第504話 退き際を誤る(2)
「私とアナスタシアの本気……見せてやるのっ!」
ウルスラが両手を掲げると、動作に連動してアナスタシアの白い四本腕も振り上げられる。すると、その手元に吸収能力の具現たる白い靄が、吸い込まれるように収束を始めた。
この技は以前、クロエに使おうと試みたが、正午の鐘が鳴ったことで中断したものだ。あれから結局、一度も使う機会には恵まれなかった。つまり、今この時が実際に放つのは初めて。ぶっつけ本番であるが、ウルスラに不安はない。
技の原理は単純その物。ありったけの力を集めて、解き放つ。ただ、それだけ。
限界近く、己の力を引き出すウルスラの目が変わる。かなり魔法の行使に慣れたお蔭で、そうそう変化することはないが、大きく力を使う時は、悪魔のように充血した真っ赤な眼球に、不気味な紫の瞳が輝く変化が引き起こされる。
文字通り目の色を変えたウルスラに気づいているのかいないのか、大タコはいよいよ大きく頭部を振るわせて、一挙に強酸の体液を吐き出そうとしていた。
しかし、ウルスラは撃つ方が少しだけ早い。
「消し飛べっ――『白流砲』!」
アナスタシアの四つの掌が花弁のように集まった一点から、真っ白い竜巻が解き放たれる。『白流砲』と名付けられたソレは、強烈に渦巻くドレイン能力を一点集中で叩き付けることで魔力を持つあらゆるモノを消し去る、消滅破壊に特化した、ウルスラ最大の技。
アナスタシアの四本腕を束ねたよりも濃密な吸収力を宿す竜巻は、天に登るような勢いでアシッドブレス発射寸前の大タコへ命中する。開かれた口に飛び込むように叩き込まれた白き奔流は、一瞬の内に巨大な頭部を貫き風穴を開けた。
「ん、くうっ!」
あまりに強大な力の放出に、堪らずたたらを踏んで体勢を崩すウルスラ。それに連動して射線の逸れた『白流砲』は、さらに大タコの頭を内側から削るように飛び出す。
あっけなく頭の縦半分を削り取られた大タコは、足代わりとする四本の触手をブルリと大きく波打たせながら、水底へ沈むようにゆっくりとその巨体を地へ落とすのだった。
「はっ、はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと、疲れるの、これは……」
大タコが大地へ沈むと同時に、虚空を穿つ『白流砲』も消え去る。ウルスラの消耗がどれほどのものかは、額に汗して息を荒げる彼女の姿が雄弁に物語っていた。
「おい、ウルスラ嬢、大丈夫かね!」
「だ、大丈夫……でも、今はちょっと、結界を持たせるくらいで限界、なの……」
「見事な大魔法だったぞ! 我々が守り通す、今は休め!」
大物を撃破したことに湧き上がる大歓声をどこか遠くに感じながら、ウルスラは視界を晴らす結界の維持に集中した。アナスタシアはまだ形を保っているが、どこか影が薄くなり、湯気のように静かに揺らめくのみ。腕による攻撃も今すぐはできそうもない。
ウルスラの攻撃支援は一時的に中断される形となるが、士気の上がった十字軍兵士達は奮戦を続けてくれる。
「むっ、敵の攻勢が弱まったか――今だっ! 撤退を開始する!」
「撤退! 撤退だぁー! 急いで教会から出ろぉー!!」
クリフの決断により、ついに村からの脱出が敢行される。教会からゾロゾロと百人以上の村人が列を成して出始め、兵士達がその周囲を固めた。多くの村人達は教会に備蓄されていた松明を手にしており、炎の彩は行く先を塞ぐ白い闇を照らし出すように煌々と輝く。
「ウルスラ嬢、我々は先頭を行こう。退路を切り開く」
「ん……了解」
疲労でやや頭がぼんやりするが、それでも判断を誤るほどではないし、動けないほどでもない。どうやらクリフは重騎士部隊を前後の二つに分け、前は退路の確保に専念し、後は殿役に務めるようだ。逃げ足の速さを考えれば、前方に戦力を集中すべきだが、民を守る騎士としては犠牲前提の陣形を組むわけにはいかないのだろう。
