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黒の魔王  作者: 菱影代理
第26章:暴食の嵐
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第516話 墜落

 すぐ目の前で、怒り狂った雷様が全力でぶちかましたような特大の雷が弾けた。

「――うぁあああああああああああああっ!?」

 その瞬間に何が起こったのか、正直なところ俺には全く分からなかった。

 つい一秒前まで、俺は絶体絶命のピンチに陥っていたはず。周囲は毒ガスに満ちて、『鋼の魔王オーバーギア』を解除したら即死。濃い紫色のガスによって視界は完全に塞がれ、あと一撃で弱点らしき臓器へ攻撃が届くというところでターゲットを見失う。

 だから俺は、もうイチかバチかで榴弾グレネードバーストをぶっ放した、その直後だ、この眩い雷光が突如として迸ったのは。

 何なんだこれは、と改めて疑問を思い返している内に、ドーン! と強烈な雷鳴が轟く。俺はグラトニーオクトの咆哮によって、強制的にダウン状態にさせられていたが、そんな中でも聞こえたということは、相当な大音量である。

 気が付けば、巨体を震わせる大咆哮もすっかり収まっているように感じる。まさか、本当に聴覚が死んだワケじゃあるまい。俺の耳にはまだ、大地が揺れるような不気味な震動音と、獣の唸り声にも似た、低い風音が届いている。

「くっ、あ……くそっ、一体、何なんだよ……」

 聴覚を始め、五感はすぐに戻ってくる。

 体に異常は特に感じられない。フラッシュグレネードより眩しく瞬いた雷光だったが、俺の目は潰れていないし、ついでに感電したってこともない。

 反射的に固く瞑っていた目を、俺はパチパチさせながらゆっくり開き直す。視界が戻ってくると同時に、今度は嗅覚が反応する。

 焦げ臭い。肉を焼いたような、というより、正しくその通りなのだろう。

 俺の目には、ついさっきまで満ちていた紫毒の濃霧が綺麗さっぱり払われ、その代わりとでもいうように、グラトニーオクトの体内にあたる肉のドームのそこかしこがブスブスと黒焦げになり、濛々と煙を放っていた。

 まぁ、あんなデカい雷が体内を貫いたというのなら、このダメージ具合は当然だろう。

 とりあえずは、魔力消費のキツい第二の加護をさっさと解除し、止めていた呼吸も再開。人間の限界を超えて長く息を止めることができるといっても、あまり気持ちのいいもんじゃない。

 深呼吸を一つ、二つ。落ち着きつつ、改めて周囲を見渡してみる。

 見れば、ここにあった卵の大半が焼失しており、単なる炭の塊となって転がっている。

 しかし、最も被害が大きいのは、正に俺が榴弾グレネードバーストをぶち込もうと狙っていた肉の壁。

 一体、どれほどの高熱に襲われたのだろうか。立ち上る黒煙の隙間から見える肉は血液が一瞬で煮え立ったようにブスブスと不気味に弾けている。どうやら、この肉壁の向こう側が雷の通り抜けた部分であるようだ。

 となると、あの超特大の雷撃は、グラトニーオクトの体のど真ん中を貫いたってことになるのか。とんでもない威力だ。

 しかし、こんな超絶火力を誇る攻撃魔法をぶっ放せる奴が味方にいるなんて聞いていない。単純にヘルマン男爵が虎の子の天才魔術士みたいなヤツを隠していたのかもしれないが……どっちにしろ、文字通りの一発逆転によって俺が助かったのは事実だ。

 ここは、ほっと一息ついていい場面なのか、と思ったその時、立ち込める黒煙の向こうから気配を察する。ソレは隠す気もないのか、崩れかけた肉の壁を強引に押し通るような音を立てて、存在を主張している。

「ま、まさか……真のボスが登場とか、ないよな……」

 巨大なボスって大抵、倒すと中から人間サイズのボスが出てきたり最終形態になったりするよな、なんてゲームにおけるラスボス戦のセオリーを思い浮かべながら、俺はいよいよ残りが心もとなくなった魔力を振り絞って、もう一度『榴弾グレネード・バースト』を作り上げる。

