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黒の魔王  作者: 菱影代理
第26章:暴食の嵐
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第503話 退き際を誤る(1)

 押し寄せるグラトニーオクトの大群を前に、ついに十字軍の防衛隊は総崩れとなった。第203開拓村補給基地は今、阿鼻叫喚の地獄と化している。

「うわぁああああ! た、助けてくれぇーっ!!」

 潰走する兵士達に混じって走っていると、助けを求める声はそこかしこで上がる。

 チラリと視線を向ければ、地を這うタコに足を絡め捕られて転倒している兵士の姿が見えた。十字があしらわれた揃いの鉄兜は、転んだ拍子に脱げたのか、ガラガラと虚しい音を立てて転がる。露わになった兵士の顔は、まだ若い。

 15歳の成人は迎えているだろうが、それでも少年兵といってさしつかえないほどのあどけなさが、恐怖に引きつった表情にはある。

魔弾バレットアーツ

 自分よりも年下だろうこと。そして、一発撃ち込むくらいの余裕はあったこと。俺は彼を助けるべく、援護の魔弾を放った。

 撃ったのは二発。一発は足を捕えている触手を吹き飛ばし、もう一発はタコの頭をぶち抜いた。

 恐怖の拘束から解放された兵士は、何が起こったか分からない、という表情を浮かべるが、体に自由が戻ったことは即座に理解できたようだ。九死に一生を得た、と思ったのか、半泣きになりながらも笑顔が浮かぶという、絶妙な表情でもって、素早く立ち上がる。

「――あ、ぐはっ!」

 しかし次の瞬間、彼の背中は槍手によって貫かれる。銛のように返しのついた穂先は、そのままズルズルと仕留めた獲物を引きずり、あっという間に霧の向こうへと攫っていった。

「……くそ」

 小脇に抱えたウルスラには聞こえないよう、分厚いフルフェイス兜の内側でそうつぶやいた。

 犠牲になっているのは、怨敵たる十字軍の兵士。こいつらが何人死のうが知ったことではないし、俺自身、もう数えきれないほど血祭りに上げてきた。

 それでも、こうして目の前で一方的な虐殺の憂き目にあっているのを見ると、とても気分の良い物ではない。これでも彼らは、同じ人間なのだ。つい、助けようと思ってしまうのも、仕方ないだろう。

 だがしかし、俺のささやかな善意を嘲笑うかのように、このタコ共はさらなる地獄を見せつける。

「ちくしょう――」

 気が付けば、村の中央広場にまで辿り着いていた。ウチの村よりも広く、大きな建物が並ぶ広場は今、突然のモンスターの襲撃によって逃げ惑う村人達で溢れている。

 そして、上空から村のどこにでも好きに降下できるタコどもも、この場所へ集まっていた。そう、つまりここは今、奴らにとって格好の餌場なのだ。

「きゃぁああああああああっ!」

 悲痛な女性の叫び声が耳をつんざく。見れば、赤子を抱えた年若い母親らしき女性が襲われていた。

 彼女の向かう先は、ウチの村よりも立派な教会。

 作りが頑丈、かつ礼拝堂という広い収容面積を持つ教会が、村人達の避難場所として機能しているようだった。

 正門はまだ開け放たれており、十字軍の歩兵と自警団らしき男達が複数人固まって、モンスターの侵入を阻止すると同時に、避難者の受け入れを行っている。

 この母親も、あとほんの十メートルほどで安全な教会に駆け込むことができたが、この瞬間、彼女の足首に緑の触手が絡みついたのだ。

魔弾バレットアーツ――」

 まだ間に合う。今度こそ――そう思い、反射的に狙いを定めるが、直後、目の前に大きな影が降り立つ。それは勿論、緑のタコである。

 体長三メートルほどの中タコだが、随分と肉付きがよく、頭部は大きく肥大化しており、四本の触手も他のより一回り以上は太い。

 丸い口から牙を剥き出しにして、キシャーっ! と威嚇の声を上げながら、槍手を激しく振り回す様は、モンスターというより、エイリアンとでもいった方がしっくりくる。

「ちいっ!」

 思わず焦りの声が漏れるのは、コイツに危険を感じたからではない。

 事実、俺は鋭い槍手が飛んでくるよりも先に、右手に握ったハルバードをヤツのデカい頭に叩き込んでいる。一撃で真っ二つに裂かれ、ちょっと大きめのタコはあえなく石畳の地面へと沈む。

