第521話 罪の告白
果たして、ヘルマン男爵は俺との約束を守ったようだ。俺達がガラハド要塞に到着するまでの間、十字軍の追っ手は影も形もみせなかった。追跡用の使い魔一匹さえ、姿を現していない。
実のところ、追っ手は出したていたけど、単に俺達を見つけられなかっただけもしれないが。
リリィとフィオナも、流石に敵要塞の目の前までやって来るにあたり、それ相応の準備を整えてきていた。その代表が『プレデターコート』という完全に姿を隠せる魔法具である。
原理としては、光属性魔法によって可視光線を歪めることで透明化しているように見せかけるというものだ。ただし、あまり激しく動くと光の歪みが周囲の光景とズレて、その部分だけグニャリと見えたり、ボヤけたりするらしいので、どんな状態でも完全に姿を隠せるというワケでもない。
しかしながら、ジっと潜んでいるだけならその効果は絶大。警備兵の肉眼か使い魔の目視だけの警戒態勢なら、まず間違いなく発見することは不可能だ。
ちなみに、コートと名がつくものの、実際はかなり大きな一枚の布地だ。『プレデターコート』は光属性に適性のある者しか透明効果を発揮させられないから、使用者はリリィで、一緒にフィオナを被せることで、二人とも姿を隠していたようだ。二人羽織みたいな感じか。
このように、隠蔽用のアイテムが色々と充実しているのは、幸運にもリリィとフィオナがガラハド要塞に滞在している内に、俺の手紙を受け取ってくれたからである。リリィは即座に状況を察し、俺の帰還を支援するべく、必要な装備・物資を揃えるためにスパーダへ走ってくれたのだ。
準備は万端。紆余曲折はあったものの、俺の方もどうにかアルザス要塞で二人と合流することに成功した。
ガラハド要塞まで辿り着くことができれば、後はもう、敵の襲来を警戒する必要のない、安全な国内の道を行くのみ。行く手を阻む障害などあるはずもなく、道行は順調に進む。
そうして、俺は何か月ぶりかに、スパーダへと帰り着いたのだった。
「……ああ、帰って、来たんだな」
久しぶりに再会を果たした不死馬のメリーの背に揺られて、俺は遠目に首都スパーダの大城壁を眺めながら、感慨深くつぶやく。
月が替わり、三月となる清水の月2日。ガラハド要塞からスパーダへの帰還も果たすことになった。
無事にダイダロスを脱せば、もうガラハド要塞に滞在する理由は何もない。戦争はもう、終わったのだから。
ガラハドでしばらく厩舎生活を強いたメリーではあるが、フィオナとリリィはきちんと世話をしてくれたようで、こうして久しぶりに乗って歩いてもこれといった違和感や衰えといったものは感じられない。本当に、二人には何から何までしてもらって、頭が上がらない。
そうして力強く歩みを進めるメリーの背には、俺だけでなく、サリエルの姿もある。
実はまだ、サリエルを捕らえたことをスパーダ軍に報告していない。
決して、このまま黙って隠そう、匿おう、と考えているわけでは断じてない。俺としては、真っ先に敵の総大将を捕虜にした、と申し出るつもりだったが……今はまだ止めた方が良い。そう言って止めたのは、他ならぬリリィとフィオナであった。
要は、まず真っ先にサリエルを交えた事情説明を、自分達が聞きたいということらしい。サリエルをスパーダ軍に突き出せば、まず間違いなくその身柄を預けることになるだろう。
聞くところによれば、あの第八使徒アイが何と、間抜けにもガラハド戦争で捕虜となり、スパーダ王城の地下の特殊な牢獄に幽閉されたという。使徒の力を失ったサリエルに大仰な牢屋は必要ないが、それでも、同じ場所に閉じ込められて、もう二度と面会も叶わない、という状況もありえなくはない。
正直、スパーダ軍がサリエルをどう扱うか、俺達には正確なところが分かりかねる。だから今の内に、自分達も聞けるだけ聞いておきたい、ということらしい。
そして、二人が事情を聞いた上で、サリエルをどうするか、より具体的には、どういう風にスパーダ軍へ突き出すか。こちらが、というより、俺が望むように条件は付けねばならないし、最悪、処刑も考えられるなら、匿い続けるというのも選択肢の一つとなってくる。サリエルの今後の処遇を決めるにあたって、まずは二人が納得のいく説明をしなければいけない、ということだ。
