハルト王へ願わなければならぬ」
王様に直訴ってか……そいつは緊張するな。
「なに、そう心配するほどのことでもない。汝は第四隊『グラディエイター』の隊員であるからして――セリア、本棚の上から三段目、右から四番目と七番目、それと最下段の左三番目を持ってきてくれ」
部屋の中で結構な体積を占めている大きな本棚の方を見向きもせずに、ウィルが指示を出していた。ということは、まさか、全部の本の位置を覚えているんだろうか。凄い暗記力なのか、凄い几帳面なのか。どっちにしろ、凄い。
「『96年度版スパーダ全法』、『古代法解釈Ⅱ・上巻』、『ドキッ、巨乳エルフだらけのダンジョン攻略・淫魔の館編』の三冊でよろしいですか?」
「ばっ、馬鹿者ぉ! 隠してる段は含めるな! 普通の下段から左三番目である!!」
「失礼しました。『冒険者の権利保障・第三巻』でよろしいですね」
「うむ、ご苦労、まずはこのスパーダ全法によれば――」
「なぁウィル、今もの凄い場違いなタイトルが聞こえた気がしたんだが」
「ふっ、何のことだ? メイドのささやかなミスくらい、気づかなかったことにしておくのが主としての器よ」
「そ、そうか……まぁ、何だ、その、良かったら今度、貸してくれよ」
「うむ、我がコレクションは選りすぐりである。好きなものを持ってゆくがよい」
ありがとう、とウィルと男の友情を深めたところで、本題に戻る。
「正式に徴用された冒険者、つまり『グラディエイター』隊員が、戦場においてその勲功が大なりと認められる場合においては、戦功交渉をする権利が発生するのだ」
もっとも、普通は『グラディエイター』を管理するスパーダ騎士の士官を通すか、最大でも隊を率いる将軍、今回の場合だとアイゼンハルト第一王子になるが、その辺りが交渉相手としての最高位となってくるようだ。まぁ、ちょっとばかり活躍したくらいで、いちいち王様が話を聞いていればキリがないだろう。
「しかし、此度の戦で汝があげた戦功は、我が軍の勝敗を左右するほど大きなものである。かの竜王ガーヴィナルを一騎打ちにて留めた我が父の活躍に匹敵すると言えるであろう」
「そ、そうか? 別にそこまで大それたことは――」
「これくらいは言い切って貰わねば困る。戦功交渉は自身の活躍を如何に誇張するかのパフォーマンスが重要なのだ。謙虚なところは汝の美徳であると思うが、こういう事には不向きなようであるな」
確かに、そういうのは苦手だ。俺の性格を、ウィルはよく見ぬいている。
「もっとも、汝の戦功が英雄的なものであるというのは誰の目にも明らかな事実である。こちらが黙っていても、爵位を授与する話が向こうから来るほどであろう」
「貴族になるつもりはないんだが……けど、それだけ評価されているからこそ、多少の我がままも通せるかもってことか」
「うむ、こちらの勝算は十分にある」
力強く頷きながら、ウィルはセリアが持ってきたエロ本――じゃなくて、スパーダの法律関係らしい分厚い六法全書みたいなものを開きながら、言葉を続けた。
「最も幸いなのが、こちらがまだ一切の報酬を受け取っておらぬことだ。リリィ君もフィオナ君も、汝の救出に全霊を傾け、とても報酬を貰うどころの様子ではなかったようだからな」
手紙で無事は知ってはいても、それでも不安は尽きなかっただろう。俺としても、二通目の手紙を出すことはできなかったし、十字軍に察知される危険性を思えば、二回は避けた。
リリィはスパーダで救出の準備を整えた後は、すぐにガラハド要塞に戻り、そのまま雪が融ける三ヶ月の間、フィオナと二人で過ごしたという。改めて、多大な苦労をかけたと感じる話だ。
開拓村でそれなり以上に楽しくやっていたことが、かなりの罪悪感となって圧し掛かってくる。
「冒険者への報酬には、幾つかの類型がある。大抵は金銭による支払いが基本であるが、高価な武具や魔法具、大魔法具といった現物、土地や商いの権利といったものもある。それと、先も述べたが爵位といった地位も、報酬としての前例は歴史上、幾度かあることだ」
前例があるということは、それだけ認められやすいということでもある。こっちの要求と似たような事例があれば、それと同じようにお願いします、という流れにできる。
「けど、金も現物も、権利も地位も、サリエルを解放させられるだけの条件ではないだろう」
「ふっはっは、そう焦るでないクロノよ。我はすでに、此度の交渉に最適なプランを見つけておる」
「おお、本当か!」
凄い、やっぱりウィルにこの相談を持ちかけて正解だった。これで上手くいけば、当面の問題事は半分ほどかたがつく。
情けない話だが、もうストレスでいつ胃に穴が空いてもおかしくない俺としては、一刻も早く肩の荷を下ろしたいのだ。
「なぁに、答えは単純至極、実にシンプルなものである――」
ふふん、と完璧にキマった顔と角度で、ウィルは言い放つ。
「――サリエル氏を、汝の奴隷として貰い受ければよいのだ」