 だが、俺がしたかったのは、コイツを叩き切ることではなく、その向こう側で今正に襲われかけていた母子を助けることだった。

 再び魔弾を放とうと手を伸ばすが、思っただけで、腕はピクリとも動かさなかった。

「あっ――」

 小さく驚くような、悲鳴のような、そんな可愛らしい声を上げたのは、脇に抱えたウルスラだ。

「見るな、ウルスラ」

 身を捻って、彼女の視界を遮る。

 緑の血飛沫を上げて倒れるタコの向こうに見えたのは、絶望的な捕食シーン。

 母親は頭から丸飲みされるようにタコの口に放り込まれている真っ最中。まだ生きているのか、それともすでに事切れているのか、白い両足がビクンと跳ねる様子だけでは判断はつかない。

 そのすぐ横で、体長50センチほどの子タコが、地面に放り捨てられた赤ん坊に群がっていた。何体ものタコが折り重なるように殺到してきたために、柔らかい赤ちゃんの体が食い千切られるところが見えなかったのは、ウルスラの精神衛生上、幸いだと言うべきだろうか。

「くそっ、ちくしょう……」

 さっきから、この言葉ばかり繰り返している。

 誰を助けようと思っても手遅れ。助けても、無駄に終わる。今だって、ほんの一瞬だけ射線を遮られたせいで、間に合わなかったのだ。

 だが、そうなるのも仕方ないだろう。

 見ろ、敵の数はあまりに多い。聞け、周囲から響きわたる悲鳴の大合唱。犠牲者の数が、多すぎる。

 割り切るしかない。些細なことで、心を乱すな。こんな状況なら、逃げることだけに集中して、他の全てを見捨てよう。元より俺は、そのつもりだったろう。

「クロエ様、私を降ろして」

 腰元のプレートをペチペチ叩きながら、ウルスラはいきなりそんなことを言いだした。とりあえずは、素直に降ろしてやる。

「自分で走れるか?」

「ううん、戦うの」

「その必要はない。逃げるだけなら、このまま――」

「私は助けたい。助けよう、クロエ様、この村の人達を」

 真っ直ぐに俺を見上げる青い瞳は澄んでいて、吸い込まれそうなほどに綺麗だ。けれど、助けよう、と言い出した彼女の心根こそ、人として最も綺麗なものだろう。

 純粋な善意を前に俺は、思わず視線をそらしてしまいそうになる。

「踏みとどまって戦うのは、かなり危険だぞ」

「ふふ、やっぱり、クロエ様も助けたいって、思っていたの。ダメだ、って否定しない」

 悪戯が成功したような子供っぽい笑みをウルスラは浮かべていた。俺の抱えるくだらない葛藤など、何もかもお見通しだとでも言うように。

 全く、幼稚なのは俺の方だったのか。

「……すまない。本当に、いいのか?」

「大丈夫、私とクロエ様の二人なら」

 俺の力、ウルスラの力。二人で全力を尽くせば、少なくとも、教会に立て籠もっている村人達くらいなら脱出させることはできるだろう。

 その代り、俺もウルスラも、真の意味で命を賭けた戦いに臨むリスクがある。

 真っ当な大人なら、危ないことはするなとウルスラを叱りつけ、このまま自分達の脱出を優先すべきだろう。保護者としての義務。

 だから、こうして彼女の意見にあっけなく賛同してしまうのは、俺がまだまだ子供だからなのだろう。所詮、十七歳の高校二年生か。

「クロエ様、西側にある倉庫の中で、一つだけ白い石造りのものがある。それがこの基地の武器庫なの」

 流石、頭脳明晰なウルスラ。今、俺にとって必要なものが何かよく分かっている。

「確かなのか」

「昨日、兵士の会話を聞いた。他にも、アルザス要塞に送る予定の物資もまだ沢山あるから、探せば武器は手に入るはずなの」

 ありがたい情報だが、問題が一つだけ。

「少しの間、ウルスラを一人にすることになる」

 彼女を抱えてまで武器を取りに行く時間的猶予がないのは、目の前の状況を見れば明らかだ。今すぐ救助に入らなければ、戻って来た時には完全に手遅れとなっている可能性が高い。