さっさと事情を打ち明けておけば、こんな密入国みたいな真似をさせる必要もなかったのだろう。ガラハド要塞に戻った際、俺の帰還についてはスパーダ軍には報告済みだ。一応、スパーダに戻った後も冒険者ギルド本部を通して、報告することとなっているし、騎士からは王城から召喚命令もすぐに受けるだろうとも話していた。
何でも、俺は強力な敵を撃退させた功労者であり、レオンハルト国王陛下も目をかけているそうな。
ともかく、俺自身の動向については報告義務があるのだ。しかし、要塞に到着した時、サリエルのことは隠した。リリィとフィオナが所持していた変装用の魔法具を使って、またしても別人に変装させたりも。幸いにも「誰だよソイツ」と突っ込まれることなく、ここまで連れてこれたのだが。
バレるかも、という思いもあって、やや慌ただしくガラハド要塞を俺達は後にした。結局、落ち着いて話をするには、スパーダの寮に帰ってからということに。
リリィとフィオナと再会してから早数日。俺は深刻な事情を抱え込んだまま、なかなか打ち明けることができず、苦しい時を過ごしている。二人が俺とサリエルを見つめる視線は、日ごとに厳しくなってゆき、ロクな会話もないまま、ここまで帰って来た。
胃に穴が空きそうなストレス。正直、開拓村に帰ってまた呑気なニセ司祭生活を送りたい気分だ。
けれど、一番つらいのは、二人だろう。俺の苦労は、何てことはない。
覚悟を決めた。後悔もしていない。俺が選んだ結果だ。たとえ、どんなに苦しく、悲しい結果が待っていようと、俺は甘んじて受け止めよう。
「……」
見上げた空は、まだ青い。
夕暮れ前には、寮まで帰り着けそうだ。
だから、今夜。ようやく、全てを二人に打ち明けよう。
俺が何故、サリエルを生かし続けているのか。どうやって、彼女の加護を奪ったのか……その、全てを。
すでに日は暮れて、ボロい寮のラウンジには室内灯が灯り、柔らかな光りで照らし出している。
静かな夜だ。虫の声も、聞こえてこない。夜空には、薄っすらとした雲が僅かに浮かぶだけで、ぼんやりと朧月が輝いているのだろう。
シモンは、寮にはいない。何かのクエストに出向いて行ったのだと聞いている。いつ戻るかは、分からない。
だから、今、このテーブルについているのは、リリィとフィオナの二人。向かい合うのは、俺とサリエル。誰の邪魔も入らず、ようやく、四人で話せる。
準備は整った。もう、後には退けないし、先延ばしもできない。
さぁ、話を始めよう。
「……そうだな、まずは、俺が転移魔法に飲まれた後のことから、話そうか」
リリィとフィオナは声もなく、頷いた。
「アレは『天送門』というらしい。俺を実験体にした元凶の、ジュダス司教という男が作った、使徒の緊急脱出用の転移魔法だそうだ」
「出た先は『光の泉』ね?」
「あ、ああ……話したっけ?」
思わぬリリィの質問に、一瞬悩む。いや、間違いなく、『光の泉』に飛ばされたことはまだ話してはいない。
「恐らく、あの転移魔法は地脈を利用しているのよ。それも、強い光属性の性質を帯びるものに限定された。だから、飛ぶ先は自由に設定できるワケじゃなくて、光の地脈が地表に出るポイント、つまり龍穴に限定される。きっと、本来の転送先はダイダロスにでもこしらえた聖堂だったはずよ。でも、それよりも手前に、強力な光の龍穴があった……それが『光の泉』」
淀みないリリィの説明を、半ば唖然として俺は聞いていた。まさか、謎の転移魔法をそこまで解明しているとは。
この見た目だけはレキとウルスラよりも遥かに幼い姿のリリィが、こうして滔々と魔法を語ってみせると、改めて驚かされる。
「まだ多少の魔力は残っていたようね。でも、あと一年、いいや、半年でも遅かったなら、クロノは予定通り敵のど真ん中に出ていたでしょうね。女王陛下の加護に、感謝しないと」
そう言って、リリィは柔らかく微笑む。本当に、信仰する妖精の女神へ感謝を捧げるように。あるいは、俺の無事を喜んでくれるように。
