第512話 抗う臓腑
「うぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
半ばヤケクソのように、俺は二刀を振るって行く手を阻むイカ共を斬り捨てていく。俺の目的を分かっているのかいないのか、突き進むエラの中にはちらほらと同型のイカが現れるだけで、さしたる障害にはなっていない。
目指すは、このエラの最奥。俺一人の攻撃でグラトニーオクトを仕留めるには、体内の奥深くでなければ火力が足りない。
さて、一体どこまで奥まで続いているのか。なんて思った時に、不意に視界が開けた。
「……ここがゴールか」
広いドーム状に開けた空間。その全貌を明らかにすべく、俺は即座に黒炎の灯火をバラ撒く。撃ち上げられた照明弾のように中空からゆっくり落下しながら燃え盛る火球は、隅々までドーム内部を照らし出してくれた。
「っ!? エラじゃない、産卵場、なのか……」
目に映るのは、地面と壁に張り付くようにビッシリ並ぶ白い粒。ゼリービーンズみたいな細長い形で、見るからにブヨブヨした質感と白濁した色合い。大きさはラグビーボールくらいだろうか。
俺のすぐ足元にある一つをよく見てみれば、白い膜越しに、丸っこい頭に四本足が生える幼体のシルエットが浮かび上がる。これら全て、卵とみて間違いないだろう。
「何て数だ……いや、タコなんだからこれが当然か」
この卵の数こそ、暴食のグラトニーオクト軍団の兵力を支える要因である。本来、大量の卵を産む生物は、産んだ分だけ捕食者に食われるからこそ、数を増やすというシステムのはず。
しかし、コイツに限っては食物連鎖の掟を破っている。大量の数を擁しながら、自らが他者を喰らう方が多い。人間が軍隊を繰り出して殲滅するか、よほど強力なモンスターとかち合うまで、奴らは敵なしで際限なく増え続け、大地の全てを食い尽くしていくのだろう。
「綺麗に掃除したいところだが、後回しにするしかないな」
まずは大ボスであるグラトニーオクトを仕留めなければ、どうにもならない。この卵が一斉に孵化して俺に襲い掛かってくるというなら話は別だが、そういう様子は今のところ感じない。
よく見れば、ドームの端々には例のイカ共の姿も幾つかある。俺には気づいていないように、長い二本の触手で突き刺した人の死体や動物の死骸を、生まれたばかりの幼体へ与えているようだった。
どうやら、コイツらは幼体の世話係もやっているようだ。レキの死体が喰われず残されていたのも、幼体に与えるための保存食とするためなのか。
即座に獲物を喰らう他のタコにやられなかったのは、幸い、と言うべきか否か、悩みどころ――ええい、余計なことをゴチャゴチャと考えるな。今、やるべきことに集中しろ。
そんな風に気を取り直すと、不意に視界の中に赤い光が瞬いた。
「ミアちゃんが早くしろって、言ってんのかな」
一瞬の輝きではあったが、今のは間違いなく試練を示す光だった。見えたのは、ちょうど真正面にそびえる肉の壁。その向こう側に、奉げるべき供物があるような光り方であった。
攻撃する場所も、これで決まった。後は思う様、ぶち込んでやるだけだ。
「魔剣・裂刃戦列――」
大きな卵の広がる床をかき分けるように歩みながら、次々と影空間から剣を呼び出す。
今の俺には百本同時操作はできないが、連続でぶっ放すくらいは問題なくできる。ここで残された赤熱黒化剣を全てつぎ込んでやる。
「――全弾発射っ!」
叩きこむ、刃の嵐。吹き荒ぶ赤黒の爆炎。
まず壁面を覆う卵が吹き飛び、次いで、緑色の肉片が千切れ飛ぶ。多少は抉れたようだが、まだ足りないだろう。
俺は間髪入れず、次々に裂刃を放つ。一点に大きく穴を穿つように、無駄弾は使わず、出来る限り深く突き刺し、そして、同時に爆破。
そうして肉壁のドームに、延々と爆音が鳴り響く。影空間に蓄えた分を使いきり、空間魔法の中身を空っぽにしてから、俺の爆破作業は一旦打ち止めとなる。