そんなことをボーっと考えながら、ウルスラはガチャガチャとやかましい音を立てて駆け出すクリフの後に続いて、列の先頭へと向かった。
「ちいっ、前も後ろも、敵だらけであるか……」
ちょうど広場を抜ける僅か数十メートル進んだところで、モゾモゾと蠢く緑の塊が道の上に現れ始める。
明確にこちらを獲物として認識しているのだろう。路地裏や家屋の屋根伝い、果ては窓の中から飛び出すように、次々と湧き出し、行く手を阻む。見るも忌々しいタコの群れは、まだウルスラが張り続けている霧払いの結界のお蔭で、その出現はよく見えた。濃霧の向こうから奇襲されないのは幸いだが、状況は良いとも言い難い。
後方からも、早くも敵の追撃がかかってきていることを示す兵の叫びが聞こえてくる。
「ええい、強行突破するより他はない! 行くぞっ、我に続けぇーっ!!」
クリフは緑の返り血でドロドロになっているハルバードを振り上げ、突破口を開くべく果敢に突撃を敢行。ウルスラは援護しなければ、と思うものの、アナスタシアの腕は動かない。
「くっ、あと、もう少しなのに……」
結界を解除すれば、腕の一本くらいは動かせそう。だが、再び視界が閉ざされるのもまた、危険である。門までは広い街道の一本道だが、それでも見えなければ進む速度は確実に低下する。
現状維持に努めるしかないことは理解できるものの、ウルスラは歯がゆい気持ちでタコとの激しい戦闘を演じる重騎士達を眺めることしかできない。
ほどなくすれば、また攻撃できるくらいには回復しそう。だが、その僅かな間にも、味方は一人、また一人と倒れ行く。ウルスラの小さな胸の内には、焦りばかりが募った。
「――いかん! 伏せろぉーっ!!」
クリフが叫ぶと同時、俄かにガラガラと家屋が崩れる音が響く。破片や瓦礫が雨のように降り注ぎ、村人も兵士も悲鳴を上げ、混乱一歩手前の状況。
「な、何、今のは……」
咄嗟に身を伏せていたウルスラが恐る恐る顔を上げれば、上空で蠢くドラゴンの尻尾のように長大な触手が見えた。その先端にある巨大な爪が、立ち並ぶ家屋の屋根と壁を薙ぎ払ったのだと即座に察する。
そしてそれは紛れもなく、さっき倒した大タコと同じ大触手。二体目の十メートル級の出現であった。
「あっ」
二階建ての商店を乗り越えて、のっそりと大きな頭部が覗く。大タコは四本の足を開いて、ちょうど街道を跨ぐように立ち塞がった。苔むした大岩のような頭が、村人達の真上にやってくる。そのまま押し潰されるんじゃないかという圧迫感に、そこかしこで泣き叫ぶ悲鳴と神への祈りが入り混じって聞こえてきた。
見上げれば、あの恐ろしい大口が奈落の底のように暗く開かれている。そして、ついさっきも聞いた吸気音を響かせて、大タコはブレスの発射体勢に入っていた。
そのまま体ごと吸い込まれていきそうなほどに強烈な上昇気流に、ウルスラの銀髪と修道服が激しくはためく。今度こそ反撃が間に合わない。
頭に浮かぶのは、ただそれだけで、他にはもう何も考えられない。
反射的に手を伸ばすが、動いたのはアナスタシアの右腕が一本きり。敵に届くことはなく、ただ、虚しく空を掴むだけ――のはずだった。
視界が俄かに、黒と赤の禍々しい色彩一色に染め上げられる。あまりの眩しさに、反射的に目を瞑った。同時に、彼女は耳も塞ぐ。
天地がひっくり返ったような爆音が轟き、肌を焼くような熱風が吹き抜けていく。
何が起こったか分からない。しかし、目を開ければ、彼女はすぐに理解できた。
「――クロエ様っ!」
轟々と黒い炎に包まれながら、ゆっくりと地面へ墜落してゆく大タコの向こう。三階建ての屋根の上に堂々と佇む、黒騎士の姿があった。