 黒き砲弾が周囲に顕現するのと同時に、黒煙を割って何者か、が現れた。果たして、その正体は巨大なグラトニーオクトを操る真なるグラトニーオクト……などではなかった。

「――サリエルっ!?」

 すぐに彼女だと判別できたのは、長いような短いような三ヶ月の生活があったから、というだけではない。現れたサリエルの髪は、白崎さんと同じ亜麻色ではなく、彼女本来のものである白銀へと戻っていた。俺にとって銀髪ってのは、強烈にサリエルのイメージを思い浮かばせるほどのものだから、これを見れば一発だ。

 しかしながら、彼女の変化は髪色だけに留まらない。というか、髪の色が元に戻っただけなら、ただ『七色変化の髪留め』が壊れただけだと納得できるが……何だ、俺の目が狂っていなければ、サリエルは自分の足で立って歩いているように見える。

 手にした一本の黒い槍を、杖のように突いてヨロヨロと歩み寄ってくる。待て、よく見れば右手もあるし、しかも、槍は『聖十字槍グランドクロス』が黒くなっただけの同じデザインだ。

 サリエルの身に何が起こったのかは不明だが、それでも、グラトニーオクトを貫いた雷撃が、彼女によるものだというのは間違いない。

「おい、大丈夫か?」

「……すみません、魔力が切れました」

 割と重大な事をサラっといつもの無表情で言いながら、サリエルの体が崩れ落ちる。

 バチリ、と赤黒いスパークが、そうだ、俺の疑似雷属性とよく似た色のやつが、サリエルの右手と両足に弾ける。欠けた部位にあたる部分は俺が装着している重騎士鎧と同じもので、カラーリングも『黒化』したのと全く同一の色合いだ。

 その黒化鎧にスパークが僅かに迸った直後、砕け散った。籠手と具足の中身は空っぽ。義手と義足のように操作していた、ということなのか。

 何にせよ、再び両足を失ったサリエルは自然、そのまま体が落下するだけ。

 俺は焦げた肉の地面に、随分とボロボロになったように見えるサリエルの体が落ちるよりも前に、慌てて駆け寄り彼女を抱きかかえた。

「これは、どういうことなんだ……お前から、黒色魔力を感じるぞ」

 腕に馴染んだ軽さのサリエルを抱えながら、俺は確かにそれを感じ取った。黒色魔力は俺自身が扱うものだから、勘違いということはありえない。

 確かに、魔力切れという申告通り、かなり弱い気配ではあるが、それでも、僅かながらも確かに黒い魔力の残滓を、こうして触れるだけでも十分に伝わった。

「加護を授かりました」

「加護? 誰のだよ!?」

「『暗黒騎士・フリーシア』と名乗っていました」

「ま、マジかよ……」

 そいつは紛れもなく、本物の神様だ。

『暗黒騎士・フリーシア』は、伝説の魔王ミア・エルロードに仕えた最初にして最強の騎士として有名であり、その加護を授かる者も多いと、パンドラ大陸じゃかなりポピュラーな女神様の一人、もとい一柱だ。当然、神学校でも習ったし、そうでなくても名前くらいは誰でも聞いたことがある。

「この土壇場で加護を授かるとは……けど、お蔭で助かった」

「グラトニーオクトが吸収を始めたことで、こちらも要塞ごと飲みこまれる非常に危険な状態だった。窮地を救われたのは、私も同じ」

「悪い、俺の力は及ばなかったせいだ」

「元より無理のある作戦だった。ですが――」

 白い頬がほんのりと煤けた、汚れた顔のサリエル。だが、真紅の瞳で真っ直ぐ見つめてくる彼女の顔は、不思議と、いつもより人間的に思えた。

「――皆を助けたい、と私も願っている。たとえ無理でも、挑む価値はあった」

「そうか、お前がそう思ったんなら、どうして加護をくれたのか、分かる気がする」

「何故、分かるのですか?」

「俺もそうやって、加護をもらったからだよ」

 何だかんだで、コイツも今までの生活にちゃんと思うところがあったのだと、俺は素直に嬉しく感じる。

 きっと、コイツはもう神の人形じゃない。自分と接した相手のことを思える、普通の人間としての感性を取り戻しつつあるんだ。

 だから、サリエルは今度こそ自分から求めた。皆を助けられる力が欲しいと。そして、それに神様は答えた。

『黒き神々』として、この異世界に実在する神様がいるのだから、本当に神の奇跡ってのはありえるのだ。もっとも、それはほんの少し手助けしてくれるというだけで、結局は自分の力で頑張らなきゃいけない。