けれど、何よりも安らぐはずの幼い微笑みを見て、俺の背筋にはどうしようもなくゾクリとした悪寒が走り抜けるのだ。
今のリリィは変身こそしていないが、意識は完全に戻している。嘘も誤魔化しも通用しない。それどころか、きっと俺が自分自身でも目を背けてしまうような深層心理さえ、彼女は暴き出してみせるだろう。
「転移魔法については、いいわ。問題なのは、その先……ねぇ、クロノ、貴方は一体、『光の泉』で、何を見たの?」
反射的に逃げ出したくなる気持ちを堪えて、俺は、真っ直ぐにリリィの瞳を見つめ返す。
「サリエルの記憶を見た」
語る。俺が見た真実を、ありのままに。
「心蝕弾頭を頭に喰らったサリエルは、近くにいた俺に強烈な逆干渉を引き起こした。俺はその時から順に、サリエルの記憶を遡って見たんだ」
まずは、その日の戦いの記憶。俺はリリィと合体して女の姿になった自分をサリエルの視点で見たし、戦場に乗り込んでくる前に、アルザス要塞で飯を食っていた風景も確認している。
「では、私達の作戦は成功していたのですね」
「ああ、大成功だった。あの時、サリエルはほとんど意識を失って、ロクに反撃できる状態じゃなくなっていた」
過去の記憶と、目の前の現実とが判然とせず、サリエルは俺の『憤怒の拳』をモロに喰らっていた。
「そして、最後は封印された記憶も、全て、解放した」
サリエルが使徒として戦い続けてきたこと。何人かの使徒仲間と交流しているところも、見た。そして、彼女が使徒に目覚める前のことも。
「――やっぱり、クロノと同じ実験体だったのね」
「ああ、これもリリィの予想通りだった」
ジュダス率いる『白の秘跡』の哀れな犠牲者。
「いざその現実を前に、同情、してしまったのですか?」
「いいや、フィオナ。それだけなら、俺はまだ、サリエルを殺せたさ」
悩みはした。だが、俺は泉の畔で、死に体のサリエルを蹴り飛ばし、そのか細い首に手をかけた。地獄の人体実験の苦しみを味わった同胞と知りながらも、俺は、彼女を殺せた。
「首の骨をへし折る、その直前に、俺は知ったんだ……サリエルの正体が、同郷の、知り合いだったことを」
「異邦人、ですか」
俺は召喚、サリエルは転生と、微妙に状況は異なるが、この異世界へ来たのは同じ。
「同じ日本人でも、赤の他人だったら、まだ、殺せた。けど、俺には……無理だった……顔を見知った相手を、少しでも、言葉を交わした彼女を……どうしても、殺せなかった」
すまない。俺は、自分の弱さを謝ることしかできない。
無論、許しの言葉は、返ってこない。リリィも、フィオナも、沈黙を貫く。
そうして、静寂に包みこまれたのは十秒か二十秒か。沈黙を破ったのは、リリィだった。
「名乗りなさい、サリエル。貴女が、何者だったのか」
翡翠の視線が、刃のような鋭さをもって、サリエルに突き刺さる。それでも、無感情の人形同然のサリエルは、即座に回答した。ウルスラのささやかな疑問に答えるように、淀みなく。迷いもなく。
「私の名前は白崎百合子。黒乃真央と同じ、市立桜木高校に通う二年生。同じく、文芸部に所属。日本においては、特異な能力も地位もない、一般的な学生でした」
「そう、クロノと……同じ……貴女は、本当に、ただの知り合いだったの?」
「白崎百合子は、黒乃真央へ一方的な恋愛感情を抱いていた。事実、召喚当日に、彼女は黒乃真央を呼び出し、告白しようとしていた。しかし、恋心を告げる言葉を口にした瞬間に、私も彼も、異世界への召喚が実行――」
「もういい」
リリィの制止の言葉に、サリエルはDVDプレイヤーの停止ボタンを押したように、ピタリと話すのを止めた。
再び、静寂が戻ってくる。暗く、重苦しい、海の底みたいな静寂が。
「それで結局、トドメを刺し損ねたのですね、クロノさん」
「ああ、申し開きの、しようもない」
「いえ、別に責めているワケではありません。流石にクロノさんでも、とても悩み、苦しんだ、苦渋の決断だったのでしょう」
理解のある言葉が、かえって心に突き刺さる。けれど、一番怖いのは、フィオナの表情には普段とまるで変化がないこと。