「あ、危ねぇ、ギリギリだった」
思わず、ヘルムの中で独り言。
あの大タコ、完全にブレスをぶっ放す直前だったぞ。もし、そのまま撃たれていれば、ウルスラ諸共、村人達も全滅だっただろう。
安堵の息をつきながら、俺は屋上からそのまま街道へと飛び下りる。ドズン、と体が沈むほどの重量と衝撃を着地と共に覚えるが、頑丈なこの体はビクともしない。
「撤退するまで進んでいるとは、頑張ったな、ウルスラ」
正直、広場で粘っているくらいが精々だと思っていたが、まさかここまで体勢を立て直して整然と撤退まで始めているとは予想外だった。上手く事が運んだ、というのもあるだろうが、ウルスラの力が役に立ったのは間違いないだろう。
見れば、彼女はやや疲れた顔をしている。かなりアナスタシアの力を引き出したのだろう。吸収という能力は、確かに相手の魔力を奪い自分のものにできるが、かといって必ずしも差し引きで魔力量がプラスになるわけではない。勿論、能力を行使するだけでも多大な集中力と精神力も必要となるから、戦った分だけ疲労も溜まる。
労いも兼ねて、頭を撫でてやりたくなるが、今は右手にハルバード、左手にタワーシールドで塞がっているから、やむなく断念である。
「はい、クロエ様……頑張ったの」
少しだけ恥ずかしそうに、はにかむウルスラが可愛らしい。だが、じっと見つめて愛でていられるほど余裕のある状況ではない。
「このまま一気に村を出よう。あと少し、頑張れ」
「はい!」
さて、後方支援はウルスラに任せて、俺は最前線で活路を切り開くとしよう。
「むっ、君は確か、ライアンと一緒にいた黒騎士だな!」
歩み寄る俺に声をかけたのは、重騎士隊長のクリフ。どうやら、彼がいるお蔭で十字軍の残存兵がまとまり、ギリギリで指揮系統が保たれているようだ。
騎士というより神経質なお役人みたいな七三メガネのクリフだが、こう見えて結構有能なのだろうか。
「クロエだ、よろしく頼む」
戦場で慇懃に振る舞えるほど俺は器用ではない。ここはもう多少無礼な冒険者風情と思われようが、タメ口を利かせてもらう。
元をただせば全員十字軍、こっちが礼儀を通す義理などないといえばそれまでだが。
「今の爆発は、君の魔法だな。防壁前の戦闘でも、見えた」
「ああ、これで突破口を開く。さっさとこの村を脱出しよう」
「ありがとう、心強い味方だ。君といいウルスラ嬢といい、第202開拓村は逸材揃いであるな。どうかな、この戦いが終わったら、十字軍に志願しないか?」
「悪いが、神様は嫌いなんだ――魔剣・裂刃」
クリフのとんでもない誘い文句を一蹴しながら、俺は一本の剣を呼び出す。それは腰に差したものでもなく、まして、触手で掴んでいるわけでもない。
呼び出したのは俺の影。そう、久しぶりに復活した、空間魔法『影空間』である。
グラトニーオクトの大群を蹴散らすには、大量の剣が必要だった。『デュアルイーグル』も『ザ・グリード』もない今の俺にとって、最も頼れる遠距離攻撃が『裂刃』だ。とりあえず何でもいいから武器さえあれば、それなりの爆発力が得られるのだから。
それを分かっているからこそ、ウルスラは俺に武器庫の存在を真っ先に教えてくれたのだ。
俺としては、開拓村を襲撃してきた十字軍を殲滅した時のように、触手で武器を持てるだけ持っていこうと思ったのだが、ダメ元で試してみれば、僅かではあるが、『影空間』が開いた。
サリエルは自然回復で三ヶ月程度かかると言っていたから、今は確かに、それに近い時間が経過している。
完全に元通りの大きさまで拡張するには、まだまだ時間がかかりそうだが、今は初期の頃と同じくらいの容量でも、とりあえず剣だけを詰め込むには十分だ。少なくとも、この村を脱出すのに必要な弾数はあるだろう。