 差し当たり、今はこのグラトニーオクトの中から脱出することが、俺達が自力で成さねばならない行動である。

「なぁ、サリエル、コイツ、落ちてないか?」

「はい。私の感覚にも、徐々に高度を落としつつあることが察知できている」

 やっぱり、グラトニーオクトはサリエルの加護による一撃を受けて、墜落するほどの大ダメージを負ったんだ。このまま体内に残ったまま落下して、無事でいられるとは到底思えない。

「急いで脱出する。しっかり掴まってろよ」

 俺はいつものようにサリエルを背負い、一目散に駆け出す。

 元来た道であるエラの中を、ガシャガシャとやかましく鎧の音を立てながら走り抜けている途中、一際に大きな揺れを感じた。思わず、つまずいて転倒しそうなところを、どうにか持ち直す。

「うおっ、危ねぇ……浮力がどんどん落ちているな」

「もうすぐ、完全な自由落下となる」

「大丈夫だ、その前に出てやる!」

 ゴールが見えた。黒炎の灯火トーチに照らさずとも、白く輝く屋外の光が緩いカーブを曲がった先に差し込んでいる。

 出口からは轟々と激しい気流が流れ込み、まるで俺達を逃すまいとばかりの強烈な向かい風となって吹き込んできていた。もしかしたら、この巨大なエラが本当に息を吸い込み始めているのかもしれない。

 それでも、俺を押し止めるほどの風力じゃない。

魔手バインドアーツ――」

 吹き荒ぶ向かい風に、前のめりに倒れそうなほどの前傾姿勢になりながら、俺は右手の先から黒い鎖を伸ばす。先端は入り口へ引っ掛け、あとは鎖を握り、全力で巻き上げる。

 後退りしそうな風圧の中で、俺は強引に脱出への一歩を踏み込んだ――




「おい、生きてるか、サリエル」

「……はい」

 俺の胸の上で、パッチリと赤い目を開いたサリエルが応答した。

 どうにかこうにか、俺達は無事に地上への帰還に成功した。

 勢いよくエラから飛び出し、あとはそのまま自由落下に身を任せ、着地の寸前に『鋼の魔王オーバーギア』を発動――というのが当初の予定だったが、抱えたサリエルが無事で済むかどうか怪しい。できれば最終手段にしたかった。

 ということで、エラの入り口に魔手バインドアーツを引っ掛けて命綱とし、あとはどこまで伸びるか不安だが、限界ギリギリまで鎖を伸ばす作戦に出た。

 すると、やってみれば案外なんとかなるもんで、鎖は地面に到着するまで伸びた。しかし、着地のために制動をかける、その力加減が難しかった。サリエルは守ったが、俺は背中を強打した。

 次はもうちょっとスマートな脱出手段を用意しておこう。

 さて、今は未来の話よりも、現状の確認を優先すべきだ。

「グラトニーオクトは……やったのか?」

「いえ、まだ生きているようです」

 どっこいしょ、と少しばかり重く感じる体を起こす。

 前を見ると……ああ、くそ、兜がひしゃげたせいで、視界が遮られる。コレはもう限界だな、と邪魔くさいだけのガラクタと化した兜を強引に頭から抜いて、その辺に投げ捨てた。

 素顔になったことで、一気に開けた視界の全面に映るのは――天高く伸びる、緑の塔。グラトニーオクトが誇る、巨大な八本足の内の一つであった。

「やっ、ヤバいだろコレはっ!?」

 慌ててサリエルを小脇に抱え直して、俺は一も二もなく全力で走り出す。

 墜落したグラトニーオクトは、地面の上にあることで本物の小山と化し、圧倒的な存在感を放っている。そして、分かっているのかいないのか、その長大な触手を振り上げて、今正に大地へ叩き付けようとしていたのだ。