「はぁ……はぁ……どうだ……」
濛々と立ち込める黒煙に、連続爆発の余波によって、燃えやすい卵と肉の壁が延焼し始めていた。眼の前に広がるのは禍々しい黒炎が燃え盛り、巨大な肉と数多の幼体を焼く地獄みたいな光景が広がっているが、それだけ。俺が入り込んだグラトニーオクトの様子に、何ら変化は見られない。
「やっぱり、まだ足りないか」
俺はさらに前進し、黒炎の燃え広がっている場所にまで近づく。広がり続ける爆煙の向こう側に見えたのは、グリーンの血肉がへばりついた、白い壁だった。
「なんだ、骨なのか? タコのくせに、どういう構造してるんだ」
実際に骨なのか、それとも固い肉質なだけなのかは分からないが、この鎧のように内部を守る壁は、榴弾砲撃を撃ち込んだ程度では砕けそうもない。
「それなら――二連黒凪!」
鋼のツヴァイハンダーと炎のフランベルジュで繰り出す武技の二連撃。柄を握りしめる手には、かなり硬質な手ごたえを覚えるが、それでも、刃は通った。
骨の壁には十文字の斬撃が確かに刻み込まれているが、断ち切るには至らない。厚さが刃の長さを越えているのだろうか。これでは、いくら切り刻んでも先には進めないな。
崩落した岩盤を除去するように、一気にブッ飛ばす必要性がある。それができそうなのは、俺の手札の中では一枚きりだ。
「『炎の魔王』」
第一の加護、発動。
体中に燃え盛る紅蓮の魔力が循環し、真紅のオーラが全身にみなぎる。
二刀を地面に突き刺してから、俺は弓を引くような大振りで拳を構えた。
「憤怒の拳」
こと一点集中の攻撃力では最大の技を、避けることも防ぐこともない壁を相手に、十全の力でもって打ちつける。
手ごたえあり。魔王の拳は固く分厚い骨の壁を難なく撃ち砕き、供物への道をこじ開けた。
「ふっ、はぁ……あと一枚、といったところか」
巨大な砲弾にぶち抜かれたような、円形に穿たれた空洞と、ヒビ割れが放射状に広がった骨の壁の向こうに見えたのは、ドクン、とゆったり脈打つ更なる肉の壁である。
恐らく、これが最後の一枚。巨大な肉体を守る筋肉の鎧ではなく、どこかの内臓であるはず。
それでも、巨体故に臓器そのものであっても肉厚な構造になっているだろう。
まずは榴弾砲撃である程度散らしてから、もう一度『憤怒の拳』をぶち込み、完全に粉砕させる。よし、これでいこう。頑張れ、あともう一息だ。
「榴弾砲撃――全弾発射」
出来る限りの榴弾を作り上げてからの、一斉射。『裂刃戦列』には威力は劣るものの、肉壁を削ぐくらいの威力は稼げる。
至近距離で炸裂する自前の爆炎を、『蒼炎の守護』が打ち消してくれるお蔭で、俺は何ら熱さを感じることなく、再び拳を構えた。
「第五の試練も、これで終わりだっ! 憤怒の――」
目に見えるのは、黒色魔力の炎が燃え盛っている黒一色。そのはずだが、不意に、灼熱の黒を蝕むように、鮮やかな紫色が混じった。
「――『鋼の魔王』っ!!」
背筋に悪寒と脳裏に危機感が走り抜けると共に、俺は瞬間的に発動させる加護を変更させた。
右拳に宿る一撃必殺の赤き力は失われ、代わりに、あらゆる攻撃を防ぐ鋼のオーラが全身を包み込んだ――次の瞬間、視界いっぱいに毒々しい紫のガスが広がった。
「ぐっ、おおおおおお……」
アシッドブレスだ。これまで幾度となく大タコから浴びせかけられたが、全て紙一重で凌いできた強酸性のブレスを今、俺は全身余すことなく吹き付けられている。
ちくしょう、まさか、体の中からこの毒ガスを噴射できるとは……もしかして、俺が叩いていたこの臓器そのものが、アシッドブレスを生成する毒袋、みたいなものなのかもしれない。
どっちにしろ、堪ったものではない。
「ま、まずい、このままじゃ……」
第二の加護は、見事に酸による溶解を防いでくれている。こうして思考できている時点で、俺はまだドロドロに溶かされていないのは明らかだ。