 村人を助けるならば、俺が一人で武器の入手に向かい、ウルスラは先に戦いを始めてもらうしか方法はない。

「何とか持ちこたえてみせる。私を、ううん、私とアナスタシアの力を、信じて」

 悩んでいる暇はもう、ない。

「すぐに戻る」

 それだけ言い残し、俺は一人、十字軍の物資が集積する倉庫群に向かって駆け出した。




 無数の触手が人を捕え、突き刺し、生きたまま喰われてゆく光景がそこかしこで繰り広げられる地獄の一丁目と化している広場の真ん中に取り残されたウルスラは、静かに己が力を解き放つ。

「さぁ、クロエ様のために喰らい尽くしてやるの――『白夜叉姫アナスタシア』」

 陽炎の如く揺らめきながら、音もなく現れる白き鬼姫の姿に気づいた者はいないだろう。この極限の状況下において、村人は勿論、武器を手にする兵士達さえも逃げ惑っており、誰もが視野狭窄に陥っているのだ。

 故にウルスラは、誰に咎められることもなく、気に留めることもなく、自由に力を振るう。

「えい」

 まずは、目につく近くの敵から。

 アナスタシアから伸びる腕は、奇しくもタコどもと同じ四本腕。しかし、その機動はうねる触手のソレとは違い、さながら空を飛びかう燕のような速さとキレでもって掴みかかる。

 獲物を狙って触手を伸ばすタコと、すでに誰かの背中を串刺しにしているタコ、ちょうど頭に齧りついたところのタコ、全て諸共にアナスタシアの白い手が触れて、儚く消し去る。

 骨さえ残らないのは、このモンスターが初めから骨格の存在しない肉体であるからか。いや、たとえ骨を持ち得たとしても、この腕の前には一握の灰に変えられることに変わりはないだろう。

「やっぱり、数が多すぎる」

 縦横無尽に腕を振り回し、ひとしきり周囲五メートル内の敵を殲滅し、尚かつ、現在進行形で頭上から降り立つ敵を払いのけながら、ウルスラはうんざりしたように呟く。

 その表情には恐怖も不安もなく、ただ純粋に煩わしいといったような感情の色が浮かぶのみ。さながら、面倒な書類の山を前にした文官のようである。

「……当たったら、ごめんね」

 誰に対する謝罪なのか、ただの正当化であるのか。ウルスラはともかく覚悟を決めたように、アナスタシアの力をさらに行使する。

 純白のローブをまとったような姿をとるアナスタシアだが、その裾はちょうど主たるウルスラをすっぽり包む半透明のベールのようになっている。風が吹けばあっさり吹き散らされてしまいそうな薄らとした部位であるが、これが外部からの攻撃を遮断する結界の役割を果たしていることは、すでにクロエとの訓練によって明らかとなっていた。

 すぐ傍でクロエの爆破魔法が炸裂しても涼しい顔でやり過ごせるのは、このベール部分が熱と爆風とを吸収、無効化しているからに他ならない。もっとも、その吸収力も無限ではなく、一定以上の威力や勢い、あるいは数があれば防ぎきることはできないというのは、他の防御魔法と同じである。それでも全方位を防ぐ便利な防御能力であることに変わりはないが。

 そんな薄絹の結界部から、初めてこの能力を使った時のように、あるいは、周囲に満ちる白い霧のように、俄かに靄が溢れ出る。

 その靄は、村を覆う霧と見た目こそ同じではあるものの、その本質は全く異なる。これもまた、アナスタシアが誇る吸収ドレイン能力の発露であるのだから。

「吹き飛べ――全方位解放フルバースト

 刹那、靄は白き爆風となって周囲を駆け抜けた。熱も衝撃もないが、強烈な突風が瞬間的に吹き荒れる。

 ウルスラを爆心地として放射された吸収ドレイン能力の爆風は、半径二十メートル圏内の敵味方諸共から、魔力と生命力とを奪い去っていった。

 アナスタシアの手よりは吸収力は格段に落ちているようで、周囲に転がるタコはぐったりと触手を投げ打ち、ピクピクと体を震わせるのみで、どれも死んではいない。しかし、その弱さのお蔭で、逃げ惑う村人達も衰弱するくらいで済んでいるのだが。