 無論これに巻き込まれたら、いくら俺とサリエルでも、車に轢かれたカエルのようにあっけなく圧死する。

 直後に、文字通り大地を揺るがす轟音が響きわたる。

 振り向けば、濛々と雪と砂の入り混じった噴煙が立ち上り、巨大触手の叩き付けの威力を物語っていた。

「アレでぶっ叩かれたら、それだけで城が崩れるぞ」

「すでに城は半壊状態です。直撃すれば、完全に崩壊する」

 幸いグラトニーオクトの落下地点は、アルザス要塞から僅かに逸れていた。

 とはいっても、俺が立っている場所は要塞へ入るための橋のすぐ手前。そして、振り下ろされた触手の先は、堀の役割を果たす川へ僅かに届くほど。

 距離的な余裕はほとんどないといっていいだろう。グラトニーオクトがちょっと身じろぎしただけでも、すぐに城まで触手が届きそうである。

「だが、コイツももう限界に近いはずだ。ここでトドメを刺すしかない」

 そう思ったのは、向こうも同じだったのかもしれない。俺がサリエルを背負い直して、再び山の巨体へ突撃を敢行するよりも前に、グラトニーオクトが動いた。

 ズズズ、と轟音を立てて、手前にある二本の触手が雪煙を上げながら地面をなぞるようにうねる。まさか、そのまま薙ぎ払ってくるのかと思いきや、触手の先端は土でも掘るように深く地面へと突き立てられた。

 先端は他の奴と同様に、やはり槍の穂先に似た鋭い甲殻で覆われている。軽く突っ突けばそれだけで城壁を貫くだろうし、地面に突き立てれば深く土へと食い込み、しっかりと固定――ああ、そうだ、この動きは、固定しているんだ。

 ふと、脳裏に浮かび上がったのは、グリードゴアがプラズマブレスを発射する時に、砂鉄の杭を両足に形成して射撃体勢を固定した動作。

 両者の姿かたちは全く異なるはずなのに、何故か強欲の地竜と重なって見えた。

「ま、まさか……アシッドブレスが撃てるのかっ!?」

 大地を揺るがして、グラトニーオクトが立つ。

 正確には、前の触手二本だけを使って、体をめくるように持ち上げている。本体の底面にあって、地面と接しているはずの口腔部が、凶悪な猛毒の砲口と化してアルザス要塞へと向けられる。

 いくら防御塔よりも太い触手といえども、たった二本だけで本物の小山と同等の大きさを誇る本体を持ち上げ支えているのは、俄かには信じがたい体勢だ。しかし、実際に目の前で体を起こし、何よりも、再び見えたその『地獄の入り口』から、濛々と紫煙を漂わせている光景が、どうしようもなく俺に現実的な危機感を訴えかける。

 グラトニーオクトの大口は、サリエルから強烈な一撃を喰らったお蔭で、かなりボロボロになっている。口の周りも中も、激しい雷撃の余波によって黒く焦げているし、轟々と息を吸い込む度に、焦げ付いて裂けた体表から噴水のように緑の血を吹いている箇所がそこかしこに見えた。

 恐らく、一発撃つだけで限界。逆にいえば、一発だけなら撃てるのだ。

 俺とサリエルと、その後ろに建つ半壊状態のアルザス要塞を消し飛ばすには、十分すぎる威力だろう。

 グリードゴアがイスキア古城をブレスで狙った時、俺は魔手バインドアーツを首にかけて強引に射線を逸らしたものだが、今回はとても、同じ手は使えない。

 回避……するのは、できないこともないだろう。しかし、逃げ出したところで、後ろにある要塞は消滅する。レキを失ったとて、あそこにはまだ、守りたい人が大勢、残っている。

 防ぐしかない。

「――『黒土防壁シールド・ディアース』」

 最後の魔力を振り絞り、俺は今までにやったことがないほど大規模な防御魔法の行使に集中する。

 ちょうど、俺はグラトニーオクトの目の前。ここで馬鹿でかい盾を置けば、それでブレスを遮ることができるはず。無論、本物の竜巻よりも強烈な風速と風圧でもって叩き付けられる猛毒の乱気流に、耐えることができればの話だが。

「防御は不可能です。グラトニーオクトが放つブレスの出力は、たとえ私達が万全の状態であっても――」

「黙ってろ! 集中が乱れる!!」

 サリエルが言っていることは、恐らく正しい。俺にだって、成功するビジョンがまるで見えないのだから。

 完全に防ぎきるのは不可能だ。せいぜい、城の壁が耐えられるレベルまで威力を削ぐことくらい。とにかく、できるだけ分厚く、広く、高い『黒土防壁シールド・ディアース』を創り出し、俺は『鋼の魔王オーバーギア』で耐えつつ、サリエルを庇う。