「――ブラスト」
そうして、通りに際限なくゾロゾロ湧き出てくるタコを吹き飛ばして、俺達は前進を開始した。
タコは四方から殺到して来るが、視界が晴れている上に、残弾をあまり気にせずぶっ放すことができるから、俺としては石壁で戦っている時よりもかえって楽に感じる。
俺達の周囲だけ霧がないのは、ウルスラの能力のお蔭というのは分かっている。戻ってくる時、薄らとしたドレインの靄がドーム状に展開されているのを確認した。
きっと、風の結界を見て真似したのだろう。アイデアだけで実際に再現できてしまうあたり、ウルスラもかなり『白夜叉姫』の力を使いこなしている。後で目いっぱいに褒めてやらねば。
そんなことを考えつつ、右から飛び出すタコを叩き潰し、左から忍び寄るタコを爆破し、屋根の上から飛びかかろうとする群れをまとめて粉砕する。それに加えて、ウルスラも少し持ち直したようで、にじり寄ってくるタコどもをドレインアームであしらい始めた。
影の中から次々と繰り出される爆破攻撃と、アナスタシアの一撃必殺な腕、両方を掻い潜って到達できる敵はいない。街道を突き進む先頭は、ほとんど二人だけで蹴散らせている状態だ。避難はゆっくりと、だが、着実に進んで行く。
「本当に君達は、とんでもない武勇の持ち主だな……」
ほとんど仕事を失ったクリフが何か言っているが、油断は禁物。小タコや中タコならいくらでも蹴散らせるが、またあの大タコが現れれば一気に形勢を逆転されかねない。
村の中には、まだ何体かデカいのが歩いているのは最初に目撃したし、見えないところで新たに降下しているかもしれないのだ。
武器庫を漁りに行ったことで分かったことなのだが、このタコどもの大半は食糧庫に集まっているようだった。グラトニーオクトは資料通りに何もかも食べ尽くす究極の雑食性である。しかし、好みとしては真っ当な食料であるらしく、小麦の詰まった倉庫へビッシリ張り付いているのを目撃した。
奴らの優先順位としては、楽に捕食できる食料品が一番で、次点で人間や家畜などの動物になると思われる。まぁ、村にある食料などたかが知れているし、何より食糧庫にありつけなかった奴らは、そこら中を逃げ惑う人間が最も手頃な獲物となるのだから、危険度は普通のモンスターと変わりはしないのだが。
「見えた、門だ!」
幸い、特に犠牲者もなく門の前まで俺達は辿り着いた。
門には先客の姿がある。教会ではなく、そのまま村の外へ出ようと真っ直ぐここへ逃げてきた村人と逃げ足の速い十字軍兵士。彼らは皆仲良く、タコの餌としてそこかしこで死体をたかられていた。
「一掃するぞ、ウルスラ」
「はい、クロエ様」
一足早く先行する俺とウルスラで、さっさと雑魚を片付ける。こちらがかなり接近してくるまで、奴らは死体漁りに夢中になっているようで、一方的にカタはつく。
俺が吹き飛ばし、ウルスラが消し飛ばし、打ち漏らしはクリフ達が残らず掃除して、門前の安全確保は完了である。
「門は閉じたままか」
サリエルとレキを見送ったすぐ後に、ここの門は閉じられている。空を飛べるグラトニーオクトに対して、この大きな木と鉄の門は全く防衛の役には立たなかった。代わりに、今は俺達を村から逃すまいとするかのように、固く閉ざされている。
実際、タコどもが村の中に溢れかえった状況になってから逃げだしたのでは、このデカい門を悠長に開くことなどできなかっただろう。先に逃げ出した奴らは、ここで追い詰められてあえなくタコの餌食となったのだ。
無論、俺達は同じ末路を辿る気など毛頭ない。さっさと開いて、脱出するとしよう。
「――クロエ様っ! 大きいのが来てる!」
「二体、いや、三体もいるのかよ……」