 とりあえず、無力化には成功している。

「あ、霧が消えてる……ふーん、やっぱり、これも魔法だったの」

 倒すべきモンスターも、助けるべき村人も一緒になって死屍累々といった有様で地面に倒れている状況でありながら、ウルスラは彼らを気に留めることもなく、綺麗に晴れた虚空に視界を彷徨わせる。

 人としては随分と冷酷な態度ではあるが、戦場に置ける状況把握としては適切な行動ではあった。

 ウルスラは自分の持つ吸収ドレインというものがどういう性質のものか、クロエの体を張った指導の甲斐あって、今は正確に把握している、この能力は毒ガスのように他者を衰弱させるのではなく、あくまで魔力というエネルギーを吸い取るという一点に限られる。

 人が力なくぶっ倒れるのも、ドルトスが骨になるのも、体内にある魔力を失った結果に過ぎない。

 僅かに吸収されるだけなら、疲労を感じる程度で済むし、急激に大量の魔力を吸われれば気絶して倒れる。そして、生物として生命維持に必要な魔力量たる生命力を奪われれば、死に至る。さらに、その生命力の吸収も、一瞬の内に奪い去るほどの勢いであれば、瞬時に肉体を崩壊させ、骨になる、あるいは骨さえ残さず灰だけが残るという急激な変化も引き起こせるのだ。

 魔力と物理的な肉体とが密接に関わる生物だからこそ、吸収ドレインは相手に劇的な影響を与える、強力かつ危険な力である。

 しかし裏を返せば、ほとんど魔力を宿さない石や鉄などの無機物については全くの無力でもある。例えばこの村を囲う石壁。アナスタシアの手がどれだけ触り続けても、この壁を崩すことは敵わない。

 そしてそれは、この霧も同じ。もし、周囲に満ちる恐怖の白い霧が、純粋な自然現象によって引き起こされているのなら、ドレイン能力に触れても何ら変化は起きない。

 だが、それが消え去ったということはすなわち、魔力によって引き起こされた魔法現象であることの証明となる。

 単純に霧を発生させることで敵の視界を奪う、という魔法は存在する。暗殺者などが習得する一種の支援系風魔法であるらしいと、ウルスラは前にクロエとの雑談中に聞いていた。

 そうであるならば、この霧もまた、グラトニーオクトが自ら行使した魔法ということになるだろう。

 もっとも、あまりに不自然な発生の仕方であるこの霧が、モンスターの固有魔法エクストラである可能性は最初から高いと予想はできていたのだが。

「風の結界みたいにできそう……かな」

 この霧が魔力の塊でしかないのなら、自分の力で消すことは容易だ。

 空気中に滞留する気体に対してドレインをかけるのは初めてのことだが、すでにアナスタシアを制御しきっているウルスラにとっては簡単な応用問題に過ぎない。ついさっき、風魔術士が霧を吹き飛ばしていたところを実際に目にしているから、参考例もすでにある。

 故に、あとは実行あるのみ。

「うーん、こんな感じで」

 イメージはドレインの靄を薄い膜のようにして、周囲に広げていくこと。

 風の結界は常時、吹き流すことで霧の侵入を弾いていたが、ドレインはただそこに存在するだけで、自動的に流れ込む霧を吸収してくれる。流しっぱなしよりも、範囲内をドーム状に囲む壁と天井のように覆って維持させるほうが確実だ。

 思いつきのぶっつけ本番であるが、それでもアナスタシアは主の意を汲む忠実な僕の如く、正確にウルスラが思い描いた通りの効果を導き出す。

 ついさっき味方の被害を省みずぶっ放した『全方位解放フルバースト』と同じように、爆風が広がるように放射線状に薄らとした靄が吹き抜けていく。そして、制御する限界距離、半径五十メートルほどだろうか、その辺りでしっかり隙間なく押し止める。