 しかし、残された乏しい魔力と、何より、目の前で唸りを上げるグラトニーオクトが発する毒々しい気配を前に、俺は成功を信じ切ることができない。

 いいや、ダメだ、落ち着け。今はそれしか手がないなら、全力を尽くすしかない。

 俺は泥と雪が入り混じってドロドロの地面に両手をつき、そこから魔力と気力を振り絞って解き放つ。掌から迸る疑似土属性を持つ黒色魔力は水のように地面へと浸透し、俺の意思が及ぶ支配領域を広げて行く。

 基本的に『黒土防壁シールド・ディアース』は、そうして操作可能となった地面を元にして黒い土壁を地上に隆起させるように動かすことで防御魔法となしている。だが、今はただそれだけでは足りない。

 広げ続ける領域を、圧縮。魔力的にも物質的にも、密度を高める、というのは強度を上げる単純にして絶対的な方法である。

 無論、圧縮すればその分だけ体積は減少する。グラトニーオクトのブレスを受け止めるだけの巨大な盾とするには……一体、どれだけの量が必要だろうか。

 気が遠くなったのは、きっと、魔力を放出し続けたせいで、いよいよ限界が近づいてきたからに違いない。

 時間も魔力も、何もかも足りない。次の瞬間には、猛毒の渦が飛んできそうな気がする。

 どうなんだ、これで、足りるのか。本当に、こんなもんで、ブレスを防ぎきれるのかよ。

「くそ、それでも……やるしかねぇ……ここまできて、死んで堪るかっ――」

 今だ。地面の中で精一杯に圧縮形成した黒土の壁を地上へ突き上げる。天高くそびえ立たせるような勢いでもって、俺が空を仰ぎ見たそこで、ようやく気付く。

 先手を打っていたのは、向こうだったことに。

「大タコだとっ!?」

 上空から、六本の触手を目いっぱいに広げて、パラシュートで降下してくるような速度で大タコが飛んでいた。それも、十メートル級ではなく、グラトニーオクト山の天辺付近に見た、五十メートル級の最大サイズのヤツ。大タコを超えた、巨大タコである。

 アシッドブレスを吐き出す口腔は、真下に位置する俺達を完全に捉えている。

 よくよく見れば、まだ、この周囲にはグラトニーオクトが放つ飛行するための風属性を秘めた霧が、今にも消えそうなほどだが、それでもほんのかすかに漂い続けていた。

 墜落と同時に、頭に乗せていた奴らも落下し、雲のようにまとっていた霧も制御を失って散ったと思っていたが……偶然なのか、狙ったのか、この土壇場で最強の手下をけしかけてくるとは。

 ああ、ダメだ。この巨大タコに頭上からブレスを撃たれたら終わりだ。とても、対応しきれない――

「――っ!?」

 その時、光が瞬いた。

 見上げた視線の先、今にも毒の気流を放とうとしていた巨大タコを、一筋の閃光が貫く。その輝きは白く、それでいて、かすかにエメラルドグリーンが混じる、絶大な破壊力を誇りながらも、どこか安堵感を覚えさせる優しい光に見えた。

 それはきっと、その淡い緑の光を見慣れているからだろう。

 そして、俺は確かに覚えている。その光はいつも、俺を守るために輝いてくれていたことを。

「……リリィ」

 呟いた名前をかき消すように、盛大な爆発音が轟く。

 極大の光線を叩き込まれた巨大タコは、その半身をあっけなく爆散させ、残った部位は燃えながら散り散りとなって落ちてゆく。五十メートルの巨躯でありながらも、立て続けに撃ちこまれる光の束によって、完膚なきまでに撃墜された。