ウルスラの声に振り向き見れば、俺達が来た道を辿るように、のっそりと大木のような影が、かすむ霧の向こうに現れる。一体は街道を真っ直ぐ歩くように進み、もう二体は左右から立ち並ぶ家屋の屋根を踏み越えて迫り来ていた。
いくら俺でも、このデカいのを三体同時に仕留めるのは厳しい。
「クロエ様、一体は私がやるの」
「魔力が限界近いんじゃないのか」
「多分、一発撃ったらアナスタシアを維持できなくなる」
「だったら――」
「でも、溶けるブレスを撃たれたら全滅なの」
そう、大タコの厄介なところはこのアシッドブレスなのだ。いくらなんでもこの人数を、俺一人の防御魔法『黒土防壁』でカバーしきるのは不可能。一発喰らえば、運が良くて半分生き残れるかどうかだろう。
だから、ブレスを撃つ前に倒すのが最善。そしてそれを実現するには、速攻で撃破するより他はない。
しかし、ここでウルスラの霧を払う結界を失うのも手痛い。門を出ても、まだまだ奴らのテリトリーからは脱せられないだろう。果たして視界がほぼゼロの状態で、上手く逃げ切れるかどうか。
「分かった、一体を任せる。二体は俺が一人で何とかする。クリフ、急いで門を開けてくれ!」
リスクを承知で、俺は三体同時撃破を選択。というより、迫り来る大タコの巨体を前にすれば、倒す以外に選択肢はない。
「大きいのを確実に倒せるのは君達だけのようだ……すまないが、任せよう」
「クロエ様、私は右のタコを狙う」
二人の了解を得て、即座に行動開始。後方と左右より迫り来る大タコは、すでに霧のない結界内へと足を踏み入れている。
「魔手」
ウルスラが右手の一体を担当するから、俺は左手の奴と、街道を進んでくる後方の奴が相手となる。まずは左から狙う。
伸ばした黒い鎖の触手は一直線に二階建ての屋根まで伸び、縁に引っ掛けるとそのまま一気に巻き上げ俺の体を上へ運んでくれる。ほとんど淀みなく俺は三角屋根の上へ到着するが、ヒツギがいないとやはり魔手の操作にそれなりの集中力を割くこととなる。俺一人だけで『垂直戦線』を行うのは、少し難しそうだ。
だが、今は垂直な壁面で戦闘を行う必要はない。ただ、屋根の上を踏み越えてくる大タコの頭を狙えるだけの射線が開ければそれでいいのだ。
「魔剣・裂刃戦列――」
赤いレンガの三角屋根の天辺に陣取り、『影空間(シャドウゲ-ト)』から赤熱黒化剣を次々と呼び出す。リリィと合体していれば同時に百本以上の操作も可能となるが、俺一人だと三十本が精々といったところ。
ヒツギにリリィと、誰かに頼り切りな俺のバトルスタイルに自分で情けなくなるが、今は置いておこう。
「全弾発射」
ジェット噴射のように黒いオーラを噴き出す軌跡を残して、三十本の『裂刃』は大タコの気球みたいにデカい頭へと殺到。俺の正確なエイムによって、一本も外すことなく命中し、直後、大爆発を引き起こす。炎上する飛行船のように轟々と黒い炎に包まれながら、大タコはゆっくりと沈黙していく。
俺はそんな死にざまをじっくり観察することなく、即座に次のターゲットへと移る。
「くそっ、やっぱりブレスか!」
丸い大口から、ビュウウっと突風が吹き抜けるような音が木霊する。
俺が一体撃破する間に、街道を歩く大タコはさらに距離をつめており、もうあと二歩か三歩で避難の列の最後尾に到達しそう。そんな近距離でブレスをぶっ放されれば、全員仲良く肉の沼となるだろう。
吸気動作からブレスの発射まで、あと、十秒もない。口の中から毒々しい紫の靄がチョロチョロと漏れ出ているのが見えた。
「うぉおおおおお、間に合えぇーっ!!」
重い全身甲冑をガチャガチャ鳴らして、屋根の上を駆け出す。幸い、鎧を着こんだ俺の重量と踏込みの強さにレンガはちょっと割れるくらいで済み、屋根が抜けることはなかった。