 アナスタシアのドレイン能力は、その構成密度に比例する。はっきりとした女性の体を形成するのが最高密度、ただの靄が最低密度となる。

 だが、グラトニーオクトが発生させている霧を防ぐだけなら、靄のドレイン力だけで十分であった。ウルスラの周囲は、風魔術士が結界を張った時と同じく、範囲内の霧は完全に払われていた。

「ん、維持するのも何とかなりそう」

 即席のドレイン結界の使い心地はなかなかに良好な様子。発動に集中力を割かれ過ぎれば断念せねばならないが、その心配は杞憂であった。

 視界が確保できれば、自分の戦闘は元より、味方も戦いやすくなる。

 ウルスラはたった一人だけで村人全てを護衛できるとは思ってはいない。あっさり潰走した十字軍兵士でも、勘定に入れなければこの撤退戦を成功させることは無理だと、彼女はすでに理解している。

「次は、味方の援護」

 霧は結界で弾き、タコ本体はドレインアームで一撃という鉄壁の守備を誇るウルスラは、焦ることも混乱することもなく、冷静にすべきことを順序立てて実行してゆく。

 自分の安全を確保した次は、十字軍兵士を援護して防衛線を立て直させること。

「うぉおおおおお! 何としてもここで踏みとどまれぇー!」

 広場に響き渡るほど一際に大声で叫んでいるのは、クリフという名の重騎士隊長。石壁前で奮戦していたはずだが、部下が続々と逃げ出す状況にあっては、いくら堅固な重騎士といえども限界だったのだろう。

 というより、よくまだ生きていたなというのがウルスラの素直な感想である。命からがらここまで撤退し、ようやく広場の入り口辺りに辿り着いたといった様子。人数も最初に見た時から、明らかに減っている。

 しかし、この場においてまだ戦意を維持している味方、それも強力な重騎士の一団が残っているのは幸いだ。おまけに、あの重騎士の隊長は十字軍の中でもそこそこ位が高いはず。彼を中心とすれば、真っ当に体勢を立て直すこともできるかもしれない。

 まず、援護すべきは満身創痍の重騎士部隊と定めて、ウルスラは買い物にでも行くような軽い足取りで、広場を進み始めた。

 その道中、一掃したタコに変わって、続々と新手が押し寄せつつあるが、それを軽くドレインアームで払いのけながら、ウルスラはすぐに決死の防衛戦を演じる重騎士達の元へと到着する。

「すみませーん」

「くっ、一挙に来るぞ! 総員、防御態勢――」

 当たり前のことだが、分厚い兜を被った騎士、それも激戦の真っ最中でありながら、ウルスラの小さな声など聞こえるはずはない。たとえ聞こえたとしても、悠長に子供の対応をしている暇もないであろう。

 彼らは今、目の前からダンゴのように一塊となって迫ってくる何体ものタコを迎え撃つことだけに頭がイッパイだ。なまじこの場所は霧が晴れているから、ハッキリと敵を認識できるため、より一層に集中してしまうのだろう。

 事情は察する。しかし、無視されればムっとしてしまうのは、また別の問題である。

「気づかないのは、視野狭窄に陥ってるから。とんだ素人なの、ふん」

 そんなささやかな悪態をつきながら、まずは自らに注目を集めるべく、ウルスラは手っ取り早く彼らの目の前の敵をさっさと片付けてしまうことにした。

 四本のドレインアームが、ウルスラの小さな不満で火が付いたような勢いで飛んで行く。タコどもがバラけず固まっているのは、かえって好都合。

地を這う虫けらを戦槌で叩き潰すが如く、あっけなく、という表現さえまだ過剰なほど、一方的にタコは消え去った。

「な、何っ! 今のは――」

「私なの」

 クリフが咄嗟に振り向いた先に、ウルスラは小さく胸を張って佇む。

「馬鹿な、術者は一体どこに」

「だから、私なの」

 どこまでも自分をスルーしようとする無礼極まりない素人騎士野郎に、ウルスラはアナスタシアを前かがみにさせて思い切りガンをつけさせてやった。

「ぬわっ!? こ、これはっ!?」

「私の原初魔法オリジナルなの。門で戦ってる時から出してたけど、見えなかった?」

「ああ、いや、白い風魔法のような攻撃がデビルフィッシュのモンスターを消し去っているのは見えたが……まさか、君のような小さな子が術者だったとは」

「とんだ節穴なの」

 やれやれ、とクリフの状況認識力の欠如を嘲笑うウルスラだが、彼の言い分は至極真っ当であろう。十五歳の成人に満たない子供が戦場に立つことなど、常に潤沢な兵力を約束されている十字軍では基本的にありえないからだ。