 この輝きに、この威力、間違いなくリリィのビーム攻撃だ。それも、かなり本気の。

 俺は巨大タコが散った空の上に、再会を待ち焦がれた愛すべき妖精の姿を探すが……彼女を見つけるより前に、気が付いた。

 見上げた空に、太陽が二つ輝いていたことに。

「伏せろサリエル!」

 直後、突き立つ『黒土防壁シールド・ディアース』が崩れる。

 それは、黄金に輝く灼熱の嵐。とんでもない熱量と衝撃をもって、周囲一帯に駆け抜ける。

 発動させた『黒土防壁シールド・ディアース』は、俺が思い描いた通りに、これまで使ったことがないほど巨大な壁、およそ縦横十メートルの正方形の壁となって出現している。だが、この吹き荒ぶ熱波でもって、漆黒の壁面は瞬く間に赤熱化し、溶けだす。

 角ばった四角形はドロドロと形を変え、丸みを帯びた形状になったかと思えば、すぐに自重に耐えきれず、溶けたアイスのように脆くも崩れ落ちた。

「う、が、あぁ……」

 渾身の防御魔法を一瞬で融解させる灼熱の波動が、いよいよ俺自身の体へ襲い掛かる。普通なら、この改造された肉体であっても全身大火傷、どころか骨も残さず灰になるレベルの高熱だが、俺がこうしてまだ生きていられるのは、発動限界ギリギリの『鋼の魔王オーバーギア』のお蔭……だけではない。

 風が吹けば飛んでしまいそうなほど弱々しく立ち上る薄い鈍色のオーラが、この灼熱の嵐でまだ耐えていられるのは、炎属性のダメージを大幅に減少させる効果を持つ魔法具マジック・アイテム蒼炎の守護ナナブラスト・アミュレット』があるからこそ。

 今でもしっかり大事に持ち続けているお守りが、この土壇場で身を守ってくれる。

 プレゼントしてくれた人物には感謝の念が絶えないところだが……この、あまりに壮絶なフレンドリーファイアをかましてくれたのが彼女自身であることを思えば、相殺であろう。

「……よし、生きてるな、サリエル」

「死ぬかと思いました」

「なに、俺のパーティエレメントマスターじゃ、よくあることだ」

 そうだろう、フィオナ。

 この輝き、この火力、『黄金太陽オール・ソレイユ』をおいて他にはない。そして、その究極の火属性魔法は原初魔法オリジナル。つまり、彼女の他に使い手は存在しない。

 破滅的な熱波が通り過ぎたのは一瞬のこと。自然ではありえない異常な加熱を冷ますかのように吹き込んでくる初春の風を感じながら、俺は腹の下に敷いて庇っていたサリエルをだっこで抱えて立ち上がる。

 この目に映るのは、燃え盛る小山。グラトニーオクトは八本の触手を投げ出し、地に伏せった体勢で、地獄の業火に全身を包み込まれていた。

 第五の試練となる暴食のモンスターが、討ち果たされた瞬間である。

「……今の攻撃は」

「ああ、俺の仲間だ。どうやら、迎えに来てくれたようだな」

 もう一度、空を見上げれば、今度こそ俺は彼女の姿を見つけた。

 突き抜けるような青空を背景に、眩い緑の輝きを放ちながら、一人の少女が舞い降りる。キラキラと光る透き通った二対の羽をはばたかせる様は、改めて見ても神々しいとつくづく思わされる。

 ウルスラ達がこのワンシーンを目撃したならば、妖精が現れたのではなく、天使が降臨したのだと本気で信じるかもしれない。

「リリィ」

「クロノ――」

 ああ、ようやく会えた。感動の再会とは、このことだろうか。

 実際、俺の絶体絶命な窮地に駆けつけてくれたのだから、これほどありがたいことはない。

 だがしかし、素直に笑顔が浮かばない。

 そう、俺も、リリィも。

「――どうして、その女サリエルがいるの」

 全ての感情を失ったような無表情で、冷たく言い放たれた第一声を聞いた瞬間、一つの予感が脳裏を過る。

 第五の試練は終わった。

 しかし、俺にとって真の試練、本当の戦いは、今、これから始まるんじゃないのかと――

 次回で第26章は最終回です。

 無事にリリィとフィオナと合流できたので、完璧なハッピーエンドですね(白目)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヤンデレによる修羅場が楽しみなことです。
[気になる点] サリエルの口調変じゃない?
[良い点] 真の試練だ! [気になる点] すでに大人の階段を不本意にも登ったクロノ氏の活躍に目が離せない
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