眠そうな、どこまでもヤル気のないぼんやりした無表情。見慣れたその顔はしかし、今は人の苦しみなどまるで意に介さぬ、超然とした女神の如しだ。彼女の心の内が、俺には全く、分からない。
言葉とは裏腹に、怒っているのか。それとも、もう俺の情けない体たらくに心底愛想を尽かして、どうでもよいと思っているのか。このままフラっといなくなって、もう二度と会えなくなっても、おかしくない雰囲気だ。
「でも、よくそれで生きていられましたね」
「……サリエルにはもう、敵意はない。使徒としての力、加護を全て、失ったからだ」
「戦いの後は、イルズ村に潜伏していたようですけれど、裏切られて密告されることもなく無事に済んだのですから、事実、なんでしょうね」
最も疑うべき部分だが、フィオナは何でもないように納得を示す。確かに、サリエルに二心あれば、俺を生かすも殺すも自由だった。無事にスパーダへ生還したことが、何よりの信頼の証ということではあるが……それでも、そう簡単に納得できることではないだろう。
「でも、一応は聞いておきますけど、貴女はどう思って行動してきたんですか?」
今度はフィオナの黄金の視線が、サリエルに突き刺さった。これにも、彼女は何ら揺らぐことなく、いつもの調子で平然と答える。
「神の意思より解放された私に、明確な行動方針を与えるのは、白崎百合子の意思。私は、彼女の意に沿うようにしたいと考えている」
「何故ですか?」
「分かりません。ですが、私が白崎百合子の意思を叶えようと望む気持ちは、確かに存在している」
「クロノさんのこと、愛しているんですか?」
「黒乃真央を愛しているのは、私ではなく白崎百合子。私には、愛というのが如何なる感情であるか、理解はできるが、実感することはできない。人間的な感情が欠落した私に、人を愛することができるとは、思えません」
「そうですか。愛はなくても、セックスはできますからね」
フィオナは、もう気づいている。その一言で、察するには余りある。
それもそうか。そもそも、俺があの方法を思いついたのは、フィオナの発言がきっかけだからな。自分で言っておいて、気づかないはずもない。
「どうしたのですか、リリィさん。さっきから、私ばかり質問していますけど」
「……何が」
一転。フィオナの視線はすぐ隣で黙り込むリリィへと向く。確かに、リリィは急に話さなくなり、話の主導権はフィオナが握っている。
「本当は、もっと聞きたいこと、あるんじゃないですか?」
「おおよその事情は、もう分かったわ……クロノが、サリエルをどう思っているのか、どうしたいのかも」
「そうですか。では、私が聞きますね」
黄金の瞳が、俺を映す。真実以外を語るのは、決して許さないとばかりに、どこか神秘的に輝きながら。
「クロノさんは、どうやってサリエルから加護を奪ったのですか?」
ああ、いいだろう、フィオナ。教えてやるよ。俺は、嘘も誤魔かしもしないぞ。
「それは――」
「やめて」
止めたのは、リリィだった。
「やめて。いい、もういいの……」
俯いたまま、うわ言のようにつぶやくリリィ。彼女の表情は見えない。
「……リリィ」
「お願い、クロノ……言わないで……」
消え入りそうなリリィの声。震えている。泣いているのか、リリィ?
「怖いのですか、リリィさん」
どこか冷めたフィオナの声が、やけに大きく響いた。
「私も同じですよ。でも、これは私達が聞かなければいけないことなのです。他の誰でもなく、クロノさんの口から、直接――」
真っ白いフィオナの両手が、隣のリリィに伸びる。そっと、優しく、今にも脆く砕け散ってしまいそうなガラス細工のようなリリィを、彼女は抱き寄せた。
悲しみに震える小さな妹を、優しく抱きしめる姉のような姿。しかし、何故だろう。震えるリリィに絡むフィオナの手は、猛毒をもった白蛇のように見えた。
「さぁ、聞かせてください、クロノさん。貴方の罪を、全て」
「んんっ!」
フィオナの手が、リリィの口を塞いでいた。
俺の懺悔を止める者は、最早、誰もいない。
「純潔を失えば、サリエルは使徒の資格を失う。だから俺は――サリエルを、犯した」