 もっとも、何事にも例外は存在する。その才を見込んで将が特別に同行を許可したり、また、とある理由から子供だけで結成される特別な部隊が存在したりもする。

「君は確か、隣村から避難してきた者の一人だろう」

「第202開拓村の見習いシスター、ウルスラ。コレは私の魔法、『白夜叉姫アナスタシア』なの」

 何故、子供が戦っているのか。その疑問は、尋常ならざる魔力の気配を放つアナスタシアを従えるウルスラを前にすれば、クリフの口から出ることはない。そう、彼女はモンスターの大群と一人でも渡り合える、特別な力を持った子供なのだと理解せざるをえない。

「ここの村人達を避難させたい。私が援護するから、協力して」

「くっ、騎士としては、たとえ君が強い力を持っていようとも、このような小さな女の子を戦わせるわけにはいかないのだが……この状況下では致し方ない。ウルスラ嬢、ありがたく君の力を借りよう」

「話が早くて助かるの」

 うんうん、と尊大に頷くウルスラを前に、クリフは気を悪くすることもなく行動を開始した。

「教会を中心に陣形を組み直せ。兵を呼び戻し、再び防衛線を構築する。集まり次第、退路の確保。民を逃がしつつ、我々もアルザス要塞へと撤退するのだ!」

 矢継ぎ早にクリフの指示が飛ぶ。まずは彼の部下である重騎士達が動き始め、逃げ惑う兵を呼び戻すべく、声を張り上げた。同時に、モンスターから逃れて広場へ駆け込んでくる村人達に対しても、まずは教会に駆け込むよう呼びかけた。

「おらぁ! 死にたくなけりゃ槍を構えろ! 逃げても背中から刺されるだけだ!」

「急げ! ここまで来れば安全だぞぉー!」

 混乱の坩堝と化す広場だが、それでも確かに兵も村人も集まり始めてくるのは、ここだけが深い霧が晴れ渡り、それでいて、屈強な重騎士達が恐ろしいモンスターの大群を防ぎきっているからに他ならない。

 騎士の誇りも、兵士の義務も忘れて、ただ己の保身がために逃げ出す腰抜けであったとしても、今この場所が村の中で最も安全だというのは一目瞭然である。文字通りに五里霧中の彼方へ逃走を図るよりも、この場に寄り集まる方に安心感を覚えるのは、人間の心理でもあった。

 気が付けば、教会の前には何十人もの兵士が集まっており、重騎士と肩を並べて再び決死の槍衾を形成し始めていた。

 だが、先ほどの正門前の戦いよりも、彼らに襲い掛かる敵の数は格段に少ない。他でもない、今、彼らの後ろにはウルスラがいるからだ。

「おい君っ、司令部の方はどうなっている!」

「そんなのとっくに全滅ですよ! 基地司令代理も、将校も、全員、もうタコどもの腹ん中ですから。クリフ隊長、今は貴方が一番上の階級でしょう」

 補給基地の司令部がある方向から逃げてきた兵士の一人をとっつかまえて聞いてみれば、そんな答えが返ってくる。

「くっ、致し方あるまい、私が指揮権を引き継ごう!」

 字面だけで見れば悔しそうだが、クリフの声音には嬉々とした感情の色が浮かんでいる。

 ウルスラは知っている。ここの正式な基地司令はあの間抜けなキノコ頭のマシュラムであり、彼が行方不明となった後の代理人も、彼と同様マトモに基地運営をする気のない無能であったことを。

 もっとも、戦場で武勲を挙げることができず、それでいて重要な拠点でもないこんな中途半端な基地など、任されたところでヤル気の欠片もでないのは致し方ないだろう。クリフのように、妙にヤル気で溢れている方が珍しいのだ。