一歩ごとにレンガを踏み砕きながら直進。眼の前に立ちはだかる三階建ての屋根に向かって、俺はそそり立つ壁を一回キックする二弾ジャンプで乗り越える。これで、ちょうど大タコの頭の上に出ることができた。
眼下には、不安定そうにフラフラ揺れる、不気味な緑の頭がある。いよいよ眼の前に迫った巨大モンスターを前に、村人達から絹を裂くような悲鳴が次々と上がった。
けど、大丈夫。何とか間に合った。
「――黒凪」
ハルバードを高らかに振り上げ、三階の屋根から飛び降りて俺は大タコの頭に一太刀を浴びせる。体ごと落下しながらの振り下ろしは、さして固くもないエメラルドグリーンの体表をあっけなく切り裂き、緑の血飛沫を滝のように噴きださせた。
頭を縦に二メートル以上はぶった斬ったが、これだけじゃコイツは倒れない。
俺はハルバードを深く突き刺すよう強引に押し込むと、ブチリブチリと肉を割く音を響かせながら更に一メートルほど落下してから、どうにか止まった。
今の俺はちょうど、ハルバードを頭にぶっ刺して、それに右手一本でぶら下がっている状態だ。傍から見れば万事休すもいいところだが、トドメの一撃を喰らわせるには十分な体勢である。
「うぉおおおおっ!」
片手懸垂の要領で、右腕一本で体を持ち上げる、いや、それ以上に飛びあがる。
グリーンの鮮血がとめどなく噴き出る深い傷口に向かって、俺は左手の大盾をそのままぶち込んだ。
刃でもなければ、鋭い形状もしていない長方形の鉄板みたいな盾だが、俺は腕力で強引に開いた傷口にズブズブとねじ込む。
盾が半分以上、肉体に埋まったところで俺は手放し、今度こそ自由落下を開始。突き刺したままのハルバードを最後に忘れず回収してから、一秒と経たずに俺の体は地面に到着する。
「ブラスト」
そこで、赤熱黒化を施しておいたタワーシールドを爆破させた。
当たり前だが、あの盾は剣と比べて大きく、大量の鋼鉄で構成された防具である。単純に物質としての量が多いほど、黒化で付加できる魔力量も増大する。つまり、そこに秘める爆発力もまた、火薬を増量したのと同じように増大するのだ。
数十本分の『裂刃』に匹敵する大爆発を起こした盾は、きっちり大タコへのトドメとなっただろう。
巨大な火の玉と化す頭部がゆっくり崩れ落ちてくるのを背景に、俺は門の前へと戻ろうと振り返ったその時だった。
「ウルスラっ!?」
視線の先に、呆然と立つウルスラの姿がある。彼女の背にはもう、アナスタシアの影は完全に消え去っており、今はもう見た目通りの無力な少女となってしまっている。
そんなウルスラの前には、巨大な槍手を掲げた大タコ。
街道に面する建物に覆いかぶさるように、ソイツは立っている。頭の天辺が僅かに削り取られており、動きも緩慢で今にも倒れそうなほどフラついているが――まだ、死んでいない。
しまった、外したのか。ウルスラは一発で敵を仕留めきれなかったのだ。
「魔剣!」
振り下ろされた触手は、鋭い爪などなくとも、その重量だけでウルスラを容易く押し潰せるだろう。
力の限界を迎えたウルスラは、血の気の引いた顔でヨロヨロと一歩だけ後ずさるだけの反応しかできていない。周囲の援護も、ちくしょう、この大タコの一撃では防ぐことはできないだろう。
どうにか軌道を逸らすべく、俺はギリギリのタイミングで黒化剣を飛ばす。一本だけでも、当たれば爆発し、かろうじてウルスラには当たらないようにはできるはず。
「なっ!?」
しかし、その一撃は路地裏から飛び出してきた一体のタコによって防がれる。命中の衝撃で起爆し、火達磨となって転がる中タコは即死。だが、結果的にコイツは身を挺して大タコを守ることとなった。
そして、援護の一手を遮断され、もう俺にも誰にも、ウルスラを助ける手段がなくなる。
さらにもう一発、魔剣を飛ばすモーションに入っているが、ああ、ダメだ、これはもう、間に合わないっ!