しかし、こうして耐えられるのはあくまで『鋼の魔王』を発動している間だけ。もし魔力切れで解除されれば……いくら俺の肉体でも、アシッドブレスの真っただ中で原型を保っていられるとは思えない。
急激に噴出した毒ガスは瞬く間に産卵場を覆いつくし、紫色の靄で一寸先も見えないほど視界を閉ざされてしまっている。これは走り抜けてきた通路部分に至るまで、もう全ての空間が毒ガスで満たされていると思って間違いない。外から見れば、エラのような部位から紫煙を濛々と吐き出されていることだろう。
それでも、今すぐ逃げれば命くらいは助かる。
その代り、グラトニーオクトを倒すことはできないだろう。もう一度サリエルと合流し、ペガサスを回収し、再びアシッドブレスの対空砲火を潜り抜け、ここまでやって来る。どう考えても、不可能だ。
それなら、このままやるしかない。
『鋼の魔王』を発動させ続ける魔力は、まだある。空気の浄化までは効果に入っていないから、毒ガスに満ちたこの状況で呼吸はできない。しかし、俺の体ならしばらくは息を止めたまま戦闘行動もできる。
残り魔力と酸素の二つを合わせても、あと五分はもつはず。
『憤怒の拳』は使えないが、あとは『榴弾砲撃』でどうにか押し切るしかない。
紫一色で閉ざされた視界の中、真っ直ぐ前に腕を伸ばし、俺は殊更に意識を集中させて黒色魔力の砲弾を作り上げる。『鋼の魔王』を発動させながら、別に黒魔法を行使するのは、俺一人だと中々に厳しい。妖精合体モードだったら苦も無く行えるのは、ひとえにリリィの天才的な術式演算によるものだ。
己の無力さに歯噛みするような思いで、俺はどうにか全弾発射させられるだけの榴弾を作り上げた。
「喰らいやがれ――っ!?」
発射の寸前、最後の抵抗だとでもいうように地面が跳ねた。
「うおおおっ!」
地震、とは少し違う揺れ方。揺れた、というよりも、地面そのものが大きく波打ったような動きだ。
踏ん張るべき大地そのものが動いたせいで、俺は堪らずゴロゴロと波打つ地面を転がされる。
こんな巨体でありながら、グラトニーオクトは侵入した俺という小さな存在を正確に察知でもしているのだろうか。こうまで連続して抵抗されるとは――と考えた途中で、それは誤りだと気付かされる。この震動は俺に対する反撃ではなく、ついにグラトニーオクトが動き始めたのだと。
この瞬間に俺は聞いた、というより、叩き付けられた。ボォオオオオ、と重苦しく響きわたる轟音に。
この一度聞いたら忘れられない不吉な重低音は、間違いない。グラトニーオクトが吸収を始める合図だ。
もう一刻の猶予もない。早く榴弾をぶち込んで、トドメを刺さなければ――
「が、あ、あああぁ……」
しかし、この体内空間に反響する凄まじい重低音が、本物の衝撃と化して俺の体を打ちすえる。鼓膜が破れんばかりの大音響に、避けようのない音の衝撃波。そして、今も激しく揺れ動き続ける地面。
『鋼の魔王』のお蔭でダメージこそないものの、これでは立つこともままならない。無形の掌で押さえつけられているかのようだ。狙いなど、とてもつけられない。そもそも、転がされた時点で、毒ガスで視界ゼロである以上、狙うべきポイントも完全に見失ってしまった。手さぐりで探し当てるのも不可能だ。
加護発動による急速な魔力消費に、刻一刻と近づいてくる酸素の限界。ありとあらゆる状況が、俺にどうしようもないプレッシャーとなって圧し掛かる。
「く、そ……」
蛙のように無様に這いつくばったまま、俺は黒魔法の榴弾を籠めた腕を、先の見えない紫の毒霧の向こうへ伸ばすことしかできない。
一か八かで撃ってみるには、あまりに分の悪い賭けだ。さっきこじ開けた穴に命中する確率なんて、考えたくもない。
だがしかし、俺にはもう、ここで撃つより他に生き残る道はない。
ああ、ちくしょう。最後の最後で神頼みだなんて……全く、冗談じゃない。
「う、おおおおお! 当たれぇ! 全弾発射――」