 そしてそんな彼は今、どうやら自分が名実ともにトップとなったことで、何やら色々と満足しているらしい、とウルスラは察した。

「男ってバカなの」

 恋愛小説の受け売りな台詞をつぶやきながら、彼女は一人でも多くの兵を無事に集めるべく、アナスタシアの腕を振るい続けた。

「すげぇ、完全に奴らを防いでやがる」

「おい、油断すんなよ、これから逃げなきゃいけねぇんだからな!」

「火だっ! 火を焚け! 奴らは火に弱い!」

「武器のない者は松明を持て! 奴らを近づかせるなぁー!」

 加速度的に、十字軍は体勢を立て直しつつある。

 ウルスラの援護の下で一時的にでも持ちこたえていることで、兵達の心に余裕と、そして、希望が灯るのだ。

 集った兵士はすでに五十名ほどにまで増えている。さらには、教会に避難していた男の村人、あるいは度胸のある女性やまだ成人にギリギリで達していない少年なども、武器や松明を手にして応援に入り始めた。

 兵士に加えて村人総出となったことで、単純な人数だけなら当初の兵力である百人近い。そして恐らく、これがこの第203開拓村に残された、最後の戦力でもあろう。とうとう、広場に駆け込んでくる人影は皆無となり、霧の彼方から押し寄せてくるのは緑のタコだけとなっていた。

「ウルスラ嬢、これ以上、村人の生き残りは望めそうもない! 撤退を始める!」

 クリフの意見には、戦いつつも冷静沈着に周囲の状況を観察していたウルスラも賛成できる。だが、即答はできなかった。

 まだ、クロエ司祭が戻ってきていない。

「……クロエ様なら、大丈夫なの」

 少し考えて、そう結論付けた。この凄まじい『白夜叉姫アナスタシア』の力をもってしても、まだまだ余裕で相手ができる彼ならば、何も心配する必要はない。ここで撤退を始めたとしても、すぐにこちらを探して合流できるだろう。

 ウルスラはうんうん、と一人で頷いてから、了承の意をクリフに伝えようとしたその時であった。

「うわぁっ!? デ、デカいのが来たぞっ!!」

 兵士の叫びをかき消すように、巨大な爪先が広場の石畳に突き立った。

 霧の向こうから伸びる、大木のような太さと長さの大触手。先端に生える銛状の爪は、最早、槍というよりもドラゴンの鉤爪に等しい大きさと鋭さを備えている。

 そして塔のようにそそり立つ長大な触手の先に、天高く掲げられた巨大な頭があった。頭部の底面にある暗くポッカリと大きく開いた丸い口が、全てを吸いこもうとするようにこちらを向く。

「あ、アレはマズいのっ!」

 溢れ出る雑魚とは一線を画すサイズである10メートル級の大タコは、その口から強力な酸性のブレスを吐き出すことを、ウルスラはついさっきクロエと共に目撃している。

 一度でもあれを喰らえば、密集して敵を凌いでいる自分達は一網打尽。ドロドロの離乳食のようになって、奴らの美味しい餌となるに違いない。大タコの口元からトロリと滴る紫色のよだれを見て、ウルスラの背筋は氷りつく。

「おのれ、あの大きいのは我々が何とかするしか――」

「下がって、アレは私がやるの」

 今にも飛び出して行きそうなクリフを引き留め、ウルスラが一歩、前へ出る。

 どの道、重騎士達が躍りかかったところで、大タコがアシッドブレスを放つ方が早い。円形の大口は轟々という吸気音を立てて、すでに発射の予備動作に入っているのだから。

「私とアナスタシアの本気……見せてやるのっ!」

 活動報告に書き忘れたので、ここで書いておきます。

 10メートル級の大タコのイメージは、宇宙戦争のトライポッドです。でも正確に言なら、このトライポッドを元にしたであろう、地球防衛軍2というゲームに登場する宇宙人のロボ・新型歩行戦車『ディロイ』ですね。

 映画の宇宙戦争は一回見たきりであまり覚えてないですが、このディロイとは結構戦って、そのウザいモーションと微妙に攻撃の当てにくい形状で苦しめられた記憶がありますので(苦笑) 難易度インフェルノ? 知らない子ですね。

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