「ヘェーイっ!」
その時、威勢のいい掛け声と共に、白銀の一閃が走る。
ウルスラの頭上から真っ逆さまに振り下ろされた大触手は、その一撃で半ばまで切り裂かれ、勢いよく弾かれたように軌道が逸れた。ズズン、と音を立てて街道の石畳を血飛沫の上がる触手が割る。
深手を負った蛇のようにのたうち回るが、次の瞬間には、素早く叩きこまれた追撃によって、完全に触手は断ち切られた。
「裂刃!」
大タコの一撃を凌いだその隙を逃さず、俺はトドメを削れた頭にぶち込む。すでに瀕死であろう大タコは、数本の『裂刃』が引き起こす爆発により頭を焼かれ、今度こそ完全に息絶えた。
「ウルスラ! 大丈夫か!」
三体目の大タコを始末しながら、俺はようやく門前まで駆け戻り、まずは魔力の限界を迎えたウルスラを抱き寄せ、無事を確認する。
「あ、クロエ様……ごめん、なさい……倒し切れなかったの」
「そんなことはいい。それより、怪我はしていないか?」
「ん、大丈夫……」
かなり疲労の色は見えるが、それでも体は確かに無事なようである。ひとまずは、安心か。
ならば、次に気にするべきなのは、ウルスラをすんでのところで救ってくれた人物についてだ。
「どうしてここに……いや、まずは助かった、と礼を言うべきか」
振り向き見れば、そこには勇ましくハルバードを担いだ金髪赤眼の少女がいる。
「ありがとう、レキ。お蔭で、ウルウラは助かった」
「えへへっ、お礼なんてノン、デスよクロエ様! レキは当然のことをしたまでデーッス!」
とっくに村を脱出して、ここにはいるはずのないレキだが、彼女は夢でも幻でもなく、確かに俺の前で晴れがましい笑顔を浮かべてそう答える。
「それで、どうして戻ってきたんだ。まさか、脱出は失敗したのか?」
「ノンノン、村のみんなはちゃんと逃げ切れたはずデスよ、メイビー!」
俺の拙い英語力によれば、メイビーってのは「多分」って意味だったように思える。レキの返答にそこはかとない不安感を覚えるものの、まぁ、今は詳しく問いただしている暇はないか。
「無茶して戻って来たことについては、後で話を聞く。今はとりあえず、俺達も脱出するぞ」
「イエースっ! サッー!」
どこまでも満足そうな笑みを浮かべて、レキはハルバードを構えた。
本当に、かなり無茶をして戻ってきたのだろう。彼女の修道服はボロボロで、その小さな体には何か所もタコの槍手がかすめただろう裂傷が刻まれている。
だが、さっきウルスラを助けた時のように、まだまだ戦う力は十分に残っていると思われる。彼女の覇気に呼応するかのように、体から白い湯気みたいのが上がっているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「よし、門が開いたぞ! 皆、急ぎ脱出せよ!!」
クリフは上手いこと開門に成功したようだ。ギギギと重苦しい音を立てて、大きな門が口を開く。
だが、そこから先に続く道は真っ白い霧に閉ざされており、さらには、俺達の周囲にも新たに立ち込めてきた霧に満たされようとしてきた。そう、ウルスラがアナスタシアを解除した今、霧を払う結界も同時に消失したのだ。
「クリフ! ウルスラを連れて先に行ってくれ! 彼女はもう限界なんだ!」
「任されよう! クロエ殿、貴殿はどうされる!」
「俺は殿だ。奴ら、またゾロゾロと湧き出てきたからな」
立ち込める霧と共に、街道の向こうから、あるいは路地裏や家屋から、多くのタコが俺達をこの餌場から逃すまいと姿を現してくる。
かなりの数を倒してきたつもりだが、本当にコイツらは無尽蔵に湧き出てくるな。全く、ウンザリする。
「早く、行けぇーっ!」
門を通って村人達が動き出すと共に、俺の前からドっとタコ共も押し寄せてきた。
「ヘイ、クロエ様。今度は先に行け、何て言わないデスよね?」
すぐ隣に並ぶレキは、闘志に燃えてギラつく赤眼の上目使いで、俺を見つめる。
「……ああ、すまないレキ、力を貸してくれ」
危険は承知だが、今の状況からいって、そう答えるより他はなかった。
「イエス! オーライっ!」
あまりに眩しい笑顔のレキから、俺は目を逸らすように、迫り来るタコ軍団を睨んだ。
「魔剣・裂刃戦列」
「ファイアーっ!」
弾ける赤黒い爆炎が先陣を一掃。この吹き荒ぶ爆風の嵐を前に、中タコ共は全く手も足も出ず焼かれるのみ。しかし残念ながら、便利な『裂刃』もこれで打ち止め。まだまだ小さい『影空間』の容量では、これまでに使った百本そこそこが限界であったのだ。
後はもう、手にした武器と、無手で放つ『榴弾砲撃』で迎え撃つより他はない。
「レキ、あまり突っ込むなよ。俺達も少しずつ、後退しながら戦う」
「それはさっきもやったから、ダイジョブなのデーッス!」
自信満々に叫びながら、爆炎の彼方より押し寄せる後続のタコを三体まとめて豪快にレキは切り払う。
すでにコイツらの相手など慣れたとでもいうように、そうしてレキは危なげなく次々とタコを切り、突き、吹き飛ばして寄せ付けない。
現在進行形で奴らとの戦いを経験する彼女は、その中で加速度的に成長しているのだろう。やはり、天才的だな。
「門を出るぞ、ついて来い――榴弾砲撃」
「オーウっ!」
爆風を背にして転がりながら、レキが門を潜り抜けて街道に出る。
殿として奮戦する俺達で、村を出るのは最後となる。近くに逃げ遅れた奴がいないか右を見て左を見て、もう一度確認したいところであるが、再び視界を塞ぐ霧のせいでそれもままならない。
俺は意を決して、門扉を思い切り蹴飛ばし閉門させた。
ゴォン! とけたたましい音と共に扉は叩き付けられるように閉じ、石壁を震わす。直前に門の向こうから伸ばされた触手が閉じた扉に挟まれブッツリと切断され、俺の足元にビチビチと鮮魚のように跳ねまわりながら吹っ飛んできた。うん、やはり、気持ち悪い。
「フゥー、少しは時間が稼げそうデスね」
と言うレキは、抜け目なく門にカンヌキをかけていた。
「奴らは空を飛べる。その気になれば、壁なんてすぐに超えてくるぞ」
言いはするものの、周囲にはもうほとんど気配は感じられない。実際、霧の向こうから飛び出してくるタコは一体もなく、辺りが急に静かになったように思える。
壁を越えようとすぐに思いつけないほど知能が低いのか、それとも、村の外にはほとんどいないのか。
「今の内に逃げよう」
「ウェイト! クロエ様、あの、あのデスね……」
踵を返しかけたところで、レキに呼び止められる。やや焦りで上ずったような声音であるが、いざ振り向き見ても、そこには別に敵の姿はない。
「どうした、レキ」
「あの、その……怒ってマスか? レキが、来たこと」
どこかバツが悪そうにモジモジと言うレキ。どうやら、自分でもかなりの無茶をしでかした自覚はあるようだ。
それでもわざわざここまで来たのは、うーん、やはり、ウルスラが心配だったのだろうか。俺のことで不仲になっていたと確信していたが、いざとなればピンチに駆けつけるあたり、やはり心配することもなかったのだろう。
それを思えば、ここ最近の不安も払拭されて、むしろ安堵するような気持ちだ。
「怒りはしないが、注意くらいはするからな。ウルスラを助けたのはよくやったが、それでも戻ってきたのはあまりに無謀だぞ」
「ご、ごめんなさい……でも、レキ、クロエ様の役に立てた、デスか?」
「何言ってんだ、今さっきもタコ共を一緒に薙ぎ払ってきただろ。十字軍の兵士なんかより、よっぽど頼もしい仲間だよ、レキ」
「え、えへへ、それなら良かったデス! だってレキは――」
レキは、笑おうとしたんだと思う。
けれど、太陽のように眩しい彼女の笑みは浮かぶことなく、代わりに、赤い目が驚愕で見開かれた。
肉を突き刺す鈍い音。虚空に咲く鮮血の華。
「あっ……クロエ、様……」
レキが刺された。
彼女の胸元から、グラトニーオクトの鋭い槍手が覗く。血塗れの穂先は、背後から完全に貫通していると一目瞭然。
敵の姿は、見えない。真っ白く煙る霧の向こうから、ただ細長い一本の触手がレキへと伸びているだけ。気配を悟らせないほど静か、それでいて、飛来する矢よりも速い。一流の暗殺者が如きハイドアタック。
レキの手が、助けを求めるように伸びる。
俺は反射的に手を伸ばすが、届かない。
「レキっ――」
伸ばした手は虚しく空を掴む。レキの体はあっという間に触手に引かれ、白い闇の向こうへと消